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博士論文要旨

論文題目:うねる、とけあう ―ケニア、初等聾学校の子供の体の動きを事例とした“共在”をめぐる人類学的研究―
著者:古川 優貴 (FURUKAWA, Yutaka)
博士号取得年月日:2012年6月29日

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 これまで聾(ろう)の人たちをめぐる主な研究では、聾の人たちが言語的マイノリティとして捉えられる傾向にあった。さらに「アフリカの聾の人」といった場合、「二重の意味で周縁化されたマイノリティである」と考えられることもあった。しかし、ケニアのリフトバレー州ナンディ県に所在する寄宿制K初等聾学校(以下、K聾学校)や聾の子供の帰省先に合計2年近く住み込んでフィールドワークを実施したことで、少なくともケニアの聾の子供をそうした視点で捉えることには限界があることに気づかされた。ケニアの聾の子供たちは、聾学校を出れば「聾の子供」として囲い込まれることなく、周囲の人たちと同様のやり方で日常を生きていた。その意味で、村では彼らの存在は目立たなかった。このことを本論文のタイトルにある「とけあう」ということばで表現した。
 本論文は、自身のフィールドワークの経験に基づき、ケニアの聾の子供たちと周囲の人たちが「とけあう」こと、すなわち“共在”を可能にしているのは何か、K聾学校の子供たちの日常のおしゃべりや歌、ダンスといった「コミュニケーション」のあり方について後述するimageを用いながら具体的に提示・考察することにより明らかにしたものである。
 ケニアの聾学校の子供たちが周囲の人たちと“共在している”ということについて考えるとき、はじめに議論しなければならないことは、想定されがちな「コミュニケーション問題」だった。具体的には、言語が違う者同士では軋轢が生じるという問題である。特に、音声言語を使えないとされる聾の人たちは歴史的に差別され周縁化されてきた。そのため、手話や聾の人たちを研究の対象とする場合、手話がいかに音声言語と同等の特徴をもっているかという議論が主流になっている。
 これについては、自身の別稿を参照しつつケニアでは手話も含め複数の言語が「混在している」ということを提示し、そうした問題は起き得ないということを明らかにした。通常、「多言語」は一つの共同体に一つの言語という意味で用いられる。そのため、集団間に軋轢を生じさせるといわれるのである。だが、ケニアでは一人の人が多言語を使用している。その使用の仕方も、言語が「混ざる」という状態だった。
 だが、「多言語が混在している」ということは、“共在”がどのように起きているかについて何一つ答えを与えてくれない。最小限度にでも、言語を共有していなければ、やはり「コミュニケーション問題」が起きると考えることが可能だからである。その場合、言語の学習過程は個人によって全く異なるはずで、どのようにして人が互いに「コミュニケーション」をとれるか疑問が残ってしまう。
 そこで、言語のみならずからだの動きに注目し、また言語行為とからだの動きとが融合しているとする「ポリモーダル」という概念を打ち出し、ケニアの聾学校の子供たちの日常の「やりとり」を分析した自身の更に別の論文を参照しつつ、それにも限界があったことに言及した。「ポリモーダル」という事態は、人類に普遍的に共通していることだからである。加えて、「ポリモーダル」とすることは、規範的言語モデルに依拠して、人々の「コミュニケーション」を分節化しているに過ぎず、この考え方にも限界があった。
 このような経緯を経て、“共在”がどのように起きているのか、それを可能にしているのは何か、について考えるならば、「言語」そのものを議論の対象にしなければならないという結論に至った。
 この考え方に基づいて、以下の構成で議論を積み重ねた。
 第1部は、構成全体で言うと、第1章の議論が第2章の議論の礎石に、第2章の議論が第3章の礎石になるような議論の展開になっている。
 第1部の内容について述べると、“とけあう”ということがどのように起きていると言えるかについて、主としてK聾学校の子供たちのからだの動きに注目しながら明らかにした。具体的には、言語のあり方から“おしゃべり”のあり方へ、“おしゃべり”のあり方から“ダンス”のあり方へ、と視点を移していきながら具体事例と共に議論を重ねていった。
 まず第1章で取り上げた課題は、言語が体系として人の言語行為から離れたところに予め存在するという、ソシュール言語学に代表される規範的言語学モデルに対する問題提起である。この課題について、第一に、K聾学校の新入生の一見「支離滅裂」に見えるキリスト教式の「祈り」における手の動きを事例に分析・検討した。第二に、聾学校の子供から繰り出される手の動きが意味のある「記号」となるには、その手の動きの中からあるまとまりを区切り出す“受け手”の存在が必要であることを明らかにした。第三に、“やりとり”が行われる場や目的、内容が限定された市場の値段交渉を事例に取り上げた。そこで、聾学校の卒業生と売り手との間で行われた“やりとり”を分析し、手の動きを「記号」として区切り出すことが文脈の限定された場でも不確定であるということを明らかにした。
 続く第2章では、第一に、日常の“おしゃべり”がいかに好き勝手に行われているか、K聾学校の教室内での5、6年生の“おしゃべり”を事例に検討した。第二に、子供たちの日常の“おしゃべり”との比較対象として、私が聾学校の子供たちに対して行ったインタビュー場面を取り上げ、分析した。第三に、第2章末に引き続き同じインタビューを事例にしつつ、ここまでの章・節で議論したことを踏まえ、“おしゃべり”の内容を解釈する過程で何が起きていると言えるのか、フィールドで撮った動画を見る私自身によるインタビュー内容の解釈過程を事例に検討した。
 最後に、第3章では、K聾学校の子供たちの“おしゃべり”や“ダンス”、村の人々の“歌”を分析し、次のことを検討した。一つ目は、“おしゃべり”、“ダンス”、“歌”を分けることの妥当性である。二つ目は、“おしゃべり”や“ダンス”や“歌”が「複数人」で行われているとき、それらを「各個人の行為の集積」として捉えることの妥当性である。言い換えれば、“おしゃべり”や“ダンス”や“歌”を、個人個人が行ったこととして還元することが可能なのだろうか、という問いを提示した。
 以上の手続きで、第1部では、私が“とけあう”という言い回しで表そうとしたことがどのように起きていると言えるのかを明らかにした。
 第2部では、まず第4章で、「かたり」をキーワードに、K聾学校のナーサリー学級の「物語り」の授業と、子供たちによるいわゆる“ごっこ遊び”の事例を記述し考察した。これにより、「かたる」ということと、いわゆる「自己」と「世界」のあり方との関係を明らかにした。つづく第5章では、記述の仕方を変えつつ、「かたる」ということをテーマにフィールドワークでのさまざまな「出来事」をエピソード群として提示した。
 ここで、方法について述べておきたい。論述するにあたって用いたあらゆる表現の仕方(さまざまな形式の文章、静止画[本論文に掲載する“写真”は、すべてimageと記載した]、映像解析ソフトELANの画面)は、「事実の記述」ではなく、私のフィールドでの経験、“気づき”の過程――フィールドで起きたことに対する私の視座――を提示するための、いわば「だまし絵 trompe l'oeil」である。
 さまざまな「だまし絵trompe l'oeil」を用いながら展開した本論文は、オート・エスノグラフィである。しかし、本論の議論に沿っていうと、「私」は純然なる「私」ではない。“おしゃべり”は常に、私の前で私と共に展開していた。私がいない事例はどこにもなかった。記述した事例は全て、「子供たち/私」であり、それ以外の何者でもなかった。そして、本論で立てた問い、“とけあう”ということがどのように起きているのか、ということを記述すること、すなわち、語ることは、「ケニアの聾学校の子供たち」から私を引き離すと共に、「ケニアの聾学校の子供と一緒にいた〈私〉」からも私を引き離すことだった。
 このこと自体、第2部の議論そのものである。本論文全体を通じて、私は本論文を記述すること自体を議論の対象にした。本論文は、いわば、「ことばになりにくい対象」の記述をめぐる研究でもあり、また、そこから逆に「言語」というものについて再考する研究でもあり、またそれを行っている私自身の存在を再考する、いわば再帰的研究でもある。
 本論文の読み手は、論文内で提示したことすべてをたどることはなく、ときに読み飛ばし、見逃すこともあるだろう。この民族誌的経験を通じて、コモン・センスが裏切られつつも、ケニア、ナンディ県に所在する初等聾学校の子供/私の経験の輪郭がぼんやりと浮かび上がったなら、この論文を提出した目的が達せられたことになろう。

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