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博士論文要旨

論文題目:電子メディアによる情報伝達の研究 ―コミュニケーションにおける非言語的手がかりの役割―
著者:杉谷陽子 (SUGITANI, Yoko)
博士号取得年月日:2008年3月21日

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 インターネットは、もはや、我々の日常的なコミュニケーションを担う一大メディアとなった。今や我々は毎日のように、パソコンや携帯を通じてメールを交わすほか、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)や口コミサイトなどでは、掲示板を通じたコミュニケーションが活発に行なわれている。
 このようなインターネット・コミュニケーションを通じて、われわれは、お互いの意思や感情を十分に伝えあえているだろうか?従来良く用いられてきた対面でのコミュニケーションや電話などと比較して、インターネット・コミュニケーションは優れているのだろうか?あるいは、劣っているのだろうか?本論文は、このような問題に対して、実証的な観点から検討を行なった。
 インターネット・コミュニケーションが、我々のコミュニケーションや対人関係にどのような効果を及ぼすのかについては、日本よりもインターネットの普及が早かったヨーロッパやアメリカを中心として、数多くの研究が実施されてきた。それらの研究では、インターネット・コミュニケーションは、対面や電話などのコミュニケーションと比較して、相手に伝達される非言語的手がかり(表情やジェスチャー、声の調子等)が少ないという点が特徴であることが指摘された。古くより、社会心理学においては、非言語的手がかりはメッセージの意図を解釈する上で不可欠であるという考えが主張されてきていた(Mehrabian & Wiener, 1967; Patterson, 1983)ため、非言語的手がかりが乏しいインターネット・コミュニケーションは、対面や電話などには劣るものとして位置づけられた(Short et al., 1976; Kiesler et al., 1984)。すなわち、インターネット・コミュニケーションでは、他のメディアと同レベルの円滑な意思疎通を行なうことは出来ないと結論づけられたのである。
 しかし、近年のメール利用やインターネット・コミュニティなどの現状を見ると、この議論の妥当性は疑わしい。インターネット上には社会志向的なコミュニケーションを行うためのサイトが溢れ、相手の顔が見えなくとも、声が聞こえなくとも、我々はメールで十分に互いの気持ちを伝え合うことが出来ているように思われる。
 こうした現状を反映し、近年のインターネット・コミュニケーションの研究では、インターネット上での親密な対人関係の形成可能性を報告する論文や理論が数多く提出され(e.g. Walther, 1996; 2001; Parks & Floyd, 1996)、インターネットが対面に劣るどころか、むしろ対面を超えるメディアである可能性さえ議論されている。これらの研究においては、インターネット・コミュニケーションにおける非言語的手がかりの少なさは、円滑なコミュニケーションを阻害する要因とはいえないことが示唆されている。
 一方、非言語的コミュニケーションの研究においても、メッセージの意図を解釈する上で非言語的手がかりは不可欠な存在であるとする主張が疑問視され始めており、その重要性は文脈依存である可能性を指摘したり、あるいは、むしろ非言語よりも言語的手がかりの方が重要だと指摘するような実証研究も行われるようになってきている(e.g. VanBuren, 2002; 佐々木, 2006)。
 このような研究の流れを受け、本研究は、メッセージの意味を解釈する上での非言語的手がかりの重要性を検証しなおすことによって、非言語的手がかりが乏しいインターネット・コミュニケーションでも、十分な意思伝達が行われている可能性を検討することとした。ここでいう「十分な意思伝達」とは、コミュニケーションの話し手と聞き手で、話し手の発言の意味に関する認識が一致しているということを意味する。本研究ではこれを「伝達度」と呼ぶ。非言語的手がかりがメッセージの解釈を正確にするための機能を果たすのならば、インターネットよりも対面コミュニケーションでメッセージの伝達度が高いということが示されるだろう。一方、非言語的手がかりの重要性が否定される(言語的手がかりの方が重要である)ならば、インターネットでも対面と同レベルに意思伝達が出来ている(伝達度に差がない)ことが示されるだろう。

研究課題Ⅰ
 以上の議論から、第一の研究課題(研究課題Ⅰ)は、「非言語的手がかりの有無は、メッセージの伝達度に影響を与えるのか?」と設定した。
 非言語的手がかりと言語的手がかりの重要性については、あらゆるコミュニケーションにおいて一様にどちらかが優位であるという考え方よりも、それぞれの特徴に着目して議論を行なう必要があるだろう。非言語的手がかりは、感情を伝達するのに有効である(深田, 1998)。嬉しい、悲しいといった感情は、笑顔やジェスチャーによって効果的にアピールすることが出来るからである。一方、言語的手がかりは道具的情報や事実を伝えるのに適している。「昨日、世田谷で交通事故が起きた」という事実を、ジェスチャーや表情で伝えるのはきわめて難しいが、言葉であれば容易である。むしろこのようなコミュニケーションの場合、ジェスチャーや表情は聞き手の注意を肝心のメッセージ自体から逸らしてしまう働きを持ち、情報伝達を妨害する効果があるのではないかと予測した。
 したがって研究課題Ⅰの第1の仮説は以下の通り設定された。「感情的な情報を伝達するのには非言語的手がかりがあった方が伝わりやすいが、道具的な情報を伝達するためには、非言語的手がかりがないほうが伝わりやすいだろう。」
 研究1、研究2の2つの実験によってこの仮説が検証された。実験では、2名の被験者をペアにして対面コミュニケーションあるいはチャットでコミュニケーションを実際に行わせ、メッセージの伝達度を比較した。その結果、感情的な情報の伝達においては、対面でもチャットでも伝達度は同程度であった。一方、道具的情報の伝達の場合は、非言語的手がかりがあってもなくても変わらないか、あるいは、非言語的手がかりがない方がメッセージが良く伝わっていることが示された。したがって、仮説は一部支持されるにとどまった。仮説1の検討によって得られた知見は、非言語的手がかりは、感情的情報の伝達、道具的情報の伝達の両方で、従来言われていたような影響力を持っておらず、伝達度を高める働きはないというものであった。

 仮説1で扱った「伝達度」とは、「話し手と聞き手でメッセージの意味が共有されている程度」であった。一方、「メッセージが十分に伝わる」「十分な意思伝達が可能である」と言った場合、それは、我々の主観としてのメッセージの「伝わった感」も含んでいると思われる。メッセージの内容を聞き手がきちんと理解できていても、話し手側がそう思っていなければ、それは、十分な意思伝達ができた、とは言えないからである。
 そこで、研究課題Ⅰの仮説2として、我々のメッセージが伝わったことに関する主観的な感覚(本研究ではこれを「伝達感」と呼ぶ)を検討することとした。我々は日常的に場面に応じて最も適切なコミュニケーション方法を使い分けるが、中でも、最も丁寧で言いたいことが伝わりやすいと思われているのは対面のコミュニケーションであろう。実際には対面もチャットもメッセージの伝達度に違いがないことは仮説1の検討で示されたが、にもかかわらず、我々は対面コミュニケーションに幻想的な信頼感を持っているように思われる。この信念は、我々が生まれ育った環境や文化の中で、社会規範として身につけてきたものであろう。話題や状況によっても変動を受けないものと考えられることから、次のような仮説を立てた。
 仮説2「非言語的手がかりが多いコミュニケーションの方が、少ないコミュニケーションよりも、伝達感が高いだろう。」
 「伝達度」の検討と同一の2つの実験によって、この仮説は検証された。その結果、仮説は一貫して支持され、非言語的手がかりが多いコミュニケーション(対面)の方が、非言語的手がかりが少ないコミュニケーション(チャット)よりも、伝達感が高いことが分かった。この伝達感の評定は、伝達度の評定と有意な相関を持っておらず、両者が独立の概念であることも確認された。
 研究3では、伝達感がインターネットへの親和性や利用頻度から規定されるという代替説明を排除するために、調査研究を実施した。その結果、インターネットの利用頻度に関わらず、非言語的手がかりが多い時に伝達感が高まることが示された。

研究課題Ⅱ
 研究課題Ⅰでは、実際には対面でもチャットでもメッセージが伝わった程度に差がない(伝達度に差がない)にもかかわらず、伝わったという感覚(伝達感)は一貫して対面が高いという結果が示された。ではなぜ伝達感だけが、そのように高くなるのだろうか。伝達感が伝達度に基づいていないのであれば、伝達感の規定要因は何であるのかという新しい疑問が生じる。そこで、研究課題Ⅱとして、メッセージの伝達感が何によって生じているのかを検討した。
 まず、研究4および5において調査を実施し、人々がなぜ対面の伝達感を高く評価するのか、その原因を直接尋ねた。具体的には、「あなたが最も相手に言いたいことが伝わりやすいと思うコミュニケーション方法は何か」と尋ね、対面コミュニケーションを答えた回答者に、その理由を自由記述方式で回答してもらった。その結果、全体の80%近い人たちが、「相手の顔が見えるから」「相手のジェスチャーが見えるから」などと回答しており、すなわちそれは、「視覚的手がかりの存在」が原因であると認識されていることを示すものであった。この自由記述方式による調査は、一橋大学の学部生と東村山市の一般市民(20歳~60歳)を対象として2回行われ、いずれの調査でも同様の結果を得た。なお、この結果は、コミュニケーションの内容が道具的情報の伝達であるか感情的情報の伝達であるかということによって影響を受けることはなかった。
 ただし、この調査研究の結果は、あくまで、視覚的手がかりが原因であると人々に「認識されている」ということを示したに過ぎない。そこで、本当に視覚的手がかりの有無が伝達感を規定するのかどうかについて、実験を用いて検証することとした。
 仮説は以下の通りであった。「視覚的手がかりがある場合、ない場合に比べて、伝達感が高くなるだろう。」
 この仮説を検証するために、研究6および7の実験が実施された。研究6では、2名の被験者がペアになりチャットを行なったが、この際、互いの顔が見える状態でチャットをする条件(視覚的手がかりあり)と、顔が見えない状態でチャットをする条件(視覚的手がかりなし)を設定し、伝達感の評価を比較した。しかし、この実験で操作された視覚的手がかりは、概念的に不適切なものであった。調査研究で得られた「視覚的手がかり」とは、話し手が聞き手にメッセージを理解してもらうために、聞き手に向けて発信したひとつのコミュニケーション手がかりを意味している。しかし、研究6の操作で聞き手に伝わった視覚的手がかりは、無表情でキーボードを叩く姿であり、相手へ発信することを前提としていないものであった。操作チェックの結果、操作の失敗が確認され、あらゆる従属変数で一切結果が得られなかった。
 そこで、研究7では、視覚的手がかりの操作として、被験者を向かい合わせで座らせて通常の対面コミュニケーションを行なわせる条件(視覚的手がかりあり)と、衝立を挟んで座ってコミュニケーションを行う条件(視覚的手がかりなし)とを比較した。その結果、仮説は支持され、視覚的手がかりがある条件でない条件よりも伝達感が高くなった。したがって、仮説は支持された。一方、仮説の検討とは離れるが、伝達度についても分析を行なった結果、道具的情報の伝達では視覚的手がかりがあってもなくても同レベルであったが、感情的情報の伝達においては、非言語的手がかりがない方がむしろ伝達度が高く、正確に意思が伝わっていた。

本論文の知見のまとめ
 以上の検討により、本論文は以下の3つの知見を導いた。

(1)話し手のメッセージの意図が聞き手に正確に伝達される上で、非言語的手がかりは、従来の研究が指摘したほどの重要性は持っていない。場合によっては、非言語的手がかりがあることで、かえってメッセージの伝達が阻害される可能性もある。

(2)(1)の事実にもかかわらず、人は対面コミュニケーションであれば自分の言いたいことが相手に正確に伝わりやすいという幻想を抱いている。

(3)その幻想は、コミュニケーションの視覚的手がかりの有無によって規定されている。視覚的手がかりがあれば、人は、自分が発したメッセージが十分に相手に伝わった、あるいは、相手のメッセージが十分に伝わってきたと感じる。逆に視覚的手がかりがないと、そのような感覚を持つことが出来ない。この感覚は、メッセージが実際に相手に伝わったかどうかと無関連に生じている。

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