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博士論文審査要旨

論文題目:自立論・模索するアイデンティティ:成熟世代の異文化体験による変革的主体形成
著者:佐藤 昭治 (SATO, Shoji)
論文審査委員:倉田良樹、矢澤修次郎、足羽與志子、関 啓子

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一、本論文の構成
 本論文は、高齢化社会において成熟世代が「老い」という作られた負のイメージから自由になるためにどのように模索しているかを解明したものである。生き直しの契機を異文化体験にもとめた成熟世代の自己生成の過程が描き出され、「老い」のアイデンティティを克服する可能性と困難が解明される。現代的な課題に真正面から取り組んだ意欲的で挑戦的な論文である。
 

 はじめに
第一節  研究動機及びその対象
第二節  研究方法
第三節  論文の展開と要旨
第四節  目的
第一章 先行研究~批判的検討及び継承~
第一節  従来の「自立観」概観
第二節  自立における「異文化体験」の占める位置
第三節  自立における「老い」
むすび
第二章 インタビュー分析   
はじめに
第一節  対象
第二節  方法
第三節  目的
第四節  内容(一):概要
第五節  内容(二):前提
第六節  内容(三):個別分析
第七節  内容(四):総合分析
むすび
第三章 「老い」の過去と現在
はじめに
第一節 エイジングとエイジズム
第二節  近代化と加齢
第三節  現代国家の政治課題としての高齢化対策
第四節  団塊世代の自立:危機か転機か
むすび
終章 「シニアの自立」とは何か 
第一節 閉塞と孤老
第二節 跳躍と内破
第三節 自由と自己生成
第四節 蒔かれた種:反転する<老い> 
むすび:越境しつづけるアイデンティティ
引用及び参考文献

二、本論文の概要
 序では、課題の設定と研究方法の選択について述べられる。この論文で扱う成熟世代とは、一般的に高齢者と想定される年齢層の次に控える世代、「50歳~60歳代」を意味している。副題にある「変革的主体」とは、それまでの自らの生き方を見直し、学びを通して、生き方に創意工夫を凝らし、「生き直し」を試みる存在をさしている。生き方のさまざまな選択肢を学びや挑戦的な活動によって作り出し、自己の選択によって、自分らしさをつくり、確認し、さらなる一歩を準備する過程が、自立として描かれる。成熟世代の自立には、特別の意味が加わるとされる。なぜなら、成熟世代の自立は、ステレオタイプとしての「老い」のアイデンティティを押しのけ、作られた老いの閉塞状況から脱却するという自己生成の課題に果敢に挑むことになるからである。著者が「変革的主体形成」と表記するのは、この意味を強調したいためである。
主な研究対象になる人々は、海外派遣ボランティアを経験した成熟世代である。佐藤氏がこれらの人々との面談から、「老い」のアイデンティティの克服を模索する人々の登場を感じとったことが、この研究の出発点になっている。そこで、日本語教師のアシスタントというボランティア活動に従事し、異文化体験を積んだ10人の男女に、ライフヒストリー法にもとづく聞き取り調査を行い、彼/彼女らの自己理解の展開の生活史を共に編み上げていく、という具体的な課題が設定されることとなった。

 第一章「先行研究」では、先行研究が批判的に検討され、研究課題が確認される。従来の自立論が幅広く検討され、自立が生涯を通した課題として設定され、生き直す再起の契機として異文化体験が捉えられる。「老人」をめぐるこれまでの研究には客体として高齢者を扱うものが圧倒的に多かったが、佐藤氏は老いをいかに受容するかではなく、自分の可能性をどこまで推し進められるかに注目すると、視点の転換を提起する。
 第二章「インタビュー分析」は、インタビューの記録と分析である。まず、海外ボランティア経験者に質問紙によるアンケート調査を行った。次に、異文化体験を決意し、経験したこれらの人々にインタビューを試み、彼/彼女らの自立への模索を描きだす。佐藤氏は、従順に生きてきた成熟世代にとって、やりのこした何かを実現する生き直しへの挑戦の契機の一つが異文化体験であるとする。
 現在の老いの閉塞状況は社会的な個人圧殺装置と自己責任による選択とによって作られているから、生き方のたて直しを始めるためには、ひとまずそれらから自由になることが必要である。そこで、生き直しには跳躍が課題とされる。しかし、異文化体験を生き直しの契機とするためには、異文化体験が不安よりも自己生成に役立ちそうだという見通しがもてなくてはならない。先行の類似体験が重要であるという条件がインタビューから析出される。
 異文化体験がはらむ「憧憬」と「緊張」が自己生成過程に弾みをもたらし、異文化体験をめぐる決意と実行が、これまでの自己のあり方を中断し、打ち破る跳躍を可能にする。また、異文化体験はもう一つのものの見方を体験者に獲得させ、社会事象や人間関係についての新しい解釈をもたらしうることも示されている。
 著者は異文化体験者のライフヒストリーを聞き取り、解釈し、生き直しに向かう過程における学びの意味、進路の選択肢の担保の仕方などを浮上させ、セカンド・チャンスを手繰り寄せる成熟世代の、一様ではない格闘模様を巧みに描きだす。自立を困難にする諸要素が析出され、成熟世代のあらたな課題としての生き直しにも、近代社会において人間形成上の差異をつくりだしてきたジェンダーや階層が深い影響を及ぼしていることが解明される。
 第三章「老いの過去と現在」では、西欧と日本において、近代の成立とともに「老い=aging」が負の烙印をおびた通念として社会的に生成、固定化されてきた過程が考察されるとともに(=「老いの過去」)、近代社会の諸制度が閉塞状況に陥っている今日において、加齢についての固定観念を打破して、アクティブ・エイジング(能動的な加齢)を実現させるためのパラダイム転換が社会の各層で始まっていることが主張されている(=「老いの現在」)。本章の記述を通じて、「成熟世代の異文化体験による変革的主体形成」という本論文の主題が、後期近代社会における加齢に関するパラダイム転換の可能性を個人レベルで検証するために設定されたものであることが明らかにされている。
 本章で佐藤氏は鷲田清一氏の「老いに関する4つの位相」から着想を得て、現代において社会と個人が直面せざるをえない、老いることをめぐる課題を、以下の4点に整理して考察を展開している。
 第1の課題は、老いをめぐる存在論的な位相から生まれる課題である。身体の長寿化は、生の個別性、多様性、不確実性を増大させている。生の個別性、多様性、不確実性の増大は、高齢期における個人が、的確な自己選択によってライフチャンスを維持、拡大させる可能性をもたらすと同時に、選択に伴うリスクも引き受けなければならない、という帰結をもたらしている。「自立」、「主体形成」という個人レベルの行為特性に着目して、アクティブ・エイジングの可能性を探る、という本論文のテーマ設定は、この第一の課題を強く意識して生まれたものに他ならない。
 第2の課題は、マクロの人口構成の変化がもたらす社会的な課題である。佐藤氏は、国連の第2回高齢者問題世界会議(2002年)で採択された原則や、日本政府の高齢社会白書(2003年)の内容を吟味し、アクティブ・エイジングという原則が、国際機関、国民国家の取り組むべき政策目標として共通に認識されていることを明らかにしている。アクティブ・エイジング政策に関する考察を通じて、自立という個人レベルの目標設定が、現代の国家や国際機関の政策目標とも整合するものであることが示されている。
 第3の課題は、近代社会がもたらした、加齢に伴う固有の負の烙印をどのように克服していくか、という課題である。佐藤氏は、ハワード・チュダコフ、ジョルジュ・ミノワなどの論述に依拠しながら、年齢についての自己認識はいつの時代でも社会制度により生成、強化される側面はあるものの、近代以前においては、年齢神話により個人の生のあり方が強く拘束されるような事態は存在しなかったことを明らかにする。エイジングがエイジズムとも呼ぶべき負の烙印にむすびついて個人の生をマイナス方向に強く拘束するような事態に関しては、近代社会の成り立ちとの関係で解明していかなければならない。エイジズムとは、老人を産業主義にとって無用の存在として排除しようとする差別的な決めつけである。佐藤氏はエイジズムをセクシズム、レイシズムと同根のヘテロフォビア(異質性への嫌悪)の一形態として、そして伝統的秩序が老人に与えていた地位の剥奪の結果として把握することによって、近代社会が老いに対して与えているスティグマ性を解明しようとしている。
 第4の課題は、個人の生の長寿化とともに、自らいかに老いていくかという自己選択を迫られる「向老期」(おおむね50歳から60歳台半ばまで)を多くの人々が厳しい生活条件のもとで経験することになっていることである。向老期の自己選択をより一層切実なものにする要因として佐藤氏は、多層性、多忙性、という2つの現実的な生活条件を指摘するとともに、今後日本で向老期を経験することになる人々の世代(いわゆる団塊の世代)の特性との関係で、多層性、多忙性という問題を考察している。第二章で取り上げたシニアJTA参加者はいずれも向老期の人々であり、その多くが団塊世代に直近する先行世代に属している。佐藤氏によれば、向老期の個人は、家族、企業、地域社会など多層な生活世界においてそれまで与えられてきた安定した関係性から引き剥がされ、「自分が誰であるかを発見すること」を強く迫られることになる。しかもこの年代に固有の仕事の多忙性は、自己発見の問いに関する心理的な切迫性を増幅することになる。佐藤氏は、こうした多層性、多忙性のもとにおかれた向老期の人々にとって、内省を促す外部契機としての異文化体験プログラムが果たす意義を強調している。
 終章「シニアの自立とは何か」は本論文全体の論旨を整理するとともに、シニアの自立に関するいくつかの結論を述べている。
 まず、近代が創り出した老いとそれを反転させる個人の主体形成という本論文のテーマを、在日韓国・朝鮮人の日本社会でのあり方と対比させつつ再論することによって、シニアの自立という課題が、アイデンティティの模索に関わる課題でもあることを明らかにする。すなわち、近代の国民国家の中で生きる民族的なマイノリティが「外部から押し付けられた他者性」を自己内面化させることに強く抗うことで、主体を形成していくのと同様に、シニアの自立もまた、老いという社会から押し付けられる負の烙印を反転させるためのアイデンティティの模索として捉えることができる。
 次いで、異文化体験を契機とする個人の自立の内実を跳躍と内破というメタファーによって説明している。佐藤氏は、異文化体験によって個人の内面に何が起きるのかを説明するにあたって、経験科学的な言語では説明し尽くすことのできない内実を、跳躍、内破というメタファーを用いて表現することを試みている。
 さらに、跳躍、内破の経験は、その後の時間的経緯の中で埋没することはなく、生きる根拠としての自立への希求を、その後の人生の中で継続させていくことが可能であるということを主張している。自立への希求が継続される状況を佐藤氏は「自家薬籠としての自立」と表現している。その根拠として、経験がもたらす学習効果に関するデューイの学説が言及されている。
 むすびとして、本論文で展開してきたシニアの自立という個人レベルの生き方の変容が、近代社会のあり方を変革していく可能性について言及している。その論旨は入り組んでいるが、結論部分で引用されているのは、「人間の生の尊厳と幸福や自己実現の普遍的権利に対する認識」が近代社会の内部から、近代を批判しつつ生み出されてくる可能性に言及したギデンズの「ユートピア主義的現実主義」である。エイジズムが色濃く残る現代において、シニアの自立を促し続けることは、モダニティの延命や徹底を帰結するものではなく、むしろモダニティを内側から変え、内側から超えていくための契機となるはずだ、というのが佐藤氏の結論であるように思われる。

三、本論文の成果と問題点
 これまで人間形成といえば、発達や成長という言葉と親和性が高いと思われがちな年齢層が主な考察の対象とされ、老いていく過程は考察の圏外に置かれがちであった。ところが、長寿命化、高齢化に伴い、老いをいかに生きるかということが、人間形成の新たな課題として感じられるようになった。本論文は、この課題に取り組んだ意欲作である。
 本論文の成果の第一は、「老い」に付された負のイメージの克服を試みる成熟世代の登場に注目し、ライフヒストリー法を用いて生き直しのプロセスを聞き取り、生き方の選択肢を作り出す過程と生き直しの契機を解明することに成功したことである。著者は、押し付けられるステレオタイプの「老い」の自覚が、反転して仕切り直しのエネルギーを生み出し、次のステップに必要な「跳躍」を内側から準備しうることを実証し、老いをめぐる新しい意味づけを提起した。惨めで厄介な「老い」とは異なる、新たな「老いのかたち」のモデルを提示した点は、現代の切実な課題の解決に向けての学問的な貢献である。
論文は、自分と他者との関係の変容によって、どこまで自己の生活を作り直せるか、学びはこの仕切り直しにおいてどのような役割を果たしうるのかを解明していく。生活史のさまざまな場面での学びの意味づけが引き出されるとともに、高齢化社会における生涯学習の多様なあり方が広い視野で明らかにされている。第二の成果はこの点である。なお、何が彼/彼女らの学びと生き方を拘束してきたかが、インタビューによって浮上するところは、著者の面目躍如といったところであり、老いを規定し続けてきた社会の仕組みの根深さが浮き彫りになり、まことに興味深い。
 第三の成果は、哲学、歴史学、社会学、心理学、教育学など多くの学問分野にまたがって、加齢についての先行研究を吸収しながら、単なる百科全書的な知識の羅列に終わらせることなく、自説を纏め上げることに成功している点である。この点は、学際的な研究のひとつの成果として評価することができる。
成果の第四は、本論文が、老人文化論というような狭い議論に止まることなく、現実の社会政策の対象としての高齢化問題にも言及し、今日の福祉改革の議論に対しても有効な示唆を与えていることである。現実のアクティブ・エイジング政策に対する佐藤氏の評価には、ややアンビバレントな部分を残している。佐藤氏は、アクティブ・エイジング政策を推進することによって、「個人化社会」にふさわしく、高齢者福祉についての政策介入の度合いを引き下げていく必要性を主張すると同時に、アクティブ・エイジング論が「高齢者応分負担論」の口実に悪用されることの危険性についても言及している。だが、アクティブ・エイジング論の評価に関しては、専門家の間でも意見が分かれており、「第3の道」型の福祉改革の理念としての能動的な福祉Positive Welfareの主張およびそれへの批判、という文脈の中で、現在多くの社会政策学者による多面的な論争が展開されている。佐藤氏の考察は、社会政策プロパーの論争とは全く異質なところから出発しながら、同様の論争点にたどり着いている点で多くの示唆を含んでいるといえる。例えば、今日の高齢者福祉政策において重要概念として注目されているADL(Active Daily Living)は高齢期における日常生活での自立を一つの測定指標として重視するものであるが、本論文における佐藤氏の考察はADLを考えるうえで幾多の示唆を与えるものである。
 しかし、問題点がないわけではない。一つは論述のやや独自の手法にかかわっている。入念な資料収集と考察を踏まえて、論文は一気呵成に仕上げられ、迫力のある主張が展開されている反面、自己の見解の叙述が長くなり、かえって論旨の鮮明さが曇らされかねない箇所がみうけられる。キー・ワードの概念規定を、要所に効果的な記述でちりばめていく手法は説得力を増すように見えるが、場合によってはむしろ煩雑な印象をあたえかねない。以上が第一の問題点である。
 問題点の二つ目は、時には自分らしい生き方を阻んだ社会を批判しつつ、自力で軌道修正のチャンスを獲得し、自己実現に励む成熟世代を詳細に描くことに成功しているが、踏み込んでほしい課題も感じられたことである。一つは、異文化に身をおく経験が自立の契機になることが説得力ゆたかに展開されているが、それが自己肯定のための「体験」であったという分析に留まり、異文化「理解」の視点が示されていない点、二つには、群れることから自由になり、自己実現に積極的に歩み出す個人に注目するあまり、そうした人々とは別に、支配的な「老い」のアイデンティティから自由になれない大多数の人々を生み出す社会構造的問題との関係が深く検討されてはいない点である。元気な成熟世代の登場に社会の変革の兆しを見るという鮮明な論述に比して、これらをめぐる記述は貴重な指摘を含むものの、いささか断片的で、不満が残る。
 問題点の三つ目は方法についてである。著者はインタビューの際に語り手の表情の変化も見落とさず、注意深い調査記録を作成しているが、ライフヒストリー法の有効性を十全に引き出しているとはいいがたい箇所もみられた。方法をいっそう磨くことも今後の課題である。しかし、この点は著者も十分に自覚しており、今後の研究の中で克服されていくものと思われる。
 以上のように、不十分な点がないわけではないが、論文の成果が損なわれるほどのものではない。本論文は成熟世代の自立への模索に共感を覚えつつも、彼/彼女らの自己生成の過程を厳しく読み解いた、力のこもった意欲作である。
 以上のように審査委員会は、本論文が当該分野の研究の進展に貢献したことを認め、佐藤昭治氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2004年3月10日

 2004年2月12日、学位論文提出者佐藤昭治氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、審査員が、提出論文「自立論 模索するアイデンティティ~成熟世代の異文化体験による変革的主体形成~」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、佐藤昭治氏はいずれも十分な説明を与えた。
  よって審査委員会は佐藤昭治氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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