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博士論文要旨

論文題目:Keith Johnstone のインプロは創造性を育てるのか
著者:高尾 隆 (TAKAO, Takashi)
博士号取得年月日:2004年11月26日

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本論文の目的は、Keith Johnstoneのインプロ(即興演劇)は創造性(creativity)を育てるのかどうかを検討することである。そのために、彼のインプロの方法論を用いた教育実践において参加者にどのような変化が起こっているのかを、創造性という視点から明らかにする。Keith Johnstoneは、20世紀半ばにインプロを創始した一人であり、現在も理論家・指導者として世界的な中心である。彼のインプロの注目すべき点は、俳優の訓練や、上演のためだけでなく、創造性や協力・協働を学ぶことを目的として学校教育や企業教育の中に取り入れられていることである。
 序章では、本論文の目的を提示した後、先行研究の批判的検討を行った。第一に創造性についての先行研究について検討した。一つ目に、創造性研究の歴史的展開を概観した。二つ目に、創造性研究へのアプローチを整理した。近年は、創造性を複数の要素によって構成される複合体と考える必要、そして、複数のアプローチ・理論・方法を統合して創造性を研究する必要が言われるようになってきていた。
 三つ目に、創造性とは何かという問いに対する主要な議論を整理した。「特別な才能の創造性」に当たる「大文字の創造性」、「自己実現の創造性」に当たる「小文字の創造性」という二つの創造性概念が、近年では統合されてきていた。その一つとして、Csikszentmihalyiの「創造性のシステムモデル」を取り上げた。彼は創造性に関わる複雑な現象を理解するために、心理的な側面だけでなく、文化的・社会的側面を含めて見ていかなければならないと考えた。このモデルでは、創造のプロセスを個人、領域、場が関わり合い交差するところにおいてのみ観察できると考える。領域は、法則、表象、表記のパターンの集まりであり、その背景にあるのは文化である。個人は領域にアクセスし、既存のパターンを参照する。そして、そこから変種をつくる。そのことによって、領域に変化が起きる。この領域の変化を、創造性と捉えるのである。場は、領域ごとにある社会的組織であり、その背景にあるものは社会である。場は、何が領域に含まれるべきで、何が含まれないべきかを判断する。また、場は個人を励まし、個人は場がどのような志向性を持っているのかを探索する。本論文では、創造性を捉える枠組みとして、Csikszentmihalyiの創造性のシステムモデルを仮に設定する。したがって、創造性を所与の静的なものとは考えず、個人、領域、場という三者の相互作用の中で、社会的に構築されるものとして考える。
 四つ目に、創造性の育成・教育についての研究を整理した。そして、先行研究の問題点として①創造性を高めることのみに注目し、創造性というものに対する認識や理解を深めることにあまり注意していないこと、②個人の創造のみを扱っていて、協働(collaboration)の創造についてあまり触れていないこと、③研究対象がとなるのが、高い創造性を持つと認められている人々に偏っているため、一般の人々の創造性を捉えにくいこと、④教育を知識の伝達というふうに位置づけているため、創造性の教育の場における参加者の変化の大部分を見落としていること、の4つを指摘した。それを踏まえて、本研究は、一般の人々の創造性の教育を中心に据えた。そして、教育を知識の伝達としてだけでなく、多様な関係が産み出される場として捉え、そのことが参加者の創造性にどのような影響を与えているかをみた。さらに、参加者が創造性を身につけることのみならず、参加者がどのように創造性の概念を深めているかについても考えた。また、協働の創造性の問題についても考えた。
 第二に、インプロ、演劇教育の先行研究を整理した。一つ目のインプロの先行研究では、インプロに関わる著作の大多数がインプロの実践者が、自らのインプロの実践を理論化した「理論書」か、あるいは、インプロで用いられるゲームやアクティビティーを紹介した「ゲームブック」であり、インプロの方法論を批判的に分析・検討したり、他の方法論と比較したり、その方法論の生まれた背景を探ることで、その方法論を客観的に位置づける文献が少ないことを指摘した。数少ないインプロの方法論についての批判的・客観的な研究であるFrost & Yarrowの研究も、Johnstoneのインプロが創造性や協力・協働を学ぶことを目的として学校教育や企業教育の中に取り入れられていく「演劇を越えるもの」としての意義を評価できていない、インプロを用いた教育実践の中で実際に参加者がどのように変化しているのかということについては描いていないという限界があった。
 二つ目の演劇教育研究のアプローチの整理では、まず、イギリスの演劇教育の流れ、そしてアメリカのクリエイティブ・ドラマの流れにおいて、どのように参加者の変化が研究されてきたのかをみた。前者は、経験主義的な研究となり、実践の成果をまとめるものになりがちになること、後者は、数量化のために変化の多くの部分を削ぎ落として単純化しがちになることから、参加者の変化の複雑性を捉えることができていなかった。そのため現在では、エスノグラフィー、反省的実践家研究などの質的な研究アプローチが成長してきていた。三つ目の、演劇教育理論における創造性の捉え方では、演劇教育理論では創造性の先行研究ではあまり触れられていない協働の創造性について触れていることを指摘した。
 第四に、「教育実践」という概念について検討した。教育実践概念成立の歴史的経緯を踏まえた上で、教育実践を、計画→実行→観察→省察の循環として定義した。
 そして、以上のような創造性研究の歴史と問題点、インプロ研究や演劇教育研究の問題点、教育実践概念を踏まえた上で、対象と方法を設定した。対象は、Johnstoneのインプロの方法論を用いた教育実践である。具体的には、サンフランシスコのインプロ団体Bay Area Theatresports(BATS)の教育活動、そして、私が大正大学で行った「ワークショップ入門」の実践をみることにした。方法としては、先行研究の問題点を踏まえた上で、主に質的方法を用いて、対象を微視的に観察、分析することにした。その際に、「ひとつの現象に対してさまざまな方法、研究者、調査群、空間的・時間的セッティングあるいは異なった理論的立場を組み合わせる」トライアンギュレーションを用いた。
 第1章「Johnstoneのインプロの方法論とその生成過程-創造性を中心とした分析・検討」では、Johnstoneのインプロの方法論を創造性の概念を中心に分析、検討し、それから、その方法論の形成過程を明らかにした。一つ目に、Johnstoneが著書などに書いたことや半構造化インタビューで話したことをもとに、Johnstoneのインプロの方法論について創造性を中心に分析、検討した。二つ目に、Johnstoneが著書などに書いたことや半構造化インタビューで話したことをもとに、Johnstoneのライフヒストリーをみた。そして、三つ目に、Johnstoneのインプロの方法論と、彼のライフヒストリーとを重ね合わせて分析することで、その方法論の源泉となる思想や、方法論が形成されてきた過程を明らかにした。
 Johnstoneの方法論は、もともとできていたspontaneousな想像、spontaneousな行動を再びできるようになるためのものである。これらのspontaneityは、社会的こころが産み出す他者の評価への恐怖、未来・変化への恐怖、見られることへの恐怖によって抑制されている。これらの恐怖が、言語化、失敗への対処をもたらしていた。そのことで、自らのアイディアを検閲し、からだを固め、こころをネガティブにしていた。それを解決するために、Johnstoneは、普通にやる・頑張らない、独創的にならない・当たり前のことをする、賢くならない、勝とうとしない、自分を責めない、想像の責任を取らないなどといった方法を用いた。そして、good natureでいること、一緒にいる仲間を喜ばせることを言った。最後に、整理したJohnstoneのインプロの方法論を、第2章、第3章でみていく参加者の変化をみるための枠組みとして設定した。
 第2章「Bay Area Theatresportsでの教育活動」では、Johnstoneの方法論を基にしたインプロのショーと教育活動を行っているインプロ団体Bay Area Theatresports(BATS)が劇場、学校、企業で、どのような教育活動を行っているのか、またそこで実際に参加者はどのように変化しているのかを、創造性を中心に明らかにすることが目的であった。一つ目に、BATSの創立期の中心メンバーであるStockley、Ryanへの半構造化インタビューなどをもとに、BATSがどのように創立されたのか、BATSの創立期の中心メンバーがどのようにJohnstoneのインプロの方法論を受容し、どのような創造性に対する考え方を持つようになったのかを分析した。彼女達は、誰でも想像する力、そしてその想像を行動に変えていく創造性を持っているが、社会で生活する中でそれが閉じこめられていくというJohnstoneの考え方を基盤に、自らの創造性についての考え方を形成していた。そしてBATSの講師達は、その閉じこめられた想像力、創造性に再び接近することを、さまざまな種類のインプロを用いながら試みていた。
 二つ目に、参与観察法、半構造化インタビュー、質問紙調査を用いて、BATSが劇場、学校、企業で行っている教育活動を観察、記述、分析した。劇場の教育活動としてサマースクールを取り上げ、日本からの参加者もえとあきのマスクとソングにおける変化、他の参加者の学びを記述、分析した。学校での活動として、小学校でのショーと、高校でのクラスを参与観察し、児童・生徒の変化を分析した。企業での活動として、CGアニメーション製作会社のPixarでのクラスを描写し、Pixarがインプロに何を求めているかを分析した。その結果、見られた変化は、他者の評価への恐怖、未来・変化への恐怖、失敗の恐怖、などさまざまな恐怖を克服し、頑張らず普通にできるようになること、また、独創的にならず、当たり前のことをし、そのままの自分でいられるようになることであった。これを支えていたものは、インプロで身につけた他者との協働の方法、インプロによってつくり出されるポジティブさ、楽しさであった。
 第3章「『ワークショップ入門』の教育実践研究」では、Johnstoneのインプロの方法論を用い、「創造性」をテーマにして私が行った「ワークショップ入門」のクラスがどのようなものであったのか、またそこでの学生の変化はどのようなものであったのかを明らかにすることが目的であった。私は協働実践者とともに、計画→実行→観察→省察の循環で実践した。この章では、フィールドノーツ、振り返りミーティングの記録、学生の感想文・レポートなどを用いて、教育実践の循環のプロセスすべてを研究の対象とする実践研究を、自分の行った実践を自分自身で研究する実践者=研究者アプローチによって行った。
 まず、授業の中でどのようなことを行ったのか、またその中で参加者達がどのような様子であったのかを、一回一回物語の形で記述した。そして、学生達にどのような変化があったのかを分析し、参加者の変化として、①頑張らないことの意味を学び、頑張らないようになったこと、②そのままでいることができるようになったということ、③自分で自分自身のアイディアや行動を検閲していることを知り、それに対処する方法を学んだこと、④負けること・失敗することへの抵抗が無くなったこと、⑤恥ずかしさがなくなったこと、⑥楽しさを経験したこと、⑦他者と関係を構築できるようになったこと、の7つを指摘した。これらすべての変化が、自分の想像の中で厳しい他者を想定しそれに縛られていた状態から脱却し、楽に直接他者と関わり合えるようになり、表現や行動においてよりspontaneousになることと関連していたのである。
 ただ、創造性概念については、多くの学生達の中であまり深化しなかった。また、あまり変化をしなかったように思われる学生達もいた。その学生達を分析すると、変化を阻むものが存在していたことが明らかになった。それは、他の人をすごいと思いすぎたり、失敗の原因を自分に向けていたり、ジェンダーや学年を強く意識しすぎることなどであった。
 終章「Johnstoneのインプロの方法論を用いた教育実践における参加者の変化~Csikszentmihalyiの創造性のシステムモデルの精緻化~」では、はじめに、分析枠組みでもあったJohnstoneのインプロの方法論をもう一度整理した後、本論文の問いであるJohnstoneのインプロの方法論を用いた教育実践における参加者の変化はどのようなものであったかを、BATSでの教育活動、ワークショップ入門の教育実践の分析、考察から明らかにした。
 第一の変化は、他者の評価を恐れなくなることであった。自分の内面に自分でつくった想像上の他者の評価に恐れを感じ、こういう行動をしたらネガティブに評価されると自分で勝手に決めつけていた状態であったのが、他者と関係を構築し、他者への恐れを実は自分が想像でつくり出していることを発見し、考え過ぎを止めるゲームで実際に恐れを意識せず行動し、他者からポジティブなフィードバックを受け、少しずつ他者の評価を恐れなくなっていった。
 第二の変化は、未来・変化を恐れなくなったことである。未来を恐れると、未来をコントロールしようとし、今起こっていることを無視して、自分の頭で未来をつくろうとしてしまい、自分自身への検閲が強くなる。そして、時に過去に閉じこもったままになろうとする。その状態から、外に対して開き、新たな行動をできるようになっていた。
 第三の変化は、ネガティブな状態を越えて、ポジティブで楽しい状態になったことである。ネガティブになると、恐れのため行動しなくなる。しかし、ネガティブを越えて行動してみると、実は他者との関わりの中で、新たな発見をしたり、何かを生み出すことができたりと、楽しくポジティブな経験をすることができる。
 第四の変化は、失敗することや、負けることを恐れなくなったことである。失敗したり負けたりしてもgood natureでいれば、受け容れられるようになることを学び、失敗や敗北を危険と考えなくなった。
 第五の変化は、頑張らず普通にできるようになったことである。頑張ろうと思うとかえって考えが浮かばなくなったり、辛くなったりし、逆に、頑張らないと思うとかえって頑張れるという、頑張ることのパラドックスをインプロを通じて参加者は発見し、頑張ろうとしなくなった。
 第六の変化は、独創的にならず、当たり前のことをし、そのままの自分でいられるようになったことである。独創的になろうとして、頭で考えてしまい、自分自身への検閲をしている状態を越えて、当たり前のことをしようとして、自分の世界をそのまま表現するようになった。
 第七の変化は、仲間を喜ばせることをやっていくことで、他者との協働の創造ができるようになったことである。インプロを通じて他者のアイディアを受け容れること、他者を喜ばせること、他者にいい時間を与えることを学び、他者と触れ合うことが楽になり、他者との創造活動が楽しいものとなっていった。
 そして、以上のような参加者の変化が、Csikszentmihalyiの創造性のシステムモデルのどこに位置付くのかを、検討した。まず、領域と個人の関係について検討した。創造をするためには、領域に接触して、文化的知識を自らの内に取り込むこと、つまり知識を学ぶことが不可欠である。Johnstoneは、どうしたら、生徒達が継続的に領域に接触していくかということに焦点を当てて考えた。そして、領域に接触することが、楽しく、笑いがあり、リラックスできるものであるようにした。Johnstoneが行った学びの場づくりは、領域との接触という創造における最も基本的な営みを多くの人に可能にするものだった。
 次に、場と個人の関係について検討した。創造的であると認められていない多くの人々は、自ら、自分には創造できない、創造する価値がないと考えて、自分から創造しなくなる。では、なぜそのようになるのか。それを考えるため、まず、私は、創造のプロセスを3つの段階で捉える三段階の創造モデルを提示した。第一段階は個人の中で想像が起こる過程、第二段階はその想像を表現・行動に移す過程、第三段階は他者の反応である。このモデルでは、想像が自分にとって新しいと個人が認めれば小文字の創造性となり、表現・行動が社会にとって新しいと場が認めれば大文字の創造性になる。Csikszentmihalyiの創造性のシステムモデルは、第三段階以降の表現・行動が場に働きかけ、領域を変化させるところを捉えているが、大多数の人々は第三段階まで到達することがない。第一段階に至るところと、第二段階に至るところで、社会的こころが生み出す検閲が障壁となっているからである。想像によって自らの内側につくり出された仮想の場が、アイディアや行動を判断するのである。この内面化された場は、本来の場よりも厳しい。Johnstoneの方法論を用いた実践では、安全な場所でspontaneousなアイディアを表現や行動に移してみる。そして、そこで得られた他者からのフィードバックをもとに、より正確である内面的な場を再構築する。そうすると、spontaneousに想像し、表現・行動できるようになり、第三段階まで到達できるようになる。
 そして、創造の方向性について検討した。思いつきの行動の中から、どのように場が評価するような行動を選んでいくことができるのか。その際に、一緒にやる仲間が喜んでいるのかを基準に行動していくことが重要となった。自分を輝かせようとするのでなく、他者を輝かせようとすることで、検閲が弱くなり、他者との協働の創造も可能になっていた。
 最後に、本論文の意義を、創造性研究への貢献、創造性の教育の研究への貢献、インプロ研究への貢献、演劇教育研究への貢献、創造性の教育の実践への貢献に分けて提示した。

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