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博士論文要旨

論文題目:電話交換手/電信技手>の歴史社会学 ― 近代日独の情報通信技術とジェンダー
著者:石井 香江 (ISHII, Kae)
博士号取得年月日:2006年7月12日

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1. 本論文の課題と対象
 電話とその前身である電信は、地域や国という境界を越えた情報の伝達を加速化した。電信の仕組みは現在のインターネットに発展し、電話は幾度もの技術革新を経て、現在では年齢や性別を問わず手軽に通信できる携帯電話として世界中に普及している。近年のIT(情報通信技術)の生活への浸透には目を見張るものがある。小学生も友達とのつきあいや防犯用に、携帯電話を利用するのが一般的であり、場所や時間を選ばないITの特性を活かし、育児や家事などをしながら、自宅で投資や在宅ワークを行なう女性も確実に増えている。女性の社会進出とエンパワーメントを促す上で、ITが大きな可能性を持つものとして期待されてきたのも不思議なことではない。とはいえその一方で、ITを開発する側には依然として男性が多く、女性がITを扱っている場合でも、技術に関する専門知識を要しないとされる、顧客への応対業務に集中しているという現実がある。
 2000年度の国勢調査によれば、日本全国の通信従業者は計16万7千800人である。この中でとりわけ目を引くのは、電話交換手に占める女性の比率が約98%である一方、無線通信技術従事者では約6%、有線通信員では約27%、郵便・電報外務員では約13%、その他の通信従業者では約19%という、女性比率の職種間の違いである。この事実からも、有線・無線通信は「男の技術」、電話は「女の技術」という「ITのジェンダー化」を、現在もなお確認することができる。
 本論文は歴史社会学の手法を用いて、近代日独における「ITのジェンダー化」の過程と機制を実証的に明らかにするものである。これは、近代社会に大きな影響を及ぼしたITの歴史を、技術それ自体にではなく、ITの原型である電信・電話技術を扱った電信技手や電話交換手に注目し、技術との関わり方や仕事内容の変化、分業の含意を分析することを意味している。これまで特に日本においては、経済・経営史的観点から、電話・電信網という社会基盤(インフラストラクチュア)の整備といった供給サイドの問題や、その利用状況などの需要サイドの問題、電気技術者や技師の育成過程に主に関心が払われ、逓信事業を末端で担う現業職員に関する社会史的研究が手薄だったといえる。
 日独の逓信省は鉄道省と並んで膨大な現業部門――いわゆる「ノン・エリート」――を抱え、多くの男性労働者を吸収したことで知られているが、逓信省は鉄道省とは異なり、電話交換手、事務員、少数ではあるが電信技手として女性を早期に雇用していた点が特徴的である。彼女達の多くは三等郵便局に勤務し、低コストの郵便サービスや通信を支えていた。このように電信・電話局で働く女性の数は、逓信事業が拡張する20世紀初頭に急速に増加する。女性の電信技手が少数で目立たなかったのに対し、電話交換手は教師や女工、タイピストと並ぶ女性労働者の先駆として知られている。これは、電話の発明以前に通信手段として利用されていた電信が、電話が導入されるに伴い「男性化」し、電話が「女性化」したことを意味している。ところが、日本をはじめとする欧米の社会史研究の中で、電話交換手に関する研究が多いのに比べ、電信技手に対する言及はごく僅かである。これに対して本論文では、電信と電話のジェンダー化を個別に検討するのではなく、この二つを相互規定的な関係にあるものとして捉え、電信技手にも注目している。
2. 方法論
 近年の日独の研究史を振り返ると、ジェンダー間の職務分離、これと不可分である技術のジェンダー化を、特定の技術に対する男性あるいは女性の適性、技術革新、雇用主の戦略等の要因を個別に取り上げて、説明する傾向がある。本論文の研究対象に目を向けると、電信技手に比べ、電話交換手の存在に言及する研究は少なからず存在し、この職業が「女性化」した事実について必ずといっていいほど触れてはいるが、その理由や経緯について、説得的な説明が与えられてはいない。その理由としてよく挙げられるのが、女性が一般に低賃金労働者であったという事実の他に、高い女性の声が聞き取り易いばかりでなく、女性の動きは緻密で、加入者に対する対応も丁寧であるという本質主義的な論拠、新しい技術である電話の導入で女性による操作も可能となったという技術決定的な論拠、そして、女性は低賃金である上に管理も容易であり、経営者にとっては好都合であったと、労使関係に目を向ける論拠である。これは、若い男性は電話交換業務を「腰掛け的な仕事」とみなし、経営側の求める規律に従わなかったことが、男性が電話交換業務から締め出され、電信業務に集中した背景だと論じる。いずれの論拠においても、特定の技術と、特定の性別との結びつきが暗黙の内に前提される結果として、結びつく必然性を必ずしも持たない二つの要素が結びつくに至るミクロな過程や機制が、不問に付されているという問題点が確認できる。この、いわばブラック・ボックスの実態を明らかにするために本論文が用いるのが、歴史社会学的な手法に加えて、聞き取り調査という質的方法である。筆者は歴史社会学的な手法を、様々な史資料を渉猟し、当時者に聞き取りを行なうことで得られた事実を、社会学的な視角から分析し、これが長期的なスパンで変容する過程を跡付ける方法であると理解している。この方法を採用するのは、ある特定の時代や地域の詳細な歴史的事実を明らかにすることよりも、長期間に起る変化の相と、その機制を明らかにすることが、本論文の主たる関心だからである。
 さらに、電信・電話がジェンダー化される過程と、その変化の経緯を跡付けるために、本論文は次の二つの方法に注目している。先ずは、J・スコットの提起するポスト構造主義的なアプローチ、つまり言説分析である。言説が男女間の非対称的な関係、つまりジェンダー秩序を形作るという視角は重要である。しかし、言説が諸制度や慣行によって具体化され、補強されるという理解こそ、社会学にとっては有益ではないか。つまり、言説と実態を架橋する方法を模索する必要があると思われる。ジェンダーを「歴史分析に有効なカテゴリー」としたスコットも、ジェンダー化の過程を、シンボルによる表象の次元、規範的な次元、政治・組織・制度の次元、アイデンティティという主観性の次元に区別しているが、本論文でも、複数の次元におけるジェンダー化に目を向けている。
 このように言説と実態の二つの次元で、技術がジェンダー化される過程と、その変化の経緯を明らかにするために、本論文では様々な権力資源を持つ「アクター」(電話交換手、電信技手、職能組織、雇用主など)が、様々な規則に従って行為する社会的領域 = <場>(champ)に注目している。社会学者のピエール・ブルデューの概念である <場> は、共通点のある行為者がぶつかり合う、闘争の空間(アリーナ)を意味する。行為者はここで意識的、あるいは、無意識的に身につけた考え方や感覚に基づいて行為をしている。本論文では、様々な身体的特性と多様な資本を保持するアクターが、「ITのジェンダー化」とその変化の過程にどのようにして働きかけたのかについて、雇用主と被用者だけではなく、両者の間にあるメゾレベルの組織、社会関係、集団、制度が交錯する、様々な <場> において具体的に検討している。
 また、本論文では近代の日独という二つの <場> の事例を関係史という方法で検討している。日独の事例は他の欧米諸国の中で特殊化され、その後進性が指摘されることが多い。つまりこれまで、日独の共通点に光が当てられ、両国の相違点や、それがなぜ生じたのかについての考察は少なかった。相違点に目を向ける研究も皆無ではないが、その多くは両国における市民社会の成熟度を比較し、日本における市民社会の未成熟を指摘する。こうした枠組みの中では、日本はドイツと比べて市民層の成長が未熟で、外圧によって科学技術を一方的に導入した後進国という位置づけの域を出ない。本論文では、従来の意味での比較史の方法ではなく、「トランスファー」(Transfer)という関係性を重視する視角を導入し、両国の差異を説明する新たな方途を模索した。
 
3. 論文の構成と各章の概要
 序章では、問題の所在と本論文の課題を明確にした上で、新しい視角や方法論を模索した。すなわち日独における先行研究をまず検討し、研究の到達点を示した。その上で、本論文ではどのような視角や分析枠組、方法論を用いるかを提示し、研究史上の本論文の位置を明らかにした。
 第1部では、19世紀半ばから世紀転換期までのドイツと日本で、電信が「男性化」し、電話が「女性化」する前史と、その紆余曲折の経緯を、市民層や士族の家族を取り囲む社会的状況、女性が社会で担う役割の変化、逓信部内の任用の仕組みの特質と関連させて検討した。
 第1章では、ドイツと日本における逓信事業の成立と発展の歴史と、組織構造、労働力構成と任用の仕組みについて比較検討した。ドイツ帝国(ライヒ)の逓信部内における任用の特徴は、官吏の選抜を試験によって厳密に実施しており、その際に実務の養成に重きを置いていた点、恩給費を節約するだけでなく、兵士に対する後見的福祉政策から、文民官吏候補軍人を優先的に採用する制度が存在した点である。これに対して日本では、軍人を優遇する慣行や制度はまだ根付いていなかったが、電信技手や電話交換手などの「雇員」と集配人などの「傭人」という私法上の契約によって国家に雇用された、官吏とは身分や処遇を全く異にする職員が存在していた点が特徴的である。一方、官吏が内部で細分化され、各々の仕事の内容や処遇がはっきりと異なっていた点、社会階層や学歴とジェンダーを軸とする任用法制の二元化を、両国の共通点として指摘できる。
 第2章では、第1章で論じた制度的枠組みを踏まえた上で、「ITのジェンダー化」が明確な輪郭を形成する以前の歴史を検討した。特に、官吏より下の「職員」を構成していた女性労働力が逓信事業に参入するに至る経緯とその社会的背景の他、その女性達の社会的出自、仕事の内容や処遇を、具体的な事例の検討を通じて明らかにし、これを他の欧米諸国とも比較した。各国に見られる共通点として挙げられるのは、女性の参入と女性運動が連動していること、多くの場合は若年の未婚女性が採用されていたこと、女性の職域は一般的に電話交換業務など特定の領域に集中していたこと、昇進の道が開けている場合でも、男性の管理職と比べて補助的な職務を割り振られ、重要性の乏しい勤務地に配置されたことであった。日独に共通するのは、応募者に求められる学歴や技術に関する知識が、特に北欧諸国と比べると高くはなく、訓練も充分ではなかった点である。処遇に注目すると、ドイツでは休養や疾病扶養・労災に対する措置が、日本では後の章で詳しく触れるが、「良妻賢母」教育を盛り込んだ企業内教育が他の国よりも整備されていた。
 第3章では、帝国(ライヒ)逓信省および日本の逓信省の創生期を対象に、電話交換業務と電信業務がある性別や社会階層に固有の技術として誕生する過程を、両国の社会・文化・経済・政治的背景と技術革新に注目して分析した。日独両国で、当初は体力を要する単式交換機が使用され、男性も交換手として働いていた。しかしその後、多数の加入者に対応可能な複式交換機が登場し、交換作業は一人の交換手、特に女性の手に委ねられることになった。一方、電信技手は日独両国で当初は男性職であった。これは電信が当初戦場で男性兵士によって使用されることが多かったという歴史的背景の他にも、ドイツの場合には電信技手を養成する郵便・電信学校に女性の入学が許可されていなかったこと、鉄道省と逓信省が文民官吏候補軍人を優先して雇用するという制度が存在した事情もインパクトを与えていた。そこでドイツでは、長期にわたる兵役で文字を満足に書けない文官候補者にも配慮して、モールスの知識や「熟練」だけでなく、文字を書く必要もない印刷電信機を多数導入した。一定時間内の送信字数や速度がモールス電信機よりも優れていた印刷電信機や鑽孔が導入され、モールスの知識や「熟練」が不要になり、従来モールス電信の知識や「熟練」の獲得から遠ざけられていた女性が、この業務に参入するのを促すことになる。
 第2部では、世紀転換期から第一次大戦期までのドイツと日本で、電信の「男性化」と電話の「女性化」という分離が確立し、さらに、この分離が強化される過程を、男女官吏のフォーマル・インフォーマルな社会的結合、第一次世界大戦が職場に与えた影響等と関連させて明らかにした。
 第4章では、これまで論じてきた電話=女性、電信=男性という分離の構造が、その後どのような要因によって強化され、あるいは動揺したかという点に着目した。本章では「社会的結合」を取り上げることで、ジェンダー秩序の動態的な側面、主体の行動に光を当てた。具体的には、世紀転換期から戦間期にかけて、逓信部内で女性の職域が拡大し、女性に昇進の可能性もある程度与えられ、労働条件が整備される過程を跡付けた。この時期には、男女従業員の利害の対立が表面化することになり、これがフォーマルな職能組織の結成を後押しした。補論では19世紀後半にドイツ南部で郵便・電信局の管理職を務めた女性たちの人事記録を分析し、女性官吏の動きが生れた背景をなす、男女官吏が当時置かれていた状況を比較している。日本でも、女性従業員が『逓信協会雑誌』への投稿というかたちで、職業上の要望や不満を経営側や男性同僚に伝えようとしていた。つまり両国において、特定の職域における女性従業員数の増加がもたらす諸問題の解決に向けて、フォーマル/インフォーマルな女性の「社会的結合」が形成されていたのである。
 第5章では、第一次世界大戦がその前後の時期において職場のジェンダー秩序、そして、第4章で論じた「社会的結合」の展開や、本章で取り上げる職業衛生の発展に与えたインパクトについて分析した。日本と異なり第一次世界大戦の戦場となったドイツでは、徴兵された男性に代わり、女性が大量に逓信部内に導入された。この女性たちが、求職中の傷痍軍人の抵抗を前にしながら、戦間期にも引き続き活躍する場合も稀ではなかった。また、電話の「女性化」が進展したことの証左として、電話交換手に特有の「労災」が生れ、これによって、電話交換手の存在が社会的にもより顕在化し、経営側と交渉する契機が生れた。職場で被災した従業員のセーフティ・ネットとして機能した疾病・災害保険に対し、第一次世界大戦後に発展した職業衛生は、職場の環境を改善し、労災を未然に防ぐ近代的 <知> であった。20世紀初頭にこの二つの制度が並存したドイツでは、社会保険の導入が遅い日本では顕在化しなかった問題が生じ、それが労使間の対立の引き金ともなった。本章ではその事例として、「外傷神経症」をめぐる従業員と医者・経営側との交渉を取り上げ、両国の逓信部内における労使関係や職場文化の違いを生む背景について考察した。
 第3部では、戦間期のドイツと日本で、電信の「男性化」と電話の「女性化」という、ITのジェンダー化が強化される一方で動揺もする機制について、「身体」と「職場文化」に着目して分析した。
 第6章では、日独の逓信部内の労使関係、職員のジェンダー化された意識や職場文化の差異が、職場に内在するどのような環境や制度から生れたのかを、「身体」を補助線にして論じている。具体的には、産業心理学、性規範、局内の女学校に注目し、逓信部内の価値規範を内面化する「身体」に着目すると同時に、その再編成に主体的に働きかけるアリーナとしての「身体」にも目を向けた。規範としてのジェンダーを再生産するのに寄与したのは、ドイツでは企業内福利政策や市民層に馴染み深い規範であったのに対し、日本においては逓信部内で開催された講和や修養、局内の女学校で伝達された独特の「良妻賢母」教育であった。本章では、講和や修養の内容の他、局内に設立された女学校である「誠和女学校」の校長を務めた嘉悦孝子の女子教育思想を跡付け、逓信部内で理想とされた女性従業員像を浮かび上がらせた。このように、1920年代後半から1930年代前半に、日独両国の逓信部内でも男女の差異を強調する議論が勢いを増した。「女性」としてカテゴライズされた集団が影響力を高めるためには、不可避的にその集団に特有の「力、使命、働き」を強調せざるをえないジレンマに陥ることが、日独両国の事例において確認できる。
 第7章では、日本の独自性として指摘できる「モールス文化」に光を当てている。ここでは、電信技手の労働過程と意識構造の双方に注目することで、どのような要因が電信業務への男性の入職を促し、女性の参入と「熟練」を阻んでいたのか、また、その一方で電信業務が女性の参入にとって有していたポテンシャルについても検討した。その結果、女性の電信技手は、第6章で検討した電話交換手の女性たちとは異なった経験を積んでいたことが分かる。後者が女性の「特性」という差異を前景化し、それを「資本」にすることが可能であったのに対し、前者においては「強さ」、具体的には「技能」の再定義は困難であり、極力男性に近づく試みがなされていた。このように女性が置かれた状況を異なるものとしていた背景に、「モールス文化」と筆者が名づけた職場文化の存在が確認できる。操作が比較的容易とされた「印刷電信機」が日本で一般化したのは1950年代後半のことであり、それまでは主としてモールス電信機が使用されていた。このため、モールス電信機を扱う電信技手たちの間で、独自のエートスとそれに基づく「モールス文化」が形作られたのである。戦前の日本には戦前のドイツと同じ程度に組織化された女性のフォーマルな「社会的結合」を確認することができないが、男性電信技手のフォーマル・インフォーマルな「社会的結合」が存在し、これが「モールス文化」の形成や、電信技手と電話交換手の差異化に大きな役割を果たした。例えば電信技手のアイデンティティは、ジェンダー化された「技能」に大きく規定されていた。電信技手は「技能」の程度を示す特有のモールス信号を共有するだけでなく、「技能」に関するジェンダー化された言説と実践を形作り、ジェンダーと「技能」のつながりを構築していたのである。
 終章では、第1章から第7章までにわたってドイツと日本におけるITのジェンダー化の過程を比較分析した結果得られた知見、すなわち、ジェンダー化の段階と機制、変化の契機などを整理、分析することによって、冒頭で掲げた問いに対する回答を与え、今後の課題をまとめている。
 
4. 結論
 本論文の事例において、ITのジェンダー化は次の三段階で展開し、その機制は各々の時期で異なることが分かった。先ず新技術の導入を機に、ある社会的出自の女性が労働市場に参入する必要性から、それを阻んできた旧来のジェンダー秩序に異議を申し立てる段階である。この時期は新旧のジェンダー秩序が並存していたので、本論文では「混合期」と呼んでいる。ドイツでは窮乏した市民層の娘たちが生活の糧を得て家族を支える必要性や未婚女性の自立という観点から、日本では零落した士族の娘たちが、父親の仕事を補助し、あるいは家計を助けるという他にも、「文明国家」の指標として認識されていた女性労働を推進するという観点から、女性労働に否定的な旧来のジェンダー規範に異が唱えられ、議論が沸き起こった。
 しかし次の段階では、旧来のジェンダー秩序の解体と再編が起きる。これは、旧来のジェンダー秩序の一部を「資源」として活用しようという動きであり、女性と男性の各々に「適した」仕事=技術の構築である。日独両国で当初は電信業務と電話交換業務の双方を男女が担当していたが、世紀転換期には、電信業務は「男の仕事」、電話交換業務は「女の仕事」という「ジェンダー間の職務分離」が形成され、また管理職を男性が占有し、女性が顧客への応対を担当するサービス業務に集中するという垂直的職務分離の存続も相まって、男女の仕事は直接比較することが不可能になる。これによって、女性は男性の既得権を侵すことなく、女性専科の職域を切り拓くことが可能となったと同時に、女性が男性の仕事を担うことが稀になった。こうした、社会的出自及びジェンダーを軸とする職務分離とITのジェンダー化は、職場のインフォーマルな文化を通して補強・再生産されることになった。したがって、この時期をジェンダー秩序の「形成期」と呼びたい。
 最後の段階が、特定の技術を特定のジェンダーと結びつける性別役割規範=人事政策や企業内福利政策に埋め込まれた規範レベルのジェンダーを、各人が経験する個々の具体的なケースと結びつける「認知」の段階である。これは、性差に関する<知>の再編成と新たな秩序化を意味する。ジェンダー秩序の構築過程は動態的であり、アクターが行為の準拠点としての性差に関する<知>を持ち込み、その<知>が「正しい」ことを実感し、それを自ら実践することで、制度的再帰性は循環する。これが、ジェンダー秩序に揺らぎを生じさせるきっかけともなるので、この時期を「動揺期」と呼んでいる。これは、特に戦後の日本で女性がかつて男性の職場であった電信業務に一定数導入され、女性も充分な訓練を受ければモールス電信が扱えることが明らかとなったこと、さらに印刷電信機の導入でかつて、ジェンダー間の職務分離と電信・電話のジェンダー化を推進するアクターであった電信技手の影響力が低下したことで、電信技手の「技能」をめぐる戦前の言説が説得力を失っていく事例で明らかにした。またドイツにおいては、当時活発化した女性運動と連動して発足した女性官吏の職能組織が、数々のジェンダー化された言説=<知>に対して、組織の活動や機関誌を通じて批判を加えていた事例なども併せて提示した。
 このように、近代日独の逓信部内において、実態・規範レベルでITのジェンダー化が進んだが、これに対してフォーマル・インフォーマルなかたちで異議を唱える動きも浮上しつつあった。現代においても女性はITの複雑な操作や開発に疎遠であるという「偏見」が存在しているが、実はこの認識が、労働力を受け入れる経営側の思惑だけでなく、男性の同僚や女性自身によって、様々な思惑から歴史的に形成されてきたことを、本論文は実証的に明らかした。つまり、ITのジェンダー化とは決して他律的な動きなのではなく、経営側と男女従業員側が協働する――確かに非対照的ではあるのだが――動態的な営みとして、捉え返すことが可能なのである。
 本論文ではITの正史に埋もれた女性労働の歴史、そして男女の関係史を振り返ることによって、戦前の情報通信技術に関する従来の歴史は、一方の性の経験に偏っていたことも明らかにした。ITの正史は女性の貢献を不可視にするか、あるいは、特定の技術を扱う少数の女性を特別扱いすることで、技術を操作する女性たちの能力を過小評価し、電信を使いこなせるのは男性だけであるという考えを強化してきたのではないか。そしてこれが、男性が仕事をする公的領域と、女性が家庭生活を営む私的領域を分断する認識を、多かれ少なかれ再生産してきたはずである。
 世界は男性だけでなく、女性によって成り立っているのであり、今後ますます両性を適正に開発・活用する方策が模索されるべきである。ITが日常生活に普及する現在、それにも関わらず、まだIT業界の主力である女性が少ない現在だからこそ、男性のみならず女性も共に通信の担い手であったことを明らかにするだけでなく、ある文脈の中で、複数のアクターによって、ITにジェンダーが付与された過程を跡付ける、両性の顔が見える「新しい歴史」を叙述する必要がある。
 

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