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博士論文要旨

論文題目:労働組合研究集会活動の分析:労働の社会的意義を問う労働組合活動
著者:小関 隆志 (KOSEKI, Takashi)
博士号取得年月日:1999年6月24日

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1.本論の課題
(1)問題の所在

 労働組合の活動目的は基本的に労働者の権利擁護、労働条件の維持向上であるが、労働の社会的な意義を問い、より社会的に有用な労働に改善していこうとする労働組合活動が一部に存在する。どのような労働組合がどのように、「労働の社会的意義」を問題にしてきたのであろうか。本論は、「労働の社会的意義」を問う労働組合の活動の一つとして研究集会活動を取り上げて分析することによって、この問題を考察する。

 「労働の社会的意義」とは、人々の生活にとって労働が持つ意味ということであるが、特にこの概念が持ち出されるのは、労働が人々の生活にとってマイナスの影響を及ぼす場合である。労働組合においては、具体的にはどのような運動が見られたのか。

 1970年代から1980年代初期、石油危機後の世界的な不況下で、イギリスや旧西ドイツなど西欧先進資本主義諸国および日本において、労働の社会的意義を問う労働組合の運動が見られた。一例として、イギリスのルーカス・プランに代表される対案戦略運動がある。ルーカス・プランが提示した「社会的有用生産」のアイデア製品は、都市住民、社会的弱者の生活の貧困化や労働疎外などの社会的矛盾を背景として考案されたが、労働者が市民生活に何が必要であるかを把握する上では、市民と労働者の直接の交流が重要な意味を持っていた。この対案戦略運動は労働条件闘争や合理化絶対反対闘争と並ぶ「第三の新しい潮流」(戸塚秀夫)とされ、日本でも同様の社会背景の下で企業倒産・合理化反対の自主生産闘争が現われた。他方、上記の対案戦略運動の潮流とは別に、日本においては国労や自治労、全逓など、官公労のいくつかの単産がこれとほぼ同じ時期に、労働条件と「労働の社会的意義」をセットにした産業政策闘争を展開した。

 だが近年の労働運動は、労働者が階級意識を身につけ、国民各層と手を結んで国家権力や独占大資本と対決し、政策要求を突きつけていくといった従来型の対立構図だけではうまくいかなくなってきた。その要因としては、労働組合が労働条件向上を国民に訴え、ストライキなどで闘う方法が困難になったことや、国民各層の利害関係が複雑化し国民の価値観も多様化してきたこと、国家権力・独占資本に対峙する労働者階級というイデオロギー的対抗図式が単純に当てはまらなくなったこと、などが考えられる。また、消費者利益を盾に公的部門が民営化され、行政改革や規制緩和が進められたが、他方で労働者は雇用・労働条件を切り下げられ痛みを強いられた。消費者と労働者は一体でありながら対立させられ、労働組合運動と住民運動、消費者運動の結合がかつてなく困難な状況を迎えている。他方で、官僚主義的な行政や政府保護下の産業が本当に国民のために役に立ってきたのか?という世論の批判が、規制緩和政策を推進している事実にも注目すべきである。こうした状況下において「労働の社会的意義」を問い、国民各層との連帯を図ろうとするならば、国家権力や独占資本の悪辣な政策を告発するような、一方的な啓蒙的関係は成り立ちにくい。具体的な問題状況に照らして当事者が問題提起を行い、労働者、住民、消費者が問題解決の方法を共に模索していくような方法が求められる。ここには、国家権力や独占資本とのイデオロギー的対決型の学習論とは異なる、社会の複雑性を反映した現実的な問題解決を主眼とする新たな学習論が、労働者に求められているように思われる。

 労働の社会的意義の考察においては、労働者の意識の側面も視野に入れる必要がある。島田豊は労働疎外の問題を生きがい論の中心に据え、生きがい欲求の核心に働きがいの要求が据えられていること、働きがいの要求とは、労働者がみずからの労働の目的・内容・結果を問い返し、労働の資本主義的疎外を克服するための推進力であることを指摘している。杉村芳美は労働観を歴史的に考察し「仕事の喜びや満足感が他者や普遍と結びついている」ことを強調する。下山房雄は音楽ユニオン組合員への調査結果をもとに、労働者が他者への役立ちを自らの喜びとしていることを明らかにした。こうした積極的な労働観が労働の社会的意義を問う労働運動の一つの動機であったと思われるが、労働者が運動に関わることによって労働の社会的意義への関心を高めるという学習過程を見出すこともできよう。


(2)研究集会活動の概況と先行研究

 本論は労働組合の研究集会活動に焦点を当てて、労働組合運動がいかにして労働の社会的意義を問い、住民や消費者との連帯を模索しているのか、またそこにはいかなる問題点が孕まれているのかを分析する。研究集会活動は、1970~80年代初頭に見られた対案戦略など上記の諸運動とはやや系譜を異にした運動形態であり、「労働組合が主催する産業別・業種別或いは階層別の独自の問題を対象とする労働組合員による研究集会。主として教員・公務員、放送・新聞・出版関係従事者などの専門職労働者がその専門的・特殊的な問題を大衆的に研究・討論する場」、「組合員の日常的な経済的利益の追求という運動のレベルを明らかに踏み越えた新しい労働運動の形態であり、労働者が自己の労働の具体的内容に即しながら、それを社会的有用労働として確立することをめざす研究運動」であるとされる。

 1950年代初頭、戦後民主化の反動化政策に対する国民的な運動の高まりを背景として、日教組が教育の民主化、平和教育を求めて教育研究集会を発足させたのをはじめ、全日本自治労が地方自治研究集会を、新聞労連が新聞研究集会を、次々に発足させた。1960年代に入ると、安保体制下での行政の再編や政策の反動化、マスコミ産業への規制強化などを背景として、60年安保闘争が昂揚し、全国各地で市民運動が芽生え、革新自治体が増加してきたが、それに伴って公務・文化産業・運輸関係の労働組合が相次いで研究集会を発足させ、特に1960年代半ばは「研究集会ブーム」とも呼ばれた。1970年代は、1960年代に続き多くの研究集会が発足をみた。特にこの時期以降、労働や人生に積極的な意味を求める労働者が、研究集会活動や自主的な学習会などに集まるようになった。1980年代に入ると、新たな研究集会の発足は収束に向かい、労働組合のナショナルセンターの再編に伴って研究集会も分裂するものがいくつか現れ、特に1990年代以降は研究集会の路線が政治的に分極化する傾向が見られるようになった。

 研究集会活動は公務員、教員、文化産業、交通、協同組合、医療・福祉、通信、建設の8分野にわたっており、いずれも国民生活にとって日常不可欠なサービスないしサービス財を提供する、公共サービスまたはそれに準ずるサービス事業であるが、これら公共サービスの分野は、財界と国民のそれぞれから批判を受け、再編過程の只中にある。即ち財界からは、日本の公企業が効率性を犠牲にしてきたのであり、公企業の企業性・効率性を重視すべきだと批判され、住民運動などからは、国家によって担われた「公共性」が実際には国民の生活を二の次とし、資本の利潤創出を主たる目的として進められたと批判されてきた。労働組合の研究集会活動はこうした状況の中で、いかなる方向を目指してきたのか。

 研究集会活動に関する先行研究は、労働運動の見地から活動の意義を論じたものと、労働者教育の見地から活動の意義を論じたものに大別できる。

 芝田進午、遠藤晃、戸木田嘉久は公務労働に即して、研究集会活動の意義を論じている。即ち、国家権力や独占資本の反人民性と、本来国民や地域住民の福祉に貢献する労働は本来的に矛盾することから、労働者は研究集会活動を通して労働内容を国民・地域住民のための労働につくりかえていく、その過程で国民・住民との広範な連帯を形成し、専門職労働者の階級意識を高めていく必要がある、と主張した。

 他方、教育学の分野では、竹内真一は研究集会を「戦後の日本の労働運動が生み出したユニークな労働者の学習形態」と評し、藤岡貞彦は「資本主義諸国の労働運動の中ではまことにユニークな教育活動ではなかったかと思われる。即ち研究集会活動は、使用者側の職務上の研修・企業内教育などに対して、労働組合の指導性において、労働者一人一人が自らの労働の質を問い、その反人民的性格をみずから明らかにし、職場の要求を統一していく大きな自己教育の過程となった」と評価している。小野征夫は、研究集会の本質が「政策の本質をみずからの仕事と職場で明らかにするというユニークな労働者教育=学習の形態にあり、またその活動が、労働組合の展開する社会的活動の一つになっているということにある」とし、労働者が「みずからの労働の質を問い、政策の本質をみずからの仕事と職場で明らかにしていく集団的取り組みの中で、労働者の階級的自覚の発展を促進する上で重要な意義を持つようになっていることである。そこに新しい教育・学習の形態・方法を生み出している」と評価している。要するに、階級意識の強化という観点からの評価である。同時に、研究集会活動が新しい独自の学習の形態・方法であることを指摘しているが、従来の労働者教育に比べてどのような独自性を有しているのかは考察していない。

 1970年代になると、賃金・労働条件といった従来の労働運動の枠内に収まらない労働者の要求が出てきた。すなわち、労働疎外を背景として、労働に生きがい・働きがいを求める労働者の要求である。研究集会の教育的意義に着目した井上英之は地方自治研究活動の事例分析を行い、自治研活動が自治体公務労働者の自己形成、「自治体労働者像の追求」であったこと、そして「あらゆる自治体労働者の最も基本的要求は、『皆に喜ばれる仕事をしたい』『良心的な仕事をしたい』ということである」と述べ、こうした労働者の欲求が研究集会活動の原動力となったことを明らかにしている。芝田進午は、多くの労働者が労働の意味を問い、研究するようになっており、研究集会活動はそうした研究の組織化であると指摘した。だが、労働者教育に関する研究を概観すれば、上記の数名の研究者を除き、研究集会活動を労働者教育として位置付け、その意義を論じている研究者はほとんど見当たらない。「労働者教育」の学習形態が、労働組合の教宣局の行う事業や労働学校、労働者教育機関の事業など、教室での講義・討論形式に限定されて捉えられていたからであろう。

 上記の先行研究は研究集会活動の基本的な性質を明らかにしたが、なお問題点が残されている。第一に、従来の先行研究は教育や地方公務の分野を主な研究対象とし、協同組合や私企業の分野を捨象してきたことである。第二に、1980年代以降の研究が途絶えているため、新自由主義の下で多国籍大企業が大きな支配力を持つ現在の状況を新たに視野に入れた研究が必要である。第三に、賃金・労働条件との関係があまり考察されていないことである。労働組合は基本的に労働者自身の利益を追求する存在であるが、研究集会活動が国民のための労働を志向する場合、労働者自身の利益と調和しない場合が有り得る。第四に、活動に労働者の学習過程が内在していることを認めても、概論にとどまり、活動の実態を実証的に解明することはこれまでなかった。また、活動の意義については謳われても、業務に反映できるのかなど、問題点に踏み込んだ分析は避ける傾向があった。

 従って本論の課題は、労働組合の研究集会活動を分析することを通して、活動に内在する独自の学習過程を明らかにするとともに、活動の実態と問題点を考察することである。


2.方法と対象

 研究集会活動を教育学的視点から分析した井上英之の研究は、活動の沿革や全体の構造に関する整理にとどまっていた。本論は先行研究のレビューの他、労働組合当事者による第一次資料の探索、活動の参与観察、労働組合幹部及び一般の参加者からの聞き取りによって、一般労働者の学習過程も視野に入れながら活動の実態を分析することに努めた。

 研究対象については第一に、従来の研究が公務に偏っており、公務、私企業、協同組合の三部門に事例を求めた。第二に労働組合がいずれかのナショナルセンターに偏るのを避け、連合系、全労連系、無所属に事例を求めた。①公務は全農林(全農林労働組合;連合加盟)の農政研究活動、②私企業は新聞労連(日本新聞労働組合連合;無所属)の新聞研究活動、③協同組合は生協労連(全国生協労働組合連合会;全労連加盟)の生協研究会活動を取り上げた。いずれもこれまで研究者に注目されることがほとんどなかった。

 活動の実態を詳細に分析し、そこにおける学習過程を明らかにするには、単産全体の活動を大まかに概観するだけでは不十分であり、単産全体の活動を概観した後に、単組または分会という小単位の活動に観察の重点を置いた。①農政研究活動については、全農林の中で最大の組織人員を抱える関東地本と、関東地本所属の分会を取り上げた。②新聞研究活動については新聞労連と、毎日新聞労組の活動を取り上げた。③生協研究会活動については生協労連と、かながわ生協労組と日生協労組の活動をそれぞれ取り上げた。


3.活動の意義と問題点

 事例分析の結果、以下のことが明らかとなった。

(1)活動の課題と背景

 労働組合が研究集会活動を行う動機には、市場競争の激化や規制緩和政策による産業生き残りへの強い危機感があった。全農林は農産物の輸入自由化による国内農業維持への危機感を持ち、新聞労連は情報産業のグローバル化や新聞再販制度の撤廃への危機感を持ち、生協労連は大店法規制緩和への危機感を持っていた。また、毎日新聞労組や生協労連に見るように、私企業や協同組合では特に経営状況の悪化が活動の動機となっていた。

 研究集会活動の一般的課題は「日本農業の再建」「国民に開かれた新聞」「生協の民主化」という公共性を強調する命題に帰着するが、具体的には上記のような背景の下で、切羽詰まったものになってきた。階級理論を前面に押し出した政治闘争的色彩の濃い、かつての研究集会とは性格を異にし、労働者が自らの産業の存在意義を問い直し、国民に信を問わざるを得ない局面に立たされている。


(2)活動の意義と問題点

 研究集会活動には、どのような学習過程が見られるのか。また、活動はいかなる問題点を抱えているのか。この点を考察するにあたって、活動を主催する労組幹部、一般労組員、国民の三者がどのような関係であるかを整理しておく必要がある。

 まず農政研究活動の場合、農民・消費者との関係では、中央労農会議において農民や消費者の参加が少なく、農民や消費者から農政批判を聞くというよりも、労働組合主導で農業保護キャンペーンを張るというものであった。労働組合内部では、中央の活動方針が分会へ降ろされる。農政研究活動は労農提携運動のための理論武装であるから、一般労組員が日頃の疑問や問題意識を出し合い、結論をまとめあげるのではなく、労組幹部が一般組合員を組織し、学習を促すという関係であった。他方、まだ全体として定着しているとは言いがたいが、1994年以降全農林は分会の活動に一定の範囲内で活動の自主性を認めるとともに、改めて農民や住民、消費者の要求を調査して政策化する方針を打ち出した。地域単位の農業活性化政策を立案するには、各地域の農民や住民、消費者の具体的な要求を聞く必要があったからである。本論で見た各分会では、農民や消費者から意見や批判を率直に聞いて相互の立場に対する理解を深め、活動の課題を見出そうという姿勢が見られた。

 次に新聞研究活動の場合、市民・読者との関係では、二種類の関係を使い分けてきた。一つは、市民・読者から新聞批判、報道批判を聞くことを目的とした対外的な活動である。市民・読者からの批判を目的としている点では、全農林の啓蒙的姿勢とは対照的である。もう一つは、新聞記者どうしで討論するという対内的な活動であり、労組幹部が問題提起を行い、議論を呼び起こして、各人の問題意識を高めることを目的としている。

 生協研究会活動の場合、生協組合員や地域住民との関係は、基本的には築かれておらず、生協研究会は組合内部の集会になっている。この点で、国民と何らかの関係を築いてきた全農林や新聞労組とは対照的である。ただし、近年では市民生協にいがた労組などが生協組合員との関係を築こうとする注目すべき事例も局地的には見られる。労働組合内部では、基本的に労組幹部の問題提起を受けて、一般組合員が日頃の疑問や問題意識を披露し、討論をしながら、結論をまとめあげていこうという姿勢である。

 以上、本論で取り上げた三つの事例に即して、労働組合と国民の関係、労組幹部と一般組合員の関係を整理したが、ここから次のようなパターンを導き出すことが可能である。

 第一に労働組合と国民の関係については、国民との関係構築を主眼とする対外関係重視型と、労組員どうしの討論を主眼とする対内関係重視型とがある。第二に労組幹部と一般労組員との関係については、労働組合幹部が一般組合員に対して上からの強力な組織化を図り、教材を与えて学習を促す啓蒙型と、労組幹部による問題提起を受けて労組員が日頃の問題意識を出し合いながら、結論をまとめ上げる問題提起型とがある。

 このように3つの事例の類型化によって、それぞれの事例に見られた労組員の学習過程を整理することが可能になってくる。そこで次に、労働組合と国民の関係、労組幹部と一般組合員との関係に分けて、各々に見られる学習過程の特徴と問題点を考察してみたい。

 第一に、労働組合と国民の関係を対外関係重視型と対内関係重視型に分けてみる。対内関係重視型は内部での議論は盛んに行われるが、他方、国民との緊密な関係が作られず、関係が疎遠である場合には、研究集会の掲げる課題が抽象的になり、それに代わって労働条件など労働者の利害に関する問題が中心的な課題に位置づけられる傾向が見られる。農政であれば農民や消費者の声を聴き、新聞であれば読者や市民の声を聴き、生協であれば生協組合員や地域住民の声を聴くことによって、国民から何を求められているのかを労働者は具体的に知ることができる。だが、こうした対話の関係が構築されていなければ、問題の所在を実感できるとは限らないから、その結果、研究集会の課題が労働の社会的意義から次第に乖離し、職場内の不満に収斂する傾向が生み出されることは、当然あり得る。

 対外関係重視型に見られるように、労働者が農民や消費者、新聞読者、生協組合員、地域住民との関係を築き、彼らの意見や批判を聞くことが、労働の社会的意義を自覚するにあたって重要な意味を持っていた。市民・読者から新聞批判を聞く新聞研究活動はもとより、啓蒙型の農政研究活動でも、いくつかの分会では、実際に農民や消費者から意見を聞くことが有益であった。また、対内関係重視型の生協研究会活動でも、ちばコープや宮崎県民生協の「聴く」活動、生協組合員への聞き取り調査に注目が集まっている。

 農民や消費者などの意見、要求、批判を知るという作業は労働者にとってなぜ必要なのだろうか。第一に、机上の学習のみでは相手の要求を具体的に把握することが難しいということがある。第二に、具体的な個人と対面することによって感情移入が生じるため、自分の労働の成果が相手の役に立って喜ばれることが労働のやりがいにつながったり、あるいは自分の労働の成果が誰かを傷つけることになってしまった場合に良心の痛みを感じたりする。第三は、職場の常識や固定観念にとらわれない、新鮮な発想を採り入れることによって、発想の転換を図ることができるということがある。相手の立場に立って自分の労働を見直そうという意識は、国民との関係を築くことによって明確な要求として方向づけられ、洗練されていくことから、労働の社会的意義を課題とする学習過程は、労働組合の内部だけで完結するものではなく、外に開かれた環としてはじめて成り立つと言えよう。

 他方、労働組合が国民の要求を受け入れるだけでなく、労働組合と国民が相互の立場や主張を理解しあうことには、なお困難を残している。農業の再建とか、市民・読者に開かれた新聞といった、労働の社会的意義に関する課題であれば、市民団体は労働組合の呼びかけに応じるが、労働者の雇用・労働条件を守るために一緒に闘うわけではない。

 労働組合は労働者の利益追求の組織であり、労働者の雇用の確保、賃金・労働条件の向上を任務にしているが、自らの利益追求がセクショナル・インタレストの追求であると解され、そのままでは実際に国民の理解・支持を得ることは難しい。労働組合は、国民の要求を運動課題に据え、国民と連帯することによって、労働組合に対する国民の理解・支持を獲得し、職場運営民主化の正当性を主張でき、労働者の利益追求も可能になる、というのが建て前であるから、研究集会活動と労働条件闘争とが有機的に統合されることが理想ではあるが、実際上はなかなか難しい。研究集会活動は賃上げや時間短縮、雇用増などを直接要求するのが目的ではないから、経済的成果を短絡的に期待することはできないのは当然だが、やはり労働条件闘争との有機的な結合を図らないと、研究集会活動に関心を持つ労働者もそれほど広がらないであろう。他方、労働の社会的意義を強調することが、雇用・労働条件の改善につながるどころか、逆に自己犠牲精神の発揮によって、サービス労働、労働強化を招く恐れも否定できない。職場の労働実態やその問題点はあまり一般的には知られていないので、労働組合は職場における「合理化」の実態を広く国民に訴え、労働の社会的意義の課題と併せて、国民の支持を得る必要がある。

 第二に、労組幹部と一般労組員との関係を、啓蒙型と問題提起型に分けてみる。啓蒙型の全農林の場合、活動に参加することによって事業の政策全体に視野を広げる過程が見られる。労働者はそれぞれ、自分の実務の守備範囲は知悉し、関心を抱いているが、事業全体の政策とその問題点に関して必ずしも充分な認識を持っているとは限らないから、業務とは別に政策とその問題点を意識的に学ぶ機会を必要とする。個人の自発性のみに頼るわけにはいかないので、活動が多少の義務的・役割的性格を帯びることは否定できない。

 他方、問題提起型は個人の自発性を重視し、日頃の疑問や問題意識を活動の出発点とする点で、啓蒙型とは異なる。新聞労組や生協労組は、各人の疑問や問題意識を出し合い、身近で具体的な問題にどう対処すべきかを集団的に検討するという方法を採っている。日頃の疑問や問題意識を活動参加の動機としているが、他方で一般労組員の自発性に依存するために全組織を挙げての体系的な活動が展開できず、少数の参加者しか確保できない。

 ただし、活動に参加する全ての労働者が、最初から明確な問題意識を持って参加しているとは言えない。労働組合の役職者が立場上参加したり、同僚に誘われて参加するようになったなど、参加の直接の契機は人によってさまざまである。また、政策全体の問題点に関する認識を最初から持っているとは限らない。活動が必ずしも一般労組員の自発的な力のみによって自然発生的に生じたのではなく、労働組合幹部による上からの働きかけ(問題提起)が不可欠であった。従って、政策全体に視野を広げるマクロの視点と、日頃の身近な疑問や問題意識から出発するミクロの視点の双方が、研究集会活動に求められている。

 対外関係重視型と対内関係重視型、啓蒙型と問題提起型には学習過程の特徴としてそれぞれ一長一短がある。対外関係重視型は国民への理解を広げられるが、労組内部での論議は弱い。対内関係重視型は労組内部の論議には強いが、国民との関係が弱くなる。啓蒙型は多数の参加者を確保でき、政策全体への認識を深められるが、活動に義務感が生じる。問題提起型は労組員の疑問や問題意識から出発するが、個人の自発性を尊重するために多数の参加者を確保できず、また各人の視野の範囲を超え難いという弱点を抱えている。従って、これらの各要素をバランスよく併せ持った活動に発展させることが望まれる。

 活動に参加して問題意識を持つと、労働者は業務命令に従う従業員の立場と、労働内容を批判的に検討する労組員の立場の間のジレンマを経験する。農政では、労働者は一方では公務員として生産調整を促進し、輸入農産物を認可せざるを得ないが、労組員としては日本農業を守るため生産調整や農産物輸入には消極的になる。新聞や生協は、厳しい市場競争の中で経営を維持し利潤を確保する必要性に迫られる経営的必要性と、労働の社会的意義の主張のジレンマを抱える。従って問題解決のための現実的方法が要請される。

 問題解決の一つの方法は労働者個々人が職場で業務に反映させることであり、もう一つは労働組合が行政当局や政府、自治体、経営者に政策要求を出すことである。裁量権の非常に限られた労働者個人が業務に反映させることは現実的に難しいから、主として労働組合としての集団的な解決策が求められる。研究集会活動は具体的な政策提言を出し、成果を業務に反映させるべくさまざまに努力されてきた。農政研究活動はスローガン的な運動から国内農業強化に方針を転換し、地方自治体の農政に対する政策要求づくり運動を始めた。また、新聞研究活動では、新聞労連や毎日新聞労組は記者クラブ改革の提言を行い、個別に改革が実現した事例も報告されている。また生協労連やかながわ生協労組は「地域に根ざした店舗」を合言葉に、具体的な生協改革の方向を検討するなど、近年は実効性のある問題解決の方法が模索され始めている。しかしそれらはいずれも端緒についた局部的な試みである。むしろ、研究集会活動で提起された課題を具体化させ、実行するシステムが充分整っていないために、活動が中途で終わってしまう、という場合が実際少なくない。参加者も、いざ業務に戻ってみると、業務内容を改革することが困難で、葛藤を強める結果になる。問題提起はなされても、問題解決のための実践的・戦略的な方法論がいささか不十分だったのではなかろうか。

 研究集会活動は、労働の社会的意義という「使命の表現の美しさ」のみによって評価するのではなく、「行動の適切さ」をも評価基準に加えることが重要である。研究集会活動の課題をより具体化させ、日常の業務内容との関連を明確にして、現実的な改革への道筋を明らかにすることが必要である。

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