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博士論文要旨

論文題目:変革期ベトナムの教育:その実践と歴史的展開
著者:ヴィ・ティ・ミン・チ (Vi Thi Minh Chi)
博士号取得年月日:1999年7月27日

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 本論文は、ベトナムにおける現代教育をめぐる問題の形成過程を歴史的に研究するものである。まず、現代教育の史的研究、つまり、教育理念が学校や民衆生活世界という現場で展開してきたこの50年間の過程を考察し、教育の特徴や社会変化に対する役割を検討する。つづいて、伝統-近代-現代という軸に即して、現代教育の封建主義的教育及び植民地主義教育の比較によって連続性に関する教育問題を引き出し、さらにその原因を伝統的な要素と現代教育の政策とのぶつかり合いの結果として究明する。言い換えれば、現代教育は既存の教育の影響から脱することができたのか、できなかったのか、またできなければなぜなのか、どのような結果を生じたのかなどを明らかにするのである。

 本論文の目次は次のようである。

序論 ベトナム教育の現状と研究課題

 1 課題意識.........................................................1
 2 先行研究の状況と問題点...........................................7
 3 研究の展開 ....................................................20
  研究視点........................................................20
  研究作業........................................................21
  研究手法と資料..................................................23
  論文構成........................................................25

第一部 現代教育の出発点 

 第一章 伝統的封建主義教育
 1 封建時代の教育..................................................28
 2 封建主義教育思想の失敗..........................................34 

 第二章 近代的植民地主義教育
 1 植民地主義教育の形成過程........................................51
 2 植民地主義教育制度の構造........................................57
 3 教育の特質......................................................65
 4 社会への影響....................................................85 

 第三章 文化綱領にみる現代教育の基本方針
 1 文化綱領の背景..................................................90
 2 文化綱領の内容..................................................93
 3 文化綱領の歴史的限界............................................95
 4 文化綱領にみられる現代教育の基本方針............................97

第二部 現代教育の展開過程

 第四章 ベトナム民主共和国の教育理念
 1 ベトナム民主共和国の登場という社会変動..........................99
 2 ベトナム民主共和国の教育理念...................................105
  文化水準向上と国民統合の成人教育...............................106
  新しい人間づくりの学校教育.....................................110
 3 教育における「民族化、大衆化、科学化」の原則...................132

 第五章 新しい教育の社会への登場と浸透
 1 成人教育.......................................................140
  識字運動の広まり..............................................140
  「大衆学務」と「文化補習」....................................146
  生涯学習と政治学習............................................152
 2 学校教育.......................................................166
  独立直後の学校教育における彌縫策としての変革(1945-1950).......167
  戦時中の学校教育の一時的改革(1950-1956).......................186
  社会主義化における学校教育の展開(1956-1975)...................205

第三部 現代教育の問題

 第六章 ベトナムにおける社会変化と教育発展一教育の非連続と連続
 1 伝統・近代教育の遺産...........................................236
  伝統としての封建主義教育.......................................236
  フランス植民地主義教育の近代性.................................238
  伝統・近代教育の遺産...........................................240
 2 現代教育と社会に対するその影響.................................246
 3 伝統・近代教育と現代教育との比較...............................258
  飛躍的発展にみられる相違点.....................................258
  伝統・近代教育によるインパクトとしての類似点...................268

 第七章 ベトナムにおける現代教育の問題
 1 教育問題の顕著化した1980年代教育改革...........................284
  改革の背景.....................................................284
  改革の内容と実施...............................................285
  改革の失敗と手直し.............................................292
 2 ベトナムにおける現代教育の問題.................................300
  教育と労働の結合の原理の空洞化.................................301
  犠牲にされた全面教育...........................................306
  教育究極目的と均衡を逸した教育構造.............................311
  矛盾した教育政策...............................................315

結論.................................................................323

  インタビュー調査の概要.............................................334
  インタビュー調査対象のリスト.......................................346

参考文献.............................................................347

1 問題の所在

 ベトナムでは1970年代の半ば頃まで教育は順調に拡大し1、独立確保という社会変化に大きな役割を果たしたと評価された。だが、1980年代に入って、国が統一され本格的に近代化の段階を迎えたとき、教育は低迷する兆候を示しはじめた。近代化のために教育に力が入れられ教育改革も行われたが、結果的にはそれは結実せず、1980年代の半ば頃には教育改革は失敗し、ベトナム教育は荒廃状態に陥った2。1986年~現在まで、状態を改善すべくさまざまな試みが行われたが、教育が低迷から抜け出したかどうかはまだ議論の的となっている。この低迷の原因は何か、どのようにすれば低迷から脱出できるのかを明らかにすることが今のベトナム教育の最大の課題であるが、それは現在までの教育の形成過程と切り離しては考えられないものである。低迷から脱出するという教育の変化、とりわけ内面的変化を引き起すことは、その内面への認識、すなわち教育に内在している問題やその問題の原点などを認識することに関わっているからである。デュルケームが「人は事物の性質を知る程度においてしか事物に対して有効に働きかけえない」3といったように、教育の形成・展開過程をたどり、教育の根底にある問題点に辿り着き、その解決こそが問われて、はじめて教育における根本的な変化が導かれると考える。また、「未来は即座にできあがるものではない。われわれは過去から受け継いだ素材によってしか未来を建設しえない」というデュルケームの発言によると、物事の発展過程には通常過去・現在・未来があり、未来は自らの過去及び現在と切り離すことはできず、かえって拘束される部分もあるのである。ベトナムの現代教育は1945年に登場したが、1945年以前も教育が空白状態だったわけではない。封建主義的教育が1000年以上、また植民地主義教育が80年以上存在していたため、それら旧教育のインパクトを免れることはまず考えられない。現代教育の抱えている問題が旧教育の遺産に起因しており、現代教育を変革するために、その教育の特徴や問題を明らかにしなければならないとすれば、その教育の実体と問題の形成過程を歴史的に研究する必要があると思われる。換言すれば、ベトナムの現代教育の問題は、教育史の全体像、さらには底辺からとらえることをしなければ解明されないのである。

2 先行研究の問題

 上述のように現在の教育課題を解決する鍵は、課題解決の方向性にインパクトを与えられる教育史研究にあるといえるが、これについてのベトナムの既存の研究には期待することができない。ベトナムにおける教育史研究は成果が十分に蓄積されていない分野であるし、その研究の枠組みに問題があるからである。教育史研究は1958年に始められたが、著作は数えられるほど少なかった。その中でベトナム教育研究の典型的な枠組みに基づいた、比較的まとまりのある研究は、『普通教育事業発展の35年間』(1980年)4である。「典型的な枠組み」とは、ベトナム教育の賛美であり、政治的評価であることを意味している。この枠組みの中で展開されたこの研究は、現在の教育が政府や政党のリーダーシップの下で成果を高め、民族独立の革命事業に大きな貢献をしたという公式的な評価を証明するために、教育の制度の成立、発展、変動の過程が詳細に記述されている。教育政策が政府や共産党、教育省の法令、決議、勅令、通達、指示などに具体化され、またそれを被る場である教育制度が民主化、平等化され、さらに勤労者の必要にあわせて、子どもの発達段階にふさわしい学校制度がつくられ、教師と生徒などの教育的関係を温情と人間性のあるものへ改善しようとする試みが重なり、教育が新しい社会建設の原動力になったと記された。こうした過去の賞賛に対して、現在明らかに存在している問題への言及は十分には行われず、その原因を戦争や経済の不況など教育の外因に負わせる単純な考え方が、問題の原点の解明に及ばなかったといえる。以上のように、同書は詳細に洗練された記述によって参考書や教育史研究の入門書として、また教育制度の起源に関するわかり易い解説書として有益なものであるが、現在の教育課題の解決に材料を提供してくれる史研究として満足のいくものとは言えない。賞賛や政治的評価の枠の中にとどまったこの研究は、光だけを見つめ、陰を見ようとしなかった。教育の実態をとらえた上で教育の内的構造がはらんでいる矛盾を明らかにすることなく、今日の課題解決にせまることは難しい。賛美は「放棄されるべき制度や形態に感傷的で非現実的な価値を付与し、結局変化を妨げるものとして機能」5するものであって、教育の原点や真実の姿を描き出すことは不可能であり、批判や反省から課題を正確に認識するのも難しい。

 また、政治史に偏ったこの研究には、教育を文化面から総括的に扱うことも欠けていた。つまり、制度的記述にとどまり、社会的文脈の正確な理解にもとづいた分析には至らなかった。史資料はほとんど制度や政策についてのものであるが、制度の裏、すなわちその背景にある実社会の人々の行動や考えなどを十分に吟味することはできなかった。また、制度改革の記述を考察し、教育の状況や実態の時期的変化を研究したが、その変化が生じたプロセスについてはほとんど明らかになっていない。政策の展開は政策を打ち出した主体(政府)とそれを受け入れ実施した主体(民衆)との相互関係に関わるが、その関係が協力的であるか抵抗的であるかということについての考察が欠落してしまい、その関係の性質が不明のままである。教育政策では、政府が決定し、現場で実施に移すという一方的な教育行政のプロセスのみが研究対象にされ、教育行政に携わらない人々の世界の研究は無視された。結果として、この研究は教育と社会との関係を明らかにできず、教育が社会に何らかの変化をもたらしたのか、教育の改善と社会の改善との間にどの様な関係があったのか、教育によって人々がどのように成長し、その生活はどのように変化したのか、などの過程を汲み上げることはできなかった。

 歴史の流れには連続・断続という双方を有しているはずだが、この研究は封建主義教育や植民地主義教育を研究の視野に入れなかったことから断続しか強調しなかったと言える。ベトナムの教育史研究では植民地主義教育が長い間空白期間として扱われ、本格的で客観的な研究の対象にされなかった。この研究においても、反動的教育としての植民地主義教育が数ページの中で言及されているが、その教育の実態は明らかにされず、現代教育への影響も不明であった。結局、長期的な歴史構造の中に位置づけた上で現代教育の形成・発展過程を社会的に検討することはできなかった。植民地主義教育と独立後の現代教育とが完全に断絶しているような印象を与えたこの研究では、ベトナム教育史の一貫性、連続性、そしてトータルな歴史像が見えず、現代教育の問題が歴史的に考察されなかったのである。

3 研究課題

 ベトナムにおける従来の教育史研究の問題点は、賞賛が主で批判が不足していたこと、政治史が多すぎて文化史が少なすぎたこと、制度史研究はあったが社会史はほとんど扱われなかったこと、また歴史研究では断絶を強調し、歴史の流れにおける連続性を見落してしまい、客観的かつ科学的な、しかも「実践的な帰結を容易に認知しうるような一つのまとまった研究」6とならなかったこと、といえる。こうした研究状況をふまえて、現在の教育を批判的かつ歴史的に研究したい。封建主義教育や植民地主義教育の影響を考察し、現代教育の制度についての叙述にとどまることなく、社会史研究の視点から制度史研究をすすめようとした。従来の教育史研究の枠組みを乗り越えるために、現代教育の問題の原因を、戦争や経済の不況などの外因に求めず、教育の内的構造、教育制度の底辺から引き出したい。つまり、現在の教育がどのようにして成立・定着し、そして混迷の状態に陥ったのか、さらに現在の混迷状態はどこに起因しているのか、その原因を明らかにするために教育の内的構造にメスを入れるべきであるという問題意識を前提にして、歴史にさかのぼって研究をすすめたい。というのは、第三次教育改革の失敗の原因を第二次、第一次教育改革、またその以前の植民地主義教育、封建主義教育までさかのぼり、その連続性を検討しなければならないと考えるからである。

 教育システムの構造の外面的で目に見える要素を挙げると、それは教育法令、教育施設設備、カリキュラム、教科書、教師、子どもなどである。デュルケームの言葉を借りれば、これらの要素は教育の<存在様式>と呼ばれるが、教育の存在様式は構成要素を単にプラスした集合体ではなく、相互作用の中にある諸要素の総体であり、有機的な結合体である。これらの存在様式の背後には各構成要素を関連づけて規制する、目に見えない結びつきのメカニズムがあるはずであり、ここではそれを内的構造とする。

 また、教育のイデオロギー、あるいは教育理念は、政府によって打ち出され、教育現場の人々に実現してほしいものであり、それらは教育現場の教育目標、カリキュラム、教授法などに具体化され、教師が伝え、生徒がそれを身につけ、教育成果がうまれるという過程を通じて実現される。しかし、実際の教育成果は必ずしも教育理念の意図に沿ったものとは限らない。学校教育を自らの目的に合わせて思いのままに形作る支配的集団の持つ権力を強調するウェーバーによれば、集団の利害が教育を支配する理念の決定にかかわっているので、一定の理念が決定される過程でさえも本質的に利害の対立を含んだものとなる。教育システムの基底には、それを構成する人間や組織の間に成立している既存権益の体系がある。この体系こそが教育の成果を支配するため、政府の教育イデオロギーを具体化する政策・制度とそれを被る人々との相互作用、相互関係、相互行為、あるいは利害関係、矛盾を検討することが必要である。これが解明されれば、教育の内的構造も明らかになり、教育成果を規定するメカニズムも解明されると考える。つまり、政府の指導理念に対して、人々はどのようして自分たちの利益に合わせて変え、政府の所期の目的とは別の方向に再編することがあるので、学校教育だけではなく、非組織的な教育の場を視野に入れ、すなわち人々の考え方、行動、価値観など民衆の生活世界にも焦点を当て解明する。人々に浸透してきた伝統的な教育観や教育への願望を明らかにし、それらは現在の教育の登場・定着によってどのように変化し、その教育に対する反応としてどのように変化したかを検討したい。人々の行動、対応の検討によって、教育思想がどのように受け入れられたか、どのように拒絶されたかということも明らかになると考える。このような検討による研究は、教育の内的構造の解明だけでなく、教育にかかわる人々の世界、すなわち教育と社会との関連性を解明することも可能と考える。

4 課題分析

 以上のように本論文は、ベトナムにおける現代教育を教育史の中の一つ連続体ととらえ、その内的構造にせまり検討しようとするものである。断絶性を重視した従来の研究と異なり、過去の教育と現在の教育に連続性があることを前提にし、封建主義・植民地主義教育の登場から現代教育が定着するまでの経過の基本的な要素がいかなるものであるか、現在の教育の深層に隠された問題や可能性がどのようなものであるか、それを根底から引き出し、明らかにしたい。この論文は三つに分けられ、まず第一部で現代教育の出発点や背景である1945年以前の共産党の教育方針、植民地主義教育、封建主義教育などの遺産を概略的に考察する。次に第二部で1945年以降の教育理念の内実や現場での展開過程を具体的に検討し、第三部で、第一部と第二部の結果を土台にし、1945年前後の教育を比較して歴史的な連続性、教育問題、そしてその歴史的原因を引き出す。

 第一部では、比較手法やインタビュー調査などの従来の研究とまったく異なった方法や資料で1945年以前の教育を考察する。まず、封建主義教育に関して、今までの研究ではベトナムの近代化初期における失敗は政府の貧弱さや儒教の無効さに起因すると主張されたが、なぜ、どのように無効であったか必ずしも解明されなかった。それに対して、本論では封建主義教育のベトナム特徴を洗い出すために日本の事例との比較を行なった。その結果、封建主義教育の思想である儒教に束縛されたベトナムの知識人は、思考における自律性、異文化への対応やその摂取、現実に対する柔軟さや変わり身の速さなどが不足していたことに起因することが明らかになった。つまり、封建主義教育は時代の変化に対応できるような人間を形成できないために歴史における役割を果たせず衰退し、1000余年独占していた地位を植民地主義教育にゆずらざるをえなかった。

 植民地主義教育に関しては、史資料の困難や従来の先入観を帯びた公式的な評価を乗り越えるため、筆者は1998年5月4日から28日にかけて、1912年から1945年の植民地時代に教師・生徒・学生であった、現代教育の指導者(副大臣)をはじめ大学教授、研究者、教育・文化・情報などの分野で活躍してきた人々などの11人にインタビュー調査を行った(参考資料参照)。ベトナムの歴史研究の中でもとくに一面的に見られていた植民地教育に関して、この種の素材を活用すること、すなわち人々の証言を歴史の解釈に生かす方法が用いられるのは初めてである。過去を知る体験者へのインタビュー調査からの資料によって、従来の研究では単なる反動的な植民地教育として扱われていたものが初めて生き生きした近代教育としての姿を現し、これまで知られていなかった面が見られるようになった。それは、従来強調されてきた植民地主義者の同化政策の下でのイデオロギー的教化という機能とともに、フランスの主知主義の影響による知育の機能をも植民地主義教育は合わせ持ち、とくに言葉や算数の教育が重視されていたのである。また、エリート中等教育では、教育の物的条件が整えられていた上、厳しい選抜試験を経たため、生徒の教養の質は高かった。教師・生徒双方のレベルの高さなどからエリート教育の環境での詰め込み式も、ある程度有効な方法であるとみなされるようになった。教化の機能に重点を置き、試験のみで評価を行い、受験勉強や詰め込み的教育を温存し<試験に強いタイプの人間>だけを養成したことに、封建主義教育及び植民地主義教育の共通点があることが明らかになった。いずれにせよ、植民地主義教育が封建主義教育を徐々に取り除きながら自らの地位を固め定着し、インタビュー対象のような、現代教育の担い手の人々の人格形成にかかわった7ため、その意味で現代教育の登場や発展にインパクトを与えたといえる。インタビューを受けた人たちに植民地教育を完全に否定した人が一人もいなかったということは、植民地主義者の利益に奉仕する植民地教育は、近代的な教育として封建主義教育に比べて社会の歴史的発展の要請に応えられる面をより多く持ち、当時植民地体制にあったベトナムの学習者の要求をも満たしたものであるといえるし、その意味において植民地主義教育の遺産がその教育を受けた学習者たちの中に存続しているといえる。換言すれば、その学習者たちを通じて後で登場した現代教育に植民地教育の遺産を無意識的に活用してしまう原因になったと考えられる。

 さらに、第一部の第三章では、独立後登場した現代教育の理念を規定する、独立以前に地下活動を行っていたベトナム共産党の「文化綱領」を検討し、そこに見られる教育方針を明らかにした。それは、ベトナムにおける教育の政策と実態を現在も支配する三本柱「民族化、民主化、科学化」である。

 第二部は1945年以降の教育の形成と展開過程を検討するが、まず第四章で新政府の打ち出した教育理念を再構成した。独立後「文化綱領」を実践する条件が整った状況の中で、新政府は教育理論の三本柱に基づいて新しい教育理念を掲げた。それは教授言語のベトナム語化や民族独立という課題達成に有益なカリキュラムの編成などに見られる「民族化」、教育の万人への普及や子どもの主体性の尊重などの「民主化」、そして教育と労働、理論と実践の結合などの「科学化」の原理の具体化である。この新しい教育理念について明らかになったことは二つある。第一は、植民地教育を払拭するという強い意志に支配されたため、植民地教育とはまったく異なった新しい教育原理、すなわち労働教育、集団主義教育、そして自民族中心主義と言ってもいいほどの民族性の強調を伴う教育理念が掲げられたことである。だが、旧教育の払拭という性急な意志から出発した教育理念であったため、その必要性は十分に説明されたが、実施の方策に関しては十分ではなかった。たとえば、教育と労働の結合、理論と実践の結びつきという教育理念は全面発達の人格形成に必要なもので<新しい教育のかなめ>であるとされたが、ではそれらをどのようにして実現するかについては明確には言及されず、結局、学校に労働を導入するということにとどまっていた。第二は、新しい教育理念では、教育が人々の権利と国家の課題達成の手段という二つの機能を有していたが、実際には教化を重視する後者の機能に傾斜していたことである。これは、思想的政治的道徳教育をきわめて重視していたことに示されている。ここで浮かび上がってきたのは、教育理念が社会体制の変化によってその中身を置き換えたが、その骨格自体はほとんど変わらなかったことである。たとえば、道徳教育の場合、内容は変わったが、道徳教育を重視する原則は変わらない。また、道徳的価値観についても、たとえば、封建時代においては民衆が王や役人に絶対に服従しなければならなかったが、新しい体制においては集団とイコールとされた政府や党に絶対に従わなければならず、その点では封建時代と事態は近似している。ただし、ベトナム民主共和国体制における侵略者との戦いの中では、国民個人と政府のねらいとが独立確保という課題で一致していたため、矛盾が表面化しなかった。しかし、戦争が終わり、独立確保を追求するという社会統合の強い拠り所が崩れ始めると、この道徳的価値観の要求すなわち個人の集団への埋没、絶対的な犠牲や服従などの矛盾が見えてくるようになった。人間が将来独立の主体として生き抜けるようになることを助成する行為が教育であるとすれば、それに反して上述の教育理念は個人の個性が集団に融合する従属的な性格に傾くように助成することになってしまう。

 次に第五章では教育理念が現場で展開された過程、すなわちその教育理念に支えられた教育制度の登場、定着そして混迷の過程を検討しているが、資料については一次史料、すなわち教育に関する勅令や決議、通達などの行政的な書簡、そして現場のタイプによるレポート(公表されていないもの)、正式な統計などに加え、インタビュー調査資料及び文学資料が加味として扱われている。つまり、従来の教育制度史研究の枠にとどまらず、教育に対する人々の考え方、価値観、そして反応などの検討によって教育制度史を社会的に研究するために、体験者の回想や当時の社会主義建設のリアリズムの諸相を体現する小説や伝記、そして人々の価値観を表す諺、標語、熟語などを用いた。これらの資料から1945年以降の教育がその以前の教育と比して飛躍的発展を遂げたことが明らかになった。成人教育の場合、急速に広まった識字運動や文化補習などによって無知の弊害は克服され、国民全体の教育レベルは向上した。学校教育では、普通学校から専門学校及び高等教育における就学者が急増し、教育機会の不平等の克服、子どもの学習権の確保などが実現されるようになった。新しい教育理念の民主主義教育、労働教育、集団主義教育などは成人教育及び学校教育の普及、学校への労働導入、そして道徳教育や、学校内外の諸団体の集団活動などによって一定の実現がなされてきた。しかし、新しい教育理念が現場で導入される過程は順調なことばかりではなかった。教師や親の反応や知識人による反発事件など、従来の研究で見落とされたことを検討の対象として、教育理念と実践との往復関係を解明した。結果として、表面的には順調に発展してきた現代教育の深部に問題点が潜在していることが明らかになった。

 第三部では、本論文の目的である現代教育の抱えている問題とその歴史的な原因の究明を行う。第六章では、1945年を軸にして教育史における連続性と断続性を解明する。まず、封建主義教育と植民地主義教育である1945年以前の教育の遺産すなわち特質を整理して確認した。一方で、1945年以降の教育が社会変化に対して果たした役割の検討によって、この教育が飛躍的な発展を遂げたことを確認した。次にこの発展の内容及び発展を遂げられなかった点をを具体的に明らかにするため、すでに整理・確認してきたものを素材にして、1945年以降の教育をそれ以前の教育の遺産と比較して相違点と類似点を浮上させ、ベトナム教育史における断続性と連続性を描き出した。結果として、植民地主義教育の影響を無視してきた従来の研究の枠組みでは解明できなかった類似点(=歴史の連続性)すなわち1945年以降の教育が新しい教育理念に基づいて意識的に新しく創られたが、その教育の究極目的からカリキュラムや方法、そして教育行政も、既存の教育の再生を避けられなかった、あるいは無意識的に旧教育の遺産を引き継いだことが読み取れた。より具体的に述べると、現代教育では労働と教育の結合や全面教育といった新しい教育理念の導入が表面的なものにとどまり、実際に骸骨として持続してきただけであった。

 第七章では、現代教育の問題を考察したが、まず1945年以降はらんできた教育問題は1980年代に教育改革の失敗によって顕在化したことを解明し、次に教育問題を明らかにしながらその原因を考察した。教育問題は、戦争などの外的要因に負わせたり、二義的に言及したりしてきた従来研究とは異なり、これまで現代教育を歴史的に厳密に検討してきた結果から教育の根底に引き出された矛盾として浮かび上がってきたものである。つまり、現代教育は<変化しつつある社会においても相変わらず古い学校のモデルを活用した>という大きな矛盾を抱えているのである。植民地教育をはじめとした既存の教育を払拭しようという強い決意に対して、その代わりに創ろうとしたまったく新しい教育像が具体的にどのようなものであるかは決して明瞭ではなかった。それゆえ、新しい教育を形成する際、既存の教育の欠点を乗り越えるために、時には極端で無理な政策が実施され、あるいは逆に無意識のうちに既存の教育の遺産が受け継がれてしまったのである。

5 結論

 最後に結論として現代教育の最大課題、すなわち今後の教育改革の方向性や可能性に対して、歴史研究の与え得る示唆について考える。1945年以降の教育が形成・展開した過程のメカニズムを確認し、そこから生じた基本的な問題の原点を整理する。教育を伝統との断絶、社会の要請への従属変数としてきた従来研究では浮上されられなかった教育の連続性や自律性を、歴史研究による示唆として確認する。そして、明らかにされる教育問題の原点と歴史研究による示唆を通じて今後の教育改革の可能性を検討する。

 まず、1945年以前の旧教育の遺産に対照して1945年以降の現代教育の実像を洗いなおした結果から明らかになったのは、現代教育が表面的には旧教育から脱皮したもののように見えたものの、内面的には近似していることである。たとえば、教育目標は、明示されたものに関しては両者はまったく異質のものであったが、究極的には試験のみによる選抜を通じて体制の維持・強化に必要な官吏や幹部職員などの人材を養成するという共通点があった。また、体制を支えるイデオロギーの教化によって国民統合を実施するという機能は、旧教育でも現代教育も重視された。このような人材養成や国民統合を重視した結果、現代教育は旧教育と同様に現実には個の自己実現や自立を許さず、命令に服従する人格の形成を重んじ、集団への協調を促すようになり、教育の動機づけや労働及び集団主義に対する考え方などの価値観を十分に変えることはできなかった。教育への動機が変わらなかったことによって、現代教育の最大の成果である義務教育も全ての国民の意識にしっかりと植えつけられなかった。中退問題は解決されず、義務制が人々の心に浸透してゆくことなく、義務教育は依然として未整備なのである。

 このように、幹部養成及び個人の立身出世志向という教育の究極目的が、教育の全ての構成要素を規定してしまったことが読み取れた。換言すれば、現代教育の内的構造は過去の遺産である教育の究極目的と新しい教育理念に基づいた要素とのコンビネーションであり、その内部において過去の遺産が新しい教育理念を不徹底にさせた、あるいは現代教育の理念が過去の遺産に適応するために不徹底になったということがいえる。これは、教育政策の結果が、教育にかかわる人々の教育をめぐる考えのフィルターを通して現れるからである。つまり、新しい教育理念を実現する政策を実施していた人々が植民地主義教育を受けていたために、彼らの教育についてのフィルターを通して具体化された新しい教育は植民地教育の遺産に支配されたのだ。たとえば新しい教育における道徳性は伝統教育の遺産でもあり、教育をめぐる考え方のフィルターにかなり幾重にも刷り込まれているものであるといえる。

 このことは今後の教育改革を考える上で教育発展の規則、すなわち過去との断続とともに、連続性を考慮しなければならないのを示唆してくれる。これらの規則をうまく調整・適用できるかどうかによって教育改革が成功するか否かが決定されると考える。連続性という規則を理解すると、革新の困難さや改革をめぐるジレンマがはっきり浮上してくる。無視することのできない客観的な規則である歴史の連続性に基づき、過去の遺産に対して慎重な姿勢をとる必要を感じる。過去の良い点を利用し生き延びさせて、悪い点を抑えつつ徐々に排除できるようにする方が、最初から無理にすべてを否定し払拭することを決めつける従来のやり方より、効果をあげられると考える。植民地主義教育は外から持ち込まれたものであったが、社会主義教育も同様にソ連の影響からもたされた異質の強烈な理念であり、こうした極端な変化は期せずして植民地教育ばかりでなく社会主義教育をも相対化させるようになったことに示されているといえるからである。

 筆者は現代教育問題を深刻なものと認識しているため、過去の教育史に遡及してその問題の原因の深部を解明しようとした。本論文ではこれまでの政治思想と不可分の賛美の教育史ではなく、教育における政治や改革がどのように実施されたかを批判的に考察することによって、それらがはらむ根本的な矛盾を析出するように努めた。従来の、教育の非連続性ばかりを強調する研究とは異なり、連続性をも析出し、改革や政策が意図せぬ結果を生み出したことも明らかにした。こうしたことを可能にしたのは、教育の内部構造の分析である。教育の内部構造の分析が意味するところは、一つは教育の問題構造の原因を、経済など教育の外の世界に求めるのではなく、教育の内部、つまり、カリキュラムや教授法、教員の質などの教育を成立させる諸要素及び諸要素間の関係のあり方に読みとることであり、もう一つは教育政策の結果は教育にかかわる人々の教育を考え(思想)のフィルターを通して現れると解釈するところにある。このような研究を通して、現代の教育問題の重要な部分を解明できたと考える。

  注

1 ベトナムの近代化初期、1945年ー1965年の20年間においては、教育は植民地時代と比べれば大きな量的発展を遂げた。植民地時代の最後の1945年に就学率はたかだか人口の2.6%であったが、ベトナム民主共和国の時代にはいると、1955年に8%、さらに1965年に18%へ増加したのである。識字率も1945年から1959年にかけて14年間のうち5%から93%への約90%も急増した。初等教育だけを採りあげてみれば、就学率は1945年から1967年までのおよそ20年間で8%から85%へ、すなわち77%も伸びたのである。

2 教育荒廃の集約的な例として、ますます深刻化した中退と教師の離職という現象が取り上げられる。まず、中退や留年は日に日に上昇し、初等教育の低学年まで広がっていった。教育省の1988年度の統計数によれば、北の農村と南農村の中退率がそれぞれ9.8%と19%と極端に多かった。もう一つは、教師の離職の現象であり、1985年に教壇を去った教員数は数万にのぼり、人々の胸を痛ませる社会問題として注目され、教員不足は緊急課題としてうかがわれてきた。

3 デュルケーム『教育と社会学』佐々木交賢訳、1976年、157ページ。

4 Vo Thuan Nho,"35 nam phat trien nganh Giao duc Pho thong", Nha xuat ban Giao duc, 1980.

5 M.Bカッツ著『階級・官僚制と学校』藤田英典他訳、有信堂高文社、1989年、56ページ。

6 デュルケーム、前掲書、157ページ。

7 レ・タン・コイ『比較教育学』行路社、1991年、430ページ。

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