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博士論文要旨

論文題目:自己制御における意識・非意識の役割―非意識的過程による自己制御の実証的検討―
著者:及川 昌典 (OIKAWA, Masanori)
博士号取得年月日:2007年3月23日

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 状況によって役割が複雑に変化する現代社会において,状況に応じて適切に振る舞うことは,極めて重要な社会的要求である(Brewer, 1988).人は状況に即した目標を掲げ,これに沿って自己の行動,感情,思考を制御することで,社会関係を維持している.また,このような自己制御の成否は,個人の心身の健康にも影響を及ぼしている(e.g., Lazarus, 1966).自己制御に関わるこれまでの研究は,「意志の力」という言葉に代表されるような意識的な選択を制御の必然的な要素として位置づけてきた(e.g.,Bandura, 1986; Mischel, Cantor & Feldman, 1996; Bargh & Ferguson, 2000).しかしながら,近年の社会心理学研究の知見は,自己制御を含む人の行動の多くが,実際には非意識的に生じていることを示している.
 本論文は,自己制御における非意識的過程と意識的過程の役割を明らかにしようとするものである.人は目標の達成に向かって意識的に努力することもあるが,自覚せずに何かに没頭することもある.自己制御における,非意識的な過程の影響とはどのようなもので,それが日常の自己制御に果たす役割とは何か.非意識的に行う自己制御と意識的な努力を伴う自己制御とはどのように異なり,また,どのような点で類似しているのだろうか.そして何より,効果的な自己制御とはどのようなものだろうか.本論文では,一連の実証研究を行うことで,これらの問いについて検討していく.本論文の最終的な目的は,非意識的過程と意識的過程のそれぞれの特徴および役割を明らかにし,効果的な自己制御への示唆を提案することである.

自己制御を扱うこれまでの研究は,ある要求を満たすように動機づけられた個人が,動機を充足するための目標を意図的・意識的に設定・追求することを暗黙の前提としてきた. すなわち,目標に向かって懸命に努力する状態である.しかし,人は目標追求にあたり必ずしも意図的な熟慮や選択を行うとは限らない.むしろ多くの場合,人は意識的な自覚なしに喚起された目標状態に向けて,非意識的に思考・感情・行動を生じさせている.
 本論文では,このような非意識的に生じる自己制御に焦点を当てた検討を行う.これまでの研究では,a)非意識的自己制御の存在は本邦では未確認であり,また,その影響範囲も明確ではない,b)非意識的自己制御と意識的自己制御の類似点及び相違点について検討がなされていない,c)非意識的過程と意識的過程の協働による自己制御法が提案されていない,など多くの問題が残されている.
よって,本論文では以下の4つの問題について検討することを目的とする.
 目的1 本邦で非意識的自己制御の追試を行い,その存在を確認する.また,非意識的自己制御がどの範囲まで効果を及ぼすのかを明らかにするために,異なる目標内容,実験操作方法,測定方法を用いた検討を行う.
目的2 非意識的自己制御の影響の可変性を検討する.可変性とは,影響の調整可能性,すなわち,個人差要因や状況要因によって影響が変容することを指す.非意識的自己制御は特定の環境と特定の反応の固定された連合関係から生じているのか,あるいは,信念や状況に応じて変容する可変的な連合関係から生じるのかを明らかにする.
目的3 非意識的自己制御と意識的自己制御を比較し,それぞれの独自の特徴を明らかにする.
目的4 自己制御における非意識的過程と意識的過程の役割分担を検討し,効果的な自己制御への示唆を提案する.

これらの目的に基づき,本論文では一連の実証研究による検討を行っていく.具体的には,まず,研究1から研究3では,非意識的な概念の活性化が及ぼす影響について,その存在と認知面,行動面,感情面への影響を,異なる目標内容,手続き,課題状況によって確認していく.次に,研究4と研究5では,非意識的な自己制御の影響範囲,特に影響の可変性について,動機概念の活性化の効果を調整する個人的要因と状況的要因という観点から検討していく.続いて,研究6と研究7では,非意識自己制御と意識的自己制御の相違点を明らかにするために,非意識的な自己制御の効率性と,意識的な自己制御の弊害という観点から検討を行う.最後に,研究8と研究9では,自己制御における非意識的過程と意識的過程の協働について検討し,効果的な自己制御法を提案する.なお,一連の研究を通じて,目的ごとに段階的な研究と方法を採用し,また,可能な限り生態学的妥当性の高い状況や日常的な刺激材料を用いるように努めた.
 以下に,本論文の目的ごとに,研究の概要とその成果をまとめる.

本論文の第1の目的は,本邦で,非意識的自己制御の現象を示す先行知見の追試を行い,自動動機理論の妥当性を検証すると共に,非意識的自己制御の存在とその影響の範囲について,様々な操作方法と測定変数を用いた検討を行うことであった.研究1では,記憶課題による閾上プライミングを用いて,利己主義を非意識的に活性化させ,判断に及ぼす影響を検討した.利己主義をプライミングされた群の参加者では,後の資源分配課題において,利己的な分配判断が促進されており,よって,プライミングの影響が判断に及ぶことが示された.研究2では,PCによる閾下プライミングを用いて,健康志向を非意識的に活性化させたところ,後の報酬選択において,健康関連の選択行動が促進されていた.よって,プライミングの影響が行動に及ぶことが示された.研究3では,乱文構成課題による閾上プライミングを用いて,達成目標を活性化させたところ,後の達成課題における成績が感情に及ぼす影響が増幅されていた.よって,プライミングの影響が感情フィードバックに及ぶことが示された.いずれの研究においても,参加者はプライミング操作の影響に対して意識的な自覚を持っておらず,実験操作によって活性化された目標は,それに対応する反応を非意識的に導くことが一貫して示された.このように,研究1から研究3では,非意識的な自己制御の存在が確認され,その影響は,目標の内容や操作方法を問わず,認知面,行動面,感情面へと幅広い側面に及ぶことが明らかとなった.

本論文の第2の目的は,非意識的自己制御の影響の可変性を検討することであった.研究4では,参加者が持つ慢性的な個人的信念に応じて,達成目標プライミングの影響が調整される可能性を検討した.同じように達成をプライミングしても,知能観の個人差に応じて,異なる目標が活性化され,異なる感情反応が生じていた.すなわち,慢性的な個人的信念に応じて影響が調整されるという点で,非意識的目標も意識的目標と同様に可変的であることが示された.
研究5では,学期末テスト10日前に達成語のプライミングによって動機づけられた群の参加者は,中性語をプライミングされた統制群の参加者と比較して,ネガティブ感情を低く報告し,また自発的に多くの課題に取り組んでいた.ところが,テスト前日では,同じように達成語をプライミングされた群の参加者は,逆に統制群の参加者よりも,ネガティブ感情を強く報告しており,また自発的勉強課題への取り組みが有意に少なかった.すなわち,一時的な社会的状況に応じて影響が調整されるという点で,非意識的目標も意識的目標と同様に可変的であることが示された.
このように,非意識的な制御には意識的自己制御と同様に,個人差や状況差が反映され,その場に応じて適切な反応が生じていた.プライミングされた目標は,常に特定の行動を生じさせるのではなく,個人的信念(研究4)や状況(研究5)に応じて可変的な先導機能を果たしていた.すなわち,非意識的自己制御の影響は,特定の環境と特定の反応の固定された連合関係を通じたものではなく,意識的自己制御と同様に,信念や状況に応じて調整される可変的な連合関係を通じて生じていることが分かった.

本論文の第3の目的は,非意識的過程と意識的過程による自己制御の結果を比較し,各過程に特有の特徴を明らかにすることであった.研究6では,非意識的自己制御と意識的自己制御が,作業効率の点で異なる影響を及ぼす可能性を検討した.達成プライミングによる非意識的自己制御は作業課題の効率を高めたが,教示による意識的自己制御は効率が悪く,作業課題の効率を高めなかった.このように,作業効率が問題となる課題においては,非意識的な自己制御の方が効果的に働く可能性が示唆された.
研究7では,ステレオタイプ抑制パラダイムを用いて,教示による意識的抑制と,プライミングによる非意識的な抑制の効果と弊害について検討した.その結果,非意識的自己制御でも意識的自己制御でもステレオタイプは効果的に抑制されていたが,その後の課題において,意識的抑制群では,かえってステレオタイプ的評価が増幅する抑制の逆説的効果が見られた.非意識的抑制群では,このような弊害は生じていなかったことから,非意識的な自己制御には,意図的な自己制御に特徴的な弊害が伴わないと考えられた.
このように,意識的自己制御と非意識的自己制御は異なる特徴を持っており,各過程の特徴を理解することは効果的な自己制御を考える上で重要であることが示唆された.

本論文の最終目的は,自己制御における非意識的過程と意識的過程の関係を検討し,効果的な自己制御への示唆を提案することであった.非意識的自己制御は,目標関連手掛かりに対して非意識的に始動し,極めて効率的に目標志向行動を実行することができるが,そのためには事前に連合が形成されている必要があり,新奇な(連合のない)反応を非意識的に行うことはできない.対して,意識的過程の行使には,多くの心的資源が必要であり,行動先導の実行には不向きであるものの,抽象的な心的操作を通じて任意の目標を設定し,新たな環境と反応の連合を作り出すことができる.意識的過程は,このような連合形成プロセスを通じて,非意識的過程に働きかけることができる.よって,意識的過程と非意識的過程の協働という観点からすると,意識的な目標設定と非意識的な実行の組み合わせが,最も効果的な自己制御に結びつくと考えられた.研究8と研究9では,この可能性を検討した.
研究8では,誘惑に負けずに目標達成に努力する自己の様子をイメージさせ,意識的編集によって誘惑と目標の連合を形成させることが,プライミング効果に及ぼす影響を検討した.意識的編集なし条件では,誘惑プライミングは課題遂行を阻害していたが,意識的編集あり条件では,目標プライミングも誘惑プライミングも課題遂行を促進していた.つまり,意識的編集を行うと,通常は勉強を阻害する遊びプライミングによっても,勉強が促進されることが示された.このように,意識的な編集は,誘惑刺激に対する反応として目標志向行動を始発させる,任意の連合を一時的に形成できることが明らかとなった.
研究9では,意識的編集の操作の代わりに,自己制御能力の個人差に基づいた検討,すなわち,自己制御能力の高い者においては,誘惑の知覚に際して目標追求を始動させる,非意識的な反作用的自己制御が慢性化されている可能性を検討した.その結果,自己制御能力が低い群では,誘惑プライミングは課題遂行を阻害したが,自己制御能力の高い群では,誘惑プライミングは課題遂行を促進することが示された.
このように,意識的過程は目標の設定に優れており,非意識的過程はその実行に優れていることが示された.意識的過程と非意識的過程は,それぞれ異なる強みを備えており,効果的な自己制御のためには,どちらが優れているかを比較することではなく,各過程の特徴を理解し,両者の協働を考慮することが重要であると考えられた.

 本論文の一連の研究の結果から,意識的過程と非意識的過程は,どちらも,個人的信念や社会的状況に応じて柔軟な行動先導を行う機能を備えているが(研究4,研究5),同時に,それぞれ異なる特徴も有している(研究6,研究7)ことが明らかとなった.
非意識的過程は,極めて効率的に目標の遂行を行うことができる.非意識的過程による実行は,意識的な実行とは異なり,効率性に優れており(研究6),また,逆説的効果などの弊害が生じることがない(研究7).これは,実行に長い時間と著しい制御資源の消費を必要とする意識的過程にはない,非意識的過程が自己制御に果たす特有の役割である.
一方で,意識的過程は,過去を反省し,また目前にない未来を予測することを通じて,現在の経験の編集や,必要な設定変更を行う機能を持つ.これは,目前にある環境手掛かりに対応して作動する非意識的過程にはない機能であり,意識的過程が自己制御に果たす特有の役割である.
このように,異なる特徴を持つ2過程の協働という観点から,効果的な自己制御とは,『意識的に目標を設定し,非意識的に実行する制御』であると考えられた(研究8,研究9).
 本論文の成果は,これまでの研究のように意識的自己制御と非意識的自己制御を対立する過程とみなすのではなく,2つの過程の特徴を明らかにし,それらの協働を考慮する視点が,自己制御の理解において重要であることを示していた.非意識的過程と意識的過程の分業という観点からの検討は,社会行動に関するより実りある研究を促すだろう.

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