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博士論文要旨

論文題目:中国の参加的労使関係―大連市の国有企業についての実証研究
著者:尹 秀娟 (YIN, Xili Juan)
博士号取得年月日:2004年12月24日

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本稿の課題は、工会の多機能性と国有企業職員・労働者代表大会制度(中国企業においては、「職員・労働者代表大会」を「職代会」と呼び、本稿では、「職代会」と表記)の運営実態を踏まえながら、とくに1994年の市場経済化の確立以降の中国企業の労使関係のあり方、すなわち中国の参加的労使関係を明らかにすることにある。
 資本主義企業の労使関係の主体は、政府、企業(使用者)、労働組合というそれぞれ独立している三主体からなっており、これに対して、中国企業の労使関係の主体は、共産党の世界における相対的に独立している党(企業内党組織を含む)・政府、企業、多機能性を持つ工会からなっている。
 社会主義イデオロギーの枠組みにおいては、中国社会は労使対立のない調和的社会である。そのため、それにかかわる各主体は、全体社会を発展させるために機能を分担している。これは工会が多機能性を持つ原因である。
 このことについて、今少し具体的に説明しておこう。社会主義イデオロギーの枠組みにおいては、党は、中国の全体的な利益の代表として位置付けられている。党はそもそも企業の利益(部分的利益)、職員・労働者(工会)の利益(部分的利益)を向上させることによって、中国の全体的な利益を向上させるという目的を実現しようとしている。この構図は労使関係の視点からみれば、労使対立のない調和的社会、いわゆる労使一体化ということである。またこの構図に基づき、党は、企業に経済効率を向上させるために、職員・労働者の賃金と福利厚生を向上させるという機能を与え、工会に労働組合機能、行政的機能(その代表的な活動は、工会の失業者に対する各種の援助である)、経営的機能(その代表的な活動は、生産性向上を目的とする工会の労働競争である)といった多機能を持たせ、労使の一体化を図るのである。他方では、党は企業の最高経営者、企業党委員会書記、工会主席という三役を、それぞれ任命している。したがって、中国企業の労使関係は実質上、党組織内部の独立組織間の関係とみなすことができる。これは、中国企業の労使関係の最も大きな特徴である。
 また、この社会主義イデオロギーによる労使対立のない調和的社会という論理は、中国企業の経営参加を行なう出発点ともなっている。計画経済の下においては、企業、工会がそれぞれ党から与えられた機能をそのまま果たすことによって、このような労使一体化の考えもスムーズに実現した。しかし、市場経済化の下では、企業が党から与えられた機能から離れつつ経済効果を追求する資本主義企業に近づくようになっている。その一方で、工会は依然として多機能性を持っているままであるが、争議権を持たない。労使一体化という労使関係の構図を維持するという党の姿勢が崩れておらず、工会に争議権を持たせない代わりに、経営への参加権を与えている。そのため、中国企業の経営参加は、工会の独立性が弱く、多機能性を持っているという労使の一体化によって生まれたのである。このように、中国の参加的労使関係と日本、旧西ドイツなどの資本主義国の参加的労使関係とは、異なる特徴を示しているのである。それは、中国の労使協調主義すなわち経営参加は、労使対立のない調和的社会を土台としているが、日本、旧西ドイツを代表とする資本主義国の経営参加は、労働組合が独立性を有しており、労使対立の労使関係制度を有するということを土台としているのである。
 これまでの中国企業の労使関係についての研究には、企業内党組織、工会、職代会、企業を対象とする研究がみられる。しかし、具体的な企業の実態に踏み込んでは議論しておらず、実証性が乏しいと言わざるを得ない。そこで、本稿では、大連市にある9社の企業及び大連市総工会の関係者に対して面接調査を行ない、その結果に基づいて、①多機能性を持つ工会、②経営者、企業内党組織、企業工会、株主としての政府(国有資産管理委員会)という四者の関係、③職代会制度とその運営実態、という3点に絞って、中国の参加的労使関係の実態を考察することにした。そして、以下の分析結果に到達した。
 第1章では、理論分析と実証分析を重ねながら、中国労使関係の主体――多機能性を持つ工会を検討した。まず第1に、工会の組織制度は強い集権制を示している。また工会会員の範囲、役員のあり方、財政の収入などの面において、資本主義国の労働組合とは異なる特徴が示されている。第2に、社会主義イデオロギーによって、工会は、多機能性を持つ組織となっている。この多機能性とは、労働組合機能、行政的機能、経営的機能である。第3に、中国企業の労使関係の枠組みは、実質的に党の影響範囲における独立組織間の関係である。しかしながら、工会は限定的な労働組合の性格(団結権、団体交渉権)しか持っておらず、争議権を持っていないが、企業経営への参加権と監督権を持っている。これは、党・政府が中国企業の労使関係を協調的、参加的方向に導こうとしていることを表している。この場合、職代会制度は、経営参加制度の主要な手段として注目されることとなる。
 第2章では、経済改革の進展に伴って、中国企業内の諸権力関係の変化の実態を分析した。まず第1に、政府の「政企分離」(政府と企業の分離)という原則に基づく授権経営政策によって、企業はほぼ経営権を掌握し、労使関係の当事者としての能力を有するようになってきた。これを契機として中国企業の労使関係は、国家・管理者対職員・労働者の関係から企業対職員・労働者(工会)の関係に転換するようになってきた。また、中国企業の雇用制度や賃金制度、及び社会保障制度の変化によって、職員・労働者(工会)と企業間の対立は表面化し、労働紛争も増加するようになってきた。
 第2に、市場経済化の下では、企業内の諸権力関係が変化し、最高経営者は企業の意思決定権と人事権を有し、企業内党組織は経営者の仕事を援助し、監督するという脇役となっており、経営者が中国企業の労使関係の当事者である。企業内党組織と工会との関係からみると、企業内党組織は工会主席以外の工会専従者の選任に対して一定の影響力を持っているが、企業工会の活動についてはあまり統制力を持っていないといえる。したがって、企業工会が労使関係の他方の当事者として確立しつつある。しかし、株主としての政府(国有資産管理委員会)は相変わらず、企業の最高経営人事と大規模な投資に対して決定権を持ち、企業の活動を牽制している。ここでとくに指摘しなければならないことは、企業の最高経営者(董事長=会長、または総経理、企業長=社長)、党委員会書記、工会主席という企業の三役が、同じ上級政府の共産党組織部によって任命されていることである。このことは中国企業の労使関係上、重要な意味を持っている。これは、中国企業の労使関係が実質上、党の影響範囲内における独立組織間の関係であるということを意味しているのである。
 第3に、企業制度の改革は、労使紛争の増加をもたらし、企業工会の活動状況の変化を促した。企業工会は、労働競争のような生産性向上運動を依然として行なっている(経営的機能を果たしつづけている)が、福利厚生の主役から退き、教育機能(政党的機能)も弱まっており、労働組合機能を最も重要な任務とするようになってきた。しかし、中国工会は、ストライキ権を持っておらず、その特徴としての多機能性を維持している。このような状態では、工会の労働組合機能の発揮が大幅に制限され、経営参加的機能と行政的機能といった協調的な手段に頼らざるを得ない。その代表的な活動は職代会、及びリストラされた者と企業の生活困窮者に対する家庭訪問である。さらに企業工会と同じように、上級工会の活動も変化し、その中心は、労働組合機能の発揮と行政的機能の発揮に置かれるようになってきた。
 第3章では、職代会制度導入の原因、法律上における職代会制度の性格や職権、職員・労働者代表及び組織制度、職代会と工会の関係、職代会制度の適用範囲の拡大について検討した。職代会制度を規定する法律・条例は、いずれも計画経済時代に制定されたものである。そのため、職代会のような民主的管理の制度を確立した基礎には、労使対立のない調和的社会という社会主義イデオロギーがあった。この職代会制度によって職員・労働者の経営参加が実現されている。職代会制度を導入した原因は、社会主義イデオロギーであることは言うまでもない。その一方では、職代会が持つ経営参加の機能は、1980年代の中国企業管理制度改革の主要な課題であった「党企分離」(企業内の党組織と経営との分離)の一環でもあった。このように、職代会制度は、極めて重要な制度であるということが分かる。
 法律上の職代会制度の考察を通して、次の結論を得ることができた。すなわち、職代会制度は職員・労働者の経営参加の機関であり、企業の最高意思決定機関でもある。このような職代会制度の運営においては、企業工会が重要な役割を果たしているのである。職代会の職権からみれば、とくに企業の人事権に影響を与える経営者・管理者に対する大衆評価は特徴的であって、これは中国企業の経営参加の特徴である。また、ストライキ権を認めない中国では、現代企業制度の確立に伴って、雇用関係、賃金制度などの企業の諸制度が変化する中で、労使関係を緩和するために職代会制度の存在感が大きいと言わざるを得ない。工会サイドからは職代会制度の適用範囲を中国の非公有制企業に拡大するという考えが出されている。そのため、協調的な労使関係の構築をめざしている中国は、困難に直面しているけれども、職代会制度による経営参加が今後、公有制企業以外の企業に波及していく可能性があるのではないかと考えられる。
 この法律の検討を受けて、第4章では、聞取り調査と企業から得た資料に基づき、中国企業の職代会制度の運営実態を考察した。その結論をまとめると、以下のようである。まず第1に、職代会の職員・労働者代表の構成は、労働者代表の比重が6割を占めているが、職員・労働者代表の選任においては、必ずしも民主的手続きをとっているとはいえない。
 第2に、職代会の取扱事項が極めて幅広く、企業の経営にかかわる事項のほとんどが含まれている。職員・労働者代表にこうした議題に対する事前討議の期間を与えている。このように、職代会が労使の意思疎通において、重要な役割を果たしているということが評価できる。しかし、経営者・管理者に対する大衆評価を除けば、企業工会がこうした議題に対して自ら企業と対抗する提案を作成することはなく、交渉上では、受動的な立場にあると言わざるを得ない。
 第3に、経営者・管理者に対する大衆評価については、企業工会が評価基準の制定、評価活動の組織・実施に責任を負っている。しかも、企業に所属する分工場・部門工会は最終的な評価結果を工会本部に提出している。こうした実態から、工会が大衆評価の執行機関であるということが分かる。このことは、企業工会が直接的に企業の経営者・管理者を監督する権利を持っているということを意味している。このように、職員・労働者代表による企業幹部の大衆評価においては、企業工会が主導的な役割を果たしていると指摘できる。また、評価の過程における職員・労働者代表の発言実態は、必ずしも積極的であるとはいえないものの、幾つかの要素から、この大衆評価は企業幹部に対して、何らかの制約力・影響力を持っていると考えられる。このように、職代会は、企業の人事に対して、ある程度の発言力を持っているということが推測できる。
 第4に、中国企業の労働協約は労働基準のようなものであって、具体的な内容が含まれていない。とはいえ、労働協約の内容から、以下の2点が確認されている。一つは職代会の重要性、企業工会の多機能性である。もう一つは、企業対職員・労働者(工会)を中心とする労使関係のなかで、企業内党組織が調整的な役割を演じているということである。
 第5に、職代会の雰囲気に関しては、経済力の弱い中型企業の場合、職員・労働者代表はただ質問するだけにとどまり、ほとんど満場一致で企業の提案を採択している。これに対して、経済力を持つ大型企業の場合、職員・労働者代表がリストラ、賃金などの労働条件にかかわる議題に関して、企業の提案を否決することがあった。このように、職代会においては、完全に満場一致ですべての企業の提案が可決されるわけではない。職員・労働者代表と企業との対立が観察できる。
 第6に、職代会による意思決定と経営者の経営権においては、職員・労働者代表が技術革新、リストラされた者への補償という限られた事項に対して、ある程度発言力を有しているということができる。しかし、その他の事項の場合、職代会によって否決されたにもかかわらず、企業は原案のまま実行に移したことを確認した。このように、経営者が経営権を強く握っており、職員・労働者代表の発言効果(あるいは職代会の意思決定力)は強くないと言わざるを得ない。
 要するに、以上の分析結果からみれば、実態としての職代会の運営効果は、法律上の職代会の規定程強くなく、旧西ドイツの経営参加と大差ないということが分かる。しかし、職代会は企業の経営方針、人事労務管理、福利厚生などの企業経営事項のすべてを取り扱って、従業員の経営情報の獲得、労使双方の意思疎通に対して大きな役割を果たしているということは否定できない。このように、職代会制度は、労使双方の対立を緩和させ、中国の参加的労使関係の形成に重要な役割を果たしていると指摘できる。
 しかしながら、現在、中小国有企業(集団企業)の民営化が進んでいる。今後、大型国有企業の民営化の進展も推測できる。第3章第5節で挙げた工会の調査報告で明らかにしたように、民営化した中小国有企業(集団企業)では、職代会制度を維持しているが、その職代会の権利は大きく制限され、情報公開と変らないといえる。そのため、民営化する大型国有企業でも、これまでの職代会の取扱事項を小さな範囲に限定する可能性が十分あるだろう。争議権を持たない企業工会が労働組合機能を発揮するにあたっては、経営参加的機能(職代会制度)に大きく依存しているため、企業工会の経営参加的機能の発揮は難しくなるだろう。したがって、社会主義イデオロギーを前提としている中国では、共産党の世界の中で労使対立を調整し続けられるのかどうか、今後とも注目していかねばならない。

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