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博士論文要旨

論文題目:P・A・ソローキンの統合主義社会学――世俗的価値と宗教的価値を取り結ぶもの――
著者:吉野 浩司 (YOSHINO, Koji)
博士号取得年月日:2006年3月28日

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【問題関心】社会はいかにして成り立っているのか。それはいかなる方法によって検討できるのか。これらの問題は、ある意味では、社会学の発祥当初から問われ続けてきたといってもよいだろう。本博士論文では、これらの問いに、社会学史の立場から再考してみようとする試みである。「再考」というのは、この問いに対しては、社会は様々な価値観のせめぎあいによって成り立っているという、さしあたっての回答が出されているためである。
ピティリム・アレクサンドロヴィッチ・ソローキン(1889年~1968年)は、この再考のための、有効な考察対象となるだろう。というのも彼は、とりわけこの価値観の対立の烈しい時代を生き、また何より彼自身が、この問題に生涯取り組んだ社会学者であったからある。
ソローキンは二度の世界大戦、ロシア革命、そしてアメリカへの亡命を経験し、文字通り多様なる価値観の狭間を生きた。また、その一方で学者としての彼は、そうした価値観の闘争を何とか収束できないかということに頭を悩ませている。人間が実際にこれまで生きてきた世界、そしてこれから生きてゆくであろう想像可能な世界について、彼は思いを巡らせたのであった。したがって、本博士論文では、ソローキンの全生涯にわたる仕事の検討を通じて、彼の主張に含まれている現代的意義を抽出するという課題に取り組むことにした。

【仮説】こうした問題関心をもつ本稿の提示する仮説は、〈様々な分野を多岐にわたって論じたソローキンの膨大な著作群は、統合主義社会学という一貫した方法論によってつらぬかれている〉ということである。またこの仮説を検証することで、ソローキンが社会の成り立ちをどのように見ていたのか、またどのような分析手法を作り上げたのかが明らかとなる。
もちろん、ソローキンの所説をただ漫然と追うだけでは、その統合主義社会学の完成形態を掴むことにはならない。というのも、彼のいう統合主義社会学とは、常に研究対象と自らの方法との〈対話〉の繰り返し、あるいは終わりなき研鑚の積み重ねの中にその特徴を有しているものだからである。したがって確固不動の方法論としてそれを示すことは困難である。要するにソローキンの統合主義社会学とは、決して完成されることのない、終わりなき形成の過程において捉えられなければならないのである。そうした彼の統合主義社会学を明らかにするためには、どのような接近方法があるのだろうか。

【検証方法】本稿では、ソローキンが懐胎していたであろう、価値の相剋の構図を予め設定しておき、その図式に沿ってソローキンの統合主義社会学の形成史を追い直す、という手順を踏むことにした。彼の対立する価値の構図は、第1図のような二つの軸を交差させることでできる四つの象限として示すことができるだろう。以下、順に説明しておこう。
自己を社会認識の基点とし、対象を一つ一つ解釈し、それこそが確実に存在しているものだと信じる考え方がある(実証主義)。そこでは直接に目に見え、触れることのできる世界、すなわち可感的な世界こそが、真なる世界だとされている。だが、これとは逆に、社会を神秘的なものと受け止め、その神秘に帰入すべく、自己滅却を図ろうとする態度もある(神秘主義)。その態度からすると可感的な世界など夢まぼろしに過ぎないと感じられる。第1図にあるように、この認識態度は横軸に置かれている。
さらに、社会のつくりを、個々の構成要素へと還元しようとする見方がある。そこでは、個別の要素の相互作用により社会が形作られているとされる。しかしながら、そこでの相互作用には規則性がなく、非合理的なものであると見做されることになる(非合理的世界観)。その一方で、社会をそうした個々の要素の不規則な動きとしてではなく、全体的な調和あるいは融合として捉えようとする見方もある(合理的世界観)。これが二つ目の軸である。
これら二つの軸を交差させると、価値観の対立の概略を窺知できる四象限の構成図が得られるだろう。

(Ⅰ)自己と他者の完全な合体、ないしは完全な分裂の状態を真なるものとする。
(Ⅱ)自己の経験により認識された(個別的)他者を真なるものとする。
(Ⅲ)個別的他者から一般的他者を導き出し、それを真なるものとする。
(Ⅳ)自己と一般的他者の融合体を真なるものとする。

これらは典型的には、それぞれ(Ⅰ)教条主義、(Ⅱ)経験主義、(Ⅲ)科学主義、(Ⅳ)統合主義、といった現れ方をする。Ⅰの教条主義とは、自らの信ずるものに懐疑と反省の契機を認めないことにその特徴を有する。懐疑と反省の契機を持たないが故に、これは、勢いラディカルな行動を伴いがちである。これに対しⅡの経験主義は、そうしたラディカルな行動と発想を取らない。素朴に自らが見聞きしたものに限ってのみ、絶対的な信認を置く。したがってこれらは、個別具体的な事物の認識に留まる。そこから進んで、これをより一般的なものにまで抽象できないかと考えるのが、Ⅲの科学主義である。抽象化という作業は、ある意味では全体性を志向するものである。しかしそこには、やはり限界があることも忘れてはならない。科学主義は、物事の全体的な把握を目指すものではあるが、究極的にはそれを断念することでしか成り立ちえないものだからである。そうした諦念を何とか回避できないものかと模索する時、Ⅳの統合主義が要請されることとなる。これはⅠの直観、Ⅱの観察、Ⅲの理性といった、これまで辿ってきた、あらゆる認識態度を、事物の全体を把握できる限りにおいて複合的に採用しようとするものである。
ソローキンは社会を成り立たせている価値観の対立というものを、あらまし以上のように見ていたのではないだろうか。実際、第2図にあるように、彼の学問的営為は、その社会認識をなぞるように深められていったといえるだろう。

(Ⅰ)人間をとりまく世界を相互作用する社会として理解する。
(Ⅱ)相互作用する社会を実証的に検証する。
(Ⅲ)実証主義的な個別的世界を、より広範囲で抽象的な観点から捉える。
(Ⅳ)社会の統合的全体像を読解する。
(Ⅴ)以上を経た上で、振り出しであるⅠへと立ち返る。

上の図は、本稿で取り扱うソローキンの諸著作を、先の四象限の「価値観の相克」のマトリックスに重ね合わせたものである。その図にあったように、ソローキンの思索は、(Ⅰ)教条主義な思考に始まり、(Ⅱ)経験主義と(Ⅲ)科学主義の時代を経て、最終的には(Ⅳ)統合主義に辿り着く。そして(Ⅴ)神秘的な世界の探求へ向けた再出発が始まる。もちろん、それは単純な原点回帰と再出発ではなかった。統合主義社会学を手にしての新たな旅立ちであった。
ここで冒頭の問題に戻ろう。社会はいかにして成立しているのかという問いに対しては、価値観の相克によって成り立っていると答えることができた。それを本稿では、その相克する価値観とは、およそ上に示した四つの位相によって説明可能であると言い換えておく。

【動学と静学】さらに進んで、この図をより細かく見ていくと、それらは静学的な面と動学的な面から説明することができる。まず、第一にそれら四つの位相は層構造を成している。つまり社会の構成要素は、ⅠからⅣまでのそれぞれの認識方法によって捉えられた位相によって構成されていると考える。社会の構造を論じるという意味で、これは静学的な検討がなされるべきものだろう。
次にⅠからⅣまでの位相が、一定の歴史的傾向を持って現れるということを、仮定として立てることもできるだろう。ここで歴史的傾向というのは、社会の構成原理(およびその認識態度)の基調が、Ⅰから順にⅣにいたり、ときおり逆流を伴いながら、再びⅠへと循環するという、いわば文明論的な流れのことを意味している。この社会の潮流に相当するのが、第二の動学的な側面である。
ソローキンは、おおよそ以上のような視座構造をもって、とりわけ社会学およびそれに隣接する様々な分野を開拓した。しかしそれだけではない。彼は各分野の研究対象ばかりではなく、上の四つの主義を自ら体現するかのように、それぞれの対象に相応しい研究方法を磨き上げていったのである。したがって彼の生涯を追う作業は、そのまま多様な社会認識の方法を体得することにもつながるものである。

【本稿の構成】以上のような課題を果たすために、本稿では具体的には次のような章構成を採用することにした。目次の細目は以下の通りである。全部でⅤ部編成となっているが、いうまでもなくこれは、上述の四象限図と対応している。

はじめに
序章 激動の時代に/第1節 亡命がもたらしたもの/第2節 多彩な学問遍歴/第3節 先行研究の特徴/第4節 本稿の課題と構成/第5節 統合主義社会学の可能性
第I部 社会への開眼
第一章 ロシア社会学の中で/第1節 背後にある「神秘主義」思考/第2節 ロシア社会学をどう見たか/第3節 科学と倫理を統合する学問
第二章 社会学の体系化/第1節 相互作用する社会/第2節 社会学か心理学か/第3節 『社会学体系』の体系性/第4節 相互作用とは何か/第5節 相互作用論
第Ⅱ部 実証主義の世界へ
第三章 経験主義の時代/第1節 新たな体系へ/第2節 農村と農民階級/第3節 人々の移動/第4節 都市と農村の相互作用
第四章 総合的な文化研究の構想/第1節 文化を実証することの困難さ/第2節 ハーバード大学を社会学の拠点に/第3節 文化研究の秘策/第4節 文化を統べるもの
第Ⅲ部 科学的な文化研究をめざして
第五章 『社会的・文化的動学』の方法論/第1節 統合主義とは何か/第2節 一九三〇年前後の文化研究/第3節 四種の文化統合/第4節 因果‐機能的方法と論理‐意味的方法/第5節 同時代の文化研究
第六章 文化とは何か/第1節 文化の内面と外面/第2節 社会学的‐現象学的解釈/第3節 文化システムの大前提/第4節 大前提の具体例/第5節 統合主義の意義
第七章 『社会的・文化的動学』の結論と反響/第1節 「誰がソローキンを読むのか」/第2節 『社会的・文化的動学』の悲劇的な結論/第3節 各界での反響/第4節 社会学者による批評/第5節 ハーバード大学内での反応/第6節 アメリカ社会学を離れて
第Ⅳ部 統合主義社会学の完成
第八章 学問と倫理の関係/第1節 利他主義研究への目覚め/第2節 『危機の時代の社会哲学』について/第3節 倫理的実践と学問的実践
第九章 回帰としての利他主義研究/第1節 再びトルストイへ/第2節 『愛の方法と力』の基礎概念/第3節 統合主義社会学の完成
第Ⅴ部 新たな旅立ち
第一〇章 比較文明学の構想/第1節 トインビーとともに/第2節 文化の構造と変動/第3節 文明の歴史的展開/第4節 歴史の宿命と人類の自由
第一一章 パーソンズとの格闘/第1節 比較の視座/第2節 『社会的行為の構造』の印象/第3節 『行為の一般理論をめざして』および『社会システム』への批判/第4節 パーソンズのソローキン論/第5節 歴史図式
第一二章 キリスト教解釈をめぐって/第1節 パーソンズ「キリスト教と近代産業社会」/第2節 教会史をめぐって/第3節 宗教改革/第4節 プロテスタントの精神の緊張/第5節 現代社会の宗教
終章 ソローキンの遺産/第1節 統合主義社会学の向かう先/第2節 観念的なものと感覚的なもの/第3節 もう一つの社会の想像/第4節 超意識からの科学批判/第5節 ソローキンと現代
補論 日本におけるソローキン研究の軌跡/はじめに/第1節 『社会的・文化的動学』の研究/第2節 基礎領域/第3節 基礎理論/第4節 批評態度/むすびにかえて

【内容:第I部 社会への開眼】第Ⅰ部では若き日のソローキンの学問的営為、とりわけソローキンのロシア社会学との関わり方を振り返っておく。この時期の彼は、一見すると非合理的で、神秘的なもののように感じられる世界を、相互作用する社会に分解することで理解できないだろうかと暗中模索した。その思案の過程が、ここで論じられることになるだろう。特にその際、ロシア時代のソローキンの著作とその後の著作とでは一貫性が保たれているのかどうか、もし一貫しているならば、どうしてそういえるのかを追究することに気を配った。
結論を先取りすれば、ロシア時代には統合主義という言葉は用いられてはいない。しかし、その代わりに神秘主義ならびに相互作用という言葉が見られ、それが後に統合主義に連なる一つの思考の原型であることが確認できる。最初期のソローキンは、神秘主義をトルストイに学んでいる。科学的探究といういうものは、たとえその極限まで推し進めていったとしても、どうしても足りないものが残ってしまう。その残余を掴み取らんとするには、探求者当人の主体性を滅却した次元を想定しなければならない。言い換えると、個人という主体が、絶対的で抽象的な客体(例えば神)を全体として感得するためには、主体を滅却した神秘的合一という境地に立たなければならない。それがここでいうところの神秘主義である。
しかしながらロシア時代のソローキンは、他方において、科学的探求を極限にまで推進するということも同時に試みている。『社会学体系』では、主体的個人とその行為、そしてそれらの間にある媒体(メディア)など、社会現象を形成する諸要素の相互連関が織り成す社会の全体像を視野に取り込もうとしていた。
この時彼は、相互作用という言葉でもって、市場の動きを言い当て、またその市場において伝導体の働きをする貨幣を解説しようともしている。それはソローキンが市場を流通し価値を増殖させていく貨幣の働きに、一つの神秘性を感じたからであろう。確かにそこでの議論は、神秘の世界の全体からすると、ごく限られた一部分の描写に過ぎないものであったのかもしれない。しかしその限定があったればこそ、次期の経験主義の時代を切り開く契機となったともいえるのである。ここでジンメルに依拠して述べられる相互作用論などは、後年の統合主義という抽象的で、いささか堅苦しく感じられる用語が、その発想源としては、極めて具体的なものであったことを示唆してくれるものである。
学者としてのソローキンは、まずは後者の相互作用的な社会学の方を推進した。

【内容:第Ⅱ部 実証主義の世界へ】第Ⅱ部では、ソローキンが戦争や大飢饉という非常な事態に遭遇し、それ以前の思索の無力さを実感する姿を描き出す。『社会学体系』の理路整然とした体系が崩壊し、経験的実証研究へと彼が邁進していくまでの移行期である。いたずらに理論の整合性に執着し過ぎることの反省から、彼が社会現象の現実に密着した実証研究に乗り出していく様を第三章で論じている。この時ほど、彼が理論と実証の統合ということに頭を悩ませたことはなかったであろう。その成果として結実するのが、1921年ごろに手を染めた飢饉の実態調査と、1930年前後に完成される都市と農村の社会学である。とりわけ後者では相互作用という概念が、都市と農村の相互関係、それらの統合と非統合を分析する手法として実証的に用いられているのは注目を引かれるところである。
例えば『農村‐都市社会学原理』では、個人の相互作用のあり方によって、全体社会が農村的なものと都市的なものとに分けられ、それらが共同体の典型として示されている。さらに農村と都市の相互作用の考察によって、国家規模での、ひいては地球規模での社会現象を捉えうる視角を得ようとした。こうして個人主体的な相互作用の図式が、都市と農村という、より広範囲の社会現象の分析に応用されたのである。
農村‐都市社会学を完成させたソローキンが、より視野を広げ「文化」を総合的に研究する、という課題に立ち向かっていった事跡を辿ったのが第四章である。本章では、オグバーン批判を機に、ソローキンが1930年前後のアメリカ社会学に対して、何を訴えたかったのかについて追求している。彼が訴えたかったことというのは、文化研究における統合的視座の必要性である。より詳しくいうとそれは、文化の実証研究は、堅実な論理的基礎によって裏打ちされていなければならないというものであった。つまり理論と実証の釣り合いの取れた関係というものを、ようやく彼は確信を持って提示できる段階に達したということである。

【内容:第Ⅲ部 科学的な文化研究をめざして】統合主義社会学の前段階にあたる、統合主義的視座の具体的な内実を解き明かすのが第Ⅲ部の課題である。ソローキンがあれほど多岐にわたる分野を開拓でき、その研究対象を解明できたのは、こうした統合主義という立場によるところが大きい。そのことが第五章と第六章で示されるだろう。実証的な調査は、手当たり次第に行ったとしても効果は上がらない。対象となるものの核を見据えること、それをソローキンは実演してみせたのである。
例えばそのことは、『社会的・文化的動学』の大規模な歴史統計学的な調査に現れている。ソローキンは人類の歴史を、一つの統一的な視座のもとで捉えようとしたのである。まずソローキンが着眼したのは人間の内面的な意識と外面的な文化である。それにより彼は、意図すると否とにかかわらず人間が構想している社会文化現象というものが、一方では個別具体的なものに執心する感覚文化と、他方では総合的な普遍的なものを希求する観念文化とに区分できるということを発見した。そしてその観念的なものと感覚的なものとの相剋の中から、それらがうまく調和された、平和的で安定的な理想文化の時代が発生することを論証したのである。つまり『社会的・文化的動学』におけるソローキンは、観念的なものと感覚的なものとの相互作用が織り成す社会文化的現象、すなわち普遍者(universe)の姿を見出そうと目論んでいたのである。
だが、『社会的・文化的動学』の結論は、現代社会が感覚文化から観念文化への移行期にあたる危機の時代であるというものであった。そして、過去の歴史の教訓からすると、この観念文化への移行が速やかに行われなければ、人類は多大なる被害を受けるであろうということであった。というのも、この移行期には価値観の混乱が起こり、既成の感覚的価値(イデオロギー)に拘束され保守反動化した人間が、新たなる価値への順応を拒絶することによって、価値観の衝突が起こるからである。こうしたソローキンの歴史は、どのように受け止められたのであろうか。
そこで、続く第七章では、『社会的・文化的動学』出版後の反響を整理することにした。ソローキンの学問遍歴の分岐点を成す『社会的・文化的動学』が、いかようにアメリカで受容されたのかを知るために、各方面での書評を読み比べた。この第Ⅲ部では、完成の一歩手前という形としてではあるが、ソローキンが生涯をかけて研鑽し続けた統合主義それ自体を解明しようとする、本稿の核心部分となるところである。その統合主義社会学の完成形態は、次の第Ⅳ部で明らかにされるだろう。

【内容:第Ⅳ部 統合主義社会学の完成】上述のように、ソローキンは社会を様々な角度から考察している。ある時は神秘的なものとして、または相互作用するものとして、あるいは統合的なものとして。そうした様々な相貌をもって現れる社会というものを、一挙に掴み取るべく取り組まれたのが、第Ⅳ部で論じる利他主義研究である。第八章では『危機の時代の社会哲学』を取り上げ、そこでは主にソローキンのシュヴァイツァー論が俎上に載せられた。本著作の意義の一つは、ソローキンが晩年にいたって利他主義研究へと向かっていった動機が盛られているということにある。当時、ソローキンがシュヴァイツァーに強く惹き付けられたのは、彼自身が利他主義というものに並々ならぬ興味を抱いていたからであった。『社会的・文化的動学』を完成させた後に、新たな構想として持ち上がってきたのが、他でもないこの利他主義研究だったのである。
さてそこで、ソローキンの学問のひとまずの到達点であるこの利他主義研究を跡付けるのが第九章の課題である。利他主義研究は、ソローキンの学問体系の中でどのような位置を占めるのであろうか。一般にソローキンは、利他主義研究に着手したことによって、いよいよ学問世界の片隅に追い遣られてしまったと理解されている。しかし統合主義の観点からすると、利他主義研究もソローキンの体系へと、すっきりと組み込むことができる。いやむしろ、この段階でようやくソローキンの統合主義社会学体系は完備されたといっても過言ではない。それを示したのが第九章であり、従来のソローキン研究には見られない本稿独自の主張である。
利他主義研究とはいかなるものであろうか。一般には、他者の価値を尊重し、対話を重ねることによって、他者との融和関係を築こうとするものとされている。だがここでいう対話とは、緊張感を内にはらむものである。ある時代には唯一無二と思われていた価値に、根源的な対立が発生した場合には、その対立する価値を一纏めに括ることのできる、より上位の価値が措定されなければならない。人間がその新たな上位の価値に気づくよう仕向け、かつそれに意味づけを与える働きを持つもの、それが超越的な普遍者(論理‐意味的統一体)および内面の深層に位置する超意識の役割なのである。そうした対立する価値を統合するという意味での、緊張を含み持った他者との対話である。
ふたたび四象限図を確認しておくと、ようやく彼の学問遍歴は、ここで一巡したことがわかる。しかしソローキンはそこから更なる一歩を踏み出すこととなる。ソローキンがその生涯の最後の段階で考えたことは、自説と他の学者の学説とを比較検討することで、それらを自らの統合主義社会学の中に可能な限り盛り込むということであった。それが以下で述べる彼の最晩年の仕事である。

【内容:第Ⅴ部 新たな旅立ち】第Ⅴ部では、ソローキンの主張が、同時代人の学問や思想とどのように響き合っているのかを論じる。第一〇章では、歴史研究ならびに比較文明学をめぐるトインビーとの対話を検討している。トインビーとの共通性を見出すことに心を砕いたソローキンの『今日の社会学理論』についていうと、それが比較文明学へ与えた影響から考えても、見落とすことはできない著作であるといえよう。ソローキンは、現在も活動を続けている国際比較文明学会の初代会長であった。そうしたことから、ソローキンが比較文明学という新しい学問分野の立役者であったことを、第一〇章において再確認しておいた。ソローキンは比較文明学を打ち立てるために、ダニレフスキーやシュペングラーを乗り越えようとし、またトインビーとしのぎを削ったのである。
第一一章と第一二章ではパーソンズとの関連を扱っている。とりわけハーバード大学内での二人の関係、あるいは互いに対する評価の問題、さらに両者の社会変動論の具体的展開であるキリスト教史に対するそれぞれの解釈についての比較を行った。ソローキンが目指したのは、統合主義社会学という汎用性の高い理論を様々な学者の主要概念と重ね合わせ、それにより、彼自身の統合主義社会学の、いっそうの理論の拡張を図ることであった。そうすることでソローキンは、そうした学者の諸説の特性を生かしながら、より広範な社会現象の把握を可能とする道を開拓しようとしたのであった。以上の考察により、他の学者の学説を批判的に摂取して、自らの学説の中に統合していくソローキンの手さばきが明示されている。

【内容:終章(仮説検証の結果)】さて本稿の仮説は、〈様々な分野を多岐にわたって論じたソローキンの膨大な著作群は、統合主義社会学という一貫した方法論によってつらぬかれている〉というものであった。検証の結果、それは正しいということが判明した。それでは最後に、本稿の仮説検証の持つ意義について述べておきたい。
本稿を締め括る最終章では、「ソローキンの遺産」について考えた。ソローキンが統合主義社会学によって主張したかったことというのは、煎じ詰めれば二つのことである。第一に挙げられるのは、社会の前提を変えると、もう一つ別の社会を想像することが可能である、ということである。価値観が多様化し、「文明の衝突」の甚だしい激動の時代には、それらの対立を究極において解消する、別の社会の構想というものが必要とされてくる。ソローキンの企図はそうした時代の要請に応えようとするものであったといえる。
だが、もう一つの社会を構想するためには、それを支える学問の改良が不可欠となる。それが、ソローキンが生涯を通じて取り組んだ第二の仕事であった。ⅢからⅣにかけての研究においてソローキンがしきりに説いたのは、学問における超越的次元や深層的次元というものの重要性であった。そしてこれらを無視ないし軽視する学問に対して、彼はかなり批判的であった。ソローキンの統合主義社会学とは、つまるところ、この超越的次元や深層的次元をいかに繊細に取り扱いうるかの可能性を探ったものであったといえるだろう。
本博士論文の根底にある問いは、社会はいかにして成り立っており、またそれをどのような方法で探求するのかということであった。社会はいかにして成立しているのかについては、四象限の価値観の相剋として図式化でき、その際、第Ⅳ象限が決定的な位置を占めること。また方法としては、そうした重要性を持つ第Ⅳ象限を加味した方法が採用されなければならないこと。そしてその方法というのが、因果‐機能的方法と論理‐意味的方法を併用する、ソローキンの統合主義社会学(第五章第4節)であった。これらのことが、本稿の検討によって明らかになったことである。「もう一つの社会の想像」と「超意識からの科学批判」という、二つの結論を、まとめておこう。

【結論1:もう一つの社会の想像】ソローキンはこうした社会文化現象や意識の構造の大前提である超意識(超越的次元と深層的次元)を述べることで、一体何が主張したかったのだろうか。それは、社会の大前提が異なるとき、人間の行う様々な営為が、全く異質なもののように感じられる、ということである。言葉を変えると、今ある社会とは全く違う別の社会が想像可能である、ということをソローキンは説いた。
我々が仮に宗教的行為を、あるいは利他主義的行為を目にした時に、ある種の偽善性を感じてしまったとしよう。そうした感情が発生してしまうのはなぜか。それは、一つには、我々の前提と、そうした宗教的、利他的な行為の前提とが違っているから、という理由が考えられよう。その前提の違いが、我々に違和感を与えているのである。
では仮に宗教的、利他的な行為の前提に、観念的な意識が設定されていたとして、我々がそれに違和感を覚えたとするならば、それは何ゆえだろうか。ことによると、我々の発想の前提には、感覚的な価値観が設定されているのではないか、と疑ってみることもできるだろう。目に見えるもの、触れられるもの、それらが、より便利で、心地よいものと感じられる人間にとり、その反対物は、好ましからぬものとして忌避されるであろう。そうした予測が成り立つのである。
この時、価値観を反転させる社会の構想が可能となる。もしかすると、感覚的意識とは対照的な観念的意識を大前提とする社会の構想が可能なのではないか。そうしたことが逆に判ってくるのである。観念的意識を前提とした発想からすると、超感覚的な事柄も宗教的な事物も、奇異なものであると言ってのけるのは難しくなるだろう。むしろ感覚的な価値観の方に違和感を覚えることになるのではないだろうか。こうした逆転した発想の可能性をソローキンは示唆しているのである。
もちろん、今を生きる人間が、超意識の枠内に入るものとして、言い換えると、社会構想の前提として、観念的意識と感覚的意識のいずれかを選ばなければならないということではない。むしろ選ぶことは究極的には不可能なことなのかもしれない。次なる時代は、前提として観念と感覚のいずれが嵌め込まれることになるのか、ということでさえ、ソローキンは断言することをためらった。ただ観念的意識と感覚的意識という二つの前提による、別々の世界像が想像できるということ、そのこと自体が重要なのである。

【結論2:超意識からの科学批判】確かにこれまで見てきたように、超意識を科学的に取り扱うことが困難であるのは言うまでもない。しかし現代で言えば、生命倫理、民族浄化、環境問題、核開発などに関わる議論は、超越的次元(超意識)に関する議論を無視しては、その解決の糸口さえ見えない所にまで来ているのではないだろうか。個別具体的な問題への対処であれば、超越的次元を抜きに、単純な技術論として処理できるのかもしれない。しかしその個別の問題が、どういった事情から発生し、どのように全体社会に波及していくのかを予測しようとする際には、どうしても超越的なるものという、扱いにくい問いに直面しなければならなくなるだろう。さらにいうと、個別具体的な問題の処理であろうとも、そもそもそれを議論する当事者は、その問題解決策の決定を、超越的次元とは全く切り離された場所で下しうるのかという疑問も浮かんでくる。むしろ人間は、これらの次元を、あらゆる価値判断の前提としていると捉えておいた方がよいのではないか。
それに類するソローキンの数々の疑問が、当然のごとく彼を科学批判へといざなうこととなった。ソローキンは明らかに、同時代の科学を見渡して不満に思った点を解決するために、超越的次元すなわち超意識を論じようとしていた。しかもそのことを科学の内部で実施しようとしたのである。
ロシア時代の論文でソローキンが強調していたのは、神秘主義と愛である。これらは人間世界のどこに位置づけることができるのか。さしあたりそれらは、可視的ないしは可感的な世界の外部(超越的次元)であるとしておこう。科学は可感的世界での出来事を細やかに分析するためのものである。そのこと自体はよいとしても、それが科学主義となって極端になったとすると、これは問題である。なぜなら科学の万能視が、科学であつかう所以外の部分を不可知なものとして切り捨ててしまうからである。
科学の対象となる範囲を可感的世界の内部に限定するというのは正しい。しかし、その外部を切り捨て、全く無いものだとして振舞ってしまうのは、やはり行き過ぎであろう。ソローキンは、可感的世界の内部と外部の接触面への注目を怠らず、知りうるものと知りえざるものとの間の緊張関係を保持したまま、科学的研究は行われなければならないと考えていた。この接触面が、超意識および論理‐意味的統一体の位相を指している。
ならば、ソローキンが念頭においていた、望ましい研究のありかたとは、一体どのようなものであったのか。ソローキンの初期の試みに属する、相互作用的な社会学にも、実は、超越的次元の視点は差し挟まれている。それはソローキンが、旧来の社会学の枠内で、何とか超越的なものへの視点は保持しつつ、他方で可感的世界の内部の社会関係へ接近することをめざした努力であると受け取ることができよう。人間と可感的世界の外部(超越的なもの)との関係を、その世界の内部の様々な問題として彼は論じようとしたのである。確かに、後に概念化されるようになった、超越や超意識という言い方は、ここではまだ使われていない。その代わりに、そういった事態をメディア(貨幣など)という言葉を用いて説明しようとしていた(第二章)。
あるいはまた、彼は同様のことを、実証的な社会学的調査においてすら試みようとしている。第三章で述べたことは、よりいっそう可感的世界の内部で思考しようとするソローキンの姿勢であった。それはパヴロフの反射学に学びながら、食糧不足(甚だしい場合は飢餓)が、人間の行動にいかなる影響を与えるのかを調査したものであった。またロシア革命の経験から、革命や戦争と飢餓との密接な関係を明らかにした。さらに亡命後は農村社会学の完成に力を注いだ。これらは確かに超越的なものとは程遠い、堅実な実証的な研究のように思われる。言い換えると、可感的世界の内部の現象として、従来の社会学でも扱いうる部分である。
しかしそれだけではない。ソローキンの追求は、非常なる現実に直面した人間が、いかなる生き方を選択するのか、志向するのか、という研究でもあったのである。あるいはまた、ある時代、ある地域の人間は、何ゆえに都市的なるもの、あるいは農村的なるものを選択するのか、という方面にも向けられていた。こうした選ぶという価値基準への探求に携わっている点で、やはりソローキンは可感的世界の外部に触れようとしているといえるだろう。ここに見られるのは、危機の時代あるいは非常な事態における人間の生き方の探求に他ならない。

【ソローキンの現代的意義】人間が認識しうる最大の対象を、ソローキンにならって社会文化的現象すなわち普遍者と呼ぶならば、それをできる限り細分化し、個別に解明していくことで、諸科学はその勤めを果たそうとしてきた。それにより、確かに局部の解明と細分化の技法は飛躍的な進歩をみたといえる。しかしその半面、生命の躍動する社会文化的現象(普遍者)の総合的な全体像は、一向に立ち現れてこないではないか。そういう個別科学への批判があることも現実である。ひとたび細分化された局部を集めて再構成しようとしても、さながらそれは部分を寄せ集めただけの、生気の無い全体図にしか過ぎないからである。
ある種の神秘主義的傾向を持つ哲学や宗教が求められる所以が、ここにある(例えば生の哲学)。それらは生気ある普遍者を感得する技法を模索するものだからである。だが神秘主義は主として主観的な体験ないし実践に重きを置き、客観的な学問的知識については軽視することを常とした。そもそも、学問的知識によっては生気ある普遍者の感得など絶望的に困難だとする断念が、ある種の神秘主義的思索へ向かわせる基本動機の一部となっているといってもいいだろう。
若きソローキンが、一方で科学としての社会学を構想し、細分化された主体と客体の、あるいは客体同士の相互作用の様相を解明しようとしつつ、他方においてトルストイやベルグソンらの科学批判と神秘主義に傾倒したのは、上のような困難さに直面したからに他ならない。もちろんソローキンが神秘主義的な知見に拘泥したのは、超越的な視点から事物を観照しようとしたからではない。彼はむしろ、人間が意図せざるとも外面的には超越的な視点に左右され(運命)、あるいは内面的には意識の奥底にあるとされる欲動の影響を絶えず受けざるを得ないのだという現実を直視し(宿命)、その人間が織り成す社会文化現象の仕組みを解明しようとしたのである。
個別具体的な事物の相互作用においても、普遍者の視点を排除するのではなく、少なくともその片鱗が個別事象の中に反映されているのではないかと常に意識しておくこと。あるいはまた、個別事象と全体的な普遍者との相互の関係を詮索すること。それこそがソローキンの統合主義社会学の目指すところであった。
およそ人間社会がうまく成り立っているように見えるのは、その社会が超越的価値(普遍者)ないしは深層意識からの意味づけを受けているからではないだろうか。ソローキンは、その普遍者の付与する意味なるものを、合理的、理性的な論理によって解明しようとした。それが彼のいう「論理‐意味的方法」であり、超意識に関する議論であった。人間は超越的な何者かによってもたらされる、社会への意味づけに敏感でなければならない。でなければ、古い時代の価値意識に絡め取られてしまい、新しい時代意識に適応できなくなる恐れがある。順応できないだけでなく、新たな価値との闘争を始めようとすることさえあるのである。ある時代の価値意識が巧く機能している場合には問題はない。しかしその意識が、別の価値意識との深刻な対立を生み出す際には、何らかの手段を講じて、その対立を根本的に解消する方策が採られなければならない。
現代においてソローキンを学ぶ意義はここにある。環境問題や民族問題、あるいは第三世界の問題が現代に突きつけているのは、増大する人間の欲望と、その人間がこれからも生存していくために必要とされる資源の確保という二つの要求に、いかなる折り合いをつけていくのかという問題である。また複数の宗教観ないしはイデオロギーの対立が表面化した、いわゆる「文明の衝突」が叫ばれる今日、それらの共存を図る新たな価値の発見が急務となっている。これらの問題に共通しているのは、利己主義か共生かという二つの価値観の対立である。上記のように、ソローキンが「超意識」あるいは「論理‐意味的統一体」といった独特の用語を使って解明しようとしたのは、こうした対立の絶えない社会に対して普遍者から、あるいは深層意識から共生の価値観が付与されうるかどうかの可能性であった。言い換えると「超意識」と「論理‐意味的統一体」の働きを捉えようとするソローキンの統合主義社会学は、人間の欲望と人類の共生のために、あるいは文明の調和、平和的共存のために必要とされる、新しい価値を、論理的に導き出そうとするものではなかっただろうか。
ソローキンの統合主義社会学が導き出したのは、様々な現代的課題を具体的に推進するための、利己主義から利他主義へ、対立から友愛へ、私的所有から共有へ、そして感覚的意識から観念的意識への論理的筋道であった。これから社会は、そうした道を歩んでいくのだろうか。そのことを検証していくこと、そして検証の結果を社会的実践に生かすこと、そのことは後世に残された、現代を生きる我々の課題である。

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