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博士論文要旨

論文題目:ハワイ・コリア系移民のアイデンティティに関する歴史社会学的研究〈1903‐1945〉 ―トランスナショナル・アイデンティティの構築―
著者:李 里花 (LEE, RIKA)
博士号取得年月日:2011年3月23日

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本論文の課題と意義
 本論文は、移民がトランスナショナル・アイデンティティをなぜ形成し、それはナショナル・アイデンティティとどのような関係にあるのかを明らかにすることによって、移民と国家を記述/分析するための新たな方法論的基盤を築こうとするものである。これまで移民のアイデンティティに関する研究は、「○○人」としてのナショナルなアイデンティティを獲得していく過程か、「××系」としてのエスニックなアイデンティティを獲得していく過程が主流となってきた。しかしこうした研究が中心となってしまったが故に、定住先の「○○人」としてのナショナル・アイデンティティをもちながら、同時に定住先の外部に広がるアイデンティティ―祖国に対するナショナル・アイデンティティやディアスポラ的アイデンティティ―をあわせもつもの、すなわちトランスナショナル・アイデンティティへの視座が抜け落ちることが多かった。そこで本論文では、移民のアイデンティティがトランスナショナルな様相を呈する過程を明らかにすることによって、トランスナショナル・アイデンティティとは何であり、又それはなぜ形成され、ナショナルなアイデンティティとどういう関係にあるのかを検証する。そしてこの考察を通して、移民のアイデンティティを規定してきたナショナルな枠組の問題を問いながら、ナショナルな枠組に条件づけられてきた近代という時代が抱えた課題を論じる。
 さらに20世紀前半(1903年~1945年)のハワイにおけるコリア系移民の歴史を事例に論考する本論文は、この事例に関する先行研究が非常に少ないことから、その実証的研究の礎を築こうとする意図を併せ持つものである。戦前、「オリエントのアイリッシュ」といわれるほど激しい祖国独立運動を展開したことで知られるコリア系移民は、他の移民と異なり、アメリカ志向ではなく、祖国志向が強い集団だと見なされた。そのためアメリカニゼーション研究とエスニシティ研究が主流となってきたアメリカの移民研究では、コリア系移民が「きわめて例外的な集団」であると認識され、その内実がほとんど検証されてこなかった。しかし一方で、近年になってハワイのコリア系移民の歴史は、世界に広がるコリアン・ディアスポラの歴史として注目を集めるようになった。ただし、ここで語られるコリアン・ディアスポラの物語は、韓国とアメリカの二つのナショナルな論理と結びついた物語と化す傾向が強い。このようなコリア系移民史をめぐる状況-韓国とアメリカという二つのナショナル・ヒストリーの延長線上でコリアン・ディアスポラの物語が語られる一方で、その歴史についての研究が十分に行われていない状況-の中で、本論文はコリア系移民の実証的研究を試みるものである。またこれまでほとんど取り上げられてこなかったコリア系移民のナショナル/トランスナショナル・アイデンティティを考察することによって、コリア系移民史を「きわめて例外的」だと位置づけてきたアメリカの移民研究の問題の所在を明らかにしようとするものである。

本論文の構成と各章の概要
 本論文は序章、並びに5章立ての本論、終章、補論から成る。序章では本論文で扱う問題に対する関心と研究目的を明らかにした上で、先行研究の位置づけと研究意義を確認する。次に、第1章から第5章で移民の口述史資料(ナラティヴ)などの1次史料を用いながら、コリア系移民の戦前から戦中のアイデンティティ形成過程を考察する。そして最後に終章にて、各章における考察結果を踏まえた結論を述べる。尚、ハワイのコリア系移民の歴史がコリアン・ディアスポラの歴史として語られるようになった経緯を明らかにするために、補論で戦後の移民史をめぐる集合的記憶を取り上げる。
 第1章から第5章までの主な内容は、次の通りである。第1章では、朝鮮におけるハワイの移民制度の成立/廃止過程を考察し、コリア系移民を条件づけた制度的・国際関係的文脈を検討する。ハワイへの移民は、国民国家体制の下で行われた朝鮮で最初の近代移民である。そのため朝鮮で歴史的に行われてきた前近代の出稼ぎ移民と異なり、国境管理や渡航許可制度、渡航証明書携帯といった近代的移民制度の下で行われた。しかしハワイへの移民制度は、日露戦争直前の冷え切った米朝関係の中で、一人の米国公使が秘密裏にハワイの砂糖産業と画策して成立させた制度であるだけではなく、当時のアメリカで違法とされていた制度であった。この章では、違法な移民制度がどのような経緯で成立し、それがコリア系移民をどう条件づけたのかを明らかにした上で、移民制度が廃止された理由と廃止後に朝鮮―ハワイ間の国境を越える移動がどのように制限されたのかを検証する。
 第2章では、移民直後(1900年代)のコリア系移民が自らを「コリアン」と認識するようになったアイデンティティ形成と集団編成の過程を考察する。20世紀初頭のハワイの砂糖プランテーションは、出身地を示すカテゴリーが他のどのカテゴリーよりも優先される場所だった。これは集団間の競争意識を芽生えさせ、生産性を高めようとした経営者の意図によってつくられたものであるが、これによって移民労働者は生活も仕事も民族ごとに振り分けられることになった。このハワイの社会経済的環境の中で、まずコリア系移民がどのように「自分たちはコリアンである」という認識を持つようになったかを考察する。次に「コリアン」と分類された人々がいかにして同族意識を形成したのか、集団編成過程を考察する。特にコリア系移民は、キリスト教を中心とする集団を形成したことで知られる。この理由について、これまでの研究はコリア系移民の多くが移民以前からキリスト教徒だったためだと説明してきた。しかしこれらの研究は、日系や中国系移民と異なりコリア系移民がなぜキリスト教を中心とした集団を形成したのかについては説明してきたものの、何が契機となってコリア系移民が移民当初形成していた洞会組織(朝鮮の伝統的「ムラ」社会)からキリスト教会へと移行したのかについてはほとんど触れてこなかった。そのためこの章では、コリア系移民の内部的状況のみならず外部的状況-キリスト教活動を奨励しスト破りとしてコリア系移民を農場に引き止めようとした主流社会からの働きかけ―にも注目し、コリア系移民がキリスト教を中心とした集団を編成していく過程を検証する。
 第3章では、自らを「コリアンである」と認識するようになったコリア系移民が、ローカルな次元の「コリアン」という意識を、どのようにしてナショナルな次元の「コリアン」という意識に結びつけていったのか、移民のアイデンティティがナショナル化していく過程を考察する。「オリエントのアイリッシュ」と言われたハワイのコリア系移民は、祖国ナショナリズムが強い集団として知られた。そのためコリア系移民は、移民直後から祖国独立運動を活発に展開した集団だと思われる傾向がある。しかしハワイでは1910年代になるまで祖国独立運動はまったく盛り上がらず、ナショナリズム(祖国ナショナリズム)も高まることがほとんどなかった。当時、運動家と一般の移民の間には、出身階層という面でもナショナリズムという面でも大きな差があった。独立運動家は朝鮮で教育を受け、「朝鮮人/韓国人」としての意識を強くもっていたのに対し、一般の移民は朝鮮の近代国民国家としての体制が整っていない時代に移民したため、朝鮮で教育を受ける機会に恵まれず、移民以前にナショナリズムに晒されることもなかった。しかし1910年代にハワイで祖国独立運動が展開し、二人のナショナリストが運動の指導者としてハワイに招聘されると、コリア系移民の間で一気に祖国ナショナリズムが高まり、コリア系移民のアイデンティティはナショナルな様相を帯びていった。この章では、ハワイの独立運動が運動家らが主体となった「上」からの運動であったことと、運動家らが啓蒙する形でコリア系移民のアイデンティティがナショナル化していった状況を明らかにし、コリア系移民が独立運動を契機に、近代的発想-アイデンティティをナショナルな次元で捉える―方法を獲得していったことを論じる。
 第4章では、祖国独立運動が凋落し、滞在が長期化していく中で、移民のアイデンティティがトランスナショナルな様相を呈するようになった過程を考察する。これまでの研究は、祖国独立運動に対する関心が失われた1920年代から1930年代にかけて移民の世代交代とアメリカ化が進んだことから、コリア系移民のアイデンティティが「コリアン」から「アメリカ人」へと転じたものとして捉えてきた。しかしこの時代に構築されたアイデンティティは、アメリカという一つのナショナルな枠組に収束せずに、コリアとアメリカという二つのナショナルなアイデンティティ(間国家的トランスナショナル・アイデンティティ)を内包しながら、ナショナルな枠組を超えた超国家的トランスナショナル・アイデンティティの様相も帯びていた。それでは具体的にそのアイデンティティとはどのような考え方によって構成されていたのだろうか。まず1910年代から1930年代までのコリア系移民の経済社会的条件の変化と定住化志向の広がりを検討し、コリア系移民が移民労働者から定住移民へと転じていった過程を検証する。その上で世代交代と民族間関係の変化の中で新たなアイデンティティが希求されていく状況を描き出し、新たに構築されたアイデンティティがいかなるトランスナショナルな世界観を内包していたのかを検討する。
 第5章では、第二次大戦中のアメリカ国民化の流れが、コリア系移民のアイデンティティをどう変えたのかを考察し、コリア系のアイデンティティが「アメリカ人」という一つのナショナルなアイデンティティに収斂されていく過程を明らかにする。真珠湾攻撃を受けて戒厳令が敷かれたハワイでは、「日本人」移民が「敵性外国人」に分類されたが、ここでいう「日本人」移民の中には、朝鮮半島出身者も含まれたことから、コリア系移民も敵性外国人に範疇化されることとなった。これに対し、コリア系移民は祖国朝鮮のことを語ることによって「日本人」ではないことを主張し、自分たちが「敵性外国人」ではなく「友好的外国人」であると訴えた。しかし祖国を強調した語り口が、戦時下の戦時協力と民族調和に反する語り口だとみなされてしまい、コリア系移民の語りは「アメリカ人」としての誇りと愛国心を強調する語りへと転換せざるを得なくなった。それではコリア系としての集団の独自性をどのように訴えていったのだろうか。アメリカ国民化の流れの中で、コリア系移民のコリア系移民のナショナルな次元のアイデンティティが「アメリカ人」というアイデンティティに収斂していき、「コリアン」としてのアイデンティティがエスニック(下位集団)な次元のものへと転じていく過程を検証する。
 
本論文の考察と主な論点
 以上から、本論文はコリア系のアイデンティティが次の段階を経て変化していったことを明らかにするものである。まずは、出身地を示すカテゴリーが何よりも優先されるハワイの砂糖プランテーションで、移民の間で「コリアン」という認識が誕生する段階。次に、祖国独立運動の中で「コリアン」としてのアイデンティティがナショナル化していく段階。そして移民が一時的滞在者から定住移民へと転じていく中で、「コリアン」と「アメリカ人」という二つのナショナルなアイデンティティを確立しながら、同時にナショナルな枠組を超えたトランスナショナルなアイデンティティを形成していく段階。最後に第二次大戦のアメリカ国民化とエスニック集団化を通して、ナショナルなアイデンティティが「アメリカ人」としてのアイデンティティに収斂していく過程と、「コリアン」としてのアイデンティティがエスニックなものに転化していく段階である。
 この考察を通じて、本論文はコリア系移民研究およびアメリカの移民研究をめぐる次の4つの問題を提起するものである。それらとは、第1に、独立運動の影響を検証してこなかった移民史研究の問題。第2に、コリア系移民の「コリアン」としてのアイデンティティを、ナショナルなアイデンティティではなくエスニックなアイデンティティとして捉えてきたエスニシティ研究の問題。第3に、ナショナルな分析枠組を当然視してきたために、アメリカの外部に広がる移民の世界観を見落としてきた、移民研究のナショナルな枠組をめぐる問題。そして第4に、「移民=定住移民」という前提に立ってしまったために、移民が移民と化した歴史性をこれまであまり強調してこなかった移民研究の認識論的問題である。
 さらに本論文は、トランスナショナル・アイデンティティについて次の側面を明らかにするものである。それはトランスナショナル・アイデンティティには、移住先と祖国いう二つのナショナルなアイデンティティ(間国家的トランスナショナル・アイデンティティ)と、ナショナルな枠組を超えたアイデンティティ(超国家的トランスナショナル・アイデンティティ)が含まれることである。これは今後の移民と国家をめぐる問題において次の2つの視座を提示するものである。一つは、間国家的トランスナショナル・アイデンティティを、ナショナルな(・・・・・・)トランスナショナル・アイデンティティをめぐる課題として捉え、今後の移民と国家の関係を解明する新たな方法論として位置づけることができる、ということである。もう一つは、超国家的トランスナショナル・アイデンティティが、たとえナショナルな枠組とは別の方向に向かったものであっても、ナショナル・アイデンティティと表裏一体となって形成されている―コリア系移民の場合はアメリカというナショナル・アイデンティティが内包する排他性の問題と表裏一体となって形成されていた―ことから、超国家的トランスナショナル・アイデンティティを、移民のトランスナショナルな位相のみならず、アメリカ国内のナショナルな位相を映し出す方法論として位置づけることができる、ということである。これらの点から、本論文は、移民のトランスナショナル・アイデンティティ論が、ナショナルな枠組をめぐる問題を問う方法として有効であるだけでなく、ナショナルな枠組に条件づけられてきた近代という時代の課題を明らかにする方法としても有効であることを示すものである。以上、本論文は、今後の移民と国家の関係を記述/分析するための方法論的基盤としてトランスナショナル・アイデンティティ論を提起し、結論とした。

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