博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:モンゴルにおける「支援型改革」と「教育借用」— 幼児教育における<子ども中心主義アプローチ>の実施を事例として —
著者:ミャグマル・アリウントヤー (ARIUNTUYA, Myagmar)
博士号取得年月日:2013年3月22日

→審査要旨へ

本稿の目的は、冷戦終焉以降、「支援型改革」がモンゴルの幼児教育においてどのように行われているかを明らかにすることにある。本稿でいう「支援型改革」とは、1990年代以降、政治や経済の転換に伴う新たな支援アクターの登場によって多様化した教育支援と連動し、現在「国際標準化」や「グローバル化」を掲げ、モンゴルを含むポスト社会主義国を転々移動し、展開されている教育の改革のことである。
こうした「支援型改革」の実態を検討するために、「支援型改革」のアリーナとしてモンゴルの幼児教育、とりわけ幼稚園教育を対象にし、「支援型改革」に最もふさわしい事例として、ポスト社会主義諸国のみならず、途上国全般において新しくかつ望ましいモデルとして導入された<子ども中心主義アプローチ>を取り上げる。その際に、同アプローチが、教育政策言説、政策アクション(行動)、政策実施といったそれぞれのレベルについてどのように解釈され、如何に受容され、どの程度浸透しているかを、教育の借用理論を応用しながら読み解く。本稿で扱う教育借用理論とは、支援側すなわち国外からの働きかけによって国内の教育制度を改善しようとする政策立案者の言説や意思決定、教育制度化に取り組む教育現場の教師の能動的な対応、これら政策決定過程や現場での実施過程にあらわれる国外の教育制度の受容と摂取の過程を示す。
三者を一つの軸にする考察は、比較教育学や教育開発に関する先行研究から着想を得ている。だが、先行研究では、三者における対象事例が必ずしも一致しているわけではない。断片的な対象になっているため他者からの「ベストモデル」が持つ「魅力」がどのように提唱され、解釈され、実施されているかを十分に検討できていなかった。それがゆえに、2000年代以降よりいわゆるグローバル化の影響下における幼児教育に関しては、教育借用という視点からの研究が稀であるがゆえに、今必要不可欠な課題となっているといえる。

モンゴルの幼児・幼稚園教育における「支援型改革」の具体的な事例である<子ども中心主義アプローチ>の借用課程を三者を軸にし、明らかにすることで、本稿は教育借用や比較教育研究に対して以下のようなねらいを試みた。
一つは、貸与側(支援国)の「ベストモデル」が、借用側の政策決定レベルで提唱されたほど教育の現場に浸透しないことについて、「途上国政府の「二元的言説」にあらわれる借用国の現状や文脈に加え、政策のアクションと政策の実施レベルでの借用国の能動的な対応・反応などが要因として働いているとの教育借用に関する議論に対して、参照側の「卓越性」を無批判に受け入れることのみならず、過去の借用経験に関しても十分な見直しが行われてなかったという研究自体における見直しの問いを求めている。
もう一つの意義は、これまで比較教育研究において、<子ども中心主義アプローチ>の導入と浸透の難しさが、同アプローチがもつ欧米的な起源、借用側の非欧米的な文脈、子どもの学習環境の違い等によって説明されてきたことに対し、借用過程自体を明らかにすることで「従来と異なる新しくかつ進歩的」であるというメッセージを提唱する「支援型改革」自体を批判的に問うことを試みた。

上記課題に取り組むために、被支援側の立場に立つ分析枠組みを用い、研究方法としては、一次資料と二次資料の分析作業、そして定量的調査及び参与観察のデータを用いることとした。その際に、以下の3つの観点に留意した。
第一に、教育改革が教育支援と絡まり合う導入、実施、浸透という展開過程において、被支援側は受動的なだけではなく、そこには能動的な対応も見いだせるという視点から、Phillipsらによる借用理論モデルを応用した。そうすることで、「支援型改革」がその導入と実施過程において誰、あるいはどのような要因に主導され、如何に展開されているのかという借用過程を明らかにすることを試みた。
 第二に、こうした借用過程は市場経済化が進む中で初めて現れたものではなく、社会主義時代にもあったという仮説のもと、モンゴルの幼児教育における借用経験・実践を、社会主義時代と市場経済体制という時期の中で継続して捉えた。このような設定は、<子ども中心主義アプローチ>が社会主義時代にもあったかどうかという課題にせまることで、従来の借用経験の捉えなおしという課題にも挑戦する上、現在の改革の意味や借用過程の問題に対しても示唆を得ることができるということである。
第三に、政策言説と政策アクションとのズレを抽出するため、幼稚園で子どもたちが取り組む日課(遊び、学習活動)、教師と子どもの相互作用、そして諸種活動の指導計画とカリキュラムを含む子どもが置かれているクラス内外の教育環境、という3つの領域を設定し、分析を行った。

以上の分析枠組みと方法に照らし、本稿は3章から構成されている。第1章では、教育の理論と実践をめぐるソ連から借用過程がどのようなものであったかを検討した。その際に、幼児教育(幼稚園)の理念、内容、人材育成といった制度化の過程にのみならず、近代的幼児教育の誕生以前のモンゴルの社会状況とソ連との関係を考察した。社会主義時代の教育借用を考察することによって、借用の歴史的前提を把握することを試みた。第2章では、市場経済・民主社会へ向けて変化する政治経済体制のなかで相次ぐ推進された幼児教育政策を考察し、諸種政策における<子ども中心主義アプローチ>の位置づけと、その導入の異なるルート(モンゴル政府と支援機関)を検討した。そうすることにより、国際社会の教育改革の動きとそれに反応するモンゴル側(政府)の揺れ動きを描き出した。加えて、教育借用の参照国であるアメリカやイギリス等における<子ども中心主義アプローチ>の歴史的背景をたどった。また。同アプローチの理念、内容、指導法がモンゴルの教育界からみていかに「斬新」かつ「魅力的」であったか、同時に支援側が対モンゴルの教育支援に必要不可欠だとみなされたことについて浮かび上がらせた。第3章では、「支援型改革」の具体的な要素である<子ども中心主義アプローチ>が、教育現場においてどのように受容され、浸透しているのかを考察した。そのために、比較分析の手法を用いて、モンゴル政府とソロス財団という異なる導入ルートを持つ幼稚園をプログラム不参加と参加幼稚園に分類し、<子ども中心主義アプローチ>に対する教師による理解、教育実践における教師と子どものコミュニケーション、同アプローチを体現するための環境づくりとその問題点について論じた。

考察と分析の結果と結論は以下の通りである。
 第1章では、まず、社会主義時代には<子ども中心主義アプローチ>は流行の概念ではなかったが、教育学・心理学や幼稚園教育の内容に関する文書等ではこのアプローチの諸要素が明確に言及され、重要視されていたことが明らかになった。さらに、社会主義時代の教育借用は、幼稚園教育の創設と一緒にスタートし、社会主義体制が解体した1992年まで継続されたことが明らかになった。しかし、初期段階の借用は、支援を提供したソ連による政治的・経済的な圧力を伴うものであった。借用の過程においては、ソ連の教育制度への抵抗はみられなかったものの、そのまま模倣した要素もあれば、ソ連の文脈における理念や理解以上に強調された過度な要素もあった。また、借用は、ソ連からの専門家の派遣とソ連への留学やソ連での研修といった双方向のルートによって盛んに行われた。こういった教育借用の背後には、社会主義国家建設とソ連の教育制度の卓越性・優位性の強調、これらと絡み合ったソ連による支援・協力という政治的・経済的・社会的要因が働いていたといえる。
第2章では、まず市場経済移行期の初期段階には、幼稚園の維持と就園率の低下に伴う混乱と危機を乗り越えるために国際支援が必要とされたが、それに伴い、<子ども中心主義アプローチ>も導入されたことが明らかになった。だが、同アプローチの導入は、選択的かつ表面的な借用であったといえる。同アプローチは、教育政策上、市場経済、民主的政治、オープン社会といった新たな政治的・経済的・社会的な価値を体現するものとして提唱され、政府および支援側(ソロス財団)という2つのルートを通じて導入されている。理念上、社会主義時代の「権威的な指導」や「知識詰め込みの教育」に対する新しい「技術」、「指導方法」として解釈されている。とりわけ個々のニーズや関心の考慮、創造性の促進の強調が参照国の教育の理念に類似してはいるが、モンゴルの教育界においても子どもの個性を尊敬し、個別の指導を重視する研究がなされたことが反映されずに提案されている。同アプローチは今なお言及されてはいるものの、参照国で展開された幼児教育の「スタンダード化」や「包括的な幼児教育開発」といった政策採択により、その意味合いが徐々に薄れる一方で、政策の力点が社会主義時代に重視された授業・課業の強調へと移動していることが明らかになった。これは、被支援側のモンゴル(政府)が、国際的な教育改革の動向に敏感に反応していることを示している。だが、参照国の教育要素を十分に検討し、さらにモンゴルの過去の研究蓄積を批判的に吟味したうえで選択したわけではなかった。世界の動きから遅れないように、参照国の改革動向に即してゆこうとしたモンゴル政府の意図が、政策上の表面的な借用につながったと言うことができる。
第3章では、プログラム参加と不参加幼稚園双方において教師たちは、<子ども中心主義アプローチ>に対して関心を示し、必要なものとして受け止め、園生活の授業・課業を含むすべての活動で用いられるべきとの認識を示していた。しかし、全体として同アプローチの借用は、限定的にしか行われていなかったといえる。まず、双方の幼稚園において<子ども中心主義アプローチ>の重要な要素である環境の改善がみられたものの、借用過程は、学習コーナーの設置と教材の改善に集中し、教師と子どもの人数比のアンバランスは考慮されていなかった。加えて、プログラム参加幼稚園と比べてプログラム不参加幼稚園では、コーナーの数やその利用頻度が少ないことが明らかになった。
もっともなことは、教師らの<子ども中心主義アプローチ>の重要性の理解は、必ずしも教師の行動に反映されているとは言い難い。両方の幼稚園では教師らが子どもの行動や発言に対して全体的に肯定的な対応を試み、コーナーでの自由遊びを歓迎してはいるが、園生活のほぼすべての活動は教師が事前に作成した指導計画通りに、しかも一斉に行われていた。教師の指導による活動の際、子どもによる自発的な質問や自由発言があったとしても、またそれが子どもの探求や実際的な活動へとつながりうると理解していても、同アプローチの理念通りの対応は限定的にしかみられなかった。つまり、教師らの理解と実際の行動は適合していなかったといえる。
このような不適合の背景には、複数の要因が存在していると考えられる。同アプローチの解釈が、プログラム参加幼稚園の教師が用いるカリキュラムでは詳細に描かれているが、プログラム不参加幼稚園のカリキュラムでは、それを実現するための方法論さえも不足していた。また、同アプローチを可能にする環境の借用は、一面的にしか受容されていなかった。さらに一人の教師が25人以上の子どもを担当するという現状下では、個別の活動はおろか、少人数の活動さえ行うことが難しい。物的環境の問題もあって、教材や教具を限定的(課業)にしか使えない。また、近年の幼稚園給食の無料化政策は園児の増加と過度な集中を促した。上記の諸要因が重なって、教師らは、同アプローチの理念に同調してはいるものの、それを教育実践に反映しにくい状況にある。
このアプローチの浸透の程度は、上記のように、モンゴル独自文脈や現在の環境の違いに加え、そもそもこのアプローチを支える理念や思想が従来あったかどうか、もっといえばその「斬新さ」を検討する視点の有無にも左右されているといえる。加えて、こういった自国の経験のみならず、参照国の文脈を踏まえた研究のなさが、浸透の難しさを裏付けるとも考えられる。そして、必要性を掲げて導入されたこのアプローチが実践として広がらず、教育政策上の決定に留まったのは、このアプローチに必ずしも適合しない政策が推進されていることにもよるといえる。幼児教育の量的拡大と教育内容のスタンダード化の政策を、その一例としてあげることができる。1990年代半ば以降の相次ぐ諸政策により、教師は子ども一人ひとりを考慮するというより、子ども全員に目標とする知識や能力を獲得させることを優先せざるを得なかった。一方では、モンゴル政府が世界の動きにペースを合わせようとしたことにより、他方では幼児教育の国際的な働きかけを背後に持ったことにより、これらの政策がすすめられたのだといえる。

以上は、各章の結論であるが、社会主義時代と市場経済移行期の「支援型改革」の意味について以下のような議論を展開することができる。
この二つの期間にそれぞれ行われた幼児教育の借用は、いくつかの異なった特徴を持っている。対立的ともいえる理念・イデオロギーの違いをはじめ、支援側アクターも異なっている。改革の原動力も、社会主義国家建設に対し、市場経済と民主主義社会の構築といったふうに異なっている。さらに、社会主義時代にソ連という一国のみの教育政策をほぼすべて取り入れてきた一方、市場経済移行期には一国のみを参照先としないように注意が払われており、現在では選択的な借用が主流となっている。
とはいえ、両時代の借用には共通点も多くみられる。まず、教育借用には、それまでの制度よりも新しく提案された制度のほうが進歩的であると考えさせるメッセージが含み込まれている。しかも、そのような「誘導的な」メッセージには、支援側と被支援側の関係に支配と従属のヒエラルキー構造(非対称的な関係)が反映されている。それが最も鮮明にあらわれるのは、支援開始時期だといえる。ソ連がコミューンやアルテリ等の共同体の創設によって社会化を急がせたように、市場経済移行期の支援アクター(世界銀行、アジア開発銀行等)も小さな政府、民営化、分権化などを要求した。このような働きかけは、支援側の要求を受け入れることのできる条件がモンゴルで殆ど成立していないにもかかわらず行われていた。これは、支援側が考える「普遍性」を、支援を武器に、被支援側に求めた圧力だとみなしうる。そうすることで、貸与側(支援側)がもつ「普遍的な価値」が目指すべき基準となり、借用側(被支援側)がもつ「既存の価値」は「改善すべき負の所産」だとみなされ、教育借用が支えられてしまう。
社会主義時代には、男女平等や子どもの全面発達等の理念が幼児教育において支配的に語られ、魅力あるものとして受け入れられた。一方で、宗教教育は「遅れたもの」として、家庭教育・子育ては「集団教育施設に代えるべきもの」とみなされた。このようななか、幼児教育は、家庭による伝統的な子育てに代わり、集団施設による組織的な教育活動を「普遍的なもの」とみなして制度化された。市場経済移行期には、社会主義時代に作り上げられた教育が、「集団による、集団のための、集団での」教育にすぎないとして批評され、市場経済に通用する「自己・個性」を強調し、それらを備えた人間を育てる教育が「普遍的である」と価値づけられ、新しいものとして提唱されている。
第二に、両方の時代において、参照国の卓越性を無批判に受け入れるにとどまらず、自国の独自性を軽視する傾向が強いという共通点がみられる。社会主義時代の幼児教育研究には、ソ連の幼児教育の実践をよいものとして紹介・整理したものがあるが、ソ連の状況とモンゴルの状況の違いに注意を払った言及は殆ど見当たらない。市場経済移行期に関しては、時間の経過が短いこともあり、研究の蓄積がまだ小さいものの、同様の傾向がうかがわれる。このような状況は、教育現場では疑問視されているものの、現場の「反省」が政策策定に活かされていないという問題も指摘できる。他者の「ベストモデル」をなぜ実現できないのかについて、政策立案者から教育の現場に至る広範なアクターを動員し、議論に参加を促す可能性がここに広がっているといえよう。

なお、こういった問題は、借用要素の適用や応用の可能性についての研究蓄積が限られているという点と関連しているといえる。研究蓄積の小ささは、比較教育研究で指摘されている人口の少ない小国に共通する問題だともいえる。すなわち、人口が少ないため、国内にひしめく教育に関する様々な要求に対して、一人の研究者や改革担当者が扱うテーマが広範にならざるをえないという事情による。教育借用に関する研究は、このような状況下で優先的なテーマになり得なかったといえる。
参照国と自国の歴史を反省的に論じた研究の少なさには、支援側と共有する概念の問題も影響していると考えられる。概念があまり共有されていないとき、その解釈は政策決定者や行政機構の上位に位置する教育関係者によるものに留まってしまうだろう。社会主義時代のソ連の幼児教育研究で注意深く取り扱われていた<遊び>や<課業>の概念は、モンゴルで借用される際に、個々のニーズや教師による指導が求められることにこだわって採用されたわけではない。そのため、ソ連で用いられていた<遊び>や<課業>の概念に子ども中心主義的な理解があったことが認識されず、実践にも生かされなかった。これは、市場経済移行期にも反省されず、社会主義時代の教育が教師中心的であったかのように強調されてもいる。
こういった共通点に見られる問題には、「支援型改革」に本来的に備わった性格も影響している。支援という営み自体が、条件付きの契約であり、被支援国での実施状況について評価が必要とされている。支援の成果は、決まった基準や指標のもとに測られ、短期間で測定・評価されることもある。すると、被支援側においては、評価の対象となる実践ばかりが優先されることが考えられる。教育支援についての研究も、支援を行う側が必要とする観点やテーマに限られる。その場合、現行の政策や実践が調査されるうえ、通常は短期間で行われる。すると、借用研究に歴史的観点がみられないという問題が浮かび上がるのである。
以上のように、モンゴルにおける社会主義時代と市場経済移行期の「支援型改革」がそれぞれどのように行われてきたのか、「支援型改革」の意味や問題について更なる議論の可能性を展望することができた。だが、新たに生まれた問いもいくつかある。一つめの課題は、幼児教育の政策や実践に深く関与する保護者や地域社会を対象に含めることである。「グローバル化」や「国際標準化」のもとで市場経済原理が拡大している今日、子どもの人格形成を考える際に、保護者の要求や考え方がこの変化とどのような関係にあるのかを探りたい。もう一つの課題は、被支援側がさらにどう受け止めるのかという問いである。これに対しては、ライフヒストリーをもちいた考察を考えている。

このページの一番上へ