博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:企業城下町の形成と日本的経営
著者:松石 泰彦 (MATSUISHI,Yasuhiko)
博士号取得年月日:2013年2月13日

→審査要旨へ

 従来、日本的経営論は経営学・経済学的観点にとどまらず、文化論や社会論的見地までを含めた幅広い問題意識から、日本企業や日本の産業社会の独自性を描き出そうとしてきたのであり、時代や時勢によってその独自性を強みとするか弱みとするか評価は変わりながらも長く議論されてきた。具体的には、企業内の労使関係の慣行(特に長期雇用や年功制、企業内労働組合)に関する議論から始まり、集団主義や経営文化、生産システムや企業間の長期的取引といった日本の企業・産業・組織の特色や慣行へと論点を拡大・深化してきたといえる。
 そうした日本的経営論は、企業や組織内部の、あるいは企業間の関係の特殊性と論理を説明しようとしてきたのではあるが、一方でそれらが実際に形成され展開する空間としての「地域」を包摂した議論は必ずしも十分ではない。特に企業が地域そのものをその論理の中に組み込んでいく側面があるのが企業城下町である。そこでは企業内部の価値観や原理が、地域企業や地域そのものに対しても大きな影響を与え顕在化する。その点でこのプロセスもまた重要な日本的経営の要素であり、それゆえ歴史研究として企業城下町形成過程を分析することは、日本的経営の源流と本質を明らかにする作業であるとともに、長期的観点から今日の地域産業のあり方を問うことにも繋がる。
 本稿ではまず第1章において、企業城下町をめぐる諸論点について都市論や産業集積論などを踏まえて先行研究を検討し、企業城下町形成過程において顕在化する日本的経営諸要素という視角を設定する。そしてその形成プロセスを、歴史的な実証で明らかにするという本稿の立ち位置を明確にした上で、その事例として岩手県釜石市について、上記先行研究における位置づけを整理する。
 第2章、3章では、釜石製鉄所の変遷の概略、および戦前の釜石の町の様相を描く。製鉄所の歴史的推移については、諸先学がこれまで明らかにしてきたことも多いのであくまで概略にとどめたが、第3章では特に、とかく最初から製鉄の町として単線的に捉えられがちな釜石の町について、漁業・水産業まで含めての諸勢力の動向と総体的な企業城下町化の様相について分析した。
 第4章においては戦前、特に戦間期の全国的にも重化学工業が隆盛していく段階においての釜石製鉄所の労働者の状況について、その種別や労働形態などについて明らかにした。そしてそれを前提に、第5章では1919(大正8)年釜石労働争議についてその経過と特色を詳細に明らかにした。
 第6章、7章は、戦前の釜石製鉄所の工場委員会=真道会の研究である。第6章では、前章で詳解した労働争議を前提に、真道会がどのような機能や組織を持ち、労使強調や経営家族主義の醸成にどのように具体的に動いていたのかを具に明らかにした。そして第7章においては、その真道会が工場委員会としての本来の労使協調機能を超えて、地域に対してどのように作用したかという観点から、企業城下町における中核企業およびその労働者の行動論理を明らかにした。
 第8章は、戦後の釜石における企業間関係について、企業城下町における長期的取引の功罪という観点から論じるものである。同じ視点での戦前における資料が量的・質的にも少なく、戦前・戦中からの連続性のなかでは議論できなかったため、あくまで補論として付加するにとどめた。
 次に、本稿・本研究の意義を、特に以下の5つに集約しておく。
 1つめは、冒頭にも述べたように日本的経営論の延長上に企業城下町という産業都市を捉えるという視角を提示したことである。またそのことは、歴史として日本的経営の源流について企業城下町の形成過程と結びつけたということでもある。
 2つめは、戦間期における日本の工場委員会(または労働委員会)の性格について、地域に対する機能や歴史的役割を有していたことを指摘した。工場委員会は労働組合を承認しない代わりに経営側から持ち込まれた労使融和の制度であるというのが定説であり、それゆえ労使関係調整=社内融和の観点からのみ議論されてきた。しかし本稿では、工場委員会の地域との関係性という視角を提示した上で、工場委員会が外部環境たる地域との間の調整・融和機能を有することを明らかにし、またそのように外との関係性を構築しつつも、内部結束を強化する構造となっていることを明らかにした。
 3つめは、企業城下町・釜石における製鉄所と水産業の関係について、水産業自体が製鉄所と共栄している構造について明らかにしたことである。製氷業、水産加工業、船舶業等水産業に関わる産業は多様で、それらは実は直接的・間接的に製鉄所の恩恵を受け、あるいはそれを期待していたのである。また漁業者自体も、地元の船より回来船が多く水揚げをしており、とかく製鉄所対水産業と単線的に捉えられがちな対立構造ではなく、企業城下町における中心事業所の産業全体への支配構造は複雑で幅広いものがある。これは他の企業城下町でも同様であろう。
 4つめは、1919年に起こった釜石鉱山労働争議について、その詳細と特質を明らかにしたことである。この争議については、当事者の手記や社史類を中心に記述されることが多かった。本稿では、先行研究よりも入念に客観的事実を抽出し積み重ねることに努め、その運動の本質と限界を明らかにした。結果としてこの労働争議の歴史的事実についてスタンダードなリファレンスとなり得るものが出来たと考えている。
 5つめは、戦後における釜石での企業間関係の構造的限界を明らかにしたことである。釜石は特に鉄鋼合理化過程での製鉄所縮小と町の対応をめぐって全国的にも注目され、それゆえ戦後については多くの研究蓄積がある。本稿では製鉄所を中心とする企業間関係を検討し、地域における垂直的分業体制のなかで地元企業が組み込まれているのは比較的単純な作業や労務供給的作業のみであり、それゆえ結果的に製鉄所の縮小に対して、新しい展開を期待できる産業・企業が育たない構造であったことを明らかにした。

このページの一番上へ