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博士論文要旨

論文題目:ミシェル・フーコーの統治合理性批判―司牧、国家理性、自由主義の分析から―
著者:李 承駿 (LEE, Seung Jun)
博士号取得年月日:2007年6月25日

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1. 論文の構成

はじめに
第1章 フーコーと政治
1.1 概略
1.2 政治化の概念
1.3 統治の合理性
第2章 個別化する統治――キリスト教司牧
2.1 統治の一般原理
2.2 キリスト教司牧
2.3 指導/反-指導
2.4 小括
第3章 全体化する統治――国家理性
3.1 歴史的背景
3.2 国家理性の定義
3.3 国力の増大とヨーロッパの均衡
3.4 ポリス装置
3.5 小括
第4章 自由主義と市民社会
4.1 自由主義の一般原理
4.2 オルド自由主義の統治性
4.3 フランスの新自由主義
4.4 アメリカの新自由主義
4.5 市民社会
4.6 小括
結び
参考文献


2. 論文の題材及び方法

 本論文は、ミシェル・フーコーの1978年と79年度のコレージュ・ド・フランスの講義録『安全、領土、人口』と『生命政治の誕生』を主な分析対象としている。70年代後半のこの二年間の講義は、フーコーにとって一つの転機にあたる。中期フーコーと後期フーコーを媒介する新しい枠組としてフーコーは「統治性(gouvernementalité)=統治合理性」にたどり着き、とくに権力を包括的に捉えなおす政治的な意味での統治性を分析したのが、この二年間の講義である。これ以後、フーコーは、権力と政治を直接的に分析することは少なくなり、統治のもう一つの側面である主体としての自己の構成の歴史に傾注していく。
 政治的な意味での統治に関する著作を書く間もなく急逝することによって、フーコーの統治性研究は、その重要性にもかかわらず、世にあまり知られていない。今となっては、何人かの先駆的な研究者によって、その全体像もある程度明らかになっており、それらの研究に触発されて、他の領域で付帯的な様々な効果をもたらすほどにまでなっているが、フーコー自身の精緻な分析とその論理を厳密に吟味する作業はいまだに十分とはいえないのが現状である。したがって、本論文は、権力と政治を直接的に論じた最後のものとして、これらの講義録の内在的かつ厳密な読解に重点を置き、フーコーの論理構成を明らかに示すことを目標とした。
 講義録を解釈するに当たっては、フーコーの思想の基本線の一つである真理と政治と倫理の不可分の関係を、統治合理性の分析において見出すようにした。

3. 論文の目的

 本論文の目的は、ミシェル・フーコーの統治合理性批判というフーコー独特の思想的・歴史的・政治的な分析の意義を明らかにすることである。合理性一般の批判は、カント、ウェーバー、フランクフルト学派によって、その必要性とアクチュアリティを認められてきている。しかし統治の合理性に関しては、フーコー以前にはまったく分析と批判のメスが入っていない領域であった。従来の政治的合理性批判は、官僚主義的・テクノクラート的な合理性に批判が集中していた。合理性一般の批判に関しても、フーコーは従来の批判哲学的な伝統と一線を画している。フーコーの合理性批判は、合理性が持っている非合理なものや暴力を批判して、別の合理性を求めたり、非合理なものに反動的に舞い戻ったりするものではない。合理性そのものは、常にあるネガティブな効果を伴い、常にある残余を残すものであり、したがって、合理性に対する絶えざる監視と分析を行う批判的義務が生じるのであるが、しかしフーコーは合理性に対して善/悪や真/偽を判定するのではなく、それを形態論的に扱う。統治にも様々な合理性の類型があり、それらの合理性の間には技術的に相互に活用し合ったり、激しい闘争と論争が繰り広げられたりする、したがって、合理性の分析は戦略的な図式を用いてなされるべきである。フーコーはこの統治合理性の間の闘争と論争を政治そのものと見る。
 統治合理性批判とともに本論文が明らかにしようとしたのは、フーコーの政治的思考の本質である。フーコー固有の「政治化」の概念と、「政治化」の形式としての倫理に光を当てることによって、彼の統治合理性批判の意義を明らかにしようとした。理論的分析、政治化、倫理は、フーコーにあっては三位一体になっているのである。

4. 論文の概要

 第一章では、フーコーの統治合理性批判の意義を把握するための前提として、フーコーの政治的思考の特徴を多少とも明らかにしようとした。そこで手がかりにしたのは、講義録編集者の解説に引用されているフーコーの手稿からの文章である。「個別的一般性(généralité singulière)としての統治性は《一切は政治的である》[という命題]を含意する」とフーコーは言う。そしてフーコーは、「政治的なもの」の概念を定義するために、カール・シュミットの定義を自分のそれと対比させる。シュミットの概念は、「友/敵の戦いの遍在性」として定義されるが、フーコーの概念は、「統治/抵抗によって生じるもの」として定義される。フーコーによるこの対比は二つの点において差異化されている。すなわち「友/敵」と「統治/抵抗」の差異、そして「遍在性」と「生じるもの」つまり存在と生成の差異である。ここには、フーコーにとって、政治の賭け金はどこにあるかということと、「政治化」の概念が含意されている。
 これらの理論的・方法論的かつ実践的な意味を読み取るべく、フーコーの他の様々な文章や発言から肉付けをして、本章では次のような結論に達した。理論的作業(とくに統治合理性の分析)の目的は「政治化」すなわち現実の変革であり、その形式は理解可能性の変化、そして、それによる(政治的な)感じ方の変化、政治的不寛容の敷居の変化、感受性の変化、エートスの変化、つまり倫理であるということである。フーコーはこの政治化を「これからなされるべきこと」とし、困難な作業ではあるが、不可能ではないという、ある意味で、楽観的な態度を示す。
 第1章第2節では、合理性を擁護するのでも、単に批判するのでもないような批判を遂行するためにはどうすべきかという困難な問いのための、フーコー自身の三つの基本方針を示した。第一には、合理性を全体として扱うのではなく、個別の複数の領域において分析すること、第二に、合理性を真理の基準によって判断するのではなく、類型として捉えること、第三に、合理性の歴史そのものよりも古い時代にまで遡る系譜学的作業の必要性である――その目的は、合理性の「罠」にはまるメカニズムを理解するためである。
第2章からは、こうしたフーコー理論的・政治的・倫理的な立場に基づいて、実際の統治合理性の分析を読み解いていった。

第2章では、統治合理性の系譜学的な分析として、その司牧的起源、司牧理性(ratio pastoralis)の分析を読み解いた。司牧理性は、本来的な統治理性(ratio gubernatoria)、すなわち政治的合理性ではないが、純粋な宗教的合理性あるいは権力でもなく、非常に現世的な合理性であり、やがて次第に政治の領域で活用されていく。司牧権力は「個別化する権力」として特徴付けられる。司牧による個人への働きかけは、三つの系列の技術によってなされる。第一に救済関連の技術、第二に法あるいはむしろ服従関連の技術、第三に真理関連の技術である。司牧において救済は、本質的に全体の救済ではなく、個人の救済に重点が置かれる。そして救済は、宗教的には魂の救済を意味するが、現世的には生活の糧を与えることを意味する。したがって、司牧は本質的に福祉的な権力である。そこから権力の表象に新しく導入されるのは、主権や威光や暴力や怒りや死ではなく、仕事や世話や奉仕である。
第二に、しかしこうした救済のメカニズムは、統治される者の絶対的な服従を前提とする。救済は完全に他力本願であって、自分で手に入れることはできない。その代わり、救済する側は、他者を救済するためには自分の命を犠牲にすることさえ辞さない。ここにあるのは、服従と犠牲のメカニズムである。キリスト教司牧の制度は、上はキリストから下は見習い修道者に至るまで完全な服従のヒエラルキーを構築する。キリスト教司牧において発展する服従の技術の特徴は、一対一の個別的な服従、理不尽な命令だからこそ従う服従、したがって、絶対的服従である。
第三に、キリスト教司牧は、真理の技術も開発した。それは二つの根本的な技術である。一つは、羊たちの日常的な生活、行動を観察し、監視する技術であり、もう一つは、「良心の指導」あるいは「良心の検査」の技術である。良心の検査はもともと、ストア派の「自己の技術」の一つの手段だったが、キリスト教によって導入され、また完全に変容させられる。キリスト教の良心の検査の特徴は、まず、自発的に行うものではなく、完全に義務化される。次に、状況に応じて行うのではなく、人生全体において永続的に行われるべきものである。そしてその目標は、自己の統御ではなく、自己否定である。良心の検査は、ある種の、自己に関する真実を抽出し、生産する技術である。
ところで、フーコーが統治性の系譜学的研究としてキリスト教司牧を分析するのは、司牧が「人を導く」権力だからであり、その限りで近代的な意味での「統治」と関連するからである。というのも中世までの政治権力は、こういった意味での統治はもちろんなされていたとしても、本質的にではなく、副次的だったからである。主権権力は長らく領土に対する権力だったのであり、そこに住む臣民は領土を支配する限りにおいて配慮されたにすぎない。したがって、人々に直接関心を寄せる権力は非常に特殊な類型の権力に属する。そしてこのタイプの権力に対しては常に、これまた固有な類型の抵抗が存在した。宗教改革に代表されるこの種の抵抗は、「人々の指導」の主体、やり方、目的などにおける異議申し立てである、という意味で「反-指導」、とフーコーは名づける。そして反-指導は、指導つまり統治の相関者として概念化される。統治/抵抗によって生じるものを政治と定義するフーコーにとって、反-指導の分析は極めて重要である。中世の間に行われた反-指導の依拠点としてフーコーは五つのものを分析する。その五つは、禁欲主義、共同体、神秘主義、聖書、終末信仰である。ところが、重要なのは、反-指導が統治そのものを否定するものではないということである。反-指導は統治のやり方を問題にするのであって、統治の不在を目指すものではない。この点に関して、フーコーは極めて辛らつなことばを発する。封建的支配に対する革命も、経済的搾取に対する革命も西洋人は経験したことがあるが、統治に対する革命に関して西洋人は一度も経験したことがないというのである。ここに統治の問題の特殊性があるのである。それにしても統治のやり方をめぐる激しい闘争や論争は常に政治的賭け金として繰り広げられるのである。

第3章では、フーコーの国家理性の分析を読み解いた。国家理性は、統治合理性の最初の形態ではなく、政治的(統治)合理性の最初の形態である。国家理性は、司牧理性が個別化する合理性であったのに対して、全体化する合理性である。全体とは、人々の全体、人口を含意するが、国家理性は、この全体の統治を主眼としながらも、逆説的なものをもたらした。それは国家である。現代のアクチュアルな問題としての統治と国家は、国家理性をその出発点とする。しかし国家は「統治の予期せぬ効果にすぎない」とフーコーは言う。だが、この予期せぬ効果の方が肥大化される。理論的にも、問題化の水準でも、現実の政治形態においても、これは無視できない事実である。フーコーはこの二つの問題系列をそれぞれ正当に評価しようとする。統治の合理性そのものの水準の分析と、それが国家装置に回収されるメカニズムの分析は、同時に遂行される。
司牧と国家理性の関連性をフーコーは、例の三つのメカニズム(救済、服従、真理)の比較によって示そうとする。第一に、司牧における各人の救済は、国家の救済に取って代わる。第二に、絶対的服従の原理は、国家に対する服従となる。国家に対する服従、国家の救済は人々の悲劇として現れる。この問題はクーデターの観念の分析によって示される。だが国家理性は、この服従が無条件に強要されるだけでは達成されえないことをも知る。したがって、服従の原理は、繊細な操作の中で働くようになる。その例は、不服従、暴動、反乱を抑える環境づくりの問題によって示される。この操作は、不服従の最も根本的な原因である貧困を解決する経済的なものと、人々の観念に働きかける世論操作のようなものからなる。第三に、真実の問題は、国家を構成する諸要素に関する知の問題になる。とはいえ、個人に関する真実の生産が無効になるわけではない。人口に関するグローバルな知の傍らで個人の真実の生産は、国家装置の重要な一角をなす規律化と規範化の根本的な手段となる。
しかし統治または国家の個人の生に対する関心、配慮、監視、介入こそは、国家理性の中で本質的に働いている司牧の原理である。人口への配慮は、個人への配慮なくしては不可能である。この機能はポリス装置によって果たされる。ポリス国家において頂点に達する国家理性は、全体化する統治の合理性であると同時に最も個別化する統治の合理性でもある。フーコーは近代的政治の大きな逆説としてこの事実を捉える。
一方、国家理性が誕生するコンテクストは非常に重要であり、それが国家理性の理論的性格をある程度規定すると同時に、国家理性と平行的なもう一つ別のシステムの構築を可能にする。16世紀は、宗教戦争をきっかけに、西洋において長く存続した二大普遍すなわち帝国と教会が解体される時代である。帝国の統一は解体されて複数の国家の並存に変わり、教会はカトリックとプロテスタントに両分される。帝国の夢やキリストの再臨のような終末論的な時間はなくなり、国家の無際限な歴史という新しい政治的・歴史的な時間性が開示される。複数の国家の永遠な並存は、ヨーロッパの均衡という国際システムを誕生させる。ヨーロッパの均衡は、各国における国家の維持と存続を、帝国や教会の権威や普遍性によってではなく、各国の力の、ある程度の平等な発展によって保障するシステムである。この均衡を崩す国家に対しては戦争の権利が完全に与えられる。ところが、その国家の維持と存続は保守的な統治によっては達せされえない。均衡とは競争状態における均衡を意味するのであったからである。そこから国家の増大の原理が生じる。国家の維持は国家の絶えざる増大によってのみ保証される。この機能を果たすのはポリスである。ヨーロッパの均衡によってもたらされる外交的-軍事的装置とポリス装置は、新しい政治システムを構成する二つの大きな装置である。統治の面では、外交的-軍事的装置は、外在的に統治に歯止めをかける役目を果たすものであり、ポリス装置は、内政的に無際限の統治を追求するものである。
ところで、国家理性を原理とするポリス国家は、統治の無際限な行使を是とするものであるが、18世紀末になると、これは次第に統治の常軌を逸した過剰として認識されるようになる。ここから統治の制限を旨とする自由主義的な新しい統治性が誕生する。国内における経済活動の自由と同様に、国家間の自由貿易は、重商主義におけるようなゼロサム・ゲームの原理を否定し、ヨーロッパ全体の繁栄を保証するものとなる。いずれにせよ、重要なのは、自由主義による統治批判は、統治の全否定ではないということである。「自由主義は明らかに一つのイデオロギーでも、一つの理想でもない。それは統治の一形態、非常に複雑な統治《合理性》の一形態である」。
国家理性という政治的合理性にもそれ固有の反-指導が伴われる。フーコーはそれを国家/市民社会の対立として位置づける。第一に、国家理性による国家の無際限な統治の歴史の開示と、国家の歴史的終焉を肯定する社会が同時に措定される。第二に、国家に対する服従と、反抗の権利、革命の権利は、同時に措定される。第三に、真実の所有者としての国家と、国民(ナシオン)による真実の返還要求は、同時に措定される。
市民社会の理論を、統治の相関者、統治に対する反-指導と考えることは、如何なる市民社会も権力を有するものであるということである。これに対して、一般的な市民社会論は、一方で「権力の所持者であり、その主権を市民社会に対して行使するような国家」と、他方で、「それ自体において、このような権力の諸過程を所持していないような市民社会」との対立を前提にする。フーコーが、市民社会論に理論的に依拠しようとしないのは、この理由による。フーコーにとっては権力の存在しない世界などありえないからである。フーコーがハーバーマスのユートピア的なコミュニケーション共同体を批判するのもこの理由によってである。

第4章では、フーコーの自由主義の分析を読み解いた。合理性はつねに発展し成長するものであり、統治の合理性も例外ではない。フーコーは、ドイツのオルド自由主義自由を新自由主義のモデルとして捉え、それが追求する合理性の性格と、フランスやアメリカでそれがラディカル化される過程を分析する。オルド自由主義に典型的に現れている新自由主義の特徴は、いくつかの点において古典的な自由主義とは完全に異質なものである。オルド自由主義によってもたらされた新しいものは、まず、古典経済学の理論の変形である。第一に市場原理の変換である。市場は自然的な所与ではなくなり、カント的な意味で統整的な理念になる。市場の原理はレッセフェールではなく、競争である。次に、社会政策の転換である。社会政策は平等化を目標とするものではなく、不平等と差異を経済的な調整としてむしろ機能させて、各人の安全は個人的に保障すべきものとなる。そこから介入の性格が変化する。市場には非介入を、それ以外の領域では介入を、という分割が問題なのではなく、完全競争が働く非介入の市場を存在せしめるために、法的・社会的・環境的な無限ともいえるほどの介入と統治の必要性である。第二に、法的なものの重要性である。経済領域を縁取り、ゲームの規則を定義し、統治活動を形式化する法治国家の原理の導入である。これらの計画化はフランスとアメリカにおいてラディカルになるのが見られる。
フランスにおいてオルド自由主義のモデルが急進化する例として、フーコーは負の所得税の観念の導入をあげている。
アメリカにおいては、オルド自由主義者たちがそれでも持っていた曖昧さや両義性を完全に解消するような急進化が見られる。アメリカの新自由主義は、経済的なものが完全に社会的現実の解読原理となる。本来的に非経済的なあらゆるものが経済原理によって分析され、政策立案され、また統治批判の根拠となる。その例は、人間資本の理論と犯罪の分析によって示される。
自由主義の統治合理性は、司牧と国家理性からすると、非常に異なるもののように見える。個人的かつ全体的な統治とは完全に対立するように見える。もはや「人々の統治」そのものが否定されているように見える。「環境タイプの介入」がおそらく自由主義的統治の性格を最もよく言い表している。人々への介入は、直接的ではなく、間接的に行われる。自由主義的統治は、統治の自己制限を統治の最良のやり方と考える非常に逆説的かつ、ある意味で、偽善的な合理性である。
どんな統治にも備わっていると想定されていた救済、法、真理の機構は、自由主義的統治においても働いている――もはやフーコーはその連関について明示的には語らないが。各人にして万人の救済という司牧に由来する逆説は、国家理性においては、国家の救済のための悲劇として特徴付けられていた。自由主義において、この点は、非常に両義的である。第一に、人々の救済は、ポリス国家のように各人の生に直接介入するような仕方では完全に放棄されているように見える。救済は、競争の原理と企業モデルの社会的一般化によって、各人にほぼ完全に任される。しかし問題は、完全競争を理想とする社会は、競争における弱者の救いがたい脱落を生じさせる。したがって、自由主義においては、逆説的にも、社会政策の問題が重要な争点になる。自由主義の解決策は、ラディカルには、競争原理を乱さないで、競争の脱落者の最低限の生命保障だけを目標とする「安全」のシステムを構築することである。第二に、国家の問題において、自由主義は非常に両義的である。国家の制限の原理であり、国家批判の原理である自由主義は、国家批判を通じて、国家批判の陰で、国家批判に乗じて、国家権力の生成と形式化を図るものである。自由主義の統治性は、個人の救済、国家の救済、ブロックとしてのヨーロッパの救済を同時に保障する合理的な方法として提示されるのである。
法の問題は、非常に複雑になっているように思われる。まず、自由主義が誕生する同じ時代に法は、主権と統治の正当化ではなく、その制限の原理として現れる。革命に通じる道として法は統治と関わる。しかし経済学が統治に内在的な制限であるのに比べると、法は外在的な制限の原理である。またしかし法は、統治の内部で完全にその効力を失うのではない。真理を語る経済学の言説は、法的言説として定式化されなければならない。自由主義において真理を語る体制(véridiction)と法を語る体制(juridiction)の関係は、恒常的に緊張した戦略的関係を維持する。経済の領域は法的領域に還元されず、経済の領域が絶えず法的領域を植民化するように見えるが、反対に、司法制度、司法手続き、法的介入主義、法治国家、法的支配の必要性は、自由主義的統治においてますます増大する。法の問題はまた、主体の新しい定義においてもその特殊性を維持する。ホモ・エコノミクスは、法的主体とは異質なものとして、法的主体をはみ出、法的主体を条件付けるものとして措定されるが、それでも法的主体は無効化されるとは思われない。国家と主権が存続する限りにおいて、市場と主権の空間が重なる限りにおいて、利害の主体がどんなに権利の主体を覆うとしても、権利の主体は依然主権の相関者としてある。市民社会の新しさは、この利害の主体と権利の主体を同時に統治可能にする合理性であるという点である。
真理の問題。市場が統治/非統治、介入/非介入に分割された領域で非統治と非介入の領域として主権の空間に位置する限りは、市場以外の領域の統治は正当化され、必要とされていた。重農主義的思考がこれに当たるが、しかし自由主義は、非経済的、非市場的な領域にまで市場原理を拡大することによって、統治の可能性をますます窮地に追い込む。市場は、本質的に、真理を語る=語られる場(véridictionの場)、真理尊重の場であり、自然の原理が働く場である。統治はこの場に介入してはならない。主権の空間全体が市場空間になれば、統治は完全にその正当性を剥奪される。市場の真理を明らかにする経済学は、したがって、主権的統治を完全に無効化する可能性を秘めている。しかし経済学は、自己調整による功利性と最適化を旨とする新しい統治の合理性である。
78年の講義ではフーコーは、市民社会を国家統治に対する反-指導として捉えていた。この意見は79年の講義では多少厳密化する。市民社会は、もはや単に国家に対する反-指導ではなく、家族や村や国家などの感情的な(場合によっては法的な)絆で結ばれる共同体と、純粋に利害のメカニズムによって結ばれる経済的な共同体とを同時に統治可能にする新しい合理性の形態として分析される。
最後に、反-指導のテーマは、79年の講義では、統治合理性の諸形態間の論争と闘争として位置づけなおされる。そして統治合理性をめぐるこの論争と闘争こそ政治を生み出すものであると結論付けられる。

本論文は、ミシェル・フーコーの統治合理性批判の具体的な分析を通じて、彼の政治的思考の特徴を多少とも明らかにすることを目的として書かれた。我々のアクチュアリティの様々な面相と、それらが由来するところのものとを明らかにする作業を通じて、現実の理解可能性、理論的なアプローチの可能性、行動の可能性を同時に切り開こうとするフーコーの理論的・政治的・倫理的な態度を垣間見ようとした。真理と政治と倫理は同じ問題であり、統治合理性の理論的・歴史的分析は、直ちに新しい「政治化」の創出につながる。そしてこの政治化の形式は、合理性ではなく、法でもなく、倫理である。統治合理性を分析し批判することは、その合理性を善/悪や真/偽のどちらかとして二元論的に評価するためではなく、倫理的であると同時に政治的な新しいエートスを作り上げ、それを他者とともに共有するためである。こうした政治意識の変化がなければ、たとえ政治制度の新しい改革が行われたとしても、政治は変わらないのである。

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