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博士論文要旨

論文題目:江戸の転勤族―代官所手代の世界―
著者:高橋 章則 (TAKAHASHI, Akinori)
博士号取得年月日:2009年7月8日

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 本論文は、江戸時代後期の幕府代官の支配地に展開した地域文化と文化の相互通行の流れを「狂歌(俳諧歌)」を中心に考察したものであり、文化の担い手としての「代官所手代」の実態を解明したものである。本論文題名中の「転勤族」とは、地域間の文化の流れに主体的に関わるとともに自身も代官所支配地を「移動」した代官所手代のありかたを象徴的に示したものである。
 代官所手代の歴史的・社会的な意義を文化と関わらせつつ解明する本論文は、「序章 出会いの物語」「第一章 書物の移動が語る歴史ー飛騨郡代元締手代菊田泰蔵」「第二章 狂歌撰集から見えてくる世界ー「在」字付き地名表記の謎」「第三章手代の経歴ー陸奥代官手代尾崎大八郎一徳」「第四章 手代と狂歌」「おわりに」によって構成され、筆者の手代研究・狂歌研究の推移・進展、主たる検証対象である二人の代官所手代の発見と検証の流れに沿って叙述される。
 「序章 出会いの物語」は、幕府代官所の手代を「転勤族」として論じる意義を手代研究史の中で概観する。その中で示唆するのは、代官所の下僚である手代に対する従来の研究が、手代を代官個人の雇用者・地方代官所の雇用者という対立する立場から把握しつつも、その実相を手代個人のありかたに即して明らかにしてこなかったという問題点である。歴史学が手代のような下僚の「個」を等閑視してきたことへの批判である。
 そうした手代を「個」の側面から検証すべきとする本論文が主たる対象とした二人の手代が菊田泰蔵と尾崎大八郎である。そして、彼らを考察する際に不可欠な地域として信達地域(陸奥国信夫郡・伊達郡)がある。本章では、代官所所在地を「文化が交錯する場」と意義付けしつつ論じ、本論文を通底する地域を見る立場が文化の多様性・雑駁性を肯定的に見るものであることを予告する。その上で、「手代」と「狂歌」を関連づけて論じることの意義、「天領」の文化の把握方法に言及する。
 本章の末尾の「『書物』からたどる『人』の歴史」は、本論文における歴史研究の基本姿勢をまとめたもの。そこでは、「書物」と「書物」に関わる「人」を研究することを課題とした経緯と研究の意義とを整理する。そして、本論文の研究の視点が「書物」「移動」「媒介」の三語に集約されることを明示し、さらには文化の「享受」を通じた歴史研究の意義を説く。
 「第一章 書物の移動が語る歴史ー飛騨郡代元締手代菊田泰蔵」は、飛騨郡代元締手代で代官所での吏僚生活を終える菊田泰蔵の詳伝であり、これまでほとんど触れられたことのなかった彼の伝記を描くことを可能とした諸史料の紹介とその史料への実証的な考察をおこなったものである。基本的には、歴史資料と文学資料とを融合させ「個」を具体的に叙述し歴史の中に定位する技法を展開する形式をとる。
 「墓石が語る事実ー菊田泰蔵の二つの墓」の節は、郡代役所で元締手代として執務した菊田泰蔵の終焉の地となった飛騨高山の風土と文化とを代官所のありかたと関わらせて整理する。そのうえで、泰蔵が「書物」を通じて、遠隔地である陸奥の福島と交流した事実を紹介し、それが彼の出自を解明する鍵となったこと、さらには代官所が存在する地域の文化状況を考える糸口となったことを指摘し、福島の商人内池永年、飛騨山口村の蚕種商平塚新七、漢詩人館柳湾らと泰蔵との交流の意義について既知・未知の史料をもとにまとめる。
 高山時代の泰蔵の動向については従来も僅かながらではあるが市町村史等が触れていた。郡代の善政を補助した元締手代としての彼のありかたである。それに対して本論文が新たに彼の伝記に付け加えたのは、主として泰蔵の文化的な側面、「書物」を通じた地域との関わり、さらには婚姻を通じた代官所関係者との関係、そして「狂歌」を通じた全国との交流・地域文化人との交流である。
 そうした泰蔵の「個」の伝記的叙述を可能にした史料となったのが、縁者である内池永年の書簡や歌集などであり、本論文ではそこに混入していた泰蔵の手紙を抽出することにより、泰蔵の伝記を詳細なものにすることが可能となった。そうした従来、歴史叙述には用いることの稀であったそれらの文学資料の中の、特に「書物」に関わる記述を最大限に活用することによって、泰蔵の伝記は豊かなものとなったのである。
 その「書物」とは、『竹取翁物語解』、『高山奇勝』、『狂歌扶桑名所図会』であり、それらの「享受」の側面に焦点を当てるという手法が本章の基調をなしている。また、館柳湾や広瀬淡窓・松崎慊堂の日記なども関連する歴史資料として泰蔵のみならず彼の親族の伝記に融合させうることを実証的に示している。
 本章が文学資料・歴史資料の断片から再構成する菊田泰蔵の実像の核としたのは、高山という郡代役所所在地における地域文化のリーダーとしての役割であった。そして、その文化の中核となったのが「狂歌」であった。
 「第二章 狂歌撰集から見えてくる世界ー「在」字付き地名表記の謎」は、従来、歴史資料として活用されてこなかった「狂歌」を歴史資料化する方法を説いた章である。
 十九世紀の「狂歌」の作品集においては作者の狂歌名の上に地名表記がなされるのが通例である。その地名表記の特殊な表記に、地名の上に「在」の字を冠するものがある。その「在」字地名の用法の意味と準則とを「月次撰集」の作成や諸種「出版物」を利用して全国展開した「狂歌(俳諧歌)」の運動を再検証するなかで導き出す。
 その「在」字地名の意味・準則は、居住地表示をせずには作者を特定することが不可能になるほどに広範な地域にさらには様々な社会階層に「享受者」が拡大した十九世紀の狂歌界のあり方を反映した特殊な居住地表示である。そして、とりわけ地域間の「移動者」達を明示する際の文字であった。この表記法を論じる中で、そうした特殊な表記法を不可避としたのが、月次撰集をはじめとした定期刊行物を生みだし自「連」の組織化に利用した鹿都部真顔らの狂歌宗匠らであったことを明らかにする。
 なお、「『在』字地名が物語る世界」の節において詳論される狂歌作者「月盛」は氏名不詳の近江日野の住人であり、関東地方への「移動者」である。そうした匿名の人物の動向を歴史化することを可能にしたのが、俳諧歌の月次撰集である。月次撰集を年次に沿って整理し特定の作者の数年にわたる動きを導出するという手法は本論文における「狂歌」の歴史資料化の根底をなす手法であり、研究をささえる方法でもある。本章はその研究手法の汎用性や有効性を実証的に示すことを意図して記述されている。
 「第三章 手代の経歴ー陸奥代官手代尾崎大八郎一徳」は、陸奥国桑折に存在した陸奥代官所に勤務した「手代」尾崎一徳の生涯と近親者の動静とを伝記化することを通じて「手代」の社会的な位置を定位することを企図した章である。
 「手代の家ー尾崎家三代」「手代の家の近代」「大八郎一徳の履歴」の各節では、十八世紀末から十九世紀末に至る尾崎家三代の歴史を「手代」の任用の実際や代官や同僚との関係、複数代官所の相互関係などの、従来、史料的な不備から見過ごされてきた代官所の下僚である「手代」の実態を尾崎大八郎の人生をたどるなかで論じたものである。史料的な考証を通じて見えてくるのは、「第一章」の菊田泰蔵と同様に、「手代」の任用が「家」を単位としてなされていることである。また、「手代」の昇任が名前の変化によって可視化されるという側面である。また、江戸時代の手代が明治国家に至り、どのような扱いを受けたかについても触れている。
 終節「狂歌撰集の中の一徳」は、歴史資料のみでは確定できなかった「手代」の履歴を狂歌資料の利用によって確定することことが可能であること、さらには詳細な履歴を付け加えたり「手代」尾崎大八郎の「個」の人生を浮き彫りにしたりするのに有効であることを示す。その際、「狂歌」撰集に見える「三箱」「田場坂」のような極小地域をめぐる地名表記が果たす役割についても併せて言及している。
 「第四章 手代と狂歌」は、本論文の主たる課題である「手代」の地域社会に果たした文化的な意義を「狂歌」に即して詳細に検証した章である。
 「代官所手代」にして「狂歌作者・愚鈍庵一徳」である尾崎大八郎は、転任の地であり代官所の所在地である桑折において代表的な文化人として振る舞うとともに周辺地域の人々との交流を盛んに行っている。「信達三十六歌仙」の中心人物である点、会津の百中亭筈高との交流がそれを象徴する。
 尾崎一徳は、地域外からの流入者「余所者」が地域に「文化」を導入し発信する「媒介者」として立ち現れるのである。そうした一徳を支えるのが「狂歌」であった。彼の「狂歌」は全国的にも評価され判者としての立場を確立する。のみならず、彼の信達地域での活動も認知されるに至る。『俳諧歌周花集』のような代表的な狂歌集に名を留めるに至り一徳は地域を束ねる「判者」として生きることを決意し、さらに桑折に根ざした活動を繰り広げる。例えば、近隣の「五十沢」の「連」として組織化がそれである。
 地域に「狂歌」をもたらし制作指導を行う。そして、やがては息がかりの狂歌人を独り立ちさせ全国に紹介する。そうした役割をみごとに果たす一徳は生業である代官所における吏務も怠ることはない。平の「手代」から「公事方加判」という中間管理職へと出世の途を登り始める。しかし、慮外の死を拒むことができない。
 本章は、手代が政治面のみならず文化面でも地域社会とともに生きるという側面に焦点を当てた個人史的な章段であり、本論文が「序章」で掲げた「個」を豊かに叙述するという課題に応えるべくまとめられたものである。
 「おわりに」は、本論文の随所で断片的に示された本論文の執筆者の研究の推移と視点とを再論したもの。本論文が課題とした「文学資料」と「歴史資料」との融合、平凡な「個」を叙述することの困難さについても再論される。

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