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博士論文要旨

論文題目:第1次大戦前におけるイギリスの海外ビジネス展開-英領マラヤのゴム栽培会社の事例
著者:猿渡 啓子 (SARUWATARI,Keiko)
博士号取得年月日:2013年1月16日

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 本論文の目的は,英領マラヤのゴム栽培会社を主たる検討対象とし,第 1次大戦前の一次産品分野におけるイギリス多国籍企業の特徴を明らかにすることである。本論文は,ゴム栽培会社とイギリス商社との企業間関係をいま 1つの検討対象とする。
 第 1次大戦前の英領マラヤにおけるゴム栽培会社は,最近,イギリス海外直接投資者ないし多国籍企業の研究対象として注目されるようになった。1980年代末に M. Wilkinsがイギリス海外直接投資者としてのフリースタンディング・カンパニー概念を提唱し,主要論者達が英領マラヤのゴム栽培会社をその代表例とみなしたためである。
 英領マラヤのゴム栽培会社は,フリースタンディング・カンパニー概念の提唱以前から,イギリス企業の海外進出史やマラヤのゴム栽培業の発展史のなかで触れられてきたが,企業そのものが本格的に検討されたことはなかった。フリースタンディング・カンパニー論には,さまざまな地域を専門とする実証研究者や理論研究者などが参加した。内部化理論の多国籍企業論者が参加したことによって,フリースタンディング・カンパニーを多国籍企業として検討する理論モデルが提示された。
 M. Wilkinsによる理論的一般化,内部化理論の多国籍企業論者の J.-F. Hennartと M. Cassonそれぞれの理論の中に,エージェンシーハウス( Agency Houses,以下, AHと略記する)(なお,本論文においては,イギリス商社と AHを同義で用いる)と呼ばれたイギリス商社がしばしば登場する。東南アジアで古くから貿易活動に従事したイギリス商社は,代理業務を兼営したため,このように呼ばれた。英領マラヤの AHは,イギリス系ゴム栽培会社や錫鉱山会社の海外進出史や,マラヤの一次産品生産業の発展史のなかで触れられてきたが,これらは経済史や産業史分野の研究であったため,ゴム栽培会社との企業間関係の実態が企業内部のレベルで明らかにされることはなかった。
 これに対して,フリースタンディング・カンパニー論における AHの議論は,企業は,商社と複数のフリースタンディング・カンパニーから構成されるクラスターなのか,単一のフリースタンディング・カンパニーなのかという,企業組織の議論であった。しかし,その議論は十分な実証に基づくものではなく,実態は不明なままである。
 以上のような学術的背景を踏まえ,本論文では英領マラヤのゴム栽培会社を一次産品分野のイギリス多国籍企業の事例として取り上げ,特徴,機能,市場と組織,国際市場取引の内部化,という 4つの視点から検討することによって,ゴム栽培会社,およびゴム栽培会社と AHによって構成されたクラスターの未解明な問題を明らかにする。
 本論文は 7章構成である。
 第 1章では,英領マラヤにおけるゴム栽培会社の発展を概観する。その際,AHがゴム栽培業の発展のためのオーガナイザーとなったことが説明される。ゴム栽培会社と深く関わった大手 AHは,のちに総合商社の性格を有するようになった。
 第 2章と第 3章ではそれぞれ, Hennartと Cassonの理論モデルをゴム栽培会社の分析枠組みとして利用することによって,ゴム栽培会社の本社機能と国際資本市場取引の内部化を明らかにする。
 第 4章から第 7章までの議論は,企業は,諸会社のクラスターなのか,単一のゴム栽培会社なのか,に関係する。
 第 4章では,ゴム栽培会社の資本調達,取締役会,本社で必要とされるサービス業務の外部化の実態を検討し,ゴム栽培会社の規模,資本調達の特徴,本社における経営管理能力の有無,を明らかにする。
 第 5章では,AHによるゴム栽培会社の発起と証券引受,および,ゴム栽培会社設立後の取締役会のメンバー構成を検討し,クラスター形成の契機と必要条件を明らかにする。
 第 6章では,AHによるクラスター内の企業の統治方法を明らかにする。
 第 7章では,C型クラスターの AHとゴム栽培会社との間の資金的資源の取引を,AHによるゴム栽培会社の株式所有,株式売買,金融の側面から検討し,市場取引や階層制組織との比較における C型クラスターの性格を明らかにする。
 終章では,本論文の結論が示される。
 以下に,本論文が明らかにしたと考える要点を,まとめておきたい。
(1)多国籍企業としてのゴム栽培会社とクラスター
 ①第 1次大戦前のマラヤのゴム栽培会社は,ゴム栽培業という技術水準の低い一次産品分野への小規模海外直接投資に適合した形態のイギリス資金の海外移転の制度である。その特徴は,植民地の一次産品生産会社による積極的な本国余剰資金の吸引を目的とする点であり,ゴム栽培会社による資本の国際移転は,海外事業現地からのいわばプル型の資本の国際移転として位置づけ得る。
 アメリカ多国籍企業のプロトタイプは,本国での事業展開が先行し,事業の発展とともに会社内部に蓄積した内部留保金あるいは本国で親会社が調達した資金を海外事業へ投資したので,プッシュ型の資本移動のための制度として位置づけ得る。
 ゴム栽培会社が金融や投資に関連する知識を所有し,経営管理能力をもった場合,その本社機能は,イギリス資本市場における資金調達,および,マラヤへの投資資金の調整であった。本社は,金融や投資に関連する知識と海外事業現場からの情報を総合して政策決定し,政策実行のための指示命令を海外現場へ伝達した。ゴム栽培会社は単一地域の単一事業を行う会社であったため,その資金調整は,アメリカ多国籍企業のプロトタイプによる海外の複数の投資先の資金調整とは異なる。
 ②ゴム栽培会社の小規模な本社は,合理的な組織選択の結果であった。第 1次大戦前のロンドンには,ゴム栽培会社が必要とするサービス業務,すなわち,秘書業務,法律関係業務,監査業務,の競争市場が存在した。競争市場が存在するならば,小規模会社にとって,複数職能を内部化するより市場取引を選択するほうが合理的である。実際,ゴム栽培会社は,市場取引を選択した。多くのゴム栽培会社は長期存続した。本社の小規模性と企業の寿命との関係は無関係であった。
 ③クラスターには,市場取引契約の性格をもつ「経営請負」契約を基礎に形成された W型クラスターと,「経営代理」という特別な契約を基礎に形成された C型クラスターが存在した。クラスター形成の背景には,英領マラヤにおける経営資源の不足があった。この事実に加え,ゴム栽培会社の小規模性,および,AHや投資信託会社や経営代理会社の業務の特性があった。これらの要素にとって,規模の経済の実現が有利に働いた。
 ゴム栽培会社の資本金額は小規模であったため,AHや投資信託会社と対等の立場で取引するためには,複数のゴム栽培会社が連携することが得策であった。他方,AHの主要輸出商品のゴムはバラ積み商品であったため,AHは,ゴム取引量を増やし,規模の経済を実現させる必要があった。AHは,経営代理業務や金融業務を兼営したが,これらの業務も規模の経済が働く性質のものであったため,多数のゴム栽培会社との継続的な取引が必要であった。
(2)階層制組織との比較における AHの C型クラスター
 ①AHはゴム栽培会社と一体化した階層制組織を創出せず,自らを中核的統治機構とする C型クラスターを形成することがあった。
 C型クラスターに属するゴム栽培会社の本社は,法的には,海外投資の調整機能を遂行したことになるが,実態的には,「経営代理」を受託した AHが海外投資の調整機能を遂行した。法的・形式的には,AHはエージェントであったが,実態的には,AHは,投資管理の実質的な調整者であり,プリンシパルたるゴム栽培会社を自らの意のままに統制する機構であった。ただし,ゴム栽培会社は AHの事実上の支配下にあったとはいえ,海外直接投資される資金はゴム栽培会社のものであり,株主に最終的な統治権限があるという意味では,海外直接投資者はゴム栽培会社であった。
 AH(大手も中小も)を中心として形成されたどの C型クラスターにも,ゴム栽培会社の株式保有のための投資信託会社が存在した。大手 AHを中心として形成された C型クラスターにおいては,AHの取締役が投資信託会社に派遣されており,投資信託会社は AHの関連引受会社ないし関連金融会社としての性格を持った。
 AHを中核的統治機構とする C型クラスターは,つねに単独で存在したわけではない。 AHの C型クラスターの外縁部に,その AHのエージェントによる W型クラスターが付加される場合があった。大手 AHの C型クラスター2つが,投資信託会社の C型クラスターと重なり合う事例もあった。後者の事例の 3つの C型クラスターの重なりは,投資信託会社の会長が,2つの大手 AHの C型クラスターに所属するゴム栽培会社の取締役を兼任することによって生じた。
 大手 AHは,本社が置かれるロンドンと,実際に事業が行われる英領マラヤとの間の,資金,情報,経営上のノウハウといったさまざまな面での格差を利用し,ゴム栽培会社と「経営代理」契約を結び, C型クラスターを形成した。大手 AHを中核とする C型クラスターにおいては,AHからゴム栽培会社へ,企業者性能,輸出能力・販売網,マネジメント能力,資本,製品など経営に必要な一切の経営資源がパッケージで提供された。AHの発展の観点からみれば,「経営代理」業務を遂行する過程で, AH内部にさまざまな経営資源が蓄積されることになり,後にそれらの経営資源を利用し,総合商社への発展経路を辿ることになった。大手 AHによるゴム栽培会社への経営資源のパッケージでの供給は,イギリス専門商社の総合商社への発展と深く関係していた。
 ②C型クラスターにおける AHとゴム栽培会社の間の資金的資源の取引の性格は,市場取引でも階層制組織内の取引でもなく,いわゆる系列取引に類似していた。
 ③C型クラスターにおける統治方法は,アメリカ多国籍企業のプロトタイプにおける親
会社による海外子会社の完全所有による統治とは異なり,「経営代理」契約という特別な性格の契約に基づく意志決定の事実上の掌握であった。「経営代理」契約に基づいて,AHは,自社の会長ないし 1名から数名の取締役をゴム栽培会社の取締役会へ派遣した。
 ④大手 AHはすべての権限を自社に集中させるのではなく,マラヤ,セイロン,インドまで広がる傘下のゴム栽培会社の中の 1社を一定地域の中心会社として位置づけ,その会社へ当該地域の生産管理権限の一部を委譲させ,分権的管理をおこなった。
 ⑤C型クラスターの大手 AHは,ゴム栽培会社の株式を一部所有した。株式の一部所有の主要な理由は,収入源の多様化のためであった。大手 AHは,流通市場において株式を売買しており,利鞘獲得を自社の収入源の 1つとしていた。このことは,大手 AHがマーチャント・バンクの側面をもっていたことを示している。

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