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博士論文要旨

論文題目:グローバル時代における「ルーツ」意識の変化とエスニシティの再構築―1980年代以降における在日韓国・朝鮮人の経験を事例に―
著者:金 知榮 (KIM, JiYoung)
博士号取得年月日:2014年3月24日

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本論文は、1980年代以降における日本社会の変化に注目し、在日韓国・朝鮮人が変化した社会環境をどのように解釈し、それに応答していたのかという問題を「ルーツ」への意識の文脈から分析したものである.本論文で焦点を合わせている1980年代から2010年までの約30年間は、1970年代からはじまった権利擁護運動の成果が1980年代に「可視化」されていったと同時に、日本社会が「国際化」の時代を迎えることで日本社会における在日韓国・朝鮮人の占める位置が大きく変わった時代であった.その上で、2000年以降に日本社会のメディア環境のなかで起きた前例のない「韓流ブーム」を通して、在日韓国・朝鮮人の「ルーツ」である大韓民国(以下、韓国)のイメージが向上していく.また、同時に、「韓流ブーム」とほぼ同じ時期に報道されはじめた朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の「拉致問題」が日本社会内で重要なイシューとして取り上げられることで日本社会のメディアにおける「祖国」イメージが大きく分岐し、それが10年ほど続きながら「イメージ分岐の日常化」が進められてきた特徴をもつ.
本論文では、以上で述べた在日韓国・朝鮮人を取り巻く約30年間の変化に着目し、この期間に在日韓国・朝鮮人が経験したホスト社会の変化、とりわけ、メディア環境の変化が彼/彼女らの「ルーツ」への意識の構築/再構築に及ぼした影響をとくに重点的に分析することをめざした.そのために、本論文では、環境の変化に遭遇(encounter)した行為主体がその変化を解釈(interpretation)し、多様な形で応答(response)していきながらエスニック・アイデンティティが変化していくとみていたStephen Cornell & Douglas Hartmann ([1998]2007)の構築主義的観点(A Constructionist Approach)を理論的軸として採用し、この課題を探っていった.
 はじめに論文の基本的問いに即しながら、各章の内容と結論を順に要約しておこう.
 序章では、これまで蓄積されてきたエスニック理論を「時間性」という文脈から捉え直すことにより、本論文の理論的課題と分析方法を整理した.エスニック・グループの経験する時間のながれは、従来、世代交代というタームにおいてもっぱら分析されることが多かった.だが現実には、「ルーツ」への意識や「エスニックなるもの」へのこだわりは、世代交代によって単純に薄れていくわけではない.世代を経ながらもなお「エスニックなるもの」へこだわりをもち、意識を強めていく過程を明らかにしようとしたエスニシティ研究における構築主義的観点に本論文は注目することを述べ、関連する概念の整理を行った.また、「エスニックなるもの」の持続性の問題を取り扱うため、「コミットメント」という概念に着目し、その理論的整理を行った
第2章では、「国際化」の時代を迎えた1980年代の日本においてこれまでエスニック集団のネットワークを活用しながら生活し仕事をみつけるなど、ある程度日本社会と分離されていた在日韓国・朝鮮人が積極的に日本社会に編入されていくようになったきっかけを就職という面から取り上げ、その試みを可能にしてくれた社会環境に関する分析をおこなった.「努力」をしてまでエスニック集団から離れ、日本社会内で働こうとした在日2世の語りを通して日本社会の変化を解釈しそれに応答していくプロセスを分析したことで明らかになった点は、以下の2点にまとめることができる.
 第一に、1980年代におこなわれた「国際人権条約」の批准、「国籍法」と「戸籍法」の改正によって在日韓国・朝鮮人の法的地位が安定化されはじめたと同時に、日本の経済構造の変化のなかで日本国内の外国人が急増していく時代の変化が、経験的事実でありながらも意識レベルにおいて共有できなかった「在日化」という現象を確実なものに変え、在日2世のなかで積極的に日本社会内に入っていこうとする試みがみられるようになった点である.
 第二に、自分の「ルーツ」を明らかにしながら日本社会で生きていこうという、意識面における「在日化」は、「祖国志向」や「帰国志向」の強かった在日1世、そして、1世の意識に自分を照らし合わせながら「ルーツ」意識を形成してきた多くの2世から批判の対象となっていたことがわかった.にもかかわらず、必ずしも多くの理解を得ることができなかった「在日化」のプロセスが少数でありながら在日2世のなかでみられたことは、「ルーツ」意識の基準を1世に置くことではなく自ら日本に生活の基盤をおいている事実を自覚した2世が存在していたことを明らかにしている.このように、変化していく日本社会の環境をどのように解釈し応答していくのかという問題は「在日化」のプロセスと分かち難く結びついていることがわかる.
 続く第3章から第5章までは、日本のメディア環境の変化と変化した環境の「持続」が作り出した在日韓国・朝鮮人の「ルーツ」意識と再構築された「ルーツ」意識がどのようにパターン化されていったのかという問題を分析した.
 第3章では、変化のきっかけになった「韓流ブーム」に着目し、マス・メディアを介した「祖国」との出会いを取り上げた.まず、「韓流ブーム」がどのような社会的、経済的環境のなかではじまったのかを論じ、メディアを介した「祖国」イメージにどのくらい触れたのか、すなわち、「韓国で作られたメディア・コンテンツ」との接触の度合いが「韓流ブーム」の初期(2003年)からその後(調査時点、2008年)に至るまでどのような形で変化してきたのかを分析した.その上で、「韓国で作られたメディア・コンテンツ」との接触度合いが「韓流」への評価にどのような影響を及ぼしたのかについて調査データを通して明らかにした.
 第3章を通して明らかになった点は以下の2点である.
 第一に、「韓流ブーム」という日本のメディア環境の変化に対する在日韓国・朝鮮人の解釈や応答が実際には多様であった点を挙げることができる.「韓流ブーム」の時期(2003年)から調査時点(2008年)に至る「韓国で作られたメディア・コンテンツ」との接触頻度の変化を分析した結果、「韓流ブーム」が訪れる前にどのくらい自分の「ルーツ」に関心をもっていたのか、エスニックなるものに触れていたのかが、「韓流ブーム」直後の接触頻度に大きく影響を及ぼしていることがわかった.また、「韓流」が「ブーム」で終わらず「持続」されていったことで「韓流ブーム」初期にはあまり関心をもたなかった在日韓国・朝鮮人までもが「韓国で作られたメディア・コンテンツ」に接触するようになったことも明らかになった.
 第二に、2003年と2008年との間にみられる接触頻度の変化を「接触増加型」「高接触安定型」「低接触停滞型」「接触低下型」という類型に分けて分析することによって、「接触増加型」や「高接触安定型」が「韓流」を単に「ブーム」として経験したのではなく韓国そのものへの関心や自分の「ルーツ」意識を再構築するきっかけとして経験していたことが明らかとなった.「接触増加型」や「高接触安定型」に分類される回答者のなかに、「韓流」をきっかけに自分のルーツを肯定的に捉えるようになった、本名に愛着を感じるようになった、ハングルに愛着をもつようになったなどの回答が多くみられたことが、こうした接触頻度と「韓流」に対する評価との関係性を明らかにしている.
 第4章では、第3章で発見された日本のメディア環境の変化と在日韓国・朝鮮人の「ルーツ」意識との関係をさらに分析していくために、「韓流ブーム」と「拉致報道」を通して「祖国」が相反するイメージで表象されることが在日韓国・朝鮮人、とりわけ、日本における定住が生まれたときから「当たり前」となっている「定住世代」に及ぼす影響を分析した.「個」としての自己認識と「エスニック」な存在としての自己認識との乖離を明らかにするため、「定住世代」の語りを分析した第4章の議論を通して明らかになったのは以下の2点である.
 第一に、「韓流ブーム」や「拉致問題」が起こる前に国籍による行政的差別が部分的に緩和されていたこと、また日本における外国人「労働力」の急増により、在日韓国・朝鮮人が一人の「個」として日本社会で働くことはより「自然」な経験となっていく.「定住世代」は、親の世代が経験していた差別を記憶として共有しながらも、自分たちが親とは違う時代を生きている認識をはっきりもち、共有された記憶を「相対化」していることが明らかになった.
 第二に、「個」のレベルでは在日韓国・朝鮮人であることにほとんど不安を感じない若い世代が、同時に、日本社会における「祖国」のイメージ分岐の影響を強く受けていることがわかった.「個」の側面では、在日韓国・朝鮮人でありながらも日本社会の構成員であることにほとんど疑問をもたない若い世代が、日本と自分の「ルーツ」である朝鮮半島との緊張関係を目にしたときに「エスニック」な存在としてしかみられないかもしれないという不安を感じていること、このことが「ルーツ」意識の構築/再構築過程に強く影響していることが明らかになった.
 第5章では、第3章と第4章の議論を踏まえ、「ルーツ」意識の再構築が集団呼称の「選択」や「使い方」に及ぼす影響を、「呼称調査」で得られたデータを基に分析した.具体的には、在日韓国・朝鮮人がどのような集団呼称を選び使うのかという問題がどちらの「祖国」を支持するのかという政治的・イデオロギー的立場と密接にかかわっていた点を既存研究から確認した上で、2000年以降の日本のメディア環境変容を通した「祖国」イメージの分岐が集団呼称の「選択」に及ぼした影響を「コミットメント」という概念を用いながら分析をおこなった.とりわけ、2000年以降、「韓流ブーム」により自分の「ルーツ」に関する情報をエスニック集団内ばかりではなく、メディアを通して個人単位で接することが可能になる.こうした変化に着目し、「コミットメント」のタイプを個人的「コミットメント」と集団的「コミットメント」に分けて分析を進めた.また、こうした「コミットメント」のタイプが集団呼称の「使い方」に及ぼす影響を分析した.第5章を通して明らかになったことは以下の2点である.
 第一に、個人的「コミットメント」と集団的「コミットメント」の度合いを組み合わせることで浮き彫りになった「高コミット型」「低コミット型」「個人的コミット型」という3つのパターンの比較を通して、「高コミット型」と「個人的コミット型」がこれまで多様な集団呼称を用いながら自分を他人に表現してきた経験をもつことがわかった.その反面「低コミット型」は、「在日韓国人」や「韓国人」など韓国という言葉が含まれている呼称を主に使ってきた傾向がみられた.
 第二に、「呼称調査」の調査時点(2012年)において自分を表すためにもっとも適切だと考える呼称を、「コミットメント」類型の面から分析してみた.これにより、「高コミット型」が「在日朝鮮人」を、「個人的コミット型」が「在日コリアン」を、「低コミット型」が「在日韓国人」を、それぞれ現在の自分を表す呼称として「選んでいる」ことが明らかになった.これは、「コミットメント」類型によって集団呼称の「選択」が異なっていることから個人的に「ルーツ」にコミットしていくのか、それとも、エスニック集団に参加しながら「ルーツ」にコミットしていくのかが「ルーツ」意識のパターン化に影響を及ぼし、そこから多様な認識パターンを作り出されていることを表している.
以上、各章の議論を通して明らかになった内容をもう一度、本論文全体の問題意識に照らし合わせながらまとめた上で、そこから引き出される含意ないし見通しについて検討しておこう.
 第一に、2000年以降、日本のメディア状況が大きく変化し、その変化が10年以上のときを経ながら「日常化」されていくなかで、在日韓国・朝鮮人のもつ「ルーツ」意識が再構築されたのみならず、それはいくつかのパターンに接続されながら新たな「持続」の道を歩みだすこととなった.以上の分析内容を通して、これからの在日韓国・朝鮮人が日本社会でどういった存在として生きていくことになるのかという点を予測してみることができる.
自分の「ルーツ」について知識をもつようになり、韓国に対する肯定的認識が増したことは、自分の「ルーツ」に対する肯定的認識を人びとにもたらした.そして、この肯定的意識が今度は、エスニックな存在としての自分を日本社会内で表すことを、「自然な」ものとしていく.こうした回路の拡大は、国籍上では「日本人」でありながらも、あるいは、朝鮮籍(記号)や韓国籍をもつ人が「日本人化」されながらも、「日本人と同じではない」自己を肯定できる層が増えていくことを意味している.そうしたエスニックな存在としての自己を肯定的に受け入れ「自然に」表していく経験の厚みが増すことは、在日韓国・朝鮮人の人びとにとって、日本との関係性をより「素直な」ものにしていくことにつながると考えられる.
ただし、ここで肯定的に捉えるようになった「ルーツ」が主に、韓国に限られていることには注意を払いたい.「祖国」イメージの分岐がエスニックな自己を表すことをためらう原因になっていること、とりわけ、「朝鮮人」という言葉で自分を表すことが難しくなっていること、もはや、そのようには自分を捉えない在日韓国・朝鮮人が増えていることは、意識のあり方と日本社会における自己表現の仕方との間の乖離を生んでいる.こうした乖離を在日韓国・朝鮮人のそれぞれがどのように折り合いつけていくのか、このことが日本との関係性の深さを決めていく要因になっていくと予測される.
第二に、自分の「ルーツ」に「コミットメント」する様式が、個人的な経路によるのか、それとも集団的なものが加えられた経路によるのかによって、現在の自分をもっとも適切に表す集団呼称の種類は分岐する傾向がみられた.すなわち、「高コミット型」では「在日朝鮮人」「在日コリアン」を使うケースが、また「個人的コミット型」では「在日コリアン」「在日韓国人」を使うケースが、それぞれ順に多かった.この分析結果を通して、「ルーツ」意識の再構築のあり方には「個人」か「集団」か、という経路がかかわっていること、そしてその経路の違いによって自己認識の依拠軸には違いがあることが明らかになった.
「在日朝鮮人」という呼称は、長い歴史や在日韓国・朝鮮人の起源を重視するものであるのに対し、「在日コリアン」は「ルーツ」意識の再構築を通じて日本社会内で新たに多く使われるようになった呼称である.また、「在日韓国人」は国籍を基にしているものであって、特に2000年以降韓国のイメージが向上していく過程において多く使われるようになったものである.
個人的「コミットメント」が2000年以降の日本のメディア状況の変化を通して可能になった「コミット」様式であり、このコミットメント類型のなかには日本学校の経験者や日本国籍保有者などこれまで自分の「ルーツ」についてあまり触れなかった人が多く含まれていることを考え合わせると、彼/彼女らが選んだ「在日コリアン」や「在日韓国人」という呼称は、日本社会のなかでメディアを通じ投影されているイメージの影響を強く表していると考えられる.今後、個人的「コミットメント」の類型に属する人が増えていった場合、日本社会内でのイメージが在日韓国・朝鮮人の自己意識に強く影響していることは明らかである.
ところが、これからの時代を生きる在日韓国・朝鮮人にとって問題になってくると予想される点は、自己意識の形成における両面性がどれくらい確報されるのかという問題である.構築主義的観点が論じているように、自己意識のなかには、自分から主張するもの(assertion)とホスト社会から与えられる要素(assignment)が存在し、そのバランスがうまく取れない場合ホスト社会から抑圧された、あるいは、ホスト社会から隔離された自己意識が形成されてしまう可能性が高い.ここで個人的「コミットメント」の類型に属する人が実際の在日韓国・朝鮮人との交流をもたないまま日本社会のメディアで表象される「祖国」のイメージばかりを受け入れた場合、その自己意識は日本社会からのまなざしにとらわれやすい「弱い」ものになりかねない.この点において自分の「ルーツ」を明らかにしながら日本社会に入った在日韓国・朝鮮人同士がお互いに意見を交換し、それぞれのもつ歴史に関する考え方などを分かち合えるような「場」はこれからも重要な役割を果たしていくと考えられる.
 以上のように本論文は、在日韓国・朝鮮人の「ルーツ」意識に関する理論が福岡(1993)のエスニック・アイデンティティの多様化議論に止まっていることを問題意識としながら、グローバル時代として特徴づけられる1980年代以降の日本社会の変化が在日韓国・朝鮮人の「ルーツ」意識の再構築に及ぼした影響を、構築主義的観点から論じた.最後に本論文が便宜的サンプリング方法で実施した2つの量的調査に基づいていることと、数少ないデータを通して分析をおこなった限界をもっていることを認識した上で本論文における課題を述べておきたい.
 第一に、本論文では、1980年代以降の時代をグローバル時代として位置づけ、1980年代を「在日化」が本格化された時期として捉え、1990年代の「特別永住者」在留資格の新設によって「エスニックなるもの」から遠ざかっていった在日韓国・朝鮮人が再び日本のメディア環境の変化を通して「ルーツ」意識を再構築するようになるプロセスを分析した.この分析過程において、1990年代を日本定住が法的に保障され「エスニックなるもの」から遠ざかっていく時期として大きくその時代の性格を捉えている一方、1990年代にみられた具体的な変化については分析することができなかった.
 第二に、本論文では、構築主義的観点に立って議論を展開しているが、先行研究のレビューにおいて構築主義的観点を主張したアメリカの理論は参照にしたものの、日本における構築主義的観点を取り入れた研究に対するレビューがなされていない限界をもっている.今後、日本の文脈で構築主義的観点がどのように当てはめられてきたのかそのながれを研究していく同時に、そこで得られた知見に基づいて構築主義的観点のもつ限界や問題点についても分析していきたい.
 第三に、本論文では、在日韓国・朝鮮人のもつ「ルーツ」への意識が「韓流」受容や「呼称」使いなどに及ぼす影響を調査していくなかで日本国籍に帰化した、あるいは、生まれてから日本籍であった在日韓国・朝鮮人をも調査対象にしながらも、日本社会内で「可視化」されている在日団体やコミュニティを入り口にして調査対象を広げていたため、日本籍の在日韓国・朝鮮人の語りを反映することができなかった.
第四に、本論文では、「呼称調査」で得られたデータを分析していくなかで発見された「コミットメント」類型を通して集団呼称の「選択」や「使い方」にみられるズレのパターンは明らかにした.ところが、そこで明らかになったパターンがどのようなプロセスを経て、あるいは、どういうきっかけでそのように「収斂」していったのかについては十分分析することができなかった.その「収斂」プロセスを分析していくためには、さらなるインタビュー・調査を通して質的データを集めていくことが必要であろう.

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