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博士論文審査要旨

論文題目:義務教育機関における異文化間言語教育の実践研究
著者:神谷 純子 (KAMITANI, Sumiko)
論文審査委員:関 啓子、伊豫谷登士翁、落合一泰、木村 元

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1. 本論文の構成
異文化のなかでさまざまな生きにくさを抱える定住外国人をいかに支えるか。著者の研究はこの問いから始まっている。この難題を解く鍵を探るために著者は、彼・彼女の支援に不可欠の日本語教育に焦点を当て、個性的な学びやすい場の創造を模索した。そこで、著者が注目したのは、公教育から排除されがちな人々の学習権保障に貢献してきた中学校夜間学級である。異文化間教育の視点から定住外国人を対象とする日本語教育を考察し、教師-学習者間に機能する権力テクノロジーを抑制する要因の析出を試みた。本論文は、著者自らが義務教育という場において、在日韓国朝鮮人から中国帰国者やいわゆる外国人労働者までの幅広い対象に対して、自らをもエスノグラフィーの対象に加えて、長期にわたって観察した結果、仕上げられた力作である。

序章
 1 課題
 2 先行研究
 3 研究方法~民族誌的手法の援用
 4 本論文の構成
第1章 定住外国人を対象とする日本語教育の理論と実践
 1 異文化適応型の日本語教育
 2 日本語教育における異文化理解の展開
 3 日本語教育の隣接分野における試み
第2章 定住外国人を対象とする日本語教育機関
 1 日本に在留する定住外国人
 2 日本語教育を必要とする定住外国人
 3 定住外国人の日本語教育を担う公的機関
 4 中学校夜間学級に学ぶ定住外国人
第3章 中学校夜間学級における定住外国人教育
 1 中学校夜間学級の歴史
 2 「基礎学級」
 3 「日本語学級」
 4 異文化間教育の場としての夜間学級
第4章 中学校夜間学級における日本語教育の実践研究
 1 背景
 2 Aクラスにおける実践
 3 Bクラスにおける実践
 4 考察~権力テクノロジーを機能させる要因
 5 教育実践研究における民族誌的手法の可能性
終章 日本語教育における関係の対等性

2. 本論文の概要
 著者は、中学校夜間学級における定住外国人教育に携わってきた。彼・彼女の学びの困難を多面的に受け止め、通常、義務教育機関において機能する権力テクノロジーに注目した。著者は5年間余りの中学校夜間学級での教育実践を、教師(著者)と5名の生徒との関係の組み直しの試行錯誤として記述し、そこで機能する権力テクノロジーの考察と、それを縮小する要因の析出を試みる。
 以上の課題をめぐる先行研究が日本語教育、異文化間教育、中学校夜間学級、授業研究の4領域において整理・検討される。先行研究の批判的検討の結果、著者は民族誌的手法を援用し、実践者である著者が自らの教育実践を記述するという手法に挑むこととなる。序章では、こうした研究課題の設定と研究方法の選択の過程が展開されている。
 著者は、定住外国人の支援において日本語教育は必要不可欠であるとする。第1章では、定住外国人を対象とした日本語教育、およびその隣接分野における理論と実践が概観される。異文化適応型の日本語教育が幅広く行われたが、学習者のもつ「文化」に注目し日本語母語話者を交え、文化を学びあう日本語教育が現れたことが指摘される。コミュニカティブ・アプローチの導入やフレイレに学んだ問題提起型日本語教育など、日本語教育の理論と実践の展開を追い、そのなかで、留学生教育に携わり、ジャーナル・アプローチによって異文化間の対話の形成を打ち出す倉地暁美氏の理論と実践を高く評価する。倉地氏の指摘する教師―学習者間の非対称性に着目した著者は、この非対称性に潜む権力テクノロジーを機能しにくくする場や関係づくりを、この非対称性が最も顕著に現れる義務教育機関で、しかも多様な異文化を背負う定住外国人が学ぶ中学校夜間学級において検討することとした。
 第2章で著者は、定住外国人に対して提供されている公的な日本語教育の場を概観したうえで、その一端を担う中学校夜間学級の位置づけを明らかにする。日本語教育を必要とする定住外国人の実態を概観したうえで、統計データも用いて、夜間学級の実態を丁寧に描いていく。その結果、夜間学級は義務教育機関であるが、さまざまな異文化を背負うマイノリティの教育を担ってきた背景があかされる。グローバリゼーションの影響が顕著になる以前の1970年代から定住外国人の教育を行ってきた夜間学級を、著者は日本における先駆的な異文化間教育の場として再評価する。
 第3章では、公教育から疎外された人々に教育を補償するための場であった夜間学級の
 歴史が掘り起こされる。全国夜間中学校研究会の大会資料および記録誌の発掘に恵まれた著者は、それらを主な資料とし、中学校夜間学級における定住外国人教育の経緯と取り組みを読み解いていく。大阪地区の夜間学級の動向と東京におけるそれとの対比を踏まえて夜間学級の制度的特質がまとめられ、それが学級の教師―生徒間関係に働く権力テクノロジーに及ぼした影響が考察される。著者は、夜間学級において参与観察と聞き取り調査を行い、学習者の授業への参加の決定、学習内容の決定、評価における制度的な縛りの弱さの三点が、夜間学級の教師―生徒間に働く権力テクノロジーに影響を与え、定住外国人を含むさまざまなマイノリティの多様な主体的な学びを成立させているとする。
 第4章では、実践者である著者が自らの教育実践を試行錯誤の過程として記述し、「実践の中の理論」の創造に挑む。民族誌的手法の援用により、著者が学習者との相互作用の過程から何を学びどのように変化したかを詳細に明らかにする作業を含め、実践の多元的、多層的なテキスト群の統合を試みる。著者の実践から5名の生徒の記録を取り上げ、教師である著者と生徒の間に働く権力テクノロジーと、それが機能しにくい関係を作り出そうとする試行錯誤の過程が読み解かれる。実践の記述、分析には批判的民族誌的手法が援用される。実践の分析を通じて、(1)当該生徒が学習に困難を感じた時の典型的な表出の方法、(2)その困難を引き起こす当該生徒の抱える要因、(3)著者の当該生徒への対応、(4)その対応の結果が解明される。この分析に基づき、著者は、教師と生徒との間に権力テクノロジーが機能しにくい関係を成立させる要因と、それが何を生徒にもたらしうるかを考察した。
 権力テクノロジーの発動を避けようとの著者の意図にもかかわらず、自身の教育現場においてもその発生は防ぎえなかった。そこから、権力テクノロジーを機能させてしまった著者のあり方として、(a)生徒の発話を抑制する要因を省みず、発話を引き出すことに懸命になっていた、(b)新たな視点を拓く教材の活用がなく、生徒の悩みに直接助言しようとした、(c)生徒が日本語運用能力の不足に対する不安を訴えていたにもかかわらず、適切な対処を講じないまま授業を進めた、(d)生徒の発話の背景をたずねることなく、筆者の考えに基づき生徒を説得しようとした、(e)生徒の自発的な発話を封じることがあった、といった点が析出されていく。こうして、果すべき任務を遂行させる役割期待の内面化が、権力テクノロジーを機能させ、生徒のメッセージが届きにくい事態を生み出していることが究明される。さらに、権力テクノロジーを抑制したケースも分析され、抑制・縮小の要因として、生徒の自己主張する力、年齢の差が示唆された。また、教師に委ねられる点としては、一方的かかわりを避ける内省的な実践が指摘される。
 終章で著者は、各章の内容を要約し、研究の成果を整理する。中学校夜間学級における定住外国人教育を、日本の異文化間教育における先駆的な実践として再評価し、また、実践研究の民族誌的手法の可能性を実証できたとする。すでに示した第4章の分析結果を踏まえ、教師と学習者との一方的なかかわりを避けるための教師側の要因として、内省的な実践によって内面化された役割期待を見取ることを挙げ、こうした不断の努力を引き受けることができるかどうかは、教師のvulnerabilityの自覚に依ると指摘される。
 論文の冒頭で掲げられた研究課題に対する成果がまとめられ、教師と学習者との対等な関係の意味が強調され、論文が締め括られている。

3. 本論文の成果と問題点
 教師と生徒という権力関係の上に、マジョリティとマイノリティという権力関係が覆い被さるなかで、著者が教師として権力関係を自ら脱色しようとした苦闘の跡が記述される第4章は、抑制された記述であるにもかかわらず、読者に問題の重層性、関係性の変容の困難さ、思わぬところに伏在している課題解決の要因を理解させ、一気に読了させる力を秘めている。
 いわゆる外国人に対する日本語教育のあり方(「異文化間言語教育」)を、教える側と教えられる側との権力テクノロジーの「脱色・縮小」という観点から、実践的な現場に身をおいて丁寧に問題を拾い上げる形で示そうとした本論文の意義は大きい。在日外国人に対する教育は、実際的に日常生活を送らなければならない必要に対する手段の提供(能力の発達)という側面と、日本語教育を通じた規範の押しつけなど権力による同化という側面の両極で研究が行われてきたが、その両者の間での対話は多くはなかったと言わざるをえない。一方では、教授技術や教材が開発されたが、他方では議論が多文化主義の是非をめぐるものへと収斂し、その具体的な個々のレベルでの問題の諸相は十分に把握されてこなかった。神谷氏の論文は、その両者の間を橋渡しし、具体的な課題から問題の諸相を立て直そうとする意欲的なものである。以上が、本論文の第一の成果である。
 異文化教育が権力を抜きにして成り立ちうるのか、あるいは望ましい教育を想定しうるのかなど、「そもそも」のところで立ち止まらずに研究成果をあげることができたのは、本論文が民族誌的手法を用いたことのよるものと思われる。第二の成果はこの点にかかわっている。批判的民族誌は、近代西洋の異文化理解に対する近代西洋自身の内省から始まった。その目指すところは、大きく2点あった。ひとつは、遠い外部世界を客観的に記述する行為として民族誌を捉えるのではなく、自他の境界領域上で生起し研究者自身をも巻き込む実践行為として位置づけ直すことである。もうひとつは、これまでの民族誌が他者を語るという形式をとりつつ近代西洋の権威や権力を追認する自己表白になっていた点を自覚することである。著者は、これらふたつを十分に理解し、自己を巻き込む現場として中学校夜間学級における日本語教育の実践を捉え、そこでの実践における自己の権力テクノロジーを内省しようとした。その意味で、批判的民族誌の目指すところをよく把握していると評価する。
 教育研究という点では、教師と研究者による実践と実践の批評という構図への批判意識にもとづくアプローチがとられ、本論文は教育学研究批判という点で意味を有している。かつ、対象設定として、夜間中学校という場での実践を素材にした点も、既存の近代公教育での実践を相対化するための地点として重要であると評価できよう。そもそも先行の研究のなかで夜間中学校を対象とした本格的な研究がないなかでのアプローチであることにも意義がある。以上が、本論文の第三の成果である。
 教師と生徒との関係が多重の非対称性を帯びる異文化間教育の場面において、一見生徒を思いやる教師の働きかけが実は権力テクノロジーの機能を弱めるものではなく、学習者の学びを支援するどころか阻害することすらあることが解明された。異文化間教育あるいは多文化教育の研究がカリキュラム開発や教授法研究に偏るなかで、教師―学習者間の関係を根本的に問うことによって引き出された個性的な多様な学びの場の可能性の提示と、その可能性を実現する権力テクノロジーの縮小要因の析出は、当該分野の研究の発展に貢献する成果である。これが、本論文の第四の学問的貢献である。
 しかし、問題がないわけではない。夜間中学校の歴史研究にとって貴重な一次資料を発掘したところは高く評価できるが、その資料を活かしきったとはいいがたい。夜間中学校の歴史叙述が論文の主な課題ではなかったとはいえ、その歴史をもう少し丁寧に記述してもよかったのではないかと惜しまれる。
 教師と学習者との関係性を、民族誌的方法を用いて記述し、異文化間教育の孕む論点をおさえることに成功しているが、教師が自覚すべきは権力性だけではないと思われる。たとえば、自己の文化的背景が教育実践に影響を及ぼす可能性もある。教育する側とされる側との関係の中に滑り込むレイシャルな関係の考察も必要である。こうした点への自覚が十分には書き込まれていない。
 第4章の末尾において神谷氏が結論として示す、自己の権力テクノロジーの内省についての記述は説得力があるが、これについての他の教師との話し合いや具体的な改善策を志向する姿勢が見られない。それでは、貴重な個人的な体験にとどまってしまい、あるいは一人ひとりの教師に単独での奮闘を強いる事にもなりかねない。常勤教師としての経験も積み、教育実践の場を熟知している著者であるので、もう一歩大胆に改善策まで提示してほしかった。
 こうした問題点は著者も自覚するところであり、本論文の学問的成果を減ずるものではない。それどころか、上記の問題点の指摘は、確固とした研究基盤の創造的な構築に成功した、経験ゆたかな著者への期待の現われである。
 以上のように審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく寄与するものと認め、神谷純子氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2004年7月14日

2004年6月18日、学位請求論文提出者神谷純子氏についての最終試験を行った。本試験において、審査委員が提出論文『義務教育機関における異文化間言語教育の実践研究』について、逐一疑問点について説明を求めたのに対し、神谷氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査委員一同は神谷純子氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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