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博士論文要旨

論文題目:都市のナチュラリスト・ゲディス ― <人間-環境>系のライフヒストリー分析試論 ―
著者:安藤 聡彦 (ANDO, Toshihiko)
博士号取得年月日:1998年3月11日

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[1]課題と分析枠組

 本稿は、イギリスにおける都市計画や地理学・社会学さらには環境教育の開拓者として知られるパトリック・ゲディス(Geddes, Sir Patrick, 1854-1932)のライフヒストリーを、とりわけ彼の環境とのかかわりに注目しながら分析することを意図している。
 筆者は、日本における公害・環境教育の展開をふまえてルイス・マンフォードやパトリック・ゲディスの「教育計画と都市計画」との結合の思想に学ぶことを示唆した藤岡貞彦の仕事や、イギリスにおいてスケフィントン委員会による都市計画への市民参加の提唱(『民衆と都市計画』、住宅・地方政府省、1969年)をゲディス再評価の機会ととらえたストレイス・ウィーラーの仕事に学びつつ、「イギリス環境教育の開拓者」ゲディスの研究を開始した。だが、そこで出会うことになったのは、弟子の都市計画家アバークロンビーが「世にもはた迷惑な人物」(a most unsettling person)と愛情を込めて呼んだ、一風変わった、よりリアルに言えばつかみどころのない、ゲディスの姿であった。そして、しばらく仕事を続けていくうちに、その「つかみどころのなさ」は次のような彼の個性に由来するものであることを理解するようになった。即ち、その個性とは、個別ディシプリンの枠を超えて自由に動きまわる思考の越境性であり、観察・分析の結果を絶えず自らの思考や活動に引き寄せて語る知の自伝性であり、さらにそれらの反映でもある文体の独自性(主部と述部の関係の不安定性、修飾語や造語の多用、等)である。

 ある意味では、マンフォードが「パトリック・ゲディスとは何者か?」(1925年)と問いかけて以来、ゲディスにアプローチした人々はみなその個性に戸惑わされてきたといいうるだろう。これまでゲディス研究に最も精力的かつ誠実にあたってきた歴史家のヘレン・メラーにしてまたそうであった。彼女のゲディス研究の集大成である『パトリック・ゲディス;都市の計画家、社会進化論者』(1990年)はオリジナルな資料収集にもとづく初の本格的なゲディス研究の文献である。だが、そこでは問題は提出されているものの、ついに答は与えられなかった。その問題とは、次のようなものである。即ち、ゲディスは環境や都市の研究が必要であると言うが、その後すぐに環境や都市の計画が必要であると言う。それでは環境や都市の計画が必要なのかと言うと、彼はすでにその研究や計画の必要性を民衆に説いて回っている ― こうした思考と行動のパターンである。つまり、彼においては、環境や都市の認識とそれらに対するはたらきかけとが峻別されず、しかもそこではそのはたらきかけによって招来される ― と彼の願った ― 環境や都市の進化とそこに住む人間の成長・発達、あるいは「向上」がつねに一体のものとして理解されていた。ヴィクトリア時代から今世紀初頭に至るイギリス都市空間の形成を都市エリート層による改良行為の総和として読み解き(『余暇と変貌する都市』、1975年)、その視点からゲディスにアプローチしてきたメラーにとっては、その後者が問題であった。彼女はあるところでは、「ゲディスが望んだことは、主要な関心を人々の育成におくラスキン的な社会の目標を現在と将来において促進することであった」と指摘する(『パトリック・ゲディス』、p.145)。だが、それと同時に別の箇所では、次のように記す。

 ゲディスは環境を整序しようとする欲求と個人の進化における潜在力の重要性についての信念との間の困難な葛藤に既に到達していた。それは彼が決して解決することのなかったジレンマだったのである。(同書、p.174)

 言うまでもなく、これは同じ事実について述べている。だが、その事実に対する彼女の向き合い方が分析枠組にまで彫琢されていないために、読者はある種の混乱を覚えることになる。それゆえ、彼女の後からゲディス研究をめざす者は、彼女が「困難な葛藤」とか「ジレンマ」と呼んだゲディスの個性を分析する枠組を提示しなければならないのである。

 筆者は上記の課題に、ゲディスという人間のライフヒストリーをその環境とのかかわりに視点を置いて分析することによって挑んでみたい。ここで「環境とのかかわり」とは、「環境についての知覚」と「環境に対する作用」と「(環境についての知覚の結果として現れる)環境認識と(環境に対する作用において行使される)環境技術との共有化」を示している。筆者が目的とするのは、それら3つのパターンのそれぞれについて、ゲディスはどのような環境とのかかわりを取り結んだのか、またそれは何故だったのか、を明らかにすることである。ここでは、とりわけエディンバラにおける彼の1880年から1905年に至るライフヒストリーに注目している。それは、彼の独特な思考にとって、エディンバラという都市の有する個性とそこにおける彼の長年の実践は不可欠のモメントを形成しているからである。

 筆者は、以上の課題にアプローチするために次のような枠組を設定した。

 まず、ゲディスのライスヒストリー分析の前提として、エディンバラにおける人々の環境とのかかわりのなかから、とりわけゲディスのライフヒストリーにインパクトを与えた要素を引き出して、それをあらかじめ概観しておくことにする。ゲディスはまことにユニークな人間ではあったが、しかし同時に深く時代と場所に埋め込まれてもいた。ゲディスがエディンバラに登場することになる1880年代前後に、その都市ではどのような環境との関係が取り結ばれていたのか ― 第一にその分析を試みる。次にゲディスの環境とのかかわりのライフヒストリー分析を行う。ここでは、それを「環境についての知覚」「環境に対する作用」「環境認識と環境技術の共有化」の3つの領域に分けて跡づけてみることにしたい。その際、環境の知覚については科学思想史や文化理論史のコンテクストとの、環境に対する作用については都市計画史や環境保全史のコンテクストとの、さらにまた環境認識と環境技術の共有化においては科学や教育の社会史との接点の分析も欠かせない。その「接点」は、ゲディスの場合、テクストや講義要綱等の活字の世界ばかりでなく、それぞれのジャンルの属する人々との交流という形においても表明されることになるから、そうしたゲディス周辺の知的サークルの人々を言わばその「接点」の記号として分析することも重要である。ゲディスにおける<人間-環境>系のライフヒストリー分析は、こうした一連の作業によって彼の繰り広げた環境とのかかわりをそこへの社会的なものの浸透の様態とともに明らかにすることをめざしている。それは「思想の担い手の独特の意識構造に沈潜し、そこに孕まれている葛藤と、個性的奮闘を読み取る作業」(関啓子)を環境との多様なかかわりが織り込まれたゲディスのライフヒストリーをテクストとして行う試みである。


[3]構成及び各部分の論旨

本稿の構成は、下記の通りである。

序/課題と分析枠組
・/環境史的前提
・/<人間-環境>系のライフヒストリー分析
 第1部「環境についての知覚」
  第1章:非ダーウィン主義的進化論の形成過程
  第2章:生物学から都市学へ
 第2部「環境に対する作用」
  第1章:オールド・エディンバラの改造
 第3部「環境認識と環境技術の共有化」
  第1章:青年の成長と環境
  第2章:成人の成長と環境
  第3章:子どもの成長と環境
結論
文献目録
巻末資料

 以下、論旨を簡単に整理する。

 ・の「環境史的前提」では、1880年代前後のエディンバラにおける人々(とりわけ知識人)の環境とのかかわりを、自然誌的研究の蓄積、都市的環境の形成過程、知の共有化のためのネットワークの3つの点から概観し、それらの点で一定のストックを形成するともに、経済的格差と衛生問題とアメニティ保全とのトリレンマを抱え込んでいたことを指摘した。

 ・の第1部「環境についての知覚」においては、まず第1章で、ハクスリーの下で生物学のトレーニングを受け、エディンバラ大学で植物学等を教えていたゲディスが、何故生物学固有のフィールドを抜けだし、都市という環境とその改善に関心を有するに至ったのかを分析した。その結果明らかとなったのは、スペンサーを介して受けた生物と環境との相互作用を重視するラマルク主義的進化論と産業化・都市化の進展による「美の翳り」を衝いたラスキン文化論との影響を受けて、生物学から社会学へという実証主義的なモチーフに対する自らの回答を模索し始めたゲディスの姿であった。つづく第2章「生物学から都市学へ」では、ラマルク=スペンサー的な<生物-機能-環境>というシェマにもとづいて思考を展開させるゲディスが、一方で生態学の確立に刺激を与えつつ、他方ルプレイとその弟子のドゥモランの影響を受けることによってさきのシェマを<場所-仕事-人間>というシェマに言い換えてそれを地理学的な思考へと発展させ、最終的には「生物学から社会学へ」という命題に対して「応用社会学としての都市学」という問題提起によって答えるに至る過程を分析した。

 第2部「環境に対する作用」では、パートナーとともに自らエディンバラのオールドタウンに移り住み、スラムと化していた同地域の環境の改良事業に取り組むゲディスのアプローチを考察した。まず、第1章ではエディンバラ社会連合を自ら組織したゲディスが、とりわけ労働者住宅や公共建築物の「装飾」を重視し、そこからオールドエディンバラの「歴史的都市」としての再生事業に取り組むゲディスの姿を考察した。つづく第2章では、タウン・アンド・ガウン連合会社による大学寮及び労働者住宅の管理とゲディスのエディンバラにおける活動拠点となる展望塔の事業の分析を通して、1890年代のゲディスのオールドエディンバラ再生事業を考察した。

 第3部「環境認識と環境技術の共有化」では、「社会進化」や「都市の進化」の担い手を求めて、自らが培った環境認識や環境技術を高等教育や成人教育、さらには初等教育の場において伝達・共有化していこうとしたゲディスの多用な実践を分析した。まず第1章では、彼のユニヴァーシティ・カレッジ・ダンディにおける植物学教育を中心とする高等教育の実践を分析した。第2章では、スコットランドにおける大学拡張事業にコミットする一方、自らエディンバラ夏期集会という大規模な夏期学校を組織したゲディスの成人教育活動を考察した。第1章とともに本章では、とりわけ彼が残した多用な講義要綱を用いて第1部や第2部で検討した彼の模索がどのように彼の教育的な仕事に反映しているのかを明らかにするよう努めた。その結果、とりわけゲディスの最も独創的な教育事業であるエディンバラ夏期集会のカリキュラムにおいて、1890年代半ば頃までに次第に地理学が中心的な位置を占めるようになり、「場所-仕事-人間」という彼のシェマがそこに反映するようになっているを見た。また、その際教育方法としてとりわけ地域調査やエクスカーションが重視されていたことを確認した。第3章では、ゲディスの初等学校における自然学習(nature study)確立のための諸事業と理論を考察し、そこにおいて彼の環境認識と環境技術にかかわる模索が「教育」という営みにおいて統合されているところを見た。

 本文の要旨は、以上の通りである。


[4] 結論

 以上の分析によって描き出したゲディス像は次のような特徴を有している。

 第一に本稿ではゲディスを基本的にはスペンサー主義者であると同時にラスキン主義者である存在として理解した。通常ならば緊張をはらむそうした二人の相異なる影響を同時に彼が受容したのは、彼にとって両者は人間と環境との相互作用を重視し、しかも高度に発達した人間は環境の質を問題とするという点で同じ見解に立つ存在であると理解されたことによるものである。こうした筆者の認識は、近年の19世紀末の進化理論の捉え直しと、そこから派生する進化理論と社会理論との関係の再検討作業によって支えられたものである。

 第二に、以上のような基本的な理解に立って、これまで多くの研究者たちの共通理解となってきた「ルプレイ主義者」ゲディスの像を洗いなおしてみると、彼自身がルプレイやその学派の理論を重視するようになるのは、ドゥモランと頻繁に交際し始めた1890年代以降であることが明らかとなる。人間と環境との相互作用を重視するルプレイ(学派)の議論がスペンサーやラスキンと共通すると思われたのみならず、そこには後者二人にはない実証性、即ちモノグラフィー論や地域調査論が存在していたことが、生物学の実験科学化になじめず、フィールドサイエンスとしての自然誌の伝統に固執していた彼にはふさわしかったのであった。

 第三に、ゲディスは以上のような認識にもとづいて、環境に対する作用を行い、また環境認識や環境技術の共有化を試みた。とりわけ注目すべきことは、後者の作業において彼の作成するカリキュラムの中に次第に「地域調査」と「仕事の教育」、即ち<場所-仕事-人間>というテーマが現れてくることである。

 第四に、以上のようにゲディスを分析するとき、彼が言わば<場所-仕事-人間>というシェマの3重構造になっていたことが分かる。即ち、それは彼のライフスタイル、認識、カリキュラムという3つの位相において一貫したモチーフを形成していたのである。

 <人間-環境>系のライフヒストリー分析によるこうした新たなゲディス像によって、ヘレン・メラーの指摘したゲディスにおける「困難な葛藤」とか「ジレンマ」は、非ダーウィン主義的進化論とラスキン文化論とを基礎とし、さらにそこにルプレイ派の影響を受けた社会進化論と人間進化論とを不離不即のものとみる独特の ― しかし十分に時代の思想的コンテクストに埋め込まれた ― 思考の形であることが明らかとなった。そしてまた、同時にゲディスにあっては「環境の知覚」と「環境に対する作用」と「環境認識と環境技術の共有化」とが不可分一体のものであったと認識する我々は、「環境の知覚」と「環境に対する作用」のみならず、「教育」という人間形成の新たな様式へのコミットメントという形で表された環境認識と環境技術の共有化」をも分析することによって、ストレイス・ウィーラーが提起した「ゲディスの教育に対する遺産の解説」をも十分行ったものと考える。

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