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博士論文要旨

論文題目:戦後日本における男性単独稼得規範の普及に関する一考察
著者:宮下 さおり (MIYASHITA, Saori)
博士号取得年月日:2006年3月28日

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1.本稿の課題と背景
本稿は、戦後日本において男性単独稼得規範、すなわち「男性は一家の稼ぎ手であるべきだ」という規範が広範な諸階層に広まっていく過程を、中小企業労働者層に着目しながら、実証的に明らかにしたものである。この規範は、近代家族の成立と展開において、不可欠なものである。また、男性が企業秩序に従順で勤勉な労働者となる際に、重要な役割を果たしてきた観念である。男性と男性に関する規範の変化についての歴史実証的な検討は、日本においての蓄積が薄く、近代家族成立と勤勉性を旨とする近代的労働者の大量創出との成立の関連と、その力学に迫ることができていない。本稿は、そのような研究動向の空白を補うことを課題としたものである。
 1980年代以降の日本において、フェミニストは過度に企業秩序に包摂された「会社人間」という日本の男性像を「発見」し、それが過度に強固な性別役割分業を下支えしていることを批判してきた。つまり、戦後日本の男性は、家庭において稼得役割しか担うことなく、家族や地域と希薄な関係しか持たない存在であり、そのために女性が一手に家事・育児を担わなくてはならなくなるというのである。これは、戦後日本社会に過度に男性単独稼得規範が浸透した結果である。この構造的パターンを掘り崩す道筋をさぐるためには、そのような事態が発生した理由をあきらかにすべく、この男性性の特徴が形成されてきた過程とそこで働いた諸力を析出することが、重要である。
このことは、戦後日本における近代家族の展開とその特徴を、男性性という観点から分析することでもある。戦後日本における近代家族の大衆的普及過程に関しては、仮説的な説明がいくつかなされたものの、まだ未解明の部分が多い。しかしそれらは共通して、高度成長期にそれまで階層によって多様であった生活様式が近代家族的な生活様式へと一元化したことを指摘している。このような文化的収斂は、時期的に見て、男性単独稼得が規範として労働者階級にも普及していくことと密接に関わっていると想定される。それは、家族を養うためには男性稼ぎ手が「会社人間」として企業秩序によりそって生きるべきだという価値観を準備し、企業社会への統合を阻むような対抗的階級文化を弱化させたという点で、低成長期以降における企業社会の大規模な展開を促したと考える。

2.本稿における方法的視角
 なお、本稿において歴史過程に着目し、大企業労働者文化のヘゲモニー獲得/中小企業労働者文化の衰退という雇用労働者文化の動態とそこでのジェンダー関係を、そこに関与する集団・個人主体の力学から捉えようとした理由は、オーストラリアの社会学者Robert W. Connellによるジェンダーの社会理論に本稿が依拠しているからである。
Connellの議論は国際的に高い評価を得ており、その主著は邦訳もなされているにもかかわらず、日本での取り上げられかたはきわめて不十分なものである。しかし、Connellの議論は1980年代における「フェミニズムの第三の波」が要求した「差異の政治」という問題意識を取り込みつつ、人々の日常的実践をマクロな社会構造と社会運動に結びつける分析視角を一貫して採用しており、依拠するに値する議論である。
彼の最重要な方法的スタンスは、以下の部分にある。まず一つには、いかにしてジェンダー関係が現在のような形で組織されるようになってきたかという問いを発し、その過程における集団間の闘争や個人の自己投企、すなわち積極的なアイデンティフィケーションの様相を捉えるべきである。それと関わることであるが、第二に、社会構造は所与のものではなく、歴史的に構成されたものであり、対立や抵抗の水準変化に応じて、構造化の強度や一貫性が変化するとみなすべきである。また第三に、具体的諸個人の生活のレベルにもそのような変動が現れることから、性格構造としての男らしさ/女らしさの変動をも視野に含めることが、このような過程を把握する際に、きわめて有用な手段となることである。要するに分析者は、ミクロからマクロのレベルに至るまで、広い意味におけるジェンダーの「政治」を理解するよう努めなければならない。
その点で、近年において提起されている労働組合による「家族賃金」の呼びかけや、大企業による労働者の生活指導という問題にアプローチするやりかたは、Connellによるジェンダー研究の方法論的提起にかなうものとして評価できる。

3.本稿における知見
 本稿においては、戦後における中小企業労働者文化の衰退が、単独稼得規範の普及を決定的なものにした過程を、そのもっとも典型例と位置づけられる印刷業における調査をもとに検討した。それによると、高度成長期前、高度成長期、低成長期以降における男性性は、時代毎に次のように特徴づけることができる。

(1) 高度成長以前
 都市中小企業労働者男性にとっては、男性どうしの労働者ネットワークに支えられながら、一社に定着せずにさまざまな経験を積み、高い稼ぎを得ることが自己の能力の証であり、威信の源であった。高い稼ぎは「家族を満足に養う」ことができるから評価されたのではなく、それそのものが男性のなかで評価され、価値があるからこそ重要なのであり、家族との関係はそこでは問題ではなかった。男性たちはおもに職場における男性同士の強い絆のなかで生きており、そこでの関係こそを重要していた。
男性は会社への定着から距離をとった存在であり、また自己の家族における位置づけや家庭生活に対して関心を持たなかった。女性を労働力として劣った存在としてみなしつつも、しばしば稼得責任を妻に押しつけることもあり、男性が一家の稼ぎ手であるべきという規範は、きわめて弱いものであった。

(2) 高度成長期

 ところがこの文化は、高度成長期において社会の近代化を阻害する悪しき旧弊として、否定されるようになる。高度成長期の労働力不足のなかで、安定した労働力の確保の必要性と、中小企業労働組合運動の高揚に対抗するために、中小企業では急速に経営の近代化を図る動きが出現した。そこでは大企業に倣い、福利厚生を整えることで労働者の生活安定を図る体制を整えていった。ただし、この動きはすべての経営者によって支持されたものではなく、従来の文化を支えた労働慣行をなくしてしまうには至らなかった。
 男性たちは労働者のネットワークを基盤として一社に定着することなく移動し、男性同士の強い絆のなかで生き続けた。その文化において、家庭領域は軽んじられるものであり、女性が家事・育児に専念することも、男性が家事・育児に専念する妻を扶養することも、意味があることとして捉えられていなかった。
 しかし同時に、そのような労働・生活に関する文化は、労働者の一部に生まれてきた生活革新の思想-労働者は規則正しく自己を規律する生活を送らなければならない-の中で、否定されるようになる。この思想は、勤労と余暇の調和、生活設計と自己規律を旨とするものであり、私生活のありかたを公的な議論の俎上に上げて、集合的に変革しようとするものだった。そこでは、男性はこれまでとは異なる、より「高次」の文化的生活を営むべきであり、よき父、よき夫として家庭における位置を十分に自覚すべきであるとされた。労働組合運動は基本的にこの立場をとり、旧来の労働者文化を無自覚で非文化的なものであるとして否定したのである。しかしそれが、「女性は第一に主婦である」という発想に結びつくとは限らなかった。しかし、そのような女性の就労に対する考え方の違いがあったとしても、従来の文化を否定しようとする方向で、労働組合運動はおおよそ一致していた。
 その結果、高度成長期の中小熟練労働者層には自らを一家の稼ぎ手とすることに意義を見いださない男性性と、自らをそう定義づけることこそが正しい男性のありかたであるとする男性性との両方がみられるようになっていた。

(3) 低成長期以後

 低成長期には、高度成長期以前の都市労働者文化の基盤となっていた労働慣行とその職場が、本格的に消滅していく。しかし、その過程は比較的緩慢なものであった。技術革新に際して、経営側・労働組合側は雇用保証を第一とするという方針で一致しており、そこで活版工は他の工程に移るなどして、どこでも通用する技能を持つ熟練工としてのアイデンティティを放棄し、一社に定着することになった。
 活版職場において存在したような労働者のつながりを持たずに育った世代には、男性が一家の稼ぎ手であるということに意味を見いださず、女性の家事・育児を軽視するという姿勢はみられない。高度成長期に整備されていった長期勤続正社員を優遇するシステムが低成長期に定着するとともに、男性は一家の主たる稼ぎと職域福祉によって家族の生活を支えようとする勤勉な労働者を志向するようになった。
 男性が男性どうしのネットワークに主たる関心を抱き、そのなかに強く結びつけられている状況から、その関心が「家族」や女性に向いていくという変化は、「男性は一家の稼ぎ手/女性は主婦」という近代的性別役割分業規範の成立に結びついた。
 家庭における男性の役割を意識化するためには、男性どうしのコミュニティからいったん男性個人をひきはがすことが必要であった。高度成長期において旧来の男性コミュニティを否定しようとする国家、経営者や労働者の諸運動は、かならずしも単独男性稼得規範の普及を意図したものではなかったが、それは結果としてその規範の普及に決定的に寄与した。

 この三段階にわたる変化の過程を、より労働者個人が抱える社会関係や意識の問題にそくして考察するならば、男性単独稼得規範と近代家族の成立には、高度成長期以降に男性どうしの社交が衰退し、家庭に関心が向けられたことが決定的に重要であったことを指摘することができる。中小企業労働者層をとってみたとき、戦後の段階で男性たちは職業を基盤とするネットワークを作り上げていた。それは彼らにとってきわめて重要な関係であった。彼らは長い労働時間をともにするのみならず余暇をともにすることで、労働者間のつながりを作り、情報を交換していたが、それはよりよい職場を見つけるためにも、また職長的な立場の労働者が必要に応じて労働者を雇い入れる職務を遂行するためにも、重要であった。生活のほとんどを、職業を中心とした男性どうしのつながりの中で過ごす状態においては、男性たちにとっての関心事は、このような男性集団内部で自己が位置づけられ、評価されることにとどめられた。このようなつながりに男性が絡めとられている限り、男性は「女・子ども」との関係を軽んじるべき領域としてみなし続けるのであって、家庭生活の質に対する意識は薄いものとなる。
 それに対して、高度成長期にはこのような男性どうしの社交のありかたが、批判の俎上に上げられ、さらには男性どうしのつながりが徐々に切断されるようになった。なぜここで、男性がより広い生活に関する積極的関心を抱くようになったのかという問題は、今後において深めていくべき検討課題として挙げられるが、この事実の発見は本稿の主要な成果である。
 中小企業労働者層の男性にとって重要な社会関係、社会集団は、高度成長期を転機として、大きく変化した。この時期における男性の家庭に対する関心は、一方で男性単独稼得規範を普及させる重要な契機となったが、一方で、男性にとって女性が親密な関係の対象となるという変化を生み出し、男性がジェンダー関係の平等化について考える契機となっている。男性の家庭への関心という歴史的事態は、その両側面から評価されなければならない。

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