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博士論文要旨

論文題目:高年齢者雇用と人的資源管理システム―同一企業内における雇用継続、移動による雇用継続―
著者:高木 朋代 (TAKAGI, Tomoyo)
博士号取得年月日:2005年12月14日

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1.はじめに

高年齢者雇用は、高年齢者生活の質の確保といった社会的厚生の観点からのみ問題となるわけではない。これからの日本社会の活力の維持、そして個別企業の経営上の重要な要素である人的資源のマネジメントという観点から見て、高年齢者雇用の可能性を検討することは、経済社会の重要な課題と見ることができる。そしてまた、誰にでもいずれ訪れる高齢期をどのように過ごすのか、その選択肢に係わる個人の生き方における尊厳の問題でもある。本論文は特に、高齢社会におけるプロダクティブ・エイジング(productive aging,生産活動に参加しながらの加齢)の側面に着目し、高年齢者雇用の拡大に向けて、これからの企業の人的資源管理に求められる新たな視点について検討する。
確かに現状では、60歳定年が企業の雇用管理において主流であり、定年以降も希望どおりに就業できる高年齢者は少数派である。また、就業を望む高年齢者に就業機会を提供していくことのできる企業も多くはない。しかしその中にあっても、定年後の雇用継続や他社への移動によって就業を実現している高年齢者はいる。また持続的な高年齢者雇用を実現させている企業も確実にある。はたして、どのような人的資源としての要件が、高齢期の就業を成功させているのだろうか。また高年齢者雇用を持続的に実現するためには、どのような人的資源管理が企業に求められているのだろうか。そして結局のところ、高年齢者雇用の拡大に向けて、企業や個人はともにどのような取り組みに労力を傾斜させればよいのであろうか。日本社会における高年齢者雇用実現の包括的なメカニズムを、理論的・実証的に解釈することが、本論文の主要な目的である。


2. 問題意識

近年の労働力人口の高齢化、減少化問題、そして年金財政問題を考えれば、高年齢者雇用を推進することが、社会的に見て、また個々の企業においても重要な課題であることは間違いないが、しかし企業を取り巻く経済情勢は厳しく、実際に高年齢者雇用を実現していくことは容易ではないと察せられる。しかし高齢期の雇用継続に成功している高年齢者は確実におり、また高年齢者雇用を実現している企業もある。本論文の目的は、そのような高齢期の就業を実現している高年齢者の人的資源としての要件およびキャリア特性と、持続的な高年齢者雇用を実現する企業の人的資源管理のあり方を探究することにある。そして最終的には生涯現役社会の実現に向けて求められる視点を提供することを目指し、調査研究を行った。
まず本論文が最初に提起した問題は、高年齢者は本当に社会的弱者なのか、という点である。本論文では、「高年齢者=生産活動に貢献し得る人材」という想定を置くことから議論を開始しており、この根拠となる議論は2つある。第一は、今日高年齢者雇用を阻んでいるひとつの原因であるエイジズム(ageism,年齢に基づく主として高年齢者に対する差別)の形成プロセスを国内外の史実に照らして見ていくと、「高年齢者=社会的弱者」と見なし生産社会からの撤退を期待する考えは、工業社会における年金・社会保障制度の発展と共に定着した、比較的最近の思想であると考えられる。つまり高年齢者を弱者とする考えは、工業化によってもたらされた社会構造の変革下において与えられたひとつの位相に過ぎないのであり、近年提唱されている「プロダクティブ・エイジング(productive aging, 生産活動に参加しながらの加齢)」論(Butler & Gleason, 1985)によって、こうした考えを打破する余地が充分に残されていると考えられる。
第二に、雇用の主要な担い手である企業にとっての高年齢者雇用、すなわちプラスα年の雇用延長の意味を考えた場合、社会的要請としての高年齢者雇用を、経済組織としての経済性追求活動に結び付けて行うことが、持続的な高年齢者雇用のためには必要と考えられる。この時、定年退職を「保険料総和=年金給付総和」に至る時期とする社会老年学者Atchley(1976)の解釈の下では、プラスα年の雇用延長の条件は、保険料の引き下げもしくは年金額の引き上げによってしか成立し得ないため、わが国の年金財政の現況を鑑みるならば、現実性を欠いているといえる。他方、定年退職を「賃金総和=貢献度総和」とする労働経済学者Lazear(1979,1998)の解釈の下では、賃金カーブの勾配を緩める、もしくは従業員の貢献度を引き上げる、という検討可能な議論が行い得ると想定される。つまり、高年齢者雇用の問題は、企業の経営と管理、特に人的資源管理の観点からの検討が重要と考えられる。この考えに基づき、まずはじめに「高年齢者=生産活動に貢献し得る人材」という想定を置くことが、本研究の出発点である。
本論文はこのように、これまでのエイジング研究の主流であった社会保障論(social security)や、高年齢者の社会的厚生(social welfare)やメディケア(medicare)に主眼を置く老年学(Gerontology)の枠組みを超えて、企業の経営と管理という俎上において、高年齢者の自立、労働権確保の問題、すなわち高年齢者雇用拡大の議論を展開していく。こうした本論文の趣旨により、研究対象として、ここでは企業に雇われ就業する雇用労働の分析に焦点を絞っている。その上で、従来と同じ企業において継続的に就業する「同一企業内における雇用継続」の場合と、関連会社や関係会社を含む他企業に移動して就業を果たす「移動による雇用継続」の場合の両方を視野に収めて分析を行った。
なお前出AtchleyおよびLazearの退職理論の基本にあるのは、生物的機能の低下により、社会と当該高年齢者の双方が社会からの撤退を期待しているとする「離脱理論(disengagement theory)」(Cumming and Henry,1961)である。しかしこの概念は、現代日本の職業労働意識と相容れないものがある。例えばこの考えの下では、定年制が無くとも年金給付年齢に達することで、高年齢者は「収入を得る方法として追求される生活の一要素に過ぎない(Atchley,1972)」職業労働から自発的に退職していくと想定されている。しかし日本の場合には、年金給付年齢に達することで、高年齢者が自発的に退職していくとの想定は成立しないと思われる。また同時に、現状のままで、企業が定年後も働きたいと考える高年齢者を雇用し続けることができるとも考えられない。
日本には、未だ仕事を天職(vocation)、技能(craft)と考え、一種の使命感を持つものとして捉える気質が残っているように思われる。日本の労働者は、その天職、技能である仕事をより高い次元で達成するために、自分の能力開発にも熱心であり、仕事を通じて自らの目標を達成しようとする意識、その個人目標と企業目標とを一致させ、これを実現する場である企業と一体化しようとする志向性が強いと考えられる。
このような日本の職業労働意識の特徴は、日本は他国と異なる様相を描きながら、現在の高齢社会に到達したのだということを気付かせる。このことは、他の高齢諸国の経験や諸制度の一部は確かに日本の高齢社会の参考となり得るが、全てを転用することができないことを意味している。日本には日本独自の高齢社会の姿があるはずである。そのためには現代日本の高齢社会の現状を見極め、これに即した高年齢者雇用実現の筋道を考えていくことが求められる。本論文は、企業の現状に即した高年齢者雇用論の展開を目指し、実証研究とその結果の解釈を通じて、この課題を明らかにする試みである。
なお2004年の高年齢者雇用安定法の改正(平成16年法律第103号)により、公的年金の定額部分支給開始年齢と合わせて、最終的に65歳までの雇用を確保することが義務化されるに伴って、65歳定年制や年齢差別禁止に基づく定年制廃止論、いわゆるエイジフリー論が高年齢者雇用研究においても活発化した。この議論に関して本論文は、これらの制度改革を企業が即時に実行することは困難であり、少なくともこのような理想的社会に軟着陸するためには、幾つかの段階を踏む必要があると考えている。その第一段階として、60歳定年制があり、その後の雇用継続によって高年齢者雇用を実現しようとする一般的企業を分析の対象とし、議論を展開した。
3. 研究の方法

この課題に取り組むために用いた研究方法は、事例分析と統計的分析である。これに加え、二次資料分析を補足として用いている。定性調査は高年齢者雇用の先駆企業である製造業2社(A社:創業80余年、従業員数約6000名、産業機器製造業社、B社:創業110余年、従業員数訳18000名、プラント・産業機器製造業社)の人事担当者および定年到達者と、定年前転職者、出向・転籍者、およびその元上司、現上司、受け入れ企業の人事担当者へのインタビュー調査である。ひとりにつき1時間から延べ17時間、平均2時間、計100回、87名への個別インタビューを基本とする調査を行っている。なお対象者には雇用継続者の他に、不雇用継続者が含まれる。
また定量分析で利用されたデータは、ソフトデータとハードデータである。ソフトデータは2社の人事情報より収集されている。最終的に利用したデータは雇用継続者93名(うち統計分析に用いたのは80名)、出向・転籍を含む他社への移動による雇用継続者90名である。これらのデータに関しては、平成17年から施行された「個人情報保護法律(平成15年法律第57号)」に基づき、研究のためのみに使用し守秘義務を徹底している。
また一方のハードデータは2つあり、ひとつは日本労働研究機構が2002年に実施した「IT化がホワイトカラー労働者の仕事と職場に与える影響」調査のデータである。もうひとつは財団法人 高年齢者雇用開発協会が1998年に実施した「高年齢従業員の継続雇用に関する企業調査」のデータである。サンプル数はそれぞれ1225票、18542票となっている。なお前者は、執筆者自身が設計に参加した調査であり、日本労働研究機構より利用許可を頂いている。後者は東京大学社会科学研究所付属日本社会研究情報センターSSJデータ・アーカイブから提供をいただいている。
さらに二次資料として、調査企業2社の社内報および有価証券報告書、アニュアル・レポート、社史、労働組合員ガイドブック等が分析に用いられている。これらは主に人事データの抽出に必要な経営史他の史実関係の確認に役立てられている。
4. 〈第Ⅰ部〉 高年齢者雇用・就業問題の再解釈

前出Butlerらは、工業化とともに形成されたと目されるエイジズムの打破は、「高年齢者の労働権の奪回」によって実現されると主張した。こうした議論が、1967年に既に年齢差別禁止法が制定されていたアメリカにおいて展開されたことは、注目すべきことである。なぜならば、法的にエイジズムの禁止が制定されたとしても、人々の心の中では「高年齢者は『厄介者』であり『二流市民』である(Vincent,1995;安川,2002)」との位置づけが消えることはなかったことを示しているのであり、プロダクティブ・エイジング論の出現は、1980年代のアメリカには未だ年齢に基づく高年齢者差別の風潮が根強く残っていたことを裏付けているに他ならない。すなわち、職業労働に励む生産的な高年齢者の姿が、実際に社会の中で示されるのでなければ、エイジズムは無くならないのだということができよう。
それでは現在の日本において、高年齢者の雇用・就業はどの程度進展しているのだろうか。第Ⅰ部では続く実証研究の予備的考察として、高年齢者雇用の現況を確認し(第1章)、さらに高年齢者雇用研究とその関連理論について、これまでの既存議論を概観し、本論文の分析視角を示している(第2章)。

高年齢者雇用の現況(第1章)
 第1章では、現在の日本においてどの程度の規模で、またどのようなかたちで高年齢者雇用が行われているのか、さらに雇用政策の法的枠組みの状況について確認した。各種データを概観して分かったことは、第一に、高年齢者の就業意欲は極めて高く、一方企業の高年齢者雇用の実現は困難性を極めており、高年齢者雇用の現実には大きなギャップが生じている。第二に、高齢社会に向けて従来企業での雇用継続を中心に高年齢者雇用を推進していくことで、労使双方の概ねの合意が形成されており、法的制度としてもこれを奨励している。しかし高年齢者雇用の拡大に向けて、他社への移動によって高齢期の雇用・就業を拡大していこうとする流れも起き始めているということである。
特に着目すべきは、日本の高年齢者の高い就業意欲が、単に経済的理由のみによって駆動されているわけではないという点である。実際には高年齢者の資産保有額は概して高く、また各種調査によると、働く理由として生きがいや交友関係の形成、健康維持といった自己目的的な理由をあげる場合が多くなっている。また省庁統計を分析してみると、常に実年齢のプラス5歳を希望引退年齢に設定している傾向が見られることから、年金支給開始年齢の引き上げや在職老齢年金制度による年金収入制約が、就業意欲に影響を与えているとは必ずしもいえないと考えられる。こうした実態を鑑みるならば、自己目的的な意欲を持ちつつも、経済的基盤を自らで賄いながら、自助自立を試みようとする意志が、高い就業意欲となって現われていると考えられる。
そしてまた、定年到達後の就業形態としては、従来の企業での雇用継続希望者が極めて多く、こうした傾向はいずれの調査においても一様に確認できる点が特徴的である。概して高年齢者は、これまでに体得した知識や技能を活かした就業を希望していることが指摘できる。一方、他社に移動して就業を続けることを希望する傾向は、現状を見る限り微弱であるといえる。
次に企業がどの程度の規模で高年齢者雇用を実現させているのかを見た場合、次のことが明らかとなった。60歳定年制が一般的である現状において、多くの企業では、60歳以降の勤務延長や再雇用を行う雇用継続制度が設置されている。しかしながら制度の適用率は低く、実際に雇用継続される比率は極めて少ない。高年齢者の多くが従来企業での雇用継続を望み、また企業側も雇用継続によって高齢社会における社会的要請に応じていく姿勢を見せている中で、このことは、制度がありながらもそれが上手く機能していないことをうかがわせる。しかし高年齢者雇用全体でみたならば、従来企業での雇用継続は主流的な雇用形態といえることも明らかであった。雇用継続が困難となっている主要因は、高年齢者自身が自分の経験を活かせると考えている場での、当該高年齢者に対する労働需要が少ないこと、また企業側も厳しい経営情勢から労働需要をつくることができないことにあると考えられる。
このような現況を鑑み、今後の高年齢者雇用の可能性について、企業側には、自社での雇用継続を中心としながらも、定年前後で他企業に移動することで、高齢期の雇用継続を拡大させていきたいとする意向が見られていた。こうした傾向は、2004年改正高年齢者雇用安定法によって、65歳までの雇用が義務規定化されたことによって、ますます強まるものと考えられる。ただし外部労働市場を通じた転職の場合は、データを見る限り、現在のところ極めて厳しい状況にあるといえる。
次に、このような高年齢者雇用の現況を踏まえつつ、雇用促進法や安定法の制定および改正の経緯と、高年齢者雇用対策に関する閣議決定の内容に当たり、国の法政策について概観した。高年齢者雇用法の方針の主要は、従来型の人事管理のあり方を見直し、年金支給開始年齢に定年年齢を合わせるべく、65歳定年制の実現を最終的に目指すというものである。しかし本論文は、かつて55歳定年制から60歳定年制へと移行したときの経緯と比較した上で、60歳以降の雇用に関する法制化の問題点を次のようにまとめる。
第一に、65歳定年の法制化に関しては、実社会における61歳以上定年制の普及状況と、社会的要請の度合い、および企業の受容可能性の程度を見極めることが重要である。しかし企業の実情を鑑みれば、今回の65歳までの雇用延長の義務化の議論ですらも、現状では早急すぎる観がある。
第二に、雇用の主要な担い手である企業がどのような人事管理体制の下で、雇用継続および再就職が実現可能となるのかについて充分な議論がなされていない中で、現行の法的枠組みにおいて描かれている高年齢者雇用の将来展望は確証を持ち得ないことが指摘できる。企業の自助努力に任せて高年齢者雇用が進展するとは想定しがたい。賃金・処遇制度や能力育成をはじめとする企業の人的資源管理システムと高年齢者雇用との関係について解明がなされ、企業や個人がどのような取り組みに力を注げばよいのか、その方向性がある程度示されるのでなければ、たとえ法改正が行われたとしても現実社会はこれに応じることはできないと考えられる。
第三に、将来的に65歳定年の法制化、もしくは定年制自体の見直しによる高年齢者雇用の実現を展望するのであれば、まずこれに向けた第1段階として、着実に雇用継続、再就職の持続的な実現と拡大を目指すことが重要と考えられる。現行の雇用継続制度は、雇用確保措置の努力義務規定時代に高い設置率を実現したが、未だ制度適用率は低く、実際には運用されていないのが実態である。今後この制度が現実的に稼動するような仕組みや人事管理上の条件を、まず検討する必要がある。
以上が現状の高年齢者雇用政策における、60歳定年以降の雇用拡大に関する課題と捉える。本論文はこうした課題を踏まえ、企業の現状に即した高年齢者雇用論の展開を目指し、高年齢者雇用を実現する人的資源管理の仕組みを探索する。

既存議論のレビューと本論文の分析枠組み(第2章)
続く第2章では、本論文の分析視点を明確にするために、これまでの高年齢者雇用研究ではどのようなことが言われてきたのか、また本論文の議論枠組みを提供する関連理論について概観した。

(1)高年齢者雇用研究
これまでの研究の中心は、労働供給サイドである高年齢者の「就業行動の影響要因」を解明することに向けられていたといえる。ここでは特に、公的年金制度との関係が主要な課題とされ、いずれの研究も、公的年金制度が高齢労働者の就業に影響を与えており、公的年金の受給が高齢労働者の就業を抑制する効果をもつことを明らかにしている。またここから発展して、労働者が持つ個人属性や職務に関する特性を分析に組み入れる研究も行われた(清家,1993;清家・島田,1995;小川,1998;経済企画庁経済研究所,1998;清家・山田,1998;大橋,2000)。これらの研究は、どのような要因が、高齢労働者の就業・引退希望に影響を与えているのかを明らかにした点で意義がある。しかし、どうすれば就業希望をもつ高齢労働者が、実際に雇用されるのかという視点は検討されていない。高年齢者雇用の現状を概観するならば、引退希望者よりも定年後の就業希望者の方が多いにもかかわらず、実際の就業実現者が少ないのであり、労働需要側である企業に分析の視点を移し、企業がどのような人材を定年後も雇用しているのか、またどのような仕組みによって雇用が実現されているのかを考察することが必要と考えられる。
 また高年齢者雇用研究には、社会学や経済学に立脚したものが多い(石野・牧野,1995;稲上,1993;内田,2000;高年齢者雇用開発協会,2001;高田,1999;佐藤,1986,2000;日本労働研究機構,2000;藤村,1997;藤村・松村,2001)。これらの研究の多くは、企業が定年後の雇用を努力義務として行っていくべきとする視点を持っており、最終的に導かれた政策提言のなかには、概して企業の社会的責任としての雇用といった側面が含まれている場合が多い。しかし、もし高年齢者雇用が企業の社会性のみに支えられているとすると、社会的責任による雇用は企業にとって重いコスト負担となるために、その企業の業績の変動によって高年齢者雇用の実施は容易に揺らいでしまうであろう。したがって、どのようにすれば持続的な高年齢者雇用が実現されるのかについて検討するには、企業のマネジメントの観点が必要になると考えられる。この課題は本論文の中心的なテーマである。
前述した行政主導の高年齢者雇用政策の方針を受けて、人的資源管理のあり方に着目した数少ない研究が近年になって現れはじめ、これらの研究の特徴は、人的資源管理におけるどのような特徴が、高年齢者雇用制度を促進しているのかを検証している(清家,1998,2000,2001;玄田,2001;守島,2001;冨田,2001;奥西,2001)。これら諸研究は、個別的・成果主義的人事管理の進展が、年齢に拠らない雇用関係を構築するために、高年齢者に対する労働需要も喚起し、高年齢者雇用を促進するという含意を導いている。これらの研究は、企業のマネジメントの観点を導入している点で革新的といえる。しかし、次の点が指摘されるべきであろう。第一に、高年齢者雇用に必要な人事管理の諸特徴を統合的に捉える視点が不足しており、分析は個々の要因に焦点化され、高年齢者雇用を実現する全体としての人的資源管理の仕組みについては言及されていない。第二に、現状では、高年齢者雇用制度を設置している企業は多いものの、実際に雇用されている比率が極めて少ないという事実から、定量分析の被説明変数としては、高年齢者雇用制度の設置状況ではなく、実際の高年齢者雇用状況を用いる必要があるということである。
次に、高年齢者の能力・キャリア研究を概観するならば、十分な蓄積があるとはいえず、数少ない幾つかの研究は、いずれもどのようにすれば現役時代の能力を衰えさせることなく、高年齢期においても陳腐化させずに持続することができるのかという視点に基づくものとなっている(日本労働研究機構,1994;雇用促進事業団・雇用情報センター,1994;高年齢者雇用開発協会,2001)。これらの研究では、時代環境への適合能力や、Off-JTの重要性、加齢による精神・運動系機能面への影響がキーワードとなっている。しかし実際にどのようなキャリアのあり方が、高齢期の雇用の実現に結びつくのかといった、より本質的な議論をする必要があると考えられる。
最後に、高齢労働者の転職についての研究は、ほとんど蓄積がないといってよい。これは高齢期において転職を実現する人が極めて少ないという実態を反映してのことであろう。そこで、中年層の転職および出向・転籍にも対象を広げ、また一般労働者の転職行動に関する既存研究も視野に入れ、中高年労働者の転職研究について概観した(中馬,2002;中馬・キャプラン研究会,2003;高年齢者雇用開発機構,1998,2002;中村,2002;玄田,2002;猪木,2003;八代,2000,2002;駿河,2002;永野,2002;渡辺,1991,1999;守島,2001,2002;玄田,2004;黒澤,2002)。これらの研究の要点は概ね次のようにまとめられる。
第一に、中高年層の他社への移動は一般労働者の場合と異なり、多岐にわたる職務能力を持っていることが期待され、また過去にも転職、出向・転籍を経験している場合に成功に結びつきやすい。また所持する能力を示せるような資格があると転職が実現されやすい。第二に、中高年層の移動成功者は、概して他社への移動の意欲を元来持っている人が多く、転職の成功をあらかじめ見越している場合が多い。第三に、中高年層の移動は、送り出し企業と受け入れ企業との間に長期的関係が築かれている場合や、職場や会社関係の人的ネットワークを利用すると成功しやすい。
こうした先行研究の知見を踏まえ、本論文では、受け入れ企業と当該高年齢者の能力のマッチングと、移動者の特性や意識のあり方に着目する。また当該移動者がどのようにして受け入れ企業に馴染み、適合するのか、そのプロセスにも視点を置き、送り出し企業と受け入れ企業双方の取組みを考察する。
以上が、これまでの高年齢者雇用研究のおおよその概要である。次に本論文の議論における理論的土台となる関連理論について概観した。


(2)隣接諸領域における関連理論
もし企業が高年齢者雇用を組織内に定着化させ、長期的に維持しようとするならば、社会的要請に応じていこうとする「社会性」の側面と、経済組織として利潤を追求する「経済性」の側面とを結びつけて、本業に関連付けた雇用を行おうとするであろう。そうした企業活動の中に高年齢者雇用が組み込まれるとすれば、既存の人的資源のマネジメントとの関連性を見極めつつ、高年齢者雇用の仕組みを検討していくことが必要と思われる。それでは、これまでの日本企業の人的資源のマネジメントとは、いったいどのようなものであったといえるのか。この点について、労働力内部化に関する一般理論を整理し、日本の人的資源管理の特徴を考察した(Coase,1937;Williamson,1975;Simon,1961;Alchian & Demsetz,1972;Hayek,1945;Becker,1962;Stigler,1962;Doeringer & Piore,1971)。
その結果、「限定合理性(bounded rationality)」「機会主義(opportunism)」「情報の遍在(information impactedness)」を克服する労働力内部化の仕組みや「職務の特異性(job idiosyncracy)」に基づく人的資本の内部育成(企業特殊的人的資本,firm-specific human capital)とその活用の仕組みが、日本の人的資源管理における制度的慣行としっかりと結びついており、なおかつその各制度も相互に複雑な連関関係を持ってひとつのシステムを作り出していることが確認された。したがってこのような特徴を持つ人的資源管理を所与とした上で、高年齢者雇用を促進するメカニズムは、どのようにして成立し得るのかが、議論上において重要であると考えられた。
また次に、高齢労働者のキャリア分析における仮説を検討するために、能力・キャリアに関する主流的な理論を概観した(小池,1991,1997;中村,1991;八代,1995;Katz,1955;猪木,2002;Bridges,1980;金井,2002;Schein,1985;Arthur & Rousseau,1996)。ここでは企業にとって有益な人材とは、「非定型的な仕事」や「不確実な状況」に対処する能力を持つ人材であり、その能力の獲得には「特定分野での幅広い経験と専門性の深耕」が必要であるとする先行研究の議論が着目される。このような人材としての特徴は、高年齢者の雇用を決定する際にも、企業にとっての主要な判断基準になると考えられ、高齢労働者のキャリア分析に活かされることとなる。
またアメリカを中心とするキャリア論は、日本のような一社主義を基本とする労働社会では進展し得なかった、個人のキャリアのあり方について革新的な視点を提供している。例えばキャリアにおける転機や節目(career transition)、およびキャリア決定の際に拠り所となる「キャリア・アンカー(career anchor)」を意識することの重要性や、仕事や組織、産業等に境界を設けずに移動する「バウンダリーレス・キャリア(boundaryless career)」が最近のキャリア傾向として現れ始めていると指摘している。これからのキャリア研究における諸概念は、高年齢者のキャリア分析においても有用な視点を与えることになろう。
最後に、量的質的にアメリカに集中する転職理論の要点を概観する。日本では蓄積の薄い転職分析であるが、労働市場の流動化を前提とするとされる欧米諸国の理論は、日本の高年齢者の移動分析においても援用可能であろう。特に注目される理論は、Granovetter(1973,1974,1985)がその転職分析で用いた「埋め込み(embeddedness)」と、潜在的転職者によって職探しの段階で用いられる人的つながり(personal contacts)における「弱い紐帯仮説(weak-tie hypothesis)」である。これによると、当該者がどのような種類のネットワークにどの程度の強さで位置しているかが、個人の行動や選択に影響を与えるとされる。また転職の成功は、強い親密度を持った人々よりも、稀にしか会わない人々、すなわち弱い紐帯を持つ人々からの情報や支援によって実現する場合が多いことを、詳細な聞き取り調査によって見出している。
また転職行動に関して新規的な見解を導いたのが、Mitchell & Lee(1994,1996,1999,2001)である。組織からの退出を実際に駆動させるものが、職務不満足ではなく、予期できない出来事や理由といったものである場合が少なからずあることを突き止め、これを「システムへのショック(shock to the system)」と名づけた。例えば企業の合併や、ヘッドハンティング、親族の死、昇進の失敗、結婚、引越し、同僚の転職などがこれに当たる。またLee(1992)はさらに、実際にショックからどのような行動が誘発されるかは、認知の複雑性や刺激欲求など、個々人の志向性や性格に依拠することを指摘した。
これらの知見は、当該高年齢者を移動へと向かわせる行動と選択の背景にある、社会構造との関係性や個人の性質を見極めることの重要性を示している。Mitchell & Leeらの見解に従えば、個人は必ずしも純粋な内的動機のみによって行動を起こすのではないと考えられる。転職に関するこれらの諸理論から学びつつ、本論文では、何を契機として高齢従業員は移動という選択肢を選ぶのか、またどのようなプロセスを経て新しい仕事場を獲得するのかにも目を向ける。ただし注意すべきことは、先行研究には、従業員の転職の成功を企業がマネジメントするという観点は見当たらないことである。転職という行動が極めて個人的なイベントとして発生するものとして捉えられてきたからであろう。しかし高年齢者雇用を企業の経営と管理という観点から論ずる本論文は、この点にも踏み込み検討を加えている。

(3)本論文の分析枠組み
100年来連綿と受け継がれてきたエイジズムを打破するために、また日本社会の活力維持のために、これからの高齢社会においては、「働く意欲と能力のある高年齢者(清家・山田,2002)」たちの職業労働に励むいきいきとした生産的な姿が、実際に社会の中に示されていく必要がある。以上の既存研究から学びつつ、本論文は、「60歳以降の就業を実現できた人は、なぜ実現できたのか」、「高年齢者の雇用を行っていく制度を持っている企業は多いが、実際に雇用を実行するのは難しいようである。それでは、高年齢者を持続的に雇用している企業では、なぜそれができたのだろうか」という問いに対して、高年齢者雇用拡大を実現する人的資源管理について検討していく。そのための分析視角を次のようにまとめられる。

1)60歳定年後の雇用を実現している高年齢者は少ないことから、これを実現している人は雇用される能力を所持しているものと思われる。実際に雇用継続を実現した人が、どのような人的資源としての要件を持っているのかを明らかにする。
2)現状を見る限り、雇用制度があろうとも実際に雇用を推進していくことは難しいようである。そこで、どうすれば雇用継続制度を円滑に機能させ、高年齢者雇用を拡大できるのか、雇用継続を実現する人的資源管理システムの条件と仕組みについて探索する。
3)高齢期の就業には、他社への移動による雇用継続という選択肢もありうる。それでは、他社への移動を実際に実現した人は、どのような人的資源としての要件を持っているのだろうか。従来企業での雇用継続者と同様に分析を行う。またなぜある人は従来企業に留まり、ある人は他社への移動という選択を取るのか。移動行動を起こす人のタイプを明らかにする。
4)高齢従業員を他社に移動させることは、企業にとっては難しい問題であると思われる。また高年齢者を新たに雇い入れることも、企業にとっては自社での雇用継続よりも困難性が高いものと予想される。移動者を送り出す企業や受け入れる企業では、どのような人的資源管理を行っているのか。高年齢者の移動を実現する企業の人的資源管理システムの条件と仕組みを探索する。

なお、それぞれの分析視角に関し、議論の枠組みは次のようになる。

1)高年齢期においても雇用される人の能力やキャリアを明らかにするためには、どのような人が定年後も働こうとするのかよりも、どのような人材を企業は定年後も雇用しようとするのかを究明することが求められる。企業側から選ばれ雇用継続を実現する人は、先に参照した先行研究によれば、「非定型的な仕事」や「不確実な状況」に対処する能力を持つ人材であり、またその能力の獲得のために、特定分野での幅広い経験と専門性が必要であると予測される。したがって、雇用継続者のキャリア特性に関する仮説は次のようになる。「雇用継続を実現した人は、非定型的な仕事や不確実性に対処する能力を持ち、特定分野での幅広い経験と専門性を獲得するための仕事経験を積んでいる。」本論文ではこの仮説の検証を行う。
2)これまで雇用継続の課題として、能力のミスマッチ、雇用継続者の選抜に伴う摩擦の問題、大幅に変更される新しい雇用契約の受容の困難性が挙げられてきた。雇用継続制度を円滑に運用し、高年齢者雇用を持続的に実現する企業では、これらの課題に対して何らかの対処がなされているはずである。そこで、先駆企業ではどのような能力育成が行われているのか、選抜はどのように行われているのか、また契約を受け入れる根拠が何であるのかを、詳細な事例調査によって明らかにする。さらに、近年の人的資源管理上の特徴である個別的・成果主義的人事管理の進展が、高年齢者雇用にどのような影響を与えているのかを定量分析を用いて明らかにする。この分析には、先行研究の分析を追試し、高年齢者雇用を可能とする人的資源管理の議論を深めようとする意図が含まれる。
3)雇用継続者のキャリア分析と同様に、移動者の能力、キャリアについてその特性を明らかにする。また移動行動に関して、当該移動者が、社会構造においてどのような「埋め込み」にあるのか、また「ショック」に対する反応特性について考察し、移動者の特性を明らかにする。
4)高齢従業員の従来企業からの移動における課題としては、移動先での能力のミスマッチ問題、移動に関する意識転換の問題、受け入れ企業への適合の問題が挙げられる。送り出し企業および受け入れ企業は、これらの課題を何らかのかたちでマネジメントしているはずである。そこで、どのようにして能力のマッチングが行われているのか、意識転換はどのようにして行われているのか、新しい職場への適合プロセスはどのようなものであるのかを、先駆企業の事例調査を通じて明らかにしていく。ここでも「埋め込み」や「紐帯の強さ」といった転職研究における概念が参照される。

以上を分析枠組みとして図示するならば、図のようになる。

(図:略)

このように本論文では、高年齢者雇用に関して、A)同一企業内における雇用継続の場合と(第3章、第4章、第5章)、B)他社への移動による雇用継続の場合について(第6章、第7章)、その人的資源管理のメカニズムを考察する。そのためにそれぞれに関して、a)どのような人材であることによって高齢期の就業は実現されるのか(第3章、第6章)、b)どのような人的資源管理システムであることによって、高年齢者の雇用を実現しているのか(第4章、第5章、第7章)、が論じられる。このように本論文は、高年齢者雇用実現の詳細かつ包括的メカニズムを理論的・実証的に明らかにしようとする試みである。
また加えて、本論文の最後には、近年の経済・産業構造における変化と高年齢者雇用の関係を確認するために、情報通信技術の進展と介護・医療産業の進展が高年齢者雇用に与える影響について考察する付論を置いている(付論A、付論B)。また第5章の分析を補完する、従業員の働く意欲の変化を捉える考察(付論C)が付加されている。


5.〈第Ⅱ部〉同一企業内における雇用継続の実証研究

雇用継続者のキャリア分析(第3章)
第1章で高年齢者雇用の現況を概観してきたように、高年齢者雇用におけるひとつの重要な問題は、働きたいと考えるすべての高年齢者を、企業は雇用できないことにある。第3章では、このような厳しい雇用環境の中で、企業側から選定され定年後の雇用継続を実現した人が、どのような特徴をもつ人材であるのか、そのキャリア特性を分析した。またさらに本章では、高齢期においても雇用される能力とはどのようなものであるのかについて、特に厳しい雇用情勢にある管理・事務・技術職等に従事する高年齢者を分析対象として、試論的考察を行った。
この分析のために用いられた定量データは、事例A社本社で定年を迎えた80名の人事情報と、A社およびB社の管理・事務職系定年者57名の人事情報である。また定性分析は、A社人事担当者と雇用継続者および不雇用継続者の23名と、A社およびB社の人事担当者と管理・事務職系高年齢者19名への聞き取り調査に基づいている。
はたしてどのような人材が雇用継続を実現しているのだろうか。この疑問に関して先行研究から導かれたひとつの仮説は、「非定型的な仕事や不確実な状況に対処する能力を持つ人材」が企業にとって有用な人材であり、定年後も雇用継続されるひとつの要件となり得るということである(小池,1991,1997;中村,1991; Katz,1955;猪木,2002)。そして先行研究によれば、そうした能力は「1つの職能内で長期の経験を積むこと」によって獲得されているとされる。本研究はこれを仮説として検証した。なお本章における上記の分析枠組みは図2に示される。

(図2:略)

定量および定性分析の結果、次のことが明らかとなった。
1) 雇用継続を実現している者は、概ね同一職能内に長く留まり就業している場合が多い。但し単に勤続年数が長いことは雇用継続の成功に有意な影響を持っていない。
2) 雇用継続を実現している人は、高い職務能力と意欲を持つ人材であり、その能力は同一職能内での長期の経験の中において、「キャリアの連続性と仕事経験のフィードバック」の作用によって、技能の幅が広げられ深められることによって形成されていると考えられる。
3) キャリアの連続性の中で、雇用継続者はそのキャリアの中に留まらせ、さらにキャリア形成の飛躍のきっかけとなるような「人との出会い」を経験している場合が多い。そうした出会いも職務能力の伸長に結びついていると考えられる。
4) 同一職能内でのキャリアにおける仕事経験の詳細を見ると、そのキャリアが決して平坦ではなく、比較的困難性を伴うような「起伏のあるキャリア」であることがわかった。大幅にではなく、ある程度達成が可能であるような「少しだけ背伸びをさせる仕事」に配置することで、能力のオーバー・エクステンションが実現されていると推察される。
5) 定年後も雇用される高年齢ホワイトカラーの能力についてその内容を詳細に観察すると、職務によって特徴が異なることがわかった。「事務職系」の場合、技能の種類は「組織関連的」で、また知識・技術体系の種類は相対的に見て「一般的」である傾向を持つ。これに対し「技術職系」は、技能の種類は「職務関連的」である比率が高く、知識・技術体系の種類はより「職務に関して専門的」である傾向を持つ。また「経営・企画職」は、先の二者の複合型であり、技能の種類は「組織関連的」である比率が高く、知識・技術体系は専門的という傾向を持っている。
以上の分析結果からは次のような含意が導かれる。具体的なキャリア育成を受けた人々が、最終的に雇用継続される可能性が高いということは、今後企業が、高年齢者雇用の拡大という社会的要請に応えていこうとするとき、人材育成のあり方にこれまで以上に関心を向ける必要があるといえる。そしておそらく、高年齢者の雇用問題は、助成金のような一時的な制度措置や、パソコン教育をはじめとする公共・民間職業訓練機関を通じた、一般的スキル教育によっては解決されない。高年齢ホワイトカラーの雇用拡大のためには、まず高齢労働者自身が雇用されるような能力を所持していることが必要であり、その能力とは、企業から必要とされるような「価値ある人材」としての能力であり、その形成には企業側による充分な育成投資が必要と考えられる。
一方、高年齢者を含む労働者に関しては次のことがいえる。どんなに定年後の就業を希望しようとも、企業が営利を追求する組織である限り、基本的には企業に貢献する者しか雇用されない。定年後も就業するために必要なことは、定年後も雇用されるような能力を現役時代に獲得することである。また本分析からは、能力の伸長に結びつくような「人との出会い」がキャリアの飛躍のきっかけとなっていることが示されたが、こうした出会いに気づく力も求められているだろう。また雇用継続を実現した者の多くが、困難性を伴う起伏のあるキャリアを経験しているということは、高年齢期の雇用を実現する高い職務能力の獲得は、こうした困難性を何度も克服した先に実現されているということに他ならない。マイナスをプラスに転じる力が高年齢期の雇用実現につながっていると考えられる。
なお本章の分析からは、定年後も雇用される能力は、長期的な雇用関係の中で、同一職能内で長期の経験を積むことによって形成されていることが指摘された。つまり、高齢期においても企業が活用し得るような高い能力の形成には、長期を想定した安定的な雇用関係が土台となっており、高年齢者雇用の拡大には、長期的視点に立った人事管理システムが重要な役割を持つことを示唆しているといえよう。

持続的な雇用継続を実現する人的資源管理システムの条件と仕組み(第4章)
前章においては、当該高年齢者従業員が入社以降どのようなキャリアを歩んできたかが、定年後も雇用継続されるか否かを決定付ける重要な要因となることが示された。しかし高年齢者雇用の主要な担い手である企業側から見れば、雇用継続の実現に向けて、高年齢従業員の人事管理をどのように行っていけばよいのかが関心事項となろう。
第1章で見てきたように、多くの企業では既に高年齢者雇用をする際の手立てである、再雇用や勤務延長といった雇用継続制度が設置されている。しかし実際に定年後の雇用を実現することは、極めて難しい現状であることがデータにより示された。つまりこのことは、雇用継続制度が企業側による社会的責任の意識により設置されたのか、あるいは社内労使協議や行政指導によりやむ無く設置されたのかに関わらず、少なくとも、雇用継続制度はあるが、現状ではこれが上手くは機能していないというのが、多くの企業の実態であることを示している。そこで第4章では、先駆企業の事例を通じ、60歳代前半層の雇用に向けて企業が雇用継続制度を導入する場合に求められる、人事管理システムの条件と仕組みについて探索した。
分析は前章同様に、A社の人事担当者および不雇用継続者を含む定年到達者23名へのインタビューを基本としている。またこれと合わせて、社内意識調査原票、社史、有価証券報告書、アニュアルレポート、社内報などの二次資料が用いられている。
企業はどのようにして、雇用継続実現のプロセスをマネジメントしているのだろうか。これまでの研究をまとめると、雇用継続制度の円滑な運用が妨げられている背景には、3つの課題があると考えられてきた(図3)。

(図3:略)

第一は能力のミスマッチ問題であり、第二は雇用継続者の選抜に伴う摩擦の問題、第三は新しい雇用契約の受容の困難性である。本章では、これからの課題をA社がどのようにして克服しているのかを、定性調査によって考察した。
分析の結果、事例企業ではこれらの問題が次のような条件によって解決されていた。第一に企業にとって必要な人材の内部での育成と活用による就業機会の創出、第二に表立った選抜ではなく、雇用継続者の選抜に対する合意形成に結びつく「自己選別」を可能とする人事施策の策定、第三に雇用継続の契約を、心理的契約を土台としながらも第三社機関であるA社の人事関連会社と結ぶことによる、大幅な契約転換を摩擦回避的に受容させる仕組みの構築である。
これらの高年齢者雇用の条件が、従来の制度的雇用慣行との複雑な連関関係の中で、雇用継続の仕組みとして構成されており、A社では同一企業内における持続可能な高年齢者雇用が実現されていた。雇用継続における3つの課題を解決しているこの人事管理システムは、結果として、社会的要請としての高年齢者雇用の拡大を、経済組織としての経済性追求活動に結びつけることを達成するものであったといえる。
 なお本分析から導かれた含意を述べるならば、以下のようになる。事例A社の場合、定年後も雇用される人材が持つ職務能力は、長期安定的な雇用関係の下で形成されている。そして選抜や契約転換に対する合意もまた、長期的関係を土台として達成されていた。各企業が求める知識・技能を理解し習得し、企業業績に結びつくまでに発現させるという一連の行為を、普通に想定されるような、平均的な能力を持つ一般的人間が短期間で達成できるとは想像しがたい。また自己選別や契約内容を受容していく仕組みが、短期的関係の中で形成されることは困難と考えられる。ここから、定年後も雇用される職務能力の獲得や、自己選別や契約転換への合意形成のためには、企業側と労働者間に信頼を軸とする、ある程度の長期安定的な関係が重要な役割を持つものと考えられる。そして第3章の結果と合わせて述べるならば、高齢期の雇用が入社以降の能力育成に依存しているのであれば、企業には労働者の定年後の雇用継続に対しても少なからず責任があるといえる。今後企業が高年齢者雇用という社会的要請に応えていくためには、個々の労働者の能力育成を意図した人事管理を行っていくことが求められよう。同時に、労働者側は自らの能力開発に関心を払い、キャリアの選択に積極的に参加していく主体となることが望まれよう。
また、高年齢者雇用の実施には、本章の事例のように雇用継続者を選抜しなければならない場面もありうる。しかし事例では当事者間のみならず職場内の関係維持のために、直接的な選抜ではなく、「自ら気づかせ、選択させる」潜在的な選抜が行われていた。また定年後に大きく変更される契約内容の受容は、その契約が法的な契約としてではなく、極めて漠然とした各人の納得性を拠り所とする心理的契約として成立しているために達成されていた。高年齢者雇用の拡大には、雇用継続制度が円滑に機能していくことが必要であるが、この時、人間の心理に配慮した人事施策が求められているといえる。
本章の分析も第3章と同様に、高年齢者雇用の拡大には、定年前後の短期的な人事管理ではなく、場合によっては入社にまでさかのぼる、より長期的な視点に立った人事管理が求められていることを示唆するものであった。つまり、前章の雇用継続者のキャリア分析によって導かれた見解は、少なくとも、企業のマネジメントという観点からみても支持されたことになる。なお「長期的な視点に立った人事管理が、高年齢者雇用の拡大に重要な役割を持つ」という新たな視点の重要性は、続く第5章の分析によりさらに強調されることになる。

個別的・成果主義的人事管理の進展と高年齢者雇用(第5章)
前章までの分析で導かれた主要な含意とは、同一企業内における雇用継続を円滑に実現してくためには、場合によっては入社時にまでさかのぼる、長期的視点に立った人事管理が求められているということである。この高年齢者雇用拡大のための人的資源管理に対して提示された視点は、しかし労働市場の流動化や成果重視の評価システムの導入といった、昨今の人事管理の潮流とは相反するものがある。
つまり経済・産業構造の変革下の中で企業が競争力を維持あるいは強化していくためには、人的資源管理の方向として、年齢を基準とせず顕在化能力を基準とした雇用関係を構築していくことが必要であり、また人材の有効活用のためには、企業の枠を超えて参入・退出が容易となるような労働市場の整備が必要であると議論が、労働経済や労使関係分野の論者によって行われている。そしてその仕組みを支える制度は、業績と報酬を連動させる個別的・成果主義的人事制度であると考えられており、この制度が雇用関係を短期的に決済していく方向に向かわせると一般的に考えられている。そこで第5章では、第3章、第4章で結論づけられた「長期的視点に立った人事管理システムが高年齢者雇用の拡大に重要な役割を持つ」という視点は、人事管理の個別化・成果主義化という近年の人事管理の流れとどのように関連付けられるのか、この点について論じる。
また第4章で残されている課題として、この結論が1社の事例分析から得られたものであるという点で、強固な結論として提示するには限界があることが挙げられる。本分析はこの結論の普遍妥当性を検討する試みでもある。
分析方法としては、2つの定量分析と定性分析を用いている。定量データのひとつは、日本労働研究機構(現 労働政策研究・研修機構)が2002年2月から3月に実施した「IT化がホワイトカラー労働者の仕事や職場に与える影響調査」から収集された(1225票)。またもうひとつのデータは、財団法人 高年齢者雇用開発協会(現 高齢・障害者雇用支援機構)が1998年1月から2月に実施した「高年齢従業員の継続雇用に関する企業調査」を利用している(18542票)。また定性分析は、前章において参照されたA社およびB社の人事担当者、雇用継続者、引退者の32名と、この調査より日をおいて実施されたA社の人事担当者と、A社からの転職者25名への聞き取り調査に基づいている。
はたして人事管理の個別化・成果主義化は、本当に高年齢者雇用を促進しているのだろうか。Lazear(1979)によれば、企業は従業員の企業への帰属意識を高めるために、若年期にはその従業員の労働限界生産性(VMP:value of the worker’s marginal product(=貢献度))よりも低い賃金設定を行い、中高年期にその差し引き部分を回収できるように、限界生産性よりも高い賃金が設定されるとする。この長期収支勘定を合わせる年功賃金制度の仕組みの下では、企業は収支割れを起こさぬようある時点、すなわち当該従業員への支払い賃金総和と限界生産性総和が等しくなる時点、つまり定年で、従業員に強制的退職(mandatory retirementあるいはadministrative retirement)を強いることが不可欠となると指摘される。この議論を受けて清家(1998,2000)は、賃金を限界生産性にある程度即したかたちで支払うようにして、現行の賃金プロファイルの傾斜を緩めるならば、定年年齢に関わらずその後も雇用を延長していくことが可能になるとの見解を示した。その後、この論理的期待を実証的に検討する研究が現れた(玄田,2001;守島,2001;冨田,2001;奥西,2001)。
しかしこれらの分析には幾つかの点で、再検討の余地があると考えられる。先行研究はいずれも、高年齢者雇用制度の整備状況を高年齢者雇用の代理変数として分析を行い、人事管理の個別化・成果主義化と高年齢者雇用制度の整備状況との間に正の関係を見出し、個別的・成果主義的人事管理の進展によって、高年齢者雇用が確かに促進されていると結論づけている。これに対し、本論は「実際の雇用状況」を被説明変数として分析を行う。そして「人事管理の個別化・成果主義化が、高年齢者雇用の拡大に結びつくという、先行研究が想定するような『表のメカニズム』とは別に、実際の雇用により強い影響を及ぼしている『裏のメカニズム』が存在しているのではないか」という仮説を提示し、分析を行った(図4)。

(図4:略)

2つのデータ分析からはほぼ同じ結果が導き出された。つまり、1)人事管理の個別化・成果主義化は、雇用継続制度の設置にプラスの関係を持つものの、2)実際の高年齢者雇用に対しては、有意に強いマイナスの影響を与えていることが明らかとなった。つまり以上の分析により、先行研究の「人事管理の個別化・成果主義化が高年齢者雇用の拡大に結びつく」という主張は、そのまま受け入れることはできないように思われる。
ここでの議論をまとめると次のようになるだろう。団塊世代が高齢期にさしかかり、経営環境の厳しさのみならず、総人件費の増大や役職・ポスト不足の問題を契機として、個別的、成果主義的人事管理が取られていくのは自然な流れであり、実際多くの企業で導入され始めている。同時に、この世代の定年後の雇用対策として、高年齢者雇用制度の設置も進められるであろう。このことは先行研究において、個別的・成果主義的人事管理の進展と雇用継続制度の設置との間に正の関係が確認されたこととも整合的である。
そして個別的・成果主義的人事管理の進展によって、評価、処遇の厳しさは増していく。このことは、定年者に定年後の就業が、厳しい雇用環境の中で始まることを予見させることとなる。そのような職場において、定年を目前にした高年齢従業員は、定年後の就業可能性に対してより厳しい判断をするようになる。つまり、たとえ定年後も雇用される制度があろうとも、選抜の厳しさや、働く環境の厳しさを強く感じ、定年後の就業に関するリアリティの認識に誤謬が生じてしまい、各人がそれぞれ激しい自己選別を潜在的に行うようになる。(なお、こうした人事管理の変化によって、労働者の意識に変化が生じることは、「付論C」の分析によっても確かめられた。)そのために、雇用継続制度の設置が必ずしも実際の雇用継続の拡大には結びつかないのである。
 このように「自己選別圧力の強まり」によって、個別的・成果主義的人事管理の進展は、理論どおりには高年齢者雇用の拡大に結びつかない。この結果は、高年齢者雇用と人的資源管理のあり方に関しては、今後さらなる実証を積み重ねつつ、新たな視点を持って論じていく必要があることを示唆している。しかし少なくとも、「長期的視点に立った人事管理システムが高年齢者雇用の拡大に重要な役割を持つ」という先の第3章および第4章の結論は、その普遍妥当性において否定できないことを示している。


6.〈第Ⅲ部〉移動による雇用継続の実証研究

他社への移動による雇用継続者のキャリア分析(第6章)
第Ⅲ部では、他社に移動することによって60歳以降の雇用継続を実現している場合に関して分析を行った。特に、第Ⅱ部の同一企業内における雇用継続分析で見出された分析手法を用い、同一企業内での雇用継続の場合と、何が同じで何が違うのかに着目した。
第1章で見てきたように、高年齢者雇用の現況を見る限り、高年齢者も、そして企業も、従来企業での雇用継続を中心に雇用・就業の可能性を見出そうとしている。しかし同時に、企業は雇用継続の拡大の困難性を示しており、出向・転籍を含めた定年前後での他社への移動によって、60歳代前半層の雇用の可能性を模索していることも明らかである。こうした移動による雇用継続は、法改正に伴う65歳までの雇用延長の義務化という法的圧力も受けて、高年齢者雇用施策のひとつとして、今後ますますその可能性を検討していくことが求められると考えられる。また将来的に65歳定年延長やエイジフリー社会を展望するならば、他社への移動を含めた高年齢者雇用の拡大が、どのような仕組みの下で実現され成功するのかについて、検討を重ねていくことが求められよう。第6章では、移動によって60歳以降の雇用継続を実現した人が、どのような特徴をもつ人材であるのか、そのキャリア特性を考察した。
本章の分析方法としては、第Ⅱ部の同一企業内における雇用継続者の分析と同様に、人事情報から収集した統計的データと、聞き取り調査に基づき、定量・定性の両面から論証を行った。定量データは他社への転職を実現した人々と、実現できなかった人々、およびA社から系列外の他社に出向し、出向先で定年を迎え雇用継続を実現した人々と、実現できなかった人々の計90名の人事データである。また移動者本人と移動前の職場の元上司、移動先の現上司、移動先企業の人事担当者、A社人事担当者の計25名への多面的な聞き取り調査を行った。
 厳しい雇用情勢の中で、どのような人材が他社への移動による雇用継続を実現しているのだろうか。先行研究をまとめるならば、次のような仮説が導かれる(中馬,2002;中馬・キャプラン研究会,2003;高年齢者雇用開発機構,1998,2002;中村,2002;玄田,2002,2004;守島,2001;黒澤,2002)。第一に、移動による雇用継続を実現するためには、高い専門能力とともに広範の能力を習得するために、「幾つかの職能を横断して職業経験を積むこと」が重要であると考えられる。これは転職のために新たな能力を獲得することよりも重要と考えられる。第二に、過去に他社へ転職、出向・転籍といった移動の経験があること、さらに所持する能力を外的に示すために、何らかの資格を持っていることが有効と考えられる。第三に、移動者の意識としては、元来移動への強い意欲を持っていることが、移動の成功のために必要と考えられる。こうした本章の分析枠組みは図5のようになる。

(図5:略)

これらの仮説を踏まえ検証を行った。その結果、次のことが明らかとなった。
1) 移動による雇用継続者は、同一企業内での雇用継続者と同様に、同一職能内に長く留まり就業しており、また単に勤続年数が長いことは重要な要件とはなっていない。
2) 先行研究の見解とは異なり、過去の転職経験は移動の成功に負の影響を持っている。また公的・社会的資格の有無は移動の成功に特段影響を与えていない。
3) 移動による雇用継続者のキャリアには、同一企業内での雇用継続と同様に、キャリアの連続性、飛躍のきっかけ、起伏のあるキャリア、という特徴が見られた。ただし、移動による雇用継続者の場合、飛躍のきっかけが「仕事」に由来しており、人との関係を土台とする「組織コミットメント」よりも、職務遂行を重視する「職務コミットメント」の傾向が強く、Granovetterのいう社会構造のネットワークにおける「埋め込み」の状況が弱いと推察された。
4) 他社への移動は、本人が最初から希望していたわけではなく、複数の出来事(ショック)を通じて、移動への意欲が徐々に形成されている場合が多いと考えられた。こうしたショックは移動者のみに経験されることではないが、移動者において他社への移動のきっかけとなる背景には、移動者が本来的に、物事に敏感に反応し行動する「過反応性」という特性を持っているためと予想される。
5) 移動による雇用継続者のタイプは、「自発的移動」と「半自発的移動」の2つのパターンがあり、移動を決意する者の多くは、ショックへの過反応性ゆえに、あとづけで移動への意欲を生起させる、いわゆる「半自発的移動」であると考えられる。
 以上から本分析における含意を次のようになる。先行研究の見解とは異なり、移動による雇用継続者は、同一企業内での雇用継続と同様に、「特定分野での幅広い経験と専門性の深耕」というキャリア特性を持っており、こうしたキャリアを持つ者が他社への移動に成功しているということは、このキャリア特性が、受け入れ企業が求める管理・折衝能力や調整能力の形成にもつながっていると考えられる。また一方で、過去の転職経験が移動による雇用継続の成功にマイナスの影響を与えているという分析結果は、転職行動によってキャリアの連続性に必要な同一職能内での長期の経験蓄積が断ち切られる可能性が高いことを暗示している。つまり他社への移動を成功させる能力が、従来企業における継続的な育成投資の結果として得られる職務能力であるとするならば、能力育成において企業が担う役割は大きいといえるだろう。
 一方で、高齢期での移動を成功させるためには、当該労働者自身は次のことに注意しなければならない。資格を取ることや、柔軟性や適応力を身に付けることに注意を払うよりは、現在の仕事をしっかりとこなし、まず特定分野で高い職務能力を発揮できるように、同一職能内でのキャリアの継続に注意を傾けることである。そのためには、60歳直前での対応ではなく、職業キャリアの初期から自分のキャリアに積極的に関与していくことが求められよう。また能力の伸長を促す「きっかけ」や「出会い」に気づく力や、起伏のあるキャリアにおいて苦境を乗り越える術を体得しておくことも重要であろう。
 また同一企業内での雇用継続か、移動による雇用継続かを分かつ、「過反応性」という情動的な「人格的くせ」は、ある程度意識するならば統制可能であると思われる。しかし、組織関係における埋め込みの強さにおいて、職務コミットメント型であるか組織コミットメント型であるかは、優劣をつけられるものではない。行動特性のタイプとして認識すべきであろう。また特に半自発的移動というプロセスについては、企業がこれをマネジメントする一方で、従業員自身もこのプロセスを見極め、納得のいく意思決定を下さなければならない。そのためには、自身の持つ能力の自己点検をし、そのキャリアの可能性についてしっかりと見極める必要があろう。
なお本章の分析からは、60歳以降も他社に雇用される能力は、長期的な雇用関係の中で、同一職能内で長期の経験を積むことによって形成されていることが指摘された。つまり、本章の結果は、同一企業内における雇用継続の場合のみならず、移動による雇用継続の場合においても、高年齢者雇用の拡大には、長期的視点に立った人事管理システムが重要な役割を持つことを示唆しているということができる。

移動による雇用継続を実現する人的資源管理システムの条件と仕組み(第7章)
他社に移動することによって60歳以降の雇用継続を実現している人々が、どのようなキャリア特性を持つ人材であるのかを明らかにしたのが、前章であった。それではこうした移動による雇用継続の実現を、企業はどのようにしてマネジメントしているのだろうか。
本章では、他社への移動を通じて雇用継続を実現している企業が、どのようにして移動のプロセスをマネジメントしているのか、その人事管理システムの条件と仕組みを考察していく。ここで扱う事例企業は、これまでの分析で紹介してきたA社と、A社からの移動者を受け入れた企業7社である。
これまでの調査研究をまとめると、高年齢者の他社への移動が円滑に進まない背景として、大きく3つの課題があると考えられた(中馬,2002;中馬・キャプラン研究会,2003;高年齢者雇用開発機構,1998,2002;中村,2002;玄田,2002,2004;守島,2001;黒澤,2002;渡辺,1991,1999;Granovetter,1973)。1つには、受け入れ企業が必要とする能力と移動者が保有する能力のミスマッチである。2つ目は、移動に対する意識転換の問題である。3つ目は、移動者の受け入れ企業への適合の問題である。こうした本章の分析枠組みは図6に示される。

(図6:略)

分析の結果、事例企業では次のような条件によってこれらの問題が解決されていた。第一に、出向を一種の試用期間として、その間に必要に応じて人材の移動を行うことによってマッチングのトライ&エラーを繰り返し、最終的に雇用継続が実現されるような能力のマッチングを見出している。第二に、入社から退職に至るまでに施される全社的な人事異動やジョブ・ローテーション、ライフプランセミナー等の人事施策を通じて、社内における自分の位置づけが自己診断によって認識されていく。これによって当初は考えてはいなかった他社への移動という意思決定が、あとづけで非自発から自発へと変わる「すりかえ合意」によって生起され、移動者の意識転換が促されている。第三に、送り出し企業と受け入れ企業間の「強い紐帯」を利用した出向・転籍の手続きが、移動者の適合における衝撃緩衝材となり、円滑な適合・移籍が実現されている。なおこうした移動による雇用継続を実現する条件が、同一企業内における雇用継続の仕組みと同様に、これまでの制度的雇用慣行との複雑な連関関係の中で再構成されていることが注目される。
さらに受け入れ企業のマネジメントを考察したところ、次の点が明らかとなった。第一に、受け入れ企業の多くが元々人材の流動性が高く、個別的人事管理を行っている企業であり、移動者の評価・処遇をめぐる摩擦は大きくはなっていない。第二に、受け入れ企業は従前企業で育成された移動者の技能や知識の活用や、人的つながりを活用する動機を持っており、こうした期待も円滑な移動を促すひとつの要因となっている。第三に、移動者のために用意された求人が、2社間の強い紐帯関係から生み出された特定の求人であることが、移動者の意識転換とインセンティブを強めることに貢献している。また移動者が組織コミットメントを高めるための、役割明確化、同僚との摩擦回避的な配置といった環境整備が行われることによって、円滑な移動と雇用継続が実現されている。
以上から本分析から導かれる含意は次のようになる。多くの先行研究が指摘するように、高年齢労働者の移動の成功は、送り出し企業と受け入れ企業との間に長期的関係が築かれている場合に多く、特に送り出し企業の紹介・斡旋といった支援が大きな役割を果たしているということができる。この点で渡辺(1991,1999)が指摘するように、Granovetterのいう「弱い紐帯仮説」は当てはまらない。本分析で明らかになったことは、一般労働者の場合と異なり、高年齢層の場合には特に顕著に、強い紐帯の圧力が円滑な移動に貢献しているということである。
また移動に対する非自発から自発への意識転換や、他企業でも受け入れられる職務能力の獲得、および人的つながりの形成は、移動前の従来企業での比較的長期にわたる長期安定的な雇用関係の下で達成されている可能性が高い。こうした見解と、第6章で明らかとなった、同一職能での長期の経験蓄積が雇用継続を実現する要件であるとする結論とを合わせて論ずるならば、高齢期において他社に移動して雇用継続を実現する場合においても、その間のキャリアを分断することなく繋げていくことの重要性が浮き彫りとなろう。
以上から、キャリアの連続性と蓄積を意図した企業の人材育成、そして個々人の入社初期からの意識的なキャリア管理が、他社への移動を含む高年齢者雇用を展望した場合にも、重要な意味を持ってくることが指摘できる。つまり「長期的視点に立った人事管理が、高年齢者雇用の拡大に重要な役割を持つ」という見解は、他社への移動による雇用継続の場合にも当てはまる視点となることを示している。


6.経済・産業構造変革が高年齢者雇用に与える影響(付論)

第Ⅱ部および第Ⅲ部では、同一企業内あるいは他企業への移動によって、定年後の雇用継続を実現する人材としての条件と、人的資源管理システムの仕組みに関して議論を行ってきた。ここで得られた主要な論点は、高年齢者雇用を実現する人事管理上の条件は、これまでの雇用慣行と複雑な連関関係を持って従来の人事管理システムの中で再構成されており、したがって、高年齢者雇用を実現する仕組みも、全社的な人的資源管理システムの中で包括的な観点から捉えることが重要である、というものである。
ところで、この全社的な人的資源管理システムのあり方は、個々の企業の経営戦略や組織条件のみならず、より外的な環境変化によっても左右されると考えられる。例えばわが国では今日、経済・産業構造の変革期を迎えているといわれている。経済・産業構造変革下における情報技術の急速な進展、国際化、少子高齢化、不況の長期化といった諸々の環境変化が、個々の企業の人的資源管理に大きな影響を与えていることは明らかであろう。こうした環境変化が高年齢者雇用に与える影響を捉えることもまた、高年齢者雇用研究上、重要な課題といえる。
ここでは特に、雇用や人事管理に直接的、間接的に多大な影響を与えていると目される、情報通信技術(IT:Information Technology)の進展に着目し、また今後成長産業として期待される介護・医療分野における高年齢者雇用の可能性について検討した。

情報通信技術(IT)の進展が高年齢者雇用に与える影響(付論A)
わが国では近年において飛躍的な情報通信技術の職場への浸透が見られており、こうした情報通信技術という新技術が高年齢者雇用に与える影響について実証的に考察する。特に本論は、第Ⅱ部第5章での分析結果を踏まえ、この分析に情報通信技術の影響を加味し、高年齢者雇用の影響要因を明らかにする試みとなっている。分析に利用するデータは、第Ⅱ部第5章でも利用してきた日本労働研究機構に設置された「New Economyにおける労使関係」研究会で2002年に実施された質問票調査「IT化がホワイトカラー労働者の仕事と職場に与える影響」から収集されたデータである。
分析の結果明らかになったことは、従来通説的に言われてきたようなITの直接的影響、すなわち仕事や職場、必要能力の変化よりも、IT化に連動してもたされる間接的影響、すなわち個別的人事管理の進展が、高年齢者雇用に重要な影響をもたらしているものということである。
IT化の進展が、第5章で見てきた、個別的、成果主義的人事管理の進展を促進しており、実際の高年齢者雇用に有意に負の影響を与えていることが明らかであった。また現在では、IT化の進展、個別人事の進展にともなって、労働組合の役割の低下が指摘されているが、本分析によれば、労働組合効果は、実際の高年齢者雇用に強い負の影響を与えており、その本来的意図とは逆説的帰結さえももたらしていることが明らかにされた。このことは、高年齢者雇用問題を考える時に、人事管理のあり方のみならず、労使関係のあり方に関しても関心を払う必要があること示している。

介護・医療産業における高年齢者雇用創出の可能性(付論B)
第Ⅲ部で見てきたように、従来企業における雇用継続のみならず、他企業に移動することで、高齢期の雇用を実現する可能性も議論が求められている。この場合、これまでとは全く異なる他産業企業に移動することで、就業を実現することも可能性として充分にありうる。この時考えられるのは、労働需要の高まりが予測される、成長分野での雇用・就業の可能性である。介護産業で中高年層の労働力が吸収されるという仮定が、既に一般論として受け入れられているように思われる。介護・医療産業は、真に今後高年齢者雇用の受け皿となり得るのであろうか。ここでは事例分析を通じて、介護・医療産業における高年齢者雇用創出の可能性について検討した。
分析の結果次のことが明らかとなった。第一に、介護・医療産業においても、定年後に雇用継続される人材の能力、キャリアの特徴は、第Ⅱ部で見てきた雇用継続者の特徴と酷似している。すなわち定年前企業での従事期間が長く、同一職能内での経験が長い。そして雇用継続を実施する企業側の人事管理は、労働者間の摩擦を回避することに重点がおかれ、その方策として、雇用継続者には一律処遇が適用されていた。また同産業において長期雇用を前提とする人事管理が重用されている点も類似している。
 第二に、中高年層の中途採用者の特徴も、第Ⅲ部の見解と似ている。すなわち、採用においては同一職能内でのこれまでの経験が重視されている。また採用経路としては同産業内あるいは同企業内での内部ネットワークが利用されていることが多い。このことは、中高齢期において異業種から新規に介護・医療分野へと参入することが、相対的に見て困難であることを示唆している。
第三に、中途採用に関して第Ⅲ部の分析と相違することは、本論で見てきた中高年者の受け入れ企業が、第Ⅲ部の事例企業と異なり、長期を前提とする人事管理を行っている企業であり、その処遇システムの中に中途採用者の処遇を当てはめることが困難となっていることである。
 第四に、高齢社会の進展に伴って急成長が見込まれている新型介護老人福祉施設は、従来の施設とは経営のあり方が大きく異なることから、必要人材の特性も従来施設とは異なるとされている。新型介護施設は、介護士資格を持つものと、教育・訓練を教育機関で受けてきた若年新卒者の就業の場と考えられており、中高年者の雇用受入れ先として見なされてはいない。
以上を要するに、一般的に認識されているように、高齢社会において介護・医療施設は成長分野ではあるが、高年齢者雇用の新たな受け皿になるとは言い切れない。同産業で高齢期においても雇用される人材は、主として同分野での長い経験を積んでいる人々であり、中高年期になって新たに参入することは比較的困難と考えられる。また唯一中高年女性に開かれている職場である介護老人福祉施設も、今後は行政指導を受けて、経営体制が異なる新型介護老人福祉施設へと移行していく可能性が高い。そのような状況の中で、今後労働需要が見込まれる介護・医療産業において中高年齢層の労働力が吸収されるであろうとする一般的仮定は、再検討される必要があると考えられる。



7.結 論

わが国における労働力人口の高齢化、減少化、そして年金財政の逼迫状況は、高年齢者雇用問題を今日的な緊要課題として浮上させた。しかしこれからの日本社会の活力の維持ばかりのために、この問題の解決が重要なのではない。社会の工業化に伴い形成された「高年齢者=社会的弱者」とする高年齢者観、そしてそこから派生したエイジズムを打破するためにも、職業労働に励むいきいきとした高年齢者の姿が、実社会の中に示されていく必要がある。そのために本論文は、Butlerらの提唱する「プロダクティブ・エイジング(productive aging」に着目し、「高年齢者=生産活動に貢献し得る人材」という想定を置くことから議論を開始した。
他国と比して日本の高年齢者の労働意欲は極めて高い。「働く意欲と能力のある高年齢者」が多い日本は、他のいかなる高齢諸国とも異なる独自の明るい高齢社会を展望することができるはずである。そのためにはどのような視点が必要となるのであろうか。最後にここで、実践的含意も含めその要点をまとめておこう。

雇用される人の能力とキャリア
(1)キャリアのつながり、出会い、能力のオーバーエクステンション
 60歳以降も雇用される人の能力とキャリアについて考察すると、同一企業における雇用継続の場合も、そして他社への移動による雇用継続の場合にも、共通してそのキャリアには、「キャリアの連続性(つながり)」「飛躍のきっかけ(出会い)」「起伏のあるキャリア(能力のオーバーエクステンション)」という特徴が見られていた。
雇用される人は概して同一職能内で多くの移動を経験し、特定職能における知識と技能を深耕している。またそのキャリアの中で転機に結びつくような人や職務と出会っている。しかし同時に、キャリア全体を見渡した場合には、必ずしも安定的ではなく、困難性を伴う異動や仕事を経験している場合が多い。
こうした事実は企業と働く個人の双方に、高齢期の雇用・就業を職業人生の視野に入れた場合に、どのような取り組みに関心を払うべきなのか、その視点を提供してくれる。企業は個々人のキャリアが分断されないよう、注意深く人事異動やジョブ・ローテーションを計画する必要がある。そして少しだけ背伸びをさせる仕事への配置を意図的に行う必要もあろう。
一方働く側は、どのような異動や配置を経験しようとも、キャリアのつながりを自ら見出してく努力が必要となろう。そして人や仕事との出会いに気づき、これを飛躍に結びつける努力も求められている。また長い職業キャリアの中では、予測しないような苦難を経験することもある。しかしこれを克服し、プラスに転ずる力が必要である。雇用継続を実現した人は、運がよいから実現できたのではない。どのような状況でもそれを乗り越えていくからこそ、次のチャンスが与えられているのであろう。このチャンスを確実に掴み、着実にキャリアを歩んでいるからこそ、職務能力をますます向上させ、さらなる飛躍を実現し、最終的に60歳以降の雇用継続を達成しているものと考えられる。このような個人のキャリアに関する視点は、Bridges(1980)のいうキャリア・トランジション(career transition)の重要性や、Schein(1985)のいうキャリア・アンカー(Career anchor)の発見とも通じるものがある。つまり自分が置かれた環境を当該者がどのように捉えるのか、個人の「意識」の問題が、雇用される人の能力とキャリアの形成を左右するベースとなっているものと考えられる。
(2)労働限界生産性の引き上げによるα年の雇用延長
定年退職を「賃金総和=貢献度総和」とする労働経済学者Lazear(1979,1998)の解釈の下では、賃金カーブの勾配を緩める、もしくは従業員の貢献度(労働限界生産性)を引き上げる、といういずれかによって、60歳プラスα年の雇用延長が可能になると考えられる。
この問いに対して本分析の結果は、労働限界生産性を引き上げるための能力育成が、高年齢者雇用に最も有効な人事施策であることを示唆している。同一企業内および他社への移動による雇用継続の仕組みは、従来の人事管理システムをベースとするこれまでの制度的雇用慣行と複雑な連関関係を描き構築されており、賃金制度の急激な変更はこの仕組みの至るところに影響を及ぼすものと考えられる。また個別的・成果主義的な賃金制度への移行は、高年齢者雇用に負の影響を持つことも分析によって明らかにされた。
したがって能力育成に労力を傾斜させることが、円滑な高年齢者雇用につながる最も基本的な施策であると指摘できる。理論的に言っても、育成投資によって貢献度が高まれば、増加した部分を回収するために、雇用期間は長くなるはずである。ただしこの場合の能力育成には2つの側面がある。労働生産性のカーブ自体を上方移動させる中長期的な育成と、現在の能力の維持と向上に主眼を置く短期的は育成である。若年層に対しては前者に、中高年層に対しては後者に育成方式の重点が置かれるかもしれない。いずれにしても重要なことは、日本の高齢社会の将来を展望する上で、企業が担うべき役割は小さくないということである。
なお、同一企業内における雇用継続の実現も、他社への移動を通じた雇用継続の実現も、企業と労働者間の長期的関係を土台とする長期的な視点に立った人事管理が重要な役割を果たしていることが示されたが、労働力の流動化を想定する労働市場の将来ビジョンの中で、高齢期においても企業から必要とされるような人材は、どのようにしてつくり出されるのだろうか。つまり、高齢期においても有用となる職務能力の体得に必要な初期の育成投資は、いったい誰が担うのだろうか。能力の向上は個人の努力だけによって達成されるものではない。長期を前提としない雇用関係が日本の雇用社会の主流になるならば、上記のような問題が新たな課題として浮上すると考えられる。

合意形成のマネジメント
(1)自己選別とすりかえ合意による了解のプロセス
 円滑な高年齢者雇用の実現のためには、働く側の心理に配慮した施策が重要である。表立ったコンフリクトを回避し、自ら気づかせるプロセスをつくる必要がある。同一企業内での雇用継続では「自己選別」によって、移動による雇用継続では非自発から自発への「すりかえ合意」によって、選抜に伴う摩擦のマネジメントが行われていた。これらの背後にある「なんとなく知らせる仕組み」もまた、長期安定的な雇用関係を土台とする、長期の人事施策の中にあったといえる。
 合意形成の根底にあるのは、当事者の納得である。Simon(1961)がいうように、人は合理的であろうとしても限定的な合理性しか持ちえず、したがってその行動指針も「最適」ではなく、「満足」を基準とするしかないという。しかし「自己選別」や「すりかえ合意」の行動指針の特徴は、満足の手前の「納得」という、より低い次元におかれている点にある。当事者は皆、当初は想定外であった選択肢を、最終的にはあたかも自分でそれを選んだかのように納得し、受け入れているのである。
 しかしこれは決して悪いことではない。多くの人がすでに経験しているように、全てが自分の思い通りにならないのが世の常である。キャリアという点で述べるならば、職業人生の岐路に立ち、自分が選択した道が最善ではなく次善策であるか、あるいは本当は望まない道であることに気づいている場合がある。しかしキャリアの節目にはどこかで手を打つ、という判断も必要であり、その道を進まなければならないことも多分にありうる。このとき、進もうとする限りは、少なくとも、納得していなければ上手くはいかない。「自己選別」と「すりかえ合意」は、この納得に至る過程を自助のみでなく、組織の力を借りて上手く乗り切る仕組みである。
 その意味で「自己選別」と「すりかえ合意」による了解のプロセスは、満足ではなく「納得点」を根気強く探す、あるいはつくる、企業の人事管理であると捉えることができる。
(2)摩擦緩衝材および衝撃緩衝材による契約転換と適合のプロセス
 長年働き慣れ親しんできた仕事や役職、職場を離れ、新しい環境に身をおくことは、高年齢になるほど辛いものであるとされる。事例企業では、同一企業内での雇用継続の場合には、大幅な契約転換の際の摩擦を回避するために、また意識転換のために、第三者機関を介在して再雇用契約が締結されていた。また移動による雇用継続の場合には、他社への移動の衝撃が緩和されるように、出向・転籍という手続きが利用されていた。第三社機関による再雇用の手続き、および出向・転籍という手続きは、いずれも生じうる摩擦や衝撃を最小化するために設けられた緩衝材ということができる。
他社への移動の場合には、事例企業では、企業グループ内での移動の場合も、また系列外への転職の場合にも出向・転籍の手続きが多用されている。このように高年齢者の雇用継続を実施する企業や送り出す企業は、当事者への心理を配慮した仕組みや支援を行っている。摩擦緩衝材の準備は、企業と働き手の間に信頼を軸とする雇用関係が成立しているために実現できるものと考えられる。また衝撃緩衝材は送り出し企業と受け入れ企業の間に、強い紐帯関係が成立しているために実現できるものと考えられる。
以上のように見てくると、同一企業内での雇用継続においても、また移動による雇用継続においても、長期的視点に立った人的資源管理システムを土台として、その中に雇用継続の条件と仕組みを構築していることがわかる。高齢社会がますます進展していく中で、日本の雇用関係がどのような方向に揺れ動こうとしているのか、高年齢者雇用問題の展望を見据えようとするならば、これを注意深く考察し、雇用継続の条件と仕組みとの複雑な連関を検証していくことが求められている。

残された課題
 本論文は、同一企業で引き続き雇用継続される場合の人事管理の仕組みと、高齢期において他社に移動することによって60歳以降の雇用継続を実現する場合の人事管理の仕組みについて議論してきた。しかしながら本論で触れなかった論点がいくつか残されているように思われる。
 第一に、時短労働や短日労働といった就業形態による雇用拡大の可能については、本研究では触れなかった。ここで扱った事例はほぼ全てフルタイム勤務が基本となっている。しかしながら2004年の高年齢者雇用安定法の改正を受けて、企業に対する高年齢者雇用の圧力が強まる中で、ワークシェアリングによって多様な就業形態を設け、高年齢者雇用を拡大しようとする企業も現れ始めている。また現状でも就業希望を持つ不就業者の約半数は、時短労働を希望しているという実態もある。こうした状況を踏まえるならば、多様な就業形態による高年齢者雇用の可能性について検討していくことが求められよう。
 第二に、高年齢者の就業のもうひとつの形態として、独立・創業がある。日本における起業の難しさがたびたび指摘されるなか、独立・創業によって自らの雇用を創出している人々がいる。現在その比率は高年齢就業者の約1割に達しようとしている。これらの人々の成功のプロセスと人材としての要件について明らかにすることは、高年齢者雇用研究において意味があろう。
 第三として、本研究では年金制度との関係は深く触れていない。年金制度と高年齢者雇用の関係を実証的に分析する研究はすでにその蓄積が厚い。しかし日本の労働者の特徴である働く意欲の強さが、年金受給と就業継続の選択にどのように関係してくるのか、こうした研究視点は特有の労働観を持つ日本社会において重要と考えられる。他国で有用な年金政策が、日本で意図通りに運営できるとは限らない。他国の労働者と日本の労働者では、就業意識に関する大幅なギャップがあるのであり、その違いを年金制度の設計においても念頭に入れる必要があろう。
 またこれと関連して、なぜ日本の高年齢者は就業意欲が高いのか、その理由を他国との比較によって明らかにする必要があるように思われる。今回のインタビューの最年長者であったY氏は、次のように語っている。

   「・・・いろんな問題があるけど、耐える気持ち、耐える心、その反面、こうして働けるっていう感謝、会社に対する感謝を持ってる。耐えながら、耐えて、さらにもう一歩前進した感謝の気持ちを持って・・・。健康管理をやって、まぁ家内とともに長生きしていこうと思っています。・・・」

キャリアを分断することなく繋いでいくためには、組織に留まり、耐える気持ちも必要であろう。そしてその先に能力の向上、そして高齢期においても雇用される機会が生み出されていくのだろう。しかしなぜ、それほどまでにして働き続けるのだろうか。そこには経済的理由以外の何かがある。高年齢者の強い就業意欲がどのようにして形成されているのか、その研究の成果は、働くことに後ろ向きな現代の若者に対しても、何らかのメッセージを送ることになろう。
以上の研究課題は、すでに着手されている。これらの研究成果は今後随時別稿にて報告していくことになるだろう。

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