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博士論文要旨

論文題目:マルクスにおけるイデオロギーとヘゲモニー
著者:明石 英人 (AKASHI, Hideto)
博士号取得年月日:2010年3月23日

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 本研究は、マルクスがイデオロギー領域における言説的対立・同盟関係をいかに捉えているかに注目し、そこから彼のヘゲモニー論を浮き彫りにしようとするものである。これはグラムシ的なアプローチによるマルクス再読の試みであり、マルクスの政治理論をより生産的に展開することを目指している。その際、ラクラウ&ムフが提示したヘゲモニー論も批判的に摂取し、それをマルクスの議論そのものと突き合わせることで、マルクスをヘゲモニー論的に解釈することの有効性を明らかにする。
 マルクス主義的な政治理論については、プロレタリアート独裁論、前衛主義的革命論などに対して、これまで様々な角度から批判がなされてきた。ラクラウ&ムフのような「ポスト・マルクス主義者」は、それらのマルクス主義的見解が本質主義、経済還元主義に陥っているとして批判し、労働者の多様化が進んだ今日、マルクス主義は基本的に失効したとする。だが、彼らが実質的に批判の対象としているのは、旧来の正統マルクス主義であろう。また彼らは本質主義や経済還元主義を批判してポストモダン的な発想を取り入れようとするあまり、多くの理論的難点を抱え込んでもいる。
 マルクスのヘゲモニー論を描出する作業において、一つの鍵になるのは、マルクスが「普遍性(Universalität)」と「一般性(Allgemeinheit)」を初期の頃から区別して用いていたということである。支配階級は自分たちの特殊利益を普遍的なものとして標榜する。被支配階級にとってそれは偽善的・欺瞞的なものにすぎない。哲学や道徳といったイデオロギー領域においては、それは普遍性をめぐる対立となる。『ドイツ・イデオロギー』(以下『ド・イデ』)においてマルクスは支配階級の標榜する普遍性を“Allgemeinheit”と表記し、世界交通のもとでのプロレタリアートの立場である“Universalität”と区別していたのである。ここで前者はブルジョアジーの特殊利益とその正当化にもとづく国民的統合を意味し、後者は人間的生活を破壊された被抑圧者の広範な連帯を含意する。
 現実の各国の社会状況は錯綜したものであり、純粋な資本主義社会というものはまずありえない。複数の生産様式が接合しているなかで、生産関係や政治的対立関係は複雑化し、各階級の政治的課題(たとえば、ブルジョア階級がブルジョア民主主義革命を起こす)というものも単純な段階論で処理できるものではなくなっている。つまり、史的唯物論の「定式」のズレ(「位置移動(dislocation)」)がつねに発生している。そのために、「普遍性」をめぐる争いが同盟関係をもとに展開されるのであり、こうしたズレとヘゲモニーの問題を重視するラクラウ&ムフのスタンスは高く評価できる。ただし、彼らはこのズレが伝統的なマルクス主義においては高次の合理性(たとえば歴史法則)によって除去・回収されてしまうとし、ここから史的唯物論の破綻を宣言するが、それは短絡的であろう。
 これまでヘゲモニー概念は多義的に用いられてきたと思われる。グラムシはクローチェなどの影響を受けつつ、この概念を質的に拡張させた。ラクラウ&ムフも『ポスト・マルクス主義と政治』で指摘しているが、レーニンにおいては、ヘゲモニーがもっぱら政治的指導を意味しているのに対し、グラムシの場合は、文化的・道徳的指導をも含意していると言える。本稿は、こうした見解を基本的にふまえつつ、グラムシ的な「説得(persuasione)」と「同意(consenso)」の調達、およびラクラウ&ムフの議論に顕著に見出される「同盟関係」としてヘゲモニー概念を使用する。
 マルクス自身はヘゲモニーなる語を用いているわけではないが、本研究では、マルクスのヘゲモニー論的考察を主に彼のイデオロギー論のなかに見出している。ただし、マルクスが言うイデオロギーとは一義的なものではなく、上記のヘゲモニーの意味内容に集約されるものでもない。たとえば『ド・イデ』においては、イデオロギーとは「理論的妄念」(土台の「必然的な昇華物」でもある)のことであり、実践から遊離したドイツの哲学者などによって産み出されたものである。これは狭義のイデオロギー概念である。それに対し、『経済学批判』「序言」におけるイデオロギーは、観念諸形態を包括する語として便宜上用いられたともとれるし、あるいは上部構造全体に相応する概念であるとも考えられる。いずれにしても、こちらは広義のイデオロギー概念だと言える。
 この違いをふまえたうえで、渡辺憲正『イデオロギー論の再構築』などを参考に、マルクスのイデオロギー概念を整理すれば、①分業から生じた精神労働者たちの観念的生産物、②転倒した認識が生み出した観念形成物、③「普遍性(一般性)」を標榜する支配的思想、④物象化あるいは「商品フェティシズム」と結びついた抽象的思想、といった側面がある。本論文がヘゲモニー論との関わりで最も重視するのは、③の側面である。この「普遍性」を標榜するイデオロギーとは、階級利益の追求を正当化する機能を果たすが、アルチュセールが言うように、諸主体に「呼びかけ(interpellation)」を行うものでもあると考えられる。イデオロギーからの「呼びかけ」を受けて主体は構成され、またそのこと自体がイデオロギーと主体との相互的関係を再生産し、規範的な拘束性ないし価値的な正当性を帯びていくのである。
 マルクス主義的イデオロギー論のなかで関連する先行研究として、まず渡辺憲正は、イデオロギーの性格規定として、理念の自立化と社会的統合という二契機をあげている。彼はイデオロギーを虚偽意識や物象化された意識とは同一視しない。また、社会的統合作用とは、「普遍性」を標榜する支配的思想による「呼びかけ」と関わってくるだろう。こうした視座が本稿と一致する。イーグルトン『イデオロギーとは何か』はマルクスとグラムシを大きく扱っている。彼は『ド・イデ』と『経済学批判』、『資本論』段階の議論を区別しているが、それは本稿の理解とほぼ重なる。しかし、彼は、『ド・イデ』のイデオロギー論をもっぱら虚偽意識論として読み込んだうえで、『ド・イデ』が支配的諸思想としての政治的イデオロギーを論じるのは矛盾であると考えている。それはむしろ彼が『ド・イデ』における狭義のイデオロギー概念を理解し損ねていることを示している。
 マルクスのイデオロギー論をヘゲモニー論的観点から読む、というアプローチについては、近いものとしてプーランツァスの試みがある。彼は『資本主義国家の構造―政治権力と社会階級―』において、支配階級の階級利益に規定されつつ国家が「一般的利益」を標榜して自立化することに注目していたし、支配階級内に複数の分派が共存すること、また資本主義的社会構成体に複数の生産様式が混在することを重視した。しかし、プーランツァスにとって、ヘゲモニーとは、ある階級内での最終的な覇権、決定権力のようなものであり、知識人と大衆、あるいは革新的階級と中間階級などの関係性を分析するための概念ではなく、むしろそれらを前提にしたものである。また、彼は構造主義的な立場から、初期マルクスを「歴史主義」、あるいは「主体を中心に据えていた」段階として批判する。しかし、イデオロギーの批判やヘゲモニーの構築は、諸主体の実践的運動のなかで、また疎外を止揚するなかで果たされるとするのが、マルクスの理論の要であり、プーランツァスの議論はそれを根本的に捨象してしまっている。
 他にも、芝田進午のイデオロギー論、ボブ・ジェッソプ、田口富久治、大藪龍介らの国家論、田畑稔のアソシエーション論などが本研究のアプローチと密接に関連する。
 マルクスのイデオロギー論の発展段階、革命論の転回などをふまえて、本稿の概略を示すと、おおむね次のようになる。
 第一部「ヘゲモニー論の再検討」ではラクラウ&ムフとグラムシのヘゲモニー概念について再検討し、マルクスを読解する際の分析装置を形成する。第一章では、ラクラウ&ムフのマルクス理解の問題点を確認しつつ、彼らの議論を批判的に摂取する。彼らは正統マルクス主義を単純な経済還元主義や本質主義的階級観、生産力中心主義と見なして批判するが、その際にマルクスを正統マルクス主義と同一視している。彼らは政治活動の自律性を強調するが、経済領域の扱い方は不明瞭である。しかし、ラクラウ&ムフの位置移動、敵対性にもとづく集合的アイデンティティ形成や言説的節合などについての議論は、マルクス読解においても参照する価値のあるものだと考えられる。第二章では、グラムシが経済還元主義的マルクス理解を乗り越えるために、オリジナルなマルクス読解によってヘゲモニー論を形成しようとしたことを示す。グラムシのヘゲモニー論にはさまざまな源泉が存在するが、本研究では彼の『獄中ノート』におけるマルクス摂取ということに焦点をしぼる。第一節で、彼のヘゲモニー論を、ヘゲモニー装置としての学校やフォーディズム、有機的知識人の役割、同意と強制の位置づけという観点からまとめ、受動的革命とトランスフォルミズモが上記の「位置移動」の問題と関わることを示す。第二節で彼が『独仏年誌』、「フォイエルバッハ・テーゼ」、『哲学の貧困』、『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』、『経済学批判』「序言」をいかに読んだか、どんな論点を引き出したかを整理する。注目されるのは、グラムシが、彼の「実践の哲学」が「テーゼ」を強く意識したものであること、『哲学の貧困』で経済領域から政治領域への移行を重視したこと、「序言」の読解に際し、マルクスのイデオロギー論を虚偽意識論として理解する次元から脱却していたこと等である。
 第二部「知識人とプロレタリアートのヘゲモニー的関係」では、プロレタリアート階級の形成および知識人(イデオローグ)との関係性が初期マルクスによっていかに把握されたかを問題とする。第三章で、1843年末執筆の『独仏年誌』の二論文を扱い、ドイツ哲学とプロレタリアートの結合にかんする議論やグラムシとマルクスの市民社会論における連続性について考察する。マルクスは同書で「市民社会の精神的要素」としての教養と宗教について述べており、市民社会=物質的土台という捉え方とは異なる見方を示している。また、社会変革の出発点としてグラムシは大衆の「良識」を考えたが、マルクスも、宗教が現状維持的な慰撫として機能する危険性はもちろん把握しつつ、宗教の中に解放論的ポテンシャルも認めていたのではないかとする。第四章では、主に『経済学=哲学草稿』とアーノルド・ルーゲを批判した「批判的論評」を扱う(ともに1844年)。マルクスは『ド・イデ』以前には、「イデオロギー」という語はほとんど用いていないが、実質的には『経済学=哲学草稿』で、国民経済学とマナーズ(生活態度)論的道徳イデオロギーとの関連を考察している。グラムシは同書を読んでいないが、知的・道徳的指導という論点が大きく重なる。マルクスは、とくに贅沢排斥論や人口増殖抑制論、交換性向論のイデオロギー性を批判しながら、人間の全面的な発展を展望したのである。また、『経済学=哲学草稿』では「支配的思想」としてのイデオロギーと関連する、地主と資本家の道徳イデオロギー的対立についても叙述されている。「批判的論評」では、シュレージエンでの局地的な蜂起が普遍的連帯の可能性をもつこと、また英独仏のプロレタリアートの連帯について考察されている。第五章は疎外論とヘゲモニー論の関係を扱う。主に『ド・イデ』(1845‐46年)に依拠するが、そこではなぜドイツ哲学(およびその疎外論)がプロレタリアートと結合できず、イデオロギーとして自立化したのかが述べられている。自然発生的な分業が社会的諸関係の自立化を生じさせ、そこから諸個人の意識における疎外が生じる。ドイツ哲学の疎外論は無自覚的にそれを反映している。『ド・イデ』はイデオロギーを実践から遊離した人間の観念形成物として扱っており、物象化あるいは商品フェティシズムと結びついたイデオロギーを想定している側面は弱い。疎外論が理論として自立化することを防ぐために、知識人とプロレタリアートが実践の中で結合することが求められるのであり、その結合こそが、労働やコミュニケーションにおける疎外の止揚、教養形成=陶冶を意味しているのである。
 第三部「国民的ヘゲモニーと普遍的結合」では、マルクスのヘゲモニー論の発展において『ド・イデ』が移行期の作品にあたり、それ以後、中間階級論、イデオローグと階級的母集団のズレ、国民的ヘゲモニーの問題などがクローズアップされることを示す。このヘゲモニー論的発展は、良知力『マルクスと批判者群像』が指摘する、一段階論的革命論から二段階論的革命論への移行ということに結びついている。すなわち、1844年段階では、新興プロレタリアートの階級主体形成および知識人(イデオローグ)とプロレタリアートの結合にもとづく一段階的な社会革命が主題となっていたのにたいし、『ド・イデ』における考察をへて、1846、47年頃(「アンネンコフへの手紙」など)から、社会革命における小市民層の位置づけが重要視されるとともに、小市民層と封建勢力が結びつくドイツについては、ブルジョア革命からプロレタリア革命へという二段階的な革命論が提示されるようになるのである。第六章では、『ド・イデ』における二つの「普遍性」に注目する。同書では、イデオロギーが精神労働者の観念的形成物あるいは転倒した意識の産物として語られるのが目立つが、その一方で、「支配的諸思想(die herrschenden Gedanken)」と「イデオロギー」の区別と連関が説明されている。この点に注目することで、ブルジョア的特殊利益追求の正当化(「一般性」)と国家の関係を分析することができる。すなわち、国家はたんに階級支配の道具とされるだけではなく、ブルジョア的共同利害と個々の特殊利害の不一致にたいして介入・調整する機関でもあるとされている(「国家=関係説」)。さらに、ブルジョア・イデオローグとその階級的母集団の間でズレが生じる可能性、「一般性」を標榜する国家がプロレタリアート階級にとっては「幻想的な共同社会」でしかないことがふまえられ、国家が言わば立体的に捉えられており、ここにヘゲモニー論的な国家論を見出すことができる。第七章では、1848年の『共産党宣言』を扱う。同書においては、ドイツの二段階革命論が明示され、ドイツとフランスのそれぞれの特殊性から、両国におけるプロレタリアートと小市民層の同盟・敵対関係が区別される。『ド・イデ』より後は、「普遍性」と「一般性」を対比させるような書き方は目立たなくなるが、『共産党宣言』におけるプロレタリアートの運動の「内容」と「形式」にかんする議論がそれにほぼ対応している。そこではプロレタリアートが国際的連帯と国民的ヘゲモニー構築を結合させる必要があることが示される。第八章では、1850年代初頭の『フランスにおける階級闘争』と『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』を取り上げ、主にラクラウ&ムフのマルクス主義批判と対照する。私見では、両書において、「支配的思想」としてのイデオロギーとそのもとでの諸勢力の離合集散が具体的な事例によって豊富に述べられる。とりわけ「共和制」が、ブルジョア各派の共同支配を成立させるための「空虚なイデオロギー的形式」とされる点が目を引く。また、両書で強調されていたのは、農業国フランスにおいて、ブルジョア諸派の共同支配に対抗するために、プロレタリアートと分割地農民、小市民の同盟が必要であったことなのである。産業ブルジョアジーのボナパルト支持への転換や分割地農民内部の布置連関などは、経済還元主義や本質主義的階級観の枠を大きく踏み越えている。いわゆるボナパルティズムの問題も、国民的ヘゲモニーとの関係から考察すれば、ボナパルトのポピュリズム的・権威主義的戦略が、対抗ヘゲモニーとしての「プロレタリアート独裁」を(当時のマルクスの予想に反して)封じ込めたものであると整理することができる。
 1850年代後半以降のマルクスにかんしては、『資本論』以後の晩期、とりわけロシア農村共同体の研究について予備的な考察をおこなったものを補論として付け加えた。『資本論』以後のロシア研究におけるヘゲモニー論的観点に着目することは、マルクスのナロードニキ支持を理解するうえで有効である。なぜなら、ロシアの経済発展のなかで農村共同体は必然的に解体するという予測は、階級関係を横断して、支配ブロックとロシア・マルクス主義者に共有されており、それとナロードニキが対立するという捻じれた構図が見られたからである。
 本稿の考える「唯物史観」や「階級闘争史観」、「土台-上部構造論」とは、「導きの糸」から演繹される歴史・社会理論ではない。それらは、マルクスが時論的著作におけるヘゲモニー論的分析から練り上げた一種の「理念型」である。ただし、現代の実証的な歴史学研究は、とくにプロレタリアートの位置づけにかんして、しばしばマルクスとは異なる見解を示している。なかでも1848年前後のフランスやドイツで、マルクスの想定するような革命主体としての大工場プロレタリアートはほとんど実在しなかったのではないか、という見方がある(たとえば中木康夫、良知力など)。この点は、実証面において、マルクスに限界があったことは否定できないと思われる。だが、筆者としては、近代的産業の発展のなかで大工場プロレタリアートの存在が質的にも量的にも大きな意味を獲得していくことを先取り的に概念化した、マルクスの社会・歴史理論を積極的に評価したいと考える。
 本論文がマルクスからヘゲモニー概念を抽出しようとする作業は、上述したイデオロギーの「支配的思想」の側面を重視し、従来テクストに即して掘り下げられることがあまり多くなかった、「普遍性(一般性)」を標榜する契機に注目して、「同盟関係」にもとづく政治的・文化的な覇権争いの扱い方を跡付けていくことを意味している。そのための補助作業として、ヘゲモニー論の新旧の代表的論者であるグラムシとラクラウ&ムフを参照し、同時に彼らのマルクス理解を検証する。こうしたアプローチは、文献学的研究が不足している面があることは否めない。だが、グラムシ、ラクラウ&ムフのマルクス理解の水準を検証しつつ、彼らの議論の生産的な摂取を通して、マルクスをヘゲモニー論的に読むことは、とくに現代のイデオロギー状況、つまり新自由主義の猛威と呪縛のもとにある状況において有効になってくるはずである。

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