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博士論文要旨

論文題目:現代日本における情報サービス産業のIT技術者~雇用関係・仕事・技能形成~
著者:津﨑 克彦 (TSUZAKI, Katsuhiko)
博士号取得年月日:2006年3月28日

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博士論文

現代日本における情報サービス産業のIT技術者
-雇用関係・仕事・技能形成-

論文要旨


津﨑 克彦
一橋大学大学院社会学研究科
SD031025

1. 本研究の問題意識及び特色
 本研究は現代日本における情報サービス産業に注目し、そこで働く技術者(=IT技術者、以下、情報処理技術者)の雇用、仕事、技能形成の観察を通して、現代日本の雇用問題に関わる原因の一端に触れようとするものである。
 第2次世界大戦終戦以降、日本は低い失業率の下で、継続的な技術の導入と経済成長を達成してきた。しかし、1990年代半ば以降になると、失業率の上昇、求職意欲喪失者、非自発的な「非典型雇用」者の増大など、企業に雇用されず、従って生産活動に参加することができないか、あるいは望まれぬ形の雇用契約でしか仕事に従事できない行為者が増加している。その原因を探求しようとする試みは、現在、多数存在するが、我々はその中でも、今日生じつつある生産活動自体の変化、あるいは新しく発生しつつある雇用機会となりうるような生産活動を、観察対象を特定の産業に限定しつつ、実証的な観点から観察し、この問題に関するインプリケーションを得ようとするものである。
 以上のような意図の下で、我々は本研究において日本における情報サービス産業とそこで働く技術者を対象として観察を進めていく。我々が本研究にこの対象を選択した理由は次の点にある。第1の理由は、今日、日本全体の雇用情勢が悪化していると言われるのとは対称的に、情報処理技術者は、比較的堅調な推移で労働需要が存在していると考えられることである。第2の理由は、次の点にある。即ち、1990年代以降、パーソナルコンピュータの普及やインターネットの利用率の上昇に代表される、いわゆる情報技術革新は、営利目的の生産活動のみならず、一般の消費者の行為にとっても、重大な影響を及ぼしているが、本稿の対象となる情報処理技術者は、一方では彼ら彼女達が、全体に対して情報技術を通して影響を与える主体でありつつも、他方では、恐らくその影響を最も強く受けている存在であることである。情報処理技術者に注目することは、日本全体の生産活動に対して重要な影響を与える存在に注目することであると同時に、今日の生産活動及び人々の雇用、仕事、技能形成という問題を考えていく上で、情報処理技術者がそれ自体、技術革新の影響を強く受けているという意味で、1つの典型的なモデルとなっているのではなかろうかということである。
 情報処理技術者という観察対象上の特徴に加えて、本研究は方法論的に、次の2点の特徴を追求している。第1の特徴は、本研究を統制する理論的なフレームワークであり、一般には「行為論」と呼ぶべき、人間の「行為」に注目した観察方法を採用していることである。我々があえて「行為」という概念に注目する理由は次の点にある。即ち、一般に人間の「仕事」に注目する研究は、産業革命以降、「労働研究」という形でその研究の蓄積がなされてきた。しかし、その前提は、多くの場合、大量生産型の製造業を前提とした考察であったことは、恐らく疑い得ないであろう。他方、1980年代以降、さまざまな研究者は、同時代的な生産活動を記述するのに際して、「クラフト的生産体制」、「サービス産業化」、「知識主導経済」、「ニューエコノミー」その他、さまざまな理念型を提示してきた。我々は確かに大量生産的な生産活動が中心であった時代と、今日との間に何がしかの変化を感じ、また、それぞれの理念型は、常にその変化の一面を言い当てていると考えられるものの、それぞれの理念型を研究のフレームワークとするには、抽象的で散漫あると言わざるを得ない。以上のような現状認識の下で、我々は、今一度、極めて古い「行為」という概念にさかのぼり、そこから派生する概念である、「生産活動」、「技術や知識」、「仕事と労働」といった、我々の観察を統制する基礎的な概念の整理を行い、その概念を利用しつつ、改めて既存研究の整理を行うことにした。
 本研究が追求する第2の特徴は、ヒアリング調査、アンケート調査、各種公表資料など多面的な調査及び資料を利用して、対象を観察していることにある。近年ではアンケートを利用した大量観察を用いた研究が非常に数多く発表され、研究を統制する因果的推論の明晰さは飛躍的に高くなっている。他方で、大量観察による方法は、既に検討の俎上にある仮説を検証していく上では高い有効性があるものの、そこから事実発見に到ることは難しく、また、観察する内容、対象の性質によっては非常に困難である場合も多い。我々は、本研究における重要なポイントについては、アンケートを用いた大量観察のデータを利用しつつ、同時に、幅広い資料を用いて、対象とテーマに迫ろうと意図した。
 なお、我々の独自調査は次の3つである。第1の調査はヒアリング・定性調査であり、企業の管理職層及び技術者に、マネジメントの現状及び技術者の就労実態を尋ねたものである。ヒアリング対象は8社、1業界団体、計14名である。特に科学的な調査を目的として行ったものではないが、付け加えて、筆者自身、同産業において就労経験(約3年半)がある。就労経験について、筆者自身は、調査と本研究を推進していく上で、それが余計な先入見にならないよう気を配った。しかし、一部その時期の筆者の経験に基づくコメントが本文中にあることと、また、当時の経験は、筆者に対象者に関する膨大な観察の機会を与えており、内容全体に影響を与えている可能性があるため、ここに報告しておく。
第2の調査は「ITエンジニアのスキルに関する意識とキャリア形成」と題し、社団法人情報サービス産業協会及び電機連合の協力の下に行ったものである。調査は2002年10月から12月にかけて行われた。配布方法は郵送及び機縁法であり、前者は加盟全社に対して、企業窓口宛各5通、配布数約2650に対して317通(11.9%)、後者は加盟各単組宛回収数360通、計617サンプルとなった。
 第3の調査は「ネットワーク運用管理技術者のスキル・意識とキャリア形成」と題し、情報技術の中でも、現在、極めて早い技術進展の下にあるとされるネットワークの設計、構築、運用及びプロジェクトマネジメントに携わる技術者を対象として行ったアンケート調査である。調査は2003年12月に行われ、配布方法は郵送及び機縁法、社団法人情報サービス産業協会企業窓口宛各5通、配布数約2650に対して回収数536通(回収率20.2%)であった。全ての調査にあたり、ご協力、また利用に際して許可を頂いた各団体及び対象者の方々に改めて御礼申し上げたい。


2. 本研究の内容
 本研究の結論を整理すると次のような内容になる。先ず、我々は、「行為」という概念から出発し、「生産活動」、「技術」、「仕事(と労働)」という本研究の基礎概念について整理し、本研究の問題の中心を、行為者による技能や知識の獲得に置いた。我々は行為概念を「ある存在が自身を含むさまざまな存在について認識し、その認識に応じて、資源を利用しつつ価値を追求しようとする一連の活動」と規定し、生産活動を、行為者による行為の一形態として、行為者が「行為者がさまざまな存在の可能性を認識し、それを引き出すこと」との意味に解した。「技術」とは、生産活動に関わる知識一般を示し、行為者がその技術を自らの資源となしうる場合に、特にそれは「技能や(生産活動に関わる)知識」と呼ばれる。仕事とは「行為者による資源獲得を意図した生産活動」であり、労働とは仕事に対する行為者自身の評価が「不快」である場合に用いられる概念である。
 行為者は原理的には、仕事であるような生産活動を通して、自らの行為に必要と考える資源を獲得し、また、生産活動を行わなければ、資源獲得をなしえない。他方、さまざまな生産活動には、それ自体の遂行に必要となる資源(物的な生産手段と技能や知識)が存在する。その資源の内容と行為者による獲得や接触方法を記述することは、一般に労働研究と呼ばれる研究領域の1つの関心事になってきた。
 産業革命以降、①生産活動に対する機械設備の応用、②同じく生産活動に対する分業の応用、③株式会社制度の登場による機械設備の企業による所有と分業の編成、という3つの要因により、数多くの行為者にとって、生産活動への参加は、「雇用関係」という企業と行為者との契約に基づいてなされるようになった。同時に、企業の生産活動に目的を与え、分業を統制する「管理職」及び、科学的な知識を利用しつつ生産活動や生産物に対して形相(構造、型、枠組み)を与える「専門職」という新しい職業が登場した。同時に、行為者が生産活動に参加できない状態を示す「失業状態」や、物的な生産手段はもとより、さまざまな生産活動に対しても相対的に有効な知識や技能を持たない「非-管理職」、「非-専門職」としての「労働者」であるような状態に留まり続けることは、結果として行為者が生存を含む自らの価値にとって寄与しうる資源を獲得することができず、結果としてその行為者の不幸に寄与すると考えられるようになった。「失業状態」にせよ「労働者」への滞留にせよ、その原因として問題となるのは、行為者が生産活動を行うために資源としうる技能や知識の獲得がどのようなメカニズムによってなされるのかという点であった。この問題は大きく楽観論と悲観論に分けられる。楽観論には、①インダストリアリズム及びポストインダストリアリズム論、②内部労働市場論、③クラフト型生産体制論という3つの議論が存在するが、それぞれの議論が結論として主張するのは、共通点としては、適切な機会が存在すれば行為者は生産活動に対する知識や技能を身に付けることができるのであり、知識獲得の方法と内容として、①の議論は公教育と科学的知識を、②の議論は企業活動への参加と企業特殊的知識を、③の議論は集団による知識や技能の共有と徒弟的な技能形成方法、そして多技能的な知識・技能の重要性をそれぞれ強調した。他方、悲観論は、技術革新や分業の拡大がもたらす「熟練の解体」や、再生産される階層格差、その原因としての「文化資本」や職業集団による特定職業への参入者の政治的統制、知識や技能獲得に際しての生得的な能力格差の存在等の仮説が提起された。
 我々は以上の認識を踏まえ、第2次世界大戦後から1990年代までの、日本における行為者の技能形成メカニズムの特徴を、例外の存在については留意しながらも、主に「内部労働市場型」と「クラフト型」技能形成という2つの要因に求めた。「内部労働市場型」技能形成とは特に企業の管理職のような仕事や、独占的な企業、あるいは、企業特有の巨大な生産設備を持つような製造業に典型的に見られるものであり、そのメカニズムは、行為者が生産活動を行う上で必要とされる知識や技能がその企業特有のもの(企業特殊的知識)であるという前提の下に、まず行為者が企業に就職し、企業内に存在するさまざまな生産活動を幅広く経験することにより、その企業特有の知識を身に付け、企業の生産活動に寄与しようとするものである。また、「クラフト型」技能形成とは、生産活動に必要な知識は、実際の生産活動を通して身に付けるか、あるいは、生産活動を行う集団が共有していることを前提に、その集団への参加を通して、実際に生産活動を行い、あるいは情報を共有する中で、生産活動に必要な技能や知識を身に付けるというものである。日本では、中小零細分野でクラフト型の技能形成パターンが残存していただけでなく、大企業ブルーカラー層では、ある程度意図的にクラフト的な技能形成パターンが採用され、結果としては成功を収めた。全般的に、インダストリアリズム及びポストインダストリアリズムの議論が主張したような、生産活動における科学的な知識の必要性や、雇用問題における学校教育の役割は、日本の雇用と技能形成のメカニズムにおいては相容れず、日本では「雇用や生産活動への参加が行為者の知識獲得や技能形成に先行する」こと、また、科学的な知識とは区別された、「暗黙知」、「言葉にはならない知識」が生産活動を行うに際して重要であること示してきた。また、日本の学校教育は、全般には、本人が具体的に何を知っているかということよりも、どの程度、知識や技能習得を効率的に行いえるかという情報を、企業や雇用者に対して与える役割を果たしてきた。
 しかし、以上のような日本の雇用システムは、1990年代中ごろに入ると同時に、その信頼性に対する疑いが生じるようになってきた。生産活動に参加できない、あるいはしていない行為者である、失業者、無業者やニートと呼ばれる存在の指摘とその労働人口に占める比率の上昇、あるいは比較的知識や技能が低く、またそこへの滞留の可能性があるような短期的な雇用契約に基づく行為者の存在などが、その懐疑の原因である。しかし、労働市場に目を向けると、一方では全体的な雇用情勢とはとは対称的に、「求人があるのに雇用が満たされない」という状況になっている産業もある。情報サービス産業がそれである。我々は、ここから今日における日本の雇用問題を、労働市場における「ミスマッチ」と捉え、その背景を情報処理技術者の仕事と技能形成のメカニズムに関する観察を通して、明らかにしていく。
 我々の情報サービス産業及び情報処理技術者の仕事と技能形成の観察を通して明らかになったことは、一言で言えば、「内部労働市場的、あるいはクラフト的な技能形成メカニズムの崩壊」である。まず、①情報処理技術者の仕事にとって生産活動を行う上で必要な知識は、主に企業特殊的な技能というよりは「技術的知識=一般知識」であること。従って、企業による技術者への技能形成投資は外部性が発生する。結果として企業の技能形成投資は十分なものにならず、また経験的な観察を通してもおおむねそうであった。また、②技術革新の進展により、同じ情報サービス産業の中でも周辺的、あるいは低技能で満たされるような生産活動が発生し、一方では、その生産活動をアウトソーシングの形で外部化しようとしている(比較的エンドユーザに対する営業機会に恵まれた)企業が存在しており、他方では、それを比較的安い価格で請け負おうとする企業が存在する。結果として、エントリーレベルとなりうる「簡単な仕事」から、高度な知識や長期の経験を必要とする「難しい仕事」まで、多数の生産活動を抱えている「大きな企業」という存在は、特に今後、あまり発生していかない可能性がある。③ビジネスの上、「オンサイトビジネス(客先常駐)ビジネス」が盛んであるが、一度オンサイトビジネスに出された技術者は、技術的知識というよりは顧客側の企業特殊知識に通じるようになり、更にそのことが顧客の満足となり、顧客の要請によりジョブローテーションができなくなる。結果として、技術者としてのキャリアアップを図ることが難しく、また、本人の意識においても、技能形成機会に対する不満が強いという傾向が存在する。以上3つの理由により、情報サービス産業における「内部労働市場」的な技能形成メカニズムは機能しているとはいえない。また、技術者の仕事や技能形成に関する行為を観察すると、上司や職場の同僚から知識を習得するパターンはパフォーマンスに寄与しておらず、技術者は主に職場の外で流通している知識を習得し、それを仕事や自らの技能、知識として仕事に生かしている。この原因として推察されるのは、技術革新が経験を通して蓄積されるような知識を陳腐化させてしまい、結果として職場には生産活動に必要な知識や経験が蓄積されておらず、職場における相互の知識の共有や習得という「クラフト型」技能形成のメカニズムが、有効に寄与しえなくなったということである。
技術的要因、ビジネス上の要因により、戦後日本の特徴であった企業内の技能形成メカニズムであった内部労働市場及びクラフト型のパターンが無効化しつつあるにも関わらず、賃金制度を観察すると年功的な色彩が強く、技術者の知識や技能に関わるインセンティブは薄い。また、他の産業と同様、情報処理技術者の生産活動に必要な知識は、学校教育での提供は不調である。企業以外で行為者が技能形成を行う機会が限定されている中で、企業は、生産活動に参加する行為者の「潜在能力への期待」から、新卒労働市場における学歴要件を高めると同時に、雇用者を中途採用の方向にシフトさせている。
 以上のように、現代の情報サービス産業で働く情報処理技術者の仕事と技能形成を観察する限りにおいて、過去の日本の雇用システムを支えてきた、「雇用が技能形成に先んじる」というメカニズムは、十分に機能していないだけでなく、企業内部以外に技能形成を行う機会が存在しないために、新卒労働市場において、企業は人材を必要としているのに、雇用の要件を上昇させるという逆説的な方向性を採っている。同時に、人生の早い段階で情報技術に興味を持った求職者は、専門学校や大学での専攻で情報技術に近い領域を選ぼうとするが、その行為が労働市場ではあまり評価されず、特に専門学校を選択した行為者は、雇用の場においてその選択をむしろマイナスに評価されてしまう可能性すら存在している。
 我々の観察によれば、情報サービス産業における生産活動のパフォーマンスは、教育年数というよりは、どちらかといえば学校の専門性に依存しており、「学歴が本人の潜在能力を示し、高い潜在性を持つ行為者が企業内で効率よく知識や技能を身に付ける」という人材評価における「潜在能力アプローチ」は、強い経験的な根拠を持つ主張とは言えない。現状の逆説的な現状を打破し、情報サービス産業の雇用を日本全体の雇用機会として生かすためには、一方では、学校教育や資格において、教育や試験内容を生産活動が要求する内容に近づけると同時に、多くの行為者が広く教育を受講する機会を拡大する必要があるだけではなく、企業側は、新卒労働市場での「潜在能力」評価のみに頼る人材評価のあり方の再考や、知識や技能に対するインセンティブのあり方を検討すべきである。
 最後に我々は、情報サービス産業の技術者を例に、ある種の「公正」な仕事のあり方を探った。従来の労働研究の前提は、恐らく「仕事」自体は「不快」な行為であり、不快さが反対給付たる賃金や労働時間、休暇との交換においてなされるというのが基本的な認識のあり方であったと考えられる。確かに、一方では、仕事とは常に労苦が付きまとい、その行為が全て「快である」ということは難しい。他方で、仕事を全て「不快」「労苦」という評価しかできないような生産活動であると断定してしまうことも、経験的には恐らくミスリーディングとなるだろう。この問題を探求した我々の観察によれば、①ワークライフバランス(仕事と私生活のバランスに対する満足度)は、本人の仕事の出来具合(自己評価)と、本人の技能形成の満足度(自己評価)にプラスの影響を与えている。②ワークライフバランス満足度を規定している要因は、一方では技術者の休暇や労働時間に対する企業側の配慮(長さや融通さ)であると同時に、他方では、行為者本人の仕事に対する意識の中にも存在する。③その意識の内容とは、「職業に対するコミット」と「天職意識」である。前者は、例えば、「簡単には解決できない問題に価値を抱く」、「仕事で試行錯誤をしながら試すのが好き」、「会社以外でも同職者と交流するのが好き」、「キャリアは自己決定すべき」などの意識により構成され、後者は、「子供の頃から漠然と今の仕事に就くことを考えていた」、「プライベートでも今の仕事と似たようなことをしている」「今の職種に就くこと以外は考えられない」「現在の職種で身を立てたい」などの意識により構成されている。
 一方では「自分が分からない」、「適職が分からない」など、労働市場における仕事が選べない行為者が存在し、「適職」、「自己実現」等の表現においてしばしば言及される行為者の意識を強調することは、問題であるかのようにも考えられる。しかし、経験的に見れば、やはり現職を「適職」であると認識している行為者は、仕事の成果も、技能形成も、私生活も満足度が高いということはいえる。問題であるのは、恐らく次の点である。即ち、仕事をしていて、その内容を楽しいと考える技術者は存在する。また、情報サービス産業に限らず、製造業において、また、恐らく過去においてもそうした技術者は存在していたと考えられる。同時に、現実には一方で、そのような技術者に生産活動を頼りつつ、現実の雇用体制は、そうした存在を全面には認めず、評価の対象とはしてこなかったように筆者は考える。その背景に存在するのが、「仕事は全て労苦である」という観念であり、労苦の反対給付としての評価という観念である。「公正な評価」の根拠を「労苦」に置くべきか、あるいは、恐らく代替案となるであろう具体的な生産活動に対する知識や成果に置くべきかという点は、即断するのは困難であるが、どのような人間にあっても、職業としてのキャリアを追い求めたくなるような何がしかの適職が存在するのではないか、また、仕事の苦しさのみが評価対象である限り、生産活動自体が不活性になるだけでなく、労働市場に入りたくなくなる行為者が増加するのではないか、という点を考えると、具体的な知識や成果を、短期的な評価に陥らないことを留意しつつ検討すべきであると考える。
 本研究の構成は、次のようになっている。第1章は本研究の要約に割き、第2章では、本研究における基礎概念と諸前提と題し、我々の研究を統制する諸概念である技術、知識、生産活動、生産手段、仕事と労働という概念を「行為」という概念に基づきながら整理していく。同時に、産業革命以降の行為者の基本的な問題を、生産手段の獲得、とりわけ技能と知識の獲得として捉え、一方では生産活動に対する技能や知識の獲得に関する格差が拡大していく仮説を、他方では、それらの格差が広がらないという仮説について整理する。また我々は、現代日本における技能形成、仕事、雇用関係という問題を検討する上での比較の対象となる理念型として、戦後日本モデルである、内部労働市場モデルとクラフト型技能形成モデルを提示する。
 第3章では、「情報処理技術者 新しい雇用機会か?」と題し、情報処理技術者の雇用の傾向について観察していく。ここで提示する基本的な問題は、情報処理技術者の需要が存在するにもかかわらず増加していかないという状況にあることを確認し、この現象の背景に存在する問題を技能不足として捉える。
 第4章では「情報処理技術者の仕事」と題して、「情報サービスの生産活動」の具体的な内容に触れる。仕事と知識の関係、企業間分業と「底辺職種」の外部化、仕事のパフォーマンスとさまざまな要因との関係等に関する観察から、今日の情報サービス産業の技術者を記述するためのモデルとしては、内部労働市場型、集団主義型のモデルよりも、むしろ、擬似外部労働市場型、個人主義的分業型のモデルであると結論する。
 第5章では、「情報処理技術者と技能形成」と題して、OJT、Off-JT含む情報処理技術者の技能形成の実態の観察と、技能形成のパフォーマンスに影響を与えている要因を探る。全般に企業の技術者に対する技能形成投資は十分であるとは言えず、技術者の技能形成の基本は、実際に業務を行いながら技能を身に付けるという形のみが主たるものとなっている。また、企業の採用基準とは裏腹に、全般に技術者の学校教育の専門性がOJTのパフォーマンスに関与している。
 第6章では、本研究で行った観察で得られた内容を整理し、今日の情報処理技術者の労働市場における「ミスマッチの原因」を、企業内技能形成システムの崩壊とその背後にある、①技術革新、②ビジネス上の問題、③「日本的」特徴の3つの要因により説明する。本章では加えて、ワークライフバランスと技術者の意識との関係を探ることにより、「職業に依拠した仕事のモデル」を検討した。

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