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博士論文要旨

論文題目:現代中国における基層社会の構造変動と村民自治 ―東北四ヶ村の村民自治機能を中心とする実証研究―
著者:張 文明 (ZHANG, Wen Ming)
博士号取得年月日:2004年11月26日

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本論文は、2000年から2002年にかけて、筆者が中国東北四ヶ村で行った現地調査の成果をもとに、1980年代から中国農村に導入された村民自治制度の実施実態とその影響を考察したものである。

(1) 問題意識
 1978年末以来中国農村で行われている改革・開放は、経済面だけではなく、社会や政治面にも様々な変革を迫っている。この中で「静かな革命」と言われる村民による直接選挙を特徴とする村民自治の動向は内外の注目を集めた。これについて、「これは中国民主政治改革の第一歩だ」というものや、「中国の民主政治は村民選挙と全く無関係である」などの見解が、政策論、構造論、制度論などの政治学の視点から挙げられている。しかし、こうした村民自治研究の視角が多様化しているにもかかわらず、その内容のほとんどは村民自治の“生成要因”、“制度存在の合理性及び将来性”などに集中している。村民自治制度の実施過程における自治機能(民主的選挙・民主的政策決定・民主的管理・民主的監督)の効果の如何や村落社会の権力構造を再編しようとする村民自治制度が導入される際の影響に関する社会学的実証研究は必ずしも行われてこなかった。従って、本論文は、このような研究状況に基づいて、村民自治諸機能の発揮状況と村民自治実施に影響を及ぼす諸要素について実証的な検討を主な問題関心とする。
(2) 研究視角
 以上の課題を解明するために、本論文では、分析に際して機能論的アプローチを導入した。
 機能主義社会学は、社会を構成する諸要素の存在の社会的集団に対する効果を機能という概念で表し、各機能の関連によって社会を解析しようとした。パーソンズは、社会システムを構成する諸要素のうち、不変的でかつ安定的な要素を定数、つまり構造として確定する作業(構造分析)と、この構造と可変的でかつ動的な要素である変数とを関係付ける作業(機能分析)という社会研究の視角(要素間の相互作用のAGIL図式)を提示した。これが、社会学に大きく貢献した構造―機能アプローチという方法である。さらに、パーソンズの理論的図式の補完として、マートンは機能分析の実証的性格を持つ「中範囲理論」を提示し、構造分析の明確な枠と限定対象の確定(要素項目の整理)の暫定的指針を与えた。これらの理論に基づいて本論文は国家により推進してきた村民自治制度(機能の媒介)が村へ“進入する”際に、各村に存在する構造的要素がどのように反応するかという“過程”に焦点に当て、村民自治制度と各構造要素との“相互作用と関係”及びその結果を分析した。つまり、本論文が提示する機能とは、二つの意味を持っている。一つは、“結果の検証”によって村民自治の諸機能がどこまで発揮されているかという一つ目の問題関心について分析することである。もう一つは、“相互作用と関係”の分析を通じて、村民自治制度の実施に影響を及ぼす構造的要素を究明し、前述の二つ目の問題関心を明らかにすることである。
 本論文ではこのような分析方法を具体的に、以下の三つのステップで展開した。第一に、村落社会を一つのシステムと見なし、村民自治制度が村に“進入する”際、まず反応を示す政治支配構造及び社会構造を検討の焦点として確定する。第二に、両構造を構成する項目の整理作業を行い、関係項目の具体的パターンを明らかにする。まず、政治支配構造の構成項目である支配と被支配的要素の中心に立つ村権力組織の性格を解明する。村組織の性格は、主にその構成因子である党支部と村民委員会の影響力の大きさによって違ってくる。例えば、党支部の影響力が強い場合、村組織は行政志向的性格が強く、逆に、村民委員会の影響力が強い場合、村組織は自治志向的性格が強いと見られる。次に、社会構造の構成項目を検討する際、緩い家庭連携を中心とする“地縁構造的要素”と、村落エリートを中心とする“人治構造的要素”という視角を導入し、両要素のあり方の相異によってもたらされる村民の共通的帰属意識の変動傾向が、村民自治制度の実施に及ぼす影響を明らかにした。例えば、前者の村民(家庭)は、行動する際、地縁的に近い“組”(家族集団や仲間集団も含む)に依存する合議的な傾向が強いと見られる。一方、後者の村は、分散的家庭によって構成されるにもかかわらず、明確な権威的人物(精英=エリート)の存在によって、村民の帰属意識が同一化される独裁的傾向が強いのである。第三に、両要素の“相互作用”によって形成された型式化村(集権・地域集約型、集権・政治エリート中心型、分権・社会エリート中心型、分権・地域分化型)を具体的ケース(下述の四村)に合わせて、“村の概観”“選挙”“村政の運営”の三つの角度から分析し、村民自治機能の実態を解明する。
(3) 研究対象と資料
 本論文における主要な資料は、2000年6月から2002年10月まで筆者が吉林省?南市で三回にわたって実施した現地調査の成果である。この間、筆者は主に頭段村、宏図村、増勝村、育林村ほか7つの村に対して現地調査を行った。この中で、代表性を持つ4村を選び、各村において戸別にアンケート調査(681人)を行う一方、村民、村の幹部(党支部書記や村民委員会主任等)に対する聞き取り調査(96人)をそれぞれ実施した。また、省、県、郷の関係機関の幹部(17人)に対するインタビューも行った。そして、2000年6月に那金鎮と呼力吐モンゴル族自治郷における二つの村の選挙に対する筆者の直接観察の成果も、中国農村直接選挙の現場事情を分析する上で重要な情報源である。次に、従来の村民自治研究において主要な資料として用いられてきた、国の村民自治に関する法律や文献、当該地域のミクロ的な実態の解明にとり有用である対象省、市(地級市)、県の宣伝資料、選挙法案、選挙に関する通報や報告、各レベルの政府の選挙統計資料、会議記録、档案及び対象地域の経済、歴史、政治状況に関する統計資料、地方志、档案など、多くの第一次文献資料を利用する。
 序章では以上の本論の問題意識と研究視角を述べたが、第一章以下の各章の内容は次のようである。


第一章では、時間を遡り、中国の地方自治における村落権力構造の変遷と、東北地域の村落権力構造の特質について、“時間”と“空間”という二つの大きな視角から基本的整理を行った。“時間”的には、①歴史的視野から近代以降の中国における農村自治の提起とその展開及び特徴、問題点を整理するとともに、②中国共産党の農村社会の管理メカニズムを“浸透期”“強化期”“再編期”という三段階に分けて具体的に検討した。また、“空間”的には、③観察する東北地域(吉林省)における村民自治の実態を理解するため、清末から新中国建国に至る村落形成の経緯、村落管理の変遷及び村落の構造的特徴を中心に整理した。このような整理を通して、中国的村落政権を巡って、清朝末期の地方自治の提起から現在の村民自治の再編成までの変動そのものの歴史的関連と実効性を比較の視点から分析した。
第二章では、主に村民自治制度の実施背景、実施過程および具体的な内容を詳細に述べた。まず、その経済的背景と社会的背景に分けて分析した。これまでの農村管理体制における"上"から主導する形での変革・統制とは異なり、今日の村民自治制度は、農村市場経済体制の導入と社会行政管理機能の麻痺により、実施せざるを得なかったという背景がある。次に、村民自治の実施過程を自発的発生段階(1980年~1987年)、モデル地域の試験段階(1987年~1998年)、全面的展開段階(1998年~現在まで)の三段階に分け、村民自治制度発生の経緯を検討した。第三に、規定された民主的選挙・民主的政策決定・民主的管理・民主的監督という村民自治の内容を詳細に検討し、観察する各村がこれらの諸制度をどこまで忠実に執行しているかの検証基準に設定した。その上で、吉林省と?南市における村民自治の実施状況をも検討した。ここでは、“海選”という選挙方式が吉林省で発生した経緯を整理するとともに、?南市の自然状況と社会的特徴などを概観し、その市の全体的な村民自治の展開情況を明らかにした。このような作業を通して、本論の研究対象である各村の囲まれている社会的・制度的諸環境を解明した。

第三章から第六章までは、具体的類型をもとに、各村の村民自治制度実施の特徴、実施状況を分析し、村民自治機能の実態について検討した。
第三章では、集権・地域集約型村落における村民自治機能に対する考察を通じて、党支部を中心とする集権的村組織の村民自治制度の実施に対する影響を検討した。この類型の村の基本的な特徴は以下のようである。①党支部は組織としての絶対的指導権を確立し、政策決定の際の最終的決定権を持っている。②村民委員会主任は、当選すると同時に、党支部の副書記になると、村の“規約”に定められている。つまり、村民委員会主任は当選とともに、自動的に党支部の指導下に置かれ、両組織が一体化される。③党支部書記個人の影響力は必ずしも強くないため、絶対的な指導権を有するのは個人ではなく党支部組織であり、政策決定が行われる際に、党支部の集団協議によって決められる。④村民委員会選挙は、ある程度“操作”されているにもかかわらず、その実施手順から見ると、比較的規範に沿ったものであるといえる。従って、村民は、党支部の絶対的指導権を認める一方、村民委員会選挙の“効果”も評価している。⑤このような選挙を通じてあらわれた村民の地縁的帰属意識は集約的傾向が強く、村落の社会構造はより安定的である。
第四章では、集権・政治エリート中心型村落における村民自治機能の考察を通じて、村で絶対的な権力と権威をもつ党支部書記の村民自治の展開に果たす具体的な役割を検討する。このような村の特徴を纏めると、以下の四点になる。①村の絶対的な指導権は政治エリートである党支部書記にあり、村のあらゆる決定や行動に対して党支部書記が最終的な決定権を持っている。彼の最終的なサインがなければ、あらゆる政策が実施に至らない。②村の村民委員会の選挙が党支部書記の“幹部養成理念”によって進めら、選挙における枠の設定から、人の選択まで自分の“理念”を貫徹する。③書記によって推進されている人民公社式の“隊為基礎”(各組を基礎としての独立管理体制)という管理体制は、村の村民委員会の管理権限を空虚なものとした。この管理体制のもと、財務、公共事業などの具体的な事務の直接の管理主体は、村(組織)ではなく各組であり、事実上、従来の“三級所有、隊為基礎”という一元化管理システムが維持され、党支部の集権的一元化指導体制を実現させている。こうして選出された村民委員会には、具体的な業務がなく、ただの形式的な存在となる。④書記による村の公正、透明、厳格な管理が村民の評価を得ており、彼の権威が一層強化されている。⑤選挙が書記の影響力と管理の下に行われた結果、村民の選好志向に地縁的要素などの多元的な帰属意識が表れない。政治エリートである書記の強い個人意識によって同一化される傾向が強く、村の社会構造は比較的安定した状態である。
第五章では、分権・社会エリート中心型村落における村民自治機能への考察を通じて、社会エリートである村民委員会主任が主導する分権型村の村民自治制度の実施情況を検討した。村の具体的な特徴は、以下のようである。①村の社会エリートである村民委員会主任が、長年にわたって主任のポストをつとめ、その個人的な影響力がかなり大きく、現書記の政治権力を上回る実権者となっている。彼は、村の幹部を務めると同時に、村の“族老”的な存在でもあり、村社会において強い社会的影響力を持つ人物である。②村の行政権力の配分から見ると、この村は、党支部と村民委員会の権限が分けられており、村民委員会は党支部の政治権限以外のあらゆる行政業務に対して最終的な決定権を持つ。その上、主任が最終的な決定権を持っている。つまり、この村では、第四章で見た村とは逆に、主任を中心とする独裁的指導体制が形成されているのである。③主任は、村の選挙活動を管理し、自作自演の選挙を行った。選挙中、主任は、選挙の管理者という立場を利用して、選挙手順の“手抜き”などの方法で、自分に有利な“選挙”を遂行した。④この村の村民自治は、その実行の過程から選挙後の政策決定まで、基本的に主任のコントロール下の密室的操作により行われているため、選挙などにより表れるべき村民の共通的帰属意識や民主的参加などが完全に抑えられている。この村は行政的分権体制を有するにもかかわらず、独裁的性格を持つ人物の存在によって、村社会の多元的性格が抑止され、エリート独裁に従う同一化傾向が強まっている。従って村民は不満を持っており、村の社会構造は比較的不安定な状態である。
第六章では、分権・地域分化型村落における村民自治機能への考察を通じて、村民委員会が主導する分権型村の村民自治機能を検討した。村の特徴をまとめてみると、以下の通りである。①党支部の影響力が比較的弱く、党の業務のみを管理し、村民委員会が管理する業務決定などにほとんど参加しない。つまり、完全な“党政分離”体制が存在している。②党支部を中心とする集団的管理体制ではなく、村民委員会を中心とする分権的管理体制である。しかし、この村の村民委員会主任は、第五章で見た村のような社会エリート的性格を持たず、個人としての影響力も、第三章でみた村の主任のように強くないため、村民委員会を中心とする集団的管理体制が形成されている。③第一組出身の村民委員会の幹部らは、選挙中、さまざまな方法を使って、自分の勢力範囲を確保し、他組の人間の村権力体系への進入を阻止している。こうして、村民の不満が強まっていることと伴い、選挙を巡る村の地域分化(組ごとに)現象が加速している。④このような分化に伴い、この村には、第三章の村と異なる様相の地縁的帰属意識があらわれた。それは、主任を中心とする“関係集団”が行う地域(組)に基づいた“関係作り”によって、第一組を団結し、第二組を無視するという地縁的帰属傾向を人為的に強めることである。このような村の社会構造はより不安定な状態にあると考えられる。

終章では、本論文における考察の結果に従って、以下のような二つの結論を提示した。
第一に、現実的に見ると、村民自治制度が推進される際、国家により規定された諸機能は必ずしも十分に発揮されていない。まず、村民自治機能の基本である村民委員会選挙は、規定された通りに行われず、制限された“枠内”で行われている。従って、村民の選択傾向は必ずしも明確ではなく、その選挙参加も確実には実現されていない。結局、選挙は形骸化しているといっても過言ではない。次に、選挙後の“民主的政策決定・民主的管理・民主的監督”という村民の民主的政治参加が無視されている。村民自治における“民主的選挙”以外の他の諸機能は果されていないのである。
第二に、村民自治制度の実施に影響を及ぼす様々な要素の中で、最も大きな影響を与えているのは政治的支配と被支配的要素の中心である村権力組織の存在である。村の権力組織は、国家と社会(村民)の“結節点”としての地位を利用して、自集団の利益を追求するために、村民自治制度に抵抗している。4つの村における村民自治実施の状況から分かるように、制度の執行者である村組織は、実際の村民自治を推進する過程で、必ずしも制度を規定通りに執行せず、いつも自集団の利益を優先に考え、しかも実現可能な方法で制度を“操作”するのである。こうして、制度を選択的に執行したり形骸化させたりすることによって、自分の地位を確保している。この意味で、村民自治を代表とする基層政権建設の活動は、村組織にとって、国家制度の実施よりも、むしろ村組織自身の局部的統制権の拡張と再建の絶好な機会でもあるといえよう。このような状況は国家の目的である統制の強化が実現できないばかりでなく、国家との競合的関係を樹立させたのである。このような現状にある限り、国家が村民自治制度の実施を通じて村民に“権限”を与え、“基層政権”である村組織を監督する目的をも実現することは難しいであろう。

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