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博士論文要旨

論文題目:民間の不登校支援グループに関する社会学的分析 ― フリースクール運動を事例に ―
著者:佐川 佳之 (SAGAWA, Yoshiyuki)
博士号取得年月日:2009年3月23日

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 本稿は,民間の不登校支援団体・フリースクール(「居場所」)を事例に,不登校の支援者と不登校児との関わりに焦点を当て,支援者の文化と経験について探るものである。
 日本において不登校が社会問題化して久しいが,依然として深刻な状況の中にある。不登校児の「居場所」は,不登校問題を背景に,単なる物理的な空間の意味を越えて,不登校問題の様々な言説と関わり合いながら,一つの社会運動組織として不登校支援の領域で大きな力をもっている。そうした背景にある「居場所」には,自分のありのままを受け入れてくれるところ,安心して過ごせるところという意味が付与されている(住田2003)。学校的価値や管理教育が深く社会に浸透した状況においては,不登校児は逸脱者や問題児として認識され,肯定感を持ちにくい立場にあった。「居場所」のフリースクール運動は,不登校の原因を子ども個人ではなく,学校教育や社会に求めると同時に,「学校に行かない生き方」を積極的に主張し,彼らに学校的価値に囚われることなく,安心して過ごせる居心地のよい場所を提供したのである(住田2003,東京シューレ2000)。こうしたコンテクストにおいて,「居場所」は不登校児の「個性の尊重」や「受容と共感」という関わり方によって,彼らを支援する場として広く認識されるに至ったと言える。
 しかし,「居場所」の支援は「受容と共感」という理念的,あるいは道徳的な実践として理解される一方で,日常的に支援者がいかに当事者と関わっているのかという問題,またその関わりから生まれる彼らの困難などの経験の具体的な実態については,これまで充分に報告されてこなかった。本稿の課題は,支援者の不登校児との関わり方やその困難に,不登校支援の多様な言説と支援組織特有の文化が深く関わっている点に注目し,支援者の複雑な特徴を解読するところにある。ここでは,「居場所」の支援者の経験に関して,単一的な役割に従属させる視点を批判しつつ,不登校支援をめぐる変動的な社会的・文化的状況の中で,自らの理念や役割を問い,修正し,再構成するといった試行錯誤の過程として捉え直すことを試みた。
 特に,本稿では,「受容と共感」や安心感の喚起といった感情的なコミュニケーションが重視される「居場所」の支援の文化を感情文化として捉え,認知レベルに留まらず感情レベルまでに及ぶ支援者の文化と経験に焦点を当てた。感情文化という概念は,感情がシンボルに埋め込まれたパターンであり,そうしたパターンによって人は感情についての知識,それに対する態度をコミュニケートし,維持,発展させるという側面を強調するものである(Gordon 1989)。この概念からすれば,不登校支援のあり方は,支援者個人の本質的特性に起因するものではなく,状況に自己の感情を合わせる実践においてこそ成立すると考えられる。これを基本的認識に据えて,具体的に各章では次のような点を考察した。
 第1章では「居場所」の支援に関する先行研究の評価と問題点を明らかにした上で,支援者の感情経験を明らかにするための具体的な論点と分析枠組みを提示した。「居場所」の支援の先行研究は大きく二つのアプローチに区分される。一つは,主にナラティブ・セラピーの観点から不登校児の自己物語の再構築に焦点を当てるアプローチである(朝倉1995,瀬戸2001,住田2003,2004,Yoneyama 2000)。そこでは,支援者が共感的理解の態度をとる重要な他者として記述される。もう一つは,支援のあり方を積極的に評価する第一の研究とは異なり,不登校児の「受容と共感」という姿勢,あるいは不登校に対する肯定的な認識に内在する権力性や問題点を浮き彫りにするものである(北山1999,貴戸2004)。これらの研究の方向性は対立的であるものの,両者とも「受容と共感」というイメージを前提として不登校児の支援者を記述してきた。これらの研究は子どもにとっての「居場所」の支援に注目したものであり,支援者の不登校児との関わりに伴う困難などの経験については検討されてこなかった。つまり,先行研究では,支援者の「受容と共感」という単一的な役割が前提とされているため,支援者がその役割に従属するというイメージで記述されているという問題点が明らかとなった。
 「居場所」の先行研究の問題点を踏まえ,本稿は支援者の文化と経験の複雑な特徴を社会学的に明らかにする上で,まずホックシールド(1979)の感情規則と感情ワークの概念から,「居場所」の支援実践を捉えた。感情規則とは,感情と状況の一致と不一致を評定し,相互行為場面における個々人の感情経験のガイドラインであり,感情ワークとはそうしたガイドラインに合わせて感情を形成したり,抑圧したりする試みを意味する。本稿では,この議論に依拠する支援の感情労働論と社会運動における感情の機能に関する研究から,支援に関するそれぞれの研究領域での組織と支援者の感情経験の捉え方を検討した。この検討から,「居場所」の支援は感情ワークとして捉えられるものの,「居場所」の組織の感情規則は,感情労働論が対象とする組織に見られるような高度な技術や知識に支えられているのではなく,ある種の社会運動組織のように理念的価値や道徳性に依拠している点を見出した。
 しかし,感情労働論と社会運動論の感情分析の両者とも組織の感情規則を固定的なものとして捉え,また支援経験を組織の規範に規定されるように描いているなど,そこでは多様に編成される経験に関する関心が弱かった。そうした方法論上の問題に対して,本稿は,社会運動のフレーム理論を再考しつつ,支援のあり方が特定の規範に従属しているのではなく,支援をめぐる様々な観念=言説と,メンバーの生活世界における経験という二つの社会的・文化的コンテクストと連動的に編成されるものとして認識した。その上で,支援経験を変動する社会への「適応」実践=感情ワークとして広義に捉え,支援者の経験が状況に応じた形で多様に編成されていく可能性を提示した。ここで強調するのは,コンテクストが単に支援者の実践を制限するのみならず,新しい支援のあり方を創造する契機ともなる側面である。以下の各章では,その二つのコンテクストを記述することによって,支援者の複雑な特徴の解明を試みた。
 第2章では,第1章であげた「居場所」の支援をめぐる観念=言説のコンテクストについての関心から,①「居場所」の支援の感情規則の道徳性や理念が所与としてあるのではなく,社会空間において優位性をもって流通する観念=言説との接合による社会的産物であることを具体的な言説の過程の検討を通じて解明し,また②近年の「居場所」の感情規則の正当性を裏づける観念的・言説的基盤の今日的特徴を浮き彫りにすることを試みた。1970年代から1980年代においては,行政や精神医学者をはじめとして,不登校の原因を家族や子どもの性格に還元する言説が支配的であった。こうした認識に対して,フリースクール・東京シューレが管理教育批判や不登校の医療化批判を展開すると同時に,子ども中心に考え,「受容と共感」の姿勢で不登校児に関わることの価値を主張した。本稿では,こうした「受容と共感」の関わり方,すなわち感情規則が,管理教育批判や子ども人権擁護,欧米のフリースクール思想など,1980年代の教育領域において相対的な優位性を持ちつつあった観念=言説との関連によって,道徳性と正当性を獲得した点を指摘した。さらに,本稿では近年の「居場所」をめぐる言説状況についても考察した。不登校の脱医療化の認識に基づいた,「受容と共感」の関わりを特徴としていた「居場所」の支援が,特に2000年代においてAD/HDやLDなどの発達障害の言説と結びつきつつある。つまり,近年ではその支援が管理/反管理,あるいは医療化/脱医療化といった対立的な規範においてなされるのではなく,むしろ対立的でさえする多様な観念=言説が「居場所」の支援と関連しており,そうした支援をめぐる規範性が相対的に弱まりつつある点を確認した。
 第3章は,第1章であげた二つのコンテクストのうち,支援者の生活世界のコンテクストの基本的特性に注目するものである。ここでは,第2章で検討した管理教育批判や子どもの人権擁護論など様々な観念=言説と結びつき,道徳性を帯びたフリースクール運動特有の「受容と共感」の感情規則が,「居場所」のローカルな文化との関連において,支援者の感情ワークをどのように構成していくのかという問題について,フリースクールAにおけるフィールドワークで得られた資料を基に検討した。「居場所」の支援の先行研究では,自己物語の再構築を促す自助グループとしての機能が強調されているが(住田2003,2004),「居場所」の支援を精緻な形で捉えるには,語りを通じた相談やカウンセリングのみならず,おしゃべりや遊びなどの日常的な実践を含めた分析が不可欠である(cf.フリースクール全国ネットワーク2004)。これを踏まえ,第3章では,不登校児の安心感を生み出すために,日常場面において学校的なるもの(整然とした環境や規則的な時間の構成を特徴とする)や不登校に関する話題が排除される一方で,相談場面などでは不登校経験の語りが促されるといったように,両義的な方向性をもった感情ワークがなされていることを指摘した。この考察から浮き彫りになったのは,学校・不登校経験の話題を排除する日常における支援と相談などにおける語りを通じた支援の両者が,「秘密」のコンテクストを間にして,それぞれその内側・外側でなされている点である。ここでいう「秘密」とは,ある特定の情報内容そのものではなく,情報内容とは独立した装身具的特性,つまりメタ情報としての秘密に関わるものである(Simmel訳書1994,阪本1999)。「秘密」のコンテクストは,フリースクールAの日常的なコミュニケーションと相談場面におけるコミュニケーションを枠づけるものである。つまり日常のコミュニケーションが学校・不登校経験の話題の排除,あるいは秘密を前提になされる一方で,不登校経験も含めた悩みの語りが支援者と不登校児の二者間における守秘の了解のもとに促される。また相談場面は,日常的なコミュニケーションの積み重ねから生じる信頼関係を前提としており,両者の関係性は相互補完的である。このように,フリースクールAでは,「受容と共感」という支援のあり方,あるいはそのコミュニケーションが,「秘密」という「居場所」のローカルな文化的コンテクストに規制され,多層的に構成されている点を明らかにした。
 第4章では,フリースクールAを事例に,主に支援者と不登校児とのコミュニケーションの展開に伴う,支援者の困難とその克服過程について検討した。まずプライバシー論(阪本1999)やベイトソン(訳書2000)の「分裂生成」の議論を参考にしつつ,フリースクールAの「秘密」の文化的コンテクストに規定される「受容と共感」の感情規則が,支援者と不登校児の親密な関係性を条件づけると同時に,それを強化するという側面を指摘した。こうした特性を持つ感情規則は,道徳性を備えているが故に,支援者は対処が困難な振る舞いをする生徒に対しても,しばしば同様の姿勢での対処を繰り返し,関係性の過剰という困難を経験してしまう。この「問題」に対して,支援者は不登校の言説空間で流通する発達障害カテゴリーを生徒の行動に当てはめ,生徒を差異化する。そのカテゴリーに基づいて,「受容と共感」の感情規則が複数の感情規則に修復・更新され,また同時にそれらに応じた感情ワークも規定されるように,この転換は距離を取った対処を可能にする。しかし障害カテゴリーに基づくコミュニケーションへの没入が,支援者と生徒との距離を過剰にするため,当該の生徒との関わり方の方法が限定され,硬直化するなどの新たな問題があらわれてくる。こうしたとき,支援者はノーマライゼーションというカテゴリーを提起する。これによって,障害カテゴリーに基づいた関わりが抑制され,その時々のコミュニケーション状況に基づいた柔軟な関わり方へと転換していく。このノーマライゼーションとは,ある種の障害者をめぐる社会運動に見られるようなイデオロギーの表明というより,不登校児との関わり方の方向性という極めて限定された意味で用いられており,そのフリースクールAというローカルな場で再文脈化された概念である。第4章の考察から明らかになったのは,「居場所」の支援者が,不登校支援をめぐる言説空間において流通するカテゴリーを接合,あるいは再文脈化し,「受容と共感」の感情規則を複数の感情規則へと再編成していく点である。つまり,特定の感情規則によって支援のあり方が規定されているのではなく,コミュニケーションの展開に準拠する形で感情規則が再編成され,そうした柔軟なやり方が支援の維持に結びついている点を示した。
 以上の考察から明らかになったのは,「居場所」の先行研究がイメージするように,支援者が「受容と共感」という単一的な感情規則に従属して実践しているのではなく,不登校児とのコミュニケーションの展開に応じて,試行錯誤をしながら,不登校支援の意味づけと感情規則を再編成していく側面である。むしろ単一的な感情規則への没入が支援者にとって大きなリスクとなることが確認できた。これらの再編成の可能性は不登校支援をめぐって流通する諸言説=信念システムのコンテクストと支援者の生活世界のコンテクストによって制限されている一方で,そうしたコンテクストが支援の感情規則の再編成の契機ともなり,支援者の感情経験を多様に変容させていくのである。このように,規範に埋め込まれたものとしての支援者の感情経験は,多層的な社会的・文化的コンテクストとの関わりの中で,多様に編成されていく可能性を強調しておきたい。

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