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博士論文要旨

論文題目:1950,60年代の民間教育研究運動の成果と課題に関する学校知識論的考察-数学教育協議会の事例に即して-
著者:本田 伊克 (HONDA, Yoshikatsu)
博士号取得年月日:2009年6月29日

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 本研究は、1950、60年代の民間教育研究運動が生み出した理論的・実践的成果と、運動が抱え込むことになった課題はいかなるものであったかということを、戦後民間教育団体の一つである数学教育協議会(略称、数教協)の事例に即して明らかにするものである。
 1950年代は学校教育の各教科・領域の専門別民間教育団体が叢生した時期であった。民間教育団体は、教育の官僚統制政治支配に対抗し国民教育の自主的・民主的発展を目指す教師、教育研究者を中心に、全くの手弁当で、主として教育の内容と方法の自主編成に取り組んできた教育NPOというべき存在である。
 本研究が対象とする数教協は、数学者遠山啓らによって1951年に結成された民間教育団体の一つである。数教協は、アメリカ占領期に導入され当時の学校において支配的であった経験主義・生活単元学習カリキュラムが子どもの「問題」、「生活」、「興味」、「経験」を一面的に強調し、子どもたちを低俗で感覚的な認識に閉じ込めて学力低下を招いているとしてこれを厳しく批判した。そして、研究者と現場教師の提携に基づく「研究を通じた実践、実践を通じた研究」を通じて各教科の内容体系を明らかにしようとした。
 数教協はとくに「科学と教育の結合」という路線、つまり教科内容さらには教育の全体構造を科学、芸術の本質に即して明らかにしつつ、科学知識を子どもの認識発達の筋道に即して分かち伝えることを可能とするような指導法・教材づくりに取り組み、「量の体系」や「水道方式」を始めとする多くの成果を生み出した。1950年代後半から1960年代になると、いわゆる「技術革新」の下で科学、技術がめざましく発展を遂げつつある中で、未来をになう子どもたちに現代科学の基礎をしっかり身につけさせる必要があるという考え方が強調されてくる。数教協は「数学教育の現代化」を活動方針として掲げたが、そこでは数学教育研究においては三つの視点すなわち「現代数学」、「認識の巨視的発展(科学史、数学史)」、「認識の微視的発展(児童心理学)」を踏まえるべきものであるとされた。こうした教育内容の現代化の方針は、教育内容研究の方向性と方法において他教科・領域の民間教育研究団体に大きなインパクトを与え、数教協は当時の民間教育研究運動をリードする存在として注目されたのである。
 物質的基盤や日常的な生活・労働の文脈から距離を置いた非日常的な視点、抽象的・形式的な概念や手続きや法則を通じて諸々の事物や事象をとらえることによって世界をいっそう広く深くとらえる力を養うところに算数・数学をはじめとする教科学習の意義があるだろう。だが、ともすればこうした教科の知識は子どもたちの生活・労働文脈から乖離した借り物の知識として獲得されがちである。数教協は、教科学習が有する上のような意義、いわば「教科の原基」が子どもたちの学習過程を通じて喪失せず、その生活・労働上の経験と結びつきそれを豊かにするかたちで教科知識を獲得させる必要性を認識し、実際に取り組んでいた。
 数教協のこうした取り組みが、教育研究・運動の方向性と実際に創出された教育内容について、いかなる点で前進をもたらしたのか。反対に、その研究・運動はいかなる点で困難・問題を抱えることになったのか。これが、本研究の追究点である。
 以上の研究課題に取り組むにあたっては、英国の教育社会学者であるバジル・バーンスティン(Basil Bernstein)の理論枠組みを道具立てとする「学校知識論的アプローチ」を採用する。「学校知識」とはとりあえず「子どもが学校制度を通じて、学ぶように要求され、じっさいに学び、その習得の程度を評価される、そのような知識群」のことであり、カリキュラムとして組織された教育内容や指導法などを指している。あえて「学校知識」という用語を用いるのは、教育内容や指導法を特定の主体ないし機関の意図通りに構築・普及するものとしてとらえるのではなく、国家官僚、経済界、学問界、民間の教育研究団体、教師、父母などそれらに対する利害=関心をもつ諸主体のせめぎ合いや闘争の過程のなかで実際の中味と性格が形作られていくものとしてとらえるためである。こうした視角に基づく学校知識論的アプローチは、以下の二つの視角すなわち➀「場」と➁「言説」という視角から、教育内容・指導法が構築され流通していく社会学的過程を考察するものである。
 ➀学校知識は、相互対立的ないしは相補的関係にある諸主体が位置取りを競い合う「場」、「(知識の)再文脈化領域(the recontextualising field)」において社会的に構築されるものであるととらえる。再文脈化領域では、「知識の生産領域」において生み出されるアカデミックな「言説」=知識(「言説」については➁で後述)や生活・労働に関わるより実践的で属身的な言説など様々な言説を「脱配置・再配置」して、教室における「伝達―獲得」を可能にすべく新たな関係やルールのもとに組み換えることを通じて「<教育>言説(pedagogic discourses)」を生み出す活動が行われる。<教育>言説とは諸言説を脱配置・再配置する原理であり、かつこうした原理が実体化したもの、すなわち教育内容・方法のことである。再文脈化領域は、能力観・発達観・教育活動を通じて実現すべきアイデンティティ(人間像)などを異にする官民の諸アクター間の対立とせめぎ合いが生ずる闘争場(アリーナ)であり、そうした対立やせめぎ合いはこの領域が生み出す構築物(つまり教育内容、指導法など)の性格を規定することとなる。
 ➁教育の理論や指導法が構築される再文脈化領域では、その構築・発展・配分および再生産に関する固有のルールをもつ諸知識(数学教育の場合は、アカデミックな数学知識)を、伝達-獲得活動に特化した別の構築・発展・配分および再生産の原理をもった知識(学校知識)への転換が行われる。「言説」という視角は、諸知識がもつこうしたルールの性格に注目する。すなわち言説とは何らかの知識において、特定の問題(群)やそれを記述し解明するための「言語」(ここでは、特定の語彙、概念、記述や言明の手続きないしはそれらの組み合わせを示すものとする)ないしそのセットが特定の担い手(および支持者)のもとに創出され、それらが差異化や序列化を伴う特定の関係の中に位置づけられ、さらにそうした問題(群)および言語(のセット)が流通し、あるいは新たな世代に再生産される過程と関係の独自な性格を描き出すための視角である。
 数教協が依拠したアカデミックな数学言説やピアジェ児童心理学と、<教育>言説(および<教育>言説それ自体を反省の対象とする言説である教育学)はともに「水平的知識構造」をもった「垂直的言説」に属するが、前者(数学・児童心理学)は「強い文法」、後者(<教育>言説および教育学)は「弱い文法」をもつ言説である。
 垂直的言説とは、「何が、どのように問われるべきか」が構造化され可視化され、そのために異なる集団や個人の文脈、あるいは時間・空間を超えて流通し獲得されることが可能であるような言説である。「水平的知識構造」とは、数学や論理学、人文諸科学、社会諸科学など「固有の専門的な問いの様式と「テクスト」(ここでは、表記されたもののみならず、発話、あるいは非言語的なかたちで表出されたものも含め、何らかの価値判断や評価を誘発するものを示す。)の生産と流通に関する専門的な基準を伴った、一連の専門的な言語を生み出す形態」である。水平的知識構造は「収集ないし並立コード(collection or serial codes)」に基づいて、並び立つ諸「言語」(複数のL)間、すなわちしばしば対立しあう異なる認識論的/イデオロギー的/社会的前提に基づき、諸現象をいかに理解し、解釈し、記述するかに関して相互に比較不可能(not translatable)な基準を提供する複数の異なる専門的言語間における対立・挑戦・防衛を通じて発展する。
 「強い文法」の言説とは相対的に強力な「概念的統語法(syntax)」を有する言説、すなわち経験的諸事象を記述したり、経験的諸関係の形式的モデルを生み出したりするような諸概念、関係、手順が明示的かつ公式に分節化されている言説である。これに対して「弱い文法」の言説とは、こうした概念、関係、手順が非公式なかたちでしか分節化されえない言説のことである。
 数学や児童心理学は、経験的諸事象ないし諸関係がもつ諸側面のうち、特定の側面に特化し、他の側面を捨象することによって強力で普遍性をもつ記述力を獲得する。たとえばピアジェの児童心理学は、子どもの心理発達過程という対象がもつ複雑かつ多層的な諸側面のうち、数量形概念の発達という側面に特化した分析と記述を行うことによって、一般的・普遍的な法則性を探究する言説である。
 これに対して、<教育>言説(および教育学言説)の「文法の弱さ」は、それが必然的に、社会的かつ個性的な存在としての子どもの認識、思考、行動、態度の発達という、元来一般化不可能な経験的事象を対象とするところに起因するものである。同時に、<教育>言説は、子どもの発達過程について、その法則性を可能な限り明らかにし、定式化し、またできるかぎり一般的・標準的な教授原理を必然的に追究するという意味で、より「強い文法」を志向する。このように、<教育>言説と教育学は、弱い文法でありながら必然的に強い文法を志向するが、強い文法への志向は同時に個性的・社会的存在である子どもの認識発達の具体層を直視する目を曇らせる危険を孕んでしまうという、一連の構造のもとに成立・展開・再生産されるのである。
 <教育>言説は、アカデミックな数学言説など構築・展開・配分および再生産の原理を異にする他の垂直的言説の選択と再配置に関わる問題を一方に抱え、もう一方には、「水平的言説」(=その流通と獲得が「ローカルな活動で、分断的に構造化され、いつもではないがしばしば暗黙のうちに行われる傾向がある」言説)である生活=労働知識から、垂直的言説である学校知識への橋渡しの遂行という問題を抱えている。<教育>言説とは、これらの問題が、言説の担い手自身の教育経験や発達観・子ども観、社会変動によるその揺さぶりと世代対立の顕在化および促進、教育領域に対する国家統制の強まりによる「相対的自律性」の基盤の掘り崩しとそれへの抵抗 といった事態を背負った諸「言語」の対立ないし相補的な関係のもとに論じられ争われる構図のもとに発展する言説だといえる。
 子どもたちの日常生活文脈と、学校学習文脈間の移行、接合、往還関係を確保することが、学校教育においては常に課題となる。数学教育においては、学習内容と生活との直接的連関が切れた途端に学習が形骸化し、数学の教科知識と子どもの着想とが結びつかず乖離する危険が常に存在する。戦後米国占領下のもとに展開した生活単元学習は、こうした弱点を理念的・実践的に抱えていた。数教協は生活単元学習が数理の系統を分断しているとしてこれを徹底的に批判した。こうした生活単元学習への批判は、技術革新と産業構造の変化への教育の対応の要請と結びついて、生活単元学習の撤廃と、教科中心のカリキュラムへの置き換えという結果をもたらした。第1章ではこうした一連の過程を分析している。
 数教協は、自然科学が因果律の仮定によって成立しているのと同様に、子どもの認識には何らかの法則性があるという前提に立つことによって、研究・実践を通じてそうした子供の論理を発見し、教育を進歩させていこうとする教育科学観をもっていた。数教協の生み出した研究・実践上の成果は、教科教材の配列において、先行して与えられるある一つの観念の習得が他の観念の獲得を妨げている事実を明るみに出し、後者への不可欠な足場や手掛かりを提供するような編成に資するものであった。数教協の<教育>言説は、現代数学の「集合―構造」カテゴリーをベースにし、空間的/視覚的なものを時間的/非視覚的なものよりも高く価値づける原理に根ざしていた(第2章)。
 1960年代の数教協は自らの依拠する科学の真理と無謬性をかざし、教育研究において、「下位にある知識を統合するますます一般的な命題を志向しつつ、かつ広範囲におよぶ多様な現象を包含しつつ、知識の実現を行う」知識構造(「ヒエラルキカルな知識構造」)を志向した。数教協が依拠した現代数学は、ヒエラルキカルな知識構造を志向する強い文法の言説であった。数教協は現代数学と同様に、教育研究においてヒエラルキカルな構造を理想とし、自らの言説をこれに近づけることでその記述力(文法)の一般性・普遍性を高めようとした。数教協は、教育研究から自らが「非科学的」ととらえるものを徹底的に排撃し、教育研究に実験心理学的な真偽判定をもちこもうとした。数教協は科学(現代数学)の発達過程と子どもの数認識発達過程に相同性を仮説し、認識カテゴリーの系列として子どもの発達を可視化できるという信念をもつに至った。
 数教協のこうした教育研究・運動上のスタンスは、知識の再文脈化領域における政策側もしくはその周辺に位置を占めるアクターとの論争の構図と帰結に影響を及ぼした。第3章でみるように、数教協と和田義信、塩野直道との論争は、民間-権力、現代化-近代化、科学-非科学、科学的真理とイデオロギーという図式の中で、相互排除的な様相を呈し、論争を通じて浮き上がってきた理論的・実践的課題に意識を払い、論争が生産的に展開されることを許さなかった。
 また、数教協のとった研究・運動上のスタンスは、他の教科・領域の民間教育研究団体との関係をも性格づけた。第4章ではこの点が検討される。1960年代の数教協は、皮相的な知識を、皮相的な生活の働きに応じて分類し、それらを使う能力や態度を養うことを目的としてカリキュラムを構想する傾向を「機能主義」として批判する。機能主義は、生活単元学習に基づく旧指導要領のみならず、系統学習を掲げた1958年改訂版指導要領にも残存しているとされる。そこには、1960年代の数教協において優勢であった科学観・知識観が典型的に表れている。生活単元学習的な要素を教育課程から一掃しようとする機能主義批判は、民間側アクターの他教科・領域の研究動向にも及んだ。数教協は、アカデミックな言説が純粋性・無謬性を備えているからこそ、それに依拠した<教育>言説は権力の非科学的イデオロギー性に対抗し、社会変革をなす力となると考えていた。そして、民間側の他教科の研究に対しても、「子どもの正しい発達を歪める非科学的」な内容・構造を徹底的に排除することを要求していく。数教協は教育内容について徹底的な分析を行うことであいまいさを排除し、その定着と習得の必然的順序性が明示化された、エレメント(諸スキル、諸カテゴリー)の系列化を通じて教科の指導体系を確立しようとする方法論を生み出し、一般化しようとした。数教協はこうした教育科学観と方法論に基づいて、他教科・領域に対して積極的な提言と厳しい批判を行ったのである。    
 第5章では、「再生産(実践)領域」(教育現場)に対する当時の数教協の関係のとり方
について考察する。数教協は、ヒエラルキカルな知識構造を理想として自らの<教育>言説の文法を強めようとする志向性をもっていたが、こうした志向性は、共同で教育研究を行う現場教師の側に対して一方向的にヒエラルキカルな知識構造、もしくは強い文法をもつ水平的知識構造への「社会化」を要求するという傾向も生まれた。そうした傾向は例えば、共同研究を行う教師たちが専門の研究分野をもち、「実践から生まれた理論的な論文」あるいは「理論を反映し、それを育ててくれる実践的論文」を書くべしという要求となり、「議論の蒸し返し」を非生産的なものとして嫌う態度となって表れてくる。数教協はヒエラルキカルな知識構造を理想形として自らの文法を強化することに専心した結果、弱い文法の言説である教育学言説に対して自らを社会化する機会を閉ざしてしまった。またそのことは、「研究者」として位置づけられた教師が子どもの「まちがい」や、かれらのうちに形成された学力・能力のすがたを深くとらえ返すことを通じて自らの指導プランや働きかけを反省する機会を逸することにも繋がったのである。
 こうした傾向の中で、再文脈化領域の主体としての数教協の位置は総じて知識の生産領域により近く実践領域からより遠いものになっていった。また、数教協が生み出す<教育>言説は総体として、物的基盤との間接性をいっそう強め、アカデミックな数学言説の価値と基準がそこにより大きく反映される一方で、子どもの生活・経験とそこで形成される認知・行動図式、子どもの発達過程への教育学的な目を曇らせ、予期しない子どもからの反応を実践の改善や新たな展開のための手掛かりではなく、ノイズとして受け止める傾向をもたらした(第6章)。
 教育学言説は、元来一般化できないもの、すなわち個性的かつ社会的存在である子どもを対象とする。そこでは教育学は対象の「不透明性」と対峙している。だが教育学言説は一方で、こうした不透明性に光を当て、これをできるだけ「透明化」することを志向する。1960年代の数教協は後者の傾向に大きく傾き、子どもの認識過程をあたかも見通したかのように錯覚した。そのことが、学校制度が子どもを囲い込み、学校知識の交換価値としての側面が肥大化する状況において子どもの認識に表れた変化、子どもに実際に獲得された知の様態へ注ぐ目を曇らせることにもなったのである(第7章)。
 1970年代になると、数教協はこの問題を自覚せざるを得なくなり、それは「楽しい数学」に表象される一連の実践を生み出していく(第8章)。
 1950、60年代の数教協の研究と実践は、「教科教育と結合した発達研究」に着手した。
数教協の教科研究は、ごく直観的・経験的なかたちのものながら、教科の素材である専門分野(数学)をふり返ってそれを対象としてみつめ、教育内容の吟味・検討あるいはその選択・構成を行うにあたって働いている「教育的配慮」ないしは観点を提起している。
 教科教育と結合した発達研究は、発達の心理学的側面のみならず、文化=社会的側面にも目を向ける必要があるだろう。学校知識が、子どもたちのもともと獲得している認知・行動様式のもつ強みを損なわず、学習の文脈においても日常の文脈においても効能と威力をもつように働くための、まだ多分に未知であるといってよい条件への省察が必要とされるのである。
 

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