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博士論文要旨

論文題目:夫婦の権力関係変動のプロセス-「働くこと」をめぐる夫婦間相互行為に着目して-
著者:三具 淳子 (SANGU,Junko)
博士号取得年月日:2013年5月15日

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1.問題設定
女性の働き方は多様である。既婚者については、1970年代半ば以降専業主婦は減少し、なかでも結婚のスタートから一貫して専業主婦であり続ける人はますます少なくなってきている。一方で、女性労働力の活用が叫ばれながらも、中断することなく就業を継続する人は限定的である。このふたつの極のはざまにあって、ある時期はフルタイムの仕事に従事して共働きを経験し、ある時期は仕事を辞め専業主婦となり、またある時期はパートタイムの仕事に就いて家計を支えるというように、労働市場との断続的な関わりをもつ女性が大半を占めている。
こうした就業状況の変化を多くの妻が経験するとき、夫婦の関係にいったい何が起こっているのだろうか。これまでの夫婦関係研究においては、妻の働き方が異なる場合に、夫婦の関係性とくに夫婦の平等な関係性に違いがあることが示されてきたが、この知見は、一時点の調査研究から得たデータを妻の就業状況によってカテゴライズし比較検討した結果であって、一組の夫婦の時間的変化については明らかにされていない。妻の働き方が夫婦の関係に影響を与えるとすれば、現代の夫婦の多くは、異なる夫婦関係への変容を迫られる状況におかれているといえるだろう。このとき、いかなる対応によって夫婦の関係は調整・維持されていくのか、あらたな夫婦関係にいかなる意味づけがなされるのか、そしてそこにはどのような問題が潜んでいるのか、現代の夫婦の姿を実証的なデータにもとづいて描き出すことが本研究の目的である。
 
2.本研究の位置づけ
「働くこと」をめぐる夫婦間相互行為に着目することは、次のような意味をもつ。まず、第一に、夫婦の平等化の議論において、夫の再生産労働への参加という役割シフトに、妻の生産労働への参加というもうひとつの役割シフトを加えることである。これまでの平等化の議論では、もっぱら夫の再生産労働への参加が問題とされてきたが、夫婦の平等化は、夫側の変化に見合う妻側の変化があってはじめて実現可能となるからである。
第二に、夫婦において誰がどの程度生産労働を担い、誰がどの程度再生産労働を担うのかというミクロレベルの交渉とその決定および実践は、家族領域とその外部領域におけるジェンダー・アレンジメントの結節点ととらえられる。したがって、「働くこと」をめぐる夫婦間相互行為に着目することは、アンバランスなジェンダー・アレンジメントが形成されるメカニズムに迫ることを意味する。
第三に、「近代家族」は、近代国家の基礎単位としてその安定性が期待されたのと同時に、戦後日本を象徴する民主的な家族モデルとしての顔をもつ。だがその反面、私的な関係のなかに権力関係が潜んでいることをフェミニズムは告発してきた。それは、夫婦が自立した平等な個人として愛情による結合によってスタートすることを基本としていながら、性別役割分業によってもたらされる従属関係のうえにその関係が成り立つという、相反する論理が存在している点にある。この矛盾を解消するには、この性別役割分業をいかにつき崩していくかが問題となる。したがって、妻の就業、すなわち生産労働への参加を問題にすることは「近代家族」のもつ矛盾に正面から向き合うことでもある。

3.理論枠組と視点
この課題に取り組むにあたって使用する主要な理論枠組みは夫婦の権力論である。家族内外にみられる非対称的なジェンダー・アレンジメントとそれがもつ変化に対する抵抗力の大きさには、「権力」と呼ぶにふさわしい重大ななにかが存在しているとみられ、本研究をとおしてこの現象の仕組みの解明に迫ることを試みる。
本研究が採用した視点は次の3つである。まず、第一に夫婦間の関係を「経済的依存」という観点から考える。夫婦を一体のものとしてとらえると、夫と妻という個人対個人の関係が見えにくくなる。ここに経済的依存度という指標を用いることによって、あえて個人の置かれた経済的立場を明確に浮かび上がらせようとするものである。
第二には、この「経済的依存」によって夫婦間に生じる力関係を「勢力関係」としてではなく、「権力関係」として捉えようとする視点である。従来の日本の夫婦関係研究は、夫婦という二者間に限定した範囲における力関係を「勢力関係」としてとらえてきた。だが、妻の生産労働への参加という問題は夫婦間だけに留まるものではない。夫婦間で夫と妻のどちらがどのような役割に配置されるかという問題は、全体社会のジェンダー・アレンジメントに連動しているのである。また、妻の就業行動が対夫との関係だけで決定されるとも考えにくい。したがって、マクロレベルにある全体社会とミクロレベルにある夫婦関係を包括的かつ連続的にとらえる権力概念が必要となる。
第三に、夫婦関係を静態としてではなく動態として見るという視点である。これまでの夫婦関係研究は、一時点における調査から得た横断的データを用いて分析したものがほとんどであったために、夫婦の静態的な側面しかとらえることができなかった。だが、夫婦関係のもつ時間的次元を視野に入れなければ、夫婦関係を十分把握することは難しい。夫婦関係を経験の積み重ねと考え、その変化を研究の射程に収めるためには夫婦関係を縦断的にとらえることが求められる。

4.構成
 序章「現代の夫婦に何が起こっているのか」では、本論文の初発の問題関心について述べ、これを問うことの意義について論じる。
第1章、第2章において、戦後の夫婦関係研究における知見を整理する。第1章「夫婦関係研究の到達点と課題」では、近代家族論の影響力の大きさとその一方で十分に展開されなかった論点を指摘するとともに、その結果として夫婦関係の平等化に関する研究に偏りがみられたことについて述べる。
第2章「注目する現実と分析の視点」では、妻の就業行動に変化が見られ始めた1990年代以降の社会状況について示し、この時期の夫婦関係を分析するにあたって必要と考えられる視点を提示する。
第3章以下では、現代の夫婦関係を読み解くために多元的なアプローチを試みる。まず、量的な調査データを用いマクロなレベルで夫婦の関係をとらえる。第3章「既婚女性の経済的依存の実態」では、欧米での「経済的依存」に関する研究にもとづき、日本における夫婦の経済的依存度を算出しマクロなレベルで夫婦関係を把握する。既婚者の就業は増加してきたが、1990年代においてそれが直ちにカップル内の女性の経済的依存度を低下させるには至っていない。日本では、既婚者の就業は特にパート・アルバイトという雇用形態においての増加が大半を占めていることがその理由であり、労働時間の短さと低賃金が指摘できる。結果はまた、アメリカやオランダの状況からみて経済的依存の程度がかなり高いことを示す。
第4章「夫婦の対等性と妻の経済的自立に関する意識」では、夫婦の対等な関係を築くことと働くことの関わりについて、25~49歳の首都圏に住む短大・高専卒以上の女性の意識を探る。全体的にみると、働くことは夫婦の対等な関係に影響しないと考える人が相対的に多いが、そう考えない人、すなわち、働くことは夫婦の対等な関係に影響すると考える人は4割以上いる。そのうち、収入の影響を重視する人のほうが、働くこと自体を重視する人よりも多い。この傾向は、既婚女性の場合も同じである。
 既婚女性についてさらにみていくと、実際に仕事をして収入を得ている人ほど、収入を得ることや働くこと自体が夫婦の対等な関係を築くためには重要であると考えているが、また一方で、同じ考えをもっているにもかかわらず、実際に仕事に就いていない人や低収入の人が一部に存在しており、ここに意識と現実とのギャップがある。
この調査結果から、夫婦の対等な関係と働くことの関わりについて、どのような立場の女性がどのような考えをもっているのかについての全体像と、おおよその分布を捉えることができる。しかし、横断的調査の限界として、夫婦関係のありようと実際の働き方の因果関係や、就業状況が変化したときにその考え方がどのように変わるのかという疑問は残される。
 この点をさらに追及しようとしたのが、第5章以下の個別の事例を対象とした調査分析である。第5章「平等志向夫婦における妻の労働市場からの退出」では、夫婦関係が変化するきっかけとして第1子の出産に注目する。第1子の出産にともなって起こる妻の労働市場からの退出に、どのような権力が作用しているのかを明らかにするために、出産を間近に控えた夫と妻へのインタビュー調査を行なった。共働き時代には、夫と妻それぞれが家計を分担し、食事の準備や洗濯などの家事もふたりのあいだで都合をつけながら行うことで、日常の生活が成り立っていた。現実には、この実践が必ずしも生産労働と再生産労働の全体量の2分の1ずつを正確に負担するものではなかったが、しかし、少なくとも意識の上では自分たちは「フィフティ・フィフティの関係」と認識することが可能であった。だが、多くの妻たちは、第1子の出産において、夫との対立を経験しないまま労働市場から退出する選択をしていた。この過程において、夫と妻の顕在的な対立は見られなかった。確認されたのは、妻の就業継続を阻害する社会的要因に対してのあきらめであり、母親が子どもをみるものだというジェンダー・イデオロギー、そして、収入の多い夫が就業を継続し、家事スキルの高い妻が家事・育児を担当することが合理的であるという判断に規定された「潜在的権力」および「目に見えない権力」の作用である。
この選択に夫は、まず、自分の仕事は変わらないという決定を、妻の決定に先立って行なっていた。したがって、妻の、仕事を辞めて子育てを引き受けるという決断は、夫の決定が終わったあとの残余部分での決定であったといえる。ここに、男女の間に決定に関わる序列がある。さらに、これらの作用が、平等を志向する夫婦において夫と妻がそれぞれ異なる役割に振り分けられるというミクロレベルの実践を促し、結果として社会全体のアンバランスなジェンダー・アレンジメントを作り上げていくというメカニズムが明らかになった。
 第6章「妻の離職と夫婦関係の変容」、第7章「妻の再就職と夫婦関係の再編」では、結婚後もしばらくは共働きを経験し、その後出産や夫の転勤などによって離職して専業主婦となり、さらに、その後に何らかの仕事についた女性たちの、夫婦関係についての語りを分析する。有業から無業へという妻の就業状況の変化が夫婦の関係を変容させ、とりわけ妻から見た夫婦関係を大きく揺さぶるものであるということが明らかになった。
妻にとって職業を手放すということは、共働き時代には認識することのなかった夫との立場の違いを思い知らされるという経験であった。その違いとは、対等と認識していた二者関係から、夫が優位に、自分が劣位に変化したことを指す。なぜ夫婦関係にそうした変化が起こったと妻が認識したかといえば、共働き時代に妻がもっていた夫との対等感は、実は、自分が職業に就いていることの上に成立していたものだからである。職業を失うことでこの対等性の基盤が剥奪された結果である。夫の妻に対する認識とは独立に妻自身がもつこの認識は、夫婦の親密性を危機に晒すことになる。
妻が、夫の抵抗や、自ら設定した母親役割に抵触しない範囲という枠との間で折り合いをつけ、どうにか職業と呼べるものに到達することで、夫婦関係は再び組み替えられていく。十分とは言えないまでも収入をもつこと、および、仕事を通して得られる他者からの評価が妻の自信を回復させ、それが、夫と対等な立場に立つ自分をよみがえらせる。
また、職業をもつことによって生活世界が広がることは、妻にとっての夫婦関係を相対化させその重要度を低下させる。しかし、根本的な問題として、夫に対する評価は、妻自身のなかでの気持ちの切り替えという一方的な対処によってではなく、夫との直接的な、場合によっては仕切りなおしをせまるような交渉を通してのみ再び高めることが可能となることが捉えられた。
 以上は、類型化された夫婦パターン間の一時点の比較によってではなく、関係の連続性に着目し夫婦関係のスタートから始まる変化のプロセスを通時的に把握することで初めて明らかにされた。過去に経験した夫婦関係が現在の夫婦関係を再帰的に規定してくることをデータは物語っているのである。
 終章「ジェンダー・アレンジメント変革への内なる挑戦」では、上記の実証研究の結果から得た知見をまとめ、現代の夫婦が直面している問題について考察する。

5.本研究における知見
離職にしても再就職にしても、権力論に立って妻の就業行動を分析していくと、そこには、「自由な選択」とはいえない重層的な権力の作用が存在することが指摘できる。しかも、妻たちの就業行動が、むしろ「選ばされた」結果であるにもかかわらず、決定に加わらなかった夫からは妻の「自由な選択」として解釈されてしまうため、離職したことの後悔や不満を妻が口にしたりすると夫からは「きみが辞めたんだよ」ということばによって、離職が妻自身の決断であり、したがってその責任は妻自身にあることが再確認され、妻の現状に対する異議が封じ込められていくというトリッキーなメカニズムも見られたのである。こうして妻の表向きの「自由な選択」は、実際には、男女比対称的なジェンダー・アレンジメントを存続させることに加担する働きとなる。
共働きを経験した後に専業主婦となり、さらにその後に再就職を果たした女性たちは、「近代家族」とのかかわりから次のように意味づけることができるだろう。この女性たちは、結婚の当初から専業主婦になったわけではない。性別役割分業を特徴とする「近代家族」からみると、むしろ逸脱であったといってよい。だが、夫の転勤や出産などによって、それまでの職業から退き専業主婦となった。主婦役割、母親役割の受容である。まさに「近代家族」モデルにおさまったことになる。その後の再就職にあっては、いったん受け入れた主婦役割、母親役割を返上したわけではない。軸足は主婦役割、母親役割に置いたまま、生産労働へ一歩足を踏み入れたのである。再生産労働との二重労働を引き受けることで、生産労働へアクセスが可能になったのである。したがって、彼女たちは結婚当初の逸脱した「近代家族」から、結局のところ「近代家族」に回収されたかに見える。
 だが、こうしたとらえ方は一面的である。「働くこと」をめぐる夫婦の相互行為に着目することで、本研究が照らし出したのは、こうした一般的なとらえ方からは見落とされてきた夫婦関係の内実である。それは、夫婦関係が過去の夫婦関係に再帰的に規定されるものだという発見とつながっている。過去に、夫と対等な関係にありたいと思い、それが実現できたという認識をもった経験のある妻にとっては、夫と対等と思えない関係を継続することは苦痛である。この苦痛を解消するためには夫婦という関係そのものに終止符を打つか、それをしないためには、再び夫との対等な関係を手にいれるための行動が必要となる。それが、彼女たちにとっては、再就職であった。就業は、夫との対等性を確保するための基盤、すなわち、収入と多様な社会的諸関係を獲得するための行動である。一般に、平等化の流れは、これを後戻りさせることは不可能であり、それは夫婦という関係においても同様である。かりに、平等化を圧し戻すような変化がおこれば、夫婦の間においてもそれに対する抵抗感は大きく、再び平等化に向けた主体的な挑戦が繰り広げられるのである。こうした点から、彼女たちの行動を単純な「近代家族」への回帰と位置づけることは適当ではないといえる。「近代家族」をそのまま再生産しているかに見える彼女たちの経験は、実は、その水面下では「近代家族」のもつ矛盾を、自ら「働くこと」によって解消せねばならなかった止むに止まれぬ想いとその表現行動なのであり、この点を見なくては時代の変化を読み解くことは難しい。
 家族が今後どのように変化していくのかという問題は、家族研究にとっても重大な関心である。本研究から言えることは、家族の変化はその形態や目だった行動だけに目を奪われるべきでなく、家族の深部で起こりつつある不可逆的な変化に目をむけて検討される必要があるということである。「近代家族」の矛盾に気づいた妻たちが「働くこと」に付与した意味とそれに基づいた行動は、そのひとつを示している。
第6章~第7章の共働きを経験した後に専業主婦となり、さらにその後に再就職を果たした女性たちは、たしかに都市のサラリーマンを夫とする相対的に高学歴の、相対的に豊かな階層の女性たちであった。だが、それを留保したとしても彼女たちの経験のもつ意味はこの特定の対象者だけに限定されるものではない。なぜなら、彼女たちと同じ経験を生み出す構造が、1990年代以降の既婚女性の働き方に見られるからであり、したがって、本研究から得られた示唆を敷衍することが可能だからである。

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