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博士論文審査要旨

論文題目:牧畜民サンブル社会における学校教育と「サンブルの教育」間の葛藤を越える模索
著者:藤田 明香 (FUJITA, Asuka)
論文審査委員:関 啓子、児玉谷史朗、矢澤修次郎、宮地尚子

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1.本論文の構成
ケニア社会に学校教育が普及するにしたがい、牧畜民(サンブル)は次世代の育成を巡る葛藤を抱え込むことになった。サンブル社会に独自の子育てと教育に揺らぎが生じたのである。サンブル社会において学校教育と「サンブルの教育」との間にどのような衝突が生じているのか、なぜ生じたのか、サンブル自身その衝突をどのように乗り越えようとしているのか。こうした問いを立て、著者はケニアのサンブル社会を調査した。先行研究の丹念な渉猟と批判的な検討、地道で丁寧なフィールド・ワーク、教育史の検討などによって、学校教育と「サンブルの教育」との間の軋みが多角的に考察され、サンブルの葛藤の多様性が浮き彫りにされた。本論文はサンブル社会に生きる人々の日常生活を丹念に描き、制度的な学校教育と地域に独特の人間育成の仕組みとの衝突を克服する具体的な取り組みを掘り起こすことに成功した力作である。

序章  論文の課題と研究の方法
 第1節 論文の課題設定と目的・意義
 第2節 先行研究の課題と当研究の独自性
 第3節 研究方法
 第4節 各章の概要
第1章 ケニアという国家の中でのサンブル社会と教育を巡る葛藤
 第1節 アフリカの国家と民族、国家と社会 
 第2節 サンブル社会のケニアの中での政治・経済・文化的位置
 第3節 国家の教育政策とサンブル側の反応
第2章 サンブル社会の中での「サンブルの教育」が持つ意味と教育を巡る葛藤
 第1節 子どもの社会化過程
 第2節 サンブルの自然環境、社会構造、経済構造、意味体系
 第3節 サンブル社会の自然、経済、社会、文化が規定する社会化の過程
 第4節 社会化過程における個人の自律とその葛藤
第3章 サンブルの学校教育導入過程とサンブル側の反応
 第1節 植民地政府による学校教育の導入
 第2節 植民地期のサンブル側の反応
 第3節 サンブルでの独立後政府の学校教育普及政策とサンブルの反応
第4章 葛藤するサンブル社会と歩み寄りへの模索
 第1節 個人の中での葛藤
 第2節 サンブル社会内での世帯間関係
 第3節 大人の葛藤とグループ内での多様性
 第4節 子どもの学校での勉強の重要性とサンブルとしてのアイデンティティー
 第5節 国家との関係性の中でのサンブルのアイデンティティー
第5章 学校教育と「サンブルの教育」間の葛藤を越える試み
 第1節 労働形態の変化
 第2節 チェクティ(羊飼い)プログラム~ノンフォーマル教育の試み~
 第3節 ナイトゥブルプログラム~保育の場への「伝統的な」子育ての導入と栄養・医療面のケアの充実~
終章  結論

2.本論文の概要
 「序章 論文の課題と研究の方法」では、問題関心が述べられ、研究課題が設定される。教育研究者や政府行政官によって、牧畜民の文化的・伝統的価値観が学校教育の普及を妨げていると指摘され、学校教育への牧畜民の無関心が批判されているのに対して、著者は先行研究を整理したうえで次のように根本的な問いを立てた。サンブルは学校に本当に無関心なのか、なぜ自身の文化を大切にするのか。その上で著者は先行研究が学校教育研究に大きく傾斜しているのに対して、教育を学校教育に限定せず、子どもの生き方を方向付ける場の総合として捉えるという枠組みを提示する。加えて、史資料、統計資料、調査方法が提示される。
「第1章 ケニアという国家の中でのサンブル社会と教育を巡る葛藤」は、サンブル社会がケニア国家のなかでどのように位置づいているのかを明らかにし、それが学校教育によるサンブルの教育の方向づけにいかなる影響を与えているのかを究明しようとしたものである。ケニアでは、複数の民族を国境内に含む植民地国家を継承して独立後の国家建設が志向され、植民地文化、西欧文化を基盤にして農耕民、都市民のエリートを中心に主流文化が形成された、とする。サンブル社会はケニアの中で、政治面では国家レベルの行政に組み込まれながらも、部分的な自律性を保ってきた。経済的には国家の開発政策から十分な恩恵を受けず、サンブル側も国民経済、市場経済への参加よりも自給部門の強化を中心に置いてきた。文化面ではサンブルは独自の伝統文化を維持する社会と見られ、ケニアの伝統文化の代表として尊重されると同時に「遅れた文化、伝統」に固執しているとして蔑視、批判の対象ともなってきた。このように政治、経済、文化いずれの面でもサンブル社会は国家から一定の距離を保ち、独自性を維持してきた。独立後の政府は国民統合の一環として学校教育を通じて主流文化の普及に努めたため、学校教育はサンブルの生活上の必要に必ずしも合致しておらず、サンブルの文化も否定的に扱われた。同時に学校教育は経済面で貧困脱却の可能性を与えるものとして次第に受け入れられるようにもなってきたので、子どもや親は学校教育への対応において葛藤を抱くに至ったという。
 「第2章 サンブル社会の中での『サンブルの教育』が持つ意味と教育を巡る葛藤」では、サンブル社会とサンブルの個々人との関係性に注目する。サンブルの社会・自然環境、社会構造、経済構造がどのように子どもたちを取り囲み、どのような意味体系が作り出され、子ども・少年少女はどのように方向づけられるかが考察される。年齢段階システム、親族関係、婚姻関係などを通してコミュニティの結束が高められ、厳しい自然環境のなかでの生活を支え、近隣遊牧民族の侵攻を防ぐ人々の協力関係が作られていることが明らかにされる。子どもたちの社会化の過程では、こうした生活環境全般が伝達され、実践的な訓練やさまざまな儀式によって、コミュニティの結束が強められる。
ところが、学校教育が普及し始めると、学校によって育まれ広められる知のありよう、自然観、裕福観、結婚観、子どもと大人との関係、男女関係、子ども期の認識などは、従来の社会化における認識と異なるために、性別や世代間によるグループごとの葛藤が生じてくる。学校教育が普及すると、牧畜にかかわる知識や技術が習得しにくくなり、学校に行かないと無知な人として括られ、時には両親さえも見下されるようになった。長老への若い就学者のまなざしも敬意から侮蔑を含むものに変化し始める。年齢にもとづく役割や性別をもとに作られるグルーグ間にさまざまな葛藤が孕まれ、グループ内にも価値観などの差異が生まれ、サンブルの子どもたちは自身の意味空間をどのように構築するか、模索せざるをえなくなった。この過程を著者は多様な事例と繊細な観察で丹念に記述している。
本章では、さまざまな統計データが使われるだけでなく、一般的な生涯設計の図や手作りの学校配置図さらには移動地図などの作成といった工夫がこらされ、子どもの育ちの環境と成長過程にかかわる複雑な人間関係がわかりやすく説明されている。
「第3章 サンブルの学校教育導入過程とサンブルの反応」では、サンブルでの学校教育史が植民地期から現在まで検討される。植民地期、植民地政府や教会は、高地ケニアに比べ、非生産的な低地ケニアに位置するサンブルでの学校教育の普及には積極的ではなかった。サンブルは家畜を多く所有し、牧畜に代替する生計手段を探す必要がなかったし、教育内容も牧畜民に学習の必要を強く感じさせるものではなかった。独立後も、政府の中等・高等教育重視政策、ハランベーの推奨は、植民地期の地域間格差を拡大させ、無償初等教育や寮制度の導入、牧畜民の進学に際しての優遇措置といった政策も牧畜民には利益をもたらされなかったことが詳細に示される。
続いて、それでも学校教育が浸透していく過程が考察される。サンブルではカソリック教会と地域住民の努力で学校数や就学者数が増加したのだが、その背後にはエリート層の間で学校教育への注目度が上がったことや、多くのサンブルが教育を経済的成功と結びつけて捉えるようになったこと、人口増加や旱魃の影響で牧畜による生計維持が困難になったことなどがあることが、手際よく分析されている。
「第4章 葛藤するサンブル社会と歩み寄りへの模索」では、先行研究を越える試みが目立つ。これまでの研究は、学校教育支持グループと「サンブルの教育」支持グループとの差異を強調し、未就学の少年少女の自立性を重視しなかった。丹念な調査と注意深い考察によって著者は、サンブルの両親、親戚、長老、未就学の青年・少年少女が学校教育に全面的に反対しているわけではなく、学校教育の一面を評価しつつも、労働力確保、生存、将来生活と学校とのバランスを熟考せざるをえないこと、そのうえ、学校はあるべきであるという判断のもと、子どもに将来の生活のあり方を一任するという親の姿勢を引き出している。
加えて、サンブルが「サンブルの文化を大切にする」理由を分析し、サンブルであることが「帰属のアイデンティティ」としても「達成のアイデンティティ」としても重要であることを論述している。
「第5章 学校教育と『サンブルの教育』間の葛藤を越える試み」では、学校教育と「サンブルの教育」間の葛藤を越える三つの試みが示される。一つは、先行研究の提起したことを精査し実証したもので、残り二つは葛藤の克服という関心にもとづき著者が掘り起こした教育実践である。一つは、子どもを学校に行かせるために親が行う労働力の調達である。学童と牧童のローテーション、親族等から子どもを借りること、集落内の共同運営、世代間就学格差の利用、年齢ごとの労働分担の変化という6つの方法が析出され、これらの方法がさまざま組み合わされ取り入れられることが示されている。続いて、ノンフォーマル教育の試みであるチェクティ(羊飼い)プログラムが精査の上紹介される。放牧や家庭の仕事で学校に行けない少年少女・青年層のために、午後あるいは夕方開かれる教育プログラムである。ここではこのプログラムがどのように作られ、受容され普及したか、子どもたちにとってどのような意味があるのかが解明される。チェクティ・プログラムは、西欧的な学校教育を受けつつ、自分の文化・生活スタイルを確保し、二つが協調する道が模索された結果、提案されたものである。英語、スワヒリ語、計算などが中心だが、農業や宗教が教えられることもある。サンブルの牧畜を基盤とした生活スタイルを否定せず、牧童に学びの場を保障する試みであると、著者は述べている。牧童は、放牧への参加によって牧畜運営の技術・知識を獲得しつつ、このプログラムでスワヒリ語や計算の知識も学習できるので、牧畜運営に幅を持たせることが可能になる、とされる。また、普段のままの格好で、気軽に、都合の良い時間に学べることなど、学習形態と内容の多様性、柔軟性、弾力性が魅力であり、プログラム参加者の便宜を考慮して放牧ローテーションが変わるなどの、社会側の対応が引き出されるほどであると指摘されている。
今ひとつの実践は、ナイトゥブルプログラムである。NGOによって始められた0歳児から3歳児までの保育プログラムである。地域のおばあさんが先生で、子どもたちはサンブルの物語や詩を聞き、遊び、昼寝をし、昼食をとる。子どもたちは日常生活とは変わらない雰囲気のなかで、サンブルの文化や生活上の価値を学び、栄養への配慮や医療のケアを受けて、くつろいですごす。著者は、子どもがそのまま受容される空間としての重要性を指摘する。
その上で著者は、後者の二つの実践が学校教育の就学率をあげる手段として、あるいは学校教育への順応を促す手段として行政側や教師たちから評価されており、制度的な学校教育と「サンブルの教育」との協調を作りだす試みが両者の葛藤の強化になりかねない危険性も指摘している。
終章では、各章の成果がまとめられ、葛藤の要因と乗り越えへの模索が論述されている。最後に、今後の課題が指摘されている。

3.本論文の成果と問題点
 本論文の成果の第一は、次世代の形成をめぐるサンブルの態度と意思を解明したことである。従来、サンブル社会は伝統文化に固執する故に、学校教育に対して無関心、抵抗的なのだと見られてきたが、それは国家エリートを中心とする主流文化の側からの評価であり、国家とサンブル社会の関係及び、サンブル社会のマイノリティ性を理解することによってこのようなサンブルの態度が初めて理解できるということを明らかにした。サンブルの無関心は、学校教育の内容や形態がサンブルの生活の必要やサンブルが置かれた経済的地位に適合的でなく、サンブルの文化が否定的に扱われた故に生じた、合理的な反応であることが示され、植民地政府もサンブルでの学校教育に熱心ではなかったという指摘とあわせて通説の一面性を見事に暴いている。学校教育の有用性や学校教育に対する住民の態度は、具体的な政治的、社会的、経済的文脈の中で評価されなければならないことを、サンブルの社会と教育の歴史と現状を詳細に検討することを通じて説得的に示すことに成功した。これは大きな成果である。
 第二に、著者は、このようにサンブルにおける学校教育の権力性、限界とそれ故にサンブルの側での「無関心」を明らかにしているが、決して学校教育の性格とサンブルの反応を一面的、固定的に理解するのではなく、同時に学校教育が貧困からの脱却の可能性を与えるものとしてサンブルがしだいに評価するようになっていること、サンブルの側も伝統の読替や分業の変更、選択的な就学によって柔軟な対応をしていることを明らかにしている。特に学校教育に伴う葛藤を克服する試みを掘り起こし紹介している点は、開発教育を巡る実証的な研究の発展への多大な貢献であり、本論文の白眉である。
 第三に、綿密な調査と各種データの的確で多層的な組み合わせが、論文の展開に臨場感と豊かな説得力を与えている点も高く評価することができる。アンケート調査やインタビュー調査によるデータ、フィールド・ノーツなどの活用が巧みなばかりではない。著者は遊びや年配者の伝える物語、子守唄といった日常生活場面の歌謡、諺などにも言及する。こうして、子どもの育ちの日常が自然に、時には映像を見るように記述される。著者は、子どもが育ち、方向付けられる過程をさまざまな資料を用いて多面的に描き、その過程に孕まれる問題を分析することに成功している。詳細で丁寧な記述は説得力があり、読み手は多様な問題を引き取ることができる。
 第四に、近代的な学校教育と伝統的な文化や集団という図式で理解されがちだが、著者は性別や年齢による集団で単純に対応が分かれないことを明らかにするなど、これまでの開発教育研究の問題点を指摘し、子どもの育ちをめぐる立体的な解明によって、自ら既存の問題点の乗り越えを実際的に提示した。開発教育研究をめぐる理論的示唆も少なくない。
 本論文の成果は小さくないが、問題点がないわけではない。現地調査と史料の検討により、多くの興味深い事実が明らかにされ、それらが一定の整理と分析を加えられ提示されているが、もっと踏み込んでほしかったところもある。一つは、比較研究の導入である。いきなりアフリカ以外の地域との比較は無理としても、たとえば著者自身がすでに調査した経験のある農耕民との比較など、ケニアのなかでの比較の視点があってもよかったのではないか。もう一つは、教育と開発を捉える研究枠組みの確立である。本論文では教育の学校化と教育のトポス化の共存という課題が示唆され、著者はその課題に日常生活の記述と教育実践の発掘で応えている。論文としては課題に対して応えているので十分なのだが、開発教育研究にとって論争的な部分でもあり、今一歩研究枠組みの確立に踏み込んでほしかった。しかし、これらの問題点は、まさしく著者による研究のいっそうの発展への期待にほかならない。
 ついで、実際の分析や記述においては慎重で多様性を考慮して書かれているにもかかわらず、視角の提示などにおいて、植民地文化を基盤とする主流文化とマイノリティとしてのサンブル社会のように、やや単純化された一面的な規定がわずかながら見られた。
 こうした問題点は、もとより著者も自覚するところであり、また、その克服の手がかりがいくつか論文内にすでに示されている。今後の研究の進展が待たれる。
 以上のように審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく寄与するものと認め、藤田明香氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2004年7月14日

2004年5月26日、学位請求論文提出者藤田明香氏についての最終試験を行った。本試験において、審査委員が提出論文『牧畜民サンブル社会における学校教育と「サンブルの教育」間の葛藤を越える模索』について、逐一疑問点について説明を求めたのに対し、藤田氏はいずれも十分な説明を与えた。

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