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博士論文要旨

論文題目:トクヴィルとデュルケーム ― 社会学的人間観/社会観の歴史的形成と生の意味喪失 ―
著者:菊谷 和宏 (KIKUTANI, Kazuhiro)
博士号取得年月日:2004年12月8日

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はじめに 問題の所在

 本稿は、社会それ自体が揺らぐ現代を背景とし、次の二点を探究すべき目的として設定する。
 第一の目的は、我々が困難な生をその中で生きている、「社会」という、世界に対する一つの見方ないし構えの生成過程を、他ならぬその「社会」を考察の対象(objet)とする一学問たる社会学の誕生の過程を追うことによって、描き出すことである。これはまた、社会学的人間観の生成過程を描き出し、社会学が成り立つ基盤としての(社会的)人間の同類性同質性の根拠を求めることと表裏一体である。
 第二の目的は、そのような「社会」の中で生きることの(見失われた)意味(sens)を、目的(objet)を、根拠(raison)を、合理性(raison)を見出すことである。
 この二つの目的を、社会学の創始者の一人エミール・デュルケームと、その一世代前を生きいわば社会学を準備したアレクシス・ドゥ・トクヴィルの議論を、彼らが直面した歴史的現実の展開と密接に関連させつつ、探究する。

序章 先行研究について

一 トクヴィル研究

 幾度かの変遷を経、多面からの豊穣な研究を蓄積したトクヴィル研究は、しかし、これまでは政治学と歴史学の二学問分野でもっぱらおこなわれてきた。しかも、その取り扱われ方は、「フランス人トクヴィル」というよりも、「アメリカ人トクヴィル」として、すなわち『アメリカのデモクラシー』を主要な検討対象としたアメリカ研究の一部としてであり、本稿のごとく、トクヴィルをフランスの歴史の中に置きかつ社会学の流れの中に置いて検討した社会学的研究は、ごくわずかしか存在しない(その稀少な例については後述する)。

二 デュルケーム研究

 社会学の創始者の一人として、トクヴィル以上に膨大な研究文献が存在するデュルケームは、しかしもっぱら社会学内部で議論されてきた。それゆえに、そもそもデュルケームが社会学なる学問を創造したことそのものの意味の検討は、実際のところおこなわれていないことが、研究史の流れの分析から明らかとなる。研究史上一貫して、彼の議論は意味があるはずだと ― そして社会学には意味があるはずだと ― 前提されてきたのだ。本稿ではしかし、デュルケーム社会学の成立過程をフランス史と密接に結び付けて考察することで、この前提そのものを問おうと思う。

三 トクヴィル-デュルケーム研究

 この二人の巨人を包括し一つの観点から関連付けて把握した研究の状況は、両者各々についての膨大な研究蓄積に比べれば、非常に少ない。それはまさに、両者がこれまで政治学・歴史学・社会学という異なった学問領域内部でもっぱら論じられてきたことの結果であろう。
 しかし、そのような研究が皆無というわけではない。その代表例として、レイモン・アロン『社会学的思考の流れ』が挙げられる。しかし、この名高い著作とても、トクヴィルはモンテスキューとの連関において、デュルケームはコントとの連関においてそれぞれ捉えられており、トクヴィルとデュルケームとが直接結び付けられ論じられているわけではない。本稿では、それをこそ試みようと思う。これにより、従来定説とされてきた「コントからデュルケーム」という流れとは別の「トクヴィルからデュルケーム」という流れが見出され、もって現代社会と現代社会学に対する新たな見解が見出されよう。

第一部 アレクシス・ドゥ・トクヴィル

第一章 生い立ち―家庭的背景から最初の懐疑へ

 王党派貴族、それもブルボン家を支持する正統王朝派であり、したがってまったく当然にカトリシスムの家系に生まれたアレクシス・ドゥ・トクヴィルは、その幼年期~少年期にかけては、良き王党派であり良きカトリック教徒であった。しかし、十六歳のとき、後に「メースの危機」と呼ばれる深刻な精神的動揺・世界に対する普遍的な懐疑を経験した。それは、神の造り給うた世界それ自体とその中での生の意味に対する根源的な懐疑である。この恐怖から逃れるため、以後「可感的な諸物(les objets sensibles)」の世界に目を逸らすことで、彼は第一級の社会科学的分析をおこなった。しかし、その後も事あるごとにこの疑いは彼の心に闖入して来る。

第二章 新大陸アメリカ―神の摂理、知的道徳的世界、権威

 七月革命後の混乱を避け、アメリカに旅立ったトクヴィルは、そこで、神の摂理としての民主主義の進展を認める。そしてその中で人間というものもまた、(カトリシスムの)神の超越的権威の支えによってのみ、斉一的に把握され得る普遍性を持った存在として、内部的な同類性・平等性を持つまとまった一種族=「人類」として、把握される。
 同じ認識が、「習俗(moeurs)」「道徳的知的状態(l'etat moral et intellectuel)」「知的道徳的世界(le monde intellectuel et moral)」などと表現される世界、すなわち人間たちの世界である世俗な現世、すなわち「社会」についても繰り返される。知的道徳的世界には、それなくしては社会そのものが成り立たない成員の認識と信仰の同一性を保証する、権威を持ったただ一つの源泉が存在するとされる。
 このような習俗概念の登場は、世界認識における一つの亀裂の登場を意味している。トクヴィルは、神を認めつつも、「習俗」と言う形で、可感的な諸物の世界である現世を神の超越性から切り離し、それ自身としてその内部で完結させ説明する視点を手に入れたのである。

第三章 二月革命―社会主義との対決:人民(peuple)と人間(homme)

 二月革命を「予言」したトクヴィルは、その現実化を目の当たりにして、一つの認識上の革命を達成する。彼は、二月革命が、政治的な水準のものではなく、その根底にある社会的な水準のものであることを、「社会それ自体」に対する攻撃であることを見抜き、そこでは党派的な勝利ではなく、一つの宗教、一つの社会科学が渇望されていたことを見抜く。さらに、歴史上ずっと貧しい下層の人間たちであった人民(peuple)が、この蜂起を経て、今や普遍的な人間(homme)として立ち現れたことを理解する。こうして、自らの生い立ちに由来する認識とは異質な、そして認識論上の亀裂を分裂へと導く「社会的な人間観 homme=peuple」が登場したこと、神の下にのみ同類・平等であった人間が「人民たる人間/人間たる人民」として同類・平等である可能性が歴史的現実の中で提示されたこと、そして神の超越的な権威に支えられた「世界」から peuple = homme からなる自立したもう一つの世界、すなわち「社会それ自体」が剥がれ落ちようとしていることに恐怖する。

第四章 二月革命以後―「人間」と「社会」の誕生

 二月革命の後トクヴィルは、自らの生い立ちの基盤を構成する旧体制とフランス革命の歴史的研究をおこなう。その中で彼は、ついに以下の認識に達する。
 宗教の特質とは、「人間」を一般性の下に、抽象的な本質として、現実の世俗な社会からは超越して捉えることにある。そして、この超越的一般的本質としてのみ人間は同類として根拠付けられ、「人間性」として捉えられる。
 しかるに、フランス革命は、宗教と同様に「人間」というものを「国と時代とから独立して」「一般的なものとして」捉えている。その限りでフランス革命はもはや一つの宗教である。しかしこの宗教はそのような人間把握を「現世と結び付いて」おこなっている。その意味でフランス革命が提供する人間性は超越的なものではない。かくして、フランス革命以降、人間は、世俗な現世たる社会の中で行為する存在一般、すなわち「社会的存在」として、「人民たる人間/人間たる人民」として同類なのであり、この現世において平等な「人間(性)」「人類」として認識上自立し、それ自身で完結した存在と把握されねばならないのである。
 こうしてついに「世界」の中から、「習俗」の世界が、「知的道徳的世界」が、すなわち「社会それ自体」が抽出され、分離される。そして、この領域、「社会」を対象として考察するものこそ「社会科学」なのである。
 以後我々は「世界」を見失い、この「社会」があたかも「世界」であるかのように振る舞い始める。同時に神の権威も見失われる。こうしてここに歴史的に新しい認識が、すなわち「人間」と「社会」と、そして「社会科学」とが、歴史的現実のインパクトの下で19世紀半ばに産声をあげたのである。

第五章 死、信仰、そして生の意味

 かくして、社会学登場のためのいわば地均しは終わった。しかし、トクヴィルに関する記述をその死とともに終え、デュルケームへと論を進める前に、触れておくべき問題がある。それはすなわち、そもそもこのような人間概念・社会概念、そして社会科学概念を産み出す源となったあの普遍的懐疑・動揺の問題であり、その時には萌芽にとどまっていた社会的生の意味問題の問題である。
 親友の子の、わずか四歳での死に直面して、彼はこの世の生の意味を根本的に疑う。神や来世の存在について疑う余地はない。しかし、社会の、この可感的世界の合理性(raison)は、理性的(raisonnable)に疑わしいのだ。その中で起こる諸事には、四歳の子どもが罪なくして死ぬことには、本当に意味(sens)や根拠(raison)があるのだろうか?
 可感的な諸物の世界に目を逸らし、世俗世界としての社会を発見したトクヴィルにはもはや、この理不尽さをも含めた「世界」をそのまま丸ごと神の摂理として受け入れることはできなかった。むしろそれを理解しようと努めた。この努力は、「世界」の可感的な部分をそれとして抽出し分析することによってそのraison(合理性・理由)を探ることとして、後世先駆的な社会科学と評価される第一級の分析として現実化し、続く時代における社会学の誕生を準備した。
 しかし、同時にこの可感的世界へのまなざしによって、生の意味の安定性は失われた。超越的な神が体現する不変の真理、「生がその上に築かれるべきこの確固たる地盤」は、見失われた。それは「信じたいけれども、信じられない」ものになってしまった。そして、この深い苦悩の中で彼はその生涯を閉じたのである。

インテルメッツォ 第二帝制

 もっぱら第二共和制下に活躍したトクヴィルと第三共和制下に活躍したデュルケームの間には、第二帝制が位置している。この時代は、我々の関心に即せば、以下の三点が重要である。
 まず、第二帝制が国政の基礎に普通選挙制(男子普通選挙制)を敷いた初めての国家であること。これは、民衆を「社会」に参加させるという結果をもたらし、続く第三共和制における「国民(nation)」の創出を準備した。
 次に、第二帝制は、社会を国家の下に統合するための社会的なインフラストラクチャ(鉄道網、電信網、郵便網)を整備したこと。先の選挙制度という社会制度の改革が意識を準備したとするならば、インフラストラクチャの整備はその意識を実現し支える物質的基盤を提供した。こうして来るべき第三共和制の基盤が、我々になじみ深い諸々の社会制度(義務教育など)を伴った、通常国民国家と呼ばれる統合された近代社会成立の基本的条件が、第二帝制繁栄のまさしく直中において準備されたのである。
 最後に、普仏戦争敗北に伴うこの帝制のみじめな瓦解が、近代フランス政治史の主要三政体である王制・共和制・帝制の内、帝制の決定的な後退をもたらしたこと。これにより、以下デュルケームとともに見る第三共和制において、残る二つの政治勢力、王制派(王党派)と共和制派(共和派)が、壮絶な争いを繰り広げる下地が作られたのである。

第二部 エミール・デュルケーム

第一章 第三共和制

 トクヴィルと入れ替わるようにこの世に生を受けたエミール・デュルケームは、一世代前に準備された新しい認識、すなわち「人間」と「社会」を前提として、それらを固有の研究対象として持つ、学問の新しい一分野、すなわち「社会学(sociologie)」の構築を開始する。まずは、この構築の背景となった、フランス第三共和制初期(1870・80年代)の歴史的状況とその中でのデュルケームの位置を確認しよう。
 この時代、フランスでは王党派と共和派が激しい闘争を繰り広げていた。この闘争は、国民の政治的統合を巡っての闘争であると同時に、その統合を基礎付ける教義・信仰上の闘争であり、民衆に対する知的な覇権を巡っての闘争でもあった。
 このような歴史の中で、デュルケームはその社会学を構築する。それが可能となる具体的な過程は、上記闘争における共和制の意向を反映したものであった。すなわち、デュルケームは、社会学の確立という形で、カトリシスムの教義・世界観・世界解釈に取って代わりうる共和制の世界観・世界解釈=世俗な世界解釈枠組を打ち立てることを期待されたのである。
 しかし、そこで真に問われたことは、もっと普遍的なことでもある。それは超越的な世界観と世俗的な世界観の間の闘争であった。そこで問われたのは、超越性なくしていかにすれば世俗な世界たる「社会」を安定的に捉えられるかという近代社会の根本問題であり、さらに、そのような世俗な社会における日常的生をいかにすればそれ自身として、すなわち非超越的に意味付けられるかという根源的問題なのである。これこそ、デュルケームに課せられた、世俗化が進む近代史全体からの歴史的課題なのである。

第二章 客観的科学としての社会学

 デュルケームはこの歴史的課題に対し次のように応えた。彼は、その客観的科学としての社会学構築の大前提として、一切の超越性を全面的に拒否した。そして、社会学の取り扱うべき対象として、感覚に与えられ意識主体に対する拘束性と外在性を持つがゆえに個人の心理現象には還元できない「社会的事実」を措定し、これを「物として取り扱う」ことを主張した。社会的事実は、観察に強制される外的に可感的な事物であるがゆえに、万人に一義的に理解される。こうして、他ではありえぬ唯一の「事実」として、超越性を排した世俗世界=可感的な物の世界=社会における、いわば「直接目に見える真理」として、社会的事実を位置付けた。そしてこの「事実」に立脚して、世俗世界の解釈枠組としての「客観的な科学」たる社会学を展開しようとした。
 しかし、この態度は、科学としての社会学内部において論理的に根拠付けられるものではなく、あくまで科学外的な歴史的要請であることに注意が必要である。この意味で、この態度は一つの「信仰」である。しかし現実に、社会学的世界観は、いわば非科学的に、歴史の圧力の下で、このような、社会の外部になにものをも認めないものとして ― そこで語られる「人間」もまったく同様なものとして ― 成立したのである。

第三章 生の意味喪失―自己本位的自殺

 本章に至ってついに、「生の意味問題」について踏み込んだ考察を始める準備が整う。
 前章で見たとおりの、世俗な世界=社会という表象と、そこがいわば全世界であるとする社会学という世界解釈枠組を採用し、超越的なそれを見失うことは、我々が生きる世界を狭くし、いわば「生を社会化すること」を意味する。我々は以後、可感的なこの社会と呼ばれる世俗世界でのみ生き、我々の存在はその中でのみ意味を持つ、と言うよりその外に世界は ― 少なくとも正当なものとしては ― 見出せなくなる。そして、この「生の社会化」は極めて深刻な困難をもたらす。
 デュルケームが『自殺論』において論じたところによれば、我々が物理的身体的存在として単に「生き延びる(survivre)」のではなく、さらにこの世界に「意味あるもの」「存在理由を有すもの」として存在し、価値あるものを行為の目的として意義ある生を「生きる(vivre)」ためには、我々がしっかりと社会的な存在でなければならず、したがってそのような存在としての我々を産み出し支える社会そのものがしっかりと統合されていなければならない。さもなければ、過度の個人化が結果し、すべてに対して『一体、何のために・・・』との疑問から逃れられなくなり、人はその生の意味を見失う。これが近代社会の現状であり、その結果として彼が自己本位的自殺と名付けたタイプの自殺が頻発する。
 この状態を脱する為に、デュルケームは、同業組合の再建による、弛緩した社会統合の再強化を提案する。しかし、この策では生の意味は回復されない。なぜなら、社会集団の体現する集合的理想・価値へ諸個人が一体化されたとしても、その社会集団自身、決して永遠の存在ではないのだから。つまり、それは仮の理想、仮の真理にすぎず、生の意味の確固たる源泉にはなりえないのだから。
 デュルケーム自身、この限界に気付いていた節がある。しかし、歴史的課題を背負ったデュルケームは、この限界を表立っては表現できなかったのである。それは、デュルケームの社会学の、と言うよりもむしろ「社会」の外延を思考の外延とするあらゆる言説の、限界なのだろうか。

第四章 ドレフュス事件

 このようなデュルケームの社会学的認識は、第三共和制を大きく揺るがした冤罪スパイ事件、いわゆるドレフュス事件にコミットすることで大きな衝撃を受けるとともに、一つの頂点に達する。
 彼は、本来事実問題として語られ処理されるべきドレフュス事件が、社会統合の原理の問題として現れていることを見て取った。それは社会的事実が意識主体により異なって現れ、その意味で唯一の「事実」足りえないことの、つまり社会認識の原理的分裂の、「社会の分解」の露呈であった。したがってまたそれは、現世における人間の非同類性の露呈であった。一言で言ってそれは、世俗世界としての「社会」なるものの実在の否定であり、ゆえにそれは、彼の社会学が原理的に成り立たないことの証拠であった。
 さらに、ドレフュス事件において、人間は権威の目的ではなく手段となり、人間の生はその理由・意味を失った。こうして、ひとたび権威が抑圧的なものとして歴史の中に現れたがゆえに、デュルケームにはもはや、そのようなものとしての権威を保証人として措定することはできなかった。しかし、人間の同類性・共通性を、その知的道徳的共通性を、すなわち「社会それ自体」を保証するためには、その同類性・共通性の源泉たるなんらかの権威を見出すことが、歴史的に形成された彼の社会認識からして不可欠であった。これこそ、デュルケームが辿り着いた根本的なジレンマである。
 かくしてデュルケームは、超越と世俗とのどちらでもない、その「間」のどこかに、人間性を(抑圧するのではなく)保証する権威を見出すという極めて悩ましい地点に到達したのである。と同時に、この困難な課題に対して、「人間的人格一般(personne humaine en general)を結集の中心とする個人主義」という回答を与えたのだ。社会の発展=歴史の必然的な進展として、世俗な「物」としての個人とは区別されると同時にその世俗性の中にこそ見出されうる「人間性」そのものを、「一般的普遍的ではあるが非超越的な」権威として抽出し、もって社会と人間の新たな保証として位置付けたのである。

第五章 知的共通性あるいは論理的調和性

 この回答は見事なものではあるが、未だ不十分である。この回答で本当に、社会的人間の同類性が保証できるのか? そもそも「人間的人格一般」とは何を意味しているのか?
 この不十分さを埋めるがごとく、デュルケームは、この後宗教社会学研究に進み、その集大成『宗教生活の原初形態』において、トーテミズム諸社会の検討を元に、これまでずっと一体のものとして表象されてきた知的共通性と道徳的共通性を分離して分析し、次のように主張する。
 まず、時間や空間といった基本的な認識の範疇は、生得的なものではなく、社会組織のあり方に象って集合的に作られ、諸個人に与えられるものである。したがって、源が同じ思考様式を内面化している以上、この社会の成員はすべて原理的に相互に理解可能であり、したがって、社会的事実も(正しく認識すれば)唯一の事実として現れる。これが知的共通性(ないし論理的調和性)である。この共通性によって、社会の実在、人間の同類性、そして社会学の客観的科学性は保証される。
 しかし、ここでは未だ、社会とそして人間の存在は可能性の水準でしかない。この水準、すなわち概念的な理解可能性によってのみ描かれる社会とは、一つの仮説、一つの真理の候補でしかない。理解可能性の水準にとどまる限り常に、他なる正しい解釈が存在する可能性を原理的に排除できない。さらに指摘すれば、この水準での事実性や真理性は、現実のどこにも土台を持っていない。集合的に生成される範疇の正しさは、社会的にのみ有意味化されており、したがって、社会学的言説について言えば、その根拠付けは循環してしまっている。
 したがって、社会を正しく、すなわち事実たる真理に基づいて、根拠付けるにはどうしても、この水準での社会概念の外に、いわば社会学的社会の外に、基盤を見つけなければならない。社会と人間の同質性を支える権威についても同じことがあてはまる。さらに我々自身の日常的な社会的生の意味付けについてもまったく同じである。

第六章 道徳的共通性あるいは道徳的調和性

 前々章でデュルケームは、社会において人間がともに同じ人間たりうるのは人間的人格一般を持っているからだという、まさにぎりぎりの地点に辿り着いていた。そしてその意味するところの半分は、前章で明らかにしたこと、すなわち、我々の意識の内には社会に生成された認識の枠組が等しく分有されているということに社会的事実の表象の同一性の保証を置くことだった。では、「人間的人格」そのもの、狭義の「人格」について彼は何と考えているのか。
 デュルケームによれば、近代社会で言う人格とは、トーテミズム社会で言う魂と本質的に同じものである。そして魂とは、各個人の内に受肉し分有されたトーテム原理である。トーテム原理とは、世界に内在し拡散している非人格的な神であり、世界をかく有らしめている活力、生ける力である。それは社会の道徳的生の源泉である。そして、この風変わりな神は、社会そのものである。
 こうして、デュルケームにとっては、魂もまた、社会内の、世俗世界内の、客観的な物となる。それがどれほど神秘的次元に属する物に似ていようとも。そしてこの「社会=神」を分有する存在として(これが道徳的共通性ないし道徳的調和性である)、我々はみな、究極的に、現実に生き活動するこの世界において、社会において、客観的な根拠を持って、事実としての真理とともに、経験的な真理とともに、実際に生を生きる「人間たち」なのである。

第三部 結論

第一章 トクヴィル-デュルケームの到達点

 しかしながら、この論理は明らかに破綻している。
 第一に、これは社会の同義反復である。せっかく、人間の同類性を、社会的存在としての人間性を、人格性として、魂として掘り下げ、その基盤たる源泉をトーテム原理(トーテム神)にまで掘り下げたにもかかわらず、結局そのトーテム原理を社会の集合的魂として、つまり集合性そのものとして捉え、とどのつまりこの神を社会と同一視することで、その集合性の由来をまたしても「社会」に求めているのだから。
 第二に、これでは我々の社会的生の意味は根拠付けられず、すでに見たとおりの循環に陥ってゆく。社会的集団が、諸個人を超えて持続するとしても、永遠不滅ではないのだから。
 第三に、デュルケームの議論が、この「すべては社会から」の水準にとどまる以上、そこには科学的説明の本質的な難点が含まれざるをえない。すなわち、諸々の(相矛盾する)言説はその母体となる社会の違いによって、正誤の区別のない並列的な言説となる。かくして、すべてを社会に還元し、知的共通性の水準にとどまる限り、客観的なしたがって唯一正しい事実は原理的に見出されえず、また当然現実の唯一可能な説明たる真理も見出されえないのである。
 だからこそ、道徳的共通性の内容について、トーテム原理の内容について、換言すれば「人間的人格一般」の内実について、デュルケームは何も言えないのだ。なぜならそれがあるのは、真理が存するのは、世俗世界=社会の外なのだから。魂の内実、「人間的人格一般」の内実は、世俗世界内ではいかにしても充実させられず、空虚なままにとどまる。人間の人間性は世俗世界内部では説明のつかない、一つの前提である。したがって、生の意味は世俗内には存在しない。それはその外部に、魂の世界にあるとしか言いようがない。しかしそのような社会の外を存在しないとして無視してしまうと、人間の人間性が、人間の同類性が保証できず、社会も社会学も成立不能となってしまう。
 かくして、デュルケームの社会学は超越性を隠し持っていることが明らかとなる。それは魂の上に、超越的な人格概念の上に築き上げられていたのだ。近代が脱しようとした超越性は、自らを巧妙に欺く形で、背後に隠されていたのである。
 では、この隠された構造を超え、社会を対象とする科学を正しく成立させる道はないのだろうか?

第二章 社会学的人間観/社会観の拡張―「社会」から「世界」への回帰

 デュルケームは時代の要請から ― そして、そもそもトクヴィルも時代を背景とする、しかし普遍的な懐疑・動揺から目を逸らすため ― 可感的な物の総体としての世俗世界=社会と考えた。その結果こうして明らかになったのは、社会をそのように捉えるとしても、まさにその根底にある人間概念は、人格=魂というまったく可感的ではないものにあるという事実である。そしてこの意味において、社会学が、世界にある諸存在から特殊に「人間」なるものを抽出し、世界に起こる諸現象の中からそれら「人間」の相互行為を特に抽出し、その総体を「社会」と名付け、比較・分析する対象とし、その中で他ではありえぬ「事実」を確定し、その事実の唯一可能な説明たる真理を見出そうと欲するのであれば、それは必然的に、相互に比較可能な同質性を持った「人間」という、非可感的な、その意味においては ― カトリシスムのような超越性とは異なるにせよ、しかしやはり ― 「超越的な」基盤に立脚せざるをえないという構造なのである。
 しかるに、この人間性=人格=魂(心・精神・意識)を外的に知覚することは不可能であるにしても、それは経験の範囲内にある。であるなら、社会科学は、この経験の全体を与件とする立場に拡張されねばならない。そしてその先に、社会でなく世界を描かねばならない。そうでなければ社会さえも描けないのだから。そのようにしていわば「世界たる社会」を描き切った時、事実としての真理と、それに従った生の確固たる意味が得られるのだろう。もちろんこのことは、科学としての社会学が真に確立されることを意味するとともに、人間の道徳的同質性が唯一の真理たる内実を持って獲得されることを意味するのである。
 そして、詳細に検討すれば、デュルケーム自身さえも実は、その実証主義の標榜に反して、この方向に必然的に接近していることが判明するのである。

第三章 社会学の次段階―超越への経験科学的アプローチ:「主観-客観」から「経験の全体」へ、そして生の意味

 結局のところ、sensible(可感的な)の意味が問題なのだ。トクヴィルが可感的な諸物(objets/choses sensibles)の世界を「社会」として考察の対象/客体(objet)とした。次いでデュルケームがそれを「科学」的に、外在性と拘束性を持つ観察可能な(observable)社会的事実の客観性(objectivite)として定式化した。しかし、語の本来の意味においてsensibleなもの、すなわち「感じられるもの」は、必ずしも objectif(客観的・対象的)なものばかりであるとは言いえない。デュルケームにおいて社会学の客観性/客体性(objectivite)を保証する「物(chose)として」の社会的事実の外在性・拘束性でさえ、それが可感的な対象として存在することを意味しているわけではないのだ。それらはあくまでその作用としての外在や拘束を、我々が我々自身の意識において「感じる」限りにおいて choses/objets sensibles なのである。
 歴史的な条件の下、一方では超越性を全面的に拒否せざるをえず、他方では社会現象の意識性を全面的に拒否せざるをえなかったがゆえに、デュルケームはこの問題を直視できず、結果として sensible を observable と、そして objectif と同一視することになってしまった。しかしそれは、歴史的な圧力という不可避的ではあるが理論外的な要因によるものであり、彼の議論本来の姿ではない。
 むしろ、彼の議論を忠実に展開すれば次のように言えるようにさえ我々には思われるのである。「社会的事実が objectif(客体的・客観的・対象的)であるのは、sujet(主観・主体)においてこそである。それは拡張された意味において確かに sensible であるが、それは subjectif に sensible なのであり、その限りにおいてのみ、そしてその条件の下でこそ、社会的事実は objectif になりうるのである」。超越性と意識性の全面的な排除さえしなければ、このようにすっきりと論理的に理解できる。そして、この拡張された立場から見れば、超越さえも、主観(sujet)において、魂(ame)において、精神(esprit)において、sensible でありうるのである。
 こうして再び、社会学の認識成立基盤としての社会それ自体と、それを形作る人間の同質性を根拠付けようとするのであれば、むしろこの、我々がなぜか「人間として」共通に「感じている」ということの意味と基盤の探究に向かわなければならないのだ。この洞察を基盤として、次段階の社会学が構築されうるであろう。そして同様に、我々の社会的生の意味の探究も ― デュルケーム自身実は見抜いていたとおり ― この意味における社会の外部に向かうこととなろう。

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