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博士論文要旨

論文題目:A Place of Intersecting Movements: A Look at “Return” Migration and “Home” in the Context of the “Occupation” of Okinawa
著者:ジョハンナ・ズルエタ (Zulueta, Johanna Orgiles)
博士号取得年月日:2011年3月23日

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 本研究では、沖縄に居住している「フィリピン・ウチナーンチュ」(Philippine Uchin?nchu)「帰還」移民、とりわけフィリピンに移住していた沖縄人女性(以下、一世)と二世(沖縄の女性とフィリピンの男性の間に生まれた者)を分析の対象とする。「フィリピン・ウチナーンチュ」とは、フィリピンに移民した沖縄出身者あるいは沖縄系の人々を指す。彼ら/彼女らは沖縄出身・沖縄系というアイデンティティを主張し、ジャパニーズ・フィリピノあるいは日系人として注目されることを好まない。したがって、筆者は「フィリピン・ウチナーンチュ」というアイデンティティのカテゴリーを用い、日系フィリピン人という人々から区別する。
 
 「フィリピン・ウチナーンチュ」はフィリピンに渡った時期で戦前と前後に分けられ、世代によっても分けられる。彼ら/彼女らは一世、二世、三世と自らを呼んでおり、一世は沖縄出身者を指し、二世は沖縄出身者の片親とフィリピン人(*1)の片親を持つ人々を示しており、三世は沖縄出身者の祖父母を持つ人々などである。フィリピン以外の国のウチナーンチュと異なり、「フィリピン・ウチナーンチュ」には(一世を除く)、フィリピンと沖縄両方の血が流れている。 
 
 本研究では、沖縄に米軍基地が存続するゆえに、沖縄はいまだに「占領」下にあるという状況において、前述した「フィリピン・ウチナーンチュ」一世と二世の沖縄への「帰還」を分析する。この2つの「帰還」移民のグループは沖縄の移民に関する先行研究でもあまり注目されていない。しかしながら、これらのグループは独自の歴史と移動の経験を持ち、他の「帰還」移民と「帰還」のプロセスが異なっている。さらに、アメリカのコロニアリズムまたは「帝国主義的活動(imperialistic activity)」(Go 2007: 8)に関わる「占領」によって移動したことが、これらのグループの移動のひとつの特徴となっている。したがって、沖縄における移動・移民研究、また日比・沖比関係に関する研究として、この課題を取り上げることは重要である。
 
 「フィリピン・ウチナーンチュ」という歴史的・社会的エスニックアイデンティティは、戦前・戦後における沖縄とフィリピンの間の移民/移動によって創造された。20世紀初頭(1903年頃)、アメリカの植民地(*2)であったフィリピンには、契約移民労働者として、沖縄出身の人々が渡った。さらに、1903年から1941年にかけて、呼び寄せ移民と出稼ぎ移民として、フィリピンに移民するケースが見られるようになった。彼ら/彼女らは圧倒的に「個人的な移民」(individual migrants)であった。(Kaneshiro, in Nakasone 2002: 74)。この移動を「戦前移動」と呼ぶ。
 
 一方では、アメリカによる占領以来(1945年-1972年)、アジア地域の中で沖縄県は戦略的に重要な位置であるため、日本の約75%もの米軍基地が、国の領域の0.6%しか占めない沖縄にある(Hook and Siddle (eds.) 2003: 3)。それゆえ、米軍基地の建設するため、フィリピンの労働者が採用されていて、戦後直後、基地内の各種(高技能・非熟練・未熟練)の仕事にもフィリピン人が就いていた(約6,000人、90%は男性)(*3)(大野 1991: 243)。その当時、多くのフィリピン人男性は沖縄人女性と結婚したり、同棲したりしていた。フィリピン人男性の就労契約が切れると、彼らは妻と一緒に(子どもが生まれている場合は子どもも)フィリピンへ帰国した(*4)。そのフィリピン人男性と沖縄人の花嫁(大野 1991; Maehara 2001)の間に生まれた子は戦後生まれの二世と呼ばれる(Zulueta 2004, 2006)。本研究では、これらの移動を「戦後移動」と呼ぶ。前述したように、本研究では、戦後生まれの「フィリピン・ウチナーンチュ」二世と彼ら/彼女らの沖縄人の母親(一世)を分析の対象とする。
 
 そして、1990年に日本の移民法の改正とともに、日系ブラジル人「帰還」移民が増加した。主に、彼らは経済的な理由で、日本に「帰還」した。その傾向は80年代から見られる。一方、1970年代から「フィリピン・ウチナーンチュ」(一世と二世)は沖縄に「帰還」していた。当時のフィリピンの政治的・経済的不安定性のゆえ、彼ら/彼女らは「帰還」したのである。
 
 「フィリピン・ウチナーンチュ」一世の「帰還」移動には、「故郷に戻る」ことより、母としての義務というような理由が多く見られる。すなわち、子供(二世)の移動の決定によって彼女らも移動する傾向がある。二世が沖縄・日本本土へ働きに来た場合、母親も沖縄に戻ったという事例もある。「故郷」に対するノスタルジアより、彼女らの、二世と一緒に沖縄・日本本土に居住したいという願望がうかがわれる。それにもかかわらず、彼女らは必ずしも二世と一緒に暮らしているわけではない。何人かの「帰還」した一世は一人暮らしの存在である。他方、二世の「帰還」移動に関して、3つの主な理由が挙げられる:①日本国籍を取得すること、②より良い仕事に就くこと、③沖縄アイデンティティを模索することというものである(Zulueta 2008: 42)。結婚、勉強・研修、一世を沖縄に連れてくるためという理由もある。「帰還」した二世のほとんどは米軍基地に勤め、他の二世は教師、ビジネスマン、などであり、サービス業(レストラン、ホテル)で仕事を得ている者もいる。
 
 本研究では、これらの「フィリピン・ウチナーンチュ」の「帰還」は一時的(transitory)であると論じる。また、それらの「帰還」移民にとっての「home」は、彼ら/彼女らの社会的・構造的・グローバルな状況におけるアイデンティティ形成によって定義されていると考える。彼ら/彼女らはあちこちに移動するがゆえに、その移動は必ずしも「帰還」と「home」を結び付いているとは限らない。そして、「home」は場面により生じた構造(situational construct)であり、グローバル化の過程において、「home」という「意識の創造と想像」(伊豫谷 2007: 5)が変化しつつあり、「home」の意識は、自らのアイデンティティを加え、さらに変化していく。
 
 さらに、「フィリピン・ウチナーンチュ」の一時的な「帰還」は一世と二世のトランスマイグラント的な特徴と関連がある。彼ら/彼女らは国境を越え、各国民国家で活躍するとともに、様々な交流などに自らを織り込んでいる。彼ら/彼女らのトランスマイグラント的な存在は、自らの文化的・社会的資本によって支えている。
 
 従って、トランスマイグラント的活動をしている、二世にとっての「home」は(単数の)「home」ではなく、(複数の)「homes」である。むしろ、「home」は「roots」と「routes」に結び付いており、複数の「home」として示される。「Homeを作る」(“home-making”)というプロセスにおいて、「home」は創造され、また再創造されており、自らの過去・未来の「home」の観念と結び付られている。
 
 その上、これらの「帰還」移民は「占領の空間」に巻き込まれていると、筆者は論じる。「占領の空間」は、様々な行為者(国民国家など)が交流し、モノ、ヒト、などの流動の中で、これらの行為者の間の関係は必ずしも平等ではない。そして、経済的な理由からであるとは言っても、「帰還した」二世(ほとんどは米軍基地で働いている者)は、アジア太平洋におけるアメリカのヘゲモニーを維持する、「受動的共謀」(passive complicity)の位置にある。

 さらに、下記に各章の要旨を簡潔に述べる:

 序章では、本研究の背景と理論的枠組みを述べ、データ収集とインタビューで使用した研究方法を説明する。本章ではまた、軍事的占領による植民地主義(colonization through military occupation)の重要性を考察し、人の移動を分析する。そして、「帰還」の同質的想定を議論する上で、プロセスとしての「帰還」と、そのプロセスは移民が想像する「home」と結び付いていることを議論する。
 
 第一章【「帰還」移民と沖縄】では、移民研究に関する参考文献に注目し、本研究においての「home」と「帰還」の用い方との関連を述べる。そして、移民研究において、日系人・一世・二世というカテゴリーをどのように使用しているかを調べ、これらのカテゴリーの使い方を述べる。本章でも、「フィリピン・ウチナーンチュ」というカテゴリーを説明する。
 
 第二章【移動の交差する「場」としての沖縄―移動と占領―】では、人々の流入と流出の交差点としての沖縄に注目し、沖縄とフィリピンの間でなされた移動(戦前と戦後)を述べる。そして、沖縄への「帰還」を考察する。さらに、米軍による沖縄の占領を分析するうえで、「軍事植民地」という呼称は注目に値する。それに関連し、占領という単なる歴史的な出来事を再考し、沖縄はいまだに占領下にあるという議論を主張する。最後に沖縄の占領とポストコロニアル移民、特に「帰還」移民、そして「占領の空間」という概念において、沖縄への「帰還」を分析する。
 
 一方、第三章【「Roots」と「Routes」―「帰還」移民をめぐって―】では、「フィリピン・ウチナーンチュ」を事例にし、「帰還」移民を考察する。そして、本章では、「帰還」は一時的なプロセス(transitory process)であると議論し、さらに、「帰還」は「roots」という観念と関連していることを示す。本章では、インタビューによりライフ・ヒストリーを作成し、一世と二世の「帰還」を考察する。
 
 第四章【「我が家に心がある?」「Home」と「帰還」】は、前章で述べた議論に続き、「home」と「帰還」の関係を問題化する。本章に挙げた議論を考察するために、フィールド・ワークのデータを使用する。
 
 最後に、第五章【占領の空間―「帰還」移民と「占領」下沖縄―】では、沖縄の「占領」の文脈において、沖縄とフィリピンの間の移民を考察する。さらに、米軍基地の存続とアジア太平洋における米国のヘゲモニーに関連し、「フィリピン・ウチナーンチュ」「帰還」移民は、「受動的共謀」(passive complicity)の位置を占めることを議論する。
 
 終章は、本研究の要旨であり、重要な論点も総括する。そして、本章では、人々の流入と流出の交差点はであり、ホスト・社会である沖縄の現在と将来に注目しつつ、イチャリバ・チョーデー(会えば、兄弟)という諺が実際に生きているかどうか検討する。
 
 【主な参考文献】
 
 〔英語〕
 
Go, Julian. “Waves of Empire: US Hegemony and Imperialistic Activity from the Shores of Tripoli to Iraq, 1787-2003”, in International Sociology, vol. 22, no. 1, January 2007, pp. 5-40.
Hook, Glenn D. and Richard Siddle (eds.). Japan and Okinawa: Structure and Subjectivity. London: Routledge, 2003.
Kaneshiro, Edith M. “‘The Other Japanese’: Okinawan Immigrants to the Philippines, 1903-1941”, in Nakasone, Ronald Y. (ed.). Okinawan Diaspora. Honolulu: University of Hawaii Press, 2002.
Maehara, Yuko. Negotiating Multiple Ethnic Identities: The Case of Okinawan Women in the Philippines. Unpublished M.A. Thesis, University of the Philippines, 2001.
Zulueta, Johanna O. “The Nisei: The Second-Generation Okinawan-Filipinos in Metro Manila”, in Philippine Sociological Review, volume 52, January-December 2004.
_________________. “The Nisei: The Second Generation Okinawan-Filipinos’ Identity and Their Significance in the Transnational Community of Okinawans”, in Negotiating Globalization in Asia. Quezon City: Ateneo Centre for Asian Studies, Ateneo de Manila University, 2006.
_________________. The Okinawan-Filipino as Postcolonials: Their Identity vis-a-vis the U.S. Bases and Okinawan Society. Unpublished M.A. Thesis, Hitotsubashi University, 2008.

〔日本語〕

伊豫谷登士翁・編『移動から場所を問う―現代移民研究の課題―』有信堂2007年
大野 俊『ハポン―フィリピン日系人の長い戦後―』第三書館1991年。
鈴木規之、玉城里子「沖縄のフィリピン人―定住者としてまた外国人労働者として―(1)『琉球法学 第57号』1996年88-61ページ。


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*1 フィリピン国籍を持つ人。原住民、中国系、スペイン系、などの人々も含む。

*2 フィリピンのアメリカ植民地時代は1898年から1946年にかけてである。

*3 同時に、米軍隊の一部として、フィリピン軍人(Philippine Scouts)が雇われた。そして、その当時も家庭労働者と洗濯従事者として働くフィリピン人女性もいたそうである(大野 1991: 243;鈴木、玉城 1996: 70)。

*4 しかし、フィリピン人男性は帰国するが、妻と子供が沖縄に残された場合もある(大野 1991: 243)。他方、フィリピン人男性は帰国せずに、今日まで米軍基地で働いているケースもある(鈴木、玉城 1996: 71-70)。

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