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博士論文要旨

論文題目:中国の環境教育に関する研究 ―緑色学校の分析および日本との比較研究を通して―
著者:李 全鵬 (LI, Quanpeng)
博士号取得年月日:2010年7月30日

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序章
1、問題意識
2、先行研究
3、課題と方法
4、論文の構成

第一章 国際環境教育の歩み 
1、国連人間環境会議
2、ベオグラード会議
3、トビリシ環境教育政府間会議
4、ESDの展開
5、小括

第二章 日本の環境教育
1、自然保護教育
2、公害教育
3、環境教育への展開
4、環境教育からESDへ
5、小括

第三章 中国の初等中等教育における環境教育の成立と展開
1、環境問題と教育制度
2、初等中等教育における環境教育の三つの段階
3、学校における環境教育
4、小括

第四章 中国の緑色学校の展開
1、環境教育財団(FEE)のエコスクール
2、中国の緑色学校をめぐる政策の展開
3、中国の緑色学校プログラム
4、緑色学校の位置づけ
5、小括

第五章 大連市実験小学校における緑色学校作り
1、緑色学校作りにむけて
2、実験小学校における緑色学校作りの取り組み
3、緑色学校の資格認定と行政の役割   
4、小括

第六章 中国の素質教育における緑色学校の可能性
1、素質教育論の展開
2、受験教育からみる素質教育の本質
3、素質教育における緑色学校の可能性
4、緑色学校の可能性に対する制約要因
5、小結

終章
1、各章の総括
2、結論
3、今後の課題

1、課題の設定
 中国では環境対策の一環として、ほかの分野より教育分野、すなわち環境教育の取り組みは先行して開始された。1973年から始まった中国の環境教育政策においては、学校はその主要な場として教育と環境の行政部署から重視されてきている。しかし、環境教育の目的と逆行に環境問題の危機がむしろ増大する一方である。環境問題の深刻さに変化の兆しが見られないのであれば、環境教育の本来果たすべき役割が充分に機能していないと結論せざるを得ない。
 では、その制限要因とは何か。これまでの先行研究は、中国の環境教育の歴史と現状を総括したうえで、主に教師研修の不足、課外活動の不十分、相応の法律の未整備、などの問題点を指摘した。しかし、それらは要因というよりあくまで表面に現れている問題点であり、本質に迫った分析ではない。また近年、環境問題や社会的階層の変動、および大型建設工事への反対運動が取り上げられた研究があり、そこに環境権の兆しを見出し、環境教育における主体が国家から民衆へと転換する動きがあることが論じられた。だが、学校の環境教育に限っていえば、学校の依拠する教育システム、および環境教育の内容が環境問題に取り組む主体の形成に資することは可能かどうかを深く究明されていない。さらに中国では、受験教育が学校の最重要テーマとなっている以上、環境教育を重視し、生徒がその主体となりにくい。そのため、環境教育における生徒の主体性の形成には、素質教育の実施が欠かせない。素質教育は人間の全面的発達のための教育形態であり、生徒は一人ひとり、自身の発達を追及できる教育モデルとされる。1996年から開始された緑色学校プロジェクトは、その素質教育を実施するための声もある。しかし、緑色学校では、そのプログラムと素質教育といかに関連付けて実践できるかを論じる先行研究は管見の限り、見当たらない。そこで、中国の環境教育を制約する深層的な要因を探るために本論文は次の三つの課題と研究方法で展開した。 
 第一に、環境教育についての文献、最新の動向を取り入れながら、今日までの歴史と現状を整理し、国際的潮流との連動を分析する。先行研究によって中国の環境教育における生成発展の歴史を見直し、環境教育の問題状況の発生を読み解く。とりわけ、環境教育の国際的潮流が中国の環境教育に対していかなる利害をもたらしたかを分析する。この作業を開始するに当たっては、日本の環境教育の歴史を回顧しておきたい。日本の環境教育を先行研究によって整理し、考察したうえ、比較研究の手法を用いて中国の環境教育の特質を明らかにする。日本は高度経済成長期において、激甚な公害に悩まされ、そこから自然保護教育と公害教育が生まれた。これに対して、中国の環境教育が始まった1970年代は、環境問題は改革開放後ほど顕在化していなかった。その始まりは1972年の国連人間環境会議の決議に応じた形で、環境教育が取り組まれ始まったのである。この比較研究の手法で明らかできた違いに問いかけることによって、中国の環境教育の特質をより鮮明に浮き彫りにできると考えられる。
 第二に、中国の環境教育の特徴である国際化の最も象徴的な存在である緑色学校について分析する。1996年から展開されている緑色学校プロジェクトの基本状況を整理したうえ、その取り組みの中国の環境教育における意義と問題点を考察する。先行研究によれば、緑色学校を展開するプロセスが軽視され、その質より数が重視されるという問題点が指摘されているが、しかしその背景や問題の所在がまだ明らかにされていない。緑色学校プログラムを展開するプロセスの価値(意義)が軽視されていることからみれば、その意義とは何かをより明確にすることも問題の解決に資することと思われる。緑色学校は行政の意向によって取り組まれたプロジェクトであるため、この作業は、まず関連する政策や現状をまとめることである。そこから抽出した問題点の本質はいかなるものかを読み解く。
 また、現場では、緑色学校はどのように環境教育を展開するか、その中で環境教育に影響する現場の要因とはなにかを分析する。具体的には、中国大連市の実験小学校における緑色学校作りの取り組みを現場調査で描き出したい。大連市では、2007年までに83校が緑色学校として登録された。その割合は、全市の初中等学校の大よそ7.2%に達しており、全国平均の4%より上回った。実験小学校は2005年9月から緑色学校作りをはじめ、およそ1年半を経て緑色学校として正式に登録された。当校は、ほかの緑色学校と同様のステップを踏んでプログラムを展開したが、新しい学校作りに向けての努力と教師たちの役割に本章では注目する。それから、環境教育に対する緑色学校というプログラムの意義と問題点をより明らかにするため、当校がそのプログラムを展開したプロセスを描くことによって、一般学校の環境教育における違いもより明瞭にできると考えられる。
 第三に、初等中等教育の環境教育は教育システムの一部として位置づけられているゆえ、環境教育が国際的潮流に影響されている以上、当然ながら、教育システムそのものへの影響を本論文の研究する射程に入れなければならない。現在、中国のあらゆる教育事情を語る際に、素質教育に触れる必要がある。素質教育は1980年代に受験教育のオルターナティブとして提起されているが、その実現の道はなお混沌とした状態である。素質教育は、大概「全面的発達」と解釈されているが、その実践法がまだ固まっていない。そこで、本論文は、受験教育と素質教育とのせめぎ合い中で、なぜ前者は圧倒的な優勢を占めているかについて、文献によってその歴史的と社会的要因を分析する。それから、素質教育のための緑色学校の意義を考察する。

2、論文構成
  第一章では、環境教育に関する国際的な流れを整理した。国際環境教育は、国連人間環境会議を始めとする、一連の国際会議における政治的合意によって大きな潮流がつくり出され、各国の環境教育に多大な影響を与えた。これらの会議によって、環境教育の理論的な充実がなされてきた。環境問題に対する気づき・知識・技能・態度・意欲・遂行力を身につけることが環境教育の目的として挙げられ、環境教育における教授法などの理論的基礎が築かれた。しかし、現在、主流となっているESDは、環境のみならず、民主主義や人権などもその守備範囲に取り入れ、その結果、環境教育の焦点が曖昧になっている。さらに、今日でも自然破壊の開発行為は依然として横行し、持続可能な発展(開発)という理論と並存する現実となっている。ESDは環境教育の代替的パラダイムであったが、しかし、日増しに深刻化している環境問題と照らしてみれば、近代以来の成長路線が根本的に問い直されないまま依然として生き延びているのは確かである。それに加えて、南北の格差によって、環境問題それ自体が今日の自由貿易によって輸出されている現状に対して、ESDは持続的発展(開発)という目的のもとで力を発揮できない。このように、ESDの焦点が定まらないために、その中に組み入れられた環境教育も、至上命題である環境保護という目的のために有効に機能できずにいる。
 第二章では、日本の環境教育の歴史を振り返った。日本の環境教育の源流には自然保護教育と公害教育がある。戦後に始まった自然保護教育は、人間と自然との関係を根本的に再考するには至らなかった。だが、その中から示された実践性は今日の学校の環境教育において不可欠な要素となっている。そして、日本の環境教育における原点の一つである公害教育は、高度経済成長期の反公害運動の中で取り組まれ、環境問題における人間社会の存立と発展の方式を問い直した。その後、双方ともに公教育によっての環境教育に統合された。その歴史を通してみれば、この二つの源流には実践性や行動性、または身近なところに着目するなどという要素が見出せる。その担い手も市民が主役であった。日本の自然保護教育や反公害教育と異なり、現在の「環境教育」は国際社会で政治的に生み出された教育戦略であるため、国家の教育行政との結合も容易に行われる。日本の環境教育は、今日までの法制化・制度化につれて、その主な担い手も、かつて自然破壊や公害に対して強い危機意識を持つ市民ではなくなった。それに加えて、今後、問題点を孕んでいるESDの導入や解釈権は、行政がその立案者と指導者であるため、今日までの社会経済システムへの根本的な問い直しは限定的となりかねない。日本の環境教育における自然保護教育と公害教育が残した遺産をESDの中にいかに活かすかは、ESDの成否にかかわることである。
 第三章では、中国の環境教育の成立と展開の歴史および現状をまとめた。中国の環境教育は、1972年のストックホルム国連人間環境会議を受けて、1973年に北京で開催された第一回全国環境会議を機に開始された。この時から、国連人間環境会議の決議を受けて環境知識に関する内容が教育システムに組み入れられるようになった。その後、学校の環境教育における課外活動を推進するために、教材のほかに環境保護のドキュメンタリ・映画・アニメなどの作成が提起されたが、具体性が欠いたものであった。したがって、この開始期は教科重視の段階と位置づけることができるだろう。なお、環境教育に関する教科内容も環境汚染と自然生態系の基礎知識に触れる程度であった。1983年からの発展期は、開始期を基礎にしながら、ベオグラード憲章とトビリシ会議の勧告の精神を取り入れた。この時期、中国の環境教育の内容は、環境汚染や自然保護に人口、資源、エネルギーなども取り入れてより豊かなものになり、「教学大綱」の中にその要求、任務、目的も明記されはじめた。特に、まだ少数であったが、生徒が参加できるような課外活動、また環境保護試験中学校の設立といった展開から判断すれば、教科教育を重視する環境教育から、生徒の体験が徐々に重視されるようになりつつあったといえよう。1992年からは新発展期であり、環境教育はESDに軸を移したのである。それを具体的に体現したのは、ヨーロッパから導入され緑色学校プロジェクトである。新発展期は、中国の環境教育がESDへ移行する時期である。また、開始期や発展期の環境教育は主に中国国内の環境問題に着目したが、新発展期は生徒に人類やグローバルな視点で環境問題を考える能力を要求するようになった。つまり、環境教育における国際的なパラダイム・シフトは中国でも起きたのである。
 環境知識は、自然科学と人文・社会科学で構成するとされるものの、現状では学校での環境に関する教科は主に「地理」、「自然」(生態学)、「物理」、「化学」を中心として展開することとなっている。これらの教科による環境教育は重要であるが、生徒に現在の環境問題を技術の発達で解決するという思考様式を助長しかねない。つまり、これらの教科を通じた環境知識や問題解決のスキルについての学習は、単なる技術型の環境教育といっても差し支えがないであろう。このような経済の発展や技術の発達で環境問題の解決を期待する傾向は、起きた問題に対して機先を制することができず、常に環境問題の後を追う形で進むことになり、問題を未然に防ごうとするという生徒の思考や環境保護のレジームの形成につながりにくい。したがって、上記の教科のほかに「語文」(国語)や「公民」(社会)などといった教科のカリキュラムの大幅な再構成を通して、国際的な潮流を受け入れると同時に、古来より蓄積された自然観、環境文化、智慧なども生徒に伝え、現在の過ちやひずみに対しても複眼的・批判的に見る眼を養うことを意図すべきである。
 第四章では、中国で展開されている緑色学校の全体的状況を整理し、その意義と問題の所在を探った。学校の環境学習の内容は現実問題との乖離や、実践活動の不足などが問題視されていた。その対策の一環として、1996年から、ヨーロッパにある環境教育財団(FEE)の事業であるエコスクールをモデルにした緑色学校というプログラムが中国に導入された。中国の緑色学校もFEEが設定した七つのステップ、すなわちエコ教育委員会の設立・環境調査・行動計画・監督と評価・カリキュラムの改善・公表と関与・行動規範にほぼ準じているため、プログラムの展開はヨーロッパのエコスクールと同様の手順で展開されている。だが、中国の緑色学校が評価される際の手続きは、点数化している。現場視察や資料検査の評価方式より、点数化方式は検査側の主観的印象が比較的制限できるというメリットがあると考えられる。しかし、その一方で、生徒の全員参加は重視された配点構成になっていない。生徒参加という点が不十分な場合でも、総合点は合格ラインをクリアできることになっている。
 しかしながら、そのような問題点があるものの、緑色学校プログラムの三つの総合性には大きな意義がある。1972年、ストックホルムの環境会議での環境教育の対象は、汚染対処や人口問題、また、科学技術的なものが中心であったが、1975年のベオグラード憲章に至って環境倫理を始めとする人文科学や社会科学の分野にも重点が置かれるようになった。これは環境教育に対して最初に求められた総合性の一つである。それと同時に、環境知識が実践活動と結びついてはじめて、環境教育は完成できるものである。これは、第二の総合性である。この二つの総合性に対して、緑色学校のプログラムは、それぞれの教科を関連付けて生徒に環境知識を伝達し、学校の環境管理活動への生徒参加を通して活動と実践の場を確保する。それと同時に、環境についての学習と活動が学校の日常管理にも盛り込まれている。これは、緑色学校でしか実現しえない第三の総合性である。つまり、環境的要素が学校に全面的に導入されることで、従来の学校運営、日常管理といった活動自体が環境教育的意義を持つようになっている。
 第五章では、大連市実験小学校の緑色学校作りの実践をまとめて考察した。実験小学校は、2005年9月から環境教育にかかわる教科教育、課外活動、学校環境の改善をしてから、おおよそ一年半近く経った時に緑色学校の資格を獲得した。その取り組みによれば、緑色学校の環境教育は主に三つの特徴がみられる。まずは、学校システム全体に浸透することである。当校は、緑色委員会が成立してから、各教科の教師に対して環境知識の取り入れを求めるほか、当校の職員に対しては学校の節電や節水、ゴミ削減と衛生問題などのより一層の環境管理を求めた。このような取り組みは、ほぼ学校システムの全体に及んでいることが特徴の一つである。これにより、環境知識の教授の総合性がより強くなり、生徒の身近な学習生活の中に環境保護活動の基盤も出来上がった。環境知識の教授は当然、生徒の全員が対象となっているが、環境活動における生徒の全員参加も緑色学校プログラムのカギである。この全員参加は、第二の特徴である。これを実現するために、実験小学校は緑色学校作りを決定した時から教職員の環境問題や教授法における研修会を行い、生徒の学習や活動の参加を順調に推し進める準備を行った。さらにプログラムの展開につれて、環境に関連する生徒組織の立ち上げや多様な課外活動・社会活動にはほぼすべての生徒が参加できるようになった。
 一般学校では、教育内容に持続可能な発展という概念を取り入れているため、教育内容または教育目標に関しては、緑色学校と一般学校の違いは大きくない。しかし、緑色学校は持続的改善を意図するものでもあり、当校のカリキュラムは絶えず刷新され、日常の環境管理が改善されるのみならず、常に問題を見出して改善していく持続性、即ち第三の特徴が見られる。また、中長期の学期計画と学年計画の中に緑色学校プログラムの実施が重要な評価ポイントとなっており、緑色学校で実現できた多様な環境教育は長期的な展開が確保されている。当校の活動はすでに日常化しており、毎年の学年計画にも明確な位置づけがなされている。緑色学校作りの各ステップは、生徒の参加が目的であり、生徒が主体となって活動していくことが大原則であり、役割の分担や、合意形成の仕方なども、生徒の活躍が期待される。しかし、緑色学校作りのプロセスを重視するというよりはその成功が至上命題となり、教師が往々にして先頭に立ち、生徒の参画を阻むという問題が当校での調査により鮮明となった。
 第六章は、素質教育における緑色学校の可能性を論じた。素質教育とは何か。中国では常々、安易に多様な学習であると解釈されたり、または教条的、晦渋的に説明されたりすることが少なくない。素質教育は人間の全面的発達という理念に由来していることから、生徒のあらゆる学習を一つの無限大の箱に投げ込んで、その箱に「素質教育」というラベルを貼るような状態が起きている。これに対処するためには、それぞれの学習・教科はどのように素質教育の理念を汲み取り、展開するかという実践的な課題を個々の学習・教科で検討し、実施しなくてはならない。そこで本章は、先行研究に基づいて、教育という営為は人間のために何を追求するのか、その原点に立ち戻った。そして対概念である受験教育の弊害から、素質教育の本質、すなわち人間の自立を追求することが教育の最重要な責務であるとした。
 それから、本章は科挙制度という歴史的要因と現行の政策的方向付けといった問題が素質教育をなかなか実現できない要因であるとした。しかし、緑色学校プログラムは、生徒が主体的に緑色学校という空間で環境改善に関して計画作りや実施、見直しといったプロセスを歩むことで、素質教育が求める人間本位の教育を実施するための基礎づくりとなる。素質教育は個性に富んだ自立した人間のための教育であるゆえに、生徒は緑色学校作りの各段階において自分の存在価値を見出し、他者とかかわりながら、自立へのアプローチを発見する力を主体的な活動を通して育むであろう。まわりとの相互作用の中で、当然ながら試行錯誤を伴うが、緑色学校作りにおける7つのステップの「監督と評価」にあるように、計画の見直し、目標を改めることができる。このプロセスを介して、生徒はそのつど自己を見直し、再出発していくことも可能であり、緑色学校という環境(空間)で生徒は素質教育が求める目標にも近づくことができよう。

3、結論
(1)環境教育における行政主導 
 中国の環境教育は、1972年のストックホルムの国連人間環境会議を契機に開催された第一回全国環境保護会議(1973年)が原点とされている。日本では、自然保護学習が行われていたが、反公害運動とともに全国で展開されていた公害学習は後の環境教育に直接につながった。こうしてみれば、中国と日本の環境教育が登場した契機は大きく異なることが明らかである。日本環境教育の源流である自然保護教育と公害教育は、ともに内発型である。当時の日本において、特に公害激甚地においては急務であったのと対照的に、1970年代初めの中国の環境問題は現在のように顕在化していないにもかかわらず、環境教育が文化大革命(1966~1976年)という混乱の中で登場したことからすれば、中国の環境教育は国際的な潮流を受けて始まったものであり、現実問題への対処というより国際的また時代的要請が強かったと考えられる。だが、経済発展とともに環境破壊が深刻化する一方で、特に1990年代に入ってから環境を保護すると同時に、社会や経済の発展も追及する戦略が立てられてから、ESDは中国にとって必要不可欠なものとなった。このように中国では、今日もさまざまな深刻な問題が存在しているが、環境問題における国際的理念や戦略は中国の発展に青写真を提供したと同時に、環境教育の発展においても前進を促したのであろう。
 中国の環境教育が国際的な潮流を受け、すばやく政策化へとつながったことは、行政主導によって進められたことにある。その歴史をたどってみれば、その登場や展開またESDの導入などは、行政の主導という点は変わっていない。その象徴的出来事はヨーロッパから導入した緑色学校プロジェクトである。第四章で示したように、中央行政の後押しによって緑色学校は今後、中国環境教育の主流となっていくと思われる。国際的な潮流から理念、プログラムなどを吸収することは、環境教育の各段階において一貫している。つまり、中国の環境教育は行政と環境問題の国際的な潮流との結合によって産出されたものであり、そのことは日本と比較すれば、より一層明らかである。日本では、「下からの展開」により行政を動かせ、特に反公害運動から民衆の環境意識が高くなったことで、1971年の「環境国会」の開催に至った。日本の環境教育のスタートは中国より早いが、本格的な行政による取り組み、「環境国会」の開催と「環境庁」の成立などは中国とほぼ同時期である。中国の「行政主導型」の環境教育は、当初中国の人々の環境に対する関心が薄かった状況下で、有効であっただろう。中国は、1978年に開始された改革開放政策により、経済発展に力を注ぐことになったが、環境と発展の国際的な潮流に対応するために、1983年に環境保護も国の基本政策と定めた。そして、1990年代の半ばに、持続可能な発展が国家の戦略として位置づけられた。この間、環境教育はこれらの政策との関連のもと、行政主導で展開されてきている。
 これに加えて、今日の環境教育それ自体は政治的に生み出された国際的な教育戦略であるため、国際性という要素が前面に押し出されている。グローバル時代では、国際社会や世界市場に参入する積極的な姿勢は中国の環境教育の国際化を加速させている。それと相まって、教育をめぐる言説・制度・内容は、グローバリゼーションの波に乗ってかつてないほどの威力を持つようになった。環境教育の国際的な潮流も、グローバリゼーション特有の結合紐帯で各国政府をより容易にまとめ、次から次へと国際的政治合意が成されてきた。各国政府もそれらを国内に導入し、今日の環境教育のメインストリームを形成した。その意義は当然否定できないものの、異なる地域で多様性のある環境教育が均質化される結果が出始めている。つまり、環境問題は各国・各地域における共通性があるものの、それぞれの解決策を含む特異性も無視できない。だが、日中両国の環境教育の原点が異なっているものの、現在、双方とも同じ方向、すなわち問題点を孕むESDへの展開を見せている。その中で独自色が強かった日本では、環境教育の均質化が顕著に表れている。公教育に統合された日本の自然保護教育や公害教育によって蓄積された知識や行動原理は必ずしも学校現場に反映されていると言えない。それどころか、学校システムに吸収され統合された自然保護教育と公害教育は、却って風化しつつある事態となり、独自色が強かった日本環境教育の多様な展開に対する疑念・懸念がしばしば指摘されているのである。
現在、日本の自然保護教育と公害教育は、1970年代から次第に環境教育に収斂されてから、公教育の場がその主要な基盤となっている。その収斂は実に、担い手の中心が市民から行政に移る過程でもある。当然ながら、市民と行政はむやみに対立的な構図として捉えるべきではない。しかし、現今にも開発をめぐる対立、またはESDの解釈の違いが存在することが確かであり、行政はあくまで環境教育を重視しながらも、サポートのポジションを堅持すべきであろう。それに対して、中国では、行政主導で環境教育を展開してきたが、現在、そのような集中から拡散という道を歩む時が来ている。なぜなら、前述したアンケート調査によれば、環境問題の解決に関しては市民の行政依存という傾向が非常に強く表れているからである。今日、工場汚染や破壊的開発の環境問題のみならず、都市型や生活型の環境問題も深刻化している中で、市民一人ひとりが主体的な行動を求められることは必然であり、行政だけの取り組みの限界は明らかである。言い換えれば、最も社会性のある環境問題に対して、環境教育のあり方の遅れが際立っているといえよう。
(2)中国の教育システムについて 
 国際的な潮流と行政主導との結合産物としての中国環境教育は、緑色学校プロジェクトのように、西欧が主な発信地である。それによって、中国環境教育は開始期以来、徐々にその教科的と学問的地位が確立され、制度的安定につながった。しかしそれとは裏腹に、実生活との乖離などの問題からすると、国際的な潮流がいかに中国各地域の風土に根を下ろし、本来の地盤を潤い固めるかが、環境問題の核心に迫れるかどうかの鍵である。現在、蔡元培が主張した「融合創造」という理念は今も謳われているものの、国内の環境問題の深刻化と発展といった課題に即急に対応すべしという思惑によって、国際的な環境教育の流れから理念や制度、プログラムを次々と取り入れているという様相を呈している。しかし、現在、学校の授業で環境知識を習得するにあたっては「地理」や「物理」、「化学」などといった自然科学の教科を中心に展開しているため、古来より中国人になじみやすい環境に関する自然観や文化などが環境教育の国際化の中で埋没しかねない現状になっている。
 また、現行の受験教育体制は、社会の発展と人間の発展とかけ離れ、上級学校に生徒を送り込むことを教育の目的とする教育モデルであり、受験の点数や進学率が教育的質の基準として社会に定着しているため、学校における課外活動の展開や副読本の取り入れの阻害要因となっていると同時に、学校は社会の状況に素早く対応することも難しく、内発的な環境教育の生成、および環境教育の多様性にかかわる環境の醸成が制限されているのである。
 そのために導入された緑色学校プロジェクトは、学校の環境に対する負荷をできる限り小さくすることを目標に、学校の教育活動、日常管理、環境改善活動などを有機的に結合することを意味している。しかし、今日までに緑色学校では、少数参加者による表面上の管理や緑化や美化が重視され、参加を通して生徒に環境問題の本質を認識させる機会が少なくなっている。そこで、緑色学校プログラムが展開される中で、特に評価の段階において、環境管理のあり方と全員参加をいかにそのプログラムの理念を体現して、緑色学校の全体的質の向上につなげることが重要である。また、環境教育は環境問題の解決に取り組む中で、支配的な環境文化の変革につながることもあるため、緑色学校を含めた学校のカリキュラムに対する再検討がなされなくてはならない。だが、生徒を中心とするプログラムとはいえ、教師のサポートとアドバイスがなければ、その展開には困難が生じやすいため、教員研修の内容の改変が最初に行われるべきであろう。そのうえで、環境教育における、①環境知識の科学的多様性、②学習と実践との結合、③環境要素を取り入れた学校運営と日常管理といった三つの総合性の一体化こそが緑色学校における環境教育独自の意義であり、また目指すべき方向である。
 緑色学校の生徒を中心とした参加は、すべての生徒に環境学習・問題解決のスキルを発達させる可能性と機会を保障するためである。生徒のエンパワーメントによって、関係するすべての人たちが学び合える環境(空間)が構築される可能性がある。これは「教える人」と「教わる人」、「計画を立てる人」と「行動をする人」という二項対立的な関係でなく、互いの行動から学びあい、教えあうことのできる関係である。さらに、緑色学校は授業中に習得した知識を身近な場所での活動に参加して応用することによって授業と課外の教育をリンクさせることができる。こうした中で身に着けた知識は、最終的に環境智慧の獲得に繋がりうる。その智慧は一種の経験知であり、生徒の人間形成にかかわる重要な踏み台でもある。これは旧来の教室中心主義のカリキュラムによる教育の限界を突破する可能性を秘めている。
 現在の中国を支配している「受験教育」は緑色学校をはじめとする環境教育の展開への障害になっていると思われる。だが、上記のように、生徒が主体的に環境改善に関して計画作りや実施、見直しといったプロセスを歩む緑色学校は、素質教育が求める人間本位の教育を実施するための基礎となるのである。素質教育はマルクスが唱える人間の全面的発達から由来した理念でありながら、中国では単純に多様な学習と解釈されていることが多いゆえに、子供により多くの学習を提供することや、押し付けることもしばしば生じている。そのため、第六章では文献や先行研究によって、素質教育は個性に富んだ自立した、ひとりだち出来る人間のための教育モデルであることを明らかにした。この目標に向けて生徒は緑色学校作りの各段階において自分の存在価値を見出し、他者とかかわりながら、自立への道を歩む力を主体的な活動を通して育むであろう。だが、第五章の実験小学校の緑色学校づくりを通してみても、教師などの大人たちが往々にして先頭に立って、計画を立て生徒の実践を指揮するといった事態が見られる。そこで、知識伝達型の教育システムの中に、緑色学校の生徒の主体的な参加や積極的な活動を定着させるためには、社会や地域の人々の教育に対する考え方の変革も視野に入れた、息の長い緑色学校の実践的展開が求められるのである。

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