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博士論文要旨

論文題目:中国の対外経済政策決定過程に関する研究 ―GATT復帰・WTO加盟交渉を事例として―
著者:賈 義猛 (JIA, Yi Meng)
博士号取得年月日:2010年3月23日

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 論文要旨
一.問題意識と研究課題
 本研究は、政治学の視角から、とりわけ対外政策決定論のアプローチを用いて、中国のGATT復帰・WTO加盟交渉を事例として取り上げ、中国の対外経済政策の決定過程を解明することを試みた。
 経済のグローバル化と冷戦の終焉という国際政治経済の変容に伴って、中国経済は国際化を開始し、国際社会の枠組みに合わせた発展を模索することになった。それを背景に、中国は、従来の政治・安全保障面での外交を重視しながら、外交領域での経済的な要素を以前に増してより重視し、積極的な経済外交に乗り出してきた。 国内社会において、計画経済から市場経済への転換と経済の高度成長によって、中国の社会利益構造が変化し、計画経済時代に形成された「総体的利益構造」から脱却し、個別利益の尊重と利益の多様化の方向に向きつつある。
 中国の対外政策領域において、従来、「外交に小事なし」という原則が強調され、外交問題の対処は専ら共産党の指導者の指導の下で、外交部を中心としたプロフェッショナルな外交官僚によってコントロールされた「聖域」であった。しかし、上述の内外政治経済の変容を背景に、中国の外交領域における経済問題の重要性も益々増大してきた。様々な対外経済問題を処理するにあたって、その問題に内包された多様な利害関係と問題自体の専門的な性格のため、従来の指導者の個人的な認識・経験とプロフェッショナルなの外交官僚だけでは、もはや対応できなくなってきた。党と政府部門の中で、より多くの機構や組織が対外経済政策の決定にかかわるようになり、また、専門的な知識を持つ学者やシンクタンクの役割も重視されるようになった。さらに、複雑な利害関係を伴う経済問題が解決されると、国内において利益配分が変化する結果、不利益を被る社会団体が生じることも考えられる。そのため、非常に限定的でありながらも、利害の対立する諸団体がともに自らの利益を実現するために、共産党と政府当局に働きかけて、政策決定過程に参与するようになってきている。これによって、対外経済問題の処理をめぐる中国の政策決定過程が重層化、複雑化していることは容易に想像できるであろう。
 中国の政策決定の研究分野においては、これまで、中国の政策決定を事例として、政治学の理論的枠組みの中で議論する研究はそれほど多くない。また、国内政策の決定過程と伝統的な外交問題の処理過程に関する優れた研究蓄積があるのと対照的に、中国の対外経済政策の決定過程についての研究は依然として未開拓の状態にあって、研究成果もまれである。しかし、1990年代以来、国内の言論の自由化、情報公開の進展に伴って、中国の政策決定過程の研究についてより実証的な分析を可能にさせる環境が次第に整ってきた。また、中国の対外経済政策の重要性は飛躍的に高まり、その国内的影響も大きくなっているのである。そのため、中国の政策決定過程の研究において、明確な政治学の分析組みをもって、具体的な事例を通して、中国の対外経済政策決定過程を厳密に検証する研究作業は益々必要となってきた。
 以上のような状況を踏まえて、本研究の目的は、第一に、今日の中国の対外経済政策決定過程を分析する際、より適切だと思われる分析枠組みを政治学の既存成果に依拠して提示する。第二に、上記の分析枠組みをもって、15年もの歳月を要した中国のGATT復帰・WTO加盟交渉における中国の対外経済政策の決定過程を実証的に検証する。本研究は、既存の政治過程論のアプローチと対外政策決定論の研究成果に依拠し、政策決定をめぐる国内外の政治のダイナミックスを複合連繋政治過程として捉える。そして、連繋政治過程における連繋の構造と政策行為者の抽出により、ひとつの総合的な分析枠組みを構成する。こうした分析枠組みを用いて、中国のGATT復帰・WTO加盟交渉の経緯を整理し、交渉の争点とそれをめぐる対立と妥協の展開過程の全貌を究明する。第三に、政治体制さらには政策決定過程の類似した欧米諸国間での交渉とは違って、この論文が扱った事例は中国であり、かつその中国の政治体制と政策決定過程が少しずつ変化している。そのため従来の理論モデルとは異なる過程が加わっている。それは、中国の政策決定過程が外からは観察しにくく、一見ブラック・ボックスに見えてしまうことに現れている。この点が従来の研究とは違った難しさをこの研究に加えている。すなわち、この事例研究を通じて中国の対外経済政策決定の構造とプロセスをできる限り解明することを試みる。
 
 二.研究調査と資料収集について
 1.一次資料収集
 中国のGATT復帰・WTO加盟交渉の妥結はごく最近のことであったため、交渉過程に関する様々な情報が公表されていないという資料的な制約がある。しかし、あらゆる資料の入手が完全に不可能ともいえない。本研究は、文献調査のほか、次の作業を通して、可能な限り関連档案、資料の収集にも工夫をした。
 (1)WTO、中国政府と交渉相手政府の公文書:主にWTO加盟交渉に関する中国政府の公文書、GATTそしてWTO事務局側の出版物と報告書、交渉相手国の政府公文書をできる限り収集した。また、これまで各種の報道や講演で公開された中国側の交渉代表の言論および回顧録などの資料の収集に努めた。
 (2)新聞記事の整理:本研究は、新聞を資料として読みこなせば研究に役立つという考えから、主に『人民日報』、『経済日報』、『国際商報』などの中国語の新聞紙と日本経済新聞』の記事を参照した。
 (3)デジタル・データの収集と整理:これまで、主にインターネット上に流れている各種資料と情報、特に関連ヴェブサイト上のこの交渉に関する様々な情報特集について、情報源が確認できるもののみ活用した。
 2.二次文献資料調査
 筆者は日本、中国大陸、台湾と香港の大学、研究機構や図書館において文献資料の調査を行い、日本語、中国語と英語の著作、論文などの文献資料を可能な限り収集した。
 3.聞き取り調査
 以上の文献・資料収集の補足として、交渉過程にかかわってきた方々の証言を獲得することにも努めた。筆者は主に中国でこの交渉に係わった元官僚、シンクタンクの役割を果たした専門家および交渉過程を詳しく報道した新聞記者などの三種類の人物を対象としてあわせて14名の中国人の方にインタビューを行った。また、日本でも三名の方々にインタビューをする貴重なチャンスを獲得した。
  
 三.論文の構成
 本研究は七章から構成され、序章では上記の本研究の問題意識と研究課題を述べたが、第一章以降各章の内容は以下の通りである。
 第一章では、まず、中国の政策決定過程、とりわけ対外経済政策の決定過程および中国のGATT復帰・WTO加盟問題に関する既存の研究成果を整理し、先行研究の問題点を明らかにし、本研究の位置付けと研究のオリジナリティーについて述べた。次に、本研究の分析方法について述べた。政治過程論と対外政策決定論の分析手法とその進展状況を考察した上で、主に国内外連動の政治過程に焦点を絞った理論モデルを参考にしながら、「複合連繋政治過程」のアプローチを提示した。ここで言う「連繋」とは、主に国際交渉をめぐる三つの「縦」の連繋と二つの「横」の連繋から構成される。三つの「縦」の連繋が政府内政治過程の国際的な相互作用という官際連繋、各国の国内政治アクター間の国際的な相互作用という民際連繋、と以上の二つのレベルの交差的な連繋という官・民交差連繋を指す。二つの「横」の連繋が二国間交渉と多国間交渉の連繋と交渉争点の連繋を指す。国際交渉をめぐる対外政策決定過程はこうした複合的な連繋構造の中で国内外政治アクターの相互作用の政治過程、いわゆる「複合連繋政治過程」として捉えられる。
 第二章では、中国のGATT復帰・WTO加盟問題の由来と交渉の焦点について概観した。まず、加盟対象としてのGATT・WTO体制の概要や加盟の手順を説明した。そして、次に、中国のGATT復帰・WTO加盟問題の由来を説明する上で、5つの交渉難題からこの交渉の特殊性を明らかにした。第一に、中国のGATT参加がGATTへの「地位回復」であるかそれとも「新規加入」であるかという問題があった。第二に、GATTからWTOへの転換を受け、交渉の内容が拡大し、サービス分野の自由化が交渉の焦点となり、中国とWTO加盟国側との協議が難航した。第三に1990年以降、中国の復帰交渉が台湾のGATT参加の処理とリンクされて、交渉争点の連繋政治現象を形成させた。第四に、中国が、発展途上国としてGATT・WTOに加盟することを目指したが、アメリカをはじめとするGATTの加盟国側が中国の発展途上国資格に反論し、先進国並みの条件で加入すべきだと強調した。最後に、中国が選択的セーフガードなどの特別義務を受け入れない立場に立って交渉に臨んだが、主要な加盟国は中国の加盟に特別義務を加えることを強調した。
 第三章では、国内制度、政策行為者の抽出によって、中国の対外経済政策決定の構造を分析した。ここでは、まず、対外経済政策決定に制約をした国内政治制度を概観した上で、政策決定の政府内政治構造を「指導部政治」、「省庁と官僚政治」、「交渉団の構成」に分け、諸政府内政策行為者の役割と実態を初歩的に考察した。次に、中国の経済、社会の構造的変容を踏まえ、シンクタンクの役割の増大、利益団体政治の顕在化、国内世論の多様化を中心に分析し、対外経済政策決定過程における非政府政策行為者の登場とそれらの影響力について検討した。
 第四章では、1994年までのGATT復帰交渉の展開過程に注目し、この時期における交渉情勢の転換に基づいて更に3つの交渉段階、つまり、1980年から1986年7月までの交渉の「下準備期」、1986年8月から1989年5月までの交渉「順調期」と1989年6月から1994年12月までの「難航、再開と失敗期」に分けて、それぞれの時期の交渉の経緯と中国の政策決定過程を分析した。また、台湾のGATT加盟申請にも着目し、両岸のGATT加入交渉の交錯とこの問題の処理過程を検討し、それに関連する中国の政策決定過程の実態を追跡した。
 以上の推移のなかで複合連繋がどのように現れていたかを指摘しておこう。GATT復帰交渉をめぐる中国の政策決定過程において、「下準備期」から「順調期」までの交渉をめぐって、中国の政策決定は、主に官僚の主導で行われ、指導者の強力な介入が少なかった。同時に、GATT問題に対処するために、外経貿部が先頭に立って、ほとんどの復帰政策の策定と実施を担当していた。また、GATT復帰問題の専門的性格から、中国政府は早くからも外国からの知的援助と国内のGATT研究工作の強化を重視し、内外の専門家やシンクタンクがこの政策決定過程にかかわるようになった。この時期には複雑な連繋は見られないが、専門スタッフが政府外から加わるというこれまでに中国の政策決定では見られなかった要素が出現した。
 その後、交渉の停滞と難航の中、中国の政策決定過程が次第に変容してきた。第一に、1989年以後、人権問題、最恵国待遇供与問題などを巡って、激しい米中対立が生じた。最恵国待遇供与問題を巡る米中紛争の深刻化が中国の指導部にGATT復帰問題の重要性を改めて認識させ、GATT復帰交渉を通じてアメリカから恒久的最恵国待遇を獲得することが中国の最も重要な交渉目標となった。GATT復帰問題が米中の最恵国待遇供与問題と直接リンクされ、交渉争点の連繋政治現象が初めて浮上してきた。同時に、台湾のGATT加盟申請も中国の復帰交渉とリンクされ、交渉争点の連繋は一層複雑化した。第二に、官僚政治レベルにおいて、交渉内容の拡大に伴い、GATT復帰交渉にかかわる中央省庁は更に多くなり、省庁間の立場の食い違いが表面化した。しかし、中国の政府内政策調整が順調に進まなかった。従来、中国のGATT復帰交渉失敗の原因が主にアメリカが過剰な加盟要求を提出したことであると中国国内で広く報道されたが、本研究で明らかにしたように、中国政府内政策調整の不調がGATT復帰交渉を失敗させた重要な要因ともなった。これは本研究による発見の一例である。第三に、GATT復帰交渉の後期段階で、GATT復帰問題は政府内政治を越え、「GATTブーム」の発生により、普通の民衆の注目までも集めるようになった。「GATTブーム」の高まりの中、「GATT復帰礼賛論」と「GATT参加衝撃論」の意見が同時に登場するようになった。この問題を巡る意見論争の公開化は、GATT復帰問題を巡る政策決定もより重層的な構造へと変容させた。
 最後に、復帰交渉の後期段階に入って、「連繋政治」現象がしばしば現れるようになった。交渉争点が連繋化したことはすでに述べたが、この他官際連繋においても新しい点が見られた。最恵国待遇供与を獲得するため、中国政府は、一方で、アメリカの行政府との協議において、一定の譲歩を打ち出し、大統領に対中最恵国待遇供与を更新するように働きかけた。もう一方で、アメリカの国会議員を多数中国に招聘し、積極的に対米議会外交を行って、アメリカ議会の対中敵視の勢力を分裂させようと努めた。逆に、アメリカも官際連繋の行動戦略を活用した。例えば、二国間交渉で、アメリカがサービス分野において中国の交渉団に新たな譲歩を要請したが、中国交渉団はそれを拒否した。その後、アメリカの高官が中国の交渉団を避けて、直接中国の関連政府部門のサービス産業政策担当者と接触し、サービス分野での譲歩を求めた。
 第五章では、1995年以降のWTO加盟交渉の展開とそれをめぐる中国の政策決定過程を明らかにした。本研究では、この段階での交渉を、市場アクセスを交渉内容とした主な二国間交渉と加盟議定書の作成を中心テーマとした多国間交渉に分けて、それぞれの交渉の実態と中国の政策決定過程を分析した。この段階の交渉をめぐる中国の政策決定過程において、次のような特徴が現れた。
第一に、GATT復帰交渉の失敗を受けて、中国の指導部がこの問題の重要性を重視し始め、より直接的な介入と全面的なコントロールを行うようになった。1995年以降、新たな交渉原則の確立や具体的な交渉方針の策定は、常に江沢民の直接の指示で行われた。 米中とEU・中国交渉の最終段階で、朱鎔基が自ら交渉の陣頭に立って、強い政治決断で最終的合意達成へ導いた。しかし江沢民と朱鎔基の影響力が最も強かったとはいえ、最終の政策決定はやはり政治局会議を通して、集団指導の形で行われたのである。中国の指導部政治は、集団指導体制の強調と政策決定のルール化へと変容してきた。
 第二に、政府内政策行為者の多様化と政策調整の難航が依然として交渉の進展に重要な制約を与えた。WTO加盟交渉の段階に入ると、交渉分野の拡大によって、この交渉に参加する中央省庁が更に多くなり、産業政策担当の省庁も交渉にかかわるようになった。サービス分野での交渉を巡って、WTO加盟国側から強い要請があったにもかかわらず、中国の交渉団は1999年まで大胆的な市場自由化案を提出することができなかった。その背後には、サービス産業の自由化を巡って、WTO早期加盟を提唱した外経貿部と幼稚産業保護を強調した産業政策担当省庁の対立が存在し、政府内政策調整の不調という背景があった。中国政府は、国務院の中で早くも政策調整組織としての指導小組を設立したが、その政策調整の機能が十分に行うことができず、1998年にこの組織を廃止した。1999年以降、国務院の中で新たな小組が設立されたが、米中交渉の経緯から明らかになったように、最後の政策調整はやはりより高いレベルでの中央財経工作指導小組で行われて成功したのである。指導部の強力な介入がない場合、省庁間・官僚組織内部の政策調整がなかなかうまくできないことは中国の政策決定過程のもう一つの側面を物語っている。
 第三に、非政府政策行為者の役割がより目立つようになってきた。まず、筆者のインタビューで明らかになったのは、上海WTO研究センター、対外経済貿易大学のWTO研究院を代表とする学術型シンクタンクの役割が目立っていたことである。次に、大型国有企業・寡占産業およびそれらの業界団体と有力な外資企業が、利益団体として登場し、様々な陳情やロビー活動を展開した。さらに、この問題への注目度の高まりとナショナリスティックな世論の台頭を背景に、GATT/WTO参加の是非を巡る政策論争が表面化し、多様化した世論も中国の政策決定過程に一種の制約を形成させた。
最後に、「複合連繋政治」現象が多発するようになった。まず、官際連繋の現象に関して、中国の政策決定過程の中、中国の交渉者がアメリカ政府の市場開放の要請を「外圧」として取り込んで、市場開放に関する政府内外の勢力を封じ込んで、交渉の妥結と国内経済改革の促進へと活用した。次に、官・民交差連繋の現象について、米中交渉の中で、中国が「買い付け」外交を活用し、アメリカの大手企業をはじめとする有力の利益集団に特別な便益を与え、そして、かれらを動員し、アメリカ国内政治過程において中国の代弁者の役割を働かせる政策工作を行った(官→民交差連繋)。 これに対して、日中交渉の中で日本流通業の大手企業が中国国内貿易部と意見交換をしたことや生命保険市場開放問題を巡って、AIGの会長が朱鎔基に直接的に働きかけたことは、逆の方向で「民→官交差連繋政治」を形成した。一方、政策行為者の意図と反する官・民交差連繋政治現象も本研究で確認された。これも筆者の発見である。例えば、1999年4月8日、アメリカ通商代表部が中国交渉団の了解を得ずに米中交渉の内容を公表した。この行動はアメリカ政府の一種の国内の説得工作だと理解できるが、しかし、それと同時に、この内容がインターネットを通じて、中国国内にも知れ渡った。こうした内容が、中国国内で強い反発を引き起こし、中国政府は一時的に強硬な交渉態度に転じた。これによって、アメリカ政府の行動が中国国内で当初彼らの意図していたことと全く逆の効果をもたらした。
 終章では、GATT復帰・WTO加盟交渉の長期化をもたらした諸要因をあらためて整理し、交渉の展開過程に重層的に現れた連繋現象を抽出した。また、この交渉を複合連繋政治過程として捉えることによって、本研究で提示した分析枠組みの有効性を検証した。最後に、この交渉から見た中国の対外経済政策決定過程の特徴を次の3点に総括した。第一に、中国の対外経済政策の決定過程において、建前としての高度集権的指導部政治構造と断片化した官僚政治構造が並存している。第二に、対外経済政策の決定にかかわる政策行為者の多様化によって、中国の政策決定過程は次第に複雑化、重層化した構造を形成するようになってきた。第三に、政策論争の公開化と政府政策批判の論調への容認の増加によって、中国の政策決定過程を従来の閉鎖的で不透明なメカニズムからより合理的な開かれたメカニズムへと変容している。今日の中国の政治体制は、まだ民主化の実現までほど遠いが、政策行為者の多様化、政策論争の公開化と政府政策批判の論調への容認の拡大により、事実上の政治過程の変容が確実に進行しているといえよう。上記の様々な民主化の方向を結ぶ進歩的な政治要素の蓄積は、将来的に民主主義への軟着陸を導く可能性が十分にあるだろう。

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