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博士論文要旨

論文題目:プリムローズ・リーグの時代―世紀転換期イギリスの保守主義―
著者:小関 隆 (KOSEKI, Takashi)
博士号取得年月日:2007年6月13日

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本論文の問い
1883~85年の選挙制度改革によって、有権者の過半数をイギリス史上初めて労働者が占
めることとなった。こうした新たな政治状況から最大の痛手を被るのは保守党であろうと多くの同時代人が予想したにもかかわらず、実際に世紀転換期のイギリスに到来したのは「保守党支配の時代」(1886~1905年)であった。この予想外の事態は、労働者の保守党支持、すなわちポピュラー・コンサヴァティズムという現象を抜きにしては説明できない。「保守党支配の時代」を通じて、大雑把にいえば、労働者の有権者のおよそ1/3は保守党に投票し、彼らからの票が保守党の得票全体の約半分を占めた。労働者票に依拠できたからこそ、「保守党支配の時代」は実現されえたのである。コンサヴァティズムがなぜ、いかにして労働者たちを惹きつけたのか、労働者たちがなぜ、いかにしてコンサヴァティズムへと組織・動員され、「保守党支配の時代」を支えることになったのか、本論文が取り組む問いはこれである。
 検討の素材:プリムローズ・リーグ
ポピュラー・コンサヴァティズム現象に注目して「保守党支配の時代」を理解しようと
する際、とりわけ重要な検討の素材となるのが、「宗教、国制、帝国覇権の護持」を三大目標に掲げ、1883年11月17日に設立されたプリムローズ・リーグである。プリムローズ・リーグに関してなによりも注目されるのは、メンバー数が1891年には約100万、20世紀を迎える頃には約150万に達したといわれる規模の大きさであり、「ヴィクトリア時代で最大の大衆的政治組織」との評価が定着している。メンバーの約90%を占めた労働者の男女は、形式的には保守党からの独立を保ちつつも、実際にはきわめて保守党に従順であったプリムローズ・リーグを媒介に、コンサヴァティズムの担い手として大々的に組織・動員されていった。「政治的民主化」の過程で到来した「保守党支配の時代」は、プリムローズ・リーグを介して実現されたポピュラー・コンサヴァティズムの広がりを不可欠の条件にしていたといってよい。
研究史
ポピュラー・コンサヴァティズムの研究は、社会学や政治学によって先鞭をつけられた(McKenzie & Silver 1968; Nordlinger 1967; Jessop 1974)。労働者に見られる敬譲やプラグマティズムの態度を分析したこれらの研究は今も大きな影響力を行使しているが、敬譲やプラグマティズムが醸成され、それが保守党支持へと導かれる過程を具体的・歴史的に解明しようという視点が弱いため、結果的に、敬譲やプラグマティズムがあたかもイギリスの労働者が有する「生来の体質」であるかのような印象を伴って提示されている。労働者が敬譲の(あるいは、プラグマティズムの)態度を示したのだとすれば、それは、彼らを取り巻くさまざまな要因がそうすることを促したからであって、彼らがそもそも敬譲(あるいは、プラグマティック)だったかのごとく論ずることは本質主義との批判を免れえない。敬譲の(あるいは、プラグマティズムの)態度がいかに涵養され、維持されたか、このことを具体的な歴史的コンテクストに即して問う必要がある。また、敬譲もプラグマティズムも、いずれも自動的にコンサヴァティズムに連なるわけではないのであるから、敬譲やプラグマティズムをコンサヴァティズムへと誘導するどのような働きかけが実践され、どれほどの成果をあげたのか、この点をこれまた具体的な歴史的コンテクストの中でこのことを問うことも求められる。
McKenzie, Robert & Allan Silver, Angels in Marble: Working Class Conservatives in Urban England, Chicago, 1968.(早川 崇 訳『大理石のなかの天使:英国労働者階級の保守主義者』労働法令協会、1973年。)
Nordlinger, Eric A., The Working-Class Tories: Authority, Deference and Stable
Democracy, Worcester & London, 1967.
Jessop, Bob, Traditionalism, Conservatism and British Political Culture, London,
1974.
 歴史研究がポピュラー・コンサヴァティズムというテーマに本格的に取り組むようになるのは、サッチャリズムを少なからぬ労働者が支持した「1980年代の現象」を経験して以降のことである。この間の成果としては、Pugh 1985, 1988; Joyce 1980; Green 1995; Kirk 1985; McKibbin 1994 等があるが、中でも示唆に富んでいるのが、言説を介して労働者の抱く利害認識を構成してゆく政党や政治団体のアクティヴな働きかけを重視し、「導こうとする者」と「導かれる者」の間の相互交渉的な関係を分析するLawrence 1991, 1993, 1997, 1998; Lawrence & Taylor 1997 である。
Pugh, Martin, The Tories and the People, 1880-1935, Oxford, 1985.
Pugh, Martin, “Popular Conservatism in Britain: Continuity and Change, 1880-1987”,
Journal of British Studies, vol.27, no.3, July 1988.
Joyce, Patrick, Work, Society and Politics: The culture of the factory in later Victorian
England, Hemel Hempstead, 1980, rpt., Aldershot, 1991.
Green, E.H.H., The Crisis of Conservatism: The Politics, Economics and Ideology of
the British Conservative Party, 1880-1914, London, 1995.
Kirk, Neville, The Growth of Working Class Reformism in Mid-Victorian England,
Beckenham, 1985.
McKibbin, Ross, The Ideologies of Class: Social Relations in Britain, 1880-1950,
Oxford, 1994.
Lawrence, Jon, “Popular Politics and the Limitations of Party: Wolverhampton,
1867-1900”, Eugenio F.Biagini & Alastair J.Reid (eds.), Currents of Radicalism:
Popular Radicalism, Organised Labour and Party Politics in Britain, 1850-1914,
Cambridge, 1991.
Lawrence, Jon, “Class and Gender in the Making of Urban Toryism, 1880-1914”,
English Historical Review, vol.108, 1993.
Lawrence, Jon, “The Dynamics of Urban Politics, 1867-1914”, Jon Lawrence & Miles
Taylor (eds.), Party, State and Society:Electoral Behaviour in Britain since 1820,
Aldershot, 1997.
Lawrence, Jon, Speaking for the People: Party, Language and Popular Politics in
England, 1867-1914, Cambridge, 1998.
Lawrence, Jon & Miles Taylor, ‘Introduction: electoral sociology and the historians’, Lawrence & Taylor, Party, State and Society.
本論文では、以下のような認識に立脚してポピュラー・コンサヴァティズム現象に迫る。出発点は、政党や政治団体(とりわけプリムローズ・リーグ)の労働者への主体的な働きかけを重視することである。働きかけられる側の労働者は、あらかじめ自らの利害や価値に関する明確な認識を抱いているわけではなく、政党や政治団体が提示する言説や政策を媒介にして認識を明確化し、政党や政治団体の活動に触れることを通じて利害や価値の認識に沿った政治的行動を促される。もちろん、与えられる言説や政策、あるいは活動をただただ受容するのではなく、労働者は複数のそれから選択し、さらには改変する。つまり、敬譲であれプラグマティズムであれ、あるいは、これまたポピュラー・コンサヴァティズムに特徴的な反カソリシズムであれ愛国主義であれ、それらは政党や政治団体の働きかけを軸とする双方向的な営みの帰結に他ならない。したがって、コンサヴァティズムが労働者の支持を得たのだとすれば、それは、労働者がもともと抱いていた利害や価値の認識がコンサヴァティズムに近かったからというよりも、コンサヴァティズムこそが自らの利益に適い、価値に寄り添うものである、と労働者の多くが受けとめうる言説や政策を用意し、自らの利益や価値に親和的と見える活動を企画することに、保守党やその周辺の政治団体が成功したからだと考えられるべきである。一口にいえば、コンサヴァティズムへと導かれる労働者の「生来の体質」を析出するのではなく、むしろ政党や政治団体の主体性をクローズ・アップし、「体質」が醸成されるプロセスを解明しようとする点に、本論文の方法的な特徴がある。
本論文の構成
以上のような認識を基礎として、本論文ではプリムローズ・リーグにかかわる3つの論点(欲望を肯定する「快楽の政治」、「悪漢」の設定と二極構図の構築、女性という「未開拓領域」の活用)をとりあげる。プリムローズ・リーグの実践に密着しながらこれらの論点を検討し、「保守党支配の時代」のポピュラー・コンサヴァティズムのメカニズムを明らかにすることが本論文の課題となる。
本論文の目次は次の通りである。
序章 「保守党支配の時代」とポピュラー・コンサヴァティズム
第1節 「保守党支配の時代」とアイルランド自治問題
第2節 ポピュラー・コンサヴァティズムとプリムローズ・リーグ
第3節 ポピュラー・コンサヴァティズム研究の課題
第1章 ディズレイリの記憶
 第1節 二つの発端
 第2節 プリムローズ・デイの成立
 第3節 プリムローズ・リーグの設立
 第4節 プリムローズ・デイの展開
 第5節 「ナショナル・ヒーロー」としてのディズレイリ
 第6節 プリムローズの含意
第2章 プリムローズ・リーグとは?
 第1節 変貌する保守党
 第2節 プリムローズ・リーグの前進
 第3節 「常識」のコンサヴァティズム
第3章 肯定される欲望:プリムローズ・リーグと「快楽の政治」
 第1節 選挙制度改革への対応
 第2節 ヴォランティアによる選挙運動
 第3節 「わかりやすく」「とっつきやすい」政治教育
 第4節 社交・娯楽の効用
 第5節「快楽の政治」
第4章 設定される「悪漢」:プリムローズ・リーグとアイルランド自治問題
 第1節 自治法案の時代
 第2節 自治をめぐる論点
 第3節 プリムローズ・リーグの自治反対論
 第4節 「悪漢」を叩く快感
 第5節 自治反対論の受容
 補遺 二極構図の基盤:人種と宗教
第5章 組織・動員される「未開拓領域」:プリムローズ・リーグと女性の政治参加
 第1節 女性、保守党、プリムローズ・リーグ
 第2節 デイムと女性アソシエイト
 第3節 「女らしさ」と政治参加
 第4節 女性参政権へのスタンス
 第5節 女性参政権とコンサヴァティズム
終章 「保守党支配の時代」の終焉とプリムローズ・リーグ
 第1節 「保守党支配」の翳り
 第2節 関税改革、貴族院、アルスター
 第3節 結語
序章では、保守党の黄金時代となった世紀転換期の特質を指摘したうえで、本論文の課題を設定し、研究史の流れを踏まえてこの課題をいかに達成しようとするかを提示する。
第1章では、ディズレイリの命日=プリムローズ・デイの慣習の成立・定着・変容を跡づけるとともに、ディズレイリの記憶が「ナショナル・ヒーロー」というイメージの下で造形される過程を追いながら、プリムローズ・リーグが設立されるコンテクストとプリムローズ・リーグが「ディズレイリの遺志を継ぐ政治団体」と名乗ったことの意味を明らかにする。プリムローズの「伝説」と花に彩られた追悼が多くの人々を巻き込んで長期にわたって繰り返された結果、ディズレイリには別格の「ナショナル・ヒーロー」のイメージが付与された。プリムローズ・リーグと名乗ることで、この政治団体は、「ナショナル・ヒーロー」との継承性を標榜できただけでなく、ディズレイリにプリムローズを贈った(贈ったとされる)女王、女王に連なる王室、さらには、プリムローズを身につけ、ディズレイリ像の飾りつけを眺める数多くの人々との近しさを演出することができた。
 第2章は、上述の3つの論点の検討(各々が第3~5章で遂行される)に先立って、19世紀後半の保守党がいかなる変貌を遂げつつあったかを概観し、設立の経緯、メンバーシップ、組織構造、保守党との関係、等のポイントに沿ってプリムローズ・リーグを紹介するとともに、プリムローズ・リーグが掲げる三大目標に即してこの団体が提唱したコンサヴァティズムの特質(「常識」への依拠)を論ずる。
第3章では、選挙制度改革の波紋が広がる中でプリムローズ・リーグがいかなる活動を実践し、それがいかにして多くの労働者を巻き込んでいったのかを考察する。数的に急増した有権者の支持を獲得してゆくためには、純然たる選挙運動を展開するのみならず、選挙戦の行われていない「平時」においても有権者(特に労働者の有権者)との接触を維持することが必要であった。選挙制度改革は、選挙運動に限らず政治団体の活動全般のあり方を変化させたのであり、その日常活動、とりわけ、労働者の欲望を肯定し、それを充足させる社交的・娯楽的なイヴェントを通じて、プリムローズ・リーグは労働者の日常生活の中に浸透することに成功し、「保守党支配の時代」を支える役割を果たした。プリムローズ・リーグが実践した「快楽の政治politics of pleasure」とは、「政治的民主化」の進行に対応し、労働者を日常生活のレヴェルからコンサヴァティズムへと誘導するための手法に他ならなかった。
第4章は、プリムローズ・リーグが展開したアイルランド自治反対論に焦点を合わせ、その眼目が「悪漢」の設定にあったことを明らかにする。労働者をターゲットとしたプリムローズ・リーグのホーム・ルール反対論をなによりも特徴づけるのは、主たる敵に同定されたアイルランドのナショナリストを徹底的に「悪漢」として描き、指弾することであり、そのことを通じて、善なる自分たちと悪なる敵との間にきわめて明快な二極構図が描かれた。そして、こうした構図を与えられた労働者は、自らを二極の一方(善の側)に位置づけ、敵を容赦なく攻撃する優越感を享受することを許され、同時に、自治反対運動への参加を促された。わかりやすい「悪漢」の設定こそが、アイルランド自治問題が焦点化した時代(それはプリムローズ・リーグが急成長を遂げた時代に他ならない)において、労働者のプライドをくすぐるとともに、彼らをユニオニズムの側に動員する強力な言説上の仕掛けだったのである。
第5章がクローズ・アップするのは、プリムローズ・リーグを媒介として急速に進展した女性の政治参加である。政治とは縁遠い存在とされてきた女性=「未開拓領域」の活用にプリムローズ・リーグがいち早く着手し、そのエネルギーを引き出したこともまた、「保守党支配の時代」の決定的な要因の1つであった。ここでいう女性は、労働者階級から上流階級まで階級横断的であり、したがって、第5章が扱うテーマは狭義のポピュラー・コンサヴァティズム現象には収まらない。それでも、あえてこのテーマをとりあげるのは、政治の領域に足を踏み入れてゆく女性には少なからぬ労働者女性が含まれており、しかも、他ならぬプリムローズ・リーグこそが他のいかなる団体にも増して女性に政治活動の機会を与えたからである。イギリス政治史上の画期を成す女性の政治参加は、プリムローズ・リーグを舞台としてポピュラー・コンサヴァティズムに随伴するかたちで進展したと考えてよい。そして、プリムローズ・リーグを通じて政治とかかわってゆく女性たちは、女性の政治参加の含意をコンサヴァティズムに親和的な方向へと導くことになる。女性の政治参加とコンサヴァティズムとを両立させる言説を用意し、「女らしさ」を担保しうる政治活動の機会を提供して、プリムローズ・リーグは女性という「未開拓領域」を効果的に開拓したのである。
 終章は、「保守党支配の時代」の末期からそれ以降にかけて、リーグが停滞に陥ってゆく過程に関する簡潔な見通しを提示すると同時に、本論文全体の議論を総括する。
 
「保守党支配の時代」の重要な底流を成したポピュラー・コンサヴァティズムは、「保守党支配の時代」の終焉とともに消滅したわけではない。20世紀にも21世紀にも、ポピュラー・コンサヴァティズムは時として政治状況を左右するだけの力を発揮してきた。本論文が試みるのは、1世紀以上前の歴史的経験への問いかけを通じて、今日的にも無視しえない政治的潮流といえるポピュラー・コンサヴァティズムを理解するための有効な手がかりを探ることである。

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