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博士論文要旨

論文題目:魔法の山の上り下り――トーマス・マンの『魔の山』とデモクラシーの精神史によせて――
著者:山室 信高 (YAMAMURO, Nobutaka)
博士号取得年月日:2006年3月28日

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 本論文はトーマス・マンの小説『魔の山』(1924)を「デモクラシー」の観点から読み解くことを意図し、そうして『魔の山』が「デモクラシーの小説」であることを論証することを目標とする。
 本論文は思想史的な問題設定を起点とする。『魔の山』は第一次世界大戦前後のドイツにおいて、ヴィルヘルム帝制からヴァイマル共和制への時代転回のなか、焦眉の問題となった「デモクラシー」と緊密に関わり合いながら生まれた小説である。
 『魔の山』の粗筋はこうである。ハンブルク出身で、造船技師の卵である主人公の青年ハンス・カストルプは結核を患う従兄を見舞いに、3週間の予定でスイスのダヴォスにある高地サナトリウムを訪れるが、そこで彼も結核の徴候を示し、滞在の延長を余儀なくされ、結局7年間留まった末に、世界大戦の勃発に遭遇し、山を下りて、戦場に消えていく。
『魔の山』の成立の経緯はおよそ次のとおりである。1912年5月、トーマス・マンは肺尖カタルを患って療養している妻を見舞うために、ダヴォスのサナトリウムを訪れた。マンはその土地と施設の奇妙な雰囲気に触発され、『魔の山』の作品構想を得て、翌1913年の夏頃に執筆を開始する。ところが1914年8月に第一次世界大戦が起こると、彼は『魔の山』の執筆を中断し、いくつかの戦時論文、さらに大部のエッセイ『非政治的人間の考察』(1918)に取り組む。1918年のドイツの敗戦からしばらく経った1919年4月に『魔の山』はようやく再開され、その後紆余曲折を経ながら、1924年9月についに完成する。
 このように中断を含めて約12年にわたる『魔の山』の成立期間は、ドイツにおいて「デモクラシー」が時代の問題かつ要請としてはっきり立ち現れてきた時期に相当する。戦前・戦中にもすでに「デモクラシー」は取り沙汰されていたが、第一次大戦に敗れ、革命が起こり、帝制が崩壊し、共和制へ移行する戦後において「デモクラシー」はドイツにとって不可避の問題となる。このことは政治・社会の面では無論のことであるが、さらに文化の面でも言える。19世紀から20世紀への世紀転換期以来、世界観の相対主義化・多元主義化が進み、伝統的諸価値の体系はかなり揺らいでいたが、第一次世界大戦後、敗戦後の混乱のなか、この傾向はいっそう昂進し、ドイツは文化的にも「デモクラシー」の情況に直面することになったのである。
 『魔の山』はそうした「デモクラシー」の文化情況を深く反映した文学作品であり、文学としてこの情況に対峙している。この小説は直接には第一次大戦前の7年間を舞台に設定しているが、しかしその成立事情からも窺えるように、第一次大戦後の時代動向もおおいに抱えこんでいる。サナトリウムには世界中からさまざまな文化的出自をもつ人々が訪れ、非常に国際的な雰囲気が漂うが、一方では病気によるデカダンスや頽廃の気配も濃厚である。世界観の相対主義的・多元主義的情況、そしてその結果としての諸価値の座標の混乱は覆うべくもなく明らかである。戦争の勃発によって終わる『魔の山』はその戦争によって決定的にもたらされる「デモクラシー」の文化情況を胚胎しているのである。主人公ハンス・カストルプはそうした文化情況のまっただなかに投げこまれ、適応にてこずりながらも、さまざまな体験と見聞を積んでいくのだが、彼がそうして行き着くところははたしてどこだろうか。
 物語の結末は世界大戦の勃発である(「青天の霹靂」の章)。ハンス・カストルプは出征し、戦火に飲みこまれてしまう。これが一つの出口、いかにもペシミスティックな出口である。しかしもう一つ、物語の途中にオプティミスティックな出口の可能性が示される。それはハンス・カストルプが一人で行なった雪山へのスキー行の際に、遭難の危険に見舞われながら見た、新しいヒューマニティーの予感に満ちた夢である(「雪」の章)。「デモクラシー」の文化情況に向き合う『魔の山』はこの物語の途上の雪中夢と物語の結末の戦争との二つの道、いわば「上」向きの道と「下」向きの道とに垂直に引き裂かれている。
 ところで、戦前から戦後にかけて『魔の山』を執筆していた当のトーマス・マンも「デモクラシー」の文化情況のなかで大きな困難に逢着していた。それはマンにあっていわゆる「転向」の問題として表面化する。彼は第一次大戦中のエッセイ『非政治的人間の考察』においては「デモクラシー」に対して否定的・敵対的な姿勢を露わにしていたが、戦後の講演『ドイツ共和制について』(1922)において「デモクラシー」を肯定するにいたる。これが「転向」であるかはともかく、『魔の山』ともどもマンも「デモクラシー」をめぐって引き裂かれそうになっていたことは確かである。「デモクラシー」をめぐる、この作品と作者の二重の分裂が『魔の山』の思想史的問題の中心となる論点である。
 本論文はこの問題を解きほぐすに当たって、一つの仮説を提示する。それは「『魔の山』は『デモクラシーの小説』である」という仮説である。『魔の山』は「デモクラシー」の文化情況をめぐって、「上」と「下」に分裂しているように見えるが、それにもかかわらず、一つの「デモクラシー」の文化理念を積極的に打ち出しているのではないかとわたしは考え、この仮説を提示してみるのである。そしてマンが「デモクラシー」の否定から「デモクラシー」の肯定へ転じた正当な理由も、「デモクラシーの小説」としての『魔の山』に見いだされるのではないかと思われる。
 これは実はトーマス・マン本人も大まかに想定していたことである。彼はもっぱら先のハンス・カストルプの雪中夢に現れた新しいヒューマニティーの理念に拠って、自身の戦後の「デモクラシー」への肯定的姿勢を正当化しようとした。だがこれは『魔の山』解釈としては、雪中夢にアクセントをかけすぎており、いかにも不十分と言わざるをえない。わたしは『魔の山』が全体として「デモクラシー」の理念を体現していると考える者である。『魔の山』は戦前から戦後への時代転回において顕著になった「デモクラシー」の文化情況と対峙するなかで、「デモクラシー」の文化の何たるかを模索し、それをポジティヴなかたちで打ち出そうとした小説であると考えることができる、というのがわたしの仮説の志向するところである。
 ここまで「デモクラシー」という概念を明確に定義することなく使ってきたが、上述から推察できるように、わたしはこの概念を政治・社会的な意味にではなく、もっぱら文化的な意味において使用している。『魔の山』においては、政治的・社会的な意味の「デモクラシー」ではなく、文化的な意味でのそれが問題になっている。それは世界観の相対主義的・多元主義的情況として小説中で表現されているが、しかしそれはあくまで出発点であって、いまだ積極的なものにはなっていない。文化的な意味での「デモクラシー」はポジティヴなかたちにおいてはすこぶる不明瞭である。文化的な意味での「デモクラシー」をポジティヴなかたちで打ち出すことが『魔の山』の最終的な目標である。そうなってはじめてわたしの仮説、「『魔の山』は『デモクラシーの小説』である」ということが十全に証明されたことになる。
 ただし、「デモクラシー」が文化的にポジティヴなものになるには大きな困難がある。それは「デモクラシー」が「何のために?」という根源的な問い、つまり「生の意味」や「死の意味」への問いに積極的に答えることに困難を負っているということである。文化はそもそもこうした究極的な「意味」を与えることを至上の使命としてきた。しかし「デモクラシー」は相対主義や多元主義に立つことで、究極的な「意味」なるものを放棄し、悪くすれば「無意味」を帰結する(ニヒリズムに陥る)ことにもなりかねない。「デモクラシー」は文化概念としてネガティヴな性質を孕んでいる。「デモクラシー」は「何のために?」という「意味」への問いにネガティヴに対している。わたしはそれを「デモクラシー」における「意味のアポリア」と呼ぶ。『魔の山』という小説はこの「意味のアポリア」に応答しようとし、そうすることで「デモクラシー」の文化のポジティヴな規定を試みたのである。
 「『魔の山』は『デモクラシーの小説』である」という仮説にもとづいて、この小説の解釈を行なう本論は前後大きく二つに分かれる。前半はアプローチの部であり、5章より成る。以下、章ごとに概要を述べる。
 
第1章:思想史的アプローチ

本章は『魔の山』の成立期、すなわち第一次大戦前から戦中、そして戦後にいたる時期におけるトーマス・マンのデモクラシー思想を追う。先述したように、マンは戦中のデモクラシー反対から戦後のデモクラシー支持へ「転向」したとされるのだが、その実情はどうであったかを彼の思想に即して見ていく。まず戦前には、マンにとってデモクラシーは彼のメンタリティーのなかではイメージとして存在していたが、思想的には反省を加えられておらず、はっきりした輪郭をもっていなかった。戦争が始まると、彼はドイツの戦争を支持する論考を発表して、多くの批判に見舞われる。そのなかでも兄のハインリヒ・マンの攻撃は辛辣であり、この兄が奉じるデモクラシーに対して、トーマス・マンは脅威を感じる。『非政治的人間の考察』はこのデモクラシーに対する反駁書として書かれる。デモクラシーはそこで反ドイツ的なものとされ、何よりもハインリヒ=「文明の文士(Zivilisationsliterat)」が見せる倣岸無恥な精神的態度として排撃される。ただしこれはデモクラシーの思想的理解としては浅く、マンもそのことに半ば気づいていたようである。戦後になると、マンは革命下のミュンヒェンに身を置きながら思想的彷徨を続けるが、基本的には『非政治的人間の考察』の立場を保ち続ける。1922年10月の『ドイツ共和制について』の講演において彼はデモクラシー支持に出るが、このときデモクラシーは「国家と文化の統一」として捉えられ、それはまたドイツの理念と並べられ、「ドイツ・デモクラシー」というナショナルな定式を得るにいたる。つまりナショナル・デモクラシーとしてデモクラシーは思想的に是とされるのである。「転向」という非難に対して、マンは「思想(Gedanken)」は変化したかもしれないが、「意味(Sinn)」は不変であると答える。そこで言う変わらぬ「意味」とはヒューマニティーの理念、ドイツ的人間性の理念であり、マンは戦争中から一貫してこの理念に忠実であったという。デモクラシーもこのヒューマニティーの名においてつかまれている限り彼にとって正当であるとされる。マンのこの抗弁は一理あるが、しかしそのような「意味」はこの『共和制』講演などのマンの思想的営為においてよりもむしろ芸術作品のなかに探られるべきである。ここではつまり『魔の山』のなかにである。『魔の山』のなかでデモクラシーの「意味」が開示されているかどうかが問題である。

第2章:物語論的アプローチ

 本章は『魔の山』の特異な語りのありよう、語り手の存在に着目して、物語論的見地から、その特徴を明らかにする。『魔の山』の語りの特徴を端的に示す「序文(Vorsatz)」と始まりの節「到着」を検討した後で、F・K・シュタンツェルの言う「作者的語り(auktoriales Erzählen)」の諸規定と『魔の山』の語りを比較していく。そこから典型的な「作者的語り」からはやや逸脱する語りの傾向が見えてくる。『魔の山』の語り手は原作者としての権威を完全に手にしてはおらず、登場人物および読者に依存した語りをしている。その端的な表現が「われわれ(wir)」という語り手の一人称複数の自称である。この „wir“ は登場人物や読者を含み得る人称であり、この „wir“ を通じて語り手、登場人物、読者の親近的な関係が生まれてくる。ここに「デモクラティックな語り」の可能性を認めることができるだろう。それは「人格=人称の多重化」という事態であり、『魔の山』は「われわれの物語(Wir- Erzählung)」という性格を示すことになる。

第3章:登場人物論的アプローチ

ここでは『魔の山』の主要な登場人物の一人、セテムブリーニが取り上げられる。というのは彼は従来、小説のなかのデモクラシーの理念の担い手と見なされてきたからである。彼のデモクラシーがいかようなものか再検討してみる。セテムブリーニは先のハインリヒ・マン流の「文明の文士」としてまず現れる。セテムブリーニの言動は「文明の文士」を思わせる表現に富んでおり、さらに彼の話しぶりにいたっては「文明の文士」そのままである。しかし彼は「文明の文士」だけに尽きるような単純な人物ではない。彼の複雑さを暴露するのは、後に登場するナフタである。彼はセテムブリーニの論敵として、この啓蒙家の隠れた性向を引き出してみせる。そこでセテムブリーニはかなり熱烈なナショナリスト、好戦家として、また無自覚な金権論者として、そして非合理主義の伝統に関わるフリーメーソン会員としての相貌を垣間見せる。彼は思想的に西欧的・市民的デモクラシーの伝統に立つが、ナフタの批判を通じて、この種のデモクラシーはいまや危殆に瀕していることが明らかになり、セテムブリーニ自身もそのために自己矛盾に陥っていることが露わになる。彼は『魔の山』においてポジティヴな意味でのデモクラシーの担い手ではありえない。セテムブリーニに『魔の山』のデモクラシーの可能性を見いだすことはできない。

第4章:作品史的アプローチ

 ここでは『魔の山』の前のトーマス・マンの長篇小説『大公殿下』(1909)を取り上げ、『魔の山』との作品史的連関を探り、マンのロマーンの発展傾向を跡づける。そこで特に注目されるのはこれら二つの長篇においてメルヒェンが重要な役割を果たしていることである。『大公殿下』では予言や俗信のかたちをとったメルヒェンのモチーフが物語を主導していく。『魔の山』では神話的なるものに対抗するようにメルヒェン的なるものが機能している。「雪」の章ではこれが特に顕著に認められる。『魔の山』の中心的理念の表現と見なされる雪中夢をメルヒェンの観点から再検討してみる。二つの小説のメルヒェン的な性質にデモクラティックな特質が共通して見てとれるが、『大公殿下』ではそれはまだかすかな徴候にとどまり、『魔の山』において大きく開花することになる。

第5章:メディア論的アプローチ

 『魔の山』の世界には珍奇な器機がいくつも現れる。それらにはメディアの性質が備わっている。体温計、レントゲン、映画(ビオスコープ)、蓄音機、そして霊媒の五つのメディアをそれぞれ検討し、それらが人間の生と死の意味を媒介するさまを追う。これらのメディアは非常に両義的な世界を現出させるが、そのことがデモクラシーの「意味のアポリア」に一役買っている。ハンス・カストルプはこれらのメディアに接して、生と死の意味の揺らぎを味わう。そしてどちらかといえば、死の意味に引きつけられる。

以上の前半5章のアプローチに続き、後半5章は『魔の山』の重要な諸テーマに沿って「『魔の山』のデモクラシー」の積極的な提示に当てられる。

第6章:時間

 『魔の山』は「時間小説(Zeitroman)」と呼ばれる。語り手も「時間小説」であることを自ら明かしている。そこでは「語りの時間(Erzählzeit)」と「語られる時間(erzählte Zeit)」とが幻惑的な関係をもち、この二つの時間の間の差異により、物語特有の過去の時間、「むかし」が生まれてくる。『魔の山』の語り手は「過去形の巫術師」としてハンス・カストルプの「むかし」話を聞き手/読者に語って聞かせる。語り手と聞き手/読者の間にはこのとき「回想(Erinnerung)」という時間流が生じている。ベンヤミンによれば、「回想」は叙事的なるもののミューズであり、物語においては「記憶(Gedächtnis)」、小説においては「想起(Eingedenken)」に分化するという。『魔の山』は物語の伝統に連なって「記憶」に拠って立つが、しかし同時にまた近代の小説として「想起」を必要とする。ところで近代の小説は「先見的な故郷喪失の形式」(ルカーチ)として「生の意味」をはじめから欠いているが、小説はその代わり時間を本質的な要素として失われた「生の意味」へ近づきうる。その際、「想起」という時間のありかたがこの「生の意味」への接近を促すのだが、さしあたりそれは死者の「想起」、登場人物(特に主人公)の死の「想起」というかたちをとる。『魔の山』では主人公ハンス・カストルプの戦場での死の前に、第6章末で従兄ヨアヒムの死が描かれ、その死はハンス・カストルプおよび読者の「想起」の対象となる。そうしてヨアヒムの「死の意味」がしだいに明らかになってくる。やがてヨアヒムの死と連なり重なるかたちでハンス・カストルプの死が訪れ、それが読者の「想起」を促し、「生の意味」への予感を育む。『魔の山』は「時間小説」として「回想」の時間流を物語的「記憶」と小説的「想起」に多重化し、「死の意味」および「生の意味」の喪失に対抗する。こうした「時間=時制の多重化」に「デモクラティックな語り」の可能性を見ることができる。

第7章:メルヒェン

 第4章で見た『魔の山』のメルヒェン性をさらにつっこんで検討する。その際、主にグリムのメルヒェンを参照する。ハンス・カストルプは「単純」な性格の持ち主であるとともに、「狡猾」な性格を備えているが、この二重性は典型的なメルヒェン的主人公の特質に他ならない。また彼のメルヒェン的主人公としての地位は二人の脇役(フェルゲとヴェーザール)の存在によってもっとはっきりする。「雪」の章で範例的なかたちで表された神話的なるものとメルヒェン的なるものの対照は『魔の山』の全体にも当てはまる。神話的世界(『魔の山』の世界)にメルヒェン的人間(ハンス・カストルプ)が入っていくのである。この人間像は『魔の山』では「子ども」に喩えられる。メルヒェンにおける「子ども」の特性(孤児、継子、末っ子など)をハンス・カストルプは体現している。そうした「子ども」観がゆくゆくは『魔の山』のヒューマニティーの理念につながっていく。メルヒェンは孤独でかつ普遍的な結合可能性をもった人間像を描き出す(マックス・リュティ)が、ハンス・カストルプはそういう人間として、神話的世界のなかにおける人間の生活形式を夢見るのである。そうした「メルヒェン的生活形式」というものにデモクラシーのありうべきかたちを見てとることができる。

第8章:権力

 ここではハンス・カストルプを取り巻く『魔の山』の特異な登場人物たちの権力=支配関係を詳しく見ていく。ハンス・カストルプは彼らとの交わりを通じて、「レギーレン(Regieren)」という統治の術――子どもの遊戯らしく「王様ごっこ」と訳す――を洗練させていく。まずは主たる登場人物のペア関係に着目して、(1)ハンス・カストルプとヨアヒム、(2)セテムブリーニとショーシャ、(3)セテムブリーニとナフタ、(4)ショーシャとペーパーコーン、の順に権力関係を整理する。そこから見えてくるのは、「軍律」と「性愛」という大きく二つの権力要素である。前者は硬化的な権力、後者は解体的な権力である。この二つの権力の背後には死という人間にとって絶対的な権力が潜んでいる。この死という権力をいかに統治するかがハンス・カストルプの「王様ごっこ」の究極の課題である。ハンス・カストルプ以外の男性の登場人物たちは「軍律」と「性愛」、そして死に対して「男らしい(männlich)」態度で臨もうとする。それは具体的には「男性同盟」という軍隊的に厳格で、またホモエロティックな絆にもとづいた組織の結成を彼らに促すが、ハンス・カストルプはそこから離れていく。彼はショーシャの発した „mähnschlich“(強いて訳せば「ネーンゲン的」)という言葉に触発され、„männlich“ ではない、„mähnschlich= menschlich“ な「王様ごっこ」を遂行しようとする。その表現がショーシャとペーパーコーンとの「二重同盟」である。「男性同盟」が男性優位の、排他的な権力組織であったのに対し、こちらの「二重同盟」は男女との、開放的な権力組織である。ハンス・カストルプは「軍律」と「性愛」、そしてその背後の死に対して、„mähnschlich= menschlich“ に臨んで、死に「創造的な原理」を見ようとする。男性同盟者たちが死の支配に結局は屈服してしまったのに対して、ハンス・カストルプは死に囚われない。彼は死を創造的なものとして、死から生への道を模索する。このようなハンス・カストルプの権力統治の方法にデモクラティックな性格を見てとることができる。

第9章:音楽

 音楽は『魔の山』のいたるところで鳴り響いており、『魔の山』は音楽作品に喩えられることが多いが、具体的に音楽はどのような機能をもっているのだろうか。ハンス・カストルプは音楽をこよなく愛している。彼の旅は音楽に伴なわれており、彼は音楽を通して決まって死に出会う。『魔の山』全体に目を転じてみると、音楽はそこで、ニーチェが『悲劇の誕生』で概念化した「ディオニュソス的なるもの」に照応している。『魔の山』はニーチェの説に倣って、音楽を基底に据えたギリシア悲劇として現れる。二面的に構成された雪中夢のヴィジョンはまさしくアポロ的なるものとディオニュソス的なるものとの結晶である。このようにニーチェの『悲劇の誕生』を下敷にした『魔の山』はいきおいニーチェがそこで「悲劇の再生」として賛美したヴァーグナー音楽を言祝いでいるように見える。『魔の山』にはヴァーグナー音楽の特徴が顕著であり、ロマン主義に浸されている感が強いのである。しかしニーチェが後年『悲劇の誕生』の自己批判を行ない、ヴァーグナー批判に転じたように、『魔の山』もヴァーグナー音楽への心酔には終始しない。エルンスト・ベルトラムがそのニーチェ論で強調した、ニーチェの「自己克服(Selbstüberwindung)」のヴィジョンが『魔の山』でもシューベルトの『菩提樹』の歌(それはロマン主義およびヴァーグナー音楽の比喩である)に寄せて現れる。この歌を口ずさみながら戦争に突入していくハンス・カストルプにニーチェの「自己克服」のヴィジョンが投影される。それはもはやロマン主義の世界と音楽のための死ではなく、何か「新しいもの」のための死である。ロマン主義および音楽の「自己克服」のかなたにはおそらくデモクラシーが、それも近代西欧的なそれではなく、古代ギリシア的なそれが望まれるだろう。

第10章:イロニー

イロニーは『魔の山』最大の語りの特徴であるとともに、そのテーマでもある。『魔の山』の形式と内容の統括原理となっているイロニーを論じることなしに『魔の山』を論じることはできない。イロニーは第一次大戦期のトーマス・マンにおいて、デモクラシーと「あれかこれか」の二者択一の関係で捉えられていたが、しかしイロニーに本質的に備わる仲介的な性質がこの対立を揺るがせることになる。『魔の山』ではイロニカー、ハンス・カストルプがその「単純」かつ「狡猾」な性格をもって、さまざまな関係の糸を紡ぎ出していく。このイロニーの情動は「関心(Interesse)」と呼ばれている。それは認識するとともに献身し、懐疑しつつ愛するという独特なエートスであり、パトスである。このイロニーが『魔の山』全体にも浸透している。それは「両義的な手続」と呼ぶことができる。イロニーは常に意味の揺らぎを生み出すが、その意味の揺らぎこそがデモクラシーの「意味のアポリア」への積極的な応答となりうる。デモクラティックな「中心なき文化」(リチャード・ローティ)へイロニーは奉仕するのである。

最後に、『魔の山』の結末の戦争について論じる。戦争は『魔の山』という小説の限界を超える出来事である。歴史的にも第一次世界大戦というものはそれまでの歴史の流れを破る大事件であった。それは物語的な経験としては語りえない経験であった。『魔の山』の語り手もこの語りえない経験を前に畏縮してしまい、語ることをやめようとする。しかしそれでもハンス・カストルプの姿をあと一目だけ見ようとする。戦場をさまようハンス・カストルプの傍らにはヨアヒムの姿がぼんやり浮かんでくるだろう。読者の想起がヨアヒムの姿をこの戦場に呼びこむのである。そして語り手は最後に二人の兵士の死を語り、ハンス・カストルプに別離の挨拶を送る。ここで読者は主人公の死を想起し、その死の意味に思いを馳せることになる。この『魔の山』の最後は戦後デモクラシー――ドイツでは敗戦後デモクラシー――への展望を宿している。(敗)戦後デモクラシーでは戦争の死者たちの死が無意味化する傾向があるのだが、『魔の山』はこれに抗う。(敗)戦後デモクラシーのいわば初発の問いである、戦死者たちの死の意味への問いに『魔の山』はその最後をもって答えようとする。そうして過去と未来、戦前と戦後、戦争と敗戦を切り結ぶことによって、『魔の山』は戦争の死者の死の意味から敗戦後を生きる読者の生の意味への希望を汲み、(敗)戦後デモクラシーへの寄与をなすのである

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