博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:アルチュセール思想の理論的構造と社会的生成
著者:福山 圭介 (FUKUYAMA, Keisuke)
博士号取得年月日:2012年3月14日

→審査要旨へ

 本論文の目的は、アルチュセール思想のプロブレマティーク(問題構成)を理論的側面と歴史的側面の二つの側面から明らかにすることである。この二つの側面というのには二重の意味がある。第一に、アルチュセールの主要著作そのものが「理論と歴史」という主題に関する「理論的」著作であるという点。この理論的なプロブレマティークを再構成することが本論文の第一の眼目である。第二に、その理論的問題構成が戦後フランス史のどのような局面に、いかに対応しているのかという、「歴史的」側面から考察することが二つめの眼目である。
考察の対象となるアルチュセールのテクストは、1965年に出版された二つの主著(『マルクスのために』および『資本論を読む』)を中心にした、構造主義全盛期のテクストである。より具体的には、「若きマルクスについて」が書かれた1961年から、「自己批判の諸要素」が書かれる1972年までの、およそ10年間である。もちろん、1960年以前および1972年以後のテクストに関しても、その内容がこの約10年間のプロブレマティークに関連する限りで参照されることになる。しかし何より本論文が示そうとするのは、この10年間のテクスト群が、主題や対象の構成においてある「統一性」を基盤としており(第1部)、さらにはその理論的統一性のもつ特性が、ある歴史的時代の社会構造の一面に対応している(第2部)ということである。
第1部はアルチュセールの理論的なプロブレマティークを対象とするが、その哲学的側面であれ、社会理論的側面であれ、ひとつの統一的な枠組みとして描くことが可能である、ということを示す。その統一性とは、G.ドゥルーズが著名な論文「何を構造主義として認めるか」で示したような、構造主義的な枠組みである。すなわち、反=人間主義、記号論的超越性、生成的な時間、空白の升目、実践の規準、といった主題系で構成される統一性である。こうした問題系がアルチュセールにおいては、ヘーゲルを批判するためにスピノザに依拠するなかで構築され、マルクス解釈からヘーゲル的原理を排除しようとする道筋のなかに表現される。第1部ではアルチュセールの理論的探究の動機が、とりわけこの構造主義的問題系のなかで解明される。すなわち、アルチュセールの思想において、「構造」および「時間」についての概念的展開が、「実践」という概念ないし領域に対していかなる関係にあるのか、という問いによって構成されるプロブレマティークである。アルチュセールが社会構造の理論家であること、つまり1965年の二つの著作では資本制生産の理論を、そして後にイデオロギー的上部構造の理論を構築しようとしたことは良く知られている。また彼が、ヘーゲルを批判しながら歴史的時間について考えた歴史の理論家であることも、同様に良く知られている。以上の二つのトピックは、アルチュセールの主要著作の大部分を占め、またその議論の高度な抽象性と超越論的な外観のために、一方で彼の批判者たちに「理論テロリズムの陰鬱で禁欲的な高僧」というイメージを与えたほどである。他方、アルチュセールの著作に親しんできた人のなかには、それら諸著作の外観に反して、アルチュセール自身が、具体的で現実的な実践に属するある領域に取り憑かれているのだという感触を持つ人々が少なからずいたことも確かである。今日では、彼の死後に出版された自伝『未来は長く続く』によって、アルチュセールの主観的意図としては、こうした感触が間違いではなかったことが明らかになっている。したがって、65年の二つの著作における抽象的で理論的な議論を、自伝において語られた具体的で実践に属する領域との関係のなかで、アルチュセールの主観的意図をも超えてひとつの客観的なプロブレマティークとして再構成することは、今日のアルチュセールの理論研究においても価値を持つ。
このような観点から、第1章では、ヘーゲルとスピノザの哲学的問題構成を参照しつつ、アルチュセールの議論を再構成した。アルチュセールの時間論を反ヘーゲル的時間論として提示し、その時間論が「具体/抽象」をめぐる認識論的・存在論的問題と表裏一体であることを示した。そのうえで、「具体的状況の具体的認識」を標榜する唯物論の立場から、アルチュセールがその存在論的基礎づけをスピノザ哲学に着想を得て構築しようとしていたことを論じた。こうして「スピノザ的永遠性」に基づいた構造主義的認識論・時間論が獲得されるわけだが、他方でこの理論構成は、反=主観主義的、反=経験主義的、超越的な特性を帯びており、とりわけイデオロギー論において「主体」概念が取り上げられる際に、「認識主体」という新たな未解決の問題を孕むことになる。こうしたアポリアを含みつつも統一性を備えた問いの構造を、哲学的プロブレマティークとして描き出した。すなわち、アルチュセールの構造主義的で反=人間主義的なマルクス解釈の純哲学的動機は、ヘーゲルの観念論的な歴史の、その根本原理に遡って、具体的なものを生みださないそのメカニズムを告発し、複合的全体から出発し固有の差異を認識する(「具体的状況の具体的分析」)ための認識原理を新しく作り上げようとしたということである。その際、彼はスピノザに依拠しつつ、「概念の概念」としての生産様式の概念とその結合様式の定義をたよりにして社会的全体性の概念を仕上げることで、さまざまなレベルにおける時間や実践の固有性が定義でき、本当の意味で具体的な認識が得られる。それは「主体」および「実践」に関してのアポリアを依然残してはいるが、それは「理論的実践」という概念によってかろうじて調停され、68年5月を経てアルチュセールの関心は徐々に現実的な社会分析へと向かうものの、本稿が関わる時期においてはまだその実践の対象は純理論的空間に係留されたままであり、しかしそこに固有の哲学的実践が見出されていることを論じた。
第2章では、『資本論を読む』の理論的内容を、『資本論』第1巻の概念体系に即して再構成した。実際、アルチュセールによって『資本論』に関して提起された問題のなかで最大のものはマルクスと古典派経済学との種差の問いである。とりわけ、商品論における労働の二側面という「決定的な軸点」、「労働の価値」および「労働力の価値」のあいだの種差、労働力の「独自の使用価値」、労働過程における「物質的諸条件」、不変資本と可変資本、および絶対的剰余価値と相対的剰余価値の区分。確かに、これらはすべて『資本論を読む』においては示唆するに留められた問題であり、アルチュセール自身は体系的な論証を行ったわけではない。本章では、アルチュセールの示唆を体系的に整理し直したうえで、彼の直接・間接の弟子たちのテクストのなかでも『資本論』第一巻体系を主題的に扱っているランシエール論文およびジャック・ビデ『資本論をどう読むか』を補足的に参照しながら、『資本論』第1巻の概念体系に基づいたプロブレマティークを明らかした。そしてこのプロブレマティークが、第1章で明らかにされた哲学的プロブレマティークと共通の特性を持った相同的な関係にあることが示された。第一に、商品価値の究極的原因でありながらその原因を指定できない「不在のX」としての全体的構造があり、その構造は部分要素としての各商品の関係の分析から換喩的・漸進的に構成される。この価値の原因たる社会構造そのものは、商品関係のみならず、『資本論』全体が分析するある社会の生産構造全体、さらにはそれが指示する政治的・文化的構造をも含意すること。第二に、その構造においては、これまで「人間=主体」プロブレマティークの中心的位置づけを与えられてきた労働過程は、「労働過程における物質的諸条件」という概念の持つ意義によってその地位を刷新される。労働手段は、経済的生産のなかで変形し加工される外部の自然との「取り組み方mode d’attaque」を決めることで、「生産様式」という構造論的概念を規定する。つまり、生産の社会関係は人間たちだけを舞台にのせるのではなくて、生産過程の担い手たちと生産過程の物質的諸条件を、独自に「結合させて」舞台にのせる。こうして「労働力、直接的生産者、直接的生産者でない主人、生産の対象、生産用具等々といった種々の要素を結合し、関係づけることによって、人間の歴史のなかに実在したし、実在しうるさまざまの生産様式を定義づける」という構造主義的マルクス主義の定式が出来上がる。アルチュセールの主張は、「概念の概念」としての生産様式の概念とその結合様式の定義をたよりにして社会的全体性の概念を仕上げることで、さまざまなレベルにおける時間や実践の固有性が定義でき、真の「具体的な」認識に至るということである。しかしながら、超=歴史的な「概念の概念」に関する一般性の身分の問いと、「最終審級」に関する脱構築可能性の問いが無視されている点で、アルチュセールの企ては最初の意図に反して新しい観念論のようになってしまう。こうしたアポリアも構造主義的プロブレマティークとして特徴づけられることを示した。
第2部では、第1部において構成された理論的プロブレマティークの持つ特性が、戦後フランス史における高等教育の空間と、フランス共産党という場における言説空間の中に構造的な対応関係を持っていることを示す。そうすることで、第1部の手法では明らかにならないようなアルチュセールの理論的探究の社会=政治的動機を解明する。構造主義の反=人間主義や科学主義は、フランスの高等教育の歴史におけるブルジョアジーのユマニスム(人文主義)や唯心論の伝統への反発という文脈に深く根付いている。またその記号論的超越性は、当時大衆的な支持を集め始めた新興経験科学に対する哲学の支配権を保持しようとする動機と不可分である。すなわちアルチュセール思想に体現された構造主義的プロブレマティークは、P.ブルデューの用語で言えば、文化資本においては通常以上に豊かでありながら、経済資本においてはその水準に見合わない中産階級の特定の層(F.リンガーの言う「マンダリン」)の特性が反映されている。
こうした観点から、第3章では、知識社会学の成果に依拠しつつ戦後フランスの高等教育制度の大変動を描き、この大変動を背景に、古典的ユマニスムと新興「科学」のあいだのヘゲモニーをめぐる19世紀以来の闘争がどのような局面を迎えたかを分析したうえで、次のことを示した。第一に、これら二つの対立陣営がそれぞれ、ブルジョアジーと中産階級という階級的出自に根ざしていること。第二に、この闘争のなかで、急速に台頭する科学の陣営に哲学を係留しようとする動きがあり、その動力学のなかで反=人間主義を掲げる構造主義が主要な役割を担ったこと。第三に、高等師範学校をその知的威光の主要な源泉とする哲学が、時には特定の新興科学と同盟関係を結び(人類学、言語学、精神分析)、別の経験科学に対してはその特権的地位を保持しようとして敵対したり(社会学、心理学)すること。第四に、こうした同盟・敵対関係の背景には、ブルデューが分析しているような文化資本のヒエラルキーがあること。アルチュセールが『哲学教育評論』誌上に書いた「哲学と人間科学」(1963年)という論文は、ノルマリアンの哲学教師アルチュセールがこうした動力学の渦中でどのようなポジションを取ったかを示す格好の資料として分析できる。これらの分析を通じて、第1部で示された理論的なプロブレマティークが高等教育をめぐる社会的空間の構造に対応するものであることが論証される。第一に、構造主義的プロブレマティークの反=人間主義的特性が、19世紀以来の教育制度における「学科をめぐる闘争」においてブロジョアジーの人文主義「オネット・オム(教養人)」の観念に敵対する形で、「シヤンス(科学)」の価値を主張する新しい知的階層の流れを汲むものであることであること。第二に、中等教育における古典語の地位に代表されるようなこうした問題が20世紀の大戦後にも引き続き顕著になって現れるなかで、「哲学」という人文科学の知が(特に高等師範学校という特殊な場を中心に)、一方で古典的人文主義との闘争を続けながら、他方で(高等教育の定員数的に、学部構成的に、カリキュラム的に)新興の諸科学によってその地位を脅かされ始め、アルチュセールのような構造主義者による特定の諸科学との同盟、別の諸科学との敵対が、純理論的問題とは別箇の社会的論理によっても分析されうること。つまり、反=経験主義、記号論的超越という理論的特性は、一方で第1章で見たような<アリストテレス-ヘーゲル-ヘーゲル左派-マルクス>という西洋の哲学的伝統の刷新という純理論的動機として出てきたものでありながら、同時に、とりわけ高等師範学校生の社会的軌跡がもたらす古典的教養の特権的なリソースを活用しつつ、大衆的な新興の諸科学に対して特権的な支配権を保持しようとする(おそらく「前=意識的」と言ってもよい)社会的動機としても解釈されうることを示した。
続いて第4章では、フランス共産党の中での論争や人間関係がいかなる政治的論理の対立を含んでいたかを分析することで、第1部で分析されたアルチュセール思想における「実践」の問題が、理論的問題でありながら同時に政治的問題でもあり、当時のフランス共産党を中心とする政治空間に特有の効果を有していたことを示した。すなわち、アルチュセールの「理論的実践」(至極簡単に言えば、抽象的な哲学理論探究が政治的実践になるということ)は、例えば学生運動においてはマルクス主義理論の「トレーニング」を施された彼の弟子たちの学生組織内での指導権を高め、共産党内部においては人間主義的マルクス主義を標榜するガロディ、カサノヴァら共産党右派の指導者たちの政治的権威を攻撃するうえで実際に効果を発揮したのである。例えば、『パンセ』誌に掲載された「『五月学生』に関するミシェル・ヴェレ論文について」(1969年)は、共産党員社会学者であるヴェレによる68年5月の分析に対する、アルチュセールによる批判論文であるが、アルチュセールの社会学に対する態度と5月の学生たちに対する態度の両方を分析することができる資料となっている。この資料をもとに、アルチュセールと彼の弟子たちの世代のあいだの共鳴・軋轢を描き、その背後にあるハビトゥスの差異を考察した。学生党員たちの多くがノルマリアンであり、さらにはエリート知識身分を構成する「遺産相続者たち」(教師の子息が多い)であり、アルチュセール自身のハビトゥスとは微妙に交わらないという点を手掛かりに、アルチュセールの立場の独自性を追求した。第一に、68年5月におけるアルチュセールの曖昧な態度から、第3章で構成されたような学的傾向とともに、彼の弟子たちと袂を分かつ独自のハビトゥスが垣間見れることである。つまり、M.ヴェレのような「心理社会学」的な分析に対してマルクス主義科学の優位を主張しつつ、さらには知的労働者層を含むカルチェ・ラタンの学生集団の多様性・大衆性を擁護しつつ、しかし同時に、学生の多くが労働者たちとは「波長が合わない」こと、とりわけヴェレが揶揄しているような特殊な修辞技法に卓越した一部の急進的な学生たちに対しては「左翼小児病」のレッテルを認めることも厭わず、5月革命の主体が労働者の運動にあるという共産党の公式テーゼを擁護したという事実にそれは求められる。第二に示されたのは、第1部で見たようなアルチュセールの「理論的実践」概念の、現実の政治における実際的な効果である。68年5月では、アルチュセールの下で学んだ学生たちがいくつかの局面で運動の主導権を握った。共産党内部の論争では、ガロディやカサノヴァら共産党右派との主導権闘争は、スターリニズムやマオイズムをめぐる論争という理論的形態をとって現れた。それは、ミッテランとの共同戦線を議題にしたシャルレティ集会に重要な影響力を持つほどになった。確かに、68年5月と文化大革命をめぐるゴーシスト達の熱狂を見て、アルチュセールの関心の対象は純哲学的な問題から、現実社会の直接的な分析へと徐々に向かっていくことになるが、本研究が中心的に考察した60年代のプロブレマティークにおける「理論的実践」の概念は、いかにそれが理論的抽象性の空間に留まろうとも、むしろ逆にそうした抽象性の高みに立つことによって、「現実を信じるために手で触れただけでは満足せず、現実に働きかけ、現実を変化させる」というアルチュセールの欲望を、実際の政治においてそれなりに満足させるだけの効果を持っていたことを示した。
以上のような考察をもって、ある思想の内在的論理構造と、外在的(社会=政治的)論理構造のあいだに対応関係を見出すという思想史研究の可能性を提示した。そこから得られる結論は決して「アルチュセール思想(ないし構造主義)は中産階級のイデオロギーだ」という悪しき意味での還元主義ではない。そうではなくて、第一に、そうした社会的特性に由来する論理が純哲学的空間においていかなる固有の論理を持ちうるかを理解し、第二にその哲学思想が社会構造に由来する論理とともに現実の歴史に対していかなる役割を果たしたのかを適切に評価することであり、第三に、そのうえで思想家固有の社会的出自が何であり、それがいかなる哲学的論理との対応関係を持つかという、時代性・全体性に還元されない思想家の「独自性」が理解できるということである。アルチュセール思想について言えば、彼の思想(ひいては彼が名を連ねる構造主義思想)が、一つの時代と密接に結びついていたということを示すことができる。それは大局的には、19世紀以来の西欧社会における近代化のプロジェクトのなかで、教育制度をめぐる階級間の闘争、戦後における教育の大衆化、帝国主義戦争と植民地問題、等々の「近代」という時代の希望と限界への深い反省を抽象的な仕方で表明している。アルチュセールやその周辺の人物たちが「シヤンス」の名において標榜したものは、確かに特殊フランス的な歴史に規定された面があり、またそれが理論的抽象性によって大衆的な経験科学に対する支配権を保持したという側面があったにせよ、同時に近代主義的な時間性と認識原理への反省として第三世界の科学的理解を深めることであったり、また西欧型福祉国家に対するアンチテーゼとしての中国革命への関心として現れた。彼らは、例えばヘーゲルのうちで何が近代主義的要素なのか、マルクスにおいては何がポスト=モダン的要素なのかについて彼らなりの答えを示すことで、レヴィ=ストロース以降の時代の要請、つまり特殊西洋的な思考を相対化する要請に応えたと言える。しかしながら、こうした第三世界に対する関心のごとき急進的・ディレッタント的な思想傾向は中産階級の一定の層に特徴的なものでもあるが、アルチュセールその人の思想傾向として見れば、彼は弟子たちのあいだの左翼急進主義に対しては距離を感じていた。68年5月の学生を擁護するのも、彼らの多くがディレッタント的用語を多用する急進的ゴーシストなどではなく、もっと素朴な大衆的層が中心だったという観点からであり、また彼が共産党に留まった理由も、党がCGTのような労働者大衆の組織によって支えられているという伝統的な信念からだった。こうしたアルチュセールに独自な傾向を理解するうえで、本研究で採用された歴史=社会的な分析視角が有効になるのである。

このページの一番上へ