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博士論文要旨

論文題目:オーストラリアにおける障害生徒のトランジション~ニューサウスウェールズ州の学校役割を中心に
著者:安倍(山中) 冴子 (Yamanaka-Abe, Saeko)
博士号取得年月日:2005年7月13日

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 本論文は、オーストラリアにおける障害生徒のトランジション保障について、ニューサウスウェールズ州の学校役割を中心に研究したものである。
 障害児教育は、特に後期中等教育において、生徒の実態や内面的成長以上に学校教育の出口からその意義が捉え返され、規定される傾向が強かった。障害のある生徒たちが、将来とにかく社会に迷惑をかけないために、せめて身辺のことは自力で処理できるようにすること(身辺自立)、また障害が軽度であるならば、職業的スキルをとりあえず身につけさせること(職業的自立もしくはそれによる経済的自立)、この2点が教育目標として掲げられることが歴史的にも多かったし、現在でもその傾向がなくなったとは言えない。障害児教育は社会適応主義的な色調から脱却することは容易ではないことが窺える。
 しかし各国での先駆的実践の蓄積や、ここ20~30年ほどの障害観や自立論の国際的な深まりは、障害者の「自立」を、職業的自立を含みつつより広い概念として捉え返した。例えば「自立」を他者からの援助を受けないこととか、自活することとして理解すると、多くの障害者は「自立」していないことになる。そうではなく、従来からの限定的な自立概念から脱却し、どんな障害があろうが、その障害が重度であろうが、権利としての福祉サービスを受給しながら個々人の自己実現を可能にするという、自律とも言うべきものを保障することの重要性を指摘する論者は少なくない。それだけ「自立」は、個別に定義されなければならない相対的概念なのである。では、多様な「自立」を保障するために学校はどのような役割を担う必要があるのであろうか。
 この問題意識を研究課題として設定するために、本稿では障害生徒のトランジション(transition)をテーマとして取り上げた。OECD(Organization for Economic Co-operation and Development;経済協力開発機構)は、義務教育段階の障害児教育に関する議論の一定程度の到達点を示した1970年代後半から、トランジション保障に議論の焦点を当ててきた。トランジションとは、学校教育から就労を含めた最終オプションの間に、例えば職業訓練機関や継続教育機関などを介入させ、障害者が個々に適した形で学校教育修了後の生活を充実させることを目指す取り組みである。従来は、自立論の変遷でもみたように、トランジションのゴールは就労に限定される傾向にあったが、現在では障害者個々の自己決定を大事にしながら就労に限らない多様な「自立」形態に向けて、学校教育修了後のオプションを豊かに配置することが求められている。多様な「自立」に向けたトランジション保障において、OECDは学校教育の重要性を特に強く認識している。それは、障害生徒の多様な医学的、福祉的、教育的ニーズを捉えながらトランジションを保障する上で、学校はトランジションに向けた長期間の準備の場となるからである。「自立」の多様性を広げる思考とトランジション保障の実践は相互に作用しあい、障害児教育のあり方を刷新する大きな可能性を有している。このように自立論と深く関わって、その最終ゴールを多様なものとしたトランジション保障における後期中等教育段階の取り組みを考察することは、多様な「自立」に向けた学校役割を追究する上で有効である。学校はどのような体制でトランジション保障に取り組む必要があるのであろうか。つまり、どのように教育内容を整え、どのように関係機関と連携をもち、どのようにスタッフを配置していく必要があるのであろうか。そして、学校は関係連携の中でどのような役割を担う必要があるのであろうか。以上を、問題関心を受けた本稿の課題として設定した。
 本稿ではオーストラリアを研究対象国とし、ニューサウスウェールズ州を中心に課題を追究した。同国は多文化を尊重する姿勢から、機会と待遇について平等な権利を与える「社会的公正(social justice)」をキーワードに、社会的マイノリティに対して多様な教育プログラムを生み出している。障害のある児童生徒は社会的マイノリティの一カテゴリーとされ、的確なニーズ把握に基づいた付加的な教育的援助の必要性が行政的にも認められている。そこには、トランジション保障において不可欠とされた専門スタッフの配置や関係機関連携なども含まれる。このような土壌の上に、オーストラリアはアメリカやOECD/CERIの研究による影響を受けつつ、中等教育全体を移行のための教育期間として捉えた独自のトランジション教育(Transition Education)を実施している。トランジションの支援がトランジションの時期だけではなく、障害生徒が個々にそれ以前の教育で培ってきたものが関わるという意味でも、同国の中等教育全体を対象とするトランジション教育において学校がどのような役割を果たしているのかを考察することは、本稿の課題を追究する上で有効である。またオーストラリアの例は、それぞれの国や地域が独自の歴史や教育の蓄積を踏まえつつ、アメリカやOECD/CERIのトランジション研究をどのように生かしていく必要があるのかを考える際の、一つの材料となるであろう。本稿では、オーストラリアにおけるトランジション先進州とされるニューサウスウェールズ州により焦点を当てた。
 まず、先行研究の理論分析によりトランジション概念について、その生成過程や自立論などの関連諸理論との関係性とともに把握し、それにてらして求められる学校役割について明らかにした。アメリカにおいて、障害生徒のトランジションは1960年代の学校・仕事プログラムを起源とする。学校・仕事プログラムは学校教育に地域での職業体験を導入したが、1970年代になると、スプートニック・ショックによりキャリア教育が台頭した。キャリア教育は初等教育段階から、職業教育ではなく普通教育の中で職業選択の素地を育てることを目指したが、キャリア教育がそのまま就労への移行をスムーズにする保証はなく、特に障害生徒の進路保障は学校教育段階のみの努力で豊かになるとは言い難かった。そこで、1980年代に第3の理論及び実践として誕生したのがトランジションであった。1980年代の主たるトランジション研究は、トランジションの目標を雇用に限定した形で進められた。しかしHalpernは、障害生徒の独自性を念頭にトランジション概念を拡大し、就労のみを目指すトランジションモデルを刷新した。Halpernは住環境や人的ネットワークの構築など、雇用以外のオプションを雇用と同等に配置し、トランジションのゴールを多様にしたのである。障害者のトランジションが、障害のない者のトランジション議論にひきずられて定義される傾向にあった中で、障害者だからこそ保障されるべきトランジションの内実がかなりの程度明らかにされたと言える。
 国際機関であるOECD/CERIも、各加盟国の状況を踏まえつつトランジションに関する研究調査を積極的に行ってきた。OECD/CERIによってもトランジションは、障害者雇用対策の一環と位置づけられたが、ノーマライゼーションやエンパワメントといった概念が加えられ、最終ゴールを雇用に限定しないものとして深められていった。そこで着目すべきは、障害者はincompetentであるという従来の障害・障害者観を捨て、他の市民同様に、「成人」になりゆくトランジションを権利として保障すべきと結論づけた点である。トランジションを「成人」になりゆく道筋と位置づけ、「成人への権利」の観点からトランジション保障の重要性を明示したのである。
 このようなトランジションについての議論は同時に、トランジションの観点から学校役割の見直しを迫った。職業教育訓練をファンクショナル・カリキュラムとして組み込むこと、地域をベースに関係機関が連携していくこと、そして、卒後の就労や社会生活を見越してインテグレーション(現在ではインクルージョンの方が好んで用いられる)を実施することが、トランジション保障のための学校役割として挙げられた。OECD/CERIも学校教育を、必要とされる多様な関係機関の中でもトランジションに向けて障害生徒の適性を把握し、とりわけ長期にわたる準備段階として重視した。更に、1990年代の障害生徒を対象にしたキャリア・デベロップメント研究は、トランジションの準備期間を就学前期から捉え、学校を含めた関係機関が担うべき役割を明示している。また、障害生徒を主たる対象にはしていないキャリア・デベロップメント研究からは、トランジションにおいては職業とのマッチングにとどまらない児童生徒たちへの心理的側面の援助が重要とする見解が示されており、これは障害生徒にとっても有意義な指摘である。換言すれば、キャリア・デベロップメント研究は、トランジションをライフ・スペースとライフ・スパンの観点から捉え、それに向けた学校教育を、キャリア・デベロップメントを促すためのものとして位置づけたのである。
 トランジション研究とキャリア・デベロップメント研究を総合すれば、トランジションに向けた学校教育は、キャリア・デベロップメントの観点に立って、ファンクショナル・カリキュラムを、関係機関連携を、そしてインテグレーション・インクルージョンを機能させる必要性がある、ということになる。これは、身辺自立や職業的自立といった狭義の自立論から過度にその役割が規定されていた従来の障害児教育からの脱却と捉えることができる。したがって、キャリア・デベロップメントの観点から求められる学校役割は、トランジションモデルの刷新と大きく関わっている。キャリア・デベロップメントとトランジションの両者は、相互を成り立たせる上で必要な視点なのである。
 以上のようなトランジションとそれに伴う学校役割の理論的到達点の一方で、トランジションが国家の教育に対する関心の向け方と密接な関係をもって実施されるという点も明らかになった。アメリカにおけるキャリア教育の衰退や、初期のトランジションモデルにおける雇用重視の目標設定などには、国家の教育に対する関心の向け方を如実に表す法整備等が大きく影響していた。障害者や彼らを支える人々の要求もさることながら、国家のニーズ、特に経済状況を見越した教育的関心がトランジションには深く関わっていた。これは、OECD/CERIが雇用対策の一環としてトランジションを捉えたことと共通する。このような国家の見解と当事者及び関係者サイドの要求の間には、少なからず距離がある。
 障害生徒のトランジションは、オーストラリアでも長い間課題となっていた。同国におけるトランジションの萌芽は1970年代、障害生徒に対して職業体験を導入した時代にまでさかのぼる。職業体験を実施する中で、キャリア教育の要素が加味され、更に、障害者の雇用可能性への気づきや地域での就労という視点が獲得されていくことにより、トランジション導入の素地は確実に築かれていった。これはアメリカと類似した流れである。 
 1980年代に入ると、先のOECD/CERIによるトランジション調査がオーストラリアでも行われた。ここでは関係機関連携の必要性、トランジションに関する情報やリソースの不足、学校教育や地域生活での統合を促そうとする視点の希薄さが同国のトランジション保障における課題として指摘された。このようなトランジション調査の結果が受け入れられ、実際にトランジション整備が着手されていった背景の一つには、ノーマライゼーションや国際障害者年に伴って抜本的に転換された障害者福祉政策の存在があった。新しい障害者福祉政策では、生活、雇用、情報、広報活動等のあらゆる場面において障害者の社会参加を推進することが目指されている。特にトランジションに関わっては、保護雇用を障害者雇用の唯一の形態ではなく、一般就労や援助付き就労へのプロセスとして捉えた点が注目された。一方トランジションの導入には、経済合理主義という政治的姿勢も大きく影響していた。経済合理主義の下で、教育は若者が国家経済に確実に貢献することを目指すものと捉えられた。具体的には、産業界の求めるスキルを明示し、その習得に向けた取り組みがカリキュラムにも反映され推進された。従って、職業教育訓練の積極的導入が大いに歓迎され、障害の有無を問わずすべての生徒がその対象となった。障害生徒もこのような教育の対象からはずれることなく、他の市民同様「生産的な」存在として正式に位置づけられた。これを障害者も他の市民と同等に扱われているとみるのは簡単であるが、経済合理主義の観点から言えば、社会保障への依存度を低く抑える上で効果的であったためとみる方が妥当であると考える。このようにオーストラリアにおけるトランジション導入の背景は、ノーマライゼーションの実現と経済合理主義の徹底という2側面から押さえることができる。同国の場合、賃金労働をモラルの最高位に位置づける同国の歴史的土壌の上にノーマライゼーションが導入されたことで、職業教育訓練の拡大が地域に出るために必要な支援策と解釈された。ノーマライゼーションと経済合理主義は、トランジション導入に際して共存したのである。
 1990年代、ニューサウスウェールズ州において、Halpernの影響を強く受けたオーストラリア版トランジションモデルを踏まえて、トランジションのパイロットプログラムが実施された。トランジションの概念を確立するだけでなく、学校教育のカリキュラム構造や学内での支援体制、そして卒後のサービスのあり方に至るまで、障害生徒のトランジションを保障するための広範な作業が進められた。パイロットプログラムの参加校は年々増加し、トランジションは従来からのインテグレーション・インクルージョンとセットで、障害児教育政策におけるキーワードとして登場するようになった。そこでは障害生徒にとって、後期中等教育段階だけでなく中等教育段階全体が学校修了後の生活に必要なスキルや能力を身につけるための段階と捉えられ、個別計画を策定すること、意思決定段階に保護者や家族の関与を積極的に認めること、そして関係諸機関連携をより強く推進することといった3つの要素が求められた。
 トランジション保障において、障害者の社会生活を豊かなものとするために出来る限りインテグレーション・インクルージョンを実施することの必要性が国際的にもいわれているが、ニューサウスウェールズ州では着実にインテグレーション・インクルージョンが普及している。同州において、インテグレーション・インクルージョンの基盤整備は多様に図られている。必要な機器を貸与する物的リソースの提供はもちろん、巡回援助教師や各種療法士などのスタッフ派遣といった人的リソースの提供もなされる。各学区に配属されているコンサルタントは、このようなサービス全般の責任を有するだけでなく、児童生徒本人やその保護者、学校関係者などからの相談にも応じる。
 インテグレーション・インクルージョン、更にはトランジションを含む学校教育の整備をより根本的に下支えする「児童生徒福祉政策」は興味深い。これはアト・リスク概念と特別な教育的ニーズ概念を区別するのではなく、むしろ統一的に捉え、児童生徒への教育保障に不可欠な学習条件整備を、地域に、学校に、関係機関に、保護者に、それぞれのスタッフに求めるものである。ここには、子どもの教育は学校単独ではなく地域で協力して担うものとする認識が貫かれている。しかしその中で中心的役割を果たすのは、子どもが1日の大半を過ごす学校である。関係機関との連携部分に専門スタッフを配置し、学校を中心としたネットワークを形成する。これが「学校地域」という発想である。この政策により、インテグレーション・インクルージョンにとどまらず、トランジションに向けて、その重要性があらゆるところで主張されている学校と他機関の連携推進が可能となっている。
 各学校では、障害のある児童生徒それぞれに学習支援チームを結成する。学習支援チームは生徒の教育活動のあり方を決定し、見直し、改善する。中等教育段階の学習支援チームは、生徒本人、保護者、担任、スクール・カウンセラー、トランジション担当の巡回援助教師、地域の関係機関のスタッフなどによって構成される。生徒本人と保護者、そして学校関係者がコア・メンバーとなるが、学校以外の何らかの関係機関がその生徒の学校教育に携わっている場合、そのスタッフもメンバーとして位置づけられる。学習支援チームは定期的にミーティングをもち、生徒の個別トランジション計画を練る。障害生徒の学校生活を支える上でなによりも不可欠な医療・福祉との連携は、チーム構成員でもあるスクール・カウンセラーが中心的に担っている。一方、トランジションにより直接的に関わる職業教育訓練においては、トランジション担当の巡回援助教師が地域の企業やTAFEなどとの連携を推進する。このような生徒の様子を共有しながらの基本的な役割分担は、トランジションに向けた教育活動の実施を円滑にするだけでなく、担任教師の過重な負担を避ける上でも有効であろう。
 ミーティングによって決定された教育活動の方向性にしたがって選択されるカリキュラム内容については、11,12年生での職業教育の充実が特徴的である。しかし、キャリア探索を主たる目的とした「職場・地域での学習」を組み込み、特定の職業群のスキル習得を目指すVETを開始するといった流れからわかるように、生徒本人の進路選択や進路決定を大切にしながら、段階的に職業教育訓練につなげていけるようなカリキュラム構造になっている。ノーマライゼーションの観点からも、地域に注目した教育活動を展開することが重要とされており、トランジション担当の巡回援助教師が築くネットワークが活かされる。
 以上を総合すると、トランジションに向けた学校教育段階での取り組み、つまり、オーストラリアでいわれるトランジション教育(Transition Education)とは、医療や福祉のサービスを必要なときに即利用できるような学習環境の上に、インテグレーション・インクルージョンを実施し、個々に適した形でキャリア探索を踏まえた職業教育訓練を重視するカリキュラムを配し、TAFEや地域の企業などと連携を積極的に推進するという、一連の流れとして把握できよう。
 しかし、職業教育訓練を重視するカリキュラムは生徒の進路選択の幅を広げる努力とみることができる一方で、職業教育訓練を主たる目的とする機関との連携が積極的に推進されていることや、VETがCompetency-basedアプローチを採用していること、そしてVETにかなりの時間が割かれていることからは、経済合理主義下の教育が政策レベルだけでなく実践レベルでも機能していることがわかる。それは行動主義的な子ども把握とも密接な関係にあり、生徒と教師の関係性にも大きな影響を与える。つまりトランジション教育には、その実践の細部に渡って経済合理主義の観点が浸透していることも事実なのである。
 本稿は学校教育に特に関心を払うものであるが、ポストスクールオプションのあり方が学校教育に多大な影響を与えるという意味で、それがどのように整備されていったのかについて触れないわけにはいかない。ポストスクールオプションは、最初からHalpernによるトランジションモデルを可能とするような形で整備されたとは言い難いものであった。いわゆる重度の障害者も対象としていたにもかかわらず、ポストスクールオプションは雇用に向けたサービスに主たる力点を置いていた。それは賃金労働に価値を置くオーストラリア社会からみれば、障害者に対しても「社会的公正」を考慮したものと考えられる。同時に、障害者のニーズを決して無視するのではなく、援助付き雇用を雇用の一形態として正式に認めたこともあわせて考えれば、自立(independence)概念を拡大していると解釈することもできる。しかし現実的には、雇用可能性を有し、且つ、雇用を望む者にとっては有効なシステムであった一方で、暗にそこから閉め出される障害者が少なくなかった。学校教育が多様な「自立」に向けていかに実践を積み重ねようと、ポストスクールオプションの段階ではその方向性が継続される可能性は明らかに少なかった。このような事態を招いた要因として、ここでもやはり経済合理主義の影響を指摘せねばならない。
 ここ数年でATLASが雇用以外のサービス拡充を図ったことから、障害者へのサポートが経済合理主義の視点で整備されたサービスとは相容れない側面があることが浮き彫りにされたと言える。障害者本意にサービスが変更されていくことにより、学校での個々に適した形での学習が卒後にも活かされる可能性が確実に高まると考えられる。そのような意味で、学校及びポストスクールオプションはトランジションを円滑に保障するための両輪であることは明かである。
 オーストラリアのトランジションについては、ノーマライゼーションと経済合理主義が共にその導入を後押ししたことを先に述べたが、多様な「自立」に向けたトランジションを保障するためには、経済合理主義ではなくノーマライゼーションを優先させることが必須である。ATLASの改革が実現したことにより、オーストラリアのトランジション保障においては、よりノーマライゼーションが優先される可能性が出てきたと言える。多文化主義から派生した「社会的公正」が、障害生徒を中心に据えたトランジション保障を可能とするためのキーワードとして機能していると考えられる。
 本稿の研究課題に引きつけて国際的な理論の到達点を踏まえつつ、オーストラリアのニューサウスウェールズ州という個別ケースから一般化が可能と思われる結論を導くと、以下のようになろう。
 障害者の「自立」は、個別的に定義されるべき相対的な概念である。そして多様な「自立」に向けたトランジションこそ、各々が「成人」になりゆくための権利として保障されねばならない。トランジションが「成人」への道筋の社会的側面に焦点を当てた概念ならば、キャリア・デベロップメントはその心理的側面に向けられた概念として位置付く。
 学校教育段階では、障害生徒が各々にキャリア・デベロップメントを可能にしていけるよう、そしてそれが最終的に多様な「自立」につながっていくよう、柔軟性のある教育を提供する必要がある。それだけ職業教育訓練に限定されないカリキュラムを保障することが求められるし、様々な専門スタッフを配置することや、関係機関連携を豊かにすることも必須である。トランジションという文脈からは、職業教育訓練における専門スタッフやポストスクールオプションも含む関係機関連携は重要である。その場合、職業教育訓練機関はもちろんのこと、地域の企業や学校などとの連携も相当する。しかし本来的には、障害児教育には欠かすことのできない医療や福祉との連携がまずもって必要である。職業教育訓練に直接的に関係がないとはいえ、これらはトランジションに向けた活動を含めて、そもそもの学校教育を成立させる上で絶対条件だからである。
 以上のような意味で、子どもが1日の大半を過ごす学校は地域の様々なサービスをコーディネートする役割をもつ。それは学校が他のサービスのすべてを請け負うサービス統合というよりは、それぞれの機関がそれぞれの持ち分で子どもを把握し、協働していくというパターンである。その連携の中で、学校が中心となってサービス連携を行い、学校教育を、更にはトランジションを豊かに保障しようとするものである。サービス統合や連携の在り方については、学校の本来的機能などに関わって議論されているところであり、別に詳細な検討が必要であるが、「学校地域」という言葉には積極的意義があろう。「学校地域」の理念は、特別な教育的ニーズとアト・リスクの両概念を総合的に把握することによって支えられる。両者は、学校教育における困難の原因が異なるために、教育課程や授業づくり等において明らかな相違があるが、サービス連携という意味では共通するところが少なくない。障害のある児童生徒がアト・リスク要因を抱えている場合があることを考えても、どのような子どもにも学校教育を保障するために、特別な教育的ニーズとアト・リスクの共通点を踏まえた様々なサービスと連携を図ることは重要である。多様な連携がどのようなカリキュラムのもとに実施されるかは個別のトランジション計画によるのであり、計画策定に関わる学校関係者や関係機関の専門スタッフの存在は大きい。学校は医療、福祉機関はもちろん、ポストスクールオプションにもなりえる職業教育訓練機関といった多様な機関の中心にいて、すべてにつながる必要がある。そのつなぎにおいて、生徒の様子を把握した専門スタッフが配置される。生徒本人とその保護者を加えた学校関係者がコア・メンバーとなることは、以上のような学校を中心とした位置づけによるものである。
 このような学校役割を真に可能にするためには、ポストスクールオプションの整備が不可欠である。ポストスクールオプションは就労だけを目標と定めず、学校教育と同じくキャリア・デベロップメントの観点から多様な「自立」を援助できなければならない。学校教育における職業教育訓練の強調とともに、ポストスクールオプションの整備には、国家の教育や福祉に対する姿勢が密接に絡んでいる。多様な「自立」を保障するポストスクールオプションが豊かに準備されることによって初めて、学校教育段階では障害があるからこその丁寧な取り組みが可能となる。逆に、ポストスクールオプションが就労のみを目指すのであれば、それは狭義の自立論しか導かず、学校教育は結局、無理矢理にもそれに向けた実践をつくらざるをえなくなる。更に、ポストスクールオプションが学校役割を左右し、「学校地域」は真に子どものために機能し得ない。このような国家の関わりと深い関係にあるトランジションを、障害者の多様な「自立」に向けた取り組みとして保障するためには、ATLASの改革が実現したように、障害のある当事者、彼らに関わる関係者たちが声をあげていくことが必要と言えよう。
 日本におけるトランジション研究に照らして、本稿の意義は、以下四点にまとめられる。
 第一に、トランジションにおいて必要とされる関係機関連携の中で学校は、キャリア・デベロップメントの観点からサービスをコーディネートする役割があることを、具体的なスタッフ配置にまで踏み込んで明らかにした。日本の先行研究においてはトランジションのゴールが職業的自立に過度に傾斜させられ、そこで必要となる手だてとして職業教育訓練先との連携が主として強調されることが多い。更に、トランジションに関わる職務を担任教師に過剰に期待する傾向にある。本稿では、トランジション概念の国際的到達点を土台として、日本の先行研究や導入状況を明確に批判し得たと言える。
 第二に、トランジションを円滑にする上で求められる学校役割は、アト・リスク概念と深く関係していることを明らかにし、特別な教育的ニーズとアト・リスクを総合的に捉えた上で、学校役割を把握することの必要性を述べたことが意義として挙げられる。障害があり、なおかつアト・リスクな状況にある生徒の存在が少なくないことは実態としてよく知られているにもかかわらず、特にトランジション研究の場面でこのことについて触れられることはまずない。
 第三に、ポストスクールオプションの整備がトランジションにおける学校役割に影響を与えることを明らかにした。日本の研究は、もっぱら学校教育内部に焦点を当てており、その次のステップを視野に入れた議論を深めているとは言い難い。本稿では、トランジションにおける学校役割を考察する上で、次のステップの整備のされ方を念頭に置くことの重要性を示し得たと言える。
 最後に、オーストラリアという新たな研究対象の開拓である。日本においてオーストラリアの障害生徒を対象としたトランジション研究は、筆者の知りうる限りにおいて見あたらない。オーストラリアが「社会的公正」をキーワードに様々な教育・福祉政策を展開しているのはよく知られているが、それが障害者教育の分野ではどのように機能するのかはほとんど明らかにされてこなかった。本稿では、オーストラリアの教育・福祉政策とその実態を、障害生徒のトランジションの視点から新たに光を当てたものと言えよう。
 以上から、本稿は特に日本におけるトランジション研究及び施策に対して、今後の方向性を少なからず示し得たと考えている。

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