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博士論文要旨

論文題目:アメリカにおける治安法制と国家の正統性―自由主義体制における正統性の確立と動揺
著者:木下 ちがや (KINOSHITA,Chigaya)
博士号取得年月日:2012年10月10日

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 本稿の課題は、国家に対する敵対的・反抗的勢力を規制・抑制する機能をもつ治安政策と法の、国家装置における種差的性格を明らかにすることである。またその際、治安政策と法が、必ずしも経済的・社会的条件の変動に伴う国家の要請に直接的に対応するわけではなく、歴史的な、あるいは新たな政治勢力間の力学と、国家の理念的正統性をめぐる諸分派間の抗争に強く規定されていること、したがって新たな治安法の誕生は、国家への敵対性のみならずその正統性にかかわることを第一の推論的前提とした。また本稿では、国家の歴史的経路を重視する立場から、アメリカ合衆国において治安政策と法の形成と確立、すなわちその形成過程を検討することで、自由主義国家における治安法の特殊な機能を明らかにした。
本稿ではこの治安政策と法の展開過程を「通史的」に論じることなく、一九三〇年代と一九九〇年代を中心に論じた。これらの時期こそが、合衆国の政治的・社会的統合の重大な転機であり、その時代における社会的・経済的変動が、国家と法の再編にいかに結びついているのかを看取するうえで最も妥当な時期だからである。これらを検討することで、以下のような知見が得られた。
 まず一九三〇年代については、リベラル派の社会統合と治安政策と法の関係がどのように形成―確立したのかを検討することを課題とした。アメリカ合衆国は、一九世紀後半から現代国家=国民国家を確立する経済的社会的条件が生じ、それに対応する行政的・司法的対応も駆動しはじめていた。その最初の画期となったのが第一次世界大戦であり、総力戦体制のもとリベラル派は政治過程に進出し、政治的・社会的権利の確立と拡大が予定されていた。第一次世界大戦下の治安法制の展開は強硬であり、治安政策への連邦国家の進出と旧態的な自治体・民間集団による執行が混然一体となったものであった。しかしながらここで台頭をみた司法省は、戦後を見越して、国家による法執行の独占と、それによる合理的な対応という治安政策の「近代化」を、当初は目指していた。しかしながら、議会を中心とした保守派の巻き返しと、リベラル派の政治的力量の不足から、理念的にはリベラル派立場をとるミッシェル・パーマー司法長官は保守派に妥協し、一九一九年に結成された共産党・共産労働党をはじめとする反体制勢力への弾圧は広範囲かつ非合理なかたちで展開することになる。他方で、この時期には、かかる保守派とそれに妥協した連邦政府に対抗する、リベラル派―左派による「政治ブロック」が形成され、今後旧態的な治安法の執行に対決していくという、一九三〇年代までの政治的対抗図がつくりあげられた。一九二〇年代の停滞期と大恐慌を経たのち、ニューディール政権期にはいり、新たな国民統合の要請が喫緊の課題として生じてくる。台頭する労働運動と共産主義勢力に対し、保守派は強力な治安政策と法の動員で対抗を試みる。他方三〇年代に威力を増したリベラル派―左派の政治ブロック(人民戦線)はふたたび政治過程に進出し、連邦政府はかかる政治ブロックのリベラルな理念を国民統合上の正統性に設定し、保守派の治安法の動員要請を斥けていった。したがって、かねてから要請されていた、共産主義勢力、後にファッシズム勢力もそこにくわわる、新たな敵対勢力の様式と性格に対応する連邦平時扇動法の一九四〇年における制定は、独ソ不可侵条約締結によるリベラル派―左派の政治ブロックの崩壊と、来るべき総力戦体制の構築上の要請からなされたものの、旧態的な保守派の治安政策とは一線を画するものとなった。司法長官ロバート・ジャクソンは新たに入手した治安法の適用範囲を限定し、その発動よりも自治体・民間による法執行の抑制と、同時期に台頭した非米活動委員会の保守派の封じ込めを重視した。自由主義国家が国民国家へと転換を遂げるうえで要請される治安政策と法の確立がここでなされ、それは連邦国家による治安法の執行の独占とそれによる自由領域の確保という要件をクリアすることではじめて実現をみたのである。
 次に一九九〇年代については、二〇〇一年に制定された愛国者法から説き起こし、一九九〇年代の対テロ法の制定過程について論じた。二〇〇一年愛国者法は、グローバル化とネオリベラリズムが合衆国内に浸透し、社会統合が弛緩するなかで登場した敵対的諸力に対抗することを目的に制定された。しかしながら同法は、二〇〇一年九月一一日に発生した同時多発テロという「追い風」をうけながらも、<国家の安全>上要請される体系的な法規定としては不十分なものにとどまらざるを得なかった。その原因は一九九〇年代の対テロ法の制定過程にあらわれている。この時期の対テロ法の制定は、一九九〇年代初頭から政治化し、政治過程に有力な影響を与えるようになった新保守主義勢力と、一九三〇年代以降一貫して合衆国における国民統合の担い手でありながらも、ネオリベラリズムの浸透によって社会基盤が収縮していたリベラル派との、正統性をめぐる競合として現出することとなった。リベラル派は、国家に敵対的な複数のテロ事件の連鎖をうけ、<国家の安全>の要請から、テロ対策を名目に治安法制の強化を図った。他方保守派は、連邦国家による公権力の介入一般との敵対を理念的支柱に据え、複数のテロ事件の連鎖によって求心力を高め、かかる治安法制の強化に対する敵対性を上昇させていった。一九九〇年代における対テロ法制定の失敗はすなわちこの保守派の理念と運動を「異端」へと周縁化することの失敗であり、一九三〇年代以降のリベラル派の社会統合能力が本格的に低下したことに起因していた。かかるリベラル派の正統性の不足と欠如によって、保守政権下で制定された愛国者法は、社会的、経済的条件にもとづく国家の要請からすれば不十分なものにとどまらざるをえなかった。

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