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博士論文要旨

論文題目:フィリピン系ニューカマー第二世代のエスニックアイデンティティと複層的ネットワーク―世代内部の差異に注目して―
著者:三浦 綾希子 (Akiko, MIURA)
博士号取得年月日:2013年7月31日

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本論文は、フィリピン系ニューカマー第二世代のエスニックアイデンティティの有り様を学校外の育ちの場を基点に形成される複層的ネットワークとの関わりから明らかにするものである。
ニューカマーと呼ばれる新来外国人が増加してから20 年以上が経過し、近年では、その定住化とそれに伴う第二世代の教育問題の多様化が指摘されている。この間、多くの研究者がこの問題に取り組み、貴重な知見が積み重ねられてきた。しかし同時に、ニューカマー教育研究は、1)研究アプローチ、2)研究枠組み、3)研究対象の3 点で偏りが見られ、限界を抱えている。すなわち、ニューカマーを弱者として捉え、その主体性に目を向けて来なかった点や、学校教育という枠組みに捕らわれてきた点、学齢期に来日した子どもと、日本生まれ日本育ちの子どもを明確に区別してこなかった点で限界を抱えているといえる。
この点を踏まえ、本論文では、国民国家の論理に組み込まれつつも、その中でしたたかに、かつ力強く生きるニューカマーの人々の営みに目を向ける。その際の切り口となるのが学校外の育ちの場を基点に形成されるネットワークと第二世代のアイデンティティの問題である。抑圧され、支援される存在としてのみニューカマーを捉えるのではなく、自ら主体的に生きるための資源を作り出す存在としてニューカマーを捉え、かれらが作り出す資源の1つとして、ネットワークから生み出される社会関係資本に注目する。そして、そのネットワークの基点として、学校外の多様な学びの場、具体的には、地域の地域学習室とエスニック教会を取り上げる。その上で、ネットワークに組み込まれた子どもたちのアイデンティティを世代による差異を考慮しつつ、検討する。本論文で対象となるフィリピン系ニューカマーの場合、第二世代は、日本へ出稼ぎに出た親に後から呼び寄せられて来日した子どもと、日本人男性とフィリピン人女性の間に生まれた国際結婚の子どもの大きく2つに分類される。本論文では、前者を1.5 世、後者を2.5 世と呼び、その世代の差異を考慮しながら、分析を行う。エスニックアイデンティティは、routs(経路)とroots(根源)の相互交渉によって作られるという前提に立ち、ニューカマーの子どもたちがroutes(経路)の中で出会う様々な場をどのように意味付け、どのようにアイデンティティ形成をしていくのかを描き出していく。
第1 章と第2 章では、社会構造上、不利な立場に置かれがちなニューカマーたちが、宗教施設、エスニック食材店などを拠点としながら、ネットワークを築き、それを生活の支えとしている様子を明らかにした。特に、第2 章では、女性の多さや居住の非集住性によって、そのネットワークの拠点が見えづらいフィリピン系ニューカマーに焦点を当て、ネットワークの形成・維持・利用過程を描き出した。この際、本論文が注目したのは、エンターテイナーの女性たちと家事労働者の女性たちが組み込まれている移住システムの違いである。市場媒介型移住システムによって来日するエンターテイナーの女性たちは、短期間の就労を繰り返しており、滞日期間が短いため、日本でネットワークを維持することが困難となっていた。一方で、相互扶助型移住システムによって来日した家事労働者の場合、その来日から、定住に至るまで、先発者との間に作られるネットワークを利用し、生活の安定化を図っていた。日本人が雇用主となれない家事労働者たちの雇用契約は、在日外国人雇用主との直接契約であり、個々人のネットワークによって職業斡旋が行われる。1 人が日本で家事労働者として働き始めると、その雇用主の友人を紹介してもらう形で、新たに雇用先が見つけられ、フィリピンから家族や親族が呼び寄せられる。呼び寄せられた移住者は、先発者の助けを借りながら、生活を安定させ、またさらなる移住者をフィリピンから呼び寄せる。このようにして、移住が連鎖していく。相互扶助型移住システムを支える「連鎖移民」と呼ばれる現象が起こっていたと言える。
また、本論文では、日本において直接的なネットワークが確保されていない場合でも、香港など移住労働者受け入れ国を経由することにより、つまり市場媒介型の移動を介在させることにより、日本での家事労働者としての就労が可能となることも明らかにされた。グローバルエリートのネットワークと接点を持つことによって、公式的には外国人家事労働者の存在を認めていない日本で、家事労働者として働くことが可能となっていたのである。資本のグローバル化に伴って自由に国家間を移動するグローバルエリートの存在が指摘されて久しいが、それに付随する形でグローバルエリートを下支えする家事労働者たちの移動が看取される。外国人家事労働者が原則的に禁止されている日本においても、国家の制度的制約の網の目をくぐり、就労機会を広げ、社会構造上のハンディキャップを乗り越えようとするフィリピン系ニューカマーの姿が見て取れるだろう。
来日後、家族や親族の紹介によって来日した者たちは、その親族ネットワークを使って、香港などの中継国を経て、来日した者たちは雇用主の情報を使って、教会を見つけ、そこでネットワークを形成していく。また、日本人と結婚し、職業ネットワークが弱体化する元エンターテイナーの女性たちも、道端で会ったフィリピン人女性との出会いなどから、教会に参加するようになる。フィリピン人同士が集まり、母語で言いたいことが言い合える教会は、彼女たちにとって、精神的支えとなっていただけでなく、日本での生活基盤を安定化させるための情報など、資源獲得の場ともなっていた。さらに、結婚し、子どもを持つようになると、同じ歳の子どもを持つフィリピン人女性同士は子育てネットワークを形成する。このように、定住後は、様々なネットワークが形成されるようになるが、子どもを持つ母親たちはこの多様なネットワークを利用しながら、子どもを教会や地域学習室に参加させ、教育支援を行っていた。特に、世代間閉鎖性のあるネットワークは、親たちが重要視する規範やフィリピン文化、英語の継承を効果的に行える作用を持っていた。移動局面と同様、居住局面においても、ネットワークから生み出される社会関係資本は社会構造上、不利な立場にあるニューカマーたちが利用できる資源の1 つとなっていたのである。さらに、それは日本の学校に関する情報をもたらし、子どもの学校適応を支援するだけでなく、日本の学校では十分に継承され得ない、規範やフィリピン文化、英語を子どもに継承する資源ともなっていた。すなわち、社会関係資本は、ニューカマーの子どもが日本社会に適応するための資源、―<われわれ>の中でやっていくための資源̶を提供すると共に、子どもをフィリピンにroots(根源)がある者として育てるための資源̶̶<かれら>が<かれら>であるための資源--も提供することとなっていたのである。ここからは、社会的弱者として日本人に支援されるだけでなく、日本の制度的不備を自らが作り出す社会関係資本で乗り越える親たちの主体的な営みが見て取れる。
以上の知見は、日本社会側の視点から、かれらを社会的に抑圧、周辺化された人々として捉え、その制限された状況を克服することを目的としてきたニューカマー教育研究の視点に転換を迫るものである。これまでの研究では、資源が乏しい親を持つニューカマーの子どもが日本社会に適応するために必要なものは何かが問われてきた。しかし、これは日本社会側から、つまり、マジョリティ側の視点からかれらの生活を切り取り、日本社会でやっていくために必要だとマジョリティが判断した資源を獲得させるための議論であった。しかし、ニューカマーの親たちは、日本社会の制度を利用するだけでなく、後述するように、教会など自らに必要な資源を作りだしている。構造的制約を受けながらも、子どもの教育資源を作りだすかれらの主体的営みを見逃すことは、かれらを「遅れている人々」と捉えるまなざしを温存することにもなりかねない。定住化に伴い、自ら資源を作り出す存在としてニューカマーを捉え直すことで「押しつけ」ではないかれらのニーズを反映した「支援」も可能となってくるだろう。
第3 章と第4 章では、フィリピン系ニューカマーの学校外の育ちの場として、エスニック教会と地域学習室に注目した。エスニック教会を扱った3 章では、教会の教育的機能を担っている日曜学校とユースグループをその対象に据え、これら2 つの育ちの場が参加者たちにとってどのような役割を果たすものなのかを親世代、子世代、さらには子世代内部の差異に注目しながら検討した。そこで明らかとなったのは、日曜学校は親の子どもに対する教育期待を手助けする場として、ユースグループは子どもや若者にroots(根源)の確認や承認を与え、規範を継承する場としての機能を持つこと、そして、いずれも子どもたちがフィリピン系ニューカマーとして、日本社会へ適応することを手助けする場として機能していたということである。また、第4 章では、日本人によって作られた地域学習室がニューカマーの子どもたちにとって、日本社会でやっていくために必要な学力や情報などのツールを身につける場であり、ニューカマーであることを共通項に、エスニックグループを越えて、マルチエスニックなネットワークを構築できる場であることを明らかとした。すなわち、エスニック教会、地域学習室、いずれの場も、学校を補完し、かれらの日本社会への適応を助ける一方、日本の学校では調達しきれないフィリピン系ニューカマーとして、生きていくための資源を調達する場として機能していたことが分かる。
これまでのニューカマー教育研究において、ニューカマーの子どもが人間形成を行う際の主な準拠点は、日本の学校に求められてきた。それはマジョリティである日本社会側が作りだした制度の中でのニューカマーの自立を想定したものであった。しかし、ニューカマーの定住化が進み、独自の宗教組織が形成されるようになった現在、日本社会が用意した学校の中だけに留まらないニューカマーの多様な育ちに目を向ける必要が出てきている。本論文で示されたのは、日本の学校で提供され得ない資源を地域学習室やエスニック教会で獲得しながら、アイデンティティ形成を行っていくニューカマーの子どもの姿であった。特にエスニック教会は、子どもにフィリピンの言語や文化を継承する場として重要な役割を果たすが、そこからはフィリピン系ニューカマー独自の子どもの育ちに対するこだわりや工夫が垣間見られる。エスニック教会の実践から見られたのは、フィリピンの教会をそのまま再現するのではなく、日本に居住するフィリピン人のニーズに合わせて、作りあげられる創造的な実践の有り様であった。教会は子どもたちに日本社会へ適応を促進させながら、フィリピンの言語、文化を伝達する装置、言い換えれば、子どもたちを日本に生きる「在日フィリピン系ニューカマー」として育てるための装置であったのである。
この知見は、学校という枠組みに固執してきたニューカマー教育研究に新たな道筋を示すものである。学校と学校外の場を複合的に観察し、その中にニューカマーの独自組織を組み込むときにこそ、ニューカマーの人間形成を立体的に描くことが可能となる。特に、ニューカマーの独自組織への注目は、これまでの研究では死角とされてきた点であり、ニューカマー独自の宗教組織の教育的機能を描き、その独自組織を中心として作られるエスニックネットワークとその束であるエスニックコミュニティを、教育資源を提供するものとして新たに位置づけた本論文の知見は、ニューカマー教育研究にとって少なくない意義を持つ。学校に固執することによって、見逃されてきたニューカマー自身による独自組織をニューカマーの子どもの育ちの場として捉え、独自組織を中心に作られるエスニックコミュニティの役割に注目することが今後のニューカマー教育研究の発展には必要不可欠となるだろう。
5 章と6 章では、子どもたちが持つエスニックアイデンティティについて、1.5 世と2.5世の差異に注目しながら、検討してきた。「正統なフィリピン人」と「正統な日本人」を両端にして作られるグラデーションの中に存在するかれらは、routes(経路)で経験してきたことを資源として用いながら、そのエスニックアイデンティティを構築していく。血統としては「正統なフィリピン人」である1.5 世たちは、日本での生活の長期化によって、言語使用や行動様式が日本人っぽくなり、フィリピン人としての正当性を薄めていく。そのroutes(経路)の中で、日本の生活を経験するかれらは、日本に適応する中で「フィリピン人らしさ」を徐々に薄め、「日本人らしさ」を濃くしていくのである。しかし、それは必ずしも同化を意味するのではなく、かれらはフィリピン人としてのアイデンティティを維持しながら、日本への愛着を高め、「正統なフィリピン人」でも、「正統な日本人」でもないハイブリッドなアイデンティティを築いていく。一方、血統において「正統なフィリピン人」でも「正統な日本人」でもない2.5 世たちは、どちらにも当てはまらない自身のことを「ハーフ」として呈示する。フィリピンでの生活経験がないため、1.5 世より「日本人らしさ」を持っているかれらだが、routes(経路)の中での経験から「フィリピン人らしさ」も習得し、必要に応じて、「日本人らしさ」、「フィリピン人らしさ」を呈示しながら、他者との間に境界線を引く。
1.5 世と2.5 世がそのハイブリッドなアイデンティティを構築するために、routes(経路)の中で獲得していく資源は様々である。その中でも、3、4 章で見てきたエスニック教会や地域学習室は、エスニックアイデンティティ構築のための資源を提供する場として重要な意味を持つ。ニューカマーとして同様の経験をしてきた子どもたちが集まる地域学習室は、かれらのエスニックアイデンティティの呈示を承認する場として位置付く。また、フィリピンを再現する場としてのエスニック教会は、1.5 世にとっては、薄れていくroots(根源)を再確認する場として、2.5 世にとっては、新たにそのroots(根源)を確認する場として、位置付いていた。すなわち、本論文を通じて明らかとなったのは、roots(根源)に対する認識が異なる1.5 世と2.5 世がそれぞれのroutes(経路)の中で、エスニックな資源を獲得しながら、流動的でハイブリッドなエスニックアイデンティティを築いている様子であった。この違いに目を向ければ、第二世代を一括りに扱うのではなく、そのroutes(経路)によって、分けて論じながら、かれらの流動的なアイデンティティに目を向ける必要性が示される。1.5 世と2.5 世の違いを見据えながら、その流動的でハイブリッドなアイデンティティの有り様を示した本論文の知見は、学齢期に来日した子どもばかりを対象とし、世代内部の差に目を向けてこなかった日本のニューカマー教育研究の限界を乗り越えるものである。世代の進行という現状を鑑みれば、日本生まれの子どものアイデンティティにも目を向けつつ、1.5 世との差異を明確化していく必要があるだろう。
本論文を通して見えてきたのは、国家の制約を受けながらも、人と人との結びつきを強化し、それらを資源とし、「~人」というカテゴリーに縛られない流動的なアイデンティティを築くニューカマーの人々の姿であった。かれらのroutes(経路)を無視し、あるべきものとしてroots(根源)を措定することは、固定化したroots(根源)を押しつけることになりかねない。日本人に同化させるのでもなく、roots(根源)を押しつけるのでもない、かれらの多様な生き方を保証するような教育支援と、それを支える仕組み作りが今後は求められるだろう。

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