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博士論文要旨

論文題目:「平成の大合併」をめぐる地方政治の社会学的研究 ――「国家のリスケーリング」論によるアプローチ――
著者:丸山 真央 (MARUYAMA, Masao)
博士号取得年月日:2012年1月11日

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1. 研究課題
 1990年代末から2000年代にかけて全国の基礎自治体で合併ブーム、いわゆる「平成の大合併」が起こった。こうした合併ブームは1880年代と1950年代にも起こっているが、1990年代末から2000年代の時期になぜ改めて起こったのか。本論文は個々の地域・自治体における地方政治に着目して、社会学の視座と方法からその要因を明らかにしたものである。
 「平成の大合併」を含めて市町村合併に関する研究はこれまで主に政治学、行政学、財政学、公共経済学、地理学などの分野で行われてきた。政治学や財政学の研究では、この「大合併」が、中央政府が「小さな政府」をめざしネオリベラルな制度・機構再編を行う一環として進められたことを明らかにしてきた。また公共経済学の研究は、そうした制度再編を背景として、生産力の低い地域、財政力の低い自治体ほど合併に向かったことを明らかにしてきた。このように従来の研究では、この合併の国家による主導的性格と経済・財政の構造要因が強調されてきた。
 しかし、「大合併」が強制力を伴って全国一律に進められたわけではなく、「大合併」後に全国に合併自治体と非合併自治体の「まだら」模様が出現したこと、あるいは財政力が低い自治体であっても非合併を選択した自治体が少なからずあったという現実は、従来の研究に限界を突きつける。戦後の地方自治は首長と議会の公選制度を基本として運営されるがゆえに、合併をめぐる地域・自治体の政治過程はそうしたパズルを解くカギを握っているはずだが、合併の地方政治の研究は、政治学と社会学のいずれの分野においても未開拓の現状にある。
 また、「大合併」のなかで基礎自治体が編入された地域で、合併後にどのようなローカルガバナンスがめざされ、それがどのような実態にあるのかについても、隣接分野も含めてまだ研究は始まったばかりの段階にある。そこで地方政治はどのような構造変化を経験しているのか。こうした点への関心は高まっているものの実証的な研究はまだ少ない。
 そこで本論文では、「平成の大合併」をめぐる地方政治に着目し、この合併ブームを進めた要因を明らかにするとともに、合併後のローカルガバナンスも視野に入れて、この「大合併」を契機としたローカルスケールのガバナンスの構造変化を実証的に明らかにすることをめざすこととした。
 ところで、今日こうした基礎自治体の地理的・組織的な再編が進められているのは日本に限られない。進度や方向性に違いはあっても先進資本主義諸国のみならず新興資本主義諸国でも同種の現象がみられるものである。またそれが単なる地理的再編にとどまらず、中央・地方政府間の制度関係や統治様式の再編を伴いながら進行している点も同様である。1990年代以降、批判的都市研究の分野では、こうした現象に対して「国家のリスケーリング(state rescaling)」の視座からアプローチする研究が広がりつつある。ここでいうスケールあるいはリスケーリングとは「グローバル」「ナショナル」「ローカル」などの地理的尺度やその再編を意味し、そうしたスケールが政治経済的・社会文化的にどのような過程を経て組織・再組織化されるのかを明らかにするものである。とくに「国家のリスケーリング」の研究は、国家の機構や権限や影響力が、地方自治体などの下位スケールの政治行政機構、国際機関や超国家機構といった上位スケールの政治行政機構と、どのように地理的スケール上、分業・組織化されているのか、またその機能や影響力がどのように下方・上方移転されるのかという国家のスケール的再編に関心をもつものである。「国家のリスケーリング」を含めて「リスケーリング」の政治的社会的過程への関心は、今日、社会学、地理学、政治学、政治経済学など学際的に議論される研究領域を形成しつつある。
 「平成の大合併」は、ローカルスケールのガバナンスの中心に制度的に位置する基礎自治体を地理的に再編して、新たな「ローカル」スケールの基礎自治体を整備しなおすという意味で、こうした「国家のリスケーリング」の一環として捉えることができる。そこで本論文では、「国家のリスケーリング」論の視座から、そのローカルスケールの政治過程にアプローチすることとした。
 本論文で事例としてとりあげたのは、静岡県浜松市を中心とする12市町村合併(2005年7月施行)である。浜松市は静岡県西部の中枢的な地方都市であり、国内有数の製造業集積地域として知られる。この合併は、「平成の大合併」のなかでも全国有数の合併関連市町村数の多い合併であり、合併の結果、都心地域から中山間地域までを含む全国第2位の面積の巨大な基礎自治体となった。本論文では、このうち「編入合併する側」の旧浜松市と「編入合併される側」の旧佐久間町をとりあげた。旧浜松市は製造業集積地域であるがゆえに、企業・経済界にみられる資本活動の地理的再編(リスケーリング)戦略が市町村合併という国家のリスケーリングとどのような関係にあるのかをみるうえで有益な対象と考えた。また旧佐久間町地域は、明治期以来、工業開発や資源開発など外部からの開発を相次いで経験し、戦後は第一次産業の崩壊と人口減少に悩まされてきた地域であり、中山間地域の典型例としてとりあげた。

2. 論文の構成と概要
 本論文は全4部で構成され、問題の所在と研究の視座・方法について述べた序章と第Ⅰ部「本論文の視座と方法」(第1・2章)、旧浜松市の合併過程の事例分析をした第Ⅱ部「編入合併する側の地方政治」(第3~5章)、旧佐久間町の合併過程の事例分析をした第Ⅲ部「編入合併される側の地方政治」(第6~8章)、旧佐久間町地域の合併後の地域社会を扱った第Ⅳ部「ポスト『平成の大合併』のローカルガバナンス――静岡県浜松市の旧佐久間町を事例に」(第9・10章)、全体の結論を述べた結章からなる。各部・各章の概要は以下のとおりである。

第Ⅰ部 本論文の視座と方法
 第1章「『国家のリスケーリング』としての『平成の大合併』――本論文の視座」では、「国家のリスケーリング」をめぐる議論を整理し、日本の事例分析における課題をまとめた。「スケール」や「リスケーリング」は地理学に由来する概念で、地図の縮尺を意味するものだが、1990年代以降、都市研究の世界にも導入された。そこでは、諸主体の行為や戦略が「グローバル」「リージョナル」「ナショナル」「ローカル/都市」といった各スケールでどう組織され、またそれがいかに再編されるのかの政治経済的・社会文化的な過程を問うための概念装置として彫琢されてきた。なかでも「国家のリスケーリング」は、国家の機構や権限や影響力が、別のスケールの政治行政機構に移譲されたり新しい領域組織が設立されたりする事象を記述・分析する概念として用いられるようになっている。こうした議論は、経済・政治統合が進む欧州の経験から彫琢されてきており、戦後西欧のフォーディズムとケインズ主義的福祉国家をモデルに検討されることが多い。それゆえ日本でこの議論を参照するにあたっては、現実のスケール的編成が欧州と大きく異なることや資本主義的生産様式・調整様式が異なることを視野に入れて分析する必要性があることを指摘した。
 第2章「『平成の大合併』をめぐる地方政治研究に向けて――本論文の方法」では、日本の「国家のリスケーリング」をめぐる地方政治の研究方法を検討し、本論文の分析枠組を示した。これまでの地方政治の研究方法史を概観すると、エリート主義と多元主義、人称権力論とネットワーク権力論、経済決定論と相対的自律性論など、いくつかの方法論的対立がみられたが、1980年代以降、ローカルスケールのガバナンスにかかわる諸アクターのネットワークを捉えるローカルレジーム論がそれまでの対立点・問題点をある程度克服するものとして登場し、標準的な研究方法となっている。本論文もこのレジーム分析の方法を基軸に据えるが、その際、近年のレジーム論でしばしば指摘されるように、地方政治のレジームが置かれている国家の制度条件を考慮して、レジーム分析の方法を再定式化した。本論文では、戦後日本の地方政治における主流的レジームを、開発主義国家において地域の経済的な開発・発展をめざして官民が協調することから「開発主義レジーム」と呼ぶこととし、これがそれぞれの地域・自治体でどのようなヴァリエーションをもって形成・展開されてきたのかをみることとした。またこれが「平成の大合併」にどう帰結するのか、またそこでレジームがどう再編されるのか。この点が以下の事例分析でのポイントとなることを示した。

第Ⅱ部 「編入合併する側」の地方政治――静岡県浜松市を事例に
 第Ⅱ部では、2005年7月の静岡県浜松市の12市町村合併において「編入合併する側」となった旧浜松市の地方政治を検討した。
 第3章「資本のリスケーリングと『グローカル』工業都市のリストラクチュアリング――『平成の大合併』の経済的基盤」では、旧浜松市が「平成の大合併」に向かう前提として、地域経済の構造転換があったことを明らかにした。官庁統計の分析によると、旧浜松市は製造業を基幹産業部門とするが、1970年代の構造危機以降、製造業就業人口比の低下が進んだ。しかしこれは単純な産業空洞化ではなかった。代表的な製造業大企業の動向を分析したところ、たしかに生産のグローバル化が進められてはいたが、他方で本社周辺地域への生産・研究開発機能の地理的集積も進められていた。こうした立地戦略はグローバル化とローカル化の同時並行的な進行という意味で「グローカル化」(E・スウィンゲドー)と呼ばれるが、1990年代に旧浜松市の地域経済で生じたのもこうした資本の活動・蓄積のグローカル化というリスケーリングであり、これに伴う地域経済の構造転換が、その後の「平成の大合併」の経済的な基盤条件となったと結論づけた。
 第4章「地方都市における開発主義レジームの形成――『平成の大合併』の政治的基盤」では、「平成の大合併」が推進される際の地方政治の権力構造が歴史的にどのように形成されてきたのかを明らかにするために、旧浜松市の戦後地方政治史を、1940年代末から1950年代に着目して、新聞記事や団体史を用いて明らかにした。戦後直後の戦災復興期には労資の鋭い政治対立がみられたが、1950年代に入って、都市化した周辺農村地域の編入合併が進み、地方政治の目標が戦災復興から経済開発へと移るなかで、地主層や農民層の影響力が低下し、一部の協調主義的な労働勢力が保守勢力と連合形成をするようになったことで、地方政治における地場資本家層の影響力が相対的に高まった。そしてこうした地方政治のレジームは、地域開発や企業立地によって経済開発を進め経済的利益を労資双方にもたらすことで安定的に運営されていった。その後、労働勢力が弱体化し、地場資本家層の中で産業部門により影響力の移動があったが、基本的にはこうしたレジームが2000年代まで続いた。そしてこれが「平成の大合併」政策を受容する際の地方政治の政治的基盤となったことを示した。
 第5章「都市自治体における市町村合併の政治過程――『新しい開発主義』としての『平成の大合併』」では、合併問題をめぐる地方経済界と地方政治家の動向を行政文書とヒアリング調査から明らかに跡づけた。地方経済界は1990年代以降、旧市域を超え出た広域経済圏が形成されるなかで、こうした圏域へのインフラ整備や産業政策の推進を要求するようになった。「平成の大合併」政策が登場すると、この政策を活用した政治対応をより強く求めるようになり、地方経済界は、広域経済圏に合致した基礎自治体への地理的再編とそれによる指定都市への昇格を求めて独自の合併構想を市長に突きつけるにいたった。市長は経済界の強力な支援で当選したこともあってこうした構想を徐々に受け入れたが、合併協議の途中、経済圏外の中山間地域の町村が加わることになり、経済界主導の合併構想は変質していった。合併の過程では、こうした関連市町村間の力学、地方政治家・行政官僚の思惑、制度的なバイアスが介在することで、経済合理的ではない結果がしばしば生じるが、浜松市の12市町村合併はまさにその典型であった。換言すれば、資本のスケール的編成と国家のそれにはしばしばこうしたズレが孕まれ、地方政治はその重要なアリーナとなることを示した。

第Ⅲ部 「編入合併される側」の地方政治――静岡県佐久間町を事例に
 第Ⅲ部では、2005年7月の静岡県浜松市の12市町村合併において「編入合併される側」のひとつとなった旧佐久間町の地方政治を検討した。
 第6章「中山間地域における開発主義レジームの形成――『外部依存』の歴史的経路」では、旧佐久間町地域が明治期から昭和戦後の復興期にかけて工業開発や資源開発など外部の開発を相次いで受け入れ、それにより開発主義レジームが形成されていった過程を、主に地方史の史資料を用いて明らかにした。この地域では幕藩期から明治期にかけて林業開発が積極的に行われたが、明治半ばに財閥資本の製紙工場が設置され、これに伴って近代工業の産業基盤や交通基盤が整備された。製紙資本は短期間で撤退したが、第二次世界大戦後の1950年代、こうした基盤の上に国家主導で大規模ダム・発電所が建設された。この水資源・電源開発は、地域の産業構造をそれまでの林業中心から第二次・第三次産業中心へと転換させた。そこでつくられた外部依存型の産業構造は内発的な経済発展を困難にし、その結果、外部からの開発が途切れると自生的な産業基盤が不在となり、人口流出を加速させることとなった。また地元自治体ではダム・発電所からの固定資産税の収入に依存する財政構造がつくられ、富裕な財源によって行政主導で保健・医療・福祉サービスを充実させることが可能になった。しかし固定資産税収入は減価償却に伴って年々減少し、次第に自治体の財政状況は厳しくなっていった。このような外部依存型の開発主義レジームは「平成の大合併」の国家政策が中山間地域で受容される際の基盤となったことを示した。
 第7章「中山間地域における市町村合併の政治過程――開発主義の帰結としての『平成の大合併』」では、旧佐久間町地域の開発主義レジームが、1990年代から2000年代初頭にかけて「平成の大合併」の国家政策に直面した際、どのような政策選択をさせたのかを、行政文書とヒアリング調査から明らかにした。外部依存型の産業構造は高齢化と人口減少を加速させ、それに伴って自治体の財政状況も次第に厳しいものとなった。1990年代末に「平成の大合併」の国家政策が登場した際、旧佐久間町は当初、隣町との合併を模索したが、政治的な思惑のズレから合併にはいたらなかった。2000年代に入って、「平成の大合併」政策が地方分権の「受け皿」整備から国家財政危機の克服へと目的を転轍させるなかで次第に小規模自治体への財政圧力を加えるようになると、自治体当局や議員たちは、自治体の存続は不可能であり合併は不可避と判断し、折から発表された旧浜松市の大規模合併構想に加わる道を選択した。この背景にあったのは、開発主義レジームによって形成されてきた地域の産業構造・政治構造・自治体財政構造であり、これによって自治体の自主自立の道や部分的な行政連携という選択肢が閉ざされたことを示した。
 第8章「『平成の大合併』をめぐる住民世論の構造」では、合併問題をめぐる旧佐久間町地域の住民世論を、合併問題が議論されている最中に実施した質問紙調査(20~89歳の男女を選挙人名簿で無作為抽出し、郵送で実施)のデータ分析から明らかにした。従来の地方政治の意識研究では、自治体政策に対する住民の態度に関して、社会的属性(とくに職業や土地所有)や集団参加(とくに産業団体)などによって世論の亀裂があるとされてきた。これに対して本章の分析の結果、合併をめぐる態度は、そうした属性や集団参加以上に、日常生活圏や日常生活上の「不安」意識といった要因が影響を与えたことを明らかにした。

第Ⅳ部 ポスト「平成の大合併」のローカルガバナンス――静岡県浜松市の旧佐久間町を事例に
 「平成の大合併」で基礎自治体が編入合併されたのは中山間地域の小規模自治体に多く、こうした地域では合併後、ローカルガバナンスの制度・組織の再構築が不可避となった。第Ⅳ部では、第Ⅲ部で検討した旧佐久間町地域を例に、「大合併」後のローカルガバナンスの制度・組織再構築の実践を明らかにした。その際、ローカルガバナンスの2つの側面、すなわち地域住民が「共通に必要としていながらそれぞれの個人的な力では調達できない共同的な役務」(公共サービス)の組織化と、地域という「まとまりを管理運営するための集合的な意思決定」(公共的な意思決定)のしくみという2側面(名和田是彦)に分けて検討した。
 第9章「合併後の公共サービスを誰が担うのか――『自治体代替型NPO』に着目して」では、「大合併」後の公共サービスの供給問題を、ヒアリング調査と行政資料から検討した。旧佐久間町地域では、合併前に自治体行政が展開していた独自サービス、とくに地域行事の運営を代替的に担うものとして、旧町の行政幹部、議員、諸団体のリーダー層の手で合併直前にNPOが設立された。このNPOは地域行事の運営に加えて、住民要望の強かった過疎地有償運送事業(「NPOタクシー」)や惣菜店・食堂の運営も手がけるようになった。このNPOを中心とする合併後の公共サービス供給システムを、「福祉トライアングル」モデル(V・ペストフ)に即して整理し、次の点を明らかにした。第1は、「大合併」後の公共サービス供給でのサードセクターの役割の重要性である。中山間地域では、政府セクターと市場セクターが退出し、また家族や集落といった共同体機能が弱体化したが、そこでサードセクターは地域課題の解決で一定の役割を果たしている。しかし第2に、サードセクターは資源動員の強制力の不在、非営利性による財政不安定性、共同性と正統性の弱さなど原理的な限界も孕んでおり、既存諸セクターの役割の再建が同時に不可欠であることを指摘して章を閉じた。
 第10章「多スケール型ガバナンスの構想と現実」では、「大合併」後の地域社会の公共的な意思決定のしくみを検討した。合併でできた新しい浜松市は、地方自治法で新設された「地域自治区」を旧市町村単位で設置し、政令市昇格後には行政区を設置し、それも「地域自治区」とした。つまり合併新市、区、旧市町村という複数の地理的スケールのガバナンスの制度・組織が整備された。合併後に旧佐久間町地域の住民を対象に行った質問紙調査(20~89歳の男女を選挙人名簿から無作為抽出し、郵送で実施)のデータ分析の結果、こうしたガバナンスのうち、公共サービスの供給を担う制度・組織についてはどのスケールでもそれなりに住民の関心を集めることができているが、公共的な意思決定の場については、旧町スケール(地域自治区)と新市スケール(市議会)への住民の関心が育ちつつある一方、区という新しいスケール(区地域協議会)については住民の関心が集まっておらず、多スケール型のガバナンスはまだ確立途上であることを示した。しかし浜松市は、合併から5年を経て、こうした多スケール型ガバナンスについて経費節減の観点から再編に着手し、旧町スケールの制度・組織について、地域住民の根強い抵抗を押しのけて廃止に踏み切った。それゆえ、多スケール型ガバナンスの構想は道半ばで挫折したが、さらなる新たなガバナンスがどう定着するかは今後時間を置いて分析する必要があると述べてまとめとした。

3. 結論
 結章では、各章の議論を要約したうえで、本論文の結論を以下の3点にまとめた。
 第1に、従来の合併研究では国家・中央政府の主導的役割や財政構造の影響が強調されてきたが、本論文では「平成の大合併」における地方政治の過程に注目し、地域・自治体の合併・非合併の判断における地方政治の重要な位置を示した。合併をめぐる政治的意思決定は、戦後つくられてきた開発主義レジームの歴史的経路の上で行われたがゆえに、レジームの拘束を受けざるをえなかった。またこうしたレジームの拘束は、「大合併」後のローカルガバナンスの制度構造にも影響を及ぼしていた。
 第2に、開発主義レジームは1990年代以降、外生的・内生的両面の変化によってレジームの持続が危機に陥ったが、ではローカルレジームの危機はなぜ「合併」という解に帰結したのか。一般的にいえば、資本主義社会における地域・都市統治のローカルレジームが蓄積危機や社会的調整の危機に直面してレジームそのものを再編しなければならなくなったためである。企業活動の「グローカル化」にみられる資本のリスケーリングは、従来の「ローカル」という地理的スケールの調整機構である基礎自治体に再編を求めるようになった。他方、「国家のリスケーリング」戦略は、国民国家においてはネオリベラルな「小さな政府」をめざすうえで必要とされたが、地方自治体にあっては、ローカルレジームの危機をスケール的に転移させるものとして要請されることになった。つまり市町村合併とは、国家のローカルな機構(local state)としての基礎自治体の危機の「スケール的固定/回避」(N・ブレナー)の戦略であり、「平成の大合併」という全国的な合併ブームを進めた「下からの契機」はこうした点にあった。
 第3に、ローカルレジームの危機は合併に帰結したが、そこで新たに生まれた基礎自治体のスケール的編成は、資本の新たなスケール的編成と必ずしも合致するものではなかった。国家のリスケーリングのローカルな過程で、地方政治家の思惑や行財政の制度的バイアスが入り込み、国家のスケール的な再編はそれ自体相対的に自律したものとして進められた。それゆえ資本のスケール的編成と国家のそれは一致しない結果となったし、合併で生まれた新たな基礎自治体は、新たな蓄積危機や社会的調整において十分な役割を果たせない、さらなる危機管理の危機の恐れを孕むことにもなった。ここからは、都市内分権やさらなる合併・道州制といった構想はこうした危機に対応するものとして今後政治・政策争点化する可能性が示唆されるが、その分析は今後の継続的な研究課題とすると述べて、本論文のまとめとした。

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