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博士論文要旨

論文題目:近現代ハワイにおける日系宗教の展開と故国『日本』
著者:高橋 典史 (TAKAHASHI Norihito)
博士号取得年月日:2011年5月18日

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○目次
序章 研究の目的と方法
第1章 理論的前提
第2章 近代ハワイの日系移民社会と日系宗教の多元性
第3章 日系仏教のハワイ布教の展開と大戦後の復興
 補論(1)ハワイ日系移民社会における神社神道の歴史
第4章 20世紀初頭のハワイ日系仏教の〈二重のナショナリズム〉
第5章 ハワイ日系仏教における故国日本
第6章 日系新宗教の海外布教の展開とハワイ――ハワイの天理教のばあい
第7章 ハワイ日系新宗教における信仰継承――天理教の教会長を事例に
第8章 現代日系宗教のハワイ布教の課題と模索――日系人宗教者の現地育成に注目して
 補論(2)ハワイ開教100周年を迎えた日系宗教 
終章 結論
 補遺(1)バーガーの宗教社会学理論の基本構成
 補遺(2)日系移民キリスト者と日本ナショナリズム

 本論文は、近現代においてハワイという異文化環境へ参入・適応してきた日系宗教と、それらと同様に越境してきた移民集団との関係性の現在に至るまでの歴史を、両者の「ホームランド」=「日本」との物心の関わりに注目しつつ考察したものである。
 そもそも、これまでの海外日系宗教に関する研究は、東アジア地域を中心とするものとハワイ・南北アメリカ大陸を中心とするものに二分されてきた。また、ハワイ・北米の日系宗教研究についていえば、日系宗教の活動は第二次世界大戦後も存続してきたにもかかわらず、第二次世界大戦以前の時期に注目するものが多かった。もちろん、それぞれの分野において重要な研究成果が提出されてきたのであるが、そうした研究対象の「棲み分け」というものは、近現代を通じて展開してきた日系宗教の海外布教の全体像じたいを、見えにくくしてしまう恐れがあることは否定できない。
 本論文ではこうした課題を乗り越えるため、日系宗教のいずれの海外地域における活動にとっても不可欠なものであった日本との関係性に着目しながら、ハワイという地域における各教団の展開とそれに関わる人びとの意識や心情の変遷を考察した。そうすることによって、日系宗教の各教団のハワイにおける布教とそれぞれの海外布教の全体像との関係性を検討しやすくなり、また今後、複数の海外地域間や異なる教団間の事例の比較研究への道も開けていくと考えられる。
 まず、序章では、研究の目的、方法、視点、先行研究の検討、論文の構成などの本論文の前提となる基本事項を明示した。そして、本論文全体を通じた研究の目的として、日系宗教の海外布教研究という立場を基調にしつつ、19世紀後半から現代までに至るハワイにおける日系宗教(既成仏教の浄土真宗本願寺派、浄土宗、曹洞宗、新宗教の天理教、金光教など)の組織・運動展開と、そこに関わる人びとの「メンタリティ」の歴史的な変遷を、ハワイ・アメリカ社会の状況だけでなく、「ホームランド」である「日本」との関係性のなかで検討することを設定した。
 第1章において行ったのは、多元社会における宗教と諸個人を考えていくうえで有効と考えられるパースペクティヴの提出であった。そして、本論文では、研究の理論的な前提となる2つのパースペクティヴを提起した。
 第一のパースペクティヴは、多元社会における宗教の〈マクロ‐メゾ‐ミクロ〉の3つのレベルの位相である。宗教的な寡占状態になく、宗教市場が成立している多元社会のばあい、〈マクロ-メゾ・レベル〉における諸宗教は、複数の宗教的ないし非宗教的なライバルたちと競合関係にあると想定しうる。一方、〈メゾ-ミクロ・レベル〉においては、宗教集団と諸個人は信者家族内での社会化や入信などで関係し合い、さらに、ある集団の成員である諸個人は、その宗教の社会的構成に参加するのである。そして、本論文では、ハワイおよび当地の日系移民社会も多元社会とみなし、そこには多様な宗教やイデオロギーが競合する「市場」が存在してきたとみなした。それゆえ、個々の日系移民たちは、さまざまなコンテクストのもとで特定の宗教集団に関与してきたものと想定した。
 第二のパースペクティヴは、諸個人の社会的アイデンティティの多重性とメンタリティへの注目であった。本論文では、ハワイの日系宗教に関わってきた人びとの社会的なアイデンティティの多重性を重視する一方で、アイデンティティのようには明示化されきれない、集団レベルで共有されていた意識、心情、気分といったものを「メンタリティ」と規定した。そして、言語化能力に卓越した宗教指導者たちを、彼らのもとに集う人びとが共有していたメンタリティを代弁する存在とみなすこととした。
 第2章では、本論文の研究上の与件である近代におけるハワイ社会およびハワイの日系移民社会の歴史と、日系宗教の諸教団のハワイにおける布教の端緒について、主として先行研究の成果から論じた。日系宗教については、日本人移民たちの後を追うがごとく、各教団がハワイへと到来した。19世紀末からは日系仏教や神社神道が、排日論が高まる1920年代以降には天理教や金光教といった「古手」の新宗教教団が、そして、第二次世界大戦後にはおもだった新宗教教団がハワイで活動を開始していった。その結果、本派本願寺のようにきわめて規模が大きい教団は存在したものの、ハワイには主要な日系宗教教団が出揃い、それぞれが競合・共存しつつ活動を展開してきたのである。そして、それは、日系移民社会内の宗教構造の多元性を示していると指摘した。
 第3章においては、19世紀末から第二次世界大戦後の復興期までの、ハワイにおける日系仏教の展開を、日系仏教の海外布教全般の流れを踏まえつつ論じた(ハワイの日系宗教の〈マクロ-メゾ・レベル〉の位相)。そもそも、日系仏教の海外布教は、近代日本国家の海外進出の趨勢のなかで開始された。ただし、その主たる布教対象は在外邦人であった。そのため、ハワイ布教に着手した日系仏教の諸宗派もその例外ではなく、日系移民たちのエスニック・チャーチとして展開・定着していった。しかし、排日論にともなう仏教批判の展開、日米関係の悪化や、現地生まれの日系人の増加といった外部的な要因もあり、日系仏教は、組織や活動形態のアメリカ化を進展させていくことで、ハワイ社会へ適応しようとしていった。それゆえ、日系仏教は、日系社会におけるエスニック・チャーチとしての役割を担う一方で、日系移民社会の外部に対しては普遍的な意義を持った宗教として自己を提示しなければならなかった。
 日系仏教はそうしたアンビバレントな状況下で、1941年12月の日米開戦を迎える。そして、敵国日本と結びついた存在としてアメリカ当局から警戒されていた日系仏教は、厳しい抑圧のもとに置かれることとなる(それは、日系仏教のエスニック・チャーチとしての社会的な正当性が、当時のアメリカの一般社会においては認められていなかったことを示している)。
 大戦後、ハワイの日系仏教では、現地社会への適応の必要性からアメリカ化のためのさまざまな取り組みが活発化する。その一方で、エスニック文化の再活性化が起こった日系移民社会内のエスニック・チャーチとしての日系仏教の役割も持続していった。そうした複雑なプロセスのなかで、日系仏教はアメリカ社会における正当なエスニック・チャーチとして定着していったのである。ただし、その後もハワイの日系仏教は、人的・経済的な面を中心に、ホームランドと結びついた「海外出張型/移民依存タイプ」(宗教社会学者の井上順孝による類型)の教団としても現在に至っている。
 第4章では、20世紀前半のハワイにおいて、最大の日系宗教教団であった本派本願寺(浄土真宗本願寺派)の代表的な宗教指導者の言説の考察を通じて、当時の日系移民仏教徒たちが共有していたと考えられるナショナリズムに関わるメンタリティの変化を明らかにした(ハワイの日系宗教の〈メゾ-ミクロ・レベル〉の位相)。1910年代以降、ハワイの白人支配者層のあいだで高まっていくアメリカ化や排日の論議においては、仏教は批判の対象となっていった。そんななか、本派本願寺では組織・制度のアメリカ化を進めていっただけでなく、当時の教団の卓越したリーダーであった今村恵猛の言説においても、〈脱日本化〉の志向性が顕著となっていった。
 だが、いわゆる「排日移民法」の成立後の1920年代後半になると、アメリカ社会への適応の志向を基調としつつも、日本の文化ナショナリズムを強調するような主張が、今村の言説においては目立っていく。本論文では、このような今村のナショナリズムをめぐるメンタリティの変容が、関係悪化する日米の2つのナショナリズムと接合されうる仏教(浄土真宗)に依拠することによって、日米の〈二重のナショナリズム〉を主体的かつ状況適合的に使い分ける可能性を、日系移民信者たちに提供しようとする試みであったと論じた。そして、それは、1つの国家には回収されえない宗教と〈二重のナショナリズム〉の共生関係でもあったと指摘した。
 続く第5章においては、19世紀末から第二次世界大戦後にかけてのハワイの日系仏教における「ホームランド」=「日本」についてのメンタリティの変容を、日系仏教の関係者たちの幅広い言説の考察から析出した(ハワイの日系宗教の〈メゾ-ミクロ・レベル〉の位相)。19世紀末、日本からの移民たちを追って日系仏教のハワイ布教は始まった。日本の仏教界に存在していたキリスト教への対抗意識がその背後にはあり、異邦で苦闘する同胞の仏教徒たちを救済することがその目的であった。それゆえ、当時の日系仏教においてハワイ布教とは、ホームランドの延長線上に想定されていたといえる。
 しかしその後、日米関係は悪化していき、アメリカ国内においては日系移民たちに対するアメリカ化運動や排日運動が巻き起こった。一方、日本国内でも愛国主義的な風潮は強まっていった。こうした戦間期における諸言説からは、ホスト社会から排除・抑圧されていた日系移民仏教徒たちが、アメリカと日本という2つの国家の間隙において、日系仏教に依拠して自己定義しようとしていたことがうかがえる。すなわち、彼ら/彼女らは、移住先のホスト社会とホームランドの双方に接合可能な資源としての日系仏教に依拠することによって、対立する2つの国家に状況適合的に結びつく方法を探し求めていたといえる。
 そして、第二次世界大戦後の日系仏教の復興とは、大戦以前のありようそのものを再生しようとするものではなく、社会・経済的な上昇が進み、アメリカ市民であることが所与の前提となっていった日系人たちのメンタリティの変化に対応したものだった。それゆえ、この時期の日系仏教は、アメリカ社会において正当なエスニック・チャーチとして承認されることを志向していったものと解釈できる。しかし、それとともにホームランドに関わるような越境的な言説は減少していったのだった(もちろん、人的・経済的な面では、その後もホームランドとの関係は存続していったのであるが)。
 第6章と第7章では、ハワイの日系移民社会におけるエスニック・チャーチとして、20世紀初頭以来の歴史を有しながらも、それほど研究がなされてこなかった日系新宗教の天理教について取り上げた。
 第6章においては、20世紀初頭の天理教のハワイ布教の始まりから、第二次世界大戦後の復興期までの展開過程を論じた(ハワイの日系宗教の〈マクロ-メゾ・レベル〉の位相)。そもそも、近代における天理教のハワイ・北米布教は、同教による東アジアの植民地布教と密接に連関していた。それゆえ、ハワイ・アメリカ大陸といった日系移民の多数存在してきた地域と、東アジアの日本の植民地地域という2つ海外地域は、天理教という教団全体の近代における海外布教の動向からみれば、連続平面にあったとも考えられる。
 そして、天理教のハワイにおける展開には、日本の移民を多数送出した地域を基盤とした人的ネットワークの影響が大きかった。本論文では、そうした展開のあり方を、「同郷ネットワーク型展開」と名づけた。そして、大戦後の天理教は、現在に至るまで日系移民というエスニック集団に依拠したエスニック・チャーチとして存続してきたと論じた。
 第7章では、ハワイにおける日系新宗教のなかでも、日系人家族内における宗教者の信仰継承に比較的成功していると考えられる天理教の教会に関して、教会の「世襲」が行われた事例に共通して看取できる日系人宗教者たちのメンタリティを析出した(ハワイの日系宗教の〈メゾ-ミクロ・レベル〉の位相)。なぜ信仰継承というものが重要であるのかといえば、古くからハワイの日系移民社会と深く結びついてきた日系宗教教団が共通して抱えている課題が、ホスト社会への教団の受容・定着の段階から、教団の存続・継承の段階へとシフトしているためである。
 そこでは、世襲によって教会を引き継いだ日系人教会長たちが、いかなる契機で信仰に覚醒し、教会の継承を決意したのかをインタビュー調査のデータにもとづいて考察した。一般的なアメリカ人とそれほど大きく異ならずに育った彼らは、幼い頃より強い宗教的アイデンティティを持っていたとはいえず、教会を継承することを義務として育てられてもいなかった。しかし、多くのばあい、人生の転機となる経験を機に彼らの宗教的アイデンティティは覚醒した。そして、聖地「ぢば」(奈良県天理市内)への「おぢばがえり」での日本滞在による日本語の習得や日本語に堪能な配偶者との出会いが、彼らの信仰の深化と教会の継承の決意に対して積極的な影響を与えた。そして、このような宗教上のホームランド(聖地)への訪問と滞在を重視する天理教独特のシステムが、ハワイの日系人教会長たちに世襲の決意を促すメンタリティを醸成させるのに積極的に作用してきたと指摘した。
 第8章においては、20世紀前半からハワイにおいてエスニック・チャーチとして存続してきた日系宗教の現状を取り上げた。ハワイの日系宗教の現状に関しては、日系移民社会の変化にともなって、教勢の衰退に直面している教団が大半である。そこで本論文では、既成仏教の本派本願寺(それに加えて、浄土宗、曹洞宗)と新宗教の天理教および金光教が、そうした問題状況に対していかなる対応策を採っているのかについて、世代間の信仰継承に密接に関わる日系人宗教者の育成という点から探った。
 そして、日本側の海外布教体制も含めたうえで、これらの教団の日系人宗教者の現地育成への取り組みを考察した結果、既成仏教である本派本願寺は、宗門レベルで海外布教体制を改変し、宗教者の現地育成システムを構築していくことによって、非日系人も視野に入れた布教へと向かおうとしている。一方、新宗教の天理教(宗教者の現地での世襲が多い)と金光教(宗教者の日本からの派遣が多い)はともに、エスニック・チャーチの特徴を色濃く残していることを示した。
 本論文を締めくくる終章においては、まず各章を要約したうえで、近現代の日系宗教のハワイ布教(ハワイの日系宗教の〈マクロ-メゾ・レベル〉の位相)を検討し、ハワイにおける日系宗教の歴史を以下のように整理した。すなわち、大戦前の日本の海外領土獲得の趨勢の内にあっては、ハワイとはアジアに次ぐ副次的な布教対象の地域にすぎなかった。しかし、日本の敗戦にともなうアジア地域の喪失により、大戦後になるとハワイ布教の存在感は高まっていった。しかしながら、それ以前よりハワイの日系移民社会内で「エスニック宗教市場(ethnic religious market)」ともいうべき状況を構成していた日系宗教の大半の教団は、民族・文化的な多様性を増していく大戦後のハワイにあって、一定のアメリカ化は進めていったものの、一般社会レベルの宗教市場における非日系人信者の獲得には成功せず、また、世代交代の進展にともない既存の日系人信者のコミットメントも低下させていった。他方、ハワイ社会の宗教市場で「成功」していったのは、大戦後にハワイ布教を本格的に着手した「新手」の日系新宗教の一部のみであった。
 次に、ハワイへと越境した日系宗教の日系移民信者たちが有してきたメンタリティ(ハワイの日系宗教の〈メゾ-ミクロ・レベル〉の位相)についても、近代社会に生きる人びとが抱く「ノスタルジア」という視点から検討した。バーガーらにならうならば、近代という時代は広く人びとを「故郷喪失(homeless)」という状況へと追いやり、そこでは失われた安住の地を求めるノスタルジアのメンタリティが共有されてきた。現実に故郷を離れて海外へと渡っていった近代の移民たちのメンタリティは、こうした「故郷喪失者」たちのノスタルジアを代表するものであろう。そして、本論文では、日系の既成仏教のような移民社会におけるマジョリティの宗教集団は、ホームランドやエスニシティに関わる集合的なメンタリティに密接に関与する傾向が強い一方で、日系新宗教のようなマイノリティである宗教集団は、必ずしもそうした性格を有するものではないと指摘した。
 最後に、越境する集団の「ノスタルジア」という視点を糸口にして、宗教社会学という分野から、ハワイの日系宗教に関する研究を進めてきた筆者じしんのメンタリティを反省的に考察した。そして、「宗教と社会」をめぐる諸問題に取り組む研究一般に対して、「宗教の海外布教」、「宗教と移民」といった問題群が、いかに生産的な反省性と思索の深化に貢献するものであるかを論じで稿を結んだ。

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