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博士論文審査要旨

論文題目:トヨタの労働現場:ダイナミズムとコンテクスト
著者:伊原 亮司 (IHARA, Ryoji)
論文審査委員:渡辺雅男、木本喜美子、林大樹、福田泰雄

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一、本論文の構成
 本論文は、世界的大企業であるトヨタ自動車の労働現場のあり方を労働者の視点から調査・分析するために、著者自ら一期間従業員として同社K工場に赴き、そこでの参与観察の体験を踏まえて書き上げられた実証的で体感的な研究の成果である。本論文はすでに2003年5月、桜井書店から刊行され、好評のうちに版を重ねている。その構成は以下の通りである。

はしがき
序章 入社
第1章 工場・組・勤務形態
 I 工場の概要
 II 組の概要
 III 勤務形態
第2章 現場労働
 I 日常業務
 II 改善活動とQCサークル
 III ローテーション
第3章 現場労働者の「熟練」
 I 日常業務をとおして形成される「熟練」
 II 「キャリア」形成をとおして身につけていく「熟練」
 III まとめ-「熟練」の評価
第4章 現場労働者の「自律性」
 I 現場労働者の「自律性」の実態
 II 労働量の「規制」
 III まとめ-現場労働者の「自律性」の発揮と「規制力」の行使との関係
第5章 労働現場における管理過程
 I 機械・装置をとおして行使される権力
 II 職場運営をとおして行使される権力
 III まとめ-労働現場におけるコンテクスト
第6章 選別と統合-労務管理の実態と労働者の日常世界
 I 選別
 II 統合
 III まとめ-緻密な管理の網の目
第7章 労働現場のダイナミズム
 I 職場におけるコンフリクト
 II 「受容」と「抵抗」のはざまで
 III まとめ-労働現場のダイナミズムとは
終章 退社-労働市場と労働現場
補論 日本の自動車工場の労働現場にかんする調査研究の動向-「熟練」にかんする議論を中心に-

参照文献
あとがき

二、本論文の概要
 序章は、求人情報雑誌を手がかりに、著者がトヨタ自動車の期間従業員募集に応募するところから始まる。採用面接、現地への赴任、健康診断、導入研修、工場配属、職場配属と、日を追って入社のプロセスが進行する。その間にも、不適格と判断された一割近くの労働者が脱落し、工場を前に去っていく。 第1章では、配属されたK工場の概要と、担当する職場であるサブ組付ラインと検査・梱包ライン、そこでの作業の流れ、組の人員構成、そして連続二交代制の勤務形態の概要が描かれる。ラインは、機械設備があまりに複雑化しないよう、また作業者が機械設備に過度に依存しないよう、設計されている。例えば、機械の安全カバーをスチール製ではなく透明なプラスチックのボードにすることで、機械の内部構造を可能なかぎり見えるようにし、それによって現場労働者の機械への意識を高めようしている(経営側の言う「視える化」)。また、安全センサーをラインの機械から大幅に取り除くことで、作業者が自動化装置に頼り切ってしまわないようにもしている。つまり、経営側は「過度な自動化」を避け、機械設備の大幅な「スリム化」を行っているのである。
 第2章では、こうしたラインでの労働の実態が、日常的な業務、非日常的な業務、それらの業務の間でのローテーションに即して描かれる。まず日常的な業務は、「ふだんの作業」(単純な反復作業)であれ、「ふだんとは違った作業」(変化や異常への対応)であれ、あるいは、作業者に任された「工程間の微調整」であれ、すべてがきわめて標準化された単純作業である。だが、単純であるということは、「誰にでもできる」労働であることを意味しない。スピードの点でも、瞬時の選択や判断が必要とされる点でも、異常発生時に追加的労働支出が必要とされる点でも、あるいは、工程間の微調整に伴い体力と神経が消耗させられるという点でも、作業は労働者に「尋常でない負担」を強いるものであって、著者自身の「体重の激減」に示されるようにきわめて「過酷」なものである。非日常的な業務も、改善活動とQCサークルの実態が示すように、現場労働者にとっては大きな負担となっている。また、作業者の持ち場が変わるローテーションは、「現場を回していくための必死のやりくり」でこそあれ、そこに計画性や人材育成などといった長期的配慮は感じられない。
 第3章では労働研究の中心テーマの一つである「熟練」の形成という問題が、標準化された労働と、「キャリア」形成との関係で論じられる。著者の体験からしても、標準化された労働(定型的労働)において「知的熟練」が形成されるものでないことは明らかである。それはたんに作業に「身体が慣れる」といった程度の「身体化された熟練」であり、過酷な作業スピードを凌ぐために「独自の作業方法」を編み出すといった程度の「熟練」であり、工程の微調整に必要とされるような、あくまで低いレベルの「熟練」でしかない。非定型的な労働に見られるとされる「熟練」についても、現場労働者の昇進の可能性がきわめて低いことや、職制の能力と現場経験との間に断絶があることを考えれば、そこで熟練が形成されると考えることには無理がある。もちろん、ある種の「熟練」の形成はライン労働でも不可能ではないかもしれないが、それは80年代以降の研究がしばしば強調する「知的熟練」や「組織的熟練」や「社会的熟練」といった高度な「熟練」ではなく、きわめて限定的なものにすぎないのである。
 第4章では熟練と並んで労働研究の中心的なテーマの一つとなっている労働現場における「自律性(autonomy)」の問題が検討される。この問題を考えるにあたっては「労働量の規制力(control)」に注目することが必要である。そのうえで、自律性の発揮がどのように行われているかを日常業務、生産ラインの立ち上げとその進化、職場運営という三つの場面に即して検討すべきである。一見すると「ゆとり」を生み出すためのさまざまな創意工夫、参加や提案が行われているように見えながら、そうした自律性の発揮がかえって労働強化(余裕の喪失)につながる場合が数多く見られる。自律性の発揮によりもたらされる「ゆとり」が労働者のものになるのであれば、労働者の自律性は規制力を発揮していることになるが、実態はそうではない。そのような形で生み出された余裕は労働者のものではなく、経営側のものになる。したがって、問題にすべきは、「自律的」な活動そのものではなく、それを取り込んでいる労使関係なのである。
 「自律性」が経営側の意図に沿って発揮されるためには、労働現場が適切に管理されていなければならない。第5章は管理の実態解明に向かう。その際、第一に注目すべきは、機械や装置や職場環境を通じた間接的管理の徹底である。機械や道具、あるいは作業の進捗状況が衆人環視の下に置かれる(「視える化」する)ことで、作業員はどこから注がれるかもしれない権力の視線を強く意識するようになり、結果的に労働過程は経営側の意図に沿って遂行されるようになる。第二は、職場運営を通して行われる直接管理である。ライン労働者がある程度の自律性を与えられるとしても、それはあくまで温情として与えられているにすぎないのであり、またそれと引き替えに、負わされている責任は無限定に近い、きわめて重いものとなる。両者のアンバランスにこそ経営権力の行使の跡を見て取ることができる。こうした権限と責任の配分と並んで、コミュニケーションを通した直接的管理にも注目すべきである。それはローテーションを通した同意の取り付けであったり、言語(トヨタ用語)を媒介にした統制であったり、相互監視の人間関係を通した権力の眼差しの共有であったりと、さまざまである。これらが全体として職場の「コード」を構成し、個々の労働者を強く緊縛することになる。
 第6章では労務管理の運営実態とライン労働者の日常世界とが描かれる。労働現場では「選別」と「統合」の手法が巧みに使い分けられている。例えば、人材登用(一般労働者にとっては組長や班長への昇進、期間従業員にとっては正社員への登用)や、基幹と周辺への労働者の振り分け(一般従業員と期間従業員、高卒社員と登用社員、男性労働者と女性労働者)を通して経営側による労働者の「選別」が行われる一方、インセンティブとしての賃金、一体感醸成のためのさまざまなイベント、寮と工場を往復するだけの単調な寮生活などを通して企業への労働者の「統合」が試みられている。
 第7章では職場におけるコンフリクトの存在が明らかにされる。職場では、一般労働者の間でも、彼らと職制や職場リーダーとの間でも、さまざまなトラブルが発生する。それを大きなコンフリクトに発展させない不断の努力が職制によって行われている。他方、労働者の側は、経営側から押しつけられる「状況」を読み替えるなどして、経営側のイデオロギーから距離をとっている。さらに、場合によっては、システムの弱みや部門間のコンフリクトを衝くことで巧みな駆け引きを行い、末端の労働者が現場の秩序に揺さぶりをかけることもある。このように労働現場におけるコンテクストはきわめて複雑であり、流動的でもある。「コード」という概念を用いて現場を捉え直してみることで、ダイナミックに変化する複雑な現場の実態をリアルに描き出すことが可能となる。
 終章では、仲間の期間従業員の簡単な経歴が、期間満了を迎え退社する日の日記を交えて紹介される。
 補論では、目本の自動車工場の労働現場にかんする調査研究の流れが、「熟練」にかんする議論を中心に整理される。

三、本論文の成果と問題点
 低迷する日本経済の中で空前の利益を生み出すトヨタ自動車は多くの人びとの関心の的であり、自己変革を遂げるその姿はさまざまな解釈の違いを生んでいる。トヨタの「成功」のカギがその労働現場にあるとする点では多くの人の意見は一致している。本論文の著者もトヨタの労働現場を知ることがまずもって必要であると考えるが、そのためには、経営側の説明から類推したり、生産システムから演繹的に導き出したりするだけでなく、現場の視点から観察すること、現場における「コンテクスト」を丹念に読み解くことがなによりも必要であると主張する。この主張を実践に移すために、著者は2001年7月末から11月上旬までの三ヶ月半をトヨタで働き、参与観察法を用いて三つの研究課題に取り組んだ。その第一は「変革」後(中)のトヨタの労働現場のファクト・ファインディングであり、第二は先行研究の検証であり、第三はこれまでほとんど取り上げられてこなかった労働現場の描写と分析である。本論文はその結果を再構成して書き上げたものである。
 なかでもとくに本論文の画期的な成果として指摘すべき点は三つある。第一は現場での熟練形成の実態を解明したことである。とくに現場労働者が「キャリア」形成を行っていくなかでどのように、またどのような熟練を獲得していくかを明らかにした点は本論文の白眉である。これまでの研究は労働者が職制に昇進することで「キャリア形成をとおしての熟練」を獲得できると考えてきた。だが、本論文での観察と分析によれば、熟練形成にとって重要なのは、キャリア形成の過程で実質的な権限を握ることである。権限が末端職制ではなく職場リーダーに握られている場合には、現場経験をとおして身につける熟練は職場リーダーのものとなる。「権限」が熟練形成において果たす決定的役割を明らかにしたことは本論文の最大の功績であろう。
 第二は、現場で労働者が発揮する自律性の実態を解明したことである。とくに現場労働者の自律性がどのような意味を持っているかを、労働量の規制力に着目して明らかにしたことは本論文の第二の成果である。自律性と労働量の規制との関連を問わないこれまでの研究は、自律性が発揮される現場のコンテクストを十分解明することができなかった。そのため、自律性の有する意義と限界とを同時に明らかにすることもできなかったのである。本論文において両者の関連が具体的なかたちで明らかになり、自律性の発揮が結果的には労働強化に結びつくというパラドックスの解明が果たされた。
 第三は、労務管理に果たす末端職制の権限と役割に目が向けられたことである。職場を管理・運営する末端職制とて経営側の圧力を一方的に現場の一般労働者に押しつけているわけではなく、表面的にはわかりにくい形でその圧力をかわしつつ、そのうえで自己の利害に基づいて上からの意思を下に押しつけているにすぎないのである。このことが職場にさまざまな潜在的可能性を生み出す。末端職制のアンビバレントな本質を明らかにし、職場秩序のダイナミズムを示唆できたことは本論文の第三の成果であると言えるだろう。
 問題点として二点指摘しておきたい。第一に、本書は、補論「日本の自動車工場の労働現場にかんする調査研究の動向」で1960年代以降の研究史のサーヴェイを行っている。副題が「『熟練』にかんする議論を中心に」とされていることから分かるように、ここでの著者の問題関心はなによりも労働現場での熟練形成をめぐる学界動向に向けられている。だが、著者が本書において採用した参与観察という独自の調査方法の意義を考えてみれば、あるいは、本書の成功がより多くこうした参与観察という調査方法に拠っていることを見てみれば、調査方法論に重点を置いた研究史のサーヴェイがあってもよかったのではないかと思われる。本書で著者が切り開いた、研究と叙述の独自の世界を際だたせるためにも、これまでの「自動車工場の労働現場にかんする調査研究の動向」を方法論に的を絞ってサーヴェイし、参与観察法の意義と限界を位置づけていたら,専門読者にとって本書の議論はさらに説得力を増していたと思われる。
 第二に、本書の構成や叙述は一般読者をも想定した独自のスタイルで行われている。その魅力的な筆致、説得的な叙述スタイルは第一級のルポルタージュにも比肩しうる本書の最大の特長となっており、読者を労働研究の世界に引き込むうえで大きな力を発揮している。だが、その反面、このことは、博士論文の定型を破ることで、学術論文としての完成度を期待する専門読者にいささかの不満を与える恐れなしとしない。それは著者の本意ではないとしても、必ずしも理由のないことではない。実際、前述のような本書のユニークな視点や知見は学問世界での議論や論争に大きなインパクトを与えるはずのものである。だが、その詳細について語る段になると、本書はいささか禁欲的に過ぎ、その全面的な開陳を期待する専門読者にはいくらか欲求不満を残すこともまた事実である。本書の特長である抑制されたスタイルがこの場合には難点とされることにもなりかねない。
 もちろん、以上のような問題点は著者も十分自覚するところであり、しかも本書が達成した成果から見れば必ずしも大きな欠陥とは言えない。また、その研究能力や着実に研究成果を積み重ねてきた従来の実績からみて、将来これらの点についても十分な研究成果を上げるであろうことは容易に予想可能である。今後の研究の進展に期待したい。
 以上、審査委員会は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2004年2月18日

  2004年1月19日、学位論文提出者伊原亮司氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、審査員が、提出論文「トヨタの労働現場-ダイナミズムとコンテクスト-」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、伊原亮司氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員会は伊原亮司氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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