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博士論文要旨

論文題目:中国の国家体制改革とメディア
著者:崔 梅花 (CUI, Meihua)
博士号取得年月日:2009年7月31日

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 本論文の課題は、グローバル経済の拡大を背景に急進的な市場経済改革を遂行している現代中国における共産党政権下のメディア政策と中国メディアの複雑な変化とその構造を、中国を取り巻く国際的、国内的状況、それに対する政権の全体的政策と路線の中で、明らかにしようというものである。そのためには、まず一党体制の維持と報道の「自由」の保障との関係、次いで一党体制と経済改革の進行下で生まれつつあるメディアの「多様化」の評価について考察する。すなわちメディア政策の変化およびメディアの変化に着目し、80年代から今日に至るまでのメディア政策の変化を中国の政治、経済とのかかわりのなかで位置づけ、経済改革時代におけるメディア戦略の特徴と方向性を明らかにする。同時に、一党体制の下でメディアはいかなる役割を果たしているのかをも明らかにする。
 本論文の分析視角の第1は、メディア政策と報道実態の諸相を、中国がおかれている国内、国際政治、経済状況の変化、中国の国家体制全体の変化の中で、それとの関わりで捉えようというものである。中国のメディアに対する研究や言及は少なくない。しかし、それら研究は概して、メディアをめぐる個別的な事例とその変化に焦点を当てたものが少なくない。しかし、一つ一つの事例や特定の分野は中国メディアの一側面を表すにすぎず、それを中国の政治、経済、社会の変化との関係で捉えなければ、そうした事例や変化が生じた本質的な意義はおろか、その全体像を描き出すことは困難であると考える。これを描き出すことによって、初めて中国のメディア政策の戦略的な方向性を把握することが可能となり、既存の報道に対しても、より実態に近づいた検討が可能となるのである。
 こうした視角に立ったとき、本論文は、中国国家体制全体の変化の視点から、2つの画期に注目した。一つは、70年代末の改革開放政策から80年代一杯にかけて展開された「政治改革」の時代である。国内では10年の文化大革命を通じて国内の政治、経済は無残に破壊されていた。国際社会においては先進資本主義国家を席捲した新自由主義改革により社会的格差と不平等が生じ、また、ソ連、東欧の社会主義国家は危機に直面して、ペレストロイカに代表される改革に手をつけていた。政権は、中国を取り巻くこのような状況をいかに打開するかという問題に直面し、従来型社会主義の修正に乗り出さざるを得なかったのである。こうした改革の中で、言論の自由、報道の自由をどこまで認めるかをめぐり、改革派の内部でも対立と分岐が起こり、メディア政策を揺るがせた。80年代メディア政策をめぐる激しい論争はこうした変化を背景にしている。
 本論文が注目する、もう一つの画期は、89年の民主化運動の挫折を受け90年代初頭から展開された急進的な市場経済化改革の時期である。この市場経済化は、中国経済の高度成長を生み、2001年のWTO加盟を契機にさらに、経済のグローバル化を加速させ、中国社会に大きな変化をもたらした。こうした市場経済化の下で、メディアも大きな変化を余儀なくされている。80年代に進行した報道の自由をめぐる動きは沈静化し、代わりに「メディアの市場化」と呼べるような現象が急速に進行した。この時期には、国内においては一党体制を維持しながら経済的には国際社会と深く繋がっているため、メディアはそれぞれの影響を同時に受けることになる。経済改革以降の中国メディアを考える際には、一党体制、高度経済発展、グローバル化、国民統治問題などの要素を総合して分析する必要が出てくる。
 本論文の視角の第2は、こうしたグローバル化、市場経済化の下での中国メディアの変化を分析するに際して、中国メディアの民主化という視点と中国メディアが常に持たされている「宣伝機関」としての側面の両方から捉えようという視角である。
 従来、中国メディアの研究においては、2つの潮流がみられる。一つは中国メディアの変化を「中国の民主化」と関わらせて分析する視角であり、もう一つは、中国メディアの変化が単純に「民主化」とは結びついておらず、なお依然として党と国家のコントロール下にあることを重視する視角である。
 確かに、改革開放政策以降の中国のメディア状況が、大きな変貌を遂げていることは事実である。従来、メディアは完全に共産党の宣伝ツールとして位置づけられ、国家財政により運営されてきた。ほぼ党機関紙しか存在せず、イデオロギー的な宣伝と政治的なニュースが多かった時代に比べれば、今日のメディアは、その報道はかなり「自由」で、多様多彩であると言えよう。経営も独立採算制が実施されている。しかし、こうした前進した面がある一方、報道の自由と一党体制との矛盾も激化している。こうした状況は、単純なメディア民主化論が誤りであることを示すとともに、メディアに対する党と国家のコントロール不変論の不十分性も露呈させている。かかる理論では、非民主主義的一党体制の下でのメディアは体制を維持する手段であるため、自由を与えられることはないとされるが、中国の場合は一党体制を維持しながら報道の大幅な「開放」を許可すると同時に党の政策を伝達し、その正当性を強調する手段としてコントロールすることにある程度成功しているからである。そこで、本論文では、メディアの変化を「民主化」論の視角とも「メディアに対する党と政府のコントロール不変」論の視角とも区別しつつ、それら視角を総合する視角で分析することをめざしている。
 本論文は、以上の2つの視角に基づいて、今日の中国メディアの構造的特徴とメディアの変化を明らかにしたい。それを通じて、中国国家体制の行方、民主化の方向についても何らかの示唆をえられれば、と考えている。最近、中国指導部は、現代資本主義諸国が実施している三権分立と民主主義政治体制は採らないことを明言している。これはメディアの自由化を中国の民主化のなかで位置づけて議論する研究の限界を示すものでもある。筆者自身は、論文の中で述べているように、現行の政治体制の下では、メディアが中国の民主化の発展に対して決定的な貢献をすることは難しいと判断している。一つはテレビ、放送をはじめとする電波メディアは勿論、新聞をはじめとする出版物も当局からの直接、間接的な、事前的、事後的なコントロールを日常的に受けていることである。もう一つは、インターネットなどに代表されるいわゆるニューメディアに対する期待が高まる傾向があるが、これも、事後的な方法で完全にコントロールされている。また、当局は、政権に対する潜在的な危険要素に対して追跡管理を行っている。こうした実態的なメディア管理の構造を踏まえると、安易な民主化論に危惧をいただかざるをえない。では一体、中国がめざす政治体制はいかなるものになるのであろうか、またその中でメディアは一体どんな役割を果たせるのであろうか。本論文が、この問いに少しでも示唆を与えることができれば、幸いである。
 
 以上のような問題関心と課題設定の下、本論文の構成は、以下の通りである。
 第1章では、改革以降の中国における「言論の自由」をめぐる議論に焦点を当てて検討した。そこでは、まず、現代中国の言論政策を理解する前提として、中国共産党(以下、共産党と略す)が政権に就く前の言論政策を概観し、政権を取って以降の言論政策との連続性とその特徴を明らかにした。
 次に80年代における「言論の自由」をめぐる議論とその特徴を分析した。一つの特徴は、政治改革派の自由化論の特徴として、言論の自由を政治改革との関連で位置づける点と自然的権利としての言論の自由の理論化試みが行われたことを指摘した。もう一つの特徴は、市場経済化との関連で言論の自由を位置づける、新権威主義派とでも呼べるような潮流が台頭し、それが市場秩序の回転に必要な限りでの「言論の自由」について言及しはじめたことである。政治改革派の言論、報道の自由をめぐる議論の特徴は、経済発展の下での国家のあり方と言論、報道の自由を合わせて考えていることにある。80年代に、こうした国家のあり方との関わりの中で言論の自由が公に議論されたこと自体はきわめて画期的なことであった。
 こうした言論の自由をめぐる様々な視点からの広範な議論が、80年代を特徴付ける。しかし、80年代指導者により提起された政治改革の雰囲気のなかで、それを推進する原動力となった知識人は急進的な改革を主張したが、当局はそうしたリベラル思想を政権への危機として捉え、この改革を抑圧するに至り、89年、改革は挫折した。第1章では、この挫折にもかかわらず、80年代の議論が90年代以降の共産党の言論政策に大きな転換をもたらしたことを指摘した。
 続いて、本章では、90年代以降の言論の自由をめぐる動きをみた。そこでは、80年代のような自由化論は登場しない。グローバル経済が急速に推進し、高度経済発展のイデオロギーが社会的優位を占めるなか、政治改革派の言論・報道の自由論の社会的基盤が消失したことを明らかにした。同時に、こうした状況を受けて共産党指導部はむしろ積極的に80年代とは異なる新たな戦略をもって、言論政策を行っていることを浮き彫りにした。
 第2章では、80年代の「報道の自由」をめぐって主に党内における改革派と保守派の対抗関係を描き出した。ここで、注目したいのは、改革派内部に言論・報道政策をめぐって、改革急進派と保守派の分岐と対立が生じ深刻化したことである。一般的に中国の党指導部内の分岐は表に出ることはないが、80年代のこの議論は、当時党内における議論の激しさと対立を物語っていると同時に、党内における報道の自由をめぐる論点が重要な位置を占めていたことを示していた。本論文では、80年代における党内のこの分岐を検討し、これが、90年代以降、メディア政策における党の指導的な位置の再強調を打ち出す契機となったことを明らかにした。
 本章では、まず共産党指導部の言論政策について概観し、そこでは、鄧小平、江沢民らと胡耀邦、趙紫陽の間で、言論報道の自由をめぐって大きな違いと対立があったことを明らかにした。次に、報道の性格をめぐっては、党指導部内の改革派、保守派のみならず知識人たちの議論に注目した。共産党が一貫して強調してきた「報道の党派性」に対し「報道の人民性」命題が提起され、報道のあり方をめぐる対立が表面化したのである。党内においても報道の「人民性」議論が主流を占めつつあったことを、三つのアンケートを通じて明らかにした。
 そして、報道のあり方をめぐる対立を典型的に位置づける報道立法作業に焦点を当て、報道の自由をめぐる対抗をさらに掘り下げた。改革派は、報道法を、報道の自由を保障するための法と位置づけたのに対し、保守派は、報道はあくまで党の指導の範囲で行わなければならないと明記すべしと主張した。そして、最後に、こうした熾烈な対抗のなか、『世界経済導報』の発行禁止処分の事例を取り上げ、指導部内で報道の自由派が抑圧されていく過程を明らかにした。
 第3章では、80年代の「失敗」を経て、当局が新しいメディア管理システムを構築する過程とそのシステムを、新聞の管理・規制体系の再構築を取り上げて詳しく論じた。80年代の民主化運動とその弾圧の後、1992年の鄧小平の社会主義市場経済化の戦略の下で、当局は新たなメディア戦略の模索を迫られた。その特徴の第1は、メディア報道の内容に対する規制構造の再編である。具体的には、従来のような事前的規制一本で統制してきたシステムに代えて、事前規制を維持し、それを前提としながらも、事後的規制体制と自主規制を加えた3本立てのシステムを確立していることである。
 特徴の第2は、報道規制は、従来のように報道全体に対する一元的なものではなく、優先順位を付け、報道の種類によって異なる指導を行うという、いわゆる「分類指導」を実施するに至ったことである。これは新聞以外の電波メディアも同様であるが、メディアの多様化と情報量の著増によって、当局が一元的に管理することは物理的に極めて困難になったことを踏まえての新たな方式であった。そのため、媒体によって規制の程度を調整することにより管理の効率化を図ることができるようになった。例えば、政治・時事報道、評論などについては依然として厳しい姿勢を維持しつつ、娯楽等については大幅に「自由化」するという具合である。
 第3の特徴は、メディア指導部の人事管理の変化である。人事管理はメディアを管理する上で極めて重要な要素であるが、90年代以降は従来のようにすべての人事を党と政府が直接任命することはできなくなった。そこで、メディアの重要な人事(社長、編集長)については任命制を維持しながら、その他については資格制度を導入し、間接的な人事管理に移行した。 
以上のように、第3章では、90年代以降にメディア管理と報道の規制構造が、従来のシステムを基盤にしながら、大きく変化したことを明らかにした。
 第4章においては、90年代以降のメディア政策において大きな柱の一つであるメディアの市場化・産業化政策について検討した。そこでは、メディア市場化政策において外部資本のメディアへの参入規制が緩和されつつあるなかで、当局がいかにメディアコントロールを目指しているのかを検討した。
 具体的には、メディアの国家所有を維持しつつ外部資本を導入していく過程を分析した。こうしたメディアの市場化政策が、一党体制を維持するためには一定のリスクをもたらしかねいないことについては当局が一番知っている。そこで、経済発展に合わせメディアの市場化政策を積極的に進めつつ、報道の内容を当局の意思通りに確保するための方策がとられていることを明らかにした。
 まず、メディアへの外部資本の参入規制である。資本に対する規制は緩和しつつ、極力報道の外延的部分への参入にとどめている。次に、外国メディアが中国での活動が拡大していくなか、中国メディアの政府宣伝機能を維持するために、メディアの集団化を組織したことである。党機関紙を筆頭とする新聞集団を組織し、報道内容をコントロールしようという方策である。
 こうして、メディアの市場化政策は、国家体制の改革に対応し新たな役割をメディアに求めていることを明らかにした。その特徴は、メディアの「党の喉と舌(口舌)」的な役割を、「共産党政権の維持とその正当化に奉仕させる」という宣伝機関の性格を残しつつ、メディアを企業化することで国家の財政負担を軽減しようという一石二鳥の政策である。
 第5章では、上述の検討を踏まえて中国のメディア報道のあり方について触れている。ここでは、中国のメディア報道の構造的特徴を具体的な事例を取り上げて論じている。報道の構造的特徴は以下の四点である。
 第1の特徴は、中央政府がメディア報道を、経済改革の中で生成、拡大しつつある地方政府の地方保護主義の打破と是正の手段として利用していることである。中国の経済改革を実施していくなかで、中央は経済発展の効率化を図るべく一部の権限を地方に譲渡し、地方の党・政府が主体となって経済改革を進める態勢をつくった。その結果、地方政府は巨大な利益集団となっており、最大の利益追求のため時には中央の指示を無視したり、中央の政策を逆手に取ったりする傾向さえ現れた。また、こうしたことを中央に発覚させないために、地方の党や政府はメディア管理を強化し情報隠蔽を図った。典型的なものとしては、官僚の腐敗、国民の生命、安全に関わる事故への情報隠蔽である。しかし、こうした情報隠蔽は究極的には共産党政権に潜在的な危機を生産させることになりかねない。中央政府は、このような地方利益集団の拡大に危機感をもち、こうした問題に関するメディアの報道を積極的に慫慂し、地方政府への監督を強化しているのである。
 第2の特徴は、グローバル化と報道の関係である。特に対外報道において当局は警戒感を強めている。グローバル化時代だからこそ報道は中国の経済的利益(国益)と直接結びつく場合が増えている。例えば、2003年SARS(新型呼吸症候群)の流行とその後の情報隠蔽は被害の拡大をもたらし、さらに外国からの観光客の急減という事態となった。その後、こうした情報隠蔽はむしろ国際社会における中国のイメージダウンになりかねないという判断が生まれ、国内においては報道されない場合があっても対外向け報道を行うという方針が、新方針として現れている。
 第3の特徴は、国民統合の手段として積極的な報道を行うことである。例えば、2008年の四川大地震の報道はその典型的な事例である。中央指導部の四川での活動を生中継で放送したり、紙面の一面を飾ったりして、積極的にキャンペーンを行っている。中央への求心力を高めようとするねらいである。
 第4の特徴は、こうした中央政府の姿勢を背景に、メディア側が積極的な報道チャレンジを行っている点である。しかし、メディアのかかる試みは容認される場合と、そうではないケースとがある。その基準は何により規定されているのか。必ずしも一つの基準として特定することもできない。例えば、2008年の四川地震の報道においても当局は積極的な報道姿勢を容認したが、メディアが建物の耐震問題やコスト削減の手抜き工事問題に触れると、規制を強めている。
 終章では、以上の分析を通じて中国の国家体制の改革とメディアの展望について見通しを指摘し、今後の課題についても示した。
 最近の中国の指導者の発言や体制側の知識人たちの発言をみると、中国は、現代資本主義国家のような三権分立や多党制、思想の多元化などは実施しないと強調し、中国的特色のある社会主義の建設を目指しているとしている。それは、伝統的な社会主義とも、社会民主主義とも異なると主張している。
 経済改革に伴い、中国のメディアは大きく変貌を遂げていることは事実である。しかし、そのことを評価する際に、現行の中国の政治体制と経済改革の構造を抜きにして語ることができない。
 まず、経済改革以後における中国のメディアは、一方では当局への政治的奉仕の任務を担わせていながら、他方、経済的には「自立」させられている状況である。こうした経済的「自立」はメディアの自由化を推進する原動力と見なされているが、当局がメディア市場を保護し規制しコントロールしている点も看過出来ない。そこに、当局とメディアの相依存関係も形成されるのである。
 また、中国の社会主義市場経済化政策は、当然のこととして一党体制の堅持を前提としており、そこでは、市場化とともにメディアの報道の自由が自動的に前進するという方向にはなっていない。メディアはあくまで一党体制の正当化に奉仕すべきという役割を課されている。勿論、その奉仕の方法は、従来のような濃厚なイデオロギー的色彩に包まれているものではない。メディア管理を強化する一方で、当局の政策に対する国民の能動的な同意と動員を得ようと積極的にメディアを活用している。この点は、当局の統治方法の変化を反映して、メディア報道の多様化と活発化がみられる。当局は時にはコントロールを強め、時には弱める。その基準が党の利益と直結していることは明らかである。同時に、メディア側も当局の変化に応じてタブー視されていた問題への報道に挑戦を試みている。
 こうした、経済改革とメディアとの関係は例のみない複雑に相俟っており、従来の国家体制とメディア関係を既存の理論で説明し難い。その意味でも、中国の経済改革に伴う共産党の執政スタイルの変化とそれによるメディアとの関係を明らかにするためには国家とメディア関係に対する理論的再構成の必要があると思われる。

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