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博士論文要旨

論文題目:日本農村社会における協同関係の変容と展開 ― 高度経済成長気以降を中心に ―
著者:陸 麗君 (LU, Lijun)
博士号取得年月日:1997年6月24日

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 本論文は、日本農村における協同関係に焦点を当て、農村社会の複数の事例研究を通して、これまで十分に解明されてこなかった、近代化にともなう農村の社会関係の変容過程を解明しようとするものである。
 まず、本論文の問題意識と研究目的を簡単にまとめておこう。
 ・ 高度経済成長期以降の日本社会の近代化過程を全面的に理解するためには、都市社会はもとより、それをとり囲んで存在し、都市の発展を裏側から支えてきた農村社会の変化をも射程に入れなければならない。そして農村社会の変化を考察するためには、農村社会の変化の根幹をなす社会関係の変容を解明しなければならない。
 ・ こうした問題意識の下で、本論文では、農村の社会関係の特質をもっとも顕著に表すと考えられる農家相互の「協力・連帯」の側面に焦点を当て、包括的にそれを取り扱うことのできる概念として「協同関係」という用語を用いる。「協同関係」とは、「農村社会における、個別的に充足できない農業生産・農村生活局面上の共通課題を解決するために、農村住民相互の間に形成される協力・連帯関係」を指すこととする。この「協同関係」を農村社会理解の為の鍵概念として使用し、その変容過程を解明しようとする。

 高度経済成長期以降の農村社会の変化を協同関係の変容の側面から把握しようというパースベクティヴには、二つの研究上の戦略が含意されている。一つは、このパースベクティヴにより、農村社会の変容という事態への農村地域生活者の捉え方、及び対処の様態を射程に入れられることである。もう一つは、農村社会が近代化の波に洗われていく中での、農業生産と農村生活両局面との分離現象を、両面的・統一的に把握していく上で、協同関係という側面への注目は、重要な切り口になるということである。

 ただし、こうした問題設定には、同時に、方法論上の困難さが存在していることも指摘しなければならない。協同関係の変容過程に注目することの重要性は明らかであったとしても、それを読み解くための重要なデータは、歴史的な資料や数量的なデータには残りにくい類のものである。このため、筆者は農村に何度も足を運び、農村地域住民への聞き取り調査を重ねた。農村社会の大きな変貌は近過去に属すものであるため、多少は不正確だとしても、その変容に関する「生」のデータが、農村地域住民たちの「記憶」の中にまだ残っていると考えたからである。

 以上のような基本設計の下で、文献研究及び現地調査から得られた成果をまとめると、各章ごとの内容を以下のように要約することができる。

 序章ではまず、農村の社会関係をめぐる先行研究の論点を取りあげ、それを整理し、批判を行う。この分野に関わる先行研究は、三つの流れに分類することができる。第一は、農村の社会関係の結合基盤を把握しようとする流れである。その代表として有賀喜左衛門の「家連合」理論、鈴木栄太郎の「自然村」理論を挙げた。その結合基盤を前者は家レベルに、後者は村落レベルに見出していた。第二の流れは、「個」と「集団」との関係に注目するものである。一九五〇年代の共同体論に代表されるように、それは、両者の相克を眼目に置いたものである。そして第三は、農村の社会関係の中核を研究上、確定しようとする議論の流れである。これは、近年の研究動向に見られる特徴であるが、その争点は、農村の社会関係の中核が農業生産局面に存するのか、それとも農村生活局面かをめぐって展開されている。これらの三つの研究の流れは、確かに、農村における社会関係研究にとっての重要な論点を提出したが、その各々が一つの側面にしか力点を置かない結果、農村の社会関係の変容過程を総体的に把握する説得的な理論枠組みを提出しているとはいいがたい。

 こうした先行研究をサーヴェイした上で、高度経済成長以降の日本農村における社会関係の変化を体系的に把握するための理論枠組みを設定した。それは、協同関係の変容過程に論考の視点を定め、「高拘束性の協同関係」の存続から「高拘束性の協同関係」の衰退、そして「低拘束性の協同関係」への形成という段階別変動仮説を構築したものである。この枠組みは上述の三つの先行研究の流れを組み込み、かつ、各研究が注目した側面の統合をめざそうとするものである。その際に、特に協同関係が必然的にあわせ持つ「拘束性」に注目し、農村社会関係の「質」的な変化の解明を試みる。

 以上のような枠組みの下で、第・部は、現地調査のデータを基に、農業生産を取り巻く状況の変化を、調査地の立地条件、経営規模、農家の主体的な対応といった要因から整理しながら、高度経済成長以降の、両調査地の農業生産局面における協同関係の変容過程の具体的な事実を析出していく。

 まず、第一章は、長野県松本市中二子集落を事例とする考察である。この集落の特徴は、地方都市近郊農村であり、日本の農家の典型である零細な経営規模の農家が大部分を占めている点、及び周辺の集落の中でも比較的「まとまり」のよい集落だという点にある。この事例考察の結果、中二子集落における農業生産局面の協同関係の変容過程は四つの時期を経てきたことが抽出できる。第一期は、一九六〇年代末までの、集落統合の下で、「ユイ」による共同田植えに見られるような小範囲の農家間の労働力の交換を基盤に協同関係が存在していた時期である。第二期は、一九七〇年代前半で、協同関係は、田植機の導入を契機にして形成され、小範囲の農家間の「機械の共同利用」という形をとっていた。第三期は、一九七〇年代後半で、この時期には機械の共同利用に関する協同関係が衰退する一方で、米以外の商品作物ごとに、集落を越えた機能的な協同関係が形成される。第四期は、一九八〇年代以降現在に至るまでの時期で、「部落範囲内の機械共同利用」という形をとった、個々の農家の自由な選択を前提とする協同関係が出現してきた。以上の四つの時期区分を通して、その各々の時期に特徴的な協同関係の形成・維持・衰退の諸要因、および形成範囲を解明しようとした。

 第二章は、山形県羽黒町の細谷集落の事例分析である。この集落の特徴としては、大規模な農業経営の水田単作の地域である点が挙げられる。この事例分析においても、農業生産局面の協同関係の変容過程を四つの時期に区分することができた。第一期は、一九七〇年代初頭までの集落統合が強かった時期で、協同関係は、集落ぐるみでの労働力の交換を基盤にして存続していた。第二期は、一九七〇年代前半の時期で、ここでもまた協同関係は田植機の導入を契機にして形成されたが、それは集落ぐるみで展開されていた。第三期は、一九七〇年代後半の時期で、機械共同利用に基づく協同関係が集落ぐるみの形態から小範囲の農家間に分解していく一方で、少数の大規模経営農家は複合経営に乗り出したため、商品作物ごとに集落を越えた協同関係が形成された。また、残りの大多数の農家は、農外就労に従事しながら、稲作農業経営を継続していく道を選んでいった。そして第四期は、一九八〇年代以降現在に至るまでの時期で、法人経営方式を展開する専業農家が出現したことと並んで、農作業(農業経営)の受託・委託の展開の可能性を潜在的に孕みつつも、現段階において、大多数の兼業農家は、過剰投資の問題を抱えながら個別経営に執着している。

 第・部では、実態調査に基づき、両調査地の農村生活局面における協同関係の変容過程を解明する。その際、協同関係の範囲(村落レベル、家レベル、個人レベル)を峻別し、農業生産局面の場合と同様に、時間軸に沿って把握する。・ 村落レベルでの協同関係の変容を、主として、ア. 部落の自治活動の変化から考察。そして、村落レベルでの協同関係を多面的に捉えるために、細谷集落の事例を対象に、イ. 集落の共同行事と共同作業の変容、ウ. 集落内に完結される講集団の活動の変容をも考察に加える。・ 家レベルでの協同関係については、それがもっとも顕著に現われると思われる婚姻・葬送をめぐる協力慣行を通して、その変容の過程を考察する。さらに、③ 個人レベルでの協同関係については、細谷集落の事例を通して考察する。ここで細谷集落の事例を取り上げた理由として、同族的な家結合が強く、「個」が生まれにくい社会環境と考えられてきた東北農村(「東北型農村」)において、個人を単位とする協同関係の出現をみたことが重要な意義を持つと考えられるからである。

 第三章、第四章では、それぞれ中二子集落、細谷集落の実態調査を基に、村落レベル、家レベルでの協同関係の変容過程を考察した。この両章は、内容上多くの関連性があるため、まとめて論じることとする。

 まず、村落レベルの協同関係の変容過程を、両調査地における自治組織の活動の時期的変遷を通して考察する。それらの分析結果から、部落の自治活動には、それぞれの集落において二つの重要な転換期があったことが理解できる。第一の転換期は、自治組織が農業生産局面で従来果たしていた役割を喪失していく時期である。中二子集落では一九七〇年前後からの時期、細谷集落では一九七〇年代半ば頃からの時期がそれに当たる。その結果、両集落ともに、自治組織の活動の比重は農業生産局面から集落生活の局面へと移っていくと同時に、その主体も農家に加え、非農家がまじるようになった。ただし、立地条件の相違から、両集落の自治組織の活動内容に相異点も存在している。中二子集落の自治組織(町会)は、土地売却など混住化にともなう問題に対応していたのに対し、細谷集落の自治組織(部落会)は、道路整備などの生活環境整備に力を注いできた。第二の転換期は、自治組織が農村生活局面で新たな盛り上がりを見せる一九八〇年代以降の時期である。中二子集落で見られた「御嶽講」行事の復活や細谷集落で起こった部落伝統文化の継承活動がそれに当たる。そこに集落ぐるみで催される親睦活動などが加わり、それらの活動を通して、集落全体の連帯感が高められていく。その特徴は、村落レベルの協同関係の衰退に対して、農村住民たちがそれを主体的に再生させようとした点にある。

 次に、細谷集落を事例に、集落の共同行事と共同作業、講集団の活動などから村落レベルの協同関係について考察した。農道の除草や水路の清掃など農業生産、農村生活に最小限不可欠な側面における、村落レベルの協同関係が維持されているのに対し、神社の祭典やスポーツ活動など娯楽・親睦の側面における村落レベルの協同関係が一九六〇年代後半から衰退してきたことを明らかにした。また、講集団の活動を通して形成されてきた村落レベルの協同関係が、形骸化してきたことを指摘した。

 さらに、婚礼と葬送をめぐる協力慣行の考察から、両集落のそれぞれの家レベルの協同関係の特徴とその変容を考察する。これらの事例分析の結果、同じ家レベルの協同関係といっても、両者にはネットワークの違いが見られる。つまり、これらの儀礼をめぐる協力慣行に動員される家々の範囲は、細谷集落では、主として血縁関係に留まるのに対し、中二子集落では、血縁関係に加え、地縁関係が重要な役割を果たしている。また、同じ儀礼にまつわる協力慣行でも、婚姻儀礼の場合と葬送儀礼の場合とでは、変容の度合いの相異が存在している。婚姻にまつわる伝統的な協力慣行は、中二子集落では一九六〇年代初頭から、細谷集落では一九七〇年代初頭から次第に衰退し、農家間の協同関係としての意味が希薄化していった。それに対し、葬送にまつわる儀式と慣行は、両集落とも、全体として伝統的な形態が維持されている。

 第五章は、細谷集落を事例とし、個人レベルの協同関係を考察する。その際、官製的な機能集団の活動と自発的な仲間集団の活動状況とを区別する。なぜなら、同じく個人レベルの協同関係とはいっても、その変容過程において、両者には対照的な特徴が見られるからである。官製的な集団活動は、衰退傾向を呈しているのに対し、関心・趣味を基軸に自発的に組織され、展開されているインフォーマルな仲間集団の活動は、一九八〇年代以降、逆に盛んになってきたと指摘できる。こうした文脈の中で、協同関係の今後の展開において、地域福祉グループが持つ「ボランティア型」の協同の意義を強調した。

 終章では、第・部、第・部の考察を総括する意味で、農村社会における協同関係の変容過程に関して、まず両調査地の相異点と類似点を分析し、次に「都市的地域」及び「平地農業地域」に限定した。その上、両集落を全国的な変化動向の中に位置づけながら、序章で提出した理論仮説に即して、二つの集落から抽出できる高度経済成長期以降の協同関係の変容過程を体系的に把握することを試みた。その際、協同関係の変容を捉える枠組みとして、「個」と「集団」の鍵概念を用いた。この概念は、「村落」などの集団的な利害関心から「家」あるいは「個人」の利害関心の分離・表出の過程を把握するためのものである。

 まず、変容過程の仮説でいう高拘束性の協同関係が存続されていた一九七〇年代初頭までの時期について理論的に考察する。この時期は協同関係の変容の「始点」と位置づけられ、高拘束性の協同関係は、解体のポテンシャルを孕みつつも、決定的な崩壊を免れていた。両調査地でいえば、村落レベルの統合性の度合、経済的合理性の側面での相異が存在しながらも、農業生産及び農村生活の両局面において、高拘束性という性格が保たれていた。これは、「個」が「集団」に依存せざるをえなかったという長い伝統の残存である。と同時に、米作農業技術の制約、米作中心の農業政策など農業及び農村をめぐる諸要因に強く規定される現象でもある。

 次に、協同関係の変容過程の前半、つまり高拘束性の協同関係の衰退と個の現出の過程について論じる。いうまでもなく、こうした変容過程は農業生産及び農村生活のすべての局面で一様に起こるものではない。従って、その変容は・ 周辺的な部分での衰退過程、・ 根本的な部分での衰退過程とに峻別される必要がある。しかも、これら二つの部分は、時期的には・が・に先行し、また変化の速度も・が漸次的に進行していったのに対し、・は比較的急速に展開していった。調査結果からいうと、まず、・の部分で、特に農村生活局面において、一九六〇年代半ばから高拘束性の協同関係の衰退が現れはじめた。・に引き続き、一九七〇年代初頭から・の部分で高拘束性の協同関係が急速に衰退していく。この変容過程を「家」と「村落」の関係軸で捉え直せば、「村落」に強く依存し拘束されていた「家」の利益が認められ、それが解き放たれていく過程であり、各家の選択可能性は拡大されたといえる。

 第三に、協同関係の変容過程の後半期、つまり、協同関係の全面的な衰退と「個」の肥大化の過程について論じた。時期的に、一九七〇年代後半がそれにあたる。この時期を特徴づける背景は、兼業化の全面的な深化である。この要因により、一九七〇年代前半に起こった協同関係の衰退に拍車がかかっただけではなく、「集団」の利害関心の優位→「個」の利害関心の解放の過程が、さらに→「個」の利害関心の肥大化=「集団」の利害への無関心にまで進んでいく。この過程は、農村社会をそれとならしめる協同関係までをも蝕んでいった。ここに農村社会維持の観点からいえば、一種の危機的状況が生み出されたといえる。

 第四に、一九八〇年代以降の協同関係の再構築の過程について論じた。もちろん、それは、高拘束性の協同関係への回帰ではなく、「個」の選択可能性の拡大を前提に、「個」の主体性によって形成される「集団」関係であり、これを「低拘束性の協同関係」と呼ぶことができる。両調査地で形成されてきた協同関係には、実際にこうした特質が観察される。協同関係の再構築という変容を引き起こした要因には、客観的状況が強いた側面と主体が自覚的に選択していった側面とが指摘できる。前者でいえば、・ 農業機械への過剰投資の問題、景気低迷による農外就労の困難化、農業後継者の問題など、農業生産を取り巻く状況が厳しくなったことが協同関係の再構築を促した。・ 混住化の進行によって、コミュニティとしての農村社会における住民間(農家間だけではなく)の新たな協同関係を構築する必要が生じた。③ 農村社会における高齢者福祉の問題が、地域社会全体が取り組まなければならない焦眉の課題となってきた。しかし、同時に新たな協同関係を再構築していく過程には、主体性というもう一つの側面が強く関与しており、従って、対応の仕方に地域的な差が生まれることになる。

 本論文の結論として、以下の三点を挙げることができる。第一に、従来の「いえ」、「むら」を中心とした農村社会学の理論は、近代化過程における農村社会の変化を十分に把握してきたとはいいがたい。これに対して、本論文で独自に提示された農村社会の変容モデルでは、「協同関係」という概念を導入し、そこに「高拘束性」/「低拘束性」の変数を掛け合わせ、「集団」―「個」関係という理論的問題を包摂することによって、従来の農村研究が包み隠してきた難点を取り除くことができた。第二に、農村研究ではほぼ定説のようにされてきた知見に反して、一九七〇年代初頭まで農村社会の根底的な部分で、高拘束性の協同関係が存続していた事実を見出し、そのことを理論的に解明した。第三に、近代化過程にともなう農村社会関係の変化の一連のプロセス、つまり、「集団」からの「個」の現出→「個」の肥大化→「個」と「集団」との調和、というプロセスを析出することができた。農村社会の近代化を考える上で、本論文で解明したこのプロセスは、一般性を持つと考えられる。

 本論文の全体を通して、筆者は、実態調査のデータに基づき、協同関係の変容モデルを構築しようとした。今後、本論文の成果を生かして、一九四九年以降の中国農村の社会変化について考察したいと思っている。さらに、協同関係の変容モデルを、中国を始めとするアジア国家の近代化過程の研究に適用・発展させることを目指している。

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