博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:レーニンの政治思想――比較思想の試み
著者:白井 聡 (SHIRAI, Satoshi)
博士号取得年月日:2010年2月10日

→審査要旨へ

 本論文の目的は、ヴラジーミル・イリッチ・レーニンの思想について政治哲学的な視点から問い直すことである。レーニンの生涯の足跡や思想についての包括的な研究はこれまで少なからず書かれてきたが、本論文の狙いは、彼の思想を近現代思想史の文脈に置き直すことによって、従来焦点化されることの少なかった思想的特徴を照射するところにある。
 このような観点から、本論文では、比較思想史的な方法が採用される。比較思想史的方法によってレーニンの思想を解釈する試みには、少なからぬ前例がある。ただし、本論文における「比較」は、その重点を通時性よりも共時性の方に設定するところに特色がある。従来の比較思想の方法に依拠した研究において、レーニンの思想は通時的視座に基づいて、かつマルクス主義思想の歴史という枠組みで解釈される場合が多かった。そして、多くの場合、通時性の視座は「進化」の観念を、明示的にせよ暗黙の裡にせよ、含んでいる。「進化」の観念からレーニンの思想をとらえた結果、従来の研究は、レーニンのマルクス主義をマルクス主義の「発展」あるいは「退化」ととらえるかという二元論に落ち込んで行った。かかる経緯の後、ソヴィエト連邦の崩壊を経て全体主義論の枠組みが議論を席巻し、レーニン主義=全体主義という単純に過ぎる図式が流布されるに至った。本論文は、いかなる意味においても進歩史観を斥けることによって、「発展」か、「退化」か、あるいは「全体主義」かという図式主義を避け、レーニンの思想的個性を歴史的文脈の参照を通して剔抉することを目指す。
 こうした解明の作業のために必要とされるのが、思想の共時性という観点である。すなわち、レーニンが自らの思想を形成し、また革命を実行した時代は、欧米においてもアジアにおいても大衆の出現および産業文明の高度化、そしてそれらを基盤として闘われる総力戦といった事態とともに、今日にまでその影響が及んでいる重要な新しい思想的・文化的諸潮流が生まれた時代であった。言うまでもなく、それら二〇世紀の抱えた問題を凝縮した運動は、狭義のマルクス主義の思潮内に限られたものではあり得ない。これらの運動は、帝国主義へと展開しその野蛮性をむき出しにして行く資本主義の矛盾、そして資本主義とテクノロジーの発展によって変貌する生活体験、感覚そのものの変容、というこの時代の共通の経験の只中から生じてきたものである。かかる出自を持っているがゆえに、それらの思想・文化的運動のうちの少なくない部分が左派的傾向、革新的傾向を有し、その一部は、例えば前衛芸術運動に代表されるように、文化革命を標榜していた。つまり、これらの現象の背景には、従来の世界像の崩壊と、ブルジョア文明の全般的な行き詰まり、閉塞感という精神的雰囲気がある。ゆえに、これら諸運動の多くは、近代文明の破壊と再生への強い志向性を持っていた。現に、第一次大戦という文明の全面的破綻を経験したヨーロッパ諸国の多くで、革命ないし対抗革命(保守革命)は避けられないものとなった。それらは、既成の近代的政治・文化に対して否を突きつけることになる。かかる意味において、本論文で言及されレーニンと対比されるさまざまな思想潮流は、近代文明と資本主義の〈外部〉を求め、探究するものとして、分析される。
 こうした新思潮と文化運動の群生状態のなかにあらためてボリシェヴィズムなりレーニンなりの存在を置き直してみるならば、それはこれらの〈外部〉を求めるラディカルで多様な諸運動の集合の一要素であった、と見ることもできる。レーニンによってマルクス主義は塗り替えられるわけだが、その歴史的過程は、より広範な思想的・文化的パラダイム・チェンジが生ずる過程と時を共有しているのである。
 以上に述べてきたことから、本論文は「レーニンの政治思想」を網羅的に論じて理論の全体像を提出することは行なわないし、もとより網羅性・全体性を志向してもいない。本論文の各章はそれぞれ、レーニンの言説と他の思想家の言説との対比の作業にあてられているが、こうした構成の意図するところは、レーニンを取り囲む諸々の言説・主張といういくつものプリズムを通してあらためて彼の言説を吟味することによって、既存の議論の枠組みとは異なる角度から彼の思想的特徴――それを筆者は〈力〉の思想と名づける――を照射しようと試みることにある。それにより、彼の生きた時代の知と政治的世界観の構造の立体的な見取り図を得ることが目指される。
 本論文が目標とするいまひとつの課題は、レーニンの思想と後代の思想との対話である。こうした試みは、ある意味で通時的な方法によって企てられているとも言えるが、本論文は、この試みにおいても、思想の単線的進化という立場を取ることはしない。言い換えれば、レーニンの議論における欠点や不整合が後の読み手たちの思想によって揚棄されたという見方を取ることはない。また逆に、退歩という見方、すなわちレーニンの到達した地点が後に来る者によって忘れ去られるか、低められたという見方も採らない。つまり、ここでも課題は、共通の問題機制の剔抉にあり、そこからレーニンの思想の本質を透視することにある。すなわち、本論文が後代の思想として取り上げる思想家の多くは、それぞれに卓越したレーニンの読み手であるが、本論文の企図は、これらの読み手たちがいかなる音調において、レーニンの思想との時空を超えた共鳴の関係に入るのかを聴き取るところにある。そして、この共鳴から浮かび上がるレーニンの思想における本質的なものを摘出し、それを吟味することを目指すのである。
 
 以下各部の要旨を説明する。
 第一部はレーニンの唯物論哲学を主題的に取り扱う。今日、レーニンの哲学的主著『唯物論と経験批判論』は悪名高いものとなって久しいが、本論文では先に述べた同時代性の視点から同書を再評価することを試みる。知の転換期という時代の文脈に留意しつつ注意深く読むならば、このテクストは、忘却されるべき愚考などではなく、ロシア革命が、あるいはその時代がいかなる事柄を突破しようとしたのかということを、世界像の転換という観点から、あるいは人間学的見地から検討するための最も有益な材料を提供している著作であることが、明らかになる。具体的には、第一章では、レーニンの特異な「物質」概念に込められた、有限の「歴史」から離脱しようとする過激な終末論の思想が明らかにされ、当時の芸術運動と思想的立場において見事に共鳴するものであったことを見る。第二章では、哲学論争におけるレーニンの直接の論敵であったボグダーノフとマッハの思想の内在的検討を経て、唯物論論争の思想史的文脈を精査し、レーニンの唯物論の主張の含意を明らかにする。
 続く第二部では、レーニンとジークムント・フロイトの思想的並行関係について論じる。ボリシェヴィズムと精神分析がほぼ同時に発生したということは、偶然ではない。レーニンとフロイトのロジックを並行的に追求して行くことによって際立つのは、両者の行論の不思議なまでの類似性である。無論、両者のうちの一方は熱狂的な革命家であり、他方は政治的にはほとんどニヒリスト的な立場を取っているのであって、その意味では彼らは対照的である。しかしながら、フロイトはその生涯で最も厳しい苦境に陥ったとき(最晩年)にこそ、人間性の革命の可能性を語ったのであり、その言説はレーニンにおける革命の語りとほとんど一致するに至る。こうして、仮に精神分析が人間性における革命を主張する言説であったのだとしたならば、それはレーニンの構想した革命といかなる接点を持ちうるのか――このことが検討される。第一章では、レーニン『何をなすべきか?』とフロイト『モーセと一神教』を中心とした分析を行ない、続く第二章では、さらにフロイト『文化への不満』その他のテクストとレーニンのロジックとの対称関係を検証する。
 第三部では、「政治的なもの」の概念をめぐって、特にデモクラシー=民主主義の理念をめぐって、レーニンと彼の同時代的思想家との比較研究と同時に、現代思想とレーニンとの比較研究が行なわれる。第一章では、カール・シュミットの議論を補助線として、再びフロイトの議論、わけても精神分析の起源に焦点が当てられ、現代のデモクラティックな政治思想における平板なコミュニケーションの概念に対する批判者としてのフロイトの姿が明らかにされる。そして、『何をなすべきか?』における労働者階級の形成をめぐって、このテーマにおけるレーニンとフロイトの共鳴関係が考察される。続く第二章では、『国家と革命』によって明らかにされたレーニンのコミュニズムの構想が同時代のマルクス主義法学者エヴゲーニー・パシュカーニスと共鳴する様を明らかにし、それによって近代国家およびその国民の特殊な存在様態を分析する。そして、かかる存在様態を破壊しようとしたレーニンとジョルジュ・バタイユとの思想的共鳴を明らかにすることから、レーニンのコミュニズムのヴィジョンを探究する。
 第四部は、後代のレーニン解釈者の議論をより主題的に取り上げる。第一章では、宇野弘蔵の理論体系の構築におけるレーニン『帝国主義』の決定的影響、そして宇野がレーニンに対して終世寄せ続けた理論的共感に着目し、その意味を掘り下げる。そこから明らかになるのは、両者に共通する特異な歴史意識であり、それが彼らの学説の論理前的基底をなしていることが指摘される。第二章では、アントニオ・ネグリの民主主義権力論=構成的権力論の批判的検討を手掛かりにして、レーニンにおける<観念論/唯物論>、<形式/自由>、<意識性/自然発生性>といった二項対立の内的弁証法の有様を考察する。これにより、二項対立の両項を調停するのではなく、二項を内側から破壊しようとするレーニンの独特の思考様式を明らかにする。
 
 以上のような比較の方法を用いた考察から、レーニンとその同時代の思想家たちに共通する、この世界の〈内部〉に襞のように折り込まれた〈外部〉としての潜勢力を引き出すという特有の思想的境位と、それによる諸価値の実践的転倒の本質が明らかにされる。

このページの一番上へ