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博士論文要旨

論文題目:災いの説明と災いへの対処 ― ボルネオ島カリス社会における精霊、毒薬、邪術 ―
著者:奥野 克巳 (OKUNO, Katsumi)
博士号取得年月日:1998年3月27日

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1.本論文の目的と分析の視角
 本論文は、カリス( Kalis )の人びとが、病気や怪我、死などの災いを説明し、かつ、それらに対処する仕方を記述することを通じて、彼らが、災いを説明するための諸観念である精霊、毒薬、邪術などをめぐる現実を築き上げる過程を描き出すことを主眼とした民族誌研究である。

 人類学における災因論研究の主唱者である長島信弘は、エヴァンズ=プリチャード( Evans-Pritchard )に依拠しながら、個別文化における「不幸の原因の追求とそれに対処する手段」を、災因論と呼んだ。災因論とは、「人間にふりかかる不幸や災いを解釈し、説明し、そして、それに対処するための行動を指示する個人に外在する文化システムである」。ある文化の災因論を研究することの有効性は、従前の人類学研究において、「精霊世界とシャーマニズム」「宗教と呪術」などとして個別に主題化されてきたトピックを、当該文化の人びとの日常生活の中に位置づけ直し、それを、人びとが災いを説明し、かつ、災いに対処するための文化的な装置として捉える点にある。

 妖術や邪術という諸観念を災いの説明体系であると捉えたエヴァンズ=プリチャードの視点を継承したファヴレ=サアダ( Favret-Saada )は、対象社会の人びとが、災いに巻き込まれた位置からでしか、それらの諸観念について語ることがないことを明らかにした。本論文では、そのような人びとの実践的な推論と行為の記述がどの観点からなされるのかという点に関して、行為の記述についてのこれまでの諸理論を検討した上で、記述と記述された対象そのものは別ものであるという立場に立つ。この観点から、本論文は、対象社会の人びとの災いの語りの中に巻き込まれる観察者の視角から、人びとが、災いを説明し、かつ、それに対処するという推論と行為の実践について記述し、そして、その実践を通じて、人びとが、災いを説明するために使われる諸観念をめぐる現実をどのように築き上げているのかを描き出すことになる。

 カリス人は、インドネシア・西カリマンタン州(ボルネオ島)の内陸部、カリス川流域とその周辺に居住する、人口二千人弱の焼畑稲作民である。カリスの災因論は、基本的には、二通りの説明と、そのそれぞれに対する対処(処置)によって構成される。カリスの言葉をそのまま使えば、二通りの説明とは、「精霊の仕業」と「人の仕業」である。後者の「人の仕業」は、「毒薬」を使った人の仕業と「邪術」を使った人の仕業というカテゴリーに二分される。尚、本研究の基礎となったデータは、1994年1月から1995年12月までの24ヶ月間にわたって、カリス人居住地において集められたものである。


2.各章の要約

 第一章では、以下の民族誌記述に背景的な知識を与えるために、カリス社会を素描する。
 カリスの社会組織は、従来の親族研究の成果に照らせば、双系社会であると言うことができる。彼らは、父親と母親を通じて辿ることができる親族に、理論的には、同等の社会関係の比重を置いている。また、カリスの人びとは、カリス川流域周辺の沖積地を切り拓いて、焼畑稲作によって生計を立てている。畑では、陸稲の他にとうもろこし、インゲン豆、キュウリなどを栽培し、主に自家用に消費する。さらに、森の中に自生するドゥリアン、ランブータンなどを集め、市場に売ることなどによって現金収入を得ている。近年、急ピッチで、インドネシア政府による辺境地開発が進められており、カリスの人びとは、これまでになかった近代化を経験しつつあることが示される。

 第二章は、カリス社会の神話・歴史に関する聞き取り調査を通じて、研究者(観察者)を巻き込んだ上で展開する出来事について記述し、考察することによって、カリスの災因論への導入部とする。
 神話・歴史を聞き終えた夜に筆者の夢の中に現われ、筆者を殴り殺した人物は、見返りを受けることなく語られたことに対して怒り、災いをもたらすことを告げにやって来た、神話・歴史の登場人物の神格・死霊(精霊)であると、カリスの人びとによって解釈された。その解釈を機として、筆者は、筆者の夢に現われた神話・歴史の登場人物の霊に対して捧げ物をするための儀礼の主催者となった。儀礼の中で、人びとは、それらの精霊に対して、災いをもたらすのでなく、安寧な生活をもたらすように祈願した。この一連の過程を通じて、神話・歴史の登場人物が、次第に、災いのエージェントとしての神格・精霊としてのかたちを与えられていった。一方で、それにも拘らず、カリスの人びとの間では、最初から独立的に存在する神格・精霊が筆者の夢の中に現われて、捧げ物をさせるように仕向けたかのように扱われたのである。ここでは、筆者が、神話・歴史についての聞き取り調査を通じて、カリス社会の災因論の中に巻き込まれゆき、カリス人が、日常生活において、神格・精霊を、人間に対して病気、怪我、死などの災いをもたらす存在としてつくり上げていく場面に出くわす過程が描き出される。

 第三章は、「精霊の仕業」による災いの説明の仕方について検討する章である。 病気や死などが生じた時点で、その出来事が、「精霊の仕業」であるとして、どのように説明されるのかを、ある幼児の発病から死に至る過程の中に辿る。幼児の発病の翌晩になされた、バリアン( balian )と呼ばれる治療専門家による儀礼において、病気を引き起こしているとされたエージェント(精霊)の名前は、幼児の死に際して、決して言及されることはなかった。葬儀の場で、幼児の母親が、幼児に死をもたらした存在に対して呪詛を唱えたことを発端として、その夜遺族の前に現われた猫が、死んだ幼児の父親によって殺害された。その事件を契機として、猫に化身したエージェント(精霊)が幼児を死に至らしめたことが、死者を送り出した遺族の間で、一つの事実として経験されるようになった。このように、災いのエージェントの正体が時間を追うごとに変化するということは、幼児の身体という場に起きているのが病いから死に至るただ一つの疾患であるにも拘らず、それを引き起こしたエージェントが、人びとの間で、文脈に応じて社会的に構成されるということを示している。言い換えれば、病気や死を説明するために持ち出された精霊が、当事者にとって、災いのエージェントとして現実として経験されようとも、それは最終的なエージェントとはなりえないのである。

 第四章と第五章は、カリス人が、主に、「精霊の仕業」による災いに対処する仕方について検討する章である。
 第四章では、災いに「事前に」対処するための行為の諸形式を持つカタベアアン( katabea'an )という民俗知識に焦点をあてる。「出された食べ物・飲み物を摂らないか、摂らないことに対する適切な処置をしないと、(カタベアアンになり、その結果、人間の霊魂が精霊に襲われることにより)病気や死、蛇やムカデなどの小動物に襲われて怪我をするなどの災いに見舞われる」というのが、カタベアアンの知識である。この観点から、カリスの人びとが、病気や怪我などの災いが生じた時点で、その災いを、カタベアアンの知識に照らして、遡及的に、出された食べ物・飲み物を摂らなかった、あるいは、摂らないことに対する適切な処置をしなかった出来事に結びつけるという、一つの災いの説明の仕方を論じる。さらに、カタベアアンは、災いの出来事が将来的に語られることがないように、すなわち、災いが起きないことを願って、前もって行なわれる行為の諸形式を持っているということを論じる。それは、例えば、出された食べ物・飲み物が欲しくない時に、それらに、右手指を軽く触れて、「私を解き放ってくれ!」と呟くという行為の形式であったり、森の中では、食べ物・飲み物に関わる語彙を他の食べ物・飲み物に関係のない語彙に置き換えるという言語習慣などである。このようにして、カリスの人びとが、カタベアアンによって推論し、カタベアアンにならないように行為することによって、精霊をめぐる現実をつくり上げていることが論じられる。

 第五章では、病気や怪我が生じた「事後に」なされる対処法としてのバリアン儀礼を取り上げる。
 バリアンは、夜通し行われるバリアン儀礼において、病者の霊魂を奪っている精霊を殺害し、霊魂を奪回して、病者の身体へ定位するというパフォーマンスを行う。筆者が観察した諸事例からは、バリアン儀礼によって病気や怪我などが癒されたり、災いが取り除かれるということは、実証的には明らかではない。ところが、バリアン儀礼は、病気や怪我の際の重要な一つの対処法として、カリス人に採用され続けているのである。バリアン儀礼後の人びとの語りを検討してみると、儀礼後、バリアン儀礼によって平癒したと考えられる場合にのみ、災いをもたらした精霊がバリアンによって殺害されたため、病気や怪我が癒されたのだという語りがなされる傾向があることが分かる。このような語り口は、カリス文化の精霊観念を更新すると同時に、人びとが、病気や怪我をした時の重要な対処法として、バリアン儀礼を採択するための拠り所となる。ここでは、このような語りの傾向が、バリアン儀礼が行なわれれば行なわれるほど、それが治癒に結びついても結びつかなくても、バリアン儀礼のシステムとしての存続の強化につながることが示される。

 第六章では、災因論の枠組みに即して、精霊をめぐる現実がどのように構成されるのかを中心に考察するという、第三章から第五章までの議論の展開と異なり、カリス社会において災いの一つに分類される狂気的な行動を取り上げて、考察する。
 ここでは、狂気が社会的に決定されるのだと捉える見地から、カリス社会の二つの狂気である、「ラオラオ( rao-rao )」と「マウノ( mauno )」の特徴を析出した上で、これまで論じてきた災因論的な観点から、狂気的な行動パターンに対するカリスの推論と行為の過程について考察する。第一に、ラオラオの様態に共通するのは、ラオラオであると名づけられた人物と名づけた社会のメンバーが、互いに、対象についての互いの見方の違いを認めながら、双方が互いの見方に歩み寄らない状況があるということである。そして、ラオラオであるとされた人物は、その状態が「精霊の仕業」であると説明され、バリアン儀礼によって処置されることなどによって、正常な状態へと帰着するようになるかもしれない。この意味で、ラオラオは、説明され、対処される狂気的な行動である。第二に、カリス社会のメンバーは、ある人物が彼/彼女自身の狂気的な行動パターンについて顧みることがないということを確認した上で、当該人物にマウノという名称を付与する。この意味で、マウノは、カリスの人びとにとって説明することができないし、それゆえに、対処することができない、社会的に見放された狂気的な行動であることが示される。

 第七章と第八章は、カリスの人びとが、災いを「人の仕業」によって説明し、かつ、それに対処する仕方を検討する章である。
 第七章では、とりわけ、「毒薬」による災いの説明、および「対抗薬」による災いへの対処の側面に焦点をあてて、記述し、考察する。
 毒薬は、経口摂取されるだけでなく、呪文を唱えて仕掛けることによって、相手を病気や死に至らしめることができると考えられている、小さな瓶の中に入った液体と物質である。一方で、対抗薬は、毒薬に起因する病気に効くとされる、同じく小さな瓶の中に入った液体と物質である。筆者のフィールドワークでの作業仮説は、カリス社会では、病気や死などが、遡及的に、毒薬によって引き起こされたと語られるだけで、毒薬を仕掛けるという実践が行なわれてないというものであった。毒薬について調査を深めた結果、そこでは、毒薬を仕掛けたことを証言する語りもあるが、そのことと、仕掛けられた人物の病気・死の間の結びつきの事実性を、その語りだけから判断するのは至難のことであることが分かった。重要なことは、毒薬所有者が、毒薬をそれに付随する知識とともに所有していて、それを仕掛けて、妬ましい相手をつねに病気にしたり、死に至らしめたりする用意があると、毒薬を所有しない人びとが考えているという点である。ここでは、カリス社会における毒薬とその知識の存在を核として、毒薬所有者と毒薬を所有しない人びとが対面する社会的な諸場面で、毒薬をめぐる現実がつくり出される過程の一端が描き出される。

 第八章では、「人の仕業」による災いの説明のうち、「邪術」による災いの説明の側面に焦点をあてて、ある邪術告発事件を取り上げて、邪術師がどのように特定されるのかについて考察する。
 神意に基づいて邪術師を判定するという、カリス社会では稀にしか行なわれない試罪法において、神意は、その場に集まった人びとの前に、明瞭に示されることはなかった。この場合、邪術師が特定されるに至った経緯は、邪術の「被害者」であると自認する人物が、彼を取り巻く、葛藤を内包する社会関係の細部を、その場に集まった人びとに対して述べ立てたことと深く関わっていた。カリス社会においては、災いを、誰某が仕掛けた邪術のせいであると説明することは、「被害者」を含む社会的な葛藤劇を利用することによって可能になる。このことは、カリス人が、災いを「人の仕業」によって説明する場合、災いを被った人物を取り巻く社会的な緊張関係の図式を、その説明の拠り所とすることを示唆している。ここでも、また、カリスの人びとが、災いを「人の仕業」によって説明するという実践を通じて、毒薬なり邪術をめぐる現実を築き上げることが示される。


3.まとめと残された課題

 これまで見てきたカリスの災因論の枠組みは、以下のようにまとめることができる。

 カリス人は、病気や怪我、死などを含む災いが起こった場合、それを、遡及的に、「精霊の仕業」か、あるいは、「人の仕業」のどちらかによって説明する傾向にある。「精霊の仕業」とは、人間の霊魂が精霊によって奪い去れられたり、捕らわれたりすることなどである。急な目眩や発熱は、病者(の霊魂)が、死霊や祖霊などの精霊に「話し掛けられた」だけで引き起こされたのであると説明される場合もある。他方、「人の仕業」とは、他者である人間が、毒薬や邪術を仕掛けることである。血尿が出た者は、それは、彼のことを妬んでいる誰かが毒薬を仕掛けたためであると説明することがある。

 このような災いの説明に照応して、カリス人は、そのそれぞれに応じた方法で、病気や怪我などの災いに「事後に」対処しようとする。災いが「精霊の仕業」であると推論された場合、バリアンを招いて、夜通し儀礼を行なう。バリアンは、儀礼の中で、病者の霊魂を奪い去った精霊を殺害して、霊魂を取り戻し、それがもともとあった身体へと定位するパフォーマンスを行なう。他方、災いが「人の仕業」であると推論された場合、そして、とりわけ、毒薬を仕掛けられたのだと推論された場合には、その毒薬に効能があるとされる対抗薬を所有する人物を招いて、手短かな儀礼を行なう。対抗薬の所有者は、小さな瓶の中から液体を取り出し、それを患部に塗り付け、病気がそれを仕掛けた人物のもとへ戻るようにと呪文を唱える。

 また、カリス人は、災いが起きないことを願って「事前に」様々な対処(処置)を行う。彼らは、精霊に霊魂を奪われて、病気や怪我をすることがないように、森の中での言語習慣および日常的な数々の作法や儀礼などの、「事前に」なされる対処法を発達させてきた。他方、仕掛けられた毒薬に起因する病気にならないように、液体と物質の入った小さな瓶を、「事前に」護符として身につけることがある。

 カリス社会では、災いが「精霊の仕業」であると説明された場合それに見合った対処がなされ、災いが「人の仕業」であると説明された場合それに見合った対処行動がなされるという具合に、決して、明確に線引きした上で別々に、災いをめぐる説明と対処がなされるわけではない。ある病気が、「精霊の仕業」であると説明されたとしても、その後、ある時点で急に、それは、「人の仕業」であるとして説明し直されることはよくある。これとは逆に、病気が「人の仕業」として説明されていても、途中から、「精霊の仕業」として説明し直されることもある。そのような場合、災いへの対処法は、災いの説明に対応して変化することになる。

 本論文では、民族誌の書き手の立場から、カリスの人びとが、病気や怪我、死などの災いを説明し、対処するという推論と行為のあり方を記述し、彼らが、精霊、毒薬、邪術などの災いを説明する諸観念をめぐる現実をつくり出す過程を明らかにしてきた。言い換えれば、本論文は、災いを説明する諸観念が、対象社会の人びとの間で客観的・外在的に存在する現実ではなくて、災いを説明する諸観念をめぐる現実を、人びとが、災いを説明し、災いに対処するという実践的な活動を通じて、その場・その時に、つくり出していることを明らかにしたことになる。その際、カリス社会の個々人がそれぞれの知識として持っている、災いを説明するための諸観念の間のズレが、語りや行為を通じて、調整され、一つのかたちを持ったものとして現われる過程を描き出すことに努めてきた。

 この立場は、対象社会の人びとが、周囲の状況を所与のものとして扱っているのではなく、未知の要素を孕む状況の中に一定のパターンを見出して、それに意味を与えるという作業を行うことで、彼らにとって馴染み深い状況を創出しているという、人びとの日常的な実践を重視するものである。このような研究戦略は、災いを説明する諸観念を社会的事実として捉える傾向にある災因論研究に新たな見通しを与えることに寄与するはずである。そして、そのことによって、筆者は、災因論研究の枠組みそれ自体が、対象社会の災いを説明する諸観念を解明するための有効な手続きたりえることを示したことになると考えている。

 ところで、本論文は、対象社会の人びと同士のコミュニケーションを通じて成立する現実に焦点をあてたため、対象社会の人びとと民族誌の書き手(観察者)の間のコミュニケーションを通じて成立する現実には、十分な関心を払ってこなかった。対象社会の人びとと観察者の間のコミュニケーションを通じて成立する現実をめぐる諸問題、すなわち、異文化の表象をめぐる数々の問題についての議論から得られた知見を検討し、併せて、それを活かしながら、実際の民族誌を書く作業を行なうことは、本論文に積み残された大きな課題である。

 これ以外にも、本論文に残された課題はある。例えば、本論文では、「精霊の仕業」と「人の仕業」による災いの説明とそれへの対処に照準を合わせて論じたため、1980年代以降、重要なものとして登場するようになった西洋医療体系を含めた、カリスの人びとの災いの推論と行為の形式までには、十分な配慮が及ばなかった。カリス社会を取り巻く急激な社会変化による、西洋医療への依存の側面にも配慮しながら、カリスの災因論について検討することが、課題として残されている。また、カリスの病気や狂気との関わりで、筆者は、西洋医学の立場から彼らの症状を記録し、分析することはできなかった。カリス社会における病気や狂気をめぐる問題は、医学・精神医学的な知見と照らし合わされた場合により豊かな洞察が得られるはずである。病気や狂気などを含む災厄に対する行動について考察する際に、今後は、医学・精神医学との協力を模索することが必要である。

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