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博士論文要旨

論文題目:中国の近代化政策と気功の変遷
著者:ウチラルト (Wuqiriletu)
博士号取得年月日:2009年7月31日

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1本論文の目的と視点
 
 この半世紀余の気功の変遷は「宗教から科学へ」という歴史観に示される通りに推移し、また、特定の気功の促進或いは排除に際してこの歴史観が決定的な影響を及ぼしていると言えるのであろうか。そうだとすれば、「宗教から科学へ」という歴史観は、気功をめぐる認識や実践、或いは社会制度的な取扱いにおいて如何に具現しているのであろうか。また、いくつかの異なる文脈において国家によって「科学的」と認可されていた、或いは現に認可されている気功とはどのような性格のものであろうか。本論文は、これらの問いを実証的に探究するものである。
 本研究の視点として、次の三つが挙げられる。第一に気功全体を宗教なのか科学なのかとして捉えるのではなく、この半世紀余において浮上してきたいくつかの影響力ある気功概念に焦点を当てる。即ち、医療気功、高級気功、健身気功である。第二にこの半世紀余における気功の変遷の決定的な局面において重要な影響を及ぼしてきた「宗教から科学へ」という歴史観に関しても、それを自明で一貫したものとして捉えるのではなく、医療気功、高級気功、健身気功のそれぞれの文脈に沿って考察することにする。第三に国家領域における近代化政策と気功の変遷の関係を、実証的に解明するために気功の方法或いは身体性に注目する。 

2 本論文の構成と各章の概要

目 次
序章                                     
 1 問題の提起
 2 先行研究の整理
 3 本研究の視点
 4 本論文の構成
 5 フィールドワークについて
 
第1章 医療気功                                
 1 はじめに         
 2 気功療法の形成と制度化の概要
  2-1 宗教的修練法の再編
  2-2 気功療法の形成
  2-3 気功療法の制度化
  2-4 北戴河気功療養院
 3 中国伝統医学の近代化政策と気功療法の科学化
  3-1 中国伝統医学の近代化政策
  3-2 気功療法の科学化
   3-2-1 気功療法の「宗教」からの分離
   3-2-2 パブロフ学説の応用
   3-2-3 気功修練の感覚の科学的探求
 4 中国伝統医学の科学化と「気」の物質性
  4-1 近代化のもうひとつの道
  4-2 「気」の物質性の研究
   4-2-1 1950年代の研究
   4-2-2 1980前後の研究
   4-2-3 腹の相対化と手の優越化
  4-3 「気」の応用
 5 L市S村における気功と信仰
5-1 はじめに
5-2 村の防衛と武術
5-3 老年人協会と気功
5-4 S村における智能功
5-5 S村の信仰と気功
 5-5-1 S村のキリスト教信仰
 5-5-2 W氏一家の信仰
 5-5-3 S村の信仰と気功
 6 考察
6-1 近代化と感覚の論理の転換について
6-2 感覚の科学研究を方向づける枠組みについて
  6-3 唯物主義の身体化について
  6-4 感覚の科学化と信仰について
  
第2章 高級気功                               
 1 はじめに
 2 党、政、軍の指導層における「超能力」論争と「高級気功」の誕生
  2-1 「超能力」論争と「高級気功」概念の誕生
   2-1-1 「超能力」論争及び共産党中央の対応
   2-1-2 「高級気功」概念の誕生
   2-1-3 「人体科学」概念の誕生:超能力、気功、中国伝統医学
  2-2 「人体科学」の制度化
   2-2-1 軍の研究機関に迎えられる超能力者
   2-2-2 人体科学工作小組
   2-2-3 人体科学研究会
 3 宗教的技法から高級気功へ:「超能力」研究の思想的影響を中心に
  3-1 再編の理論的源泉――システム、情報、暗号、エネルギー
  3-2 霊子術から自発功へ
   3-2-1 気功教材における自発功
   3-2-2 日常生活における自発功
  3-3 六字真言から気功暗号へ
   3-3-1 気功教材における気功暗号
   3-3-2 日常生活における気功暗号
 4 高級気功の社会団体の形成:「超能力」研究の組織的影響を中心に
  4-1 高級気功の社会団体の概要
  4-2 「全国性」学術団体――中国気功科学研究会
  4-3 「地方」学術団体――L市気功科学研究会を例に
  4-4 気功功法委員会――L市鶴功功法委員会を例に
  4-5 気功補導点――L市W公園鶴功補導点を例に
 5 L市S県における高級気功の実践と信仰
  5-1 はじめに
  5-2 善悪果報
   5-2-1 高級気功の実践と善悪果報の思想
   5-2-2 善悪果報の思想と地域固有の信仰
  5-3 陰陽交通
   5-3-1 高級気功の実践と陰陽交通
   5-3-2 陰陽交通と地域固有の信仰
6 考察
第3章 健身気功                              
 1 はじめに
 2 再編の始動と挫折
 3 占領の国家事業
  3-1 中央における事業の設計
  3-2 地方行政の温度差
 4 地方気功協会の組織としての両義性
  4-1 L市健身気功協会の歴史的沿革
  4-2 L市体育局と健身気功協会
  4-3 健身気功協会と健身気功活動点
 5 民衆の身体と思想の再編
終章 結論     
                            
 第1章では、医療気功に焦点を当てた。そこでは、1950年代の国家医療分野における「気功療法」の形成と制度化について論じた。それから中国伝統医学の近代化政策を取り上げ、気功療法の科学化について検証した。そして、宗教的技法から気功療法への再生の過程において、「宗教的」な用語や理論が捨てられ、その代りとなる新たな用語や理論が模索されていくプロセスを追った。そのなかで、気功の身体性の視点から感覚に注目した。そのことによって、「感覚」に関する古い理論が否定され、新たな科学的言説が形成されていく過程を浮き彫りにした。また、中国伝統医学の科学化と「気」の物質性の探求についての取り組みに焦点を当て、「感覚」は「気」の働きの現れであるという古い理論から、「感覚」の物質的な基礎としての「気」の科学的研究が行われていたことを示した。、また、その過程において伝統的に「腹」の感覚を大事にする静坐法から、「手」の感覚を重視にする外気療法が形成されていく、身体性の変容の根底に唯物主義の原則が働いていることを解明した。気功の唯物主義の規範化における気功の変遷の最も明確な例として電子気功師を取り上げた。
 
 第2章では、高級気功に焦点をあてた。本章の冒頭において、1980年代以来の中国社会において人間の超能力に関する「近代科学的な」態度は如何なるものであったのか。その態度は超能力が得られるとされる高級気功の生成および制度化と如何なる関係にあるのか。また、高級気功を実践する一般民衆は「超能力」を如何に受け止めていたのか。それは地域固有の信仰と如何なる関係にあるのかを精査することを目標として取り上げた。
 この目的のために、第2節においては1980年前後の中国共産党、政府、軍の指導層における「超能力論争」と「高級気功」概念の誕生について記述した。そこでは、透視や予知などの人間の超能力に関する「近代科学的な」態度が国防科学工業委員会の軍人科学研究者たちによって提起され、多くの論争を伴いながらも国家制度のなかで合法的な地位を獲得していったこと、その過程において超能力を得る方法としての「高級気功」概念、および超能力を専門に研究する「人体科学」概念が誕生したこと、そして、国家においては超能力の行政機関である人体科学工作小組が形成され、社会においては超能力を研究する人体科学研究会が組織化されたことが明らかになった。
 そして第3節では、宗教的技法から高級気功への再編について記述した。そこでは、人間の超能力に関して国防科学工業委員会の軍人科学研究者が提起した人体科学研究の概念と理論が、宗教的技法から高級気功への再編に及ぼした影響が検討された。具体的な事例として、「霊子術」と「六字真言」と称される宗教的技法が、それぞれ「自発功」と「気功暗号」へと再編される過程において、人体科学研究の「システム」、「情報」、「暗号」、「エネルギー」などの概念と理論が多大な影響を及ぼしていたことについて論じた。また、超能力に関する人体科学研究の概念と理論は、教材としての気功法に影響を及ぼすことで、間接的に末端の民衆の身体的実践として具現していたことを浮き彫りにした。
 それから第4節では、高級気功の社会団体の形成について記述した。そこでは、国防科学工業委員会の軍人科学研究者が、彼らの政治的人脈を活かして高級気功の社会団体を設立していくプロセスを追った。そのなかで、人間の超能力と係わる研究と実践を趣旨とする気功社会組織は、国家によって「自然科学」系統の社会団体として分類され、管理されていたこと、「全国性」および「地方」の気功科学研究会は共産党政府と民衆の中間的な組織であり、一方では共産党、政府の民衆管理の機能を果たし、他方では民衆の組織的実践を制度的に保障していたことを明らかにした。
 最後の第5節では、L市S県における高級気功の実践と地域固有の信仰について記述した。そこでは、人間の超能力に関する「近代科学的な」態度に強く影響されて形成され、国家によって「自然科学」系統の社会団体として分類されていた高級気功の実践についての一般民衆の受け止め方のあり様、および地域固有の信仰との関係を探究した。具体的な事例としてL市S県地域の高級気功の実践に焦点をあてた。そのなかで、L市S県地域の高級気功実践者の超能力についての受け止め方は、善悪果報および陰陽交通の思考様式と深く結び付いていたこと、そして、善悪果報および陰陽交通の思考様式はS県地域固有の信仰実践においても確認されることを明らかにした。

第3章では、健身気功に焦点を当てる。ここでは、身体を健康にするという意味合いの健身気功の背後にある政治性に注目した。そして、国家の主導の健身気功事業は、90年代半ばにおいて社会問題となりつつあった高級気功を、国家制度に取り組むために「健身気功」カテゴリーが誕生したことを確認した。そして、この健身気功事業は、社会における既存の気功法を、緩やかな形で国家行政管理システムへ統合することを目指したが挫折したことに言及し、その要因を分析した。それから、第二回目に発動された健身気功事業は、気功の組織や修練場所、および活動を管理し、健身気功によって気功と係わる場所や組織を占領していくプロセスを追った。また、その過程において地方気功協会の組織としての両義性は国家と社会の橋渡しの存在として重要な役割を果たしていることを明らかにした。それから、健身気功事業は、民衆の身体と思想の再編するものである観点から、人々は健身気功事業についての認識や受け止めたかを浮き彫りにした。さらに、国家による健身気功の登録制度は、地域社会においては徐々に飼いならされ、一部では一種の資源として争奪する現象が起きていることを明らかにした。

終章においては、全体を総括し、課題について触れた。

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