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博士論文審査要旨

論文題目:日本版401(k)プランの成立:「アメリカ型」から「日本型」へ
著者:姜 英淑 (KAN, Young Sook)
論文審査委員:藤田伍一、高田一夫、林大樹、中野聡

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〔本論文の構成〕
 本論文の構成は以下の通りである。

  序論
  I.公的年金制度
   1.日本の公的年金制度
   2.アメリカの公的年金制度
   3.小括 
  II.私的年金としての企業年金
   1.日本の企業年金
   2.アメリカの企業年金制度
   3.小括
  III.アメリカの401(k)プランから「日本型」へ
   1.401(k)プランとは
   2.日本における確定拠出年金
   3.小括 
  IV.日本版401(k) プランの成立
   1.日本版401(k) プランの導入をめぐる議論
   2.日本版401(k) プラン
   3.小括
  V.結論
  VI.付録
   1.確定拠出年金制度の導入企業
   2.現状と実態

   ・ 参考文献
   ・ 参考資料

  〔本論文の内容要旨〕
 アメリカで開発された「401(k)プラン」と呼ばれる確定拠出型年金は、2001年にわが国の「確定拠出年金」のモデルになったといわれ、この点で「日本型401(k)プラン」と呼ばれることも少なくない。本論文はこの「日本型401(k)プラン」の性格規定を目的として考察を加えている。以下、各章の要旨について見ていく。 序論では、「日本型401(k)プラン」の性格について、先行研究では十分な分析がなされてこなかったこと、また日米の制度的相違点について必ずしも十分に認識されていないことを指摘する。そこから、「401(k)プラン」が成立した制度基盤について検討を始め、導入論議の背景について考察している。とくに、重要な役割を果たした「勤労者財産形成審議会」の案づくりの過程を見ることで「日本型401(k)プラン」の立体的な位置づけが図れると見ているようである。
 第I章では、公的年金の沿革と役割、そしてその仕組みが説明されている。著者によれば、公的年金の基本的な役割は生涯にわたって実質価値で老後の生活を安定化させ、保障することであるという。だが、基礎的な部分は公的年金で準備するとしても、上積み部分は各個人あるいは企業において準備されることになる。
 だが、近年、年金制度をめぐる社会的、経済的状況は一段と悪化してきている。出生率の低下と寿命の伸びに支えられて人口の高齢化が急速に進行しているため、世代間扶養という賦課方式を採用している公的年金は、最も高齢化の影響をうけやすい体質となっているという。
 さらに、80年代のバブル経済が崩壊して以来、経済が停滞し、「失われた10年」といわれるような大型不況が続いている。企業収益率は低下し、企業倒産が戦後最大規模となっている。公共部門でも税収が落ち込み、財政赤字が続くことになった。人口高齢化と経済停滞によって公的年金の財政収支は一段と悪化してきていることが説得的に語られている。 
 第II章では、企業年金の制度基盤について考察されている。先ず、わが国の企業年金が退職一時金から派生したことが説明される。退職金は長期雇用者に対する報奨的な意味合いで設けられたものと言われ、鐘紡や三井商店などの事例が引かれている。
 企業が年金制度を持つのは、従業員の退職後の所得を保障するためであるが、それを目的とすることで、2重の機能が果たせることになる。1つは、長期に労働力を「定着」させる機能である。長期勤続に対する報奨は優秀な労働力を定着させることを狙いとしている。もう1つは、古くなった労働力を円滑に企業外に排出する「退職」機能である。すなわち、退職金や年金制度には雇用管理的側面が色濃く強く反映していることが語られている。長期勤続を柱とする雇用管理機能は高度成長期までは十分に働いていたのであるが、オイル・ショック後の低成長期に入ると、減量経営を旗印に退職金や年金制度にも見直しが入ることとなった。著者は退職一時金の計算式で成果主義的なポイント制の導入が相次いだことを指摘している。
 これまで、わが国の企業年金の大部分は「確定給付型年金」であった。厚生年金基金(=調整年金)や税制適格年金は給付を先行的に決定し、そのあとで拠出を決める確定給付方式を採用しているが、ここ10年の不況で積立不足が顕在化して、企業財務を強く圧迫していた。しかも2000年から導入されることになった国際会計基準では、年金債務を時価で評価して計上することが義務づけられた。これが益々企業経営を圧迫することになったのである。
 アメリカの場合は少し事情が異なっていた。アメリカでは今でも大企業レベルで、「確定給付型」の企業年金が主流である。ホワイトカラーや熟練技術者に対しては、確定給付型年金で定着を図っているのである。それに対してブルーカラーなどは、労働移動が盛んなこともあって、「確定拠出型年金」でカバーすることが多いのである。また労働組合も労働運動の成果を示せるとして確定拠出型年金を好んでいると見られる。
 1974年のエリサ法(被用者退職所得保障法)はアメリカの企業年金の地図を新しく塗り替えることになった。エリサ法は「確定給付型年金」を対象として規制を加え、受給者を保護する趣旨で作られている。エリサ法制定後、コスト増となる「確定給付型年金」は急速に後退し、替わってエリサ法の適用を受けない「確定拠出型年金」が広範に普及することになったのである。
 第III章では、確定拠出型年金である「401(k)プラン」の仕組み等が説明されている。1978年「内国歳入法(Internal Revenue Code)」に401 条の(k) 項が追加された。401(k)プランとはこの(k) 項を法的根拠とする企業年金制度のことである。401 条は、適格年金制度、利益分配制度、ストックボーナス制度に対する税制規定を盛り込んでいるが、その(k) 項は「Cash or Deferred Arrangements(現金または繰延べ措置) 」に関する規定であって、一定の条件下で「繰延べ」を選択すると、優遇税制の適用が受けられるというものである。一般には略して「CODA」と呼ばれている。必要な条件とは、一部の管理職に対してではなく従業員全体に適用されること、ただし「勤続期間が半年以上で、年齢が20歳以上」であることが条件となっている。その後、従業員については、給与からの「天引き」の形態をとることが条件として追加された。
 従業員拠出には課税前に拠出する場合と課税後に拠出する場合がある。課税前拠出は給与や賞与から一定比率を拠出するもので、この分は所得課税の対象から控除される。また課税後拠出の場合は、運用収益に対して非課税となる特典が与えられる。
 他方、事業主の拠出には一般に「マッチング拠出」と呼ばれる通常の形態と「利益分配型拠出」があるという。マッチング拠出は従業員の拠出に対して一定比率で対応して拠出するもので、マッチング・レートは通常50~100 %である。なお事業主拠出は損金扱いとなる。
これに対して「利益分配型拠出」というのは、企業収益の一部を「401(k)プラン」加入資格者全員に与えるための事業主拠出のことである。形の上では事業主から一旦従業員に渡した後、従業員が拠出することになる。
給付関係についていえば、受給権は一定期間繰延べられた後で付与されるが、繰延べ方式には複数あって、段階型と一括型に分かれる。段階型は勤続3年経過した時点で20%、あと毎年20%づつを付与して行き7年後に100 %付与することになる。一括型は勤続5年後に一括して100 %の受給権を付与するのである。したがって最低の繰延べ期間は5年間ということになろう。
 401(k)プランが脚光を浴びるようになったのは、1974年のエリサ法が「確定給付型年金」に規制を加え、「確定拠出型年金」への流れを作りだして以降である。
 80年代に入ってアメリカ経済が低迷してくると、年金債務の発生を嫌って、あるいは年金管理コストの節減動機から、弾力的に運用できる401(k)プランに人気が集まってきた。この点は著者が資料を駆使して克明に描きだしている点である。かくて確定給付型年金からの「乗換え」も多くなって、件数では企業年金タイプの主流を形成することになった。
 第IV章では日本版401(k)プランの導入論議と成立過程が論じられている。わが国で最初に401(k)プランのメリットに着目して議論を開始した政策当局は当時の労働省であった。労働省は確定拠出型年金でわが国で唯一ともいえる「財形貯蓄年金」を所管していたことから強い関心を寄せたのである。ここから財形貯蓄年金を日本版401(k)プランに衣替えする作業が始まった。著者は公開された勤労者財産形成審議会の議事録と資料をもとにその作業の推移を追跡している。
 改革案をまとめた労働省は、与党や他省庁との折衝を開始するが、関係省庁とは思惑の違いがあり、また税制上の扱いについて検討を加える必要もあって、四省(労働省、厚生省、通産省、大蔵省、いずれも当時)の合議が1999年1月から始まった。そして7月まで作業がおこなわれて四省案がまとめられた。これをベースに法案化され、2000年に「確定拠出年金法」が成立し、翌年10月から施行された。
 著者は確定拠出年金制度とアメリカの401(k)プランを比較しているが、日本版401(k)プランの大きな特色は「企業型」と「個人型」の2種類の制度を設けた点にあるという。
 「企業型」は労使合意を基に、その企業の従業員を加入者として企業が掛金を負担する制度である。企業拠出分は税法上損金扱いとなる。
 他方、「個人型」は企業年金のない企業の従業員、および自営業者などが加入する制度である。個人拠出には所得控除が適用されている。
 給付に関しては、企業型も個人型も共に60歳以降に一時金か年金で受け取れることになっている。
 確定拠出年金では運用商品の選択やそれに伴う運用損益については自己責任となっているが、企業型では企業に運用上の教育やリスク情報を与える義務が課されている。
 著者はアメリカの401(k)プランとの大きな違いは事業主によるマッチング拠出がないことであると見ている。企業型には従業員が拠出できず、個人型には事業主がマッチング拠出ができない。確かに、この点はひとつの問題点として提起されると思われる。
 第V章では、これまでの各章の要約をおこなうと共にアメリカでの新たな401(k)プランの動向に触れている。とくに確定給付プランと確定拠出プランの「ハイブリッド型」が出現している点を指摘し、わが国でも長期雇用慣行が残っていることから研究の余地があることを示唆している。

  〔本論文の評価と課題〕
 本論文は2001年に制度化した「確定拠出年金」、すなわち「日本版401(k)プラン」の特徴と機能、その成立経緯について多面的に分析したものである。評価される点は次の3点である。
 先ず、モデルとされたアメリカの401(k)プランの性格を詳細に分析して、その特質を十分に把握している点である。アメリカの企業年金は根拠法に基づいて自由に設計されているため、なかなか外部からは理解しにくいところがあるが、著者は精力的に関係資料を開拓して収集し、その壁を打ち破っている。401(k)プランの特徴をうまく描き出していて、高く評価できよう。
 また、日米比較を視点にして、わが国でもそうした401(k)プランが必要であることを導き出そうとしている。論点整理も説得的であり、その試みは大方成功しているように思われる。
 さらに、著者はわが国の401(k)プランが当時の労働省のイニシアティブで開発が進められた点に着目して「勤労者財産形成審議会」の議事録や配付資料を検証しようと努めている。審議会の改革案では財形年金を衣替えして、企業型と個人型の2類型を打ち出しているが、これは成立した確定拠出年金の根幹部分となっており、財形年金に着目した点は本論文のオリジナリティとして高く評価されよう。
 だが、同時にいくつかの課題が残されているのも事実である。第1に、本論文が401(k)プラン導入の要因としてコスト的な財政視点を重視しているが、併せて労働市場の変化も要因として挙げられるはずである。長期雇用の崩れが確定給付年金を後退させる要因の1つと見られるからである。今後は労働市場的要因の分析も課題となるであろう。 
 第2に、日本版401(k)プランは「企業型」と「個人型」の2タイプに分けられたが、その政策的意味についてさらに検討を加える必要があろう。とくにわが国の営業形態では、自営業が大きな比重を占めている点に留意しなければならない。「個人型」はこの自営業者を対象にタイプ化したと見られるからである。
 第3に、日本版401(k)プランを実際に導入している企業の実態について若干の聞き取り調査をおこない、部分的に制度の実態を開示しているが、今後は調査を追加・拡充して日本版401(k)プランの制度上のメリットや問題点を実態面から把握し直す必要があろう。
 しかしながら、以上の課題は著者自身も十分に自覚しているところであり、本論文の価値を損なうものではない。
 審査員一同は本論文が当該分野の研究に大きく貢献したことを認め、姜英淑氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断する。

最終試験の結果の要旨

2004年3月10日

 平成16年2月12日、学位論文提出者姜英淑氏の論文について最終試験をおこなった。試験においては、提出論文「日本版401(k)プランの成立――「アメリカ型」から「日本型」へ――」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、姜英淑氏はいずれも充分な説明を与えた。以上により、審査委員一同は姜英淑氏が学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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