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博士論文要旨

論文題目:THE LINGUISTIC BEHAVIOR OF TURKISH CHILDREN IN JAPAN: A SOCIOLINGUISTIC STUDY
著者:ウナル ビラル (UNAL, Bilal)
博士号取得年月日:2013年3月22日

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1 研究の概要
本研究はトルコ語・英語・日本語を様々なレベルで話す日本在住トルコ人児童の言語行動を対象に、言語資料分析に基づく社会言語学的な研究を目標としたものである。特に、コード切り替え (code switching、以下CSとする)と言われる現象に対象を絞り分析を行っている。複数の言語を使用する発話者の言語行動を観察し、「どの言語が、どのような相手に対して、どのような場合に、どのぐらいの頻度で」使われるのか、その実態を明らかにしようとする試みである。
本研究の資料は、2年にわたり在日トルコ人児童の自然会話を録音・録画した記録より得たものである。その結果得られた音声データは計27時間余りとなった 。その内約17時間分について言語アーカイビングソフト を利用して文字化し、文字化したデータをまず「発話」(後述)という単位で分割した。さらに量的分析が可能なようにするため、各発話に「言語」、「相手」、「環境」等のタグを付けた。資料分析の段階では、この方法で解析した発話データとともに、オリジナルの会話データも利用することにした。

3 論文の構成
 本研究は、先行研究・研究方法・資料分析・考察という4章からなる。最後に研究データも付け加える。論文の構成は以下の通りである。

序論
要約
第一章 先行研究
1. 1 多言語使用
1. 2 コード切り替え
1. 3 発話
1. 4 CSの機能について
1. 5 トルコ語と日本語及びその母語話者の比較研究
第二章 研究方法
2. 1 本研究の対象者
2. 2 資料の収集
2. 3 資料収集の時間的流れ
2. 4  資料の文字化
2. 4. 1 文字化に関する情報
2. 5 資料整理
2. 5. 1 発話及び単語のリスト化
2. 5. 2 発話タギング
2. 5. 2. 1 発話者
2. 5. 2. 2 対話者
2. 5. 2. 3 言語
2. 5. 2. 4 基本言語 
2. 5. 2. 5 CSの種類
2. 5. 2. 6 環境
2. 5. 2. 7 話題
2. 5. 2. 8 注釈時間間隔
2. 5. 2. 9 語彙数
2. 5. 2. 10 参加者
2. 5. 2. 11 大人の存在
2. 5. 2. 12 グループ
2. 5. 2. 13 語彙タグ付け
2. 5. 2. 14 文法的範疇 
2. 5. 2. 15 文法的誤り  
2. 5. 2. 16 発話の目的
 第三章 資料分析
3. 1 資料統計に関する予備的考察
3. 1. 1  総発話時間
3. 1. 2  調査日数とセッション
3. 1. 3  発話の平均、最長、最短時間間隔
3. 2 対象者の言語能力
3. 2. 1 東京グループ
3. 2. 2 横浜グループ
3. 2. 3 学校グループ
3. 3 発話時間間隔分析
3. 3. 1 各対象者に関する分析
3. 3. 2 各グループに関する分析
3. 3. 3 対話者(聞き手・相手)による発話の比率
3. 4 発話量分析
3. 4. 1 各グループに関する分析
3. 4. 2 各対象者に関する分析
3. 5 言語選択分析
3. 5. 1 グループの統計情報 
3. 5. 2 両親の言語的背景
3. 5. 3 環境による言語選択の比率
3. 5. 4 ある環境における参加者の仕組み
3. 5. 5 言語選択による個人差
3. 6 CS分析
3. 6. 1 発話内におけるCS
3. 6. 2 発話間におけるCS
3. 6. 3 相手及び環境によるCSの比率
3. 6. 4 CSの境界事例
3. 6. 5 環境によるCSの比率
 3. 7 語彙分析
3. 7. 1 語彙選択
第四章 考察
文献目録
資料編:研究データ

3 先行研究 
a) バイリンガル
「バイリンガル」の定義は学者によりさまざまである。時代的に少し古い定義を挙げると、たとえばBloomfieldはバイリンガルを「2言語を母語と同等に使用する者 」としている。一方Poplack(1980)は、両言語において同じ程度の能力を持つバイリンガルとそうでないバイリンガルを区別し、CSは前者の発話の方によく現れるとする。J.Macnamara(1967)はバイリンガルをより広く解釈し「第二言語において4つの言語技能の内、少なくとも1つについて最低レベルの能力を持つ者」 をバイリンガルとしている。本稿では定義に関する混乱を避けるため、インフォーマントの言語能力にある程度の幅を認め、2つの言語の環境に接触し2つの言語を習得していることを二言語使用の条件とみなすことにした。

b) コード切り替え
  Weinreich(1953)の「二つの言語を交互に使用する習慣」 というのはCSの最も初期の定義の一つと言えよう。Gumperz(1973)は「同じ発話や会話に二つ以上の言語を交互に使用すること」という自身の定義を後に、「同じ会話の流れにおいて異なる文法システム又はサブシステムに基づく発話が並列すること 」(1982)に変えた。以前の定義で「二つ以上の言語」とされたものが、新しい定義では「異なる文法システム又はサブシステム」に変えられている。「方言」や「スタイル」等の切り替えもCSとして扱おうとする研究もあり、CSをさらに広い範囲に適用するほうが良いという考え方もあるかもしれないが、本研究では日本語、英語及びトルコ語を扱うため、 CSの意味内容を方言と標準語間の切り替えにまで拡大させる必要があるかどうかという議論までは立ち入らない。

c) 発話
 上述のように、本研究ではデータに「発話」という単位を設定して分析している。通常単位とされる「文」など、文法的な単位を利用しない理由については、既に筆者の修士論文(2010)で論じているが、実際の会話には多くの不完全文、非文法的構文や間違った発音が生じ、中途で終わったり、同じ発話が何度も繰り返されたりすることが多い。そのような会話を、形態素や文といった言語学的単位に分割することは非常に難しい。そこで、主語や述語を備えた完全ではなく、場合によっては1語のみであっても、ひとつの「発話」とみなすことにした。また場合によっては、いくつかの文を含む場合でも「発話」と見なしている。「発話」の範囲の判定に際しては、David R. Traum1 and Peter A. Heemanが提案する、「順序交代(英語:Turn-taking)」を基本的な基準として採用し、これに加えて発話と発話の間に生じる沈黙や、対話者の変更、発話の変更を示唆する表現、口調の変化なども考慮して区切りを定めた。

4 研究方法

a) 調査対象者
 日本在住のトルコ人の殆どは首都圏に在住しているが、首都圏においてトルコ人が集中的に居住する地域や通う施設などは少ない。その中から、本研究で目指す長期間の観察を可能にするため、「トルコ人の生徒が多く通う学校」、及び「隔週にトルコ人の子供が集まる家庭」を調査場所とした。対象としたのは、調査実施時点において、5歳から13歳までの日本在住のトルコ人青少年である。対象者は調査環境によって、「学校グループ」、「家庭グループ」の2つのグループに分けることができる。そのうち家庭グループは修士研究の対象となった者で、全員男性である。一方、学校グループは本研究で新たに対象とすることになった者で、一人を除いて全員女性である。このように、修士研究の段階より年齢、言語能力、両親の母語、日本における滞在期間、学校の種類などさまざまな点で、対象者の属性を広げることができた。
b) 資料収集と整理
 本研究の資料は2009年より2011年にかけて 、計21日間の収集作業によって得られたものである。全データは、録音・録画の方法により、45個に分けることができる。録画・録音データは、修士論文のデータ も含めると、17時間を超えるものとなった。家庭や公園、学校等さまざまな場所で対象者の自然談話を録音・録画することができた。収集した録音・録音データは、ELAN という言語アーカイビングソフトを使って文字化し、計21、284発話からなる分析用データを作成した。このデータを、CSの実態観察のための情報を整理しやす、各発話に様々なタグを付け、分類可能な形にした。本研究で利用した主な情報タグは次の通りである。

発話者:各発話が誰によってなされたか
相手:発話の相手が特定できる場合その対象者
言語:トルコ語を“T”、日本語を“J”そして英語を“E”とする
環境:授業(LS)、遊び時間(GT)、自由時間(FT)、昼食(LN)等
目的:発話の目的が明白である場合、同意(AG)、否定(DN)、質問(QS)、命令(IM)等
長さ:各発話のミリ秒単位での長さ
語彙数:各発話の語彙をカウントしたもの
グループ:データ収集を行った対象者が「学校グループ」か、「家庭グループ」か

5 分析

a) 対象者の言語能力
対象者の各言語に関する能力を知るため、データ収集を行う前に対象者の両親や教師から各対象者の言語能力に関する情報を提供してもらった。又、学校グループの子供については、より正確を期すため、英・日・トルコ語の能力試験も実施した。はじめ言語能力については年齢などと同様の属性のひとつと想定していたが、実際にデータを分析している過程で、各対象者の言語能力に関する新たな発見があった。そこで対象者の言語能力についても、「調査結果」のひとつとして扱うことにした。実例を以下に示す下の例は対象者のひとりであるペリンのトルコ語での音素対立認識レベルに関してヒントを与えている。

例:1 (14日目、トルコ語の授業中)
アイヌル Notlar、 notlar! (先生に)
和訳 覚書だ!覚書!
ペリン Notlaş dedi. (先生に)
和訳 彼女 (アイヌル) 「notlaş」と言ったよ!

これは、アイヌルの発言についてペリンが教師にコメントした発話である。トルコ語の/r/は音節の最初や母音間では弾き音[ɾ]になるが、音節末では無声摩擦音[ɾ̝̊]になる。トルコ語の母語話者であれば環境による音の違いを認識したとしても、どちらも/r/として処理するはずであるが、ここではペリンの耳には音声実態が正確に把握されて語末の/r/が[ʃ]として聞こえたため、このような指摘になったと考えられる。即ち、音声学的には客観的と言える反応によって、彼女のトルコ語能力のレベルがかえって明らかになっているのである。
 言語能力分析では各対象者の言語能力情報も述べることにした。

b) 発話時間間隔及び発話量の分析
ここでは対象者が「どのぐらい話したか」を、グループ、個人又は相手という基準によって求めた。本研究で「話す量」を「時間」と「発話量」で表そうとした。そこで妥当性を確立するため下記対策を講じた。

1- 各対象者において会話が続く環境にいる時間 をカウント
2- ただし、学校グループについては対象者が授業にいる時間を除く
3- 各発話の語彙数だけでなく、1分間に発話される語彙数も計算

分析の結果、学校グループの発話量が家庭グループより多く、時間的にも一番長く話すグループであることが明らかになった。学校グループは一人を除いて全員女子であるのに対し、家庭グループは全員男子である。また、英語を一番多く使用するグループでもある。このグループが長くかつたくさん話す要因は、恐らく「英語で話す」、「学校という環境にいる」、「女性である」のうちのどれかになるのではないか。収集したデータからだけで結論づけることはできないが、家庭グループの場合対象者の体の動きが比較的多いことがわかっているので、話す時間が相対的に短くなっている可能性もある。また家庭グループのほうが、パソコン・ゲームをする時に学校グループより口数が少ないこともわかった。なおここでは相手別分析又は環境と発話量に関する分析も行なっている。

c) 言語選択分析
発話が何語で行われているかをカウントすると、各グループの会話の基本言語はそれぞれ異なり、一番使用されている言語とその他の2言語の差も66%以上に上っている。各グループの言語使用量を多い順に示すと次のようになる。

学校グループ: 英語>トルコ語>日本語
東京グループ: 日本語>トルコ語>英語
横浜グループ: トルコ語>英語>日本語

児童の言語選択を決定づけるのはどのような要素なのだろうか。対象者のデータを見ると、属性が似ている者の間でも、言語使用率が大きく異なることが分かった。対象者の多くは8歳以下の子供であるため、両親 の言語能力が対象者の言語能力及び言語選択傾向に影響を及ぼしている可能性が高いと考え、それについて検討した。その結果、言語選択要因のひとつとして、母親の母語が大きく関係していることが明らかになった。例えば家庭グループの対象者で、母親がトルコ人である子供はトルコ語使用率が最も高く、日本語を少し上回っていることが分かった。しかし、学校グループでは同じような家庭環境の子供でも、言語使用率の順位を変えるほどではなく、母親の母語と無関係である傾向も見られる。例えば、家庭グループのAと学校グループのBは、ふたりとも日本語と英語を80%以上使用している。もうひとつの選択要因として、子供の言語能力の他、「ある環境である言語が基本言語になる」というような無意識的な前提の存在もあるのではないかと思われる。例えば、学校では英語を話すというような問題である。
しかしながら、データには環境及び言語能力だけでも説明できないケースもある。例えば、学校グループでは、昼食時間に言語使用率が大きく変わる。全ての昼食時間を確認してみたところ、毎回そこに参加する子供が変わることが分かった。このことから、言語選択に影響を及ばす3つめの要因として、「共通の理想言語」を設定してみた。かいつまんで言えば、集団内における言語選択に際しては、集団参加者の言語能力が臨機応変に判断され、最も全体的理解度が保証される言語が選ばれる、というような想定である。
以上より、「言語能力」と「環境」、その環境にいる「共通の理想言語」のいずれもが、基本言語を決める要因であるという結論を得た。
ここではまた、「各対象者の言語選択率」や環境別言語選択率」の分析も行なっている。

d) CS分析
ここでは、各グループで検出されたCSの量的分析を行った。その結果、学校グループのCS件数が他のグループより多いことが分かった。次に各対象者の相手別CS使用率も計算した。その内、CSが一番頻繁に起こる相手、及び一番少なく起きる相手に集中して分析を行った。その結果、CSにはさまざまな言語外的要因が働いていることが分かった。例えば、次の会話ではフェライは相手のアイヌルの注目を引くために言語を切り替えていると思われる。

例:3
フェライ Can we eat this? (アイヌルに、 3.19)
和訳    私たちはこれを食べてもいい?
フェライ Hey bakalım mı? (アイヌルに、 0.36)
和訳    ね!(私たちは)見てみようか!

上の例では、フェライはアイヌルに英語で質問をするが、アイヌルはそれを無視しているように見える。3秒以上経過して、フェライは今度はトルコ語でアイヌルに話しかけるが、アイヌルはそれにも返事をしない。また、Sという児童の場合、CSを含む発話を見るとCopy yapma! (和訳:カンニングしないで!), it's … ここに貼って! (和訳:それは … ここに貼って!) のような「命令」や「指示」の場合が多いことが分かった。このようなことから、CSがある意味で作戦的に利用される場合があると言えるのではないだろうか。
言語を切り替えることで、発話の相手を特定の者に限ることもある。例えば例3で紹介したペリンのCSには日本語がよく現れるが、そのほとんどは日本語の母語話者レイラ宛である。ペリンのこの行動は、英語が基本語である環境においても、日本語で話せる相手とは日本語で話したいという気持ちの表れであるのかもしれない。日本語で話すことのあまりない相手を会話に加えたくないために、日本語に切り替える対象者も見られた。

e) 語彙分析
語彙分析では興味深い幾つかの実例(語彙)を取り上げ、英・日・トルコ語での利用上の特徴について検討した。ここではそのうち2つの例を紹介する。
各言語の、1・2人称単数代名詞の使用状況を調べてみると、英語の発話に他言語の人称代名詞が挿入されることはなく、他言語に英語の人称代名詞が挿入されることもない。しかし、日本語とトルコ語の間では人称代名詞の切り替えが発生している。Sen(あなた)やって!、俺 bile ondan hızlı teperim.(俺でさえ彼より<ボールが>早く蹴れる)などである。
語彙とトピックの関係に関する分析も行った。その結果、話題にしている対象物がどの国のものであるかによって、発話に登場する語の言語が決まる傾向がはっきりしていることがわかった。例えば同じように映画やドラマを見る話をしていても、アメリカの映画について話す時は「見る」という動詞が「watch」になり、トルコのドラマの場合は「izlemek」となる。そして、日本の映画館で見る映画については「見る」が使われるのである。

5 結論

本研究では対象とする言語を「日本語、トルコ語及び英語」とし、対象者を「児童」に限定し、対象資料を「言語コーパス」とした。またその資料のなかでも言語行動(その中でも特にCS)を社会言語学的観点から分析することにした。研究方法として、1)「大量のデータ」を扱う、2)「長期間の調査」を行う、という2点を重視し、分析の段階では、3)複数の対象者の言語行動に関する量的分析とともに、4)ある個人の行動に関する個別問題にも注意を払うことにした。又、5)ある現象の要因を求めるにあたっては、様々な変数の対比を綿密に行うことを心掛けた。その結果、データ収集にもその分析にも膨大な作業が必要となったが、構築したデータにはまだまだ多様な分析の余地があり、またその構築方法にも将来的な研究の拡大の可能性が十分にあると考えている。

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