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博士論文要旨

論文題目:日本の若者と雇用システムの国際化―オーストラリア・ワーキングホリデー制度利用者の事例研究―
著者:藤岡 伸明 (FUJIOKA, Nobuaki)
博士号取得年月日:2014年3月24日

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目的と方法
本稿の目的は、日本の若年ノンエリート層を取り巻く国境横断的な雇用システムの全体像を提示することである。この目的を達成するために、本論では「閉塞状況への打開策・対処法としての海外長期滞在」と「日本企業の海外進出に必要な日本人労働者を確保するための国境横断的な雇用システム」という2つのテーマに取り組む。前者の検討を通して日本の若者が国外に押し出されるメカニズムを明らかにし、後者の検討を通して国外に移動した若者が日系商業・サービス産業に引き寄せられるメカニズムを明らかにする。そして、両者を総合することによって、国境横断的な雇用システムの全容を浮かび上がらせる。
日系商業・サービス産業とは、海外の日本人に商品やサービスを提供する企業(日本人向けビジネス)と、「日本」を売りにした商品やサービスを現地消費者に提供する企業(現地消費者向けビジネス)からなる産業である。ある国で日系商業・サービス産業が発展すると、日本人がその国で生活しやすくなり、日本製品の需要も増大するから、日本企業がその国に進出しやすくなる。つまり、日系商業・サービス産業には日本企業の海外進出を支援・促進するという重要な役割がある。しかし、日系商業・サービス産業の研究はほぼ手つかずのままであり、そこで働く日本人の就業状況や、そこで働く日本人がなぜ/どのようにして日本を離れたのかといった点については分からないことが多い。本稿は、これらの未解決の問いに答えることを通じて、日本の若年ノンエリート層を取り巻く国境横断的な雇用システムの全体像を浮き彫りにしようとする試みと言い換えることもできる。
本稿の目的を達成するために、筆者が立脚点として選んだのは社会学的な若年雇用・労働研究である。つまり、本稿は若年雇用・労働研究の一環として、社会学的な概念と方法を用いながら、若年雇用・労働研究の考察範囲と視野を拡大する形で、上記のテーマに取り組む。具体的な考察対象は、ワーキングホリデー(以下、WHと略記)制度を利用して豪州に滞在する日本の若者である。筆者は豪州と日本でフィールドワークを行い、日豪両国で複数の調査を実施した。豪州では、現地に滞在する日本人WH渡航者へのインタビュー調査、日本食レストランと観光施設における参与観察、留学・WH斡旋業者の調査(資料収集とインタビュー)、日本人が主体となって活動しているサークルの調査(参与観察とインタビュー)を実施した。日本国内では、留学・WH斡旋業者へのインタビュー調査と、エリート層に属する日本の若者へのインタビュー調査を実施した。本稿の記述と分析の多くは、これらの調査に依拠している。

要約
第1部
本論では、第2部で「閉塞状況への打開策・対処法としての海外長期滞在」を、第3部で「日本企業の海外進出に必要な日本人労働者を確保するための国境横断的な雇用システム」を、それぞれ検討した。それに先立って、第1部では、豪州WH制度について包括的な検討を行った。日本ではなじみの薄いWH制度に関する基礎的な情報や知識を提供すると同時に、豪州WH制度の利用者が、上記の2つの課題に取り組む際の事例として適切であることを確認した。
第1章では、WH制度全般と日本人利用者について検討した。その概要は以下の通り。WH制度は、2国間の協定に基づき、両国の若者に1~2年間の休暇滞在と滞在中の就労を認める国際交流制度である。制度の目的は文化交流の促進を通じた友好関係の強化とされる。日本人から見たWH制度の魅力は、それが海外生活を経験するための手頃な手段を提供している点にある。さらに近年は、メディアや斡旋業者によってWH制度の肯定的なイメージが強化されつつあるため、WH制度は、「貴重な経験」「夢」「憧れ」「挑戦」といった肯定的イメージで自分自身を語ることが可能な制度になりつつある。このようにWH制度は魅力的な制度だが、問題点も多数存在する。たとえば、日本人同士で固まりがちであること、旅先で犯罪に巻き込まれる頻度が高いこと、職場でハラスメントや違法な賃金を経験する者が多いこと、男女関係のトラブルが多いことなどである。また、エリート層は、会社を辞めてWHに行くことがキャリアダウンにつながりやすいために、WH制度を自分とは無関係なものと捉える傾向が強い。事実、海外職業訓練協会の調査によれば、WH制度を利用する日本人の中核を占めるのはノンエリート層であり、特に若年中位層(の女性)が多い
第2章では、豪州WH制度と日本人利用者について検討した。その概要は以下の通り。豪州WH制度は、その性格や強調点を変化させつつ発展してきた。当初はイギリス連邦諸国の伝統的慣習を引き継ぐための制度的受け皿として発足したが、90年代以降は、観光業と留学産業の振興策や農業における低技能労働者の調達手段としての性格を強めつつある。その結果、近年は、バックパッカー、ギャップイヤー取得者、農業の低技能労働者、語学留学生などの受け皿として効果的に活用されている。
豪州WH制度を利用する日本人は、80年代後半以降に急激な増加を見せた(1981年884人→2012年9,957人)。日本人WH渡航者は、豪州の日本人コミュニティにおいて、日系商業・サービス産業を支える低賃金労働力、将来の移住者予備軍、日本人のサークル活動のメンバーとして重要な役割を果たしている。豪州WH制度の問題点としては、サービス産業と農業の就業環境の劣悪さが指摘されている。

第2部
第2部では、日本の若者が閉塞状況への打開策・対処法としてWHを選択するあり方を考察した。
第3章では、90年代以降の日本の若者が身を置く歴史的・社会的状況を、「豪州WH制度利用者(海外長期滞在者)の増加を促進する要因」という観点から包括的に検討した。その際、多様な要因をプッシュ要因、プル要因、媒介要因という3種類に分類して考察を行った。その結果として明らかになったことは、WH渡航者が増加した背景には、多様な要因の絡み合いと複雑で広範な社会変容が存在したという事実である。しかし同時に、第3章の議論は、日本経済のグローバル化がWH渡航者の増加をもたらす基底的な要因であることを再認識させるものでもあった。日本経済のグローバル化、とりわけ日本企業の海外進出とグローバル競争への対応策として進められている労働市場の流動化は、プッシュ要因、プル要因、媒介要因の全てに幅広く影響を及ぼしている。日本の若者における国際移動の多様化がこのような環境下で進展していることを忘れてはならない。
第4・5章では、インタビュー調査対象者のライフヒストリーを記述し、彼らの渡航動機と渡航までの経緯を、彼らの就業状況に焦点を当てつつ考察した。
第4章の第1節では、海外渡航以前と海外滞在中の就業状況(主に職種、企業規模、雇用形態)に基づいて、WH渡航者を4つの類型(キャリアトレーニング型、キャリアブレーク型、キャリアリセット型、プレキャリア型)に分類した。キャリアトレーニング型とキャリアブレーク型を構成するのは、渡航前に専門職、資格職、経営・管理者、中小企業・自営業後継者、海外経験が評価される職種に就いていた者である。そのうちWH中に自分の専門分野に関わる就業経験を積んだり職業訓練を受けたりした者がキャリアトレーニング型に、していない者がキャリアブレーク型に分類される。この2つの類型に属する者は、専門的技能、公的資格、卓越した職歴、個人的な伝手などを保有した状態で渡航しているため、帰国後の再就職に際して職位や労働条件の大幅な低下を回避しやすいという特徴がある。キャリアリセット型を構成するのは、上記以外の職種に就いていた正規雇用者と、非正規雇用者全般である。この類型に属する者は、帰国後の再就職に際して非正規雇用や正規雇用の(最)下層に位置する職種・職位から再出発する可能性が高い。プレキャリア型を構成するのは本格的なキャリアを開始していない者であり、休学中の学生が大半を占める。本稿の考察対象は既卒で就業経験がある者(いわゆる社会人)だから、学生を中核とするプレキャリア型は考察対象から除外した。
上記の類型を踏まえて、第4章の第2・3節では、キャリアトレーニング型とキャリアブレーク型に属するインタビュー調査対象者を4人ずつ選び、それぞれのライフヒストリーを考察した。その結果、若年中位層において生起しつつある新たな現象が浮き彫りになった。その現象とは、「キャリアの国際化」と「海外を『安全』な『キャリアの休憩所』として利用すること」という2つの事態である。「キャリアの国際化」とは、特定の職種において、国境をまたいだキャリアパスが制度化・構造化される現象を指す。WH渡航者のなかでは、キャリアトレーニング型に属する者がこれを経験している。「安全」な「キャリアの休憩所」とは、疲労回復やキャリアプラン見直しのために利用する場所または制度であり、これを利用した者は、以前よりリフレッシュした状態で、あるいは新たなキャリアプランを持って、元のキャリアルートに復帰することができる。WH渡航者のなかでは、キャリアブレーク型に属する者が、海外をこのようなものとして利用している。
第5章では、キャリアリセット型に属するインタビュー調査対象者を考察した。WH渡航者のなかではこの類型に属する者が最も多く、しかもその動機が他類型のWH渡航者と比べて分かりづらいため、考察に1つの章を費やした。第1節では、4人のライフヒストリーを記述・分析し、第2節では、4人の渡航動機と渡航までの経緯を彼ら自身の短期的な展望と関連づけて考察した。その結果、彼らはWH制度を利用することによって閉塞的な階層的空間から「移動」し、その「移動」を価値あるものとして表象しようとしていた点を明らかにした。第3節では、4人の渡航動機と渡航までの経緯を彼ら自身の長期的な展望と関連づけて考察した。その結果、彼らがWH制度を利用する動機の1つは、WH制度を利用することによってより良い中長期的な展望を獲得することである点を明らかにした。また、第3節では、一見すると無計画性や無目的性の発露のように見える彼らの行動が、実際には、保有する資源の不足に由来する階層的な行動パターンの一種であることを明らかにした。さらに第3節では、彼らが利用した資源や手段(家族・友人・恋人、斡旋業者のサービス、斡旋業者・メディアが伝達するイメージ、日系商業・サービス産業の就業機会など)が、新たな問題(文化交流という理念に反する渡航・滞在様式、「WHの商品化」の弊害、不法就労や就業上のトラブル)を引き起こしがちである点を指摘した。
以上が第2部の3つの章の要約である。ここから明らかになった主要な知見は3つある。第1に、一見すると個々人の自由意思によるバラバラで無秩序な移動のような印象を与えがちなWH渡航者の行動は、実際には一定のパターンを有する構造化された移動である。第2に、WH渡航者の移動と滞在のパターンを分化させる主要な要因の1つは階層である。第3に、豪州WHとは、就業環境の悪化を一因とする閉塞状況への打開策・対処法のうち、若年中位層に特有なものの1つである。以上から、就業環境の悪化を一因とする海外長期滞在者の多様化・増加は、階層的な社会的回路を経由しながら進行していることが明らかになった。

第3部
第3部では、WH渡航者が日本企業の海外進出に必要な日本人労働者を確保するための国境横断的な雇用システムに組み込まれている状況を記述・分析した。
第6章では、日本企業の豪州進出によって現地の日系商業・サービス産業が発展し、日本人労働者に対する需要が創出され、WH渡航者の就業機会が増大するに至った過程を考察した。特に、現地消費者向けビジネスの代表としてメルボルンの日本食産業を、日本人向けビジネスの代表としてケアンズの観光業を、それぞれ包括的に検討した。その結果として明らかになったことは、豪州の日系商業・サービス産業にとって、WH渡航者は低技能職種の担い手として不可欠の存在だという点である。このことは、WH渡航者が豪州に渡航することを強力に牽引していると考えられる。なぜなら、豪州には英語力が低くても従事できる仕事が大量に存在するため、WH渡航者は低予算・低英語力でも安心して渡航できるからである。つまりマクロな視点から見れば、日系商業・サービス産業とWH渡航者が相互依存の関係にあることは明白であり、その相互依存関係が持続したことによって、日系商業・サービス産業の発展とWH渡航者の増加がともに可能になったと捉えるのが妥当である。
第7・8章では、筆者が実施した調査に依拠しながら、日系商業・サービス産業で働くWH渡航者の就業動機、職務内容、就業経験に対する自己評価などを詳細に検討した。この作業を通じて、WH渡航者が豪州の日系商業・サービス産業で果たしている役割と、WH渡航者が日系商業・サービス産業で働くことによって得ているものを明らかにした。第7章ではメルボルンの日本食レストランを、第8章ではケアンズの観光施設を、それぞれ事例として取りあげた。2つの章で明らかにされた主な知見は以下の通りである。
日本食レストランと観光施設で働くWH渡航者は、資金、住居、ビザを得るといった手段的な動機で働くことが多い。彼らの就業環境は、日本語環境、低技能サービス職、低賃金、流動的な労働時間を特徴とする。彼らは就業環境に対して戸惑い、不満、物足りなさといった感情を抱くことが多いが、自身の英語力の低さと技能・資格の欠如ゆえに他の仕事を得ることは難しいことを理解しているため、諦めたり割り切ったりして働き続けることが多い。ただし、日系商業・サービス産業で働いた経験を否定的に自己評価する者は少ない。なぜなら、第1に、資金、住居、ビザなどを確保できたからであり、第2に、個人的・共同的な実践を通じて仕事に対する満足度を高めたり就業経験に対して肯定的な「意味」を付与したりしているからである。このことから、WH渡航者が豪州の日系商業・サービス産業で担っている役割と、日系商業・サービス産業での就業を通じてWH渡航者が得ているものが浮かび上がる。彼らの役割とは、低賃金・低技能サービス労働部門において人員・雇用の調整弁を兼ねた主力労働者として働くことと、同部門に対して適応性の高い従順な労働力を提供することである。また、WH渡航者が得ているものとは、賃金に代表される物質的な報酬と、「(ささやかな)成功体験」と「(ささやかな)成功談」の獲得による自己効力感の強化という心理的報酬である。このような心理的報酬は、閉塞状況に置かれて自己効力感が低下するなかでWHを選択した者にとって大きな重要性を持つものとなりうる。
以上の考察を通じて、日本企業の海外進出に必要な日本人労働者を確保するための国境横断的な雇用システムのうち、豪州国内の状況が明らかになった。それは①日系商業・サービス産業の階層的な日本人労働市場、②英語力の低さと技能・資格の欠如ゆえに仕事を選べないWH渡航者、③求人広告の掲載によって両者を結びつける日本語情報誌、日系旅行代理店、日系留学・WH渡航者、④各企業内における経営者とWH渡航者の間の比較的良好な関係という要素によって成り立っている、というのが第3部の知見である。

結論
本論の議論から、豪州WH制度の利用者を取り巻く国境横断的な雇用システムは、以下の7つの要素から成り立っていることが明らかになった。①豪州日系商業・サービス産業の階層的な日本人労働市場、②日本国内の就業環境の悪化とともに強化されつつある若者を海外に向かわせる押し出し効果、③若者の国際移動を促進する関連産業(航空産業、旅行・観光産業、留学・WH斡旋産業、語学教育産業、ガイドブック出版産業など)、④外国人受け入れ体制をコントロールする豪州政府、⑤英語力が低く特別な職業的技能・資格を持たない大量の日本人WH渡航者、⑥求人広告を掲載するメディアと各種日本人向けビジネス(日本語情報誌、日系旅行代理店、日系留学・WH斡旋業者など)、⑦各企業内における経営者とWH渡航者の間の比較的良好な関係。これらの要素からなるシステムが良好に機能したことが一因となって豪州の日系商業・サービス産業が発展し、ひいては日本企業の豪州進出が促進されたと考えることができる。つまりこのシステムは、豪州の日系商業・サービス産業に低賃金・低技能労働者を安定的に供給することによって、日系商業・サービス産業の発展を促進し、ひいては日本企業の豪州進出を支えてきたと考えられる。
さらに、このシステムを社会学的な若年雇用・労働研究の立場から捉え直すと、このシステムに組み込まれた2つの機能が見えてくる。1つは、日本の若年層の不満が「爆発」することを未然に防ぐ安全弁あるいはガス抜き装置としての機能であり、もう1つは、日本国内で自信を失った若者の自己効力感を強化することによって若者の就業意欲(あるいは生きることに対する意欲)を回復させる再生装置としての機能である。ただし、こうした機能の測定は容易ではないから、さらなる検証が必要であることは言うまでもない。

今後の課題
本稿では、ジェンダー、豪州国内の経済・産業構造、帰国後の就業・生活状況という3つの論点を十分に掘り下げることができなかった。今後は、本稿の4類型(キャリアトレーニング型など)にジェンダーの次元を加える、日系商業・サービス産業と豪州国内の経済・産業構造との関係を個別の産業分野(たとえば外食産業など)に焦点を当てて解明する、インタビュー調査の対象者に追跡調査を実施してその知見をまとめるといった作業を積み重ねていく必要がある。
また、本稿はあくまで豪州WH制度の利用者を対象とした1つの事例研究に過ぎないから、今後は他の海外長期滞在者との比較を繰り返すなかで、本稿の知見がどこまで一般化可能かという点を検証していきたい。

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