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博士論文要旨

論文題目:「満洲事変」以前の間島における朝鮮人の国籍問題の展開
著者:許 春花 (XU, Chun Hua)
博士号取得年月日:2007年3月23日

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 間島地方(今の中国延辺朝鮮族自治州)は中国の東北部(昔の満洲)に位置し、朝鮮、中国内陸、ロシア三ヵ国の間に介在する面積4万2,700平方キロメートルの地域である。南は図們江(朝鮮側では豆満江と呼ぶ)を隔て、朝鮮と国境を接している。その地理的関係などのために、朝鮮人は容易に川を渡って間島へ流入した。「韓国併合」後、朝鮮人の間島への流入はさらに増大した。当時、間島に居住する全人口のうち8割が朝鮮人で、中国人は僅か2割しかなかった。朝鮮人が人口の多数を占める間島において、間島が中国の領土である以上、中国側は主権の危機感を抱いた。そして中国側は、朝鮮人に対して帰化の政策などを取って、朝鮮人を名実ともに中国人にしようとした。一方で、日本は「韓国併合」によって、朝鮮人を「日本臣民」として扱ったため、朝鮮人の日本国籍の離脱を認めなかった。日本が間島における朝鮮人の日本国籍の離脱を認めなかった最大の理由は、当時間島は、海外における朝鮮独立運動の最大の根拠地であったことである。間島における朝鮮人の独立運動は、日本の朝鮮植民地統治を脅かすものであった。日本にとって、朝鮮での植民地支配を維持するためには、間島における朝鮮人を「日本臣民」として、日本国籍に縛りつけて、取り締る必要があった。そして、間島における朝鮮人をめぐって、中国側と日本側は互いに支配権を維持しようとした。本論文では、間島における朝鮮人の国籍問題に注目し、特に1920年代から「満洲事変」前までの、日本と中国の間島における朝鮮人国籍問題に対する政策及び朝鮮人の対応を分析することで、間島居住朝鮮人の国籍問題の歴史的経緯とその意義を明らかにすることを研究課題としている。具体的に日本と中国の対間島朝鮮人政策が誰によってどのように立案され、実行されるに至ったのか、また、その政策が時期によってどのように変化したのか、結果的にはどうなったのかを検討する必要がある。さらにその政策立案の背景になるものは何なのか、その政策実行によって、間島朝鮮人はどのような立場に置かれたのかを検討する必要もある。そして、間島朝鮮人の国籍問題を通じて、日本と中国による対間島朝鮮人政策の変化の過程と対朝鮮人支配政策の本質を究明するとともに、それに対する朝鮮人側の具体的な対応関係を明らかにする。

第1章においては、まず朝鮮人の間島移民史を考察して、間島における朝鮮人と中国人の人口構成、朝鮮人小作農と中国人地主の小作関係を検討した。そして、間島における大勢の朝鮮人移民に対し、清国は「入籍令」をはじめ「辮髪易服令」などを発布して、朝鮮人に帰化及び同化政策を実施したことを論じた。次に間島協約と満蒙条約によって、間島における朝鮮人はどのような法的地位に置かれたのか、また中国と日本は互いに朝鮮人に対する管轄裁判権を維持するために、どのように間島協約の有効性(中国側)と満蒙条約が間島にも適用されるべきこと(日本側)を主張したのかを検討した。このような、間島における日中両国の朝鮮人管轄権の争いは、究極的には朝鮮人が中国人か日本人かという国籍問題に絡む対立であった。そして、最後に中国側の朝鮮人帰化奨励政策と日本側の朝鮮人帰化問題に対する「基本方針」を検討し、中国側の朝鮮人帰化奨励政策に対する日本側の対応を分析した。以上のように、中国側は日本の勢力の拡大を防止するために、朝鮮人に帰化を勧誘、奨励した。その一方で、日本側は朝鮮統治の観点から、あくまでも朝鮮人を「日本臣民」として取扱い、彼らの中国への帰化を認めなかった。朝鮮独立運動根拠地として知られた間島において、日本は「不逞鮮人」取締の観点からも朝鮮人を「日本臣民」として取り扱う必要があったのである。
 
第2章においては、まず1920年代に入ってから、在満朝鮮人国籍問題に対して、日本政府の「基本方針」が動揺しはじめ、日本の陸軍省をはじめ、外務省出先機関の奉天総領事などは朝鮮人に帰化権を付与する動きがあったことを述べた。そして1923年11月の「第一回領事会議」がその意見調整の場となって、この会議での各関係機関の意見対立を述べた。この会議において、日本は朝鮮人が「日本臣民」である以上、その国籍離脱を認めないことは「国際ノ通義ニ反スル」ものであると認識しつつも、結局「不逞鮮人」取締の観点から、また在満朝鮮人を日本の満洲権益の拡大に利用するため、在満朝鮮人の帰化権付与問題は決定されなかった。
次に、中国側の朝鮮人に対する政策が、1920年代後半に入り、帰化奨励政策から帰化制限あるいは禁止政策に転じていた経緯を述べた。その際、満洲全体のなかでも、奉天省の例を挙げることにより、間島独自の政策の展開をより明確にした。これをふまえた上で、次に間島における中国側の朝鮮人帰化政策にしぼって論究した。間島は、他の満洲地域と異なっていた。間島においては朝鮮人が多数居住している特殊性、つまり、間島で農業に従事しているのが大多数の朝鮮人であるという現状から、容易に駆逐政策にふみきれないという状況がすでにできあがっていたのである。このため、中国側は朝鮮人の帰化について、満洲の他地域と異なる政策を取ったのであった。
最後に1920年代後半から「満洲事変」まで、日本側の在満および間島居住朝鮮人に対する帰化権付与問題への具体的な対応について明らかにした。その際「間島五・三〇蜂起」や「万宝山事件」など、具体的な在満および間島居住朝鮮人がかかわった「事件」が日本の政策に対しどのような反応をもたらしたかについて述べた。そして、日本政府の各関係機関では、再び朝鮮人の帰化権付与問題が議論されたのもかかわらず、結局従来の基本方針に沿って、朝鮮人取締の観点から、また間島における日本権益を維持するために、最終的に朝鮮人に帰化権を付与しなかったことを明らかにした。

第3章においては、朝鮮人の国籍問題をめぐる中国と日本の政策の間に置かれた当事者である朝鮮人の対応を検討した。中国側の帰化および同化政策に対して、間島の大多数の朝鮮人は、帰化入籍しなかった。その原因を見ると、間島の90%以上の朝鮮人は貧困な農民であった。そのため、土地所有権の獲得を望んだが、資金がないので土地の購入ができなかった。また、帰化手続にも手数料がかかるため、帰化を最初からあきらめる朝鮮人が多数であった。勿論間島での「佃民制」や「帰化執照」の売買などによって、朝鮮人は帰化しなくても、土地を所有することが可能であったことも見逃せない事実である。
その一方で、朝鮮人が中国へ帰化しない根本的な原因の一つとして、朝鮮人の民族的アイデンティティも黙過することができない。中国側の朝鮮人に対しての民族同化政策(朝鮮人に中国式の髪型と服装、中国語を強制するなど)が、朝鮮人の民族的自尊心を深く傷つけた。そのため、帰化しない朝鮮人が多かった。
さらに、日本が朝鮮人の中国帰化を認めなかったため、入籍しても「日本臣民」として日本側の管轄に服従しなければならなかったから、入籍の意味がないと考えたのである。そして、間島大多数の朝鮮人は「日本臣民」にはなりたくない、また中国の同化政策も避けたかったので、「無国籍」人として居住することを欲した。間島の大多数の朝鮮人が中国へ帰化入籍しないことは、日本にとっては有利であった。それは間島朝鮮人を「日本臣民」として処遇するのに、有利となるからである。朝鮮人の中で少数の親日派は、その立場から、朝鮮人の中国への帰化に反対した。
間島に移住した歴史が久しく、生活習慣、風俗など全く中国に同化してしまった朝鮮人は当然中国へ帰化入籍した。間島の一部朝鮮人は生活の安定のために土地所有権の獲得が必要であると判断し、中国へ帰化入籍した。また、朝鮮人の中で一部の親中国的な朝鮮人は中国の官職に就くために積極的に帰化した。
その一方で、独立運動家たちは、中国官憲の庇護下で独立運動をするために帰化した。さらに、中国官民からの圧迫駆逐から脱するためにやむをえず帰化した者もいた。ここで、中国官民の圧迫駆逐対策として、朝鮮人側の中国帰化入籍運動も一部朝鮮人の帰化を促進した。
こうして、中国人からも、日本人からもその国の「臣民」と同等の保護を受けられなくなっていた間島の朝鮮人は、日本の支配と中国の同化政策に反対して、自治権獲得運動を展開した。勿論、当時間島における朝鮮人の置かれた立場から、朝鮮人の完全な自治は不可能なことであった。そして、一部帰化朝鮮人は、まず中国に帰化して、中国の保護の下で朝鮮人自治を図ろうとした。朝鮮人の自治運動は、当時日中両国の二重統治から脱するために、また、少しでも生活の安定を求めるために、そして、帰化後中国人と同様に公民権を獲得するための運動であった。この運動は一方で中国側の朝鮮人に対する圧迫と駆逐をある程度緩和した。
以上のように、間島朝鮮人の国籍問題を通じて、中国と日本による対朝鮮人政策の推移の一断面を追求するとともに、それに対する朝鮮人側の具体的対応関係を明らかにした。しかし、その一方で自分の研究能力の限界から次のような問題点があった。本稿では、日本が間島における朝鮮人の国籍離脱を認めなかった経緯について、日本の各関係機関の見解の違いに関しては断片的しか触れることができず、その見解の違いの背景になるものを明らかにすることができなかった。また、朝鮮人を利用した日本の土地買収の実態問題についても実証的に、充分に明らかにできなかった。これらの問題点は今後の課題として、研究を続けていきたい。


附録:論文の目次

序論                                

第1章 間島における朝鮮人の国籍問題の浮上
第1節 間島における朝鮮人                     
1、朝鮮人の間島入植                      
2、人口と土地所有                       
3、地主、小作関係                        
第2節  清朝の民族同化政策                    
1、光緒7年の入籍令                     
2、光緒16年の辮髪易服令                  
3、1909年の「大清国籍条例」                 
第3節 「間島協約」、「満蒙条約」の締結と朝鮮人の管轄裁判権問題    
1、「間島協約」と「満蒙条約」の締結                
2、満蒙条約の間島適用問題における中国と日本の対立       
3、間島朝鮮人の管轄裁判権問題をめぐる日中紛争         
第4節 中国側の帰化奨励政策と日本側の朝鮮人帰化問題に対する「基本方針」
1、中国側の朝鮮人帰化奨励政策                  
(1)「中華民国国籍法」発布と朝鮮人帰化奨励政策          
(2)朝鮮人帰化政策としての「教育同化」              
(3)中国側の帰化政策としての朝鮮人懐柔             
2、日本側の朝鮮人国籍問題に関する「基本方針」           
3、中国側の帰化奨励政策に対する日本側の対応            
(1)中国側の朝鮮人帰化奨励政策               
(2)日本側の朝鮮人懐柔政策                  
小括                                



第2章 1920年代から「満洲事変」以前における間島居住朝鮮人の国籍問題
第1節 朝鮮人の国籍問題に対する日本政府の「基本方針」の動揺     
1、陸軍省の「対間島政策」と朝鮮人の国籍問題           
2、奉天赤塚総領事の「在満朝鮮人問題」               
3、第1回領事会議                        
第2節 中国側の朝鮮人帰化制限、禁止政策               
1、政策転換の背景                      
 2、国民政府の「国土盗売厳禁訓令」と朝鮮人の土地所有禁止政策 
3、朝鮮人の帰化の制限、禁止政策と駆逐政策           
第3節 間島の特殊性と朝鮮人の帰化問題               
1、中国の対間島朝鮮人政策                  
2、中国側の帰化の制限および禁止政策と帰化奨励政策への転換  
3、間島と奉天省の対朝鮮人帰化政策の違いとその背景        
第4節 日本側の対応                        
1、在満朝鮮人問題調査委員会                   
2、朝鮮人に帰化権付与の決定                
3、間島問題協議会と朝鮮人に対する帰化権付与方針          
4、「万宝山事件」と朝鮮人の国籍問題                
小括                              

第3章 国籍問題に対する朝鮮人側の対応
第1節 朝鮮人帰化者と非帰化者の意向                
1、 朝鮮人帰化者の意向                      
(1)帰化する原因                      
(2)帰化朝鮮人の「二重性」                   
(3)知識階級の朝鮮人における帰化認識            
(4)親中国的朝鮮人の帰化認識と帰化運動         
2、朝鮮人非帰化者の意向                  
(1)帰化しない原因                     
(2)帰化と土地所有権                      
第2節  朝鮮人自治運動と中国への帰化               
1、「崔昌浩事件」と日本国籍離脱運動               
2、「朝鮮民団」設立                        
3、「東省地方帰化民自治会」                    
4、朝鮮人農会設立                       
5、「新華民会」                         
第3節 中国側の朝鮮人駆逐政策と朝鮮人側の入籍運動        
1、「東北三省帰化韓僑同郷会」の帰化運動              
2、帰化後の公民権獲得運動と自治運動              
第4節 日本側の朝鮮人国籍離脱許可及び取消に対する朝鮮人の反応   
1、日本側の朝鮮人国籍離脱許可に対する朝鮮人側の反応       
2、日本側の朝鮮人国籍離脱許可の取消に対する朝鮮人の反応     
小括                               

結論                               

参考文献    

附録
間島朝鮮人関係年表

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